豊 か に 生 き る
平成17年4月
御船町カルチャースクール講座

1 はじめに
  今朝、御船町に来る途中、国道沿いで空き缶拾いをしている人を見かけました。ビニル袋を片手に道路清掃をしておられました。ボランティア活動です。このボランティア活動こそ自ら進んで行うものです。人から強制されてするものではありません。生涯学習と同じです。
 今紹介がありましたように、学校教育、社会教育にかかわってきました。現在、益城町の社会教育指導員をしています。週3日勤務の年金生活者の一人です。
 年金生活といえば遠い先の話と思っていたのが現実のものとなりました。と同時に最近の私と妻の会話は、次のようなものが多くなりました。
 「おーい、あら、どけ、あるや。」 「あら、あすこにあるたい。」
 「あすこじゃ分からん。どこや。」 
 「あすこじゃ分からんて、よういわるるこつ。自分なあらどけあるやて言いよって。」
 また、
 「飯!」「お茶!」
 こんな代名詞を使った会話、単語だけの会話が増えてきました。前後の言葉やそれまでの話の内容から案外意味は通じるものです。
 しかし、こんな会話ではいけないと、はっきりものの名前を言うこと。文章で会話するようにするように心がけています。それは、次のようなことからです。
 ある病院の先生の話によりますと、人は40代から老化が始まるそうです。老化の5つの特徴として次の5つを挙げられました。
 @物忘れが多くなる、A物覚えが悪くなる、B頑固になる、C行動が緩慢で判断力が鈍くなる、D脳の視野狭窄におちいる、これは新しい友だちを作ることができなくなることだそうです。
 そして、「老化が進行しないように、若い者にまけないように学び続けている。」と付け加えられました。
 生涯学習を続けて、心も体も豊に生きたいものですね。

2 生涯学習社会
 益城町も公民館講座を開講しています。同じように開講式・閉講式を実施しています。閉講式では1年間の各学級の概要を発表してもらっています。16年度の閉講式である学級長さんが「男と女の間には出会いと同じだけの別れがある。私は今年別れのない出会いをすることができた。その出会いは陶芸です。生涯学び続けようと思っています。」と話されました。いま、生涯学習という言葉を知らない人はいないでしょう。
 その生涯学習について少し振り返ってみたいと思います。
 21世紀は環境の世紀、人権の世紀、福祉の世紀、情報量爆発の時代、生涯学習の時代とも言われています。
 昭和40年、ユネスコでフランスのポール・ラングランが生涯教育を提案したのが始まりです。日本では、昭和45年、当時の東京学芸大学教授波多野完治さんの「生涯教育入門」と翻訳本で「生涯教育」という言葉が広がりました。
 生涯学習という言葉は、臨時教育審議会答申において、教育改革の視点として「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」を掲げ、以来生涯学習という言葉が一般的となりました。
 当時は、学歴偏重社会の弊害が大きな社会問題となっていました。また、技術革新による高度経済成長のもと、平均寿命が大きく伸びたり、機械化により余暇時間が増大していたときで、余暇時間をいかに活用するかが大きな社会問題となりました。この2つの課題を解決するのが生涯学習であると考えられました。
 そして、学校教育においては「行ける学校から行きたい学校へ」の指導、「どこを卒業したではなく何ができるか」が求められるようになりました。
 社会においては、「いつでも」「どこでも」「だれでも」「どんなことでも」学ぶことができる学習環境の整備が民間活力を導入して進められました。
 外国では、「生涯学習・生涯教育」という言葉より、「成人の学習・教育」や「継続教育」、「リカレント教育」等の言葉が主流です。ヨーロッパでは日本で言う中学校を卒業してすぐに仕事に就く人が多いと聞きます。それは、生涯賃金が大学を卒業した人より多いということからのようです。中学校を卒業した知識と技術では、今のように急速に発展する技術について行けず、いつも自分の職業能力を高める努力をしなければなりません。そこで、仕事をしながら学んだり、仕事を中断して学んだりすることが当たり前のことになっているそうです。そんなことから、「継続教育」と表現されているのだ聞いたことがあります。
 日本では、職業能力の向上よりも技術革新や平均寿命の伸びによってて生まれたゆとりの時間、自由な時間を「より心豊かに生きる」という側面からの生涯学習が重視され、公民館講座や民間のカルチャースクールが大にぎわいとなりました。

3 生涯学習とは
(1)生涯学習とは
