学び合い、高め合い、支え合う地域づくりのため |
平成26年3月7日 |
葦北水俣地域民生児童委員研修会 |
皆さん、こんにちは。
民生児童委員の皆さんは日頃から、子どもから高齢者まで幅広い人々と関わり合いながら地域の福祉の向上に、そして最近は学校教育活動のお手伝いをもしておいでです。そのような活動をしていらっしゃる皆さんと人権問題について一緒に考える機会が与えられましたことうれしく思います。
ところで、2月3月にびっくりするような事件が立て続けに起きました。
2月25日、名古屋市で暴走自動車が信号待ちなどをしている人々を次々とはねるという事件が起きました。3月3日には、千葉県柏市で刃物を振り回す盗事殺傷強件が起きました。この2つの事件の犯人に共通するものは、「社会から受け容れられていない」と思い、自暴自棄になりあのような事件を起こしたことです。悩みを聞いてくれる人、例えば傾聴ボランティアが身近にいたり、犯人たちがもっと社会と関わり合っていれば、もっと地域の人々との交流があっていればあのような事件は起きなかったのではないかと思うと悔やまれてなりません。
人は一人では生きていけません。私たちの日々の生活は地域との関わりなしには成り立ちません。皆さんは地域の人と関わり合いながら、きつい思いをしている人を支援していらっしゃいます。豊かな人権感覚がなければできないことです。皆さん方のお仕事に敬意を表します。
本題に入ります前に少し自己紹介をいたします。ただいまご紹介いただきましたように私は「有紀」と書いて「ありとし」と言いますが、「ありとし」とは読んでいただけません。ほとんどの方が「ゆき」さんと読まれます。「名前を見て女性と思っていました。」とおっしゃる方もいます。私はこの名前が大好きです。父がつけてくれました。父は「有紀。有紀とはな、“歳を重ねるにつれて歳相応の人間になれ”との思いを込めて名付けた名前ぞ。歳相応の人間にならにゃんぞ!」とよく言っていました。「有」という字の上に「保」という字をつければ「保有する」という熟語ができますね。「有」には「保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀」などというように「年」の意味があります。このように漢字の持つ意味から付けてくれた名前です。父の思いに少しでも応えようと努力はしていますが、「あちこちの 骨がなるなり 古稀古稀と」という川柳にある70歳になった今でも歳相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。
私は幼少の頃、「ありちゃん」と愛称で呼ばれていました。今でも小学校・中学校時代の友からは「ありちゃん」と呼ばれています。「ありちゃん」は大好きな愛称です。大好きな愛称ですが、時々年上の中学生などから、「おっ、向こうからアリの来よる。アリは踏みつぶそう。」と言って足で踏みつける仕草をしてからかわれたり、いじめられたりしたことがありました。私はそのたびに「俺はアリじゃなか。ありとし。」と言って体当たりして抗議していました。親が名付けてくれた名前をからかいやいじめの対象にすることはその人の人格を冒涜することだと思います。こういうことから自分の名前や他の人の名前を大切にすることは人権学習の始まりだと私は思っています。皆さんも、私が父から名前に込めた思いを語ってもらったようにお子さんに語ってこられたことと思います。また、お孫さんに語っていらっしゃることと思います。この語りを人生の節目節目、例えば誕生日だったり入学や卒業の時に語ってください。小さいお孫さんだったら膝の上に抱っこして背に手を回して目を見つめて、大きなお孫さんだったら手を取り目を見つめて、誕生の時の感動を思い起こしながら名前に込めた家族の思いを語って下さい。お孫さんはきっと自分の名前が大好きになると思います。名前を好きになることは自分を好きになることです。自分を好きになると自分を大事にする心が生まれます。この心を自尊感情と言います。人権尊重社会ではこの自尊感情こそが最も大事なものと思っています。
本日は人権問題について私の話を聞いていただくだけでなく、一緒に考え、話し合いを通して人権問題を考えていきたいと思います。
早速ですが、レジュメに示しています女性はいくつくらいでしょうか?
