かけがえのない命を大切に
平成18年12月
御船小学校


 みなさん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました中川です。「ありとし」と言います。私が七滝小学校に赴任したときです。校長・教頭が一度に異動しました。教頭先生は女性でした。新聞で異動状況を見た地域の中で「今年は、校長も教頭も女性バイ。」との噂があったそうです。
 まだ、4月2日か3日だったと思います。私が玄関前を掃き掃除していたら地域の方がお出でました。私に、「校長先生はいらっしゃいますか」と声をかけられました。「私が校長です」と返事をすると、「あら、女性の校長先生ではなかったのですか」と言われました。私はよく女性と間違われます。地域の方は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのでしょうね。
 私はこの名前がとても好きです。小さい頃から、「ありちゃん」とよばれていました。今でも「ありちゃん」とよばれています。
 ところが、小さい頃、時々この名前のことで上級生や同級生から意地悪を言われていました。「あっ、アリの来よる。アリば踏みつけよ」と言ってアリを踏みつける格好をするのです。その度に私は「俺はアリじゃなか。ありとし」と言っていました。
 私は世界で一つしかないこの名前を付けてくれた父に感謝しています。私は昭和18年生まれの農家の長男で63歳です。私が小学5年生の頃だったと思います。ちょうど今頃の時期です。父が「おい、ありとし。麦踏みに行くぞ」と言います。父と一緒に馬車に乗って畑に行きました。しばらく麦踏みをしたあとで、畦に腰掛けて「ありとし、今年の正月は何も買うちやられん。がまんせ」と目にはいっぱい涙をためて、声をふりしぼるようにして言います。「おまえは長男だけん、がまんしてくれ。弟たちには何か買うちやらにゃんけん」。その年、私の家では働き手がみんな病気をして2週間ばかり寝込みました。2週間も田畑に出ないと、田畑は草だらけです。雑草に穀物が負けて、収穫がいつもの半分ほどだったのだろうと思います。それで、子どもに洋服を買ってやる金がなかったのです。当時は、盆と正月に、洋服や下着、靴などを買ってもらっていました。それで私も今年は何ば買ってもらえるだろうかと楽しみにしていたのです。そんなところへ、「がまんせ」です。とてもショックでした。しかし、父の悲痛な顔、そして正月を楽しみにしている弟たちの顔を思い浮かべると「俺にも何か買って」とは言えませんでした。「うん」と言って我慢しました。
 このときです。さらに父は、「ありとし、おまえが好きな仕事をすればいい。勉強ばして高校も好きなところに行け」と言いました。当時は、長男は父の跡取りをするのがあたりまえという時代でした。だから私も農業をするものだと思っていました。ですから、こんなことを聞いてびっくりしたことを昨日のように覚えています。
 そして名前の由来を話してくれました。
 「有り」は「保有する」という意味があります。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「とし」という意味があります。父は「年をとるにつれ、それ相応の人になれ」との期待を込めて名付けたと言いました。63歳になっても、なかなか年相応の人間にはなれません。しかしそれを目指して生きています。このようにすばらしい名前を付けてくれた親に感謝し、尊敬しています。だから、私は、何時どこで名前を呼ばれても大きな声で「ハイ」と返事しています。
 皆さんも今日帰ったら、お父さん、お母さんに自分の名前の意味やそのときのご両親の期待を聞いてごらん。皆さんの名前についていろんなことが分かると思いますよ。そして、世界に一つしかない自分の名前に誇りを持つことと思いますよ。そして、自分はもとより周りの人を大事にする気持ちが湧いてくると思いますよ。
 保護者の皆さん、子どもが生まれたときのことを思いだし、家族みんなが誕生を祝い名前にこめた気持ちを子どもに語ってください。
 熊本県内のある小学校の子どもの「たからもの」と言う詩を読みます。しっかり聞いてください。
たからもの
ぼくのなまえは「だいご」です。
ともだちはときどき「だんご」とかいいます。
ぼくはへいきだけど、
おとうさんとおかあさんがくれた、
せかいにひとつだけのたからものです。
たいせつにしたいです。
 いかがですか。

