教 育 事 情 は 今
平成11年5月
御船町文化協会総会


1 はじめに
 ただいまご紹介いただいた中川です。伝統ある御船町文化協会総会の席で「教育事情は今」というテーマで話をさせていただくことを光栄に思います。
 本日は、9年間の社会教育主事としての経験から、2年間の七滝小学校長としての経験から、教育改革の動きを見つめ、学校教育や家庭教育そして地域社会の教育のあり方などについてお話ししながら、皆様方と共にこれからの教育について考えていきたいと思います。

2 生涯学習の提唱
 昭和40年前後から、技術革新、産業構造の変化、人口移動による都市化・過疎化の進展、女性の社会進出、核家族化・少子化の進行、情報化時代の到来など急激に社会が変化してきました。
 学歴水準の向上、物質的豊かさ、情報量の拡大、余暇時間の増大、そして人生50年から80年時代へと言われはじめた。私たちの社会は豊かで暮らしよくなりました。が、一方では個性の喪失、人と人とのつながりの希薄化、世代間の断絶、地域の連帯感の弱まり、交通災害、自然破壊、公害などの社会問題が指摘されるようになりました。
 学校でもいろんな課題が生じてきました。学歴偏重、登校拒否、校内暴力、いじめなどの学校の課題が社会問題となりました。
 時の中曽根総理大臣の諮問機関「臨時教育審議会」は、個性重視の原則に立って、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的再編成を行うことにより、現在の教育荒廃を克服し、21世紀に向けて我が国の社会の変化及び文化の発展に対応する教育を実現しようと、個性重視の原則、基礎・基本の重視、創造性・考える力・表現する力の育成、生涯学習体系への移行などを提言しました。

3 教育界の動き
 前橋本総理大臣は、6大改革を提唱し、その中の一つに教育改革が掲げられています。今はその教育改革のうねりの中にあります。
 文部大臣の諮問機関である中央教育審議会は、「教育は子どもたちの自分探しの旅を扶ける営みである」として、「ゆとりの中で生きる力を育てる」ことを訴えています。
 今、学校・家庭・地域での子どもたちの生活には、時間的にも精神的にもゆとりがない、自分の興味のあるものにじっくり取り組んだり、分かるまで学んだりするゆとりを学校に取り戻そう、学習も知識の量より学び方や学ぶ意欲を育て、学ぶ喜びを味わわせ、その後の学習に生きてはたらく基礎的・基本的なことを教えよう、学習の中で疑問が生じたらそれを解決するために自ら学習する意欲や態度を育てる教育、つまり、知識を伝える学校から知恵を育てる学校へ転換しようと提言しています。これが生きる力につながるというのです。
 また、平成14年度から学校は完全週5日制となります。これを土曜・日曜が休みととらえるのではなく、家庭・地域社会2日制ととらえて欲しいと思います。つまり、学校・家庭・地域が連携することによって学校で学んだ知識や技能を家庭・地域での生活に生かして、土曜・日曜日を生活の知恵を養う機会とすることです。学校では学ぶことができないものを地域で学び、自分の生き方を探していくのが学校週5日制の真の目的であるのです。
 七滝小学校で区長さんをはじめ体育協会の役員さん、婦人会の役員さん、民生委員さんたちと週5日制について話し合いを持ったことがあります。そのときの第一声は、「塾など学校外での学習機会のある都市部とそうでない農村部では子どもの学力の差が大きくなるのではないか。」という不安の声がいっぱいでした。いろいろと皆さんが考えを出し合われる中で、「子どもに地域で生活する時間が生まれるのであれば、私は地区の公民館に子どもを集めて地域の文化財や自然について教えたい。」との意見が出ました。出席者はその意見を聞き、「そんなことができるのであれば、地域の良さを教えることができるので良いことだ。」との考えに意見が集約されました。学校週5日制のねらいはそこにあるのです。
