身近な暮らしと人権〜キーワードは「恕」〜
平成23年12月3日
益城町立益城中学校


 皆さん こんにちは
 ただいまご紹介頂きました中川でございます。よろしくお願いします。
 私は、いじめ不登校アドバイザーの他に益城町教育委員会の放課後子ども教室のコーディネーターという仕事もしています。過日、合志市においてコーディネーター研修会がありました。そのとき、グループ討議がありました。1グループ6人です。研修会の冊子にグループ所属者の氏名が記してあります。男性2人、女性4人でグループを作りました。そのとき、皆さん怪訝な顔をしているようでした。その理由は私の名前にあると思ったので私が最初に自己紹介をしました。「皆さん怪訝な顔をしていらっしゃいますが、私の名前を見て女性だと思っていらっしゃいませんでしたか?」と聞くと、「そう思いました。だから男性2人いらっしゃったのでおかしいなと思いました。」と話された方がいました。
 私が牛深小学校に赴任したとき、校長先生に「今度お世話になります中川です。よろしくお願いします。」と校長室に挨拶に行きました。校長先生は、私の顔を見ながら「あたはほんなこて中川先生な。わしぁ、あたの名前から女性の先生とばかり思おとった。『今年は女性の先生が来る』って先生たちには紹介しておったのに。男の先生な。」とおっしゃいました。研修会のグループの人も牛深小学校の当時の校長先生も私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれ、女性と思われたのです。私は「有紀」と書いて、「ありとし」と読みます。私はここ益城中学校の卒業生です。今でも中学校の同級生などの幼なじみからは「ありちゃん」と呼ばれています。私はこの名前が大好きです。「ありちゃん」も大好きです。
 この名前は父が付けてくれました。父は「年を重ねるにつれて年相応の人間になれよ」という願いを込めて付けたと言っていました。こんなすばらしい名前を付けてくれた親を尊敬し、敬愛しています。「有」は上に「保」という漢字を付けて「保有する」という言葉になりますね。「有」は「保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀は人権の世紀」などというように「年」の意味があります。
 皆さんも既にお子さんの名前に込めた親の思いを語っておられるでしょう?。人生の節目節目に、お子さんの目を見て、お子さん誕生時の感動を思い起こし名前に込めた親の期待や願いを語って下さい。人は時として道をはずれそうになることがあります。私の2人の息子もそうでした。私もはずれそうになりました。皆さんの中に、「自分も道をはずれそうになった」と言う人がいらっしゃるかも知れません。お子さんが道をはずれそうになったとき、親の思いを改めて語ってください。道をそれようとする気持ちも必ず元に返ると思います。3年生のお子さんをお持ちの家庭は、卒業の日、お子さんの手を取り、互いの手のぬくもりを感じ合いながら名前に込めた思いを語って下さい。
 お子さんは親の期待や願いを受け止め、自分の名前に誇りを持ち、好きになると思います。名前を好きになることは自分自身を好きになることです。自分自身を価値ある人間と思うことにつながります。この自分自身を価値ある人間と思う感情を自尊感情と言います。私は、この自尊感情が人権尊重社会、生涯学習社会に生きる私たちには最も大切な資質であると思っています。
 私は小さい頃、「アリの来よる。アリば踏みつぶそう。」と言ってアリを踏む仕草をしてからかわれたりいじめられたりしたことがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。ありとし。」と言って上級生に対してもぶつかっていました。
 ここには先生方もいらっしゃると思います。学級に、もしかして名前のことでからかわれたりいじめられたりしてきつい思い、嫌な思いをしている生徒がいるかもしれません。どうぞ、名前に込めた親の思いを学級の生徒たちに語って下さい。親の思いや期待を知ることで、名前をもじっていじめることの愚かさに気づくと思います。
 本日の研修会は、ただ話を聞くだけでは退屈ですので、皆さんにご自分の心の奥を見つめていただきながら人権問題について考えていきたいと思います。
 ワークシートを見て下さい。
 まず、コップの絵を描いてみましょう。(各自コップを描く)
 どなたか描いていただけませんか?(挙手無し)
 では、勝手ではございますが、お二人にお願いします。(コップを描いてもらう)

