生きる力の育成
平成17年11月
甲佐中学校PTA家庭教育講演会

1 はじめに
  このレジュメを書いたのは、1週間前でした。この後、広島ではまたまた痛ましい事件が起きてしまいました。学校帰宅途中の1年生の子どもが何者かに殺されるという悲しく、憤りがこみ上げてくる事件でした。女の子はさぞ怖かったことでしょう。痛かったことでしょう。苦しかったことでしょう。私はこの事件の報道をテレビで見たとき、涙が止まりませんでした。というのは私にはこの子と同じ1年生の孫がいます。毎日、「行ってきます」「ただいま」と言って元気に学校に通っている孫と同じ1年生です。人ごとではありませんでした。
 お父さん、お母さんは「ただいま」と言って帰ることをなんの疑いもなく「行ってらっしゃい」と送り出されたことと思います。そんな中で、帰らぬ人となってしまったご家族の悲しみ、憤りは想像に難くありません。1日も早く犯人が逮捕され、安全・安心が確保されることを願います。
 このように人の命をいとも簡単に奪うことは決して許されることではありません。人の命をなんと思っているのでしょうか。このようなことが起きないようにするためにも「心の教育 人権教育」をさらに深めなければならないと思います。
 レジュメに書いています東京町田市の事件、都立町田工業高等学校1年生男子生徒が小学校から一緒だった同じ学年の女子生徒を滅多切りにして殺害するという事件でした。「自分につめたくなった」が殺人事件まで起こす理由だったと新聞・テレビは報じています。この事件を「どこでも起こりうる事件」ととらえるか、「極めて特異な事件」ととらえるかで私たちの子育ての対応が違ってくると思います。
 学校は「まじめでふつうの子だった」と発表しています。私は、あるところまでがふつうの子であって、あるところからはふつうの子ではなかったと思います。つまり、特異な事件ととらえます。つまり、「人の命の尊さがわかっていない子」、「人の命を奪うことがどれだけ恐ろしいことかがわかっていない子」、「自分の衝動を抑えることができない子」、「身につけておかねばならない社会性が身に付いていない子」だと思います。
 ふつうの子だったら皆さんのお子さんもいつ殺人事件を起こしても不思議ではないのですよ。そんなことはないでしょう。熊本県では、小学生・中学生・高校生の殺人事件は起きていません。保護者の皆さんの子育て、そして学校や地域の教育力が殺人事件を起こすような子どもを作ってはいないからです。本県ではと狭い考えではよくありませんが、将来に向けても絶対熊本から殺人事件を出さないようにしなければなりません。

2 社会の変化と子育ての変化
 よく子育てがむずかしくなったとか、変わってきたと言われます。私が小さい頃、皆さんが小さい頃とは環境がかなり変わっています。子育ても変わってきています。
(1)社会の変化
 社会そのものが急激に変化してきました。
 その第1が「技術革新」です。科学技術の進歩に従ってスピード化が求められるようになりました。結果だけが重視され過程があまり重視されなくなりました。子育てにもこの影響が出ていきました。「手塩にかける」とか、「手間ひまかける」ことがなくなりつつあります。例えば、ご飯を炊くのに炊飯器でボタン一つです。昔、私はよくはがまでご飯を炊いていました。はがまでご飯を炊くこつを言い表した言葉ご存じでしょうか。
 「始めちょろちょろ 中パッパ 赤子泣いても蓋取るな じわじわ時に火を引いて 10分たったらできあがり」
 このように時間をかけて、そして過程を大切にした子育てが重要ではないでしょうか。結果だけを見ていると「努力」する価値が見失われます。子どもたちは何かができなかったとき、「能力」のせいにして「努力不足」を反省することが薄れます。
 第2は産業構造の変化です。家族と共に働く機会が減少しています。農業にしても機械化により多人数での農作業はありません。親が働く姿を見ることがありません。いわゆる背中の教育がなくなりつつあります。