「30代の女性に見えます。」 「80代の女性に見えます。」 「若い人にも高齢女性にも見えます。」 「若い人にもお年寄りにも見えるの?」 今、いろいろな声が聞こえてきました。 お尋ねします。挙手していただけますか? |
20代とか30代という声がありましたが、ひっくるめて若い女性としますね。若い女性に見える方挙手願います。(3割程度挙手)
では、高齢の女性に見える方?(3割程度挙手)
若くも高齢にも見えるよという方?(2割程度挙手)
両方には見えないという方?(2割程度挙手)
今、隣同士で話し合っている方がいらっしゃいます。どうぞ、隣同士で話し合ってみてください。
「あっ、そうか。」という声が上がっています。「こう見れば若い女性にも高齢の女性にも見えるよ。」と、どなたか説明していただけませんか。
(「耳と見るか、目と見るか。顎と見るか、鼻と見るか。ネックレスと見るか唇と見るかで若い女性にも見えますし、高齢の女性にも見えます。」)
いま、○○さんに説明していただきました。いかがですか?
(「ぱっと見て若い女性と思い込んでしまったのでお年寄りの女性と見るのは難しかった。」の声あり)
まだ両方には見えないという方いらっしゃいますか?(挙手なし)
皆さん両方に見えますね。この絵はだまし絵と言います。見ようによってはどちらにも見えるというものです。はじめから両方に見えた方は別ですが、若い方に見えた方が高齢の女性と見る、高齢に見えた方が若い女性と見るには少し、骨が折れたでしょう。はじめに「○○だ」と思ったことを「こんなにも見えるんじゃない」と見方を変えることの難しさを皆さんに知って欲しかったのです。そして、違う角度から見るとこれまでは見えなかったことも見えてくることがあると言うことに気づいて欲しかったのです。先ほど「思い込んでしまった」という声がありましたが、案外私たちには「○○だ」と思い込んでみているものがあります。1度立ち止まって考えることの大切さに気づいて欲しいのです。
レジュメに、「息子よ 息子」という短い文を載せています。読んでみてください。
息子よ 息子 路上で交通事故がおきました。 大型トラックが、ある男性と彼の息子をひきました。 父親は即死しました。 息子は病院に運ばれました。 彼の身元を、病院の外科医が確認しました。 外科医は「息子、これは私の息子!」と大声で悲鳴をあげました。 |
この話、胸にストンと落ちましたか?
この文はどうもおかしいと思われた方?(大多数が挙手)
胸に落ちた方?(数名挙手)
これも隣同士で話し合ってみてください。
話し合われたことを皆さんに話してもらえますか。
(「交通事故で死んだ人が「これは私の息子」と言うはずがない。この文はおかしい。」)
(「夫婦が離婚していて、父親が2人いたのだろう。」)
(「交通事故で亡くなった人は偶然そこに居合わせた人。亡くなった人は父親ではなかった。」)
(「外科医はその子のお母さんだ。母親がこれは私の息子と悲鳴を上げるのは当然。」)
いろんな考えを出していただきました。どう考えると胸に落ちるでしょうか?
(「外科医は女性だった。」)
そうですよね。外科医が女性であったらこの話は胸に落ちますね。外科医は男性と思い込んでいると、この話は胸に落ちません。女性のお医者さんはいらっしゃいますが、外科医というと男性の医者との思いがあります。女性の絵を見たとき、「思い込み」という言葉がありましたがこのように私たちの心の中には思い込みがあります。その思い込みが時として、偏見となり、差別意識が生まれることがあります。
心の中に「○○=○○」と決めつけていることで、いじめに遭いきつい思いをした女の子について考えてみたいと思います。
平成14年6月28日付け毎日新聞夕刊に、「黒いランドセル」という記事が掲載されました。
ある学校に一人の女の子が入学してきました。仮にA子ちゃんとします。A子ちゃんは入学後、教室でいじめを受けるようになりました。それは、黒いランドセルを背負って登校していたからでした。もちろん担任の先生は教室で対応をしましたが、いじめはおさまりません。とうとうA子ちゃんは転校することになってしまいました。転校先の学校でも、「女の子が黒いランドセルを背負ってくるのはおかしい。女の子は赤いランドセルだろう」といじめられました。担任の先生は、「A子ちゃんが黒いランドセルを背負って登校するのは何か訳があるのに違いない」と家庭を訪問して家族にその訳を聞かれました。A子ちゃんのお母さんは、別室から持ってきたアルバムをひもときながら、「A子には3歳年上の兄がいました。兄は小学校に入学した時は小児がんにおかされていました。兄は、1回しか自分の黒いランドセルを背負って登校することができませんでした。A子の入学に際し、私たちは新しいランドセルを買うことをすすめましたが、A子は『大好きだったお兄ちゃんと毎日一緒に学校に行きたいから、お兄ちゃんが背負っていたランドセルを背負って学校に行く』と言って私たち家族の言うことを聞きませんでした。その強い思いから黒いランドセルを背負って登校しているのです。」と先生に話したのです。