 すばらしいコップの絵、ありがとうございました。
 お尋ねします。Aさんのようなコップを描いた方、挙手して下さい。
    (7〜8割挙手)
 Bさんのコップに似たコップを描いた方?(15名前後挙手)
 その他、ビールのジョッキみたいなコップを描いた方?(2名挙手)
 コーヒーカップのようなコップを描いた方?(3名挙手)
 今私は、「コップの絵を描いてみましょう」と言いました。ですが、皆さんが描いたコップにはこんなに違いがあります。「私は○○と言っているから相手も○○と思っているはずだ」と思い込むのは危険ですね。自分はAさんのコップのことを話しているのに相手はビールのジョッキをイメージして話を聞いていては話しがかみ合いません。相手も自分と同じ物をイメージして聞いていることを確かめながら話を進めることが大切です。
Aさん Bさん

 この4つのコップに共通することがあります。それは、すべて上を向いていることです。上を向いていると、飲み物を注ぐと貯まります。同じように心のコップもいつも上を向いておきたいものです。心のコップを上向きにしておくと、話しが胸に落ちます。
 次に、魚の絵を描いてみましょう。(各自魚の絵を描く)
 ここに描いて頂けませんか?

 すばらしい絵をありがとうございます。
 ここでは、鰯とかマグロとかサンマとかの魚の形を問題とするのではありません。魚はどちらを向いているかを見てみたいと思います。Cさんの魚は左を向いています。Cさんと同じように左を向いている魚を描いた方、挙手して下さい。(大多数が挙手)Cさん皆さんを見て下さい。大多数の方があなたと同じ左向きの魚を描いています。
 右を向いている魚を描いた方?(3名挙手)
 ありがとうございます。すごいですね。すごいわけはあとで話します。
 私は「魚の絵を描いてみましょう。」と言いました。「左向きの魚を描いて下さい」とは言いませんでした。それでもほとんどの方は左向きの魚を描きました。どうしてこんなことが起きるのでしょう?(「食卓に出すときは左向きに出します」という声あり)
 そうですね。食卓では左向きですよね。その他に考えありませんか?
Cさん