 第3は経済成長(消費社会)がもたらす子育てへの影響です。昔はどこも貧乏でした。貧乏が子育てをしました。私は農家の長男です。洋服や履き物を買ってもらうのは盆と正月でした。盆になると、そのころは「さるまた」といっていましたが、パンツを買ってもらっていました。それとランニングシャツ。盆は真新しいパンツとシャツが着れるからうれしかったのです。欲しくても正月や盆まで買ってもらえませんでした。私が5年生だったと思います。私の家では働き手がみんな病気にかかり、1週間ばかり農作業ができませんでした。田も畑も草が生い茂り、米が平年の3分の2くらいしかとれませんでした。正月には冬物の洋服を買ってもらえると楽しみにしていたとき、父が「有紀、今年は服は買ってヤレン。がまんせ。」と目に涙をためて言いました。私は我慢するしかありません。弟たちに買ってやらねばならないからです。このように自然と我慢することが身に付いたものです。今は、子どもがモノを欲しがるとたいてい買ってもらえます。子どもの欲求は再生産されます。次から次へと欲しいものが増えていきます。そしてそれが叶えられます。我慢する必要がありません。このことは心すべきことです。
 第4は、情報化社会の弊害です。特に性に関する情報の氾濫です。知らないでよいことまで知ってしまいます。最近の週刊誌やテレビ報道等のぞき趣味的傾向にあるような気がしてなりません。 益城町教育委員会では明治・大正・昭和時代の貴重な写真を集めています。先日、あるお年寄りの女性の方が自分が若かった頃の写真を持ってお出でました。昔の写真がいくつもありました。その中の一つ、「これは処女会の写真」と言って若い女性ばかりが写っている写真を見せられました。皆さん、「処女会」とは何かご存じですか?今や「処女会」という言葉は死語に近いのではないでしょうか。結婚まで処女を守るなど昔のことになってしまっているようです。自分を大切にするということと関連づけて性教育をもっと推し進めることが必要ではないかと思います。
 第5は、価値観の多様化です。多様化というより希薄化と言った方が適当かもしれません。「これくらいは良かろう」が多くなったようです。これが規範意識の低下につながっています。今も昔も許されないことは同じだと思います。
 第6は、都市化の進行です。これにより人と人とのつながりが薄くなってしまいました。子どもたちが自然の中で遊ぶことが減っています。昔から言われていることです。「隣の人は何する人ぞ」知らない人が多くなりました。冒頭で言いました、東京町田での高校生による殺人事件のとき、隣近所の人が何人も悲鳴声を聞いています。部屋で大騒ぎがあっていることに気づいています。もし、誰かが警察に連絡していたらもしかしたら女子高校生が死ぬとことにまで到らなかったかもしれません。
(2)家庭の変化
 家庭環境も大きく変わりました。
 第1は、少子化の進展です。少子化によって兄弟姉妹での切磋琢磨、教え合い等の人とのふれあいが減少しました。昔は兄弟姉妹でけんかもしました。意地悪もしました。しかし、助け合ったり教えあったりしていました。それが社会性、社交性を育成していたのです。
 第2は、核家族化です。祖父母等から心のぬくもりや思いやりを学ぶ機会が減少しています。3世代同居により、嫁姑の問題はありましたが子どもたちはおじいさん、おばあさんからいろんなことを学びました。特に優しさを学んできました。今の子どもたちはこの機会に恵まれていません。私のところも子どもたちは自分たちで生活しています。1週間に1度くらい孫を連れて遊びに来ます。孫はかわいいものです。時々遊びに来る孫をかわいがります。これが今、新たな家庭教育の課題となりつつあるようです。親に言っても聞いてもらえないことを祖父母に言って聞いてもらうということが起きているようです。これは考え直さねばなりません。
 第3は、学歴偏重の考えによる高等教育志向、子どもの遊び、諸体験の減少です。「家の手伝いはよかけん、勉強ばしなっせ」が変な人間を作り出しています。外で群れ遊ぶ子どもが少なくなりました。
 第4は、価値観の多様化です。自分の権利を主張することは大事なことです。しかし、「自由」の理解違いにより、何でもありです。アメリカでは新聞記者になった人への新人教育で必ず次のことは言うそうです。「君はこれから自分の見たり聞いたりしたこと、自分の思いを何でも書ける。しかし、満員の劇場で火事でもないのに「火事だ」という権利はない」と。