 文化協会に所属していらっしゃる皆さん方の中には、和歌や生け花、舞踊などをされている方がたくさんいらっしゃいます。その方々が地域の子どもたちにその所作や心を教えていただきたいと思います。学ぶ楽しさを伝えていただきたいのです。となりのおじさん、おばさんから、あるいはおじいさん、おばあさんから生け花や和歌を教えてもらうことが子どもに感動を呼び起こします。子どもは日頃見かける部分とちがうものを発見します。こういう意味から、これからは皆さん方地域の教育力に大いに期待しています。

4 学校・家庭・地域の連携
@学校の肥大化
 これまで学校は保護者からしつけや基本的生活習慣の定着の指導まで頼まれると安易にこれを引き受けていました。それにより、家庭は子どもの教育を学校任せにしその教育力が低下し、学校は教育の守備範囲が広く拡大してきました。また、学校と家庭の教育の役割分担を理解違いしている面も生じてきました。
 私が教員生活2年目の出来事です。昭和43年のことです。当時、私は神奈川県大和市の公立学校に勤務していました。学年始めの家庭訪問で、一人の先生が憤慨して帰ってきました。話を聞きますと、「『勉強はうちで教えますから学校でしつけをお願いします。』とある母親から言われた。学校と家庭の役割をなんと心得ているのだろう。」ということでした。
 皆さんはこのことを聞かれてどう思われますか?
A家庭教育力
 学校で生活する学習や生活の集団としての基本的しつけは学校でしっかり教えます。学校で徹底してしつけます。なぜなら、これは学校でしか教えることができないからです。しかし、個人的生活習慣をしつけるところは家庭です。しかし、これがなかなかできていないのです。
 人が人として生活する上でのもっと基本的なしつけ、「約束を守る」、「うそを付かない」、「挨拶をする」などが身に付いていない子が多くいます。また、自由は求めたがります。しかし、自由を主張するからには責任があることを忘れてしまっています。「権利は主張するが義務を忘れている」今の世の中に言えることが学校でも言えるのです。
 例えば、中学校や高校で「校則からの解放」を主張しますが、その後の新たな規制を制定する責任までは考えが及ばないのです。
 2人以上の集団であれば、その集団が集団としての規律ある行動をとるには何らかの規則がなければならないこに気付いていません。これらは、家庭できちんと教えておかねばならない基本的なことではないでしょうか。さらに、家庭で育てて欲しいものに優しい心と強い心があります。異論があるかもしれませんが、強い心は理屈抜きで父親が教えるべきものと私は思います。優しい心は母親が教えるべきです。今家庭では父親がいても父親が見えてきません。子育てはすべて母親任せ、あるいは母親と同じ視点から同じことを言う父親が多いように思います。それで母親が父親の役割をもしているように思います。もっと父親は威厳を持って子育てに当たるべきです。
 家庭によっては、お父さんと子ども、お母さんと子どもの家庭があります。そこでは、父親があるいは母親が父性と母性の心で子育てにあたるのは当然のことです。
B今の子どもたちにかけている心
  ・正義感 ・卑怯を憎む心 ・人を敬う心 ・報恩感謝の心 ・向上する心 ・倫理観
  ・ルールを守る心 ・善悪の判断 ・ありがたい心 ・がまんする心
  ・もったいないの心 ・謙虚な心 ・人を思いやる心 ・感動する心
  ・成し遂げたよろこび ・克服したよろこび  ・恥ずかしいおもい ・悔しいおもい
  ・辛いおもい ・悲しいおもい ・腹が立つおもい等
 現代の子どもに共通して欠けている心です。もちろん中にはこのような心を持っている子もたくさんいます。すべての子にこのような心を持って欲しいのです。
 県子供会連合会の副会長さんは、「現代の子どもには3つの恩が欠けている。それは、親の恩、先生の恩、地域の恩である。」といつも言われます。しかし、副会長さんが長年子供会活動に関わってきた中で地域の恩を心から感じている子もいると紹介されたことがあります。
