私からはじまる人権
平成21年1月17日
益城町総合体育館研修室


 皆さん、今日は。ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 私の名前は「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。先ほど課長が「先生の名前を正しく読める人はあまりいないでしょう?」とおっしゃいました。「『ありのりさん』と読む人がたまにいますが、よく女性と間違われます」と言いました。「ゆき」または「ゆうき」と読まれるのですね。
 私は父がつけてくれたこの名前に誇りを持っています。父を尊敬しています。「紀」は「年」を意味します。「有」は「保有する」の意味です。「年を重ねて、年相応の成長を」という願いを込めて名前を付けたと父から聞きました。
 今、私は65歳です。自分なりに年相応の人になるよういろいろと努力はしているつもりですが今は亡き父の願になかなか届きません。生涯努力し続けるつもりです。
 皆さん方も、子どもさんやお孫さんが生まれたとき、家族全員で喜び合って、いろんな思いをこめて名前を付けられたことと思います。その名前に託した親や家族の思いを是非子どもさんに語ってください。そのときは、手を取り目を見つめ、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら語ってください。きっと、子どもさんは自分に対する家族の思いを知って更に自分の名前を誇らしく思うようになると思いますよ。
 子どもが小学生の頃はそうではありませんが、中学生の後半から高校生位の歳になると、道を外れそうになることがあります。違う道へ行こうとすることがあります。そのとき、「ほら、あなたが小さいときあなたの手を取って、あなたにはこんな人になって欲しいとの願いから名前をつけたと話をしたでしょう」と言ってください。きっと、本来の道に帰ると思います。だって、あなたの赤い血を受け継いだあなたの子ですから。
 いろんな機会をとらえて、保護者の皆さんにもこのことを伝えてください。
 余談ですが、小中学生時代の友達からは今でも「ありちゃん」と呼ばれています。その「ありちゃん」をとって「ありちゃんのホームページ」をインターネット上で公開しています。時間にゆとりがありますとき、覗いてみてください。
 昨年の研修会では、孫の言動を紹介しながら人権問題について考える話題を提供しました。今年も孫のことを話題にして人権について考えてみたいと思います。
 資料の新聞切り抜き「人権感覚持つ子ら育てたい」をご覧下さい。


               人権感覚持つ子ら育てたい

 小学4年生の孫娘に電話すると、いつものような元気がない。訳を聞くと、「明日体育の授業でリレーがある。去年、リレーの時、私が走るのが遅いので私の組はビリだった。みんなからとても嫌なことを言われた。明日、またリレーがある。嫌だな」と言う。
 妻は、「リレーであなたの走りが遅くて負けたのなら、みんなにごめんなさいと言いなさい。それでも、みんなが文句を言うなら先生に相談しなさい。泣いたり怒ったりしては駄目」とアドバイスした。孫娘は、「分かった」と言った。
 周りから「おまえのせいで負けた」と責められると、「自分はダメな人間」と思いこみ、自信喪失になる。不登校や引きこもりになりかねない。
 孫の憂鬱は、人権感覚を育てることに直結する問題だと思う。人は自分の短所や欠点を他人に話すことには抵抗がある。しかし、自分のことを理解してもらうには自分のありのままの姿をきちんと話さなければならない。このような時、所属する集団に、互いの違いを認め、共に生きる感性や人権感覚が育っていれば素直に話すことができる。子どもの生活場面に起きる具体的な事例をもとに、豊かな人権感覚を持った子ども達をはぐくんでいただきたいと願う。