担任の先生は、このことを学校に持ち帰り、先生方と話し合い学校をあげてA子ちゃんが黒いランドセルを背負って登校する訳を話されました。その結果、いじめはなくなりA子ちゃんは元気に登校できるようになったのです。
この話から「黒いランドセル=男の子のランドセル」「赤いランドセル=女の子のランドセル」という決め込みがあることがわかります。そしてその決め込みは周りの大人、つまり社会の決め込みが子どもにすり込まれているのです。そしてこのような悲しいできごを引き起こすことがあるのです。
このように「人が言うから」とか「世間が言うから」とそのまま信じて起きた差別事象についてみてみたいと思います。
熊本県では、様々な人権課題の中でも、同和問題、ハンセン病問題、水俣病問題を1日も早く解決しなければならない人権課題として教育・啓発に力を入れています。しかし、昨年3月熊日新聞夕刊の『電話で話そう』に次のようなことが掲載されました。
差別根強い熊本 今も変わらず残念 私は四国の出身で、熊本に来て40年以上になりますが、同和問題やハンセン病問題など根強い差別体質が気になります。 実は小学4年生の孫娘が先日、同級生から「あそこから先は同和地区だから行かない方がいい。付き合わない方がいい」と言われたというんです。熊本に来たころも差別が多いのに驚かされましたが、あまり変わっていないようです。いまだにハンセン病のことを何かと言う人もいますしね。 私が育った県にもハンセン病療養所がありましたが、中学生のころにはもうそんな差別の話は聞きませんでした。私は菊池恵楓園に出入りして菊の育て方を習ったりもしました。 少しずつでもいい方向にいってほしいと思います。 (熊日夕刊 平成25年3月29日 電話で話そう) |
教育や啓発はこれだけしたからもう良いと言うことはありません。いろんな機会に学び合うことが大切です。本日の研修会もその一つだと思います。
ハンセン病問題は、ハンセン病についての無知から「うつる病気」「怖い病気」との理解違いから起きた人権問題です。
皆さんまだ記憶に新しいと思います。平成15年、阿蘇の黒川温泉のホテルでハンセン病回復者に対する宿泊拒否事件がありました。ホテル側の言い分は、他のお客さんにご迷惑をかけるというものでした。迷惑をかけるという発想はハンセン病はうつる病気、怖い病気との思い込みからでしょう。それは、無ライ県運動のもとハンセン病患者が強制隔離され、ハンセン病に対する啓発がなされていなかったからです。皆さん既にご存じのように、ハンセン病は「ライ菌」による感染症です。このライ菌はきわめて感染力は弱く現代の栄養状態では、特に濃密な関係でなければうつることはないと言われています。また、発病してもプロミンという薬で治癒すると言われています。このことについての啓発がなされなかったことからハンセン病について何も知らずに怖い病気と言うことだけが人々の心の中に温存されてしまったのです。その結果が宿泊拒否事件です。ハンセン病に関しての無知から昭和29年にも差別事件が起きています。それは黒髪小学校事件と言われているものです。菊池恵楓園に入所している人を親に持つ子どもたちが熊本市内の龍田寮という所で生活していました。そこの子どもたちが黒髪小学校に入学することをPTAが拒否した事件です。保護者達が、菊池恵楓園に入所している人を親に持つ子どもたちと我が子と机を並べて勉強することは許せない。我が子がハンセン病に罹ることはなんとしても阻止しなければならないということから拒否事件が起きたのです。これも保護者がハンセン病に対する正しい知識を学び理解していたら起きなかった差別事件です。このことからもものごとを正しく学び、正しく理解し、判断し、行動することの大切さがおわかりだと思います。