 それは、豊野村の子供会でのことです。学校からも地域からもいわゆる悪い子としてのレッテルを貼られ、手の付けられない問題の中学生に対して、「このような子だからこそ子供会で温かく抱き留めねばならない。」と反対する周りの役員を説得して子供会のいろんな行事に参加させ、いつもその子の行動を見守っていたそうです。その子が中学を卒業し、大工の見習いとして始めてもらった給料の一部を手紙を添えて子供会に送ってきたと話されました。手紙には「悪さばかりする自分をおじちゃんは子供会にいつも誘ってくれた。子供会でも悪さをしていたが、それでもおじちゃんは自分のことを一生懸命世話してくれた。おじちゃんがいたから、子供会があったから、自分は中学校を卒業できた。自分のように迷惑ばかりかけた者は他にはいなかったろう。自分が子供会で1番印象に残っているのは海水浴でのスイカ割り。もうすぐその海水浴が今年もあるだろう。ほんの少しではあるが、そのスイカ割りの一部に使って欲しい。」と書いてあったそうです。なんとすばらしい話ではないでしょうか。これが、まさに地域の恩、地域が子どもを育てることではないでしょうか。
C今の子どもたちにかけている体験
  ○自然体験
・高さ1000メートル以上の山に登ったことがない
・野外テントで寝たことがない
・木の実・草の実などをとって食べたことがない
・日の出・日の入りを見たことがない
・湧き水を飲んだことがない       
・海・川・池で魚釣りをしたことがない
・自分の身長より高い木に登ったことがない 
・外で火を燃やしたことがない
・外で蛇を見たことがない        
・チョウ・トンボを捕まえたことがない
○生活体験
 ・赤ちゃんのおむつ替えや寝かしたことがない
 ・切れた電球を取り替えたことがない
 ・お年寄りの世話をしたことがない  
 ・鎌や鉈で物を切ったり割ったことがない
 ・生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない
 ・家族の病気看病をしたことがない
 ・ハンカチなどにアイロンをかけたことがない
 ・1時間以上歩き続けたことがない
 これは文部省が小学4年生から中学2年生の約2000人を対象に平成7年に調査した結果で、1回も経験したことがないと答えた比率の多かったものです。
 ここに掲げたような体験を通して、私たちはいろんなことを学んできました。心が育ってきました。これからの子どもたちに是非このようなことを体験させたいのです。しかし、現在はこれらを家庭で体験させることは難しくなってきています。そこで地域子供会などで体験させて欲しいのです。もちろん、学校でも体験活動の充実を図っていきます。
D中学生の規範意識
 資料に示しているのは、次のことを悪いことと思う割合です。
・放置してある自転車に乗る(77,3%) 
・自室でたばこを吸う(65,1%)
・他人の傘を無断でさして帰る(74,4%)
・お使いにミニバイクを運転する(56,9%)
・他人の上履きを無断で使用する(54%)  
・学校で飴などを食べる(56,1%)
・かるくパーマをかける(47,6%)    
・友達の優勝を祝って酒を飲む(50,8%)
・きまりより少し太いズボンで登校する(32,6%)
・薄いマニキュアをぬる(27,2%)
 これは平成7年にベネッセ教育研究所が東京、神奈川、埼玉県の中学1〜3年生約1700人を対象に調査した結果です。子どもたちの規範意識の低下は、人々が安心して暮らせるよりよい社会をつくっていくためはもとより、なによりも子どもたちの健やかな成長を期するために、決して見過ごすことのできない問題です。この問題の背景には大人社会のモラルの低下という状況があります。不正やルール違反を許容してしまう甘い風潮、義務・責任を忘れ、自由と利己主義とをはき違える風潮、そして、正直さ、まじめさなどの価値を軽視する風潮は、家庭におけるしつけのゆるみを招き、子どもたちの規範意識の低下を助長しているように思います。