 余談ですが、孫は、走るのは遅いのですが体を動かすのは大好きです。特にダンスが好きで私が褒めるのもおかしなことですが、リズム感はあるようです。昨年の運動会でのダンスでは、リズムに乗って楽しそうに踊っていました。それが先生から、そして友達から評価されたのでしょう。2学期の通知票では、体育は「良くできる」の評定でした。本人もびっくりしていましたが、人は認められ、褒められるとうれしいものです。体育に対して持っていた苦手意識が少し薄らぎ、やる気が出てきたようです。
 団らんの場で、自分が褒められたときだけでなく、叱られたときもきちんと話をする子どもがいます。自分の話をしっかり受け止めてくれる大人がいると、安心して話ができるのです。子どもは、自分を認めてもらえる場所があると、心が満たされ安定した生活ができ、自信が湧いてきます。そのことによって自分に対しても、他人に対しても優しく接することができます。さまざまなトラブルもきちんと解決していく力が身に付いていきます。この過程で、自尊感情が養われていきます。それが、自分の人権を大切にすると同時に、他人の人権も大切にすることができる豊かな人権感覚をはぐくむことにつながります。
 では、どうかかわっていったら自尊感情を高めていくことができるのでしょうか。
 私たちは子育ての中で、「有用感を持たせる」、「達成感を持たせる」、「存在感を持たせる」「自信を持たせる」などの場つくりを通して子どもの自尊感情を高めています。
 例えば、私たち大人は子どもが何かを作るとき、「ここができたね」や「ゆっくりでもちゃんとできたね」と声をかけることで子どもに自信を持たせるよう工夫しています。「まだここができていないじゃない」や「はやくしなさい。まだなの」といった声かけでは、子どもは自分に自信がもてません。まだできていないところを指摘することより、できたところをほめることが大切なのです。
 大人に対してもそうですが、特に子どもに対しては相手を認め、自信を持たせる言葉かけが、「あなたはかけがえのない大切な存在なのです」というアピールにつながっていくのです。これが、自尊感情をはぐくむ大きな力となるのです。
 「子どもを褒めて自己実現増幅」をご覧下さい。孫が1年生の時のことを投稿したものです。


         子どもを褒めて自己実現増幅

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。

 孫ばかりではありません。人は認められ、褒められると、いくつになってもうれしいものです。それは、自己の存在感や有用感を実感するからです。この実感の積み重ねが自尊感情を醸成します。家庭でも園でも地域でも、認め、褒め、励まし、伸ばしていきたいものです。そして、日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚を養いたいと思います。
 人権とは、世界人権宣言第1条に「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と記されています。
「すべての人間」に対して、「生まれながら自由」であること、「尊厳と権利について平等」でることを侵すような問題が人権問題です。
 列記していますようにさまざまな人権問題があります。
 「女性の人権」「子どもの人権」「高齢者の人権」「障がい者の人権」「同和問題」「外国人の人権」「HIV感染症・ハンセン病をめぐる人権」「犯罪被害者等の人権」「水俣病をめぐる人権」「さまざまな人権課題」
 昨年、同和問題とハンセン病に関する人権問題について、その歴史を振り返り、問題解決のために私たちに何ができるかについて考えました。本日は、「水俣病をめぐる人権」を考えてみます。
 ご存じの通り、水俣病は、工場排水中のメチル水銀に汚染された魚介類をそうとは知らずにたくさん食べたことが原因となって発生した中毒症です。伝染病、遺伝病、風土病ではありません。
 水俣病が昭和31年に公式認定されて以来、長い年月が経過しましたが、今なお多くの人が健康被害で苦しみ、加えて、地域内外でいわれのない偏見や差別問題が発生しました。原因がはっきりしなかった頃、水俣病は伝染するという誤解から、魚が売れなくなることを懸念して患者を家の中に隠しました。患者が出たと分かると、その家には人々が寄りつかなくなったり、さまざまないやがらせをするなどの厳しい差別がありました。
 発生当時水俣市は、チッソの企業城下町ともいわれ、チッソを擁護する人も多く、患者やその家族はチッソと対立するものとして差別や抑圧をうけるなど住民間の対立が深まり、地域の絆まで壊れてしまいました。また、水俣出身であるために、結婚や就職が断られるということもありました。そのほか、水俣の産品が売れなかったり、観光客が激減するなどいわれのない偏見や差別に、地域全体が苦しみました。
 このようなことを水俣病語り部の会 杉本栄子さんの手記が熊本県教育委員会が作成した人権啓発資料「こころ豊かに共に生きるU」に掲載してあります。読んでみます。


