生き方に関する講話




                     若竹のように成長しよう

 今日は、七滝小学校の周りにある竹についてお話をします。
 私たちの学校の周りにはたくさんの竹山がありますね。竹の種類は、もうそう竹、くろ竹、ま竹、め竹などたくさんあります。もうそう竹は日本の竹の仲間では1番大きいものです。
 もうそう竹は、冬、母親のためにたけのこをほった親孝行息子の「孟宗」という人の名をとって「もうそう竹」という名が付いたと中国の昔話にあります。世界では、約600種くらいの竹があるそうです。
 この竹を使っていろんなものが作られています。1番簡単な物は花瓶、みんなが遊びに使う竹馬や竹鉄砲、水鉄砲、少し手を加えて孫の手、耳掻き、そしていろんなかごなどがあります。竹は私たちの生活にはなくてはならないものです。今が旬の筍はおいしいですね。
 毎日見慣れているこの竹の成長に、私たちが習うことがたくさんあります。どのようなことだと思いますか。ちょっと考えてみてください。
 まず、竹の根っこ、どうなっているか見たことありますか。竹の根は互いに協力しあいがっちりとスクラムを組んで台風や大雨にもびくともしないように大地に根をおろしています。昔から、「地震の時は竹山に逃げよ」と言われているのはこのようなことからです。
 次は、竹の節です。みなさんもよく知っているように竹にはたくさんの節がありますね。これは一節一節成長していることです。節ごとに成長しているので、とても強くてしなやかです。風が吹いても、大雪が降っても木に比べて竹はなかなか折れません。
 3番目は、竹がまっすぐにすなおに伸びていることです。雨風にも、雪にもじっとがまんして成長し続けています。
 私は、みなさんが、この竹の良さを真似て立派な七滝小学校の子供に成長してほしいと思います。
 それは、竹の根ががっちりスクラムをくんでいるように七滝小学校55人がみんなで手を組んで頑張ることです。晴れの日や雨の日、風の日、大雪の日があるように皆さんの生活の中にも楽しいときや苦しいとき、じっと我慢するときなどいろんな時があるでしょう。そのときそのとき、1年生から6年生までが一つになって、助け合い、励ましあいながら、頑張ってほしいのです。
 また、竹に節があるように私たちの生活にも1つの区切り、つまり節目があります。それは、お誕生日であったり、学習発表会であったり、入学であったり、修学旅行であったりです。その節目節目で自分のことを振り返りながら、よかったところはもっともっと伸ばし、悪かったところは改めながら成長していきたいものです。
 さらに、竹は1節ごとに真っ直ぐに伸びています。このように真っ直ぐで素直な心の持ち主になってほしいことです。お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんの話、先生の話をよく聞きく子供になってほしいと思います。
 七滝小学校のみなさんはこれから大きく成長する「若竹」です。
 若竹の限りない成長を願って今日の話を終わります。



                            ゆずってもらった生命を大事に使いましょう

 田んぼの稲が黄色く色づき始めました。今年は、6月に台風が2つも来て、夏にも台風や長雨が続き、稲の出来具合が心配されたのですが、例年と同じように豊作のようです。もうすぐ稲刈りが始まることでしょう。私たちの大切な食べ物であるお米が今年もたくさん収穫できそうです。
 私が子どもの頃、お米が足りなくなると、米の変わりに、毎日毎日、からいもやじゃがいも、かぼちゃのようなものばかり食べていました。それも家族みんなで少しづつ分け合って食べたものです。
 さて食事といえば、ハンバーグとかカレーライス、あるいは焼き肉など肉を使ったごちそうが好きな人がたくさんいると思います。また、今は魚ではサンマがとてもおいしいときです。魚が好きな人も多いと思います。
 私たちが喜んで食べている肉は、いろいろな動物の肉なのですよね。皆さんがよく知っている動物、例えば、ニワトリ、ウシ、ウマ、ブタ、昔はクジラなどもよく食べました。どれも普段はおとなしい動物ばかりです。思えば何ともかわいそうで申し訳ない気持ちになります。
 だからといって、肉や魚を食べるのをやめることができるでしょうか。
 やめられませんね。
 そこで、肉を食べなければならないわけをみなさんようく考えてほしいのです。
 このことについて、一生懸命考えた人は次のように言っています。
 「人間が、動物の肉を食べるわけは、私たち人間の命は動物の命を譲ってもらわないと生きられないからだ」ということです。
 ライオンなど肉食動物といわれる動物は、絶対に無駄な殺しをして、動物の肉を食べるようなことはしないそうです。生きるために必要な分だけ他の動物の肉を食べるのだそうです。それは、大事な大事な命だからです。
 動物の世界で一番進化している人間ですから、このことをしっかりとわかっておきたいと思います。私たちに命を譲ってくれる動物たちにしてあげられることは、「譲ってもらった命を大切に立派に使うこと」です。また「動物の命を大切にすること」です。
 もし、それができないといつか突然、動物たちに人間はほろばされるかしれません。