 第5は、親子関係の変化です。親と子は感情的関係だと思います。感情がぶつかりあうことがしばしばだと思います。それが学校の先生と生徒のような社会契約的関係とか友人関係へと移行しているようです。私は、親は子を躾けるとき、あるいは子が悪さをしたとき、殴ってもわからせる場合があると思います。私事ですが、私の二人の子はいろんなことをしでかしました。長男が高校生のときです。2階の自分の部屋に行ってなかなか下りてこないときがありました。私は気になって長男の部屋に行きますと、真っ暗な部屋にぼーっと赤いものが見えます。息子がたばこを吸っていたのです。それに気づいた私は夢中で息子を殴りました。ほっぺたがはれるほど殴りました。2階での騒動を何事かと思って妻があがってきました。簡単にわけを話すと、妻は自分より大きな息子に向かって「私はあんたをそんな人間に育てた覚えはなか」と体当たりしました。息子は私と妻の態度から自分の心の弱さを反省したようでした。
 次男は高校生のとき、部活動の試合後の打ち上げを食堂でしました。アルコールも飲んだようです。解散するとき、高校名を大声で名乗り万歳三唱をしたらしいのです。それを聞いていたお客さんが学校に通報し、翌日から自宅謹慎です。義母は「今時、高校生でも少しくらいアルコールも良かろうに。自宅謹慎とは。」と言います。私は「その考えがこういう結果になった。社会でしてはいけないことは家庭でもしてはならないことを私たち大人が反省しなければどうしますか」と義母をたしなめました。ふり返ると、夕ご飯を食べるとき、ビールを飲みながらおまえも1杯どぎゃんや」と言っておりました。これがいけなかったのです。本当に反省しました。
 私が担任しているとき、集団万引き事件がありました。謝りに行った形が3通りありました。1つは両親と本人とで謝りに行った家庭。1つは母親と子ども。もう一つは母親だけ。母親と子ども、母親だけで謝りに行った家庭の子は再発しました。両親が肩をふるわせ謝っている姿を見た子どもは、親をこんなに悲しませるようなことをどうしてしたのだろうかと今更ながら自分がしたことを悔い改めます。これが自己抑制、自己規制となり再発防止になるのです。それは万引きという行為だけにとどまらず、生活すべてに波及していきます。子どもが問題行動を起こしたときの問題は、子どもがどうするかではなく親がどんな行動を取るかです。我が子です。本気でときには厳しく、ときにはやさしく躾けたいものです。私はお父さんに「強さ」をお母さんに「優しさ」を教えて欲しいと思っています。

3 子どもさんは将来どんな大人に育って欲しいですか?
 ところで、皆さん。子どもさんは将来どのような人になって欲しいですか?今から聞きますので該当するものがあったら手を挙げてください。何度でも良いです。
 ○経済的に人の世話にならない人
 ○人に迷惑をかけない人
 ○人から好かれる人
 ○社会に役立つ人
 ○親孝行する人
 「こんな人になって欲しい」のこんな人を5つ挙げました。もっとたくさん「こんな人に」という理想像があると思います。それを互いに出し合い、その理想像に近づくためにはどのような家庭教育をするといいかを議論しあってください。学級懇談会で話し合ったらどうですか。この話し合いが進学にも必ず良い影響を与えるはずです。

4 自立でき、人と調和して暮らせる人に育てるために(生きる力を育てる)
 今、お聞きした「こんな大人に」をひとくくりにすると「自立でき、人と調和して暮らせる人」となるでしょう。「自立でき、人と調和して暮らせる人に育てる」ということは「生きる力を育てる」ということです。
 「生きる力」とは、今の学習指導要領のキーワードです。1つには自ら課題を見つけ、自ら学び考え、課題を解決する脂質や能力、2つは他を思いやる心など、3つはそれらを支える健康や体力のことをさしています。