 理科の先生いらっしゃいますか?(1人の先生が挙手)
 先生、魚の図鑑にある写真や絵はどちらを向いていますか?(「大体左を向いています」)
 そうですよね。魚の図鑑の写真や絵の7〜8割は左を向いています。図書室で確かめて下さい。
 5月の空に舞う鯉幟の絵や写真も左向きが多いでしょう。私たちは空気を吸うが如く知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 もう一つ聞きます。牛の色です。皆さんは牛と聞いてどんな色を思い浮かべますか?
 あか牛(約10名)
 黒牛(3名)
 白黒のホルスタイン(大多数)
 ありがとうございます。同じ質問を産山村でしました。全員があか牛でした。本渡で聞きました。ほとんどが黒牛でした。天草では、以前農耕用に黒牛を飼っているところが多かったのです。熊本市で聞きました。ほぼ3分の1ずつでした。
 小さい頃身近に見ていた牛、あるいは今見ている牛の色が、牛と言えばすぐに思い起こされます。
この「牛=○○」ということを空気を吸うが如く知らず知らずのうちに学習しているのです。これを「刷り込み」と言います。この刷り込みが「思い込み」となります。この思い込みにマイナスイメージが重なって「偏見」が生まれます。偏見が時として「差別意識」を生みます。
 魚の向きや牛の色の違いでは、偏見は生まれないと思います。しかし、烏についてはどうでしょう?
烏についてプラスイメージを持っている方、挙手して下さい。(挙手無し)
 どちらかというと、マイナスイメージを持っている方?(ほとんど挙手)
 私もマイナスイメージを持っています。小さい頃、田んぼに烏が群れをなして舞い降りているのを見て「今日は良かこつは無かバイ」などと言っていました。烏の羽の色の「黒=不吉」を私たちに思い起こさせるのです。このおかしさを歌ったのが野口雨情の「七つの子」です。今日は時間がないので歌詞を見つめることはできませんが、時間があるとき確かめて下さい。
 私たちは、この一連の流れ、「刷り込み」「思い込み」「偏見」「差別意識」を断ち切らねばなりません。それは、「正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動に移す」ことです。これについてはあとでもう少し詳しく触れます。
 明日4日から10日までの1週間は人権週間です。
 人権とは、世界人権宣言で、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と謳っています。
 人権とは、自分の生活を理由なく侵害されず、人が人として生きていくことのできる権利です。
 私は人権とは、「差別してはいけない」ばかりでなく、自分らしく豊かに生きること、自己実現を図ることととらえています。
 この人権については、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在しています。中でも熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を大きな課題として啓発活動に力を入れています。
 ところで、早いものでもう12月です。12月というと、忘年会で街は賑わいます。もう既に忘年会が1回あったという方もおいででしょう。今夜が忘年会という方もおいででしょう。
 ある学校に勤めていたときの話しです。
 「校長先生、私はこの前のPTA役員会のあとの忘年会でPTA活動について話が盛り上がり、帰ったのは12時過ぎていました。私は結婚以来始めて午前様で帰ったのです。それを連れ合いも舅も私を責めるのです。何時と思うととか?と。連れ合いや舅は暮れになると毎晩とは言いませんが午前様ですよ。それなのにたった1度12時過ぎに帰った私を帰りが遅いと責めるのはおかしいとは思いませんか?」と。
 皆さんはこの話を聞いてどう思われますか?
 私は性差別が意識の中にあるように思います。断っておきますが、私は女性の皆さんに午前様になりなさいと言っているわけではありません。理解違いなさらないようにして下さい。
 

 左の絵を見て下さい。
 「ねぇ、聞いた。Aさんは、大学卒業して5年目で司法試験に合格したそうよ。」
 「へーっ、あの難関の。すごいわねー。」
 「Aさんのお母さん、とってもえらいのよ。人のやりたがらないような仕事までして息子さんを支えたんですって。」
 この会話を聞いてどう思いますか?
 「人のやりたがらないような仕事までして」をどう捉えますか?
 この話は、はじめ美談として語られていました。「人のやりたがらないような仕事」は「ビル清掃の仕事」でした。
 ビル清掃をしている人が「私もビル清掃の仕事をしている。ビル清掃の仕事をする人はそんなにえらいのですか?」の一言からこの話のおかしさにみんな気付いたのです。
 以前、「3K」といって、「きつい」「汚い」「危険」な仕事が敬遠されました。私たちの周りにある仕事は、私たちが生活する上で必要だからその仕事があるのでしょう?仕事に上下はありません。
 私たちの心の中に職業差別の心があるならそれは取り除いていかねばなりません。

 資料に中学生の人権作文を付けています。
 毎年、法務省主催の中学生人権作文コンテストがあります。益城中学校も応募しているでしょう?資料に付けていますのは、平成22年度全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した作文です。群馬大学教育学部附属中学校3年 大井海琴さんが書いた「忘れてならないこと」を見て下さい。これはハンセン病を学んで考えたことを作文にしたものです。
 私が読んでみます。一緒に読んで下さい。