 今年の人権週間のテーマが「思いやりの心 かけがえのない命を大切に」です。本日の演題はこれからとりました。
 筑波大学の福田弘教授(人権教育の指導法に関する調査研究会議座長)は、「人権感覚を育成するためには、感動する感性、適切かつ健全なセルフエスティーム、共感する力が大切である」と言っておられます。セルフエスティームとは、自尊感情とか自己肯定感などと言います。
 これから、人権感覚を育成し、「かけがえのない命を大切に」するために、感動する感性、セルフエスティーム、共感する力をはぐくむことをみんなで考えていこうと思います。
 本日は、5・6年生の皆さんと保護者の皆さんが一緒に学習します。みんなが同じ学習者として考えて欲しいと思います。レジュメの二重○は保護者の皆さんへ、一重○は児童の皆さんへ呼びかけたものです。
 本日は、少し体も動かしてもらいたい思います。そこで、約束が2つあります。
 1つめの約束は、目で見て、耳で聞いて、心で受け止めることです。約束してくださいね。
 2つは、活動することがありますが、私が「はーい、集中」と言ったらどんなに活動中であっても、とても楽しいところであっても活動やお話しをやめ、その場に静かに座って待つことです。
 約束できますか。

 それでは、互いに自己紹介をしましょう。約束事があります。
1 まず、笑顔で「こんにちは」とあいさつすること。
2 握手して自己紹介すること。 
3 簡単な自己アピールをして、「よろしくお願いします。」ということ。
4 異性や年の違う人とあいさつを交わしましょう。
 挨拶とは、「挨」という語にも「拶」という語にも、共に「心を開く」という意味があります。「挨拶」とは、お互いに心を開いて通いあわせるコミュニケーションの 第一歩です。
 5分間でたくさんの人と、挨拶を交わしましょう。それでは、どうぞ。

 皆さん、たくさんの人とあいさつを交わし自己紹介できたことでしょう。私もたくさんの人とあいさつを交わすことができました。笑顔で、目と目を合わせて、あいさつを交わしていました。
 相手理解の第一歩ですね。