 学習とは「門前の小僧習わぬ経を読む」の諺のように、自ら学ぶ姿勢があれば可能なのです。
 自ら学ぶ姿勢を持とうとするかしないか、それは個人の動機づけに支配されます。人が生涯にわたって学び続けようとするならば、その動機づけが絶え間なく必要となってきます。
 人間は本来怠け者であるといわれています。例えば学生は出席をとらなければ授業に出ないだろうし、試験をしなければ勉強をしないだろうと一般には考えられています。しかし人間は本当にムチやアメ、叱責と賞によって勉強するのでしょうか。違いますよね。そうではないことを皆さんが証明していらっしゃます。本来学習は、指導者から与えられた課題を解決していく学習というより自分の知りたいこと、あるいはやりたいと願っていることを自主的にやる志向型学習であるはずです。
 少し脱線しますが、今、学校教育の中でゆとり教育がやり玉に上げっていますがゆとり教育がめざしているものはまさにここにあるのです。のんびりと勉強しようかではなく、自分が興味関心のあるものに時間をかけて取り組めるようなゆとりのある教育をしていこうではないかということなのです。今、田んぼにはレンゲソウがピンクの花を今が盛りと咲いています。このレンゲソウを引き抜いてみると、根にはいっぱい小さな粒が附いています。これは何だろうと疑問に思った子どもがこのことを図書室やインターネットを駆使して調べてみる。もちろん、国語や社会、算数、理科などで学んだ知識や技能を総動員して調べ、考え、まとめる。そしてまとめたものを友やその他の人に教える。このような活動を通して、確かな学力、つまり生きる力を育てていこうというのがめざすゆとり教育なのです。総合的な学習の時間なのです。それを字面の「ゆとり」から「ゆるみ」と捉え、さらに「たるみ」と捉えこのような教育だから学力が低下するなどといわれています。とんでもない間違いです。
 人は中学卒の15歳、高校卒の18歳、短大卒で20歳、4年生大学卒で22歳、このいずれかの年齢で教育を受けることを終了し、そのあと勉強することもなく生涯を終えていることになります。平均寿命の延びた現在でも、人は6歳から長くても22歳までに勉強することを終え、残りの約50年余りの歳月は、教育を受ける機会を持たないことになります。
 生涯教育という概念は、このように「教育は人生の初期に学校だけ行われるものでない」という考え方から始まったのです。
 20歳から60歳まで、週40時間を労働し、80歳まで生きたとしますと、全時間数が52万4160時間、うち労働で拘束される時間は8万3200時間、約16%です。睡眠時間や食事、通勤時間などの生活時間を1日の半分とっても、約30〜35%は自由に使える時間です。社会人はこの自由時間を休養、娯楽、趣味、スポーツなどに使っています。この自由時間の過ごしかたについて、古くギリシア時代の哲学者アリストテレスは、(1)体の休息、(2)心の休息、(3)自己実現に使うべきであると述べ、この自己実現の時間をふやすことが望ましいと卓見した説を唱えているのです。このことは社会心理学者マズローが指摘していますように、人間の要求段階のうちでもっとも高位の「自己実現の要求」ということになります。つまり「勉強したい」ということは、自己実現の要求であり、自己完成を求める人間の高次の欲求なのです。
 平成8年、ユネスコ21世紀委員会は「学習:秘められた宝」という報告書を発表しました。秘められた宝は、ラ・フォンティーヌの寓話の題名からとったものです。宝物が隠されていると言い伝えられている土地で宝物を探すより農夫として労働してその土地を耕して収穫を得た方がよいというたとえ話です。
 そこで、示されている生涯学習の視点は次の4点です。
 知ることを学ぶ    知識や技術
 実践することを学ぶ  行動や実践
 共に生きることを学ぶ 協働や共生
 人間としていきることを学ぶ 道徳や倫理

(2)生涯学習の目的
 これまで述べてきましたが、生涯学習の目的は人によって異なりますが、大きく分けて次の4つになろうかと思います。
 1つは、自己投資、スキルアップや職業能力開発などです。
 ヨーロッパの例で述べましたように職業能力を高めるために学ぶものです。身の回りでは、パソコン講座や外国語会話などがあります。また、新たな電気製品を買ったときもこれまでの製品と同じようなやり方では動かないでしょう。説明書を良く読まなければ操作することはできません。これもスキルアップの一つですね。
 2つは、社会貢献、地域作りやボランティア活動などです。