                  パンドラの箱

 きょうは「パンドラの箱」というお話をします。
 むかしむかしあるところに、パンドラという大変かわいらしいひとりの女の子が住んでいました。
 パンドラは明るくて大変心の優しい子どもでした。パンドラは森の小鳥たちや野原の美しい花たちを友達にして毎日楽しく暮らしていました。パンドラが行くと森の動物や小鳥たちがみんな出てきておいかけっこをしたり歌を歌ったりして遊んでくれるのでした。草花たちはいい匂いをさせて優しく話しかけてくれました。
 その日もパンドラは朝から森へ出かけて行っていつものように元気に遊んでいました。
 すると森の奥の方から「モシモシ、モシモシ」という声がします。「何だろう」と思ってパンドラが声のする方を見ますと、そこには白くあごひげを生やして白い着物を着た一人のおじいさんが立っています。おじいさんは右手に杖をついて、左手に小さな箱を持っています。パンドラがびっくりして見上げるとおじいさんは優しい声で「お嬢さん、毎日元気に森で遊んでいてお利口さんだね。今日はおじいさんがご褒美にこの箱をあげましょう。けれどもこの箱は決して開けてはいけませんよ。」
 おじいさんはそう言って手に持っていた小さな箱をパンドラの手にのせると森の奥の方へ消えていきました。その箱はとてもきれいでピカピカ光っていました。
 パンドラはその箱を大切に家に持って帰りました。けれども中に何が入っているのか分かりません。振ってみても何の音もしません。
 おじいさんから決して開けてはいけないと言われましたがどうしても中が見たくてたまりません。そしてある日、とうとう我慢しきれなくなって「少しくらいならいいだろう」と思ってそうっとふたを開けて中を覗いてみました。
 するとどうでしょう。ワアーンという音がしたかと思うとふたの隙間から苦しみ、悩み、ねたみ、悲しみ、不満、不平など、これまでは人間の世界になかったいやなことがたくさん飛び出して世界中に散らばりました。そのときから人間はつらい思いや苦しい思い、悲しい思いをするようになりました。
 けれどもそれから長い間、人間はどんなつらいことにあっても、どんな悲しいことにあってもへこたれないで生き続けてきました。それは箱の中からたった一つ「希望」というものが出てきたからです。
 人間はどんなにつらいことや悲しいことがあっても「希望」があったのでそれらに勝つことができたのです。それは真っ暗な夜の空にキラキラと光った一つの星のようなものでした。
 この話のように私たちも「希望」をもって生きていきましょう。



               心の埃、物の埃を取り除くすす払いをして1年を締めくくりましょう

 もうすぐ、平成9年(1997年)も終わり、新しい年を迎えます。
 今年1年間を振り返って、頑張ったこと、十分にはできなかったこと、良かったこと、だめだったことなどを整理して、1年間の区切りをつけましょう。
 今年1年間に皆さんは多くのことを学びました。できなかったことができるようになったし、友達を思いやることができたし、体も大きくなりました。
 勉強にも、運動にも、遊びにも、たくさんの人の助けをいただきました。また、たくさんのものを使いました。助けていただいた人には1年間のお礼の気持ちを表し、使ったものにはついている汚れを落とし、1年間の締めくくりをしましょう。
 まず、皆さんの心の中に、お世話になった人への感謝の気持ちがあるかどうかを見つめてください。毎日、皆さんの食事のことから、健康のこと、楽しく学校へ通うようにと心配りをしてくださるお父さん、お母さんへの感謝の心をもっていますか。感謝する心ではなく、お父さんへの不満やお母さんへの不平の心があったりはしませんか。もしもそんな心が少しでもあったなら、皆さんの心は横着で、自分勝手という埃まみれになっているのです。皆さんのことを一番心配してくれる両親に、素直に「ありがとう」と言える心になるよう心のすす払いをきちんとやって欲しいのです。
 その他、今年1年間お世話になった方々がたくさん思い出されるでしょう。あなたを助け、力を伸ばし、楽しく遊んでくれた、先生、隣の人、友達などお世話になった人に、感謝の心を忘れてはなりません。そのようにしていただくことをあたり前のように思っている人がいたら、その人は間違っています。やはり、心に埃やすすがとりついていて、汚れてしまっていると言ってもいいでしょう。
 心の汚れを落とす大掃除は、誰の目にも見えません。皆さん一人一人が自分で自分の心に対して行うものです。自分でやり遂げることです。誰にも分かるように形で表すとすれば「1年間、御世話になりました。ありがとうございました」と心を込めて口に出して言ったらよいと思います。
 もう一つは、今年1年間お世話になったものに感謝し、お礼の気持ちを込めて汚れをきれいに落とす大掃除をしましょう。
 先週の授業参観の後で、皆さんのお父さん、お母さんは、皆さんが楽しく勉強や運動ができた感謝の心から、体育館や校舎の窓や壁などの汚れを落としてくださいました。
 皆さんも力を合わせて大掃除をし、学校の汚れを落としましょう。使ったものの掃除は誰の目にもよく見えますので、美しくなるのがよく分かります。気持ちが良くなります。
 また、皆さんのお家でも大掃除があると思います。皆さんも家族の一員として必ず大掃除に参加しましょう。そして、あなたにできることを一生懸命頑張りましょう。また、お父さん、お母さんが大掃除するのをよく観察しましょう。あなたが大きくなったら自分でできるように見習っておきましょう。
 1年の終わりを迎え、自分の心を美しく磨き、周りのものの汚れを落として今年の締めくくりとしましょう。



