手を離して 目は離さずに

益城中央小学校
平成20年10月30日

 皆さん、今日は。中川でございます。
 早いもので、本校を最後に退職して5年が経ちました。以前は、10年一昔と言っていましたが、今では5年でも大昔のことですね。ここに立ちますと当時のことが懐かしく思い出されます。ここにおいでの皆さん方の中で、4分の一くらいの方は、当時お子さんが中央小に在籍していた方ではないかと思います。
 先日、役場の中で偶然に出会った当時の保護者の方から、「卒業記念にいただいた色紙を子ども部屋に飾っています。子どもはいつも眺めています、ありがとうございました」という言葉をいただきました。当時は、いろんな事を申しましたがご協力いただきありがとうございました。子どもさんにがんばるように伝えてくださいと言って分かれました。
 今頭をよぎっていることの一つに、「雨の日、車での送迎を止めてください」と言い続けたことです。私は毎朝、それこそ雨が降ろうが風が吹こうが校門前で子どもたちを迎えていました。そのとき、驚いたのが雨の日の車での送迎が多いことでした。車が次から次に校庭に入ってきていました。危険でもありましたが、「雨が降ろうが風が吹こうが子どもは自分で登校する」が私の持論でありましたから、担任を通して車での送迎を止めるようにお願いしました。とても反響がありました。
 「びしょぬれになって可愛そう」「洋服が濡れていては勉強に集中できない」「先生たちは車で来るので濡れて気持ち悪いのが分からない」「雨合羽を着せようにも雨合羽を置くところがない」などなど。
 校門に立っていると、私もズボンはびしょ濡れでした。でも午前中には大体乾きます。気にすれば気になりますが、熱中するとそう気にならないものです。そんなことを話したり、雨合羽を干すために、ある先生はスチールハンガーを持ってこさせました。
 もちろん、体調が悪いなどで歩くのが困難な場合は、車での送迎を頼みました。保護者の皆様にもいろんな考えはあったでしょうが、車の送迎はぐんと少なくなりました。
 子どもは雨の日、自分で傘を差して歩く経験をしなければ雨に濡れない傘のさし方はできません。濡れて初めて濡れない傘のさし方を工夫するのです。
 皆さん、「江戸傘」という言葉をご存じですか?これは、狭い路地で傘をさしてすれ違うとき、自分の傘を斜めにして、相手が通りやすいようにするという相手への心遣いのことです。こんなことも経験しなければできないものです。
 もう一つ、朝の登校班のことを思い出します。我が子が登校班長となる6年生の春休みに、子どもと一緒に学校まで歩いてきて、どこが危険かを子どもと一緒に調べたお母さんがいました。そして、この方は、一斉登校する子どもたちのグループから少し離れて学校まできて、低学年の子を安全に連れて行っているか、危険なところではきちんと指導しているかを観察していました。いろいろ家庭で親子で話し合われていたのでしょうね。その子は、校門に入ると「ここで解散します。今日も1日楽しく過ごしましょう。解散」と号令をかけていました。これには、頭が下がりました。
 今、私は益城町教育委員会で社会教育指導員という仕事をしています。公民館講座のお世話でありますとか人権教育研修でありますとか、大人の方の生涯学習を支援する仕事です。
 2年ばかり前の公民館講座受講生受付時のできごとです。講座申し込みに若いお母さんが2歳くらいの幼児を連れておいでました。帰りに、「はい、○○ちゃん、あんよ出して」と言って靴を履かせて帰りました。しばらくして、同じ年格好の幼児を連れたおじいさんが来られました。帰りに「○○、靴は自分で履ききるど。じいちゃんが見とるけん、自分で履け」と言って幼児が靴を履くのをじっと見ておられました。「右左反対に履いてしまったね。よかたい。歩かるるけん」と言って帰って行かれました。
 どちらの子どもも靴を履く体験をしました。後で生きて働く体験はどちらでしょうか。言わずもがなですね。
 こんな事を思い出して、本日の演題を「手を離して 目は離さずに」としました。
 「生きる力」という言葉を学校でも社会でもよく聞くでしょう。「生きる力」とは大きなくくりです。あなたの子どもさんにどんな力を身につけさせたいですか。具体的な生きる力を挙げてみてください。付箋紙に書いて、用紙に貼っていくのです。そうすると、似たようなもの、違うものが出てきます。似たもの同士でグループ分けしてそれに名前を付けるのです。例えば、自然体験、勤労体験、福祉体験などと。それを体験する内容を学級PTA活動などで企画するのです。どうぞ、一度試してみてください。