 次は、グループ作りをしてみましょう。
 私が指を3本出して「3人」と言ったら3人グループを作りその場に座りましょう。「男2人女3人」と言ったら男女5人のグループを作るのですよ。では、始めますよ。いいですね。
 「3人」グループを作りましょう。
 次は、「5人」グループを作りましょう。
 グループに入れず、立ったままの人がいます。
 「仲間に入れないというのは寂しいですね。今はゲームです。すぐに新しい仲間作りが出来ますが、これが学級や地域でのことだったらどうでしょう。仲間に入れなかったり、仲間はずしにあったりしたらどれだけ「心を痛め、悲しみ、苦しい」思いがするでしょう。
 皆さん、遠足や旅行でお昼の弁当を食べるとき、一人ぽつんと寂しくお弁当を食べたことのある人はいませんか。お母さんの心づくしのお弁当も一人で食べてはおいしくありません。悲しくなります。みんなが仲間です。仲間はずしなど決してしないでください。
 先日、2年生になる孫が私に泣きながら話をしました。
 △ちゃんが「○○ちゃんとは遊ばないで」とみんなに言って私の大好きなお友達が仲間はずしになったの。大好きな○○ちゃんは一人ぼっちで泣きそうな顔をしていたの。私はとてもかわいそうに思ったの。今日はずっと○○ちゃんと一緒に遊んでいたよ。どうして仲間はずしをするの?
 もしかしたら皆さんの中にも仲間はずしになったことがある人がいるかも知れません。
 「招かれなかったお誕生会」を見てください。
 これはお誕生会を楽しみにしていた孫が、部落差別により誕生会に招かれなかったときの「悔しさ」、「きつさ」、「悲しさ」をおばあちゃんがうたったものです。
招かれなかったお誕生会
          江口 イト
孫は小学四年生かわいい顔した女の子
仲良しA子ちゃんの誕生会小さな胸にあれこれと選んで買ったプレゼント
早く来てねと友の呼ぶ電話の声を待ちました
夕陽が山に沈んでも電話の声はありません
孫はポツリと言いました きっと近所のお友達おおぜい遊びに行ったのでお茶わん足りずにAちゃんは困って呼んでくれないかも
二、三日たった校庭でA子ちゃん家での誕生会楽しかったと友人に聞かされ孫はA子ちゃんに 
どうして呼んでくれないの私はとても待ったのよ
A子ちやんとても悲しい顔をして私は誰より千恵ちゃんを呼びたく呼びたく思ったの
けれども私の母ちゃんは呼んではならぬと言ったのよ
それで呼べずにごめんねとあやまる友のその顔を見つめた孫の心にはどんな思いがあったでしょう
私は孫に言いました お誕生会に招かれずさびしかっただろうねと
孫はあのねおばあちゃん A子ちゃんとても優しいの私の大事なお友達
A子ちゃん悪くはないのよお母さんが悪いのよ大人ってみんな我ままよ
寂しく言った孫の瞳に光る涙がありました どんなするどい刃物より私の胸を刺しました
 部落差別といじめや仲間はずしとは本質的に違います。しかし、仲間に入れない悔しさ、悲しさには相通じるものがあると思います。
 それでは、今の5人グループで1月1日から12月31日までの生まれた順に並んでみましょうか。約束があります。絶対言葉を発したらいけません。指でサインを出したり、文字を書くのはかまいません。2分間で並びますよ。
 どうぞ。

 無言でこんな活動をするのはどうですか。大変だったでしょう。言葉とは便利ですね。自分の気持ちを相手に伝えることができますから。ところがこの言葉はコミュニケーションの道具にもなり、人を励ます力にもなり、人を傷つける武器にもなるのですよ。
 「熊本県人権子ども集会アピール文」を見てください。
 「ことば」・・・それは、人を励ます最大の力になる。「大丈夫!私はずっと友達だから!」「今まで何もできなかったけど、今から一緒にがんばろう」
私は本当にうれしかった。みんなが辛い体験をしていると知った。涙が出た。だから、心から笑うことができた。自分の気持ちに気付いて、受け止めてくれる人がいる。そんな仲間に感謝の気持ちでいっぱいになった。私も人の支えになろうと思った。
私は一人じゃない。仲間と一緒にがんばろうと思った。

「ことば」・・・それは時に、人を傷つける武器にもなる。
「あそこの子と遊んじゃいけない!」「女のくせに・・・」「男だから・・・」
「きたない、近づくな」「おまえ、学校に来るな!」
私は何も言い返せなかった。本当は悔しかった。泣きたかった。でも泣いたらいじめはいっそう強くなる。だから泣かずに笑って過ごしてきた。自分の気持ちを出さずに閉じこめてきた。
周りの友達はその気持ちに気付いていたのだろうか?

気付かずに人を傷つけたり、
差別やいじめを見て見ぬふりをして来た人もいるかも知れない。
友達と遊ぶこと、人を好きになること、学校で勉強すること・・・。
みんなあたりまえのこと。でも、私たちが楽しく生活している間にも、差別や偏見、いじめで苦しめられている友達がいる。
差別とは、遠い昔や外国で起こっていることではなく、身近なところで起きている。
私たち一人ひとりの問題なのです。