平成22年度全国人権擁護委員連合会長賞

     忘れてはならないこと
                                             群馬大学教育学部附属中学校3年 大井海琴

 授業でハンセン病について学んだ日、両親と「偏見」や「差別」について口角泡を飛ばす議論を深夜まで繰り広げた。身体障害者の父と看護師の母を持つ私は、幼い頃から「命の大切さ」を訴える両親の姿を見て育って来た。そんな私は、真摯な気持ちからハンセン病罹患者と向き合いたいと思いこの夏、草津にある療養施設栗生楽泉園を訪れた。
 草津までの道のり、私は罹患者の気持ちを絶えず考えていた。ハンセン病について調べると、「らい予防法」により罹患者は隔離され、人権を無視された扱いを受けたことが分かった。罹患者の言葉が書かれた本では、どんなに過酷な仕打ちを受けたか、他人をどれほど恨み、憎んでいるかが書かれていた。その為私は無意識の内に「罹患者は全員恨みを抱いている。」と勝手に思い込んでいた。しかし、こんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知らされることになるのである。
 私を迎えてくれたのは入園者自治会長の藤田三四郎さん。藤田さんは大変お元気で、その容姿からはハンセン病を伺い知ることはできなかった。しかし、藤田さんは紛れもない罹患者なのだ。その証拠に、藤田さんの名は本名ではない。罹患者は施設に入所するにあたり偽名を使用させられたと言う。つまり、その時点で罹患者は世間から存在を消されてしまうのである。そんな藤田さんから語られた話は、ハンセン病だと宣告され、三度も命を絶とうとしたこと。重症患者の看護を押しつけられ、数え切れない人を看取り自らの手で葬ったこと。家族が受けた迫害や侮辱的な言葉など、想像を絶するもので筆舌し難いものだった。しかし、こんな迫害と差別は同時にハンセン病患者達の人権回復闘争の歴史でもあったのだ。闘争の末、「らい予防法」が廃止されると今まで差別や人権侵害を繰り返していた多くの人が掌を返す様に態度を変えたと言う。
 私は聞いていて怒りを覚えたが、不思議なことに耳を塞ぎたくなる様な内容を語る藤田さんからは、全く怒りや恨みが感じられないのだ。私は話を聞くまで、自分の運命を呪い・周囲への恨みつらみの言葉が出てくるとばかり思っていた。しかし、出てきた言葉は「入園出来て良かった。差別は受けたが、今では恨みを抱く罹患者も少なくなった。そればかりか最近はたくさんの人が我々を理解し協力してくれるので嬉しい。何故なら一人の百歩は力が無いが、百人の一歩は力になるから」と言う感謝の言葉だったのだ。本当に「恨みは無いのか」と何度聞いても答えは同じだった。私は恥ずかしくなった。ハンセン病について調べ、罹患者の心を理解したようなつもりでいながら、実は何も理解できてなくて、そればかりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だったのだ。私は、話を聞いてとめどなく溢れ出る涙を拭いながら、心の片隅に潜んでいた「偏見と言う名の種」が身体から洗い流されていくのを感じていた。それは同時に、「思い込みや無知が偏見や差別を生みだす」ことを強く感じた瞬間でもあった。それだけに藤田さんの「自分と同様に他人を愛すればいつか必ず世界から差別はなくなる、他人を愛して下さい」の慈愛に満ちた言葉が一層重く腑に落ちるのだった。
 帰りがけ、1500ページにも及ぶ「入所者証言集」を手渡された。その際、私は見えない襷も手渡された気がした。その襷とは証言集に記された罹患者の「事実を風化させないで、私達の事を忘れないで」という搾り出すような叫び声と、その姿だったのである。
 ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた。同じ間違いを繰り返さないためにも、事実を語りついで行く必要がある。ここ楽泉園でも高齢化が進み証言者の数が減っている。これは全国15全てのハンセン病療養所に共通することだ。ハンセン病問題は罹患者がいなくなればそれで終わると言う問題ではない。今後人権問題を考える際、重要な指針になりうる事実なのだ。そしてこの事実の風化を防ぐことが、私達若い世代の役目だと私は思う。
 私は小6の時、友人達から突然イジメを受けた。それを引きずり、他人を恐れ・憎み、自分を嫌って生きて来た。しかし、罹患者の声が私に生きる力と前を向いて歩む勇気を与えてくれた。楽泉園訪問は私に人生観が変わる程の衝撃を与えてくれたのだ。こんな私だが、罹患者の声を伝える「百人の中の一人」にはなれるはずだ。そのために私は今、この作文を書いている。文字は時を越えて生き続けるから。私はこれからも楽泉園訪問を続けるつもりだ。実際に中学生の私が出来ることには限りがあるが、差別や偏見を少しでも減らすために一歩を踏み出すつもりでいる。「自分と同様に他人を愛すればいつか差別は無くなる。」と言う藤田さんの言葉を胸に。