              自分で観て、考え、学習しよう

 今日は、私が昨日のテレビ番組を観て感じたことを話します。
 昨日のNHKテレビ「生きもの地球紀行」を観た人いますか。内容は、チンパンジーの話でした。
 皆さんはチンパンジーは道具を使うと思いますか。
 道具を使うチンパンジーがいるのですよ。
 どんな道具を使うのかと言うと、木の実を割るのに石を使うのです。木の実を割るのに、台になる石とたたく石を使っているのです。堅い木の実を上手に割って食べているのです。これは、チンパンジーにとっては生活の知恵と思うのですが、その道具の使い方をチンパンジーの世界では誰も教えないのです。自分でよく観察してやってみて、身につけるのです。私たちは、学校では先生から、家庭ではお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさんからいろんなことを教えてもらいますが、親チンパンジーが子チンパンジーにも教えないのです。
 では、どうやってチンパンジーは道具の使い方を覚えるのでしょう。
 それは大人のチンパンジーが道具を使っているところを一生懸命観察して、観察したことを自分でやってみて覚えていくのです。
 チンパンジーの能力では観察したことがすぐにはできません。何回も、何日も、何年も観察しては、実行してみる。できなければまた、観察して実行するのです。石でたたかねばならないところを自分の手のひらでたたいてみたり、手のひらがだめなら手の甲でたたいてみたり、失敗を繰り返しながら何度も何度も木の実割りに挑戦しているのです。やっとのことで石でたたくことを覚えても、木の実を割ることはできません。それは、実を上手にたたくことができなく、たたくと実からそれてしまうからです。
 子どもがどれだけ苦労していても親は知らんぷりです。ちっとも教えてくれません。でも、親チンパンジーは自分が道具を使っているところを子どものチンパンジーが観察することは少しもじゃまをしません。それで、子どもは親の石の使い方を一生懸命観察するのです。観察しては、やってみて、やってみては観察する。この繰り返しを何年も何年も続け、4〜5歳くらいでやっと木の実を割ることができるようになるのです。
 ところが、チンパンジーの能力では、この時期に道具の使い方を覚えないと大人になってからは、覚えることができないそうです。ですから、子どもの時に、道具を使う練習をしなかったチンパンジーは一生道具を使うことができません。
 私は、このテレビを見て「チンパンジーはすごいなー」と思いました。
 それは、道具の使い方を誰に教わるでもないのに、自分で観察して、やってみて自分のものにしていくからです。それと、子どもの時に練習して自分のものにしなければ、大人になってからでは自分のものにできないと、一生懸命努力するからです。
 私たちも、教えてもらうのを待つばかりではなく、自分から進んで勉強し、自分のものにしましょう。そして、「明日、勉強しよう」、「○年生になって勉強しよう」ではなく、今覚えなければならないことは今の学年できっちりと覚えましょう。



                          耳と目と心で聴こう

 みなさんは、「きく」という字を知っていますか。2年生で学習する漢字です。
 「門」を書いて、その中に「耳」を書きますね。
 この字のできかたをみると、門の所に行って、そーっと耳を澄ましながら、話を聞くという意味の聞くですね。
 もう1つ「きく」という字を学習します。きょうは、そのお話をします。
 もう1つの「きく」という字は、むずかしいので、中学校で習うことになっています。その字を書いてみます。
 この字をしっかり見つめてください。
 皆さんがお話を聞くときに心がけることが全部入っています。どんなことを心がければよいのでしょう。
 この字をバラバラにしてみるとわかります。
 どんな字がありますか。
 そうです。「耳」があります。「目」もあります。「心」もあります。
 「聴く」という字は耳、目、心で、できています。
 この字は誰かの話を聞くときは、「耳だけできいてはだめですよ。耳でしっかりきき、話す人から目を離さないできき、心でどんなことをいっているのかを考えながらよくきくのですよ」と言うことを教えています。
 これから、話をきくときは、耳できき、目できき、心できいて受け止めて欲しいと思います。
 勉強の時も、このような朝会や集会の時も、話し合いの時も、お友達の話をきくときも、「目と耳と心できく」このことに気をつけて、人の話がきけるようになったらすばらしいですね。
 「聴く」は、中学校で学習する漢字ですが、覚えられる人は覚えておくといいですね。



                       よく学び、よく遊べ

 今日は、「よく学び、よく遊べ」ということについてのお話をします。
 近頃、昼の休み時間に皆さんは、6年生を中心に陣取りをして遊んでいますね。校長室から眺めていると、皆さんとても楽しそうに走り回っていてほほえましい限りです。
 はじめは6年生だけで遊んでいましたが、5年生がかたり、4年生がかたりして、最近では3年生も参加して大勢で遊んでいますね。
 皆さんが遊んでいるのをよく見ると、上級生が下級生に陣の取り方や逃げ方などを教えている人がいるようです。また、下級生の中には、上級生の走り方や逃げ方をよく観察して、真似ている人もいるようです。たくさんの人で遊ぶのはとても楽しいでしょう。
 私はこの光景を見て、「よく学び、よく遊べ」という言葉を思い出しています。これは、元々は勉強も遊びも大切だから、どちらも一生懸命がんばりましょうという意味です。
 「よく学び、よく遊べ」は昔から言われていますが、昔は、学校で先生から教えていただくことが学ぶこと、つまり、勉強と考えられていました。そして、遊びとははっきり区別されていました。でも、私はこの「よく学び、よく遊べ」をそういう意味には思っていません。遊びの中にたくさん学ぶことがあると思っています。遊びを通して、私たちは大きく成長すると思っています。
 宮崎県のフェニックス自然動物園の竹下さんという園長さんから聞いた話を紹介します。
 猿の世界では、ボスと呼ばれる猿がいて群を統率していますね。力が強く、頭の回転が速く、判断力がある猿がボスになるのだそうです。そのボス猿のほとんどが、小さい頃は群れ1番の遊びが好きな猿だったということです。走り回って遊ぶのでおなかがすきますから、山のどのあたりに木の実が多いかをすぐに発見し、その実を採って食べる方法を考え、仲間に知らせたりするのだそうです。また、時には他のグループと衝突したりして、自分の行動範囲を覚えたりなど、いろんな経験をして、生きる力を身に付け、大きく成長していくのだそうです。猿も、遊びの中で学んでいるのです。
 皆さんが学校でお友達と遊ぶことの中で、また、家に帰ってからやお休みの日に家族や友達と一緒に過ごしたり遊んだりする中で自然に学んでいく大切なことがたくさんあります。
 皆さんの誰にも、「こんなことをして遊んでみたいな」「こうしたら楽しいだろうな」と思うことがあると思います。それをすることが「よく学び、よく遊ぶ」ことなのです。
 さて、あなたは、何をしたいですか。誰としたいですか。