 今年の中学生人権作文コンテストで最優秀賞を取った御船中学校のAさんの作文の題が「言葉一つで」です。
 Aさんは、「何気ない言葉一つで、イヤな気持ちになったり幸せな気持ちになれたりと言葉とは不思議な魔力を持っている」と言っています。
 ことばで、
 コミュニケーション力をはぐくみましょう。
 たくさんの人とふれあいましょう。
 そして、仲間外しやいじめが、どれだけ人の心を傷つけているか考えてみましょう。  
 ちがいを認める、ちがいから学ぶ気持ちを持ちましょう。
 皆さんが幼稚園や保育園の頃よく唄った「チューリップの歌」を見てください。
   チューリップの歌            近藤宮子
 さいたさいた チューリップの花が ならんだならんだ 赤白黄色 どの花みても きれいだな
 「どの花見てもきれいだね」の意味、わかりますね。皆さん一人ひとりがかけがえのない存在なのです。

 絵を見て考えましょう。
 はじめに自分で思い描くコップの絵を描いてみましょう。
 いろんなコップの絵ができています。水を飲むコップ、コーヒーカップ、ビールなどを飲むコップ、たくさんのコップが描いてあります。
 私は「コップの絵を描いてみましょう」と言ったのですが、コップの受け止め方でこのようにいろいろな形が描かれます。みんなすばらしいコップです。言葉を聞いての受け止め方や思い描くイメージがこのように違いがあることに気づいたことと思います。「私はこう思うからみんなもこう思うはず」という考えはおかしいということがわかりますね。自分の考えを大事に、そして他の人の考えも大事にしていきましょう。
 今皆さんが描いたコップの絵には、いろんな形がありました。しかも、ほとんどが上向きになっています。今こうして私の話を聞いている皆さんの心のコップも上を向いています。下向きのコップに外から水を注いでも、何も溜まっていきません。もったいないことですね。「心のコップ」はいつも「上向き」になるようにしたいものです。
 次は、お月さまを描いてみましょうか。
 三日月、弓張り月、満月、いろいろありますね。先ほどのコップと同じで、受け止め方はこんなにも違うのです。
 あるテレビ局が熊本県の子どもたちに牛の絵を描いてもらったそうです。その結果、阿蘇地方の子は赤牛を、天草地方の子は黒牛を、熊本市周辺の子は白黒、ホルスタインを描く傾向にあったそうです。
 あまり話し合いもせずに、相手を誤解したり、自分が誤解されたりしたことはありませんか?
自分は三日月の話をしているつもりなのに相手は満月のつもりで聞いているかも知れません。赤牛のつもりで話しをしているのに、相手はホルスタインを思い浮かべているかも知れませんね。これでは誤解が生まれるはずです。そんなときは、よく話し合うことです。
 いくつかの絵を見てみましょう。
 (1)の絵を見てください。中に描いてある四角形は正方形でしょうか?
 四角形の周りに円が描いてあるので、曲がって見えませんか?帰ったら定規で確かめてください。
 (3)の直線はどちらが長いでしょうか? 左が長く見えませんか。
 (4)の2本の線は直線でしょうか? ふくらんで見えませんか。

 実は、(1)の図形は正方形、(2)の図形は長さは同じ、(3)の図形は直線で平行なのです。これは、すべて目の錯覚なのです。

 違った角度から見ると、これまで見えなかったことが見えることがあります。ほんの少し、図形を付け加えることによって違って見えてしまうことがあります。社会を見つめるとき、いろんな情報や自分の決めつけなどによりこのように見誤るようなことはないでしょうか。
(5)を見てください。どんなに見えますか? おばあさんに見えた人? 少女に見えた人? どちらにも見えた人?

 最初におばあさんに見えた人にとっては、少女にはなかなか見えないでしょう。その逆もありますね。出会いが大切ですね。
 物事を見るとき、話を聞くとき、決めつけや固定観念で見たり聞いたりすると、正しく判断できなくなることがあります。私たちはこれまでの生活の中で自分でも気づかないうちに心の中にすり込まれたものがあります。それが予断や偏見になることがあります。それが差別を助長したり温存します。「そうかな」と立ち止まって見つめ直す、考え直すことにより、予断と偏見を取り除いていくことが大切です。
 また、無知は偏見を生みます。偏見は差別につながります。物事は、自分の目や耳、心でとらえ、正しく知り、正しく理解することが大切です。