             水俣病の体験から
                                                 杉本栄子

 私は、水俣の茂道の網元の家に生まれました。そこでは、村中が親戚のようになかよく暮らしていました。しかし、昭和34年、突然、けいれんを起こした母が病院に運ばれ、母の病名がラジオで「マンガン病」と放送されました。当時は原因が分からず「その病気はうつる」と誤解されたため、村の人は誰も家に寄りつかなくなり、雨戸に石を投げられることもありました。あいさつしても無視され、「道を歩くな」とも言われました。親戚の人たちにさえ、「この恥さらしが」となじられました。
 村であったことをいろいろ話して私が泣けば、父は泣いて聞いてくれましたし、「死にたい」と言えば抱きしめてくれました。「母ちゃんより早う死ねんとばい、母ちゃんな誰が介抱すっとかい?」と。
 そして、毎日、隔離病棟に父が通うようになったとき、「仕事も辞めようばい。母ちゃんが寂しか思いばせんごつ。親子3人、うつって死んでもよかがね。母ちゃんから離れんが」。父の言葉を聞いて、私はとてもほっとしました。隔離病棟に入れられた患者さんたちの様子は「地獄」のようでした。母が10年間入院している間に、たくさんの死に様を見ました。家族も親戚も見舞いに来ないのです。
 私が「死にたい」と叫ぶようになったとき、父は「人様は変えられんとばい。自分が変わっていこうばい」と教えてくれました。「魚を捕るもんは、まず、木ば大事にせんばんとばい。水ば大事にせんばんとばい。あんたは誰よりも人様ば好きにならんばんとばい」ということを毎日聞かされました。あの時代、「人様を好きになれ」という父の言葉が信じられませんでした。「鬼になった村の人たちを、どうして信じらんばならんか」ということで、毎日、父に納得するまで訊きましたが、父は、村や親戚からあったことは聞いてくれても、そのことを教えてはくれませんでした。
 「もう出て行こい、父ちゃん、出て行こい」と、本当に泣き狂いしたんですが、「母ちゃんも連れて行かんばんとばい。母ちゃんば連れて行けば、死にに行くようなもんばい。我が家で死のうばい」と父は言いました。
 人様を信じることができなかった私には、父の言葉だけを信じて生きていこうと決めるのに、とても長い時間がかかりました。でも、父が、母だけじゃなく他の患者さんにもいろいろと親切にする姿を見たとき、「やっぱり父ちゃんと母ちゃんと死にたい」と思いました。昭和34年、母が「マンガン病」と放送された日から、私たちは死を覚悟せんばならん時代でございました。これまでの生活の中で、父が人様の悪口を言うのを本当に聞いたことがありません。母がうつる病気として隔離病棟に入れられてからも、仕事を辞めてからも、もっともっと親切にする父の姿を見たとき、父だけを信じて生きていこうという気持ちになりました。
 私が死のうとしたとき、父から「自分が命は自分が大切にせんばつまらんとばい。命ち大切ばい」と命の大切さ、人の営みを教えてもらい、「人様から好かれんだったっちゃ、海から山から嫌われんごつせんばいかんばい。みんな守ってくれとっとばい」というようなことを聞いて育って参りました。
 水俣病の本を読み返すとき、私は何も知らなかったんだなということが分かりました。これは罪なんだ、知らないことは罪なんだということを知りました。