 本題に戻します。今必要なのは「保護」ではなく、「自立」です。ですが、人間は他の動物と違い、親の保護無くしては自立していけません。親の「保護」とは、「半人前」の子どもを「一人前」の人間にすることです。「一人前」とは、「体力」「耐性」「道徳性」「基礎学力」「感受性 思いやり」が備わっていることです。
 そこで、「保護」するとは、どんなことをするのかを見てみます。「世話」があります。「指示」があります。「授与」があります。「受容」があります。先ほど言いましたようにどれもこれをしないと人は育ちません。しかし、それが過ぎるとどうなるでしょう。
 「世話」の過剰により、子どもは自分のことが自分でできなくなってしまっています。子どもはいつも「世話」をされているので自分でする必要がないからです。
 「指示」の過剰により、子どもは自己判断ができなくなっています。いつも「こうしなさい」「ああしなさい」と「指示」されるので、自分で判断して行動する必要がありません。そしていつのまにか、誰かの指示無くしては動けなくなります。これを指示待ち症候群と言うでしょう。
 「授与」の過剰により、子どもの心から「感謝の心」、「物を大切にする心」がなくなってしまっています。次から次にものを与えられるから、ものをもらうのがあたりまえとなります。なくしても直ぐに新しいものを買ってもらえます。ここには「感謝の心」も「ものを大切にする心」も育ちません。
 教育委員会で話題になったことですが、今の子どもたちの中には大きな筆箱いっぱいに鉛筆を入れている子もいるそうですね。1本、2本無くしても分からない。だから、落とし物がいっぱいと。
 先生方、どうですか? 教室には鉛筆の落とし物がいっぱいありませんか?(そんなに無いとの返事有り)
 そうですか。それはすばらしいですね。自分の持ち物にこだわることはとても大事なことと思います。
 私が嘉島西小で担任した子どもで、ものをとても大事にする子がいました。冬の寒い頃でした。校内のどこかに手袋を置き忘れてしまったことに気付いたのです。真っ暗になるまで一生懸命探しました。私も一緒に探しました。
 「これだけ探しても見つからないから仕方がなかたい」と口に出そうになりました。しかし、その子があまりにも真剣に探すので一緒に探し続けました。鉄棒の角にありました。
 手袋探しで遅くなったので家まで送っていきました。そして、このことをお母さんに話すと、「そんなことがありましたか。家ではものを大切に使うよう指導しています」と話されました。
 私が小さい頃、家は「貧乏」でした。いつも買ってもらえないから物を大切にしました。我慢しました。一つのものを工夫して使いました。無くしたときは必死で探しました。たまに買ってもらえるから感謝したのです。
 「受容」の過剰からは、「自己規制」「節度」は生まれません。自分の考え、行いを受け容れてもらえるので我慢する必要がないからです。
 私は、生きる力は体験を通して身に付くと思っています。「身に付く」「身にしみて分かる」などの言葉があるように、人はいろいろな体験を通して「体力」「耐性」「道徳性」「感受性」を身に付けます。 いろんな体験をさせることが大切です。その際、「手を離して、目は離さない」ことが肝要」です。
 小さい子は、「自分でする」とよく言うでしょう。私の孫も「自分でする」を連発していました。あるとき、私が孫に「利香。新聞を持ってきて」というと「自分のことは自分でしなさい」と言われてしまいました。こんなに「自分でする」と言っていたのがいつの間にか言わなくなります。いつまでも「自分でする」という気持ちを持ち続けさせたいものです。
 いろんな体験をさせ、子どもの変化や成長を、認め、褒め、励まし、伸ばしてください。
 今学校では、この「認め、褒め、励まし、伸ばす」が教育のキーワードとなって教育が展開されていますが、この言葉は学校だけのものではありません。家庭でも、地域でもこの言葉を多いに使って欲しいと思います。
 人は褒められること、認められることで自己実現を実感します。
 テストの結果の親子の会話を聞いてください。
 1年生のありちゃんは、初めてのテストで「40点」を取りました。まるを4つももらったのです。うれしくてルンルン気分で急いで家に帰りました。