 皆さんは野球の一郎選手知っているでしょう。一郎選手がシアトルの小学校を訪問して子どもたちに「皆さん、自分を大切にする子になってください。自分を大切にする人は他の人も大切にします。」と言っています。
 自分自身を大切にする心、自尊感情と言います。英語ではセルフエスティームと言います。自分自身を大切にする人になって欲しいと思います。そんな子どもに育てて欲しいと思います。そうは言っても簡単にできるものではありません。
 テストの結果の親子の会話を聞いてください。
 1年生のありちゃんは、初めてのテストで「40点」をとりました。○を4つももらったのです。うれしくてるんるん気分で急いでおうちに帰りました。
 「お母さーん、テストで○を4つももらったよー。」お母さんもその声を聞いてうれしくなって「どーら見せてご覧。」「何ね、これは!たった40点じゃなかね。こんな点でどうするね。」と怒りました。
 ありちゃんは、がんばって次のテストでは80点とりました。「今日はお母さんから喜んでもらえるぞ。」と急いで帰りました。胸を張ってテストを見せると、「なんね、80点ね。100点取りきらんとね。」
 「よーし、こんどは100点とってやるぞ」とまたがんばりました。次のテストは100点です。今日こそはとスキップで帰りました。お母さんに見せると「うわー、100点とったね。よく頑張ったね。」
 これまでだったらとても素晴らしい親子です。子どもは一生懸命努力する、お母さんは最後は努力を認め子どもを褒める。褒めることで子どもの自尊感情ははぐくまれていきます。
 ところが、その後があったのです。「○○ちゃんは何点だった?」「○○ちゃんも100点だったよ。」「△チャンは?」「△ちゃんも100てんだったよ。みんな100点だった。先生もとても喜んでいたよ」「なんて、みんなが100点だったらいばられんタイ。」これにはさすがのありちゃんもがっくりしました。
 こんな親子の間では、自分を大切にする心、自尊感情など育ちません。
 自尊感情は、毎日の生活の中で、認められたり、褒められたり、励まされたりすることで、自己存在感、自己有用感、信頼されている、やればできるなどの思いを数多く実感することで育ってくると思います。このような体験を数多く持たせてください。
 保護者の皆さん、子どもの努力を認め、ほめ、励まし伸ばしてください。決してありちゃんのお母さんのようなことはしないでください。
 資料に私が熊日に投稿した文「子どもを褒めて自己実現増幅」を付けておきました。よかったら帰ってから読んでみてください。
 また、ドロシー・ロー・ノルトの「子は親の鏡」も帰ってから読んでください。