水俣病問題も水俣病について正しく理解していなかったことから起きた事件です。水俣病は窒素水俣工場からの廃液に含まれていた有機水銀を摂取した魚介類を食して起きた公害病であることは皆さんご承知の通りです。ところが、昭和30年代、原因がまだはっきりしなかった頃、水俣病は伝染するという誤解などにより、差別を懸念して患者を家の中に隠したこともありました。また、患者が出た家には人々が寄りつかなかったり、様々ないやがらせをするなどの厳しい差別がありました。健康被害に加え、地域の内外での、いわれのない偏見や差別の問題で苦しんだのです。水俣出身であるために結婚や就職が断られたり、水俣の産品が地域外では売れず、観光客も激減するなど、地域全体がいわれのない偏見や差別に苦しみました。学校教育や社会教育で水俣病を正しく理解するために教育や啓発が行われている中で、平成22年に水俣市の中学生が県内の他市の中学校とのサッカーの練習試合中、相手側の生徒から「水俣病、触るな」という差別発言を受けたのです。同校の校長先生は「今回の出来事は、生徒に対し水俣病の表面的な知識しか伝えきれていなかった我々教師の責任」と話され、先生方は水俣市を訪れ、水俣病の現地学習に取り組まれたと聞いています。
人権問題学習は、偏見にとらわれている意識に気づくことでり、正しい知識を行動化することから始まります。私たち一人ひとりが、差別をなくす当事者となりましょう。
同和問題は、同和地区に対する偏見から起きた差別です。
部落差別についてはいろいろといわれていますが、中世の頃からあった「穢れ意識」から考えてみます。
中世の頃、人の血や死などに対する穢れ意識が広まりました。この考え方から死や血に触れた人も穢れるとなり、人や動物の死や血に触れる仕事をしている人は、穢れた存在であるとの誤った考えが社会全体に広まり、特定の仕事や役割を担った人々に対する偏見を形づくり、社会的に差別される人を生み出すことにつながったのです。科学的には何の根拠もない考えなのですが、当時の為政者はこの考えを巧みに利用して社会を治める仕組みを作ったのです。この考えが未だに人々の心の中にあり、偏見となり今なお同和問題が大きな人権問題の一つとして残っているのです。一方、
芸能や文化、産業との関わりについてはこれまであまり触れられていませんでした。中世の頃、歌や踊りなどの遊芸、芸能、庭園づくりなど、現在につながる様々な文化が発達しました。これらを支えたのは差別されていた人々だったのです。
私は3年ほど前、ウズベキスタンへ行ってきました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。
ウズベキスタンの現地ガイドは「マリカさん」という人でした。彼女はウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行を楽しんだと言いました。東京も鎌倉も大阪もとてもすばらしいところだったが京都が一番印象に残っている。金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭をはじめ銀閣寺などの庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。このほかにも室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥親子も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。このように被差別部落の人々が日本文化や産業などに果たした功績は大きいのです。
私たちはこれらにも目を向け、被差別部落に対する偏見を取り除いていくことが求められていると思います。
これまで見てきましたように、私たちの心の中にある偏見が人権問題と深く関わっていることがおわかりと思います。私たちの心の中にどのようにして偏見が生まれてくるのでしょうか。このことを考えてみたいと思います。
皆さん、レジュメの空いているところに魚の絵を描いてみてください。
皆さんとてもすばらしい魚をお描きです。時間があればどなたかにこのホワイトボードに描いていただきたいのですが、本日は時間がありませんので私からお尋ねします。
○○さんは左向きのきれいな魚を描いていらっしゃいます。○○さんと同じように左向きの魚を描いた方手を挙げてもらえますか?(ほとんど全員が挙手)
では、右向きの魚を描かれた方、挙手願います。(4名挙手)
4名の方が右向きの魚、他の方は全て左向きの魚を描かれました。今、私は「魚を描いてみてください。」と言いました。「左向きの魚を描いてください」とも「右向きはだめですよ」とも言いませんでした。にもかかわらず、結果的にはほとんどの方が示し合わせたように左向きの魚を描きました。なぜ、こんなことが起きると思いますか?