 大井さんは、私が先ほど話しましたたように「罹患者は全員恨みを抱いている。と勝手に思い込んでいた。しかし、こんな思い込み自体が偏見や差別を生む原因になるということを後に思い知らされることになる」と述べています。さらに「私は恥ずかしくなった。ハンセン病について調べ、罹患者の心を理解したようなつもりでいながら、実は何も理解できてなくて、そればかりか罹患者を偏見の眼で見ていたのは私自身だった」「偏見と言う名の種が身体から洗い流されていくのを感じていた。それは同時に、思い込みや無知が偏見や差別を生みだすことを強く感じた瞬間でもあった」「ハンセン病が治る病気であるのに誤った知識から悲惨な人権侵害が長期に渡り続いた。同じ間違いを繰り返さないためにも、事実を語りついで行く必要がある。」とも述べています。
 皆さんご存じの通り、ハンセン病は「らい菌」という菌による感染症です。しかし、現在の栄養状態からは感染することは非常に少ないと言われています。しかし、長い間の政府の施策によって、ハンセン病についての間違った認識でひどい差別が続いてきました。その間違った認識を払拭すべく啓発活動が行われているにもかかわらず、南小国町では数年前、菊池惠楓園入所者の宿泊拒否事件が起きました。さらなる啓発活動を続けていかねばなりません。予断ですが、ここ益城中学校長だった○○先生は、南小国町の人権教育指導員として南小国町の人権啓発活動に取り組んでおられます。
同和問題に関する絵を見て下さい。

 
 同和問題で、最も深刻な問題がこの絵にある「あの子とは遊ぶな」という仲間外しであり、結婚差別であり、就職差別です。
 結婚も就職も人生の大きな節目です。その人の生涯を左右する出来事です。その結婚、就職に関して差別があることは許せるものではありません。
 同和問題に関する中学生の人権作文「一人でも多くの人に伝えたい」を読みます。一緒に読んで下さい。