 家庭でのしつけの重要性が叫ばれているのはこのような意味からです。
E地域社会の教育力
 昔は地域共同体の意識が強くあり、「あの子は○○さんの孫。△△さんの息子。」と地域の人が家族みんなをよく知っていました。そして、「子は社会の宝物」という意識が強く、子どもが悪さをすれば大人の誰もがよく叱っていました。もちろんよいことをしたときはよく褒めてくれました。どうでしょうか最近は? 私はこれが少なくなったように思います。なくなったと言っても良いのではないでしょうか。
 「注意して憎まれるより知らんふりをしておこう。」の意識が出て悪さを見ても注意する人はほとんどいません。地域での子ども行事もめっきり減ってきました。氏神さん祭り、地蔵さん祭り、モグラうち、どんどやなどを通して、地域のおじさん、おばさんたちが指導をしてくれました。むらのガキ大将がいろんなことを教えてくれました。
 地域の人の目があれば、そんなに悪さはできないものです。地域共同体の意識を取り戻そうではありませんか。

5 七滝小学校での取り組み例
(1)こんな学校に
 在校生にとっては楽しい学習と生活の場
 卒業生にとっては懐かしい思いでの場
 保護者にとっては我が子のよさや可能性を最大限に育ててくれることを期待し、それを託す場
 地域の人にとっては我らが学校
 これは私が思い浮かべる学校像です。こんな学校を目指して全職員で教育活動を展開してきました。これからもこの学校像を追い求めていきたいと思っています。
 その方策として○○小学校では次のようなことをしてきました。現任校でも頑張っています。
(2)教育懇談会の実施
 中央教育審議会は、地域に開かれた学校経営をするために地域の意見を採り入れる「学校評議員制度」の導入を提言しています。このことを視野に入れ、各区長、民生児童委員、校区体育協会長、老人会長、婦人会長、PTA役員、社会教育委員、町議会議員さんなどをお招きして、学期に1度学校教育を語る会「教育懇談会」を実施してきました。学校教育の様子、地域での子どもの生活の様子、地域の危険個所、地域子供会の活動状況などの情報交換をしまし。学校と家庭、地域が同じ情報を共有し、同じ方向性を持って子どもの指導に当たることが大事であると思うからです。
 ある区長さんの話しです。
 「私は学校には何の協力もできないが、毎日子どもが通学している道路は落石など危険個所が多い。子どもはそんなところでも話をしながらゆっくり歩いている。それを見て、『ここは石が落ちてくる危険なところです。早く通り過ごしましょう。』との看板を立てた。」
 これこそ、地域の教育力の一つではないでしょうか。
(3)各種団体との連携による学校経営
 御船町青少年健全育成会議七滝支部の方との連携も学校経営の大きな柱としてきました。
 この席である区長さんから「子どもたちの挨拶がよくない。学校はどのような指導をしているか。」といういわば学校の指導を糾弾するような発言がありました。
 このとき別の区長さんから「この会は地域でのそのような子どもの生活ぶりを出し合い、地域で指導すべきことは地域で指導しようという会ではないのか。」との反応がありました。この区長さんの「社会全体で子どもを育てていく。」の姿勢がこの会の大半を占め、地域での挨拶運動へと発展したことがとてもうれしうございました。
(4)ふれあい給食会
 校区の民生児童委員さんの協力で、校区老人会の方との触れ合い給食会を年3回持ちました。「わざわざ学校へ行くのに給食だけではもったいない。子どもと触れ合おう。」これが自然発生的に老人会の方から出た言葉です。そして、昔の遊びを通して子どもとの触れ合いがありました。