(右利きだから頭を左向きにした方が描きやすい。)
(いつも左向きに描いているから描き慣れている。)
(料理では左向きに出すから左向きを描くのだと思う。)
いくつかの考えが出されました。
左利きの方で右向きの魚を描かれた方?(挙手0)
右利き、左利きには関係ないようですね。
料理で、尾頭つきの魚を右向きに出されるところありますか?(挙手0)
魚は左向きで出されますね。以前、料理組合の方に聞きましたところ、「魚は左向きに出すと決まっている。」と言われたことがありました。魚の図鑑に載せてある魚の絵や写真を思い起こしてください。そのほとんどが、8割から9割近くが左向きの魚です。図書館や家にある図鑑で確かめてください。このように私たちが日頃目にしている魚のほとんどは左向きなのです。これが「魚は左向き」を空気を吸うがごとく無意識のうちにインプットしているのです。これを刷り込みと言います。このことから、右向きの魚を描いた方はご自分の考えがありすばらしいことだと思います。
この刷り込みは他にもあります。
牛の色を思い浮かべてください。これもお尋ねします。
牛の色と言えばあか牛が思い浮かぶ方?(4分の1程度挙手)
黒牛が思い浮かぶ方?(4分の1程度)
白黒のホルスタインが思い浮かぶ方?(半数近く挙手)
ここではホルスタインが多いですね。阿蘇でお尋ねしたときは全員の方が赤牛でした。天草では、8割から9割の方が黒牛でした。天草地方では以前、農耕用に黒牛を飼っていました。私は家で、乳牛を飼っていましたので、牛の色と言えばホルスタインです。このように小さい頃から身近で見ていた牛の色がインプットされていますね。
この刷り込みが思い込みとなり、この思い込みにマイナスイメージが加わると偏見が生まれます。そしてこの偏見が時として差別意識を生みだすのです。
皆さん、小さい頃「七つの子」を歌った経験がおありでしょう。野口雨情が作詞した歌です。
皆さんは「カラス」について、プラスイメージを持っていますか?マイナスイメージを持っていますか?(良いイメージは持っていないの声あり)
私も小さい頃、田んぼにカラスがいっぱい舞い降り、虫などをついばんでいるところを見ると「今日は縁起が悪かバイ」など言っていました。そのカラスを題材にした歌が「七つの子」です。
そこに歌詞を書いていますので、読んでみてください。
七つの子 野口雨情 烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ 山の古巣に いって見て御覧 丸い眼をした いい子だよ |
雨情がこの詩を書いた頃も黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したものです。
雨情は「黒い鳥=不吉な鳥」と決めつけることのおかしさを訴えていたのです。
皆さん、雨情の心情をおもんばかって歌ってみましょうか?
♫ 烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ 山の古巣に いって見て御覧 丸い眼をした いい子だよ ♫
ありがとうございました。とてもきれいな歌声を聞かせていただきました。
先ほどウズベキスタン旅行の話をしました。この旅行で、「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさ、自分の心の中に思い込みがいっぱいあることに気づきました。マリカさんは旅行最後の日、車中で私たちにこう尋ねました。
「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と知人や友人から言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」この問いかけがあって、ツアー参加者はウズベキスタンの歴史や文化、自然のすばらしさに感動していましたので拍手で「すばらしかったよ」と応えました。私はしばらく顔を上げられませんでした。知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに、「危険地域だからウズベキスタン旅行には行くまい」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」でした。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。「問題ありません」という返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、「個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょう」とのことでした。
ウズベキスタンをこの目で見てびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。でも、ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。アフガニスタンはイスラム原理主義の過激集団、タリバンの本拠地です。このことから「危険な国アフガニスタンの隣国であるウズベキスタンも危険な国」と思い込んでいたのです。ある一つの情報から「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
毎年、中学生の人権作文コンテストが行われています。昨年度、文部科学大臣奨励賞を受賞した蓬田怜奈さんの「聞いてください、私の思い」を載せています。少し長いですが読んでみてください。