                                            人権啓発資料「こころ豊かに共に生きるU」より

 この手記を読む度に心が震えます。水俣病患者家族を苦しめたのも、水俣病に対する誤解があったためです。私たちは何事においても正しい知識を持つことが大切です。2度と同じ過ちを繰り返さないためにも、水俣病問題を風化させることなく、歴史的事実をきちんと受け止め、考えていくことが大切ではないでしょうか。
 平成9年、熊本県は水俣湾の安全宣言を行い、水俣湾の魚を捕ったり、食べたりできるようになったことはご存じの通りです。
 何事にも正しい知識を持つためには学ぶことです。学ぶことによって人権感覚を磨きましょう。
杉本さんは「知らないことは罪なんだということを知りました」と記しています。由布元恵楓園は「無知は偏見を生み、偏見は差別につながります」と言われました。
 母が昨年の8月29日、脳内出血で急死しました。葬儀社の方に来てもらって、葬儀の日取りなどを打ち合わせました。
 葬儀社の方から、「今夜は仮通夜、明日の晩が本通夜、31日葬儀が一般的と思いますが、31日は友引です。友引という考えは、浄土真宗とは全く関係のないことだとお寺さんから言われています。どうされますか?」と話がありました。私も遺族もこの六曜の考えを気にしていませんので、31日に葬儀を済ませました。
 葬儀社の方が説明してくださったのは、これまでの同和教育、人権教育の成果だと思います。
 しかし、よく考えてみると、私たちは日頃は「今日は何の日」かを意識して生活していないのに、結婚式だ、葬儀だ、棟上げだというときに「今日は何の日だろうか」と意識するのはおかしなことです。
 「今日は人権教育の研修会だ。何の日だろうか」と暦で調べてこられた方はいらっしゃいますか?
いらっしゃらないでしょう。六曜の考えにとらわれない生活をする人が増えています。しかし、結婚式場あたりでは、まだまだ、六曜の考えがあるようです。大安の日は大盛況でしょう。仏滅の日は安くしているところもあるように聞きます。大安の日に結婚式を挙げれば離婚しない、仏滅の日に結婚すれば離婚するのであれば、また違ってくるでしょうが、大安の日に結婚した人でも離婚する人はいると聞きます。
 このように科学が進んでいる現在も、科学的に根拠のない考えに惑わされるのはおかしな話です。このことを、故高千穂正史さんは「愛語問答」で次のように述べています。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものなのです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。当時ですから旧暦です。毎月の1日を次のようにすると勝手に定めました。すなわち、正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引、3月と9月1日が先負、4月と10月1日が仏滅、5月と11月1日は大安、6月と12月1日は赤口という具合です。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことです。
 この六曜の考えは、個人レベルですので社会全体に何かを及ぼすと言うことはありませんが、迷信の一つに「三隣亡」があります。関東地方のある県で、「三隣亡の日に隣で棟上げがあった。自分の家まで災いがあってはたまったものではない」と棟上げしたばかりの家に放火するという事件があったと聞いたことがあります。こうなると、大きな社会問題ですね。
 三隣亡について調べてみました。三隣亡とは、この日に建築すると、後日火災に見舞われ、近隣3軒まで滅ぼすといって忌む日といわれています。
 調べたことによりますと、三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかもはっきりしていないそうです。しかし、江戸時代に入ってから確立されたとされています。
 江戸時代の本には「三輪宝」と書かれて、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていたそうです。すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになるのです。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされているそうです。ただ、真偽のほどは分からないそうです。後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められたとありました。こんなことを信じて、放火事件が起きるというのはおそろしいことです。