 しかし、「生きる力」をこのようにひとくくりにしないで、「生きる力」にはどんなものがあるかを具体的に挙げてみて欲しいのです。その力を子どもにはぐくむには日頃からどのようなことを指導すべきかを議論して欲しいと思います。その一つの方法をAさんから聞いたからといって、そのままを我が家で実行に移さないことです。今は「お袋の味ではなく袋の味」となってしまったという言葉がありますが、料理ばかりでなく、聞いたことをそのまままねするのは袋の味と同じことです。聞いたことを、我が子の特性や我が家の実情などを考えて自分なりに少し色を付けて実行に移すことです。それが「お袋の味」となります。
 私の孫は1900gの超未熟児で生まれました。無事に育つだろうかととても心配しましたが、本人の強い生命力、息子夫婦の深い愛情、病院の先生の手厚い看護で大きくなりました。孫のような未熟児ではなくとも、人間の子ほど、ひ弱な状態で生まれる子はいないそうです。何年も親が保護しなければ生きていけません。ですから、子育てとは子どもを「保護」することから子どもが「独り立ち」することへの支援です。
 その「保護」には「世話する」「指示する」「与える」「受け容れる」があります。世話をしなければ子どもは生きていけませんが、世話のし過ぎは子どもの自立を妨げます。指示も同じです。小さな子どもは指示されなければ自分で判断することはできません。しかし、指示のし過ぎでは子どもは自分で判断する必要がなくなります。まさに、指示待ち症候群を親が作っていきます。モノを与えなければ子どもは自らモノを得ることはできません。しかし、与えすぎると子どもの欲求は増すばかりです。我慢する心が育ちません。受け入れることも同じです。子どもの考えや行動を親が受け入れなければ子どもは自分の気持ちを表すことができなくなります。しかし、何でも受け入れてしまうと子どもはわがままな人間になります。つまり、この「世話」「指示」「授与」「受容」の4つは子どもにとって絶対必要ですがそのありようが問題なのです。「世話」や「指示」、「授与」、「受容」のし過ぎが過保護です。逆に足りないのが放任です。
(1)基本的生活習慣を躾ける
 子育てには保護と同時に基本的生活習慣を躾けられます。私は基本的生活習慣のもっとも基本となるものは「うそをつかない」「どろぼうをしない」「無益な殺生はしない」ことと、「あいさつをする」「ハイと返事する」「後片付けをきちんとする」の6つだと思います。これができれば時間を守ることも、無駄遣いしないことも必然的にできるようになります。
 甲佐小学校にいるとき、甲佐町の成人式に出席しました。甲佐町の成人式はとてもすばらしい成人式です。町長を始めいろんな方があいさつされるとき私語一つありません。整然とした規律ある成人式です。しかし、ただ一つ、係が成人者の名前を読み上げるときほとんど返事がありません。今は、子どもばかりでなく大人も返事する人が少なくなりました。まずは、家庭で名前を呼ばれたら返事することを繰り返し躾けて欲しいと思います。中学生にもなって今更ではなく、中学生だから返事をすることの大切さは理解しているはずですから躾けやすいと思います。学校の授業でも繰り返し躾けて欲しいのです。家庭でも学校でも大人と子どもの根比べです。
(2)心を育てる  
 今の子どもたちには心が育っていないとよくいわれます。これも「心」ひとくくりにせずにどんな心を持って欲しいのかを一つ一つあげてみることです。
 私が思う子どもに持たせたい心です。「正義感」「卑怯を憎む心」「人を敬う心」「報恩感謝の心」「向上する心」「倫理観」「ルールを守る心」「善悪の判断」「ありがたいと思う心」「がまんする心」「もったいないの心」「謙虚な心」「人を思いやる心」「感動する心」など挙げればもっとあるはずです。これら「心」も学級懇談会などで皆さんで互いに挙げあってみてください。
 「情緒を育てる」このこともとても大切です。「成し遂げたよろこび」「克服したよろこび」「恥ずかしいおもい」「悔しいおもい」「辛いおもい」「悲しいおもい」「腹が立つおもい」などなど。
そして、これらの「心」や「情緒」はどうすれば子どもに育つかを考えて欲しいのです。毎日、毎日、「向上する心を持て」と口を酸っぱくして言い続けても子どもに向上する心は育ちません。子どもと身近な目標や夢を語り、その目標や夢に向かって挑戦する態度を褒めたり、激励したり、叱咤したりして評価してやることによって向上心は育つでしょう。このような方法論をPTAでは話し合うことができます。PTAとは同年齢の子ども、異年齢の子どもをもつ異年齢の親の集団です。既に経験済みの方、まだ未経験の方いろいろいらっしゃいます。互いに教え合い、学びあうことができるのがPTAです。
