人権に関する講話




                     「私の命はこの世でただ一つ」

 「わたしはお母さん似で目が大きい」、「弟はお父さん似で色が白い」、「ぼくはお父さんにもお母さんにも似ている」など鏡を見て思ったことはありませんか。あるいはいろんな人からそういわれたことはありませんか。
 でも、あなたと全く同じ人間は世界に一人もいません。同じ兄弟でも、同じ顔、同じ身体の人はいません。ごくまれに双子で生まれてきた人の中にはうり二つという人もいますがね。
 では、私たちはどのようにして生まれてきたのでしょうか。
 それは、お母さんの体の中にも、お父さんの体の中にも私たちの命のもとがあって、それが合体して私たちの命となったのです。
 お母さんの身体のなかにある命のもとは卵子といいます。お父さんの身体にある命のもとは精子といいます。2〜3億個の精子の中からたった一つ選ばれた精子がお母さんの卵子と合体して、あなたが生まれてきたのです。
 あなたはどのくらいの期間、お母さんのおなかの中にいたのか知っていますか。
 お父さんやお母さんはあなたが生まれるまでどれだけあなたのことを考えて生活をしてきたのか知っていますか。
 丈夫で元気な子どもが生まれて欲しいと、お父さんもお母さんも毎日を大事に大事に生活してこられたことでしょう。お母さんはたくさんの栄養を取ったり、病気にかからないように気をつけたりしてこられたことと思います。そのようにして生まれたのがあなたなのです。
 生まれて今日まで、家族の温かい愛情の中で大事に育てられてきました。皆さんのお家には、誕生してすぐのあなたの手形や足形がとってあるでしょう。今日帰ったらそれを見てごらん。大きくなったことが実感できることでしょう。 お父さん、お母さん、家族の皆さんとであなたの誕生の日から今日までのことを話し合ってごらんなさい。きっと、おもしろいことが聞けると思いますよ。そして、この命、世界にたった一つしかないお父さんとお母さんから与えてもらった大事な命を大切にしなければならないと思うに違いありません。
 自分の命を大切にするということは、家族の命も友達の命もみんな大切にするということですよね。
 来週から1週間は性教育週間です。命を大切にすること、友達を大切にすること、男であること、女であることなどを考えてみましょう。お家でも学校で勉強したことをもとに、家族で話し合ってみましょう。



                                  だからわるい

 2月9日から、3学期の人権旬間が始まっています。
 皆さんは学級で人権学習をしていることと思います。
 先週の金曜日は、2年生の人権学習を参観しました。「ぼくのだけどうしてけるの」の学習をしていました。みんな真剣に「おかしいな」と思うことを出し合って、みんなが楽しく過ごす方法を考えていました。
 今日は、「だからわるい」というお話をします。
 なぜ悪いのかを考えながら聴いてください。聴くときは、この前お話したように「目と耳と心」で聴くのですよ。

 1匹の犬が、身体を前にかがめて、激しくほえたてています。
 そのすぐ鼻先に、