                      お母さんに心から「ありがとう」を言おう

 毎年、5月の第2日曜日は母の日です。今年は一昨日の10日でしたね。
 亡くなられたお母さんをしのぶ人は、白いカーネーションを胸につけ、元気に生活しておられるお母さんにありがとうの気持ちを表す人は、赤いカーネーションを胸につけるのは、カーネーションが花言葉で「母の愛情」を意味するからです。
 お母さんに「お母さん、ありがとう」とあいさつをしたり、自分の心を表す贈り物をしたりして、ここまで育ててくれたお母さんに心からありがとうの気持ちを捧げるのです。
 「母の日」は、1908年5月の第2日曜日にアメリカで催されました。90年も前のことです。
 アメリカのバージニア州に2人の姉妹が住んでいました。姉さんは目が見えなく、妹のアンナは気だての優しい子で、お父さんとは早く死に別れ、教会の日曜学校の先生をしていたお母さんに育てられましたが、そのお母さんも苦労がもとで亡くなりました。
 2人の姉妹は、お母さんの命日に教会の友達を呼んでお母さんを偲んでいましたが、アンナは「お母さんが亡くなってから思い出の会を開くよりも、生きている間に感謝をする会をしたり、お母さんを大事にすることを誓った方がよい」と考えました。
 アンナは大統領などたくさんの人に「母の日を全国で開いてください」と頼んだところ、多くの人が賛成しました。そして、アメリカの議会で「第2日曜日を母の日とする」ことが法律で決まったのです。
 日本では、昭和24年(1949年)ごろから実施されるようになりました。
 みなさんは、一昨日の母の日ではどんな形でお母さんにありがとうを表しましたか。
 みなさんのお母さんは、みなさんに感謝されようと思ってみなさんを育てているのではないのですが、普段は、お母さんの愛情にすがって生活しているのですから、このような機会をつくってお母さんの愛を思い起こし、感謝の心を持つことが大切ですね。
 母の日に、カーネーションを胸につけたり、品物を送ったりすることも「お母さん、ありがとう」の気持ちを表すことですが、私は次のように思います。
 お母さんに対して感謝の心を持って「ありがとう」と言うことは、「明るく元気な子になるよ」とか「善い人間になろうと、生き生きと活動し、昨日よりも今日、今日よりも明日と前進するよう頑張ります」などと心の中でお母さんと約束をし、よりよい子ども、よりよい大人になるための努力をすることだと思います。
 さて、みなさんはどのような思いを込めてお母さんに「ありがとう」と言いましたか。



                          もどってきた「蛍の里」

 夜になると、皆さんの家の周りでは蛍が飛び交っているでしょう。
 今日は、その蛍についてのお話をします。
 「ほたるの里といわれたこの村も、天然記念物のげんじ蛍が見られなくなったなぁ」と、おじいちゃんやおばあちゃんは、いつもつぶやいていました。
 しかし、田や畑にあまり薬を使わないなど川の水を汚さない努力をするようになってからは、6月になると、時々蛍が飛び交うのが見られるようになりました。
 これを見た村の人たちは、「おらが村にも、もう一度蛍をよび戻そう」と相談しました。蛍は、きれいな水が流れているところにしか育ちません。
 村の人たちは村の川をつくりかえて、きれいな水を流すことにしました。子どもたちも土曜日や日曜日になると、お父さん達と川つくりをしました。川には谷川のきれいな水をひきました。蛍の幼虫が流されないように川底を階段のようにしたり、川の流れを曲げたりしました。また、川岸に石を積んだり、水草を浮かべたり、川の近くに花を植えたりしました。
 大人の人たちは蛍の幼虫を集めました。蛍の餌になる「かわにな」の育て方を大学の先生に教えてもらいました。子どもたちも理科辞典などで調べました。
 蛍をよび戻そうと村を挙げて仕事を始めてから3年目、これまでの努力が実ってかわになが育ち蛍の幼虫も増えてきました。6月になると幼虫が次々とかえって、青白い美しい光をつけたり消したりして飛び交いました。
 とうとう、梅雨の晴れた夜、「蛍の夕べ」を開くことができるようになりました。
 「やっと、昔のほたるの里が戻ってきた」とおじいちゃんやおばあちゃん達も大喜びです。
 このお話は、熊本県のある村の実際にあったお話です。
 お話の中にもあったように、蛍はきれいな環境の中でしか育ちません。蛍がたくさんいるということは、とてもきれいな環境にあるということです。
 この七滝地区では、たくさんの蛍を見ることができますね。
 いつまでも蛍の飛び交う様子を見ることができる七滝地区でありたいですね。
 私たちはこのきれいな七滝地区の環境を守っていきましょう。



                              力一杯最後まで頑張ろう

 6月14日、日曜日の夜9時30分からのサッカーワールドカップ、日本対アルゼンチン戦をテレビ観戦した人も多かったことと思います。
 テレビで応援していた人は何人くらいいますか。
 残念ながら日本は1対0で負けてしまいましたが、とてもすばらしい試合でした。
 日本の選手は初めてのワールドカップ出場でかたくなったり、張り切りすぎたりして自分の持っている力を出し切れないのではなかろうかと心配していましたが、選手の皆さんは全員はつらつとプレイしていましたね。
 特に日本の司令塔といわれている中田選手は常にボールのあるところに自分の身体を持っていっていました。
 縦105メートル、横68メートルの広いコートの中でドリブルでボールを相手陣地に持っていき攻撃に参加したり、相手の攻撃から見方のゴ−ルを守る守備に参加したりの大活躍でした。
 あの広いコートの中で前後半90分走り回るわけですから、体力はとても必要ですね。それに加えて相手や見方の選手の動きを読みとる力、一瞬の判断力、決断力などたくさんの力が必要になります。特に相手や見方の選手の動きからボールがどの方向に行くだろうと予想して無駄な運きをなくし、すばやくボールを自分のものにするところは私たちの毎日の生活の中に是非取り入れまねをしたいものです。
 後半残り10分過ぎての日本のがんばりは見事でした。
 最後まで、試合をあきらめずゴール目指して11人が心を一つにしてボールに集中して力一杯がんばりました。結果は負けてしまいましたが、選手の皆さんには勉強したことがいっぱいあったと思います。
 皆さんも応援して勉強したことがたくさんあったことでしょう。
 私もテレビ観戦して、たくさんのことを学びました。先を読みとる力の大切さ、仲間を納得させて指示することの大切さ、後でしまったと思わないように判断・決断することの大切さ、力を合わせることの大切さ、最後まで頑張ることの大切さなどなどです。
 皆さんも日本の選手のように、何事にも最後まであきらめず自分の持っている力を出し切り頑張って欲しいと思います。
 それが、こんな子どもであって欲しいなという本校の児童像の一つ「人に頼らず最後まで頑張る子」につながっていきます。