(3)対人関係のスキルを教える
 先ほどもお話ししましたが、少子化や核家族化による家族間の交流が以前と比べてかなり減少しています。また、同じクラスの友だち、同じ部活の仲間との交わりが多くなっています。異質の友だちとの交流の機会が少なく対人関係のスキルを学びとることができない子どもが多くなっています。冒頭にお話ししました東京町田市の高校生もこの対人スキルが身に付いておらずに自分勝手に思いこんでいたところが強かったのでしょう。この「コミュニケーション能力」を身につけることはとても大切なことです。できるだけ異年齢、異質の友だちと交わりを多く持つ機会を作ってやりたいものです。
(4)体力を身につける (5)基礎学力を身につける
 体力や健康、学力については常に学校からお話しがあっていることと思いますので割愛します。

5 豊かな体験活動ができる環境づくり
 これまで生きる力としての「心」をお話しして参りましたが、体験活動が豊富な子どもほどこのような「心」がはぐくまれているという調査結果が文部科学省から発表されています。子どもに色々な体験活動をさせて欲しいのです。
 ことわざに「人は体験したことのないことはできない」というのがあります。体験したことのないことはできません。このことを物語っている事例を紹介します。
 大学の先生から聞いた話です。お母さんが魚を焼いているとき、息子に「大根をおろしてちょうだい」と言ったそうです。息子はどうしたと思いますか。そうです。調理台から床に大根を下ろしたそうですよ。同じおろすでもとんでもないことです。皆さんのところは大丈夫でしょうか。
 幼稚園の先生から聞いたことです。教育実習に来た学生に「○○先生、先生方にお茶入れてください」と頼んだらお茶が入った様子がないのだそうです。園長先生が「お茶入れたの?」と聞いたら「いれました」と。職員室に行ったら先生たちのお茶碗が並んでいて、その中にお茶の葉が一つまみずつ入っているのだそうです。中国茶ではないのです。日本のお茶ですよ。日常の家事を小さい頃からさせておいた方がよいようですね。
 私は益城町公民館講座の「男の料理」教室に通っています。熟年離婚や高齢離婚ばやりです。いつ離婚されても生きていけるように料理の仕方を学んでいます。先日、先生が「おとしぶた」の話をされました。若い女性グループの料理教室で「おとしぶた」で調理をされたそうです。講座生に「おとしぶた」で煮込みましょうと言ったところ、講座生は蓋をしたままの鍋に上から肉を落としたそうですよ。
 病院の先生から聞いたことです。新婚らしき若い女性が手のひらを包帯でぐるぐる巻いて飛び込んできたそうです。「どうしましたか」と尋ねると、みそ汁を作ろうと思い、豆腐を切ろうとしました。まな板の上に豆腐をのせて切ろうとしましたが、ふとお母さんが豆腐を手のひらにのせ切っていたのを思い出し、手のひらで切ろうとしたのです。豆腐と一緒に手のひらも切ってしまいました。と。私も手のひらの上で豆腐を切ります。おわかりのように、包丁を上から落とすのではなく引いてしまったのですね。豆腐も切れ、手のひらも切れてしまったのです。
 このように体験したことのないことはできません。
 子どもが小さいときから家事に引き込もうではありませんか。お手伝いをする子ほど道徳観・正義感が充実するのです。
 学校の道徳の学習においても、体験活動をもとに道徳の学習が進められています。身体を通した経験から心を育てるのです。