 「お母さーん、テストでまるを4つももらったよー」
お母さんもその声を聞いてうれしくなって
 「どーら見せてご覧」「何ね、これは!たった40点じゃなかね。こんな点でどうするね」
と怒りました。
 ありちゃんは、がんばって次のテストでは80点取りました。今日はお母さんから喜んでもらえるぞと急いで帰りました。胸を張ってテストを見せると、
 「なんね、80点ね。100点取りきらんとね」。
 「よーし、こんどは100点取ってやるぞ」とまたがんばりました。
 次のテストは100点です。今日こそはとスキップで帰りました。
お母さんに見せると
 「うわー、100点とったね。よく頑張ったね。」
 こんな親子でありたいものです。しかし、この話には続きがあるのです。
 「100点はあんた一人だったの?」
 「ううん、○○ちゃんも100点だったよ」
 「△△ちゃんは?」
 「100点だったよ」
 「□□さんは?」
 「100点だったよ。みんな100点だったので先生もとても喜んでいたよ」
 「なんて、みんなが100点取ったつならいばられんタイ」
 これにはさすがのありちゃんもがっくりしました。
 こんな親子では、自分を大切にする心など育ちません。子どもの努力を認め、褒め、励まし、伸ばしましょう。充実感・満足感、自己存在感、自己有用感などを体感させましょう。毎日の生活の中で、自己存在感、自己有用感、信頼されている、やればできるなどの思いを数多く実感することで育ってくると思います。
 通知票に関する小話を一つ。
 1学期の終業式の日、お父さんが6年生のありちゃんに聞きました。
 「おーい、ありとし、今日は終業式だったけん通知票ばもろうちきたろう。どう、見せんか」
 ありちゃんはあまり見せたくありませんが、お父さんが何度も見せなさいと言うので渋々見せました。
 「なんや、この通知票はえらい冷たかね。どぎゃんしたつか」
 「おるが通知票ばもろうち来るたんびに父ちゃんが『おまえの通知票は悪なるばかるね』て言うけんこれ以上悪うならんごつ冷蔵庫に入れといた」。
 こんなユーモアのある子だったら素晴らしいですね。
 私事で恐縮ですが、3年ばかり前の新聞投書を読みます。
 「子供をほめて自己実現増幅」
 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。
 子どもの変化や成長を、認め、褒め、励まし、伸ばすことによって自己実現の機会を数多く作りましょう。それがこどもの自尊感情を醸成します。
 私は今、木山公民館、津森小学校、飯野小学校で子どもたちにそろばんを教えています。そろばんは覚えてしまえば簡単ですが、意外と難しいのです。そろばんの経験がある方は分かると思いますが、5珠が下りているとき、つまり、「5+6」とか「7+6」などは初めて習う子どもにとってとても難しいのです。「5+6」だったら、「6」はあと「4」で「10」になるので、頭の中で「5」から「4」ともらうのです。すると「1」残ります。それで、5珠を払い、1珠を1入れて10の位に1入れるのです。これがそろばんの足し算です。
 これを数回練習して分からないとき、「うわー難しか」と諦めてしまう子。何度も何度も尋ねながら分かるまで挑戦する子がいます。この違いを私は能力の差だとは思いません。自尊感情の差だと思います。
 そろばんの学習によって、そろばんの技能はもちろんですが、いろんな力が子どもたちには身に付きます。計算力、集中力、判断力、記憶力、忍耐力、創造力、右脳開発などです。
 先日、御船町で社会教育の研修会がありました。その場で、そろばん指導をしていることを発表しましたら、「今時のそろばんの効果は何か?」との質問がありました。今では、計算機がある、パソコンがある、計算はこれらを使った方が早い。そろばんの技能を習得させるのが目標ではない。そろばん技能を習得する過程において、計算力、集中力、判断力、記憶力、忍耐力、創造力などを養うことを目標にしていますと応えました。
 低学年の子どもたちが前回りをするとき、背中が伸びてなかなかスムーズな前回りができない子がいます。「背中を丸めなさい」といくら指導してもなかなか背中は丸まりません。そこで、体操帽を顎の下に置き、「帽子が落ちないように回ってごらん」と言うと、子どもは顎をぐっと引いて自然と背が丸まるのです。もし、前回りが苦手なお子さんがいたらそのようにさせみてください。うまくできるはずです。