                    星に願いを

 今日は、何月何日ですか。
 そうです。7月7日、七夕の日です。天気も良いので、天の川や織り姫、彦星も見えることでしょう。そこで、「星に願いを」のお話をします。
 先日私の家で、大学生になる子どもの友だち5人と一緒に夕ご飯を食べました。その友達の中にお隣の国、中国からの留学生「劉さん」、「遼さん」がいました。私がびっくりしたのは、その二人が「日本の歴史を学ぶこと、文化を学ぶこと、生活習慣を学ぶこと」とはっきりした目標を持っていたことでした。そして、「中国に帰ってから日本のことを母国の人に教えるのが夢」だと話をしてくれました。私たち家族に目をキラキラ輝かせて次から次に質問してきます。自分の目標に向かって一生懸命勉強している姿がわかりました。
 目標に向かってがんばることで思い出すのは、1996年アメリカのアトランタでのオリンピックの走り幅跳びに出場し、見事金メダルを獲得したカール・ルイスさんのことばです。
 カール・ルイスさんは、36歳という陸上スポーツ選手としては高齢での優勝だったのです。この人はそれまで、オリンピックの百メートル、二百メートル、四百メートルリレー、走り幅跳びで9個の金メダルをとった人です。周りから、「ルイスは、35歳を過ぎたのだからもうだめだ」、「ルイスは、自分の体を鍛えているし、力があるから、まだ大丈夫」などの声が聞こえてきたそうです。
 ルイスさんは「36歳になっても、自分に挑戦する気力があればできる」と自分に言い聞かせ、努力を重ねたそうです。その結果が、金メダル獲得です。
 中国の劉さん、遼さんが自分の目標を持って学習に頑張っている姿、カール・ルイスさんがやればできると信じて練習を頑張ったこと、この二つの話は私たちに大切なことを教えています。
 皆さんは、1学期が始まるとき、「漢字をたくさん覚えよう」、「かけ算九九をしっかり覚えよう」、「逆上がりができるようになろう」などの目標を決めました。その目標に向かって頑張っていますか。自分で決めた目標に近づく努力を重ねたうえで、今日の七夕様に目標が達成できますようにお祈りしましょう。
 1学期ももうすぐ終わりです。努力が足りなかったと思う人は、残りを一生懸命頑張って欲しいものです。



                                  目の愛護デー

 皆さんは10月10日は何の日か知っていますか。そうです。体育の日ですね。、もう一つは、目の愛護デーですね。
 今日は、「目の愛護デー」についてお話をします。
 私たちは目を通してものを見ることによって、豊かに気分良く安全に生きていくことができます。
 目は光の刺激を受けとって、明暗・色・形などの感覚を見分けることができる視聴覚器とも言われています。これは、人間を含め高等哺乳動物が、感覚器の中の代表的なものとして持っているものです。
 目の働きによって視覚を感ずることを「見る」というのですが、この「見る」ことを通して、自分が置かれている環境を知ることができ、物事の美しさを味わうこともでき、自分が危険にさらされていることを発見して安全を確保することもできるのです。
 こうした動物一般の視覚の活用を越えて、私たちは「文字・表・記号・絵画」などを通して、生活を豊かなものとしています。
 人間の目は左右一対があって、眼球が中心になって視神経、涙腺、涙道、眼筋、まぶたなどがあって、それらが協力して活動することによって「見る」ことができるのです。
 目の故障には、近視・遠視・乱視・斜視などがあって、結膜炎やトラコーマなどの病気もあります。しかし、これらの病気や故障は防げるものでもありますので、日頃から自分で気をつけて生活することが大切です。
 たとえば、近視にならないために、本を読んだり勉強したりするときは、明るさに気をつける、姿勢をよくする、本との距離を適切にするなどがあります。また、トラコーマなどの病気にかからないようにするために、病気の人とタオルなどを別にする、プールから上がるときは目を洗うなどが大切です。
 目は一生を通して使うものです。大事に使うとともに、故障や病気を早く発見してはやく治療したり、めがねをかけたりして悪くならないようにすることが大切です。
 「見る」というのは、単に「見る」ばかりでなく、私たちの「見分ける力」、「見取る力」、「見破る力」、「見通す力」なども育ててくれます。
 目を大事に使い、目を故障や病気から護る心を育てていきましょう。



                    みんな違っているから楽しい

 皆さんは熊本城に行ったことがありますか。
 熊本城は日本の3大名城の一つといわれているお城です。城のどこがそんなにすばらしいかと言えば、それは石垣のつくりです。
 熊本城の石垣は形や大きさの違う石をたくさん組み合わせてできています。一つとして同じ形や大きさのものはないと言っても良いでしょう。まだ行ったことのない人は、一度、お父さん、お母さんたちと一緒に行ってごらん。そして、石垣をよく観察してください。形や大きさが違う石がそれぞれにしっかりとスクラムを組んでいます。これまで何百年という長い間、あの美しくてすばらしい石垣を形作っているのです。この間、大きな地震も何回となくあったでしょう。台風や大雨もあったでしょう。でも、それらに負けず、がっちりとスクラム組んで今に至っています。
 私たち人間の世界も同じです。ここ七滝小学校には児童の皆さんが44人、先生方が11人います。みんなそれぞれ名前、顔かたち、考え方などが違います。たとえよく似ていると言われても決して全く同じではないはずです。
 顔かたちが違うように、好きなものも違います。得意なものも違います。
 教室で勉強するとき、一人一人が分かるところ、分からないところが違うはずです。先生の質問に対して、算数の足し算、引き算などの四則計算の答を発表するときは、全員が同じ答を言うことはあっても、みんなが同じ答というのはまずないでしょう。同じことを答えようとしても表現の仕方は少しずつ違っています。
 一人一人が違っていることの良さは、こういうところにあるのです。そして、この違いこそが一人一人の人間をかけがえのないものにしているのです。
 他人と違っていること、それはあなたがあなたであることの証です。
 自分と違うからといって人を攻撃するのは自分を捨てることです。
 この違いを互いに認めあい、みんなでスクラム組んで生活し、熊本城に負けないすばらしい七滝小学校にを作っていきましょう。