 全国で、いじめが原因で尊い命を自ら絶つという大変痛ましい事件が発生しています。若くして自らの命を絶った子どもは、さぞきつかったことでしょう。苦しかったことでしょう。悔しかったことでしょう。悲しかったことでしょう。子どもが発するSOSをキャッチできなかったことが悔やまれてなりません。
 このような報道に接するたびに心が痛みます。
 人権問題を人ごとではなく自分のこととして受け止め、いじめや差別は絶対許さないという強い意志をもって、心のつながりがある明るい社会を一緒につくりあげていこうではありませんか。
 人の命を奪うことは、人権侵害の最たるものです。人の命はこの世で一番大切なものです。
 子どもの皆さんは、命の尊さについて校長先生からこれまで幾度となく聞いたでしょう。
 保護者の皆さん、「命を大切に」、「人の命を奪ってはいけません」などを声を大きくして叫ばねばならないなんて、なんて情けない世になったとは思いませんか。
 「なぜ、人を殺してはいけないのですか」などと子どもが質問する世の中です。「なぜ」なんて理屈ではありません。人を殺してはいけないから人を殺してはいけないのです。
 私が小さい頃、家に乳牛を飼っていました。1頭の子牛が結核にかかりました。育てることは出来ません。殺さねばならないのです。業者がトラックで子牛を引き取りに来ました。トラックに牛を乗せようとしますが、前足を突っ張って動こうとしません。牛にも分かるのでしょう。牛を父が引っ張り私がお尻を押します。子牛は涙をながしながら必死で前足を突っ張り動きません。父も母も私も兄弟もみんなが泣きながらやっとの思いで牛をトラックに乗せました。あの時の牛の悲しそうな顔、そしてトラックが動き出したときの「めー」という悲しそうな声は今でも忘れることは出来ません。
 同じような経験をした人がここにもたくさんいると思います。益城町の校長先生が熊日新聞に書いておられる文、ここでは時間がないので読めません。家で読んでください。
 「命を大切にする」これは、言葉で言って聞かせるものではありません。このように心を揺り動かす体験、つまり「感動する」ことを重ねることで、成長の過程で心に刻み込まれた感性です。
朝日の出を見て厳かな気持ちになる、夕日を見てきれいと思う、自分が育てた生き物を見て喜ぶ、悲しむ、このような「心を揺り動かす体験」、これを情動体験と言います。数多くさせてください。それが豊かな感性を育てるのです。人権感覚豊かな人とは、豊かな感性を持った人です。
 「伝えよう 愛しているよの メッセージ」を見てください。家庭を見つめ直しましょう。地域を見つめ直しましょうとしてチェック項目があります。我が家の我が地域の子育てを振り返ってみてください。
 そして、子どもたちに、感謝の心、我慢する心、恥ずかしいと思う心、人を信頼する心、人を思いやる心を普段から育ててください。これらの豊かな心を持った人が人権感覚豊かな人であり、「自分の大切さと共に他の人の大切さを認めることが出来、行動できる人」です。
 差別発言があったとき、「自分は差別しようなど思っていない。きゃ出ただけタイ。」と言う人がいます。発言した人はそのような感覚かも知れませんが、差別をされた人は自分の命を脅かされたような思いをするのです。先ほどの「招かれなかった誕生会」の最後の部分「どんな鋭い刃物より私の胸を刺しました」をもう一度読み直してください。
 かけがえのない命、皆さんの命は皆さんだけの命ではないのですよ。皆さんの命はお父さん、お母さんから受け継いだものです。お父さん、お母さんの命はおじいさん、おばあさんから受け継いだ命です。おじいさん、おばあさんもそのまたお父さん、お母さんから受け継いでいるのです。そして、あなた達はあなたの命をあなたの子どもに受け継いでいくのですよ。
 どんなに苦しくても、どんなにきつくても自分で自分の命を絶つなんてことは絶対考えないでください。また、人の命も絶対奪うことがないようにしてください。
 保護者の皆さん、子どもさんが小さいときから、「うそをつくな」「人のものを盗むな」「無益な殺生はするな」と厳しく言い続けてこられたでしょう。これからも言い続けてください。
 さらに、私たちの身の回りにある部落差別をはじめあらゆる差別をなくすために行動できる一人になりましょう。
 最後に「そのまま通りすぎないで」をみんなで大きな声で一緒に読みましょう。
そのまま通りすぎないで 桑原 律

かたすみでうずくまり      すすり泣く子のかたわらを
見て見ぬふりで通りすぎる子たち あなたもまた   他の子と同じように
そのまま通りすぎるのですか

「私までいじめられたくないから」 「あの子はすぐに泣くから」
「いい格好をしたくないから」と  その子を救えない理由を
あれこれ取りつくろいながら    通りすぎていこうとする自分

「だいじょうぶなの」と     ほんとうは声をかけてあげたい
「いっしょに考えようよ」と   ほんとうは励ましてあげたい
見て見ぬふりをしない一言が   言葉にならない自分の心の弱さ

傍観は「いじめ」と同じこと   傍観は「差別」も同然のこと
傍観は「人権侵害」への加担   それに気づくことができるなら
傍観する自分を許せないはず   励ましの一言がかけられるはず
 ご静聴ありがとうございました。