平成24年度 中学生人権作文コンテスト 文部科学大臣奨励賞 聞いてください、私の思い 新潟県柏崎市立松浜中学校3年 蓬田怜奈) 大熊町。緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな私のふる里です。そして、あの原発事故が起きた町。私のふる里は一瞬にして「死の町」とまで言われる誰もが嫌い、イヤがる町になりました。それまで私にとっての「人権」とは人間が生まれながらもっている権利と学校の授業で習った程度で、特に気にもせず考えもしないただ聞いたことのある言葉でしかありませんでした。 しかし、避難してからは、同じ福島県内でありながら、耳に入ってくる話は「福島ナンバーの車がいたずらされた」「転校していった子が放射能のことでいじめられた」などの悲しい話ばかり。私はこの話を聞くたびに、「またかぁ…」と自分のふる里がだんだんと嫌がられている事がとても悲しく思っていました。 そんな中、私も一つの体験をしました。部活の大会の日のことです。 「うわ、なんでいるの。放射能がうつる。帰れよ。」 すれ違いざまに他校の生徒に言われた言葉です。私は、この言葉を言われたとき泣きたくなり、大会すらやる気がなくなりました。新聞やニュースなどで得た少しの知識だけでこういう風に思っている人がいると、聞いてはいたものの、残念で仕方ありませんでした。何気なく言った言葉だったのかもしれませんがその言葉は、大熊町に住んでいた私にとって非常に悔しく悲しいものでした。家に帰り、その出来事を母に話すと、母は別の話もしてくれました。ある小児科では、受診してくる地域の子供を守るため大熊の人は診察しない。ある保育所では、やはり預かっている子供を守るため近くに大熊の人の車を駐車させないという内容でした。自分の「人権」を守るためなら相手の「人権」は傷つけてもかまわないのでしょうか。私はまちがった情報が、そういうまちがった守りを生む、原発事故について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別をなくすのだと気付きました。 差別というのは、私たちのまわりでは身体の障害や病気を理由にした差別、性別・年齢国籍の違いによる差別など小さなことから大きなことまで本当によく耳にします。差別をしている側からすれば、それを冗談だという人も多いのです。たとえ冗談だとしても心ない言葉の一つ一つが相手をどれだけ傷つけるのか気づいてほしいものです。小学校の時から私たちは道徳などでいじめや人権などについて学んでいてもなかなかそれがなくならないのは、そういうせいなのかもしれません。私に言ってきたあの子達もそうだったのかもしれませんが、実際に差別されている側はみんなの想像よりはるかに傷ついているということ、つらいということ、そして悲しいということを私は、この人権作文を通して、たくさんの人に知ってほしいのです。 最近は過剰なマスコミやメディアにでてくるコメンテーターの個人的感情が、ストレートに入ってきて私達の意識に大きな影響をあたえているような気がします。しかし、自分の体験を通して感じたことは、一つの問題に対して人の言葉をすべてうのみにするのではなく真実とはなんなのかを見つけだすことが人権を守ることにつながるのだと思います。私たちが差別をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。我も人も自分らしく生きる。これが「人権」を尊重することだと思います。「人権」について考えること。それはとても難しいことのように思えますが、意外と簡単なことではないでしょうか。 今、私が住んでいる柏崎は実際、放射能の心配がないせいなのか、それとも大熊町と同じように発電所が隣設されているせいなのかまったくそういったいやがらせはありません。私は改めて、そんな今があたりまえではないという現実を忘れてはいけないと思いました。同じ人間同士が平等に並んで歩くための権利。だれもが生まれながらにもっている大切なもの。自分も相手も同じひとりの人間として心に寄り添い、真実を見極め、理解し合う努力こそ、差別をなくし人権を守る大きな力になると思います。そして、私自身も差別や偏見、いじめがなくなるように強い心をもって、まずは自分から立ち向かっていきたいです。 |
蓬田さんは、「一つの問題に対して人の言葉をすべてうのみにするのではなく真実とはなんなのかを見つけだすことが人権を守ることにつながる。」
「その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習すること。」
と訴えています。
何度も言いましたが、物事に対して、「正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動に移すこと」は人権問題解決に欠くことのできない姿勢です。
時間がなくなりました。論語の一節を紹介して終わりにします。
論語 衛霊公第十五24 子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。 子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。 |
意味は、
子貢がおたずねしていった、
「先生からお教えいただく一語を心にとめ生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。」
先生はいわれた、
「その言葉は恕だね。そして自分の望まないことは人にしないことだ。」
「恕」とは、やさしさ、おもいやりのことです。私たちは恕の心を持って生きていきたいものです。
長時間のご静聴ありがとうございました。