                        ナイル川を渡るアリ

 あるところで聞いた話ですが、思わずうーんとうなずかせるお話しでしたので皆さんに紹介します。

 アフリカ地方に、なんとあの広いナイル川を渡るアリがいるというお話しです。
 1匹では泳げないはずのアリがたくさん集まり、サッカーボールほどの大きな固まりになって、ナイル川に浮かび上がります。
 不思議なできごとです。
 このままでは3分の1ほどは水面から浮かび上がりますが、3分の2は水の中に沈んでしまいます。
 ところが、このナイル川のアリは流されていく途中で、次々に上と下が入れ替わっていきます。このようにしておぼれずに全部のアリがナイル川を渡りきるのです。
 ナイル川を渡るという目的を果たすために。みんなで協力しながら、つながりを崩さずに流れ動いていくのです。水の中での苦しい支え役を交替しながら岸に流れ着くと、固まりを解いて歩き始めるのです。

 もし、力の強いアリが水面の上を独り占めしていたらどうなるでしょうか。
 水の中で支えていたアリは次から次におぼれてしまいます。ついには強いアリも含めて全部が死んでしまうでしょう。
 共倒れを選ぶのか、共存を選ぶのか。
 アリは生まれながらにその知恵を持っているのです。
 このように、協調して幸せを分かち合い、共に生きるには相手を思いやる心が必要であることを身にしみて感じさせられました。
 差別は人間を引き裂きます。私たちもナイル川を渡るアリに学びたいものです。



                目標に向かって頑張ろう

 秋も深まり、朝夕はずいぶん冷え込んできました。風邪をひかないよう注意しましょう。
 今朝は、目標に向かって頑張ろうということを、版画つくりや読書週間での本読み、町の学童陸上記録会から話題をとってお話しします。
 先ず、版画製作のことです。皆さんは、10月の図工の時間、版画製作に力を入れてきました。どの作品も見事な出来映えです。先日行われた上益城郡の版画展においてもたくさんの人が入賞しました。
 私は、皆さんが、職員室に版画の下書きを持ってきて、教頭先生と一緒に細かなところまで観察して下絵を仕上げていたことに感心しました。
 友だちにポーズをとってもらい、それをよく観察して下絵を描いていた人もいました。
 鳥かごを持ち出して描いている人もいました。図鑑の鳥の写真を参考にしている人もいました。
 学年によって紙版画や木版画で表しましたが、皆さん、一生懸命でした。細かなところまで、丁寧に仕上げていました。面倒くさくて、途中で投げ出す人が一人もいなく最後まで頑張って仕上げたことはとてもすばらしいことです。
 次に、読書週間でのことです。たくさんの人が図書室で本を読んでいました。「校長先生、私はこの本を読んでいます」、「この本は、とてもおもしろいです」など私に話をしてくれました。私に話しかける皆さんの顔は、光り輝いていました。少し読んで「これはおもしろくないや」とすぐに、他の本と交換する人もなく最期まで粘り強く、楽しく読んでいました。きっと、皆さんの心の中に大きな美しい思い出ができたことでしょう。
 最後は、5・6年生の陸上記録会でのがんばりです。がんばりの様子を5年生上尾さんの日記で紹介します。
 「今日は陸上記録会がありました。とっても緊張しました。800メートルを走るときは心臓がバクバクなっていました。こわくてこわくてたまりませんでした。1周目を走り出したとき、どんどん抜かれていったので速く走ったほうが良いのかどうかどうか迷いました。ラスト1周になったときは「前の人を抜きたい」と思って突っ走りました。そしたら、2位になったのでとってもうれしかったです。自分のタイムを聞いたときはすごく驚きました。本当に今まで練習してきて良かったです」
 聞いて、どう思いましたか。上尾さんのがんばりの様子が分かりましたか。目標に向かって頑張ってきたからこその結果ですね。上尾さんは満足感がいっぱいだったと思います。
 担任の中川先生は次のように書いていらっしゃいます。
 「おめでとう。3周目までは予定通りのペースでしたよ。ラスト1周のねばりがとても良かったな。よく努力してその成果を発揮することができました。練習の記録を破ってゴールしたときは先生もとてもうれしかったです。緊張の中で、頑張るのも結構気持ちよいと思いませんか」
 この記録会では、5・6年生全員がとても頑張りました。
 このように自分で決めた目標に向かって、少しくらいの苦しさやきつさをがまんして努力していきましょう。そして、すばらしい七滝小学校の子どもになりましょう。