 冒頭述べました空き缶拾いのボランティア活動ですが、ボランティアするにもかってにはできません。やり方や地域の特性などを学ばなければボランティア活動はできません。また、活動を続けるうちに新たな課題が生じます。その課題を解決するために学習します。このことを生涯学習ボランティアと言うこともあります。
 3つは、自己実現、生き甲斐や知識の習得、芸術・教養などです。
 これは、まさに皆さんがこの通りです。説明するまでもないと思います。
 4つが、心身のリフレッシュです。スポーツ活動やレクリエーション活動などです。

(3)生涯学習の方法
 学習方法は次の4つがあります。
 入力型生涯学習です。これは本日のような講座受講や読書、テレビラジオ視聴、インターネットによる情報収集などです。
 出力型生涯学習は、学習で得た成果をいかして地域の指導者や学校教育・家庭教育への協力です。先ほど少し話しましたように、学校では総合的な学習の時間に地域学習などをしています。その際、地域の指導者を求めています。私が七滝小学校にいるとき、2年生の生活科の地域学習で、裏山の竹山でタケノコほりをしたときのことです。竹山はささの葉ばかりでタケノコはどこにも見あたりません。「タケノコはどこにもなか」と教室に帰ってきました。やおら担任が「でも、八百屋さんにはタケノコがいっぱいならんでいるでしょう。」と言うと、「○○さんのおじいさんがタケノコを掘りなさる。」と一人の子が言うのです。そのおじいさんにタケノコほりを教えてもらうことにしました。地下足袋を履いてこられたおじいさんが「ここを掘ってごらん。」と言うところを掘るとタケノコがあるのです。それも1カ所や2カ所ではない。いくつも「ここを掘りなさい。」と言うのです。子どもたちはおじいさんのこの力にびっくりしました。そして、尊敬の眼差しでおじいさんを見つめていました。これはほんの一つの例ですが、皆さんこのような学習のお手伝いをして欲しいのです。皆さんはそれができます。
 交流型学習の国際交流では、宮崎県の南郷町は昔百済の王様が来たとの言い伝えから公民館講座で韓国語の学習をしています。そこで学んだ人が自分が学んだ韓国語は韓国の人に通じるだろうか、韓国の人と話をしてみたいとの思いから韓国旅行をし、韓国の人と交流を深め、キムチづくりを学んで帰ってきたという話を聞いたことがあります。
 私的なことですが、私の妻も公民館講座で中国語を学んでいました。おかげで少し中国語を話すことができます。昨年、私も妻も時間にゆとりがありましたので、2人で3度中国を旅行をしました。
 今中国では、半日デモなど反日運動が激しいところですが、あれも事実です。しかし、ごくわずかですが私が接した中国人はとても心優しい人たちでした。北京市内でのことです。夕方のことでしたから務めから家路に帰りを急いでいる男性に「○○に行くにはどのバスに乗ればいいですか。」と妻が聞くと、当然のことながら中国語で返事が返ってきます。しかし、それが早口で妻には聞き取れません。そうすると「私に附いてきなさい。バス停まで案内しましょう。」とわざわざ地下道を通り、道案内をするのです。「実は、劇場に行きたいのです。」と言うと、「だったらこちらの方がよい。」とまた引き返して違うバス停を教えるのです。また、シルクロードのオアシス都市、ホータンやカシュガルではほとんどがウイグル人でタクシーの運転手でも漢字を読めない人が多く、漢字で行き先を示したものを見せると漢字が分かる人に場所を教えてもらい、お礼に自分のポケットからたばこを1本渡して目的地まで連れて行くのです。このように心優しい人が多いのも事実です。早く日中両国が友好関係を保てるようになって欲しいものです。
 参加型生涯学習は学習成果を生かした地域作りや自治会活動です。御船町をより住みよい町づくりとするためにも生涯学習の町づくりに皆さんが主体的に取り組んで欲しいと思います。

4 小中学校時代の自己実現が生きる力「学習意欲」を生み出す源
 本日お集まりの皆さんは小中学生時代、自己実現といって自分の存在感や有用感などを学校や家庭、地域でたくさん実感された方ばかりだと思います。元上越大学教授、新井郁夫先生の調査によると、第一線をリタイアしたあとで学び続ける意欲のある人のほとんどが小中学生時代自己実現の実感を持った人だという統計結果が出ています。自己実現が数多くあるほど自尊感情が高まります。自尊感情とは、ありのままの自分を受け入れ、自己を大切にし向上しようとする心のことです。これには子育ての在り方がとても大切です。
 笑い話です。
 父親「おーい、今日は終業式だけん通知票ばもろうち来たろう。持ってきて見せんか。」
 子 「見せにゃんでけんね。そんなら、はい。」
 父親「なんか、こらえらい冷たかね。」