 80歳、90歳のおばあさんが器用にあやとりをされる様子を目の当たりにした子どもは「うわぁー、すごい。」を連発します。わら草履を上手につくるおじいさんの手つきを見まねて、わら草履作りに挑戦する子どもの「難しかぁ。」の言葉におもわず会場に笑いがこぼれました。これらの活動を通して子どもはおじいさん・おばあさんを尊敬する気持ちが生じます。おじいさん・おばあさんの生活や遊びの工夫を学び取ることができます。
 会食では話し合いの中でおじいさん・おばあさんの心の優しさを学びとることができます。
(5)授業例
@「うわー、○○さんのおじいちゃんはすごい」(2年生の校区探検での筍ほり体験)
 これまでの2年生の校区探検は担任がクラスの子どもを連れて校区を周り、「ここが郵便局です」、「ここが農協です」、「ここは○○君の家」などと建物や場所を確認しているだけでした。私は「せっかく校区を探検するのであれば、校区探検でしかできない体験を子どもにさせたらどうか。そのために家庭や地域の協力を願ってはどうか。」と提案しました。
 担任がこの提案を受け熟慮の末、一人の子どものお祖父さんとお祖母さんにお願いして、校区特産の筍ほり体験をしたときのことです。子どもたちが孟宗竹の山に入って筍をほろうとするがどこにも筍は見あたらない。子どもはどこをどうほればよいか分からない。そんなとき、お祖父さんが地面の感触を楽しむように歩いていて、突然「ここをほってごらん。筍があるぞ。」と子どもにほる場所を示されたそうです。子どもは半信半疑で、お祖母さんと掘り始めたら筍があったのです。このときの子どもの驚き。そして、「うわぁー、○○さんのおじいちゃんはすごい。」の言葉で出たのです。子どもはお祖父さんの長年の生活経験から靴を通しての地面の感触でどこに筍があるかを見極めることができる力に驚き、感動したようです。
 このことから大人の力、高齢者の力がわかり、それが尊敬へとつながると思います。
A「明日の授業まで待ちきれなかったので、昨日一人で暗闇公園を探検してきました。」(生活科)
 1・2年生の授業に生活科という学習があります。担任の創意工夫によってはいろいろな学習の展開ができます。1年生の校区探検です。学校の近所に林(森)の中を通る通学路があります。そこは、木が茂り、昼でも薄暗い所があります。そこに、倒木や葛があり、子どもにとって格好の遊び場があります。そこを通学する子どもが名付けた名前が「暗闇公園」です。校区で自慢できる場所探しの学習でこの暗闇公園を発表した子どもがいたのです。子どもがそこでの遊びの様子を話し、担任はデジタルカメラで撮影した写真をコンピュータで紹介するなどの工夫をしたのです。それらの取り組みにより、「暗闇公園」の存在を初めて知り、月曜日の学習が待ちきれなくなった一人の子が、日曜日に一人で「暗闇公園」を探検してきたのです。発した言葉が「明日の授業まで待ちきれなかったので、昨日一人で暗闇公園を探検してきました。」です。
 子どもたちは、担任の創意工夫により興味関心を高めていけば、自ら学ぶ意欲が沸いてくるものです。この取り組みがそれを物語っています。
B「あれ、ぼくのはどうして飛ばないの」(高齢者とのふれ合い活動での竹とんぼとばし)
 高齢者との触れ合い活動でのことです。おじいさんが飛ばすときはよく飛ぶ竹とんぼが、一人の子が飛ばすときは全く飛ばないのです。「おかしいな。どうして僕が飛ばすと飛ばないのだろう。」これがその子の疑問です。何回挑戦しても飛びません。おじいさんはなにも言わないで、優しく何度も飛ばしてみせました。子どもは一生懸命見ています。そして何度も飛ばしています。なかなか飛びません。おじいさんの飛ばし方を見ては自分でやってみる、失敗してはおじいさんの飛ばし方を観察する、そして飛ばすことを何度も何度も繰り返すうちに気付いたのです。「おじいさんは右手を前に滑らせて飛ばしている。僕は後ろに引いていた。」と。そして、おじいさんがするように右手を前に滑らせると飛んだのです。そのときの子どもの喜びようはご想像の通りです。
 飛ばし方の説明を一つもせずに体で教えられたおじいさんの態度、失敗してはおじさんの飛ばし方を観察し挑戦するこどものがんばりに心を打たれました。