                         感謝の気持ちを持とう

 先日、熊本市内の繁華街を歩いてみました。いつもより人が多いように感じました。お店には、普段見られない正月用品やクリスマス洋品がたくさん並んでいました。ジングルベルの音楽は歩く人の心をせわしくかき立てるように聞こえました。
 年の暮れは1年の締めくくり総決算の時ですが、この1年の締めくくりは大人だけのことではありません。みなさんもこの1年を振り返って締めくくりをして欲しいと思います。
 今朝は「感謝の気持ちを持ちましょう」というお話をします。
今日のお話に出てくる人は、小学校・中学校時代、あまり学校にも行かず、どちらかというと悪さをすることが多く、成績も良くありませんでした。
 その人の名前をA君としましょう。
 A君は、理由あって、お父さん、お母さんと別れ、お祖父さん、お祖母さんと一緒に暮らしていました。こんな家庭であったので、A君は勉強する気になれませんでした。
 A君は学校をさぼり、野山や神社で1日を過ごすことが多かったのです。こんな状態でしたのでだんだん心も荒れてきて悪さもするようになってきました。村の人からは「Aはとんでもないやつだ」と言われていました。
 しかし、その村の中で子供会の世話をしているBさんだけは「Aはお父さん、お母さんと生活ができなくていつも辛い思いをしている。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの言うことも聞かない。心も荒れている。しかし、本当はみんなと一緒に遊びたいと願う心優しい人間なのだ。Aを子供会が守ってやらねば誰が守ってやるというのか」と思って、いつもA君を子供会の会合や行事に連れていっていました。
 A君は子供会の行事の中でも悪さをしていました。でも、Bさんは一生懸命A君によりそい、励ましてこられました。そんな支えがあって、A君は中学校を卒業することができ、左官さんになりました。
 そして、A君は自分で働いた給料の中から、数千円を手紙に添えてBさんに送ってきました。
 手紙には、「おじさん、僕は中学生時代とても悪さをしていました。周りの中学生も、大人の人たちも僕を避けていました。でも、おじさんはいつも僕を優しくあたたかく子供会に迎えてくれました。おかげで、中学校も卒業できました。僕が子供会で1番印象に残っているのは、海水浴に行ってのスイカ割りです。今年の夏も海水浴に行くでしょう。わずかなお金ですが、子供会に使ってください。」という意味のことが書かれていたそうです。
 お話はこれで終わりです。皆さんはどう思いましたか。
 人の心は目に見えないけれど、優しい思いやりが、優しい一言がいつまでもその人の心に宿り、生き続けることを忘れないで欲しいと思います。
 人に優しくできたか、ありがとうと言って人に感謝の気持ちを表せたか考える機会にしましょう。



                          節分と豆まき

 皆さん、2月3日は何の日が知っていますか。
 そうです。節分ですね。今日は、「節分と豆まき」についてお話をします。
 昔、中国では、地球から見た太陽の動く軌道を黄道といっていました。その黄道上の太陽の位置によって、1年を24に区分して「24節」といいました。小寒とか大寒、啓蟄、白露などの言葉を聞いたことがあるでしょう。それらをさらに4つにくくって「春夏秋冬」の季節としました。その季節の分かれ目を「節分」というのです。そして、節分の次の日を「立春、立夏、立秋、立冬」としました。
 24節の中の「春分」とか「夏至」、「秋分」、「冬至」などは今でも使っていますね。春分の日は3月20日頃、夏至は6月22日頃、秋分の日は9月23日頃、冬至は12月22日頃です。
 日本では昔、立春を元日とする風習があったそうですよ。ですから、その前日の節分は今の大晦日と同じような行事をしていたそうです。その代表的な行事がお寺や家庭で行われる「鬼やらい(疫病神の鬼を追い払う行事)」といわれるものです。
 これにはいろいろな話がありますが、その中の一つの話をします。

 今から1100年ほど前、宇多天皇の頃のことです。
 百人一首の中に「難波がた短き葦のふしのまもあはでこのよをすぐしてよとや」という和歌がありますね。これを詠んだ伊勢という人が活躍していた頃のことです。
 鞍馬山の奥の層状谷という所に悪い鬼が住んでいました。この鬼が都に攻めてきたとき、3石3斗(約600リットル)の豆をまいて鬼の目をつぶして追い払うことができたそうです。それ以来、豆をまくと鬼はおそれて攻めてこないと信じられ、「豆まき」がおこなわれたということです。
 1000年も前のこの豆まきの風習、大豆を煎って神棚にあげ、「福は内、鬼は外」と大きな声で豆をまいたり、家族そろって自分の年齢だけ豆を食べると健康な生活が送れるなどが今も続けられているのはなぜでしょうか。
 節分とか立春の頃が1年中で1番寒く、雪も降る頃です。この寒さに負けて「寒い、寒い」とふるえていると、気が弱くなって心や人体の健康に良くない、生活上も良くない、そこで何とかしてこの時期を楽しく乗り切ろうとする人間の生活の知恵が豆まきなのです。ですから、節分をただ豆まきが楽しいと終わらせるだけではなく、自分の1年間や一生を豊かでたくましく生き抜いていこうとする日ととらえましょう。
 そうすると、豆をまいて追い出す鬼は一人一人違ってはいませんか。
 もしかすると、2・3年生が学習した島挽き鬼のように心優しい鬼がいるかもしれません。心優しい鬼とは豆まきをしていっしょに遊ぼうという人もいるかもしれませんね。



                         帰ってきたサケ

 今から20年ほど前の話です。
 北海道の豊平川は、人口100万人を超える札幌という大きな街の中を流れています。大都会の中を流れる川がそうであったように、札幌の人たちも豊平川を汚してしまいました。毎年帰ってきていたサケもこなくなりました。
 サケが豊平川をのぼってきていたことを知っている人も少なくなりました。札幌の人たちはこの豊平川を再びサケがのぼってくるきれいな川にしたいと思いました。みんなが心を合わせて、豊平川にゴミを捨てないようにしました。豊平川はだんだんきれいになっていきました。
 きれいになった豊平川の水を見て「これならサケが戻るかも知れない」とみんなが思っって、サケの稚魚をたくさん放流しました。それから4年後、一匹のサケが一生懸命豊平川をのぼってくるのが発見されました。それから約1ヶ月の間に数百匹のサケが1万キロの海を渡ってふるさとの川に帰ってきたのです。札幌の人たちは大喜びをしました。
 先日、5年生が芦北青少年の家で2泊3日の集団宿泊教室をしました。
 その1日目、環境センターで水質について学習をしました。そのとき、木山川の水質も調べたのです。木山川の水は透明度70センチ、薬品による検査でもとてもきれいという結果が出ました。
 学校の前を流れている木山川の水はとてもきれいな水です。このきれいな水を守っていきましょう。そのためにはどうすればいいか、学級で話し合ってみてください。



                          蜘蛛の糸は一本だけ?