 そろばんでは、掛け算20問、割り算20問、見取り算10問を30分間でするのです。しかも正答率が70%以上が求められます。子どもは一心不乱にそろばん学習に取り組んでいます。11月16日に検定試験があります。3級を受験する子が3人います。がんばって欲しいと思います。このように物事に挑戦する意欲は自尊感情の有無でその度合いが違ってきます。
 何度も言いますが、自尊感情はとても大切なのです。
 また、「昔取った杵柄」という言葉があるでしょう。私は大人対象のそろばん教室も受け持っています。70歳代の方が学習しています。「50年ぶりくらいにそろばんをしました。面白いもので指が自然と動きます。かけ算、割り算の仕方も思い出しました」と目を輝かせて話をされたことがあります。これが「昔取った杵柄」ですね。今の子ども達に、文化面で「昔取った杵柄」を将来実感してほしいのです。
 公民館講座で学んでいる人たちは、学習意欲旺盛な方達ばかりです。これも自尊感情がなせるものです。
 ところで、私は子育てには、父性と母性が要ると思っています。父性とは父親の役目、母性とは母親の役目とは思っていません。家庭内でその役割を工夫して欲しい。
 父性とは、「よく見て、しっかり関わって、ダメなことはダメと気迫を込めて単純に叱ること、そして変化したら認めること」です。
 母性とは、「我が子であることをそのまま素直に受け入れ、ありのままのわが子を愛すること」です。
 端的に言いますと、父性を愛と厳しさ、母性を愛と優しさと受け取ってください。
 つまり、子育てには、愛、厳しさ、優しさを持ってあたることだと思います。
 「我が子をそのまま素直に受け入れ、ありのままのわが子を愛すること」ということは、「私に似てかわいいからあなたが好き」、「○○なところが似ていないからあなたが好き」というのではありません。「ありのままで何もしなくてよい」ということでもありません。その子の資質をどれだけ伸ばしていくかということです。人には、それぞれ長所や短所があります。長所を伸ばしてください。短所は直してください。ですから、子どもから目を離さないことが大切です。
 お父さんには、父親として次の三つを是非実行して欲しいと思います。
 「子どもと一緒に遊ぶ」「子どもを叱る」「妻と子どものことを話す」この3つです。
 叱ると怒るは違うでしょう。叱るときには、人格を叱るのではなく良くない行為をしたときそのことだけを厳しく叱ってください。
 お母さんには、母親として次の三つを実行して欲しいと思います。
 「子どもを愛する」「食事を作り一緒に食べる」「夫と子どものことを話す」の3つです。
 いつもお母さんが作った食事を食べていると、「いただきます」が素直に言えるようになります。いつも子どもを見つめ、認め、褒め、励まし、伸ばしてください。それによって子どもは自己実現を実感します。それが、子どもに自尊感情を育んでいきます。  
 時間も迫って参りました。最後に、望ましい親子関係を考えてみます。
 父親との関係は、「大きくなったらお父さんの仕事をしたい」と子どもが言うことです。
 母親との関係は、「お母さんの料理は好き」と子どもが言うことです。
 私には二人の息子がいます。長男は「ぼくはお父さんのように、先生になりたい」と言って教師になりました。しかし、次男は「おれは先生にはなりたくない」と言って労働行政の仕事をしています。次男のモデルにはなれませんでした。子どものモデルになって欲しいと思います。
 私の家庭は外食はほとんどしません。妻が食事を作ります。
 お母さん方、仕事で疲れて帰ってきたり、帰りが遅くなったりで毎日食事の準備をするのはとてもたいへんだと思いますがなるべく料理を作ってください。その際、お父さんに1品多くおかずを付けてやってください。お父さんは喜ばれます。子どもも何か感じるはずです。
 とうとう、私は1品多くもらうことはありませんでした。これは、私の願望です。
 資料には新聞記事をつけています。時間の関係で見ることはできませんでしたが、帰られてから目を通してください。何かの参考になることと思います。
 本日は一方的に私の思いを話しましたが、益城中央小学校の子どもたちが心豊かで健やかに育ちますことを祈念しまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。