 昭和の終わりから平成のはじめの頃、当時の文部省の事業で「フロンティアアドベンチャー事業」というのがありました。無人島であるとか山の中で10泊11日のキャンプをするのです。小学4年生、5年生、6年生、中学1年生、2年生、高校1年生、2年生の7人で1つの班を作り10班総勢70人で久木野村の山の中でキャンプをしたことがありました。この夏は雨続きで毎日雨が降り続きました。ある日はものすごい豪雨でキャンプ地の竈が水浸しになり殆どの班がご飯が炊けませんでした。スタッフの班だけがご飯が炊けました。私たちは朝ご飯を食べることができました。子どもたちは私たちのところに来て、「ご飯をください」とそれこそよだれを流さんばかりにして訴えます。私たちはかわいそうになり「少し分けてやろうか」と言いましたが、キャンプ協会の人は「だめです。1食や2食ご飯を食べなくとも人は死にません」とご飯を分けてはやりませんでした。子どもたちは腹が減って必死です。自分たちの竈は水浸しでご飯が炊けないのに、なぜスタッフの竈ではご飯が炊けたのだろうかといっしょうけんめい観察していました。そして、発見したのです。竈の周りに排水溝が作ってあること。雨が降り込まないようにビニルシートで覆いをかけていることを。さらには焚き物もビニルシートで覆っていることを。それからみんなでそのようにして雨が降ってもご飯が炊けるようになりました。子どもたちが「ご飯を分けてください」と言ってきたとき、もし分けてやっていたらこのことを発見することができたかは疑問です。生きる知恵を子どもたちは学び取ることができました。
 私は兄弟4人でしたので、1番下の子をよくおんぶして遊んでいました。遊びに夢中になり、帯がほどけかけ、落としそうになり「おまえは弟を殺す気か」と注意されたことがありました。ときには、背中がジワーッとぬくくなり小便を漏らされたこともありました。こんな経験をしながら「生きる」ことについて色々なことを学びました。兄弟愛が家族愛が芽生えてきました。これはほんの一つの例ですが、生活体験が豊富な子どもほど道徳観・正義感が充実することは紛れもない事実です。
 今の子どもたちの中で、日の出を見たことがない、日の入りを見たことがない、流れ星を見たことがない、1000m以上の山に登ったことがないなど、自然体験をしたことがない子が増えています。私は昨年、シルクロードを妻と二人で旅しました。そのとき、カシュガルからウルムチまで南疆鉄道に23時間ばかり乗って旅しました。このときタクラマカン砂漠からの日の出を見て、とても感動しました。わざわざよそに行かなくとも我が家から見る日の出も感動します。日の出を見ていると厳粛な気持ちになるでしょう。日の入りの夕焼けはとてもきれいでしょう。「うわー、きれい」このような体験の積み重ねが心をはぐくむのです。自然体験が豊富な子どもほど道徳観・正義感が充実するのです。
 子どもたちにいろんな体験をさせましょう。

6 おわりに
 約束の時間になってきました。最後にお父さんに望むことです。子育てに大いに加わって、「強さ」と「厳しさ」を教えてください。私はこれを「父性」と思っています。「正義感」「卑怯を憎む心」「人を敬う心」「報恩感謝の心」などは父親が子どもに教えるべきです。そして、子どもから「大きくなったらお父さんの仕事をしたい」と言われるような父親になってください。
 お母さんに望むことです。子どもとの交わりの中で「優しさ」を教えてください。私はこれを「母性」と言っています。「人を思いやる心」「やさしい心」をはぐくんでください。そして子どもから「お母さんの料理はおいしくて大好き」と言われるような料理を毎日とまではいかずとも1週間に2度か3度はつくってください。
 まちがっても「勉強せんと、お父さんのようになるよ」ということだけは言わないようにしてください。これは自己否定です。好きで結婚した人を否定することです。自己否定の何ものでもありません。こんな言葉ではなく、それとなくお父さんには夕ご飯のおかずに1品加えてください。きっと子どもたちのお母さんの心に気づくはずです。
 家庭によっては、お父さんと子ども、あるいはお母さんと子どももあるかもしれません。お父さんがお母さんが1人2役でこの父性と母性を持って子どもに接して欲しいと思います。
 「くまもと家庭教育10か条」については、校長先生のご挨拶の中にあったとおりです。是非とも我が家の家庭教育の指針を1つ付け加えてください。
 私が日頃思っていることを一方的にお話ししました。何か漫談のようになりましたが、甲佐中学校の子どもたちが健やかに育ちますことを念じてお話しを終わります。
 長時間ありがとうございました。