 高齢者との交流でこのようなことも学習できるのです。
C校区百人一首大会に向けての練習風景 百人一首の遊び方を子供が親に教える
娘「ぼーっとしとらんで自分の前にある札ば、1枚か2枚は覚えんな」
母親「そぎゃん、おごりなすな」
娘「お母さんな私ばいつもこれ以上におごりよっとよ」
娘「ほら、札はそこにあったい。はよとらんな」
母「そぎゃん、せかせんたっちゃよかたい。はじめちだけんゆっくりよかろうもん」
娘「お母さんな、私にいつも、『いそげ、いそげ。』『はよ、せんか。』て言いよるとよ」
 これは、親子百人一首大会に向けて家庭で練習していたときの親子の会話の一部です。
 母親の感想は、「立場が逆転して、私の家での子供への接し方の間違いに気づきました。」というものでした。さらに、「大会では、緊張しました。1枚も取れんとではなかろうかと心配でたまりませんでした。こんなプレッシャーにうち勝って大会に臨んでいる我が子をすごいなーと思いました。見直しました。親としてとても良い経験をしました。」と。このような親子活動が、親子の関係をより濃密にします。

6 現任校で
 1学期が始まったばかりですが、先日ある地区の方から「小学校の子どもが川で泳いだり、川船で遊んだりして危険なので注意しておきました。学校でも指導ください。」との電話がありました。すばらしい電話だと喜びました。「お宮の裏で中学生がたばこを吸っています。」などの情報提供はよくあります。しかし、「たばこを吸っているところを見かけたので、吸わないように注意しておきました。」などの電話はほとんどありません。
 また、町の商工会からは「お店のガラスを不注意で割った小さい子どもが逃げようとしているのを見かけた高学年の子が、その子を連れて一緒にあやまりに来ました。ガラスを割った子には注意し、あやまりに連れてきた子は褒めておきました。」と。
 この二つは単なる情報提供だけでなく、そこで指導していただいたことに意義があります。
 自分では注意しないで、「学校はなんば教えよっとか」では、子どもは健やかに育ちません。 
 学校からは地域へ情報を提供し、地域からは学校へ情報を提供いただき、学校・家庭・地域が一体となって子どもが健やかに育つよう指導していきたいと考えます。

7 おわりに
 文化協会の方へのお願い。
 学校教育及び地域社会の教育への支援をお願いしたいのです。変化の激しい時代に生きる子どもの教育は学校だけではできません。学校・家庭・地域社会が連携して子どもの成長を支援していかねば、心豊かな子どもの育成は望めません。
 そこで、文化協会に所属している皆さんが持っていらっしゃる力を子どもの指導にも使っていただきたいのです。今、学校では人材バンクといって特技や技術を持っている地域の方を募集し、学校教育にお手伝いできる方を登録し、子どもの指導時にお手伝い願っています。この人材バンクに是非登録していただきたいのです。そして、社会科や生活科、クラブ活動、校外での活動で学校教育を支援していただきたいと思います。
 学校・家庭・地域社会の3者がスクラムを組んで子どもの健全な成長を支援していきましょう。ご協力よろしくお願いします。皆さんが学校教育の支援をしていただくことによって、子どもたちはより豊かな教育活動が体験できます。失礼な言い方かもしれませんが、子どもの指導に当たられることにより皆さんには新たな学習課題が生まれてきます。皆さんが持っていらっしゃる知識や技術を子どもにわかりやすく教えるには、どんな場面で、どんな言葉で、どのように教えたらいいかという課題です。その課題解決のために皆さんはまた学ばれます。これが生涯学習につながります。皆さん方の生き甲斐にもなると思います。
 子どもから高齢者までが、楽しく豊かに生活できるように皆さんのお力を学校教育にも使っていただくことをお願いして話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。