 子 「うん、通知票ばもろうて来るたんびに父ちゃんがおまえの通知票は悪なるばかりねといつ   も言うけん、これ以上悪ならんごつ冷蔵庫に入れといた。」
 こんなにユーモアあふれた子どもなら頭も良いのでしょう。
 私的なことですが、孫が今年から1年生になりました。「学校は楽しか。」と毎日元気に登校しています。下の孫は何でも「自分でする」と言います。先日など、私が「新聞持ってきて」と言うと、「自分のことは自分でしなさい。」と言われてしまいました。
 学校が楽しいとか自分ですると言っていた子どもが、やがて「学校に行きたくない」「したくない」等と言い始めます。どうしてでしょうか。
 子育てにかかわっている母親が子どもに向かって使う言葉で一番多い言葉はなんと思われますか。「急ぎなさい。」「早くしなさい。」です。子どもができるまで待つ心のゆとりを持ちたいものです。また、今のありのままの子どもを受け止めて欲しいものです。
 子どもは親の期待に応えようと一生懸命です。テストで60点も取ろうものならうれしさいっぱいでとんで帰り、「母ちゃん、60点とったよ。」と母親にテスト結果を見せます。すると母親は子どもの気持ちを考えてか考えないでかは分かりませんが「何ね、60点ね。もっとがんばらんね。」と言います。その一言で喜んでいた気持ちが萎えてしまします。しかし、子どもは気持ちを奮い起こしてさらにがんばり100点を取りました。「母ちゃん、100点だったよ。」「うわー、よかったね。」これだけなら子どもはどれだけやる気が湧くか分かりません。しばらくして「ほかのひとはどうだったね。」「だっでん100点だった。」「そんなら100点て言うちいばられんたい。」この一言でぎゃふんときます。子どもの気持ちを受け入れて欲しいのです。子どもの気持ちを受け入れる心にゆとりを持って欲しいものです。
 ところで突然ですが、暗算をしてもらいたいと思います。1〜9までの数の中から何でも良いですから一つ決めてください。決まりましたね。
 その数に1をたしてください。その答に2をかけてください。そして4を足してください。それを2で割ってください。できましたね。その数から最初に決めた数を引いてください。答えが出ましたね。その答を私が当てても良いのですが全員で大きな声で言ってみましょうか。良いですか。「サン、ハイ」 (3と一斉に答えが出る)そうです。3ですね。はじめに決め多数は、それぞれで違う数だったはずなのに答えはみんな一緒。3です。偶然でしょうか。
 今の計算を式に書くとこうなります。
 {(□+1)×2+4}÷ 2− □=3
 なぜ3になるかは、おうちに帰られてからゆっくりと考えてください。中学2年生なら証明ができることでしょう。今日、孫さんにこのことを試してみてください。きっと「うわー、おじいちゃんすごい。」「おばあちゃん、すごい。」と言われることと思います。  
 お孫さん育てには優しさと厳しさを持って取り組んでいただきたいと思います。

5 豊かに生きる
 18世紀のフランスの哲学者J・Jルソーは著書「エミール」のなかで、「生きるということは、ただ息をすることではなくて活動することである。最も長生きしたというのは、最も長い年月を生き延びた人というのではなくて、最も強く生命を感じ取った人のことである。世の中には100年も長生きをして葬られた人もいるが、それだけでは生まれてすぐ死んだ人と同じではないか」と述べています。
 人間にとって一番大切なことは、たとえ寿命は短くても、あの人は立派に、充実感や生きがいを持って生きた人だといわれるような人生を送ることにあると思われます。人生は長さだけではなく、幅や深さ、そして質もあるのです。そこで重要なことは「生涯青春」という気力を持って生き生きと生き、美しく生きるために、何か情熱を燃やし続けること、心を燃やし生きることです。心が燃えると言うことは何歳になってもすばらしいことです。
 生活の中に緊張と燃えるものを持っている人は、常に生き生きとしていて美しい人生を送っていらっしゃいます。若さの秘訣は自分に適当な負荷をかけ、精神的な張りを持つことと思います。
 また、熊本には「助け合い、励まし合い、志高く」という熊本の心があります。この言葉は、老いも若きも、男も女も、家庭でも、学校でも、地域でも、全ての人が持ってほしい言葉です。
 今、地域の連帯感が薄れていると言われます。公民館講座で学ぶ人たちが、同じ地域に住む人たちが、「助け合い、励まし合う」生き方をすれば、地域の連帯感も生まれます。