 私は、迷信を信じるなと言うのではありません。みんなが言うからそぎゃんだろうとそのまま信じることの怖さを知っていただきたいのです。生涯学習の時代といわれています。「そうかな?」と思ったら自分で調べ、学び、ものごとを正しく知り、正しく判断する態度を持ちたいものです。私たちは、空気を吸うがごとく知らず知らずのうちに「○○は○○だ」というように思い込んでしまっていることが意外と多いのです。
 では、どうしてそう思い込むのでしょうか?
 皆さん、魚の絵を描いてみましょう。(3分程度自由に描く) (ほとんどが頭が左向きの魚を描いている。)
 どなたか、ここに描いてくださる方はいらっしゃいませんか?
 (正面から見た魚を描いた人、左向きの魚を描いた人に描いてもらう)
 ○○さんはすごいですね。正面から見た魚の絵を描いていらっしゃいます。これまでいろんな研修会で魚の絵を描いてもらいましたが、このように正面からの絵は初めてです。すばらしい魚の絵を描いていただきありがとうございました。皆さん拍手で褒めてください。
 ここでは、「絵が上手」かどうかを問題とするのではありません。描いた魚の頭はどっちを向いているかを問題としたいのです。
 ここに描いていただいた○○さんと同じ左向きを描かれた方?(ほとんど全員挙手)
 右向きの方いらっしゃいますか?(0)
 ほとんどの方が左向きです。どこの研修会でも、本日のようにほとんどが左向きの魚を描かれます。どうしてそうなると思われますか? (「料理では魚は左向きに置く」のつぶやきが聞こえる)
 そうですよね。ある研修会でも料理に出す魚は左向きと決まっているという話を聞ききました。本や図鑑で見る魚の頭はほとんどが左を向いていますね。私たちは空気を吸うごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。
 今年は牛年です。牛の絵を描いてみましょうか。
 牛の姿をイメージしてください。色を付けてください。
 お尋ねします。
 あか牛をイメージした方?(2人程度)
 くろ牛の方?(0人程度) 
 白黒のホルスタインの方?(大多数)
 産山村で聞いたときは、全員があか牛でした。天草で聞いたときは、ほとんどがくろ牛でした。
 どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?それは、自分の身近にいる牛が直ぐに浮かぶからです。これを刷り込みといいます。この刷り込みが時として、思い込みとなり、そして偏見になることがあるのです。
 それでは、もう一つ、コップの絵を描いてみましょう。(水飲み用コップ、コーヒーなどを飲むコップ、柄がついているコップなどが描かれている)
 3人の方に描いてもらいました。(3種類のコップが、ほぼそれぞれ3分の1の割合)
 私は、「コップを描いてみましょう」と言ったのですよ。なのに、ここに描かれたコップはこんなに違います。同じ言葉でも思い描くものが違うことがありますね。時々、会話がかみ合わないと思うことはありませんか?自分は水飲み用のコップの話をしているのに聞いている相手はコーヒー茶椀を思い描いていたら話がかみ合いません。「話さなくても目を見れば分かる」などという人がいますが、話さなければ分かりません。自分の思いを正しく相手に伝えるためにはきちんと話すことです。
 幼稚園や保育園の園児の中に「単語言葉」の子はいませんか? 
 私が小学校に勤めていた頃、この単語言葉で話す子がいました。掃除の時間、職員室へ来て「カミ」とか「トイレットペーパー」と言うのです。職員は意味が分かって「トイレに、トイレットペーパーが無くなっているのね。はい、これを持って行きなさい」と言ってトイレットペーパーを渡していました。「トイレットペーパーがありません。トイレットペーパーをください」と言わせなさいと言っていました。心と時間にゆとりがあるときは、きちんと対応できるのですが、そうでないときは、単語言葉のままで対応しがちです。もし、このように単語言葉を使う子がいるならきちんと文書で話ができるよう指導してください。
 それから、描いてもらったコップにはいろいろありましたが、皆さんが描いたコップに共通するのは、すべてが上向きのコップということです。このように心のコップもいつも上向きにしておきたいですね。
 人はだれひとりとして「固定観念」を持って生まれてくるわけではありませんが、私たちは、子どものころから、空気を吸うように「○○は○○だ」というような固定観念を無意識のうちに身につけていきます。これが時として偏見となり、差別につながることがあるのです。
 それで、身の回りのことをもう一度見つめ直し、日常の生活の中で人権感覚を育てることはとても大事なことと思います。
 皆さんにお尋ねします。手を挙げなくても結構ですが心の中で手を挙げてください。
 「女のくせになんだ」といわれた人はいませんか?「女は入れてあげない」と遊びにかててもらえなかった人はいませんか?
 「チビ」「ノッポ」「デブ」「ヤセッポチ」「ブス」などと言われたことはありませんか?あなたがこうしたことを言ったことはありませんか?
 「どこの学校へ行っているの?」と聞かれて、「○○学校」とこたえたら、「なんだ、○○学校か」と言われたことはありませんか?
 「子どものくせにだまっていなさい」と言われたことはありませんか?あなたがおじいさんやおばあさんに「としよりのくせに」と言ったことはありませんか?
 体の不自由な人をからかったり、笑ったりしたことはありませんか?
 同和地区に生まれた人たちの悪口を言ったり差別の目を向けている人はいませんか?
 差別することはよくないことです。これは、誰もが知っていることです。では、差別とはどのようなことでしょうか。差別についてきちんとした知識をもっていないと、あなたが誰かを差別しても差別していることに気づくことができません。また、誰かにあなたが差別されても差別されていることに気づくことができなくなるのです。
 差別とは、命と人権が傷付けられることです。差別とは、自分の力ではどうすることもできないことで不利益を被ることです。差別とは、みんなが同じではなくなることです。
 人をばかにしたり、仲間はずしをしたり、いじめることは差別です。逆に、人からばかにされたり、いじめられることは、差別されていることです。
 韓国旅行をした人が、使い捨てカメラを取りだして、近くにいた韓国の人に「これで写真を撮ってください」と頼んだとき、韓国の人が「どうすればよいですか」と聞いたそうです。「このカメラはバカチョンカメラですからこのシャッターを押すだけです」と言ってにこにこしながら写真を撮ってもらったそうです。ところが写真を撮った韓国の人は目にいっぱい涙をため、体が震えていたそうです。観光旅行に韓国に行った人はこの「バカチョンカメラ」が差別語、つまり、「チョン」が韓国や朝鮮の人を侮蔑する言葉とは知らなかったのです。自分では差別しているという感覚がなくても差別しているということがあります。
 人権について正しく学び、差別をなくすために自分に何ができるか考え、行動にうつしましょう。
 これまでは、私たちの人権感覚をより豊かにすることについて考えてきました。これからは、幼稚園や保育園の子どもたちの心を豊かに育てること、人権感覚の基礎を育てることについて考えてみたいと思います。
 昨年12月20日、グランメッセ熊本で「子どもの生活リズム向上 全国フォーラムinくまもと〜みんなではじめよう!『早寝・早起き・朝ごはん』〜」と題して、講演会・シンポジウムがありました。皆さん方の中にも参加した方が沢山いらっしゃることと思います。
 私は、聖徳大学短期大学部教授 鈴木みゆき先生の話がとても心に残りました。そして、先生の話をたくさんの人に伝えたいと強く思いました。先生はそのとき、「皆さんを睡眠なんとか委員に任命します。生活リズムが人の成長にとって重要であることを広めてください」とおっしゃいました。それで、先生が話されたものをコピーして資料としてつけています。これを参考にして保護者に生活リズムが子どもの成長にいかに大事であるかを説いてください。
 先生は、「早寝・早起き・朝ごはんは人間の土台づくりにとても重要である」「早寝・早起き・朝ごはんはすべてにつながっている」と述べられました。
 また、日本の子どもたちは遅寝すぎることや、「早寝・早起き・朝ごはん」が学力の向上や気になる子となんらかの関係があるかもしれないという話題も提供してくださいました。
 先生の話の中で私の脳に焼き付いていることです。
 私たちは昼行性の動物であり、午前中に一番脳が活発に働いている。ところが、最近の小学生は午前中に眠くなると50%近くが答える。これはあきらかに睡眠不足。人の体内時計は25時間。朝陽を浴びて脳を目覚めさせることで24時間のリズムに調整している。それで、遅くとも午前7時30分に起きさせることが大事。朝のカーテン開けから始めよう。最近は、保育園等に行って初めて生活リズムがつくという傾向にある。寝かしつけるは、しつけである。睡眠時間だけ十分とればよいかというとそうではない。成長ホルモンが午前0時前に最も多く分泌されるので、この時に一番深い眠りに入っていると望ましい。成長ホルモンは幼児期をピークに分泌される。思春期まで二次性徴を抑制する『メラトニン』の量も睡眠に左右される。分泌が乱れると性成熟を早め、体だけが大人となり、社会の悪い影響を受けやすくなる。生活習慣の乱れは性の成熟を早める。成長ホルモンの分泌から就寝時刻考えると、午後11時から午前2時まではぐっすり眠っていることが大切であるから、遅くても9時30分には寝るのが望ましい。体温は明け方一番低い。朝ごはんのエネルギーで体温を上げることによって、脳の働きが活発になり、学力も向上する。遅刻する子どもは朝食を食べておらず、学力も伸びないというデータが出ている。朝食はエネルギーにかわりやすいものをとりたい。
 先生が訴えられたように、子どもの成長は生活リズムと密接な関係にあります。「早寝早起き朝ご飯」を保護者に何らかの形で知らせ、奨励してください。
 資料に添付しています「ドロシー・ロー・ノルト」の「子は親の鏡」を見てください。