 一人でも多くの人に伝えたい

                                             栃木県大田原市立金田北中学校3年 舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 「結婚差別に悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 正しく学び、正しく判断し、行動すること。一歩前に踏み出すことだと訴えています。自分にできることを前に踏み出すこと、これにより人権問題が大きく前進すると思います。
 皆さんは、本日の授業のような同和教育の授業を、小学・中学・高校、そして大学で受けてこられたと思います。その成果があちこちに見かけられます。
 先日行われました大阪市長選挙では、橋下さんが圧勝しましたね。その橋下さんに関するネガティブな記事が一部週刊誌で報じられたことはご存じでしょう。同和地区に住んでいたとか、お父さんはやくざで入れ墨を背中にしょっていたとか、従兄弟に当たる人が人を殺めたことがあるなどなど。
 大阪市民は、そんなことは橋下さんの政治力や考え方に関係はない、橋下さんに何ができるか、橋下さんが何をしようとしているかを判断の基準にして選びました。これはこれまでの同和教育の成果だと思います。
 本日の授業では、1年生が「奪われた文字を奪い返す取り組み」、2年生が西光万吉が起草した「水平社宣言」、3年生が「就職採用試験における統一応募用紙」について学習していました。
 私は、短い時間ではありましたが授業を参観させて頂きました。どのクラスも先生の問いかけに一生懸命に考え、応えていました。3年生が学習した「統一応募用紙」の取り組みは、解放運動の就職差別反対の闘いの中からおこり、昭和43年に全国化したものです。受検者は今何ができるかを中心とした選考項目で採用の合否を決めることで、親の職業や出身地などは合否の対象から除外するというものです。
 今見ました3つの絵に共通するものは、同和問題をマイナスイメージから認識していることから出てくる差別です。私たちの心の中にも同和問題についてマイナスイメージがありはしないでしょうか。心の赤字を黒字に変える取り組みをしていきたいと思います。
 統一応募用紙が解放運動、同和教育により勝ち得たものであることは先ほど述べました。
 教科書無償も解放運動、同和教育の成果です。私が小学生の頃は、教科書に線を引いたり読み仮名を書いたりすると親や先生から叱られました。それは、使っている教科書を教科書を買えない近所の子や弟妹に譲らねばならなかったからです。汚さないように丁寧に教科書は使いました。私の頃は教科書は有償でした。昭和36年、これを高知県の人々が「憲法に義務教育は無償とするとあるのに教科書を買わねばならないのはおかしい。国で教科書を支給して欲しい」との思いからの教科書無償の取り組みから現在のように無償となったのです。これも成果です。
 私は昨年6月、中央アジアの国、ウズベキスタンを旅行しました。緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。
 旅行最後のバスの中で、マリカさんという日本語ガイドさんが私たちにこう尋ねました。
 「みなさんの中で、ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」  私は知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。問題ありませんという返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょうとのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した都市は穏やかで、人々はとても明るく、治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行も楽しんだと言っていました。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢や杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。
 2年生は、西光万吉が起草した「水平社宣言」を学習していました。人の世に熱あれ、人間に光あれの「熱」とはどんなことだろう?「光」とはどんなことだろう?の問に対して、私の前の席にいた生徒は、「熱とは差別を許さない強い心」「光とは人間はすべて自由平等。希望の光」と記していました。
 私たちは、中学生が学習しているように同和問題をはじめあらゆる人権問題に対して自分のこととして捉え、マイナスイメージを持つことなくプラスイメージを持ち人権問題解決のために前進したいものです。
 終わりに人権尊重の精神がみなぎる家庭づくりについていくつか提案します。
 一つは、「夫婦が仲良く暮らす」ことです。「虐待の最たるものは夫婦げんか」ともいわれます。夫婦げんかをするなとは言いません。私もずいぶん喧嘩をしました。子育てについても意見の衝突がありますから。しかし、子どもの前では絶対に喧嘩をしないで下さい。心の傷はなかなか癒えません。
 二つは、子どもたちの自尊感情を育むことです。
 自尊感情の高い子は、精神的に安定し、何事にも積極的です。自分を律し、自分や他を大切にした生き方ができます。自尊感情は、人権尊重社会・生涯学習社会に生きる子どもたちにとって最も重要な感性です。そのために、お子さんから目を離さずに、認め、褒め、励まして下さい。
 三つは、子どもたちに諸々の体験をさせることです。
 特に、成功体験 挫折体験 認められる体験 頼りにされる体験 感謝される体験をさせてください。挫折体験・失敗体験の時、能力のせいにさせないで下さい。「どうせ自分には力がないから」と能力の生にすると、その失敗は次に活かされません。努力不足、努力の方法はどうだったかを反省させて下さい。
 最後に、「恕の精神を持ちましょう。」と提案します。
 論語の中に「恕」という言葉があります。
 孔子の門弟の中に子貢という人いました。この子貢が孔子に聞きました。「門弟の中で私が一番頭が悪いと思います。頭の悪い私が、人間として誤らずに生を全うできるという字があったらお教えください。」と。
 そこで、孔子は「それは恕という字だ。自分がいやなことは人にしてはならない。」と答えました。
「恕」とは、常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさと思いやりのことです。
 今年の人権週間のテーマは、「みんなで築こう人権の世紀 〜考えよう相手の気持ち 育てよう思いやりの心〜」です。まさに孔子が言う「恕」の精神そのものです。
 益城中学校の保護者の皆様、そして生徒たちがますます豊かな人権感覚を育み、人権問題解決のために自分にできることに一つ一つ取り組んで行かれますことを祈念して話を終わります。
ご静聴、ありがとうございました。