 公民館講座や個人的な学習で学んだことをもとに、地域で助け合い、励まし合うことが共に生き、共に学び、共に育つことだと思います。そこから生きがいが生まれます。「生きがいは、自分という存在がだれかのためになり、だれかの役に立ち、だれかに必要とされ、だれかから尊敬され、だれかから愛され、だれかを愛するという出会いや人間関係の中に見いだすことができる」というまさに自己実現です。
 お手元に配布していますものは、江戸時代の儒学者、佐藤一斎の「言志晩録」第60条に記されていることばです。
 一斎は、1772年に、今の岐阜県恵那市岩村町で、当時の岩村藩家老佐藤信由(のぶより)の次男として生まれています。この年は田沼意次が家老となって実権をにぎり田沼時代がはじまった年です。幼くして読書を好み、水練・射騎・刀槍などに優れ、小笠原流礼法を身につけていたといわれています。70歳で幕府の学問所昌平黌(しょうへいこう)の儒官(総長)を命じられています。門下生には、佐久間象山、渡辺崋山などがいます。
 一斎の教えが、幕末から明治維新にかけ、新しい日本をつくっていった指導者たちに多大な影響を与えたと言われています。
読んでみます。
少にして学べば即ち壮にして為すあり
壮にして学べば即ち老いて衰えず
老いて学べば即ち死して朽ちず
 「生きている限り学べ、学べば必ず幸せになる。」という意味です。まさに生涯学習の神髄を言い表しています。西郷隆盛の座右の銘とも言われています。
 最近では、小泉総理大臣が教育改革関連三法案の審議が行われた平成13年5月29日衆議院本会議で、この言葉を紹介して教育観を披露しました。
 首相は「まさに学びの重要性を指摘しており、私の好きな言葉だ」と語りました。首相は「自分が楽しむのと同時に、公のために尽くすことに喜びを感じる公私半ばする人間が望ましいと子どもの頃教えられた」と強調しました。
 次に、サムエル・ウルマンの「青春」という詩を紹介します。
 サムエル・ウルマンという人はドイツに生まれ、アメリカ合衆国に移住し、この青春という詩は70歳代で作ったといわれています。
        青  春                                         サムエル・ウルマン
青春とは 人生のひとときのことをいうのではない
青春とは 心の持ちようをいう
青春とは 薔薇色の頬であり 紅の唇だ
しかし 若い身体をもっていることではない
青春とは 意志の有無である
想像力や 喜怒哀楽をどれだけ感じるかである
青春とは いのちの深き泉のようなものである
青春とは臆病で意志の弱いときでもある
興味に向かう勇気の気性はつよい
安堵を求めるのではなく冒険する心が必要だ
冒険する心は ときには 20才の若者よりも
60才の人に多い場合もある
誰もが 年齢を重ねるごとに老いるのではない
若くても理想 希望を失ったときに 老いる
歳月は皮膚にしわを刻む
情熱を放棄することは 魂を捨てることである
苦しみ 恐怖 自己不信は心をくじいてしまう
さらには たましいを捨ててしまう
60才だろうと 16才であろうと
すべての人には 心の中に 不思議さへの興味がある
次はどうなるのかという 子どもと同じ思いがある
人生で 他人より勝つことは喜ぶ心がある
あなたの心のなかと わたしの心のなかに
あい通じるものがある
いつまでも 美しさと希望 生気と勇気をもち
力のおとずれを 人と永遠なるかなたより受けるかぎり
そのような人は青年なのだ
ときに希望がなくなり
あなたの意気は 生きることを辛いと思うこともある
悲観に打ちのめされるときもあるだろう
このようなとき たとえ20才でも
あなたは老人となる
しかし希望を持って
興味に向かう勇気の気性を持ちつづける限り
あなたは 80才にしても
青年のままでいれるのである
 
6 おわりに
 学んだことを毎日の生活に生かすこと。つまり、知識と行動をいかにつないでいくか、さらに自分ひとりの行動が社会に意味をもつものとしていかに実感していくかだと思います。
 このことが島津日新斉がいうところの
 「古しへの道を聞きても唱えても我が行いにせずばかひなし」
だと思います。
 カルチャースクールの講座や地域の人々との豊かな出会い、さまざまな共通体験・活動を通して、互いに他者との共感や思いやり、響き合うこころ、感動するこころを豊かに育んでいくことが大切です。そうした豊かなこころに支えられた行動は、きっと隣の国の人々にもつながっていくに違いないと思います。
 教育長のご挨拶の中に「3月の閉講式でも皆様全員が出席されることを願っています。」とありました。この1年間、楽しみながら学習に取り組まれ心豊かに過ごされますことを念じて話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。