 芥川竜之介の小説「蜘蛛の糸」を読んだ人はいますか? あるいはこの本の題名を聞いたことがある人はいますか?
 皆さんの是非読んでみてください。
 次のような物語です。

 極楽の蓮池のふちを歩いておられたお釈迦様が、蓮の葉の間から下をご覧になると、地獄の底の様子が手に取るように分かります。
 そこにカンダタという一人の罪人がいました。カンダタは人を殺したり、放火をしたりの罪人でしたが、一つだけいいことをしたことがありました。それは、路を這っていく一匹の蜘蛛を見て、「これも小さいながら命のあるもの。その命をむやみにとるのはかわいそうだ」と助けてやったことです。
 お釈迦様はこのことを思い出され、カンダタを助けてやろうと考えられました。極楽の蜘蛛が一匹美しい銀色の糸をかけているのを手にとられ、蓮の葉の間から地獄の底へそれをおろされました。その蜘蛛の糸を見つけたカンダタは、この糸を登っていくと地獄からぬけ出せるに違いないと思い、糸を手にすると一生懸命登りました。疲れて一休みし、下を見ると数限りない罪人が自分の後から登って来ます。自分一人でさえもその重みで糸が切れるかもしれないのに、こんなにたくさんの罪人が登ってはすぐに糸は切れてしまう。そう思ったカンダタは「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と喚きました。その瞬間、カンダタがぶら下がっているところから糸が切れ、カンダタをはじめ罪人は地獄の底へ真っ逆さまに落ちてしまいました。お釈迦様はこの一部始終をご覧になって悲しそうな顔をされました。

 このような話です。
 私たちは技術の発展によって「便利で、早くて、簡単」な生活ができるようになりました。快適な生活が送れるようになりました。しかし、失うものも数多くありました。
 そのなかで、私たちは長い間、銀色の糸一本しか見えなくなっている自分に気が付かなくなっていたようです。
 お釈迦様はたくさんの糸を私たちにおろしてくださっているに違いないのです。無数におろされた糸を皆さんが発見し、自分の力でそれを選び、登る努力をして欲しいと思います。
 今、個性を大事にしましょうといわれています。
 本当の個性とは、「私は茶髪が似合うから茶髪にする」というものではないのです。自分の良いところや自分の得意なことを発見し、それを伸ばす努力をして他の人とは違う輝きを示すことです。
 お釈迦様はきっと皆さん一人一人にふさわしい糸を垂らしてくださっていることと思いますよ。



                            「助け合い、励まし合い、志高く」の熊本の心を持って行動しましょう

 2月は「助け合い、励まし合い、志高く」の熊本の心をもって生活しましょうという月です。
 皆さんは毎日「助け合い、励まし合い」ながら生活していますか?
 勉強を教え合うこと、掃除をみんなでがんばること、月曜日に「益城中央小学校クリーン大作戦」で校庭のゴミ拾いをしたことはその一つです。
 新しい執行部の人たちは、毎日朝からあいさつ運動をしたり、箒で掃き掃除をしたりしています。これも「助け合い、励まし合い」ながらの生活です。
 皆さん一人一人が何か一つでも自分で進んで助け合い、励まし合うことを決めて生活して欲しいと思います。
 今、アメリカのソルトレークシティーで冬のオリンピックがあっていますね。たくさんの日本人が活躍しています。銀メダルをとった里屋選手、清水選手、そのほかジャンプやスケートの選手は「オリンピックでがんばりたい。4回転ジャンプをきめたい。いい成績を取りたい」と大きな夢や希望を持ってがんばっています。大きな夢や希望を持ってがんばることが、「志高く」です。
 6年生は、卒業を前にして、これから自分でがんばる言葉として、「個性」とか、「達成」「健康」「努力」『希望」「一生懸命」などを大切にしたいと考えています。
 みんなで「助け合い、励まし合い、志高く」もって益城中央小学校をもっともっとすばらしい学校にしていきましょう。



                  自分が決めた目標に向かって

 熊本が生んだ画家堅山南風が、若い頃の話です。

 南風は22歳の時、日本を代表する画家になろうと決心し、東京に出ました。
 「どんな苦労をしてもやりぬくぞ」という固い決意で絵の勉強に励みました。
 明治の頃には、文展という絵の展覧会がありました。この展覧会に入選すれば一人前の画家として認められるのですが、それは大変難しく苦労のいるものでした。毎年毎年、苦労して絵を描き続け、出展しましたが、四回も落選していました。そのたびに「今度こそ、今度こそ」と自分に言い聞かせて絵を描き続けました。
 5年目には「ふるさとのあのあざやかなハゼ紅葉を描こう」と決心しました。南風はふるさとのハゼ紅葉の色を見つけようと、東京の町を歩き回りました。あちこちを見て回りましたが、自分の心に焼き付いているあのあざやかな紅葉の色はどこにも見つけることができません。それでも、毎日毎日探し歩きました。
 やっとのことで上野公園の中に真っ赤なハゼ紅葉を見つけたのです。あまりのうれしさに、しばらくぼうぜんとしていました。それからは食事をとるのも忘れ、眠ることも惜しんで絵を描き続けました。下絵を描いてはなおし、なおしては描く日がっずっと続きました。
 南風は、ハゼ紅葉の照り映える下で、採り入れをしている2人の女の人を描きました。この絵に「霜月頃」と題を付け、文展に出展しました。この作品が最高賞に選ばれたのです。
 その後、南風は数々の絵を描き続け、文化勲章を受章しました。

 皆さん、この堅山南風が自分で決めた目標に向かって努力し画家として大成した努力に学び、自分の将来を自分で切り開いてください。