                       「子は親の鏡
                                         ドロシー・ロー・ノルト

 けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
 とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる
 不安げな気持ちで育てると、子どもも不安になる
 「かわいそうな子だ」といって育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
 励ましてやれば、子どもは、自信を持つようになる
 広い心で接すれば、キレる子にはならない
 ほめてあげれば、子どもは明るい子に育つ
 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ
 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
 やさしく思いやり持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

 読んでお分かりのように人権感覚の基礎は家庭で育ちます。できるならこれを居間の家族みんなの目につくところに貼って、子どもに接している自分の姿と照らしあわせて子そだてにあたって欲しいものです。
 最後に、小さい頃よく歌われた童謡「七つの子」を一緒に歌って終わりにしましょう。
 「七つの子」は、日本の童謡の中でも、最も広く知られた名曲のひとつです。野口雨情がなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは“不吉な鳥”として嫌われてきました。カラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したもので、雨情らしい暖かな視線を注いだ詩ですね。黒いから不吉な鳥と決めつけることのおかしさを私たちに説いているようです。
 では一緒に歌いましょう。


      七つの子
                       野口雨情

 烏 なぜ啼くの  
 烏は山に   
 可愛い七つの 
 子があるからよ
 可愛い 可愛いと  
 烏は啼くの  
 可愛い 可愛いと 啼くんだよ    
 山の古巣に  
 いって見て御覧   
 丸い眼をした いい子だよ

 とてもすばらしい歌声、ありがとうございました。
 長時間のご静聴ありがとうございました。


                    参加者の感想から

○同和教育の研修会とは思えないような、楽しい講話、ビデオフォーラムと盛りだくさんで、1日研修したような満足感でいっぱいでした。
楽しい話の中に、人権について大事なことを教えていただきありがとうございました。

○思いこみが間違った方向に行ったり、偏見になったりするということがあることに気付いていくことができました。
 中川先生の話も分かりやすくありがとうございました。

○講演を聴くとき、目で見て考えさせられ、言葉を交わして意見を共有することができる機会ができて良かったです。
 今、問題になっている子どもの生活の乱れで、園でも夜中まで起きている子がいるのでとてもただごとではなく聞けました。子ども達の生活リズムが整えられるよう援助していきたいと思います。

○人権や差別について、あらためてしっかり勉強していかねばならないと考えさせられました。

○障がい者に対してだけでなく、いろいろな差別や偏見について、自分では知っている、分かっているつもりでこのような研修会に参加して、また、改めて学ぶことができディスカッションすることでより真剣に考えることができました。
 皆が知っている、分かっているようなことをもっと相手に伝えて、意志を伝えようという言葉は仕事上だけでなく、プライベートな生活にもつながりとても勉強になりました。

○普段なかなか人権について勉強できないのでとても良い機会となりました。身近にある人権を守っていくためにも、幼い子ども達に今のうちから今日学んだことをしっかりと伝えてきたいと思います。
 人権についていまいち分からなかったのですが、講話を聴いて人権の視点が見えてきました。

○実践しよう!やってみよう!と積極的に思える内容でした。

○知らないことは偏見を生み、差別につながることもあると聞き、これからもっと人権について勉強しなければと思いました。

○先生の実体験からの話をうかがって身近なところから人権について考えることができました。

○偏見は差別につながるという言葉がとても心に残りました。生活していく中で、いろいろと固定観念や偏見を持っていることがあると思いました。もう一度考えようと思う講話でした。

○差別と気付かないことがたくさんあることにびっくりしました。人権についてこれからも勉強していきます。