いじめ不登校対策のキーワード 自尊感情 コミュニケーション能力
上益城郡教頭研修会
平成24年7月3日


 皆さん こんにちは。
 ただいまご紹介頂きました中川です。どうぞよろしくお願いします。
 今年古希を迎えました。
 シルバー川柳に「あちこちの 骨がなるなり 古希古希(コキコキ)と」というのがあります。
 69歳の今でも、いじめ不登校アドバイザーの仕事をさせていただき、こうして皆様といじめ不登校問題について学習できる喜びを実感しております。
 私の名前は、「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。先日、ある研修会に参加したとき、グループの名簿を見て、グループの方々が「女性が5人、男性が一人であるはずなのに男性が2人いる。おかしいな」と言うような表情をしておられました。私の名前を見て女性と思われてのことでした。このようによく女性と間違われます。しかし、父がつけてくれたこの「ありとし」という名前が私は大好きです。
 69歳になった今でも、幼友達からは「ありちゃん」と呼ばれています。
 私は小さい頃、この「ありちゃん」の「あり」を「アリ」として、上級生や中学生から、「おっ、向こうからアリの来よる。アリば踏みつぶそう」と言ってからかわれたり意地悪されたりすることがありました。そのたびに私は、「俺はアリじゃなか!ありとし」と言って体当たりで抗議していました。
 6月は、「いじめ根絶月間」でした。
 各学校では、いじめ根絶に向けた取り組みをしてこられたことと思います。チラシにもありますように今年のテーマは、「つながる“わ” こころのきずなをふかめよう」でした。昨年3月11日の東北地方を襲った大震災以来、人と人との「つながり感」が強く叫ばれています。昨年の世相を表す漢字には「絆」が選ばれました。
 この「つながり感」こそ、いじめ・不登校問題を考えるとき決して欠落してはならない視点を示す言葉だと思います。
 私は、上益城郡内のいじめや不登校の実態等について具体的数をもとにお話をする立場にはございません。具体的な数値につきましては、先日の生徒指導主任研修会の席で指導課長から詳しく話がありましたので、先生方は生徒指導主任の先生から復命を受けておられることと思います。
 そこで、これから約1時間、いじめ・不登校問題の早期発見・早期対応等、未然防止について一緒に考えていきたいと思います。
 まずは、文部科学省の「いじめ」の定義です。
 「いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているものとする。起こった場所は学校の内外を問わない。」とあります。
 いじめは、他者に対する攻撃行為です。この攻撃行為が発生する要因として次のことが考えられます。
 一つは、欲求不満や何らかの葛藤が心の内に生じると、それを弱めようとする心理がはたらき、そのときとられる行動の一つが攻撃行為であり、これがいじめの動機の一つとなると考えられています。
 もう一つは、人が持っている情動エネルギーが何らかの理由によりコントロールできなくなったとき現れる行動がいじめとなると考えられています。この情動エネルギーをコントロ−ルするのは、社会や集団の中にある法秩序やルールなどです。こららが情動エネルギーを統制しています。もう一つは個人の良心や規範意識などです。この二つが弱まったときにいじめが起きると言われています。
 これを図示すると次のようになります。   


   欲求→欲求阻止→欲求不満→攻撃行動の表出→安定・安心希求→いじめ(攻撃行為)   

   家庭での放任→不十分な社会化→社会規範の無視→無秩序状態→いじめ(攻撃行為)

 また、いじめの特徴として次の3つが考えられます。
 一つは、同じ集団の中で起きることです。校内、学年内、学級内などのように一緒に生活している顔見知りの仲間内で起きることがが多いことです。全然知らない者をいじめることはほとんどないですよね。
 二つは、一度いじめが始まったらしつこく長く続くことです。いじめを注意されたらかえってひどくなったというようなことをよく聞きます。
 三つは、集団に「共に生きる」という意識が薄く傍観者が多いことです。見て見ぬ振りと言うことがよく言われます。注意すると、いじめの矛先が自分に向くという恐怖心からもこのようなことが出てきます。
 このようなことから、いじめは、鬱憤晴らし、遊び感覚、弱い者いじめ、仕返し、そして自己防衛から起こると言われています。
 こうみてきますと、ストレス社会ではいじめはいつどこで起きてもおかしくない状況にあると言えます。しかし、いじめはどんな理由があれ、あってはならないことです。いじめを受けてきつい思いをしている子を出さないために、私たちはアンテナを高く張って、「助けて!」の声をいち早くキャッチして、早期対応をすることだと思います。
 私がある小学校に勤めていますとき、登校班の中でいじめが起きました。
 1年生から6年生までの登校班で登校していました。その地区は、学校まで5kmくらいの山間地です。冬場は子ども達は空に明けの明星が光り輝いている頃、朝の6時40分頃家を出ていました。子どもの足で1時間半くらい要する道を1年から6年生までが一緒に歩いて登校するのです。体の大きさが違います。歩幅も違います。歩くスピードも違います。疲れ方も違います。1年生のスピードに合わせると遅刻します。それで、初めは高学年の子が1年生に対して「急げ!」などの声かけだったようですが、背中を押したり、ランドセルのひもをつかんで引っ張ったりしている内に、段々エスカレートして足を蹴ったりしたようです。
 このことをおじいさんから学校に訴えがあり、担任はじめ地区担当が事実を聞き取り指導していたのですが、いろんな事情から1年生は、校区内の別の地域に引っ越しました。おじいさんは週に1度くらい学校に来ては、私に「校長先生、孫がいなくなって寂しい思いをしています。農作業で疲れて帰っても孫の『お帰り』の言葉で疲れが吹っ飛んでいました。どんなに疲れていても孫と相撲を取ると疲れは吹っ飛びました。その孫がいない寂しさ、校長先生分かりますか?」と言っておられました。私は話を聞いたあと、「おじいさんも辛いおもいをしていらっしゃいますね。お孫さんは、学校では元気に過ごしていますよ」と言い、教室へ案内し、勉強ぶりや掲示してある作品を見てもらっていました。孫の元気な姿や掲示物を見て安心して帰っておられました。
 そんなことを繰り返していましたが、2学期の終業式の日の夜、地区の公民館で、いじめられた子の祖父母、保護者、地区の保護者、区長、公民館の役員の方々が集まり、このいじめ問題について話し合いました。2時間ばかり過ぎたとき、高学年の子の父親がおじいさんの前に出て、手をついて謝ろうとしました。そのときです。おじいさんは「あんたは何ばしよっと!謝らんちゃよか!こんいじめは誰が悪かつでんなか。わしの孫に『いじめんで』といじめを跳ね返す力が身についていなかったこと。いじめた子に弱い者をいじめるのは愚かなことだということに気づく力が身についていなかったこと。周りの子に『弱い者をいじめることは恥ずかしいことだ』といじめをやめさせる力が身についていなかったこと。この3つの力がなかったけんいじめが起きた。わしや孫のようにきつか思いをする者がこの地区から出らんごとみんなで子ども達に3つの力をつけさせようじゃなかな」と言われました。
 この3つの力は、いじめ根絶の力でもあり、差別解消の力でもあります。
 すべての子どもにこの3つの力をつけさせることが人権学習の目標であると職員で確認し合いました。

 不登校については、学校不適応とか登校拒否などと呼ばれていた頃は、学校に行かないことは個人の損失としてのとらえ方であったと思います。不登校という言葉になってからは、個人の損失というとらえ方よりも、「将来大きく花開くであろう可能性を秘めた芽を登校しないという理由で早期に摘み取ってしまうのは社会の損失である」とのとらえ方に変わってきていると思います。ですから不登校問題が大きな社会問題となっているのです。
 不登校について、先生方はすでにご承知のことですが、認識を再度温め直して頂くために、平成4年当時の文部省の不登校の定義を読んでみます。
 「不登校とは、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいは登校したくともできない状況にあること」
 今、私は放課後子ども教室等で益城町の飯野小学校、津森小学校、益城中央小学校の子ども達に地域の方と一緒にそろばんを教えています。子ども達に、「なぜ学校に行くの?」と尋ねますと、「先生や友達とお話しするのが楽しい」「友達と遊びたい」「勉強が楽しい」「できるようになるとうれしい」「お母さんのように看護師になりたいから」などの声が返ってきます。これは「学校は楽しいところ」「学校で勉強して、これまで分からなかったことが分かるようになりたい。できるようになりたい」と登校を積極的にとらえていることの証です。
 これらをもう少し深く見つめてみますと、「先生や友だち、上級生が親切に教えてくれる・面倒を見てくれる」という声の裏には、愛を感じ、交流の楽しさを実感していることであると思います。
 「低学年が頼りにしてくれる」は、自己有用感を実感しているのです。
 「間違っても誰もバカにしない。何でも言える」という声は、自己表現が許されることであり、互いの違いを認め、共に生きる感性が理解され、安心して発言できる風土が学校にあるからです。
 「先生が声をかけてくれる」「友だちが心配してくれる」は、自己存在感の実感に繋がります。冒頭述べました「つながり感」を実感しているのです。
 「自分の言動が認められる」は、自己実現の実感です。
 「できないことができるようになった」は、自分の成長を実感し、自己の再発見につながります。
 消極的な登校では、「親が学校に行けと言う」「家にいてもおもしろくない」中学生になると「義務だから」などの声が返ってくるのではないかと思います。
 これらを図示すると、次のようになるのではないかと思います。




 次の表は「不安など情緒的混乱」型不登校と「無気力」型不登校の一般的な違いを一覧表にしたものです。

   不安など情緒的混乱」の型   
 (神経症的不登校)
  「無気力」型
登校への意欲 意欲はあるが行けない    乏しい
学校への不安 強い不安を示す 見られない
休むことへの罪悪感    強くもっている あまりない
友だちとの関係 会いたがらない 平気で会える
身体的・精神的症状 さまざまな症状を示す あまりない
気分の変動 著しい あまり見られない   


 先生方の学校でも前の晩は、「明日は学校へ行く」と言って登校の準備をしていても、朝になると「頭が痛い」など体の不調を訴えて登校できない子がいるかもしれません。このような子どもは、登校しないことに罪悪感を持っている場合が多いようです。だから本人も家族も苦しむのですね。
 「不安など情緒的混乱」型不登校の子の1日の心の変化をまとめると次のような傾向が見られます。

 前日の夜   明日は学校へ行くと言い、登校の準備をする。
 当日の朝  布団から起き出さずに遅くまで寝ていたり、頭痛や腹痛を訴えたりする。
 無理に学校へ連れ出そうとすると、抵抗したり暴れたりする。
 午 前 中  登校時刻をピークに情緒が不安定で、病人のような状態が続く。
 午   後  徐々に情緒が安定してくる。下校時刻までは、
 外出をしたがらない。
 休   日  情緒は安定しており、外出することも容易である。
 学校の話題 登校を勧めたり学校のことにふれたりすると、黙りこんだり不機嫌になったりする。  
 学校のことにふれなければ、特に問題は起こさず平静な様子に見える。

 
 次は、不登校の類別とその特徴です。学校でもこの類別によって報告や対応をしておられますのでご存じの通りですがもう一度温めたいと思います。
 まずは、主たる不登校の要因が「学校生活に起因する型」です。
 この型の原因としては、学業不振、友人関係、先生方との信頼関係、部活動への不適応、入学・転入学・進級時の不適応等が考えられます。ですからどこの学校でも、「分かる授業」づくりをめざしておられます。伝え合う力の養成に努めておられます。また、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー障害などの子どもの中には、対人関係や学習面において不適応状態を示すことがあります。このようなとき、学校生活での不適応面だけを電話で話したり、連絡帳で知らせたりするのでは保護者との十分な共通認識を得ることは難しいと思います。今の電話は電話番号が登録してあるのが多いですから呼び出し音が鳴ると同時にどこからの電話か分かりますね。学校からの電話がいつも子どもの学校生活での不適応あるいはマイナス面についての電話だったら保護者としては、我が子を否定されたように受け止め、「またか」の思いから電話に出たくなくなります。そこで、ある学校では、不適応状態ばかり電話するのではなく、学習や生活面での子どものプラス面を積極的に家庭に伝える取り組みをしておられます。
 連絡帳についても同じことが言えます。先生方は多忙な日々を送っておられます。子どもに不適応状態が生じたとき、その場の状況や言動、そしてそのときの指導内容等を丁寧に連絡帳に書き綴り家庭に知らせる時間があまりないようです。不適応のことを要約して簡潔に知らせることで理解違いが生じたり、不適応状態を示す言葉だけが心に残り「うちの子ばかりどうして」というような不信感が生まれたりします。言葉はそれだけ重いものを持っています。
 ですから、家庭訪問をして保護者と向き合い、子どものプラス面、不適応面を学校生活や家庭生活の中での具体的言動を通して話し合い、子どもに対しての共通理解・共通認識を持ち、場合によっては外部の相談機関に相談するなどの支援が必要になります。このような取り組みが子どもや保護者に寄り添った支援だと思います。
 「あそび・非行型」があります。
 この型には、家庭の経済状況等の家庭環境、また過保護であったり放任・無関心などの家庭教育に起因することも多いようです。家庭を支援するとともに、子どもの立場にそった理解や励まし、時には注意や叱責が必要だと思います。そして、関係機関と連携しての指導も必要となります。
 また、次の「無気力型」とも共通しますが、自尊感情の醸成が課題だと思います。このことは本日の演題としました。このことはあとで触れます。
 「無気力型」があります。
 自尊感情が低く、自分の存在感を実感する経験が少ないために、やる気を失い、無気力な状態になっている場合も多く見られます。自分が大切にされているという感覚や自信をもたせるような関わりが特に必要であると思います。
 Dは、「不安など情緒的混乱の型」があります。
 母子分離不安であったり、がんばりすぎによる息切れ状態になったり、甘やかされて育ったためにがまんする力や自分で解決する力が身についていなかったり、さらには保護者の生活基盤の不安定から情緒が不安定になったりして不登校傾向に陥ることです。
 進級や進学を契機に不登校傾向にあった子が新学期になり元気に登校していたのに、5月の連休明けから6月にかけて、中学校では体育祭後に休みが多くなる子がいます。
 精一杯がんばって、120%のエネルギーを費やして登校を続けて、エネルギーがなくなり学校を休むという子がいます。「がんばらなくてもいいよ」との声かけについては賛否両論がありますが、子どもにより、その場の状況によりこのような声かけをするとか、力いっぱいがんばるときや少しは息抜きする場合も必要であることなど、力の出し方の強弱を教えるなどの支援が必要になります。学校によっては、「1週間の内、4日登校をめざそう」とか「1週間に3日登校を目標にしよう」などの支援をしているところもあります。
 また、何らかの事情により親が離別して一人親であったり、嫁舅の関係がうまくいかず諍いが絶えないなど生育環境が複雑な家庭で育った子がいます。「生育環境が複雑な家庭で育った子イクオール不登校」ではないのですが、生育環境が複雑な家庭で育った子は不登校傾向に陥りやすいようです。小学生時代は心の奥底に潜在し、本人も気づかなかった家庭内のどろどろとしたものが、中学生となり何かがきっかけとなり表出して人間不信に陥り、それが不登校に結びついたという例もあります。小学校高学年から中学生にかけては思春期の時期です。体の成長や変化、心の成長に驚き、「自分は果たして何者か」などと自問自答するように心が揺れ動く時代です。心理学者の言葉を借りますなら「疾風怒濤の時代」です。この時代に心の奥底にあるものが何らかの事情により表出しないとも限りません。ですから、潜在化しているものを顕在化させない工夫が必要です。表出の契機を作らせないことです。例えば、部活動など熱中できるものを見つけさせ、もやもやを昇華させるなどの支援も必要になってくると思います。
 どの学校でも呼び方はいろいろありますが、「子どもを語る会」が行われています。この会は、多くの先生方が子どもに関する情報を共有し、共通理解・共通支援をしていこうということから行われているものです。担任の先生は、子どもと正面から向き合っての子ども理解、隣の学級の先生は後ろから見た子ども理解、教科担任の先生は斜めから見た子ども理解など先生によって一人の子どもに対する理解が違ったところがあると思います。それらを出し合い、多面的な子ども理解の上に立って多角的に支援して欲しいと思います。
 指導課長は、一人一人の子どもの「強み、弱み、サポーター(支援者)、リスク」を定期的に把握し、個人カルテに書き込み、日頃から子どもを支援していくことが大事だといつもおっしゃいます。リスクの一つに家庭環境があげられると思います。
 「意図的な拒否の型」はここでは取り上げません。
 これまでの型を複合したものが「複合型」です。
 不登校は、多くの場合なんらかの前兆を伴います。発見が遅れれば遅れるほど、指導の効果をあげにくくなります。子どもが発する小さなサインを見逃さず、早期に適切な支援をお願いします。
 そして、「不登校はどの子にも起こりうること」ととらえることが重要であると言われています。
 不登校状態にならないための手立てはこれまで見てきましたようにいろいろありますが、私は、子ども達に自尊感情を育てること、コミュニケーション力を身につけさせることが大切であると思っています。このような思いから本日のテーマを「いじめ不登校対策のキーワード 自尊感情 コミュニケーション能力」としました。
 今、子ども達の自尊感情の低さが指摘されています。
 財団法人 日本青少年研究所が昨年(2011年)2月発表した「高校生の心と体の健康に関する調査 日本 アメリカ 中国 韓国との比較」の「自己評価」では、「米国と中国の高校生は自己肯定感(自尊感情)が強く、日本の高校生の自己評価が最も低い」と述べています。
 本調査の自己評価に関する質問と回答は、概略、次のとおりです。
〔問1〕 あなたは価値のある人間だと思いますか。
 この問に、「そう思う」と答えたのは、米国57.2%、中国42.2%、韓国20.2%、日本7.5%です。米国や中国の高校生は、約5割が自己肯定感(自尊感情)を持っているのに、日本の高校生は1割もいません。これに「まあそうだ」を加えると、 米国89.1%、中国87.7%、 韓国75.1%、日本36.1%です。米・中・韓の高校生の7〜9割が自己肯定的であるのに、日本の高校生は、4割に達していなく、6割が自己否定的です。
〔問2〕あなたは自分に満足していますか。
 この問いに、「全くそうだ」と答えたのは、米国41.6%、中国21.9%、韓国14.9%、日本3.9%です。これも日本が極端に低いのです。これに「まあそうだ」を加えると、米国78.2%、中国68.5%、韓国63.3%に対して、日本は24.7%しかありません。日本の高校生で自分に満足しているのは3割に満たないのです。
〔問3〕自分は優秀だと思いますか。
 この問に、「全くそうだ」と答えたのは、米国58.3%、中国25.7%、韓国10.3%、日本4.3%です。やはり日本が際立って低いのです。これに「まあそうだ」を加えると、米国87.5%、中国67.0%、韓国46.8%、日本15.4%である。日本のほとんどの高校生は自分の能力に否定的です。
 なぜ、日本の高校生はこれほどに自尊感情が低く、ネガティブな自己像を抱いているのでしょうか。元文部省の初中局長菱村幸彦さんは、「自己表現について日本では、自分のことには控えめで謙虚であることが美徳とされる。この国民性の違いが、このような質問では、実態以上の差異となって表れる可能性があるが、それを割り引いても、日本の高校生の自尊感情や自己肯定感の低さは際立っている」と述べています。
 自分自身をかけがえのない存在だと思い、自分のよさに気づき、自分に自信をもっている生徒は、勉強や部活動でもいい成果をあげています。よい人間関係も結べます。困難な状況に出会ってもくじけず、困難に立ち向かう力があります。全国学力調査の分析でも、自尊感情と学力に相関があることが明らかになっています。
 福岡県教育委員会の「青少年に関する意識及び行動調査」の自尊感情に関連する項目でも同じようなことが述べてあります。
 このように、子どもの自尊感情が低いことは、子どもにとって大きな課題であると思います。
 私は生涯学び続ける上でも人権尊重社会実現の上でも、いじめや不登校を未然に防止する上でも、自尊感情を高めることは、学校・家庭・地域社会の喫緊の課題であると思います。
 自尊感情を高める取組の視点をいくつか挙げてみます。
 先ず、自分のよさに気づき、自身を持たせる視点です。
 自分に自信がもてない子どもは、自分を否定的にとらえています。「自分は何事に対しても消極的だ」と考えている子どもには、「あなたのよさは物事に対して慎重に、そして丁寧に取り組むところだ」など、自分を肯定的にとらえることができるような支援が必要です。
 第二は、集団の中で自分の役割を果たす体験と、互いを認め合う集団づくりの推進です。
 一人一人に自分のよさを自覚させ、そのよさを発揮できる活動や場を設定することは、自分だけではなく個々のよさに気づくことにつながります。学校や家庭、地域の中で、子どもに役割をもたせ、その役割を果たす取組を進め、やり遂げる体験を重ねさせることです。努力し続けることの大切さを体験を通して指導してください。そして、子どもの活動を認め、褒め、励まし、感謝の言葉を伝えることで、「自分は役に立っている」、「必要とされている」と実感させることが大切だと思います。困難を乗り越えたり、何かを成し遂げたり、人の役に立ったりすることは、子どもの成就感や自己肯定感を育てることにつながります。
 このように自分の力で解決できた体験を多く積ませるとともに、失敗体験から学ばせるという視点がとても重要です。「失敗したのは自分の能力が低いから」とか「失敗したのは自分以外に原因がある」ではなく、「失敗したのは自分の努力が足りなかったから」「自分の努力の仕方が良くなかったから」などと今後の努力・挑戦する意欲につながる指導や言葉かけをして欲しいと思います。
 第三は、子どもを認め、褒める機会や場を拡げることです。
 自尊感情を高めるには、指導すべきことをきちんと指導した上で、褒めて伸ばすという観点から、褒め方を工夫したり、認め、褒める機会や場を拡げることが大切です。褒められた行動や言葉が次の行動に活きて働くように褒めることが真に褒めることだと思います。このためには、アンテナを高く張って子どもをよく観察することが大切だと思います。
 また、体験活動を通してコミュニケーション能力を高めることが重要であると考えます。大学の先生から聞いた話によりますと、最近の学生はマージャンなど数人で遊ぶことはあまり好まないそうです。数人でいても、個人ゲームを好む傾向にあるそうです。マージャンは、最低4人、しかも、時間を切っていても、徹夜になったりします。よほどのことがない限り自分の都合で切り上げることはできません。つまり、自分の時間がある程度束縛されます。自分の時間を犠牲にしてもみんなのためという意識がないとマージャンはできません。今の学生にこの意識が薄いとおっしゃっていました。
 また、ある先生の話によると、自分がこれまで会話した大人は、家族、親戚、先生、部活動の指導者だけという学生も中には居るそうです。買い物に行っても会話無しで買い物ができる時代ですから。生活が便利になった反面、失うものもたくさんあります。
 そこで、いろんな体験活動を通していろんな人と交わりコミュニケーション能力を高めることは喫緊の課題であると思います。
 子ども達が学校は楽しいと思う学校づくり、そして子ども達一人ひとりに自尊感情とコミュニケーション力を育み、いじめのない、不登校児童生徒がいない学校づくりに邁進されることを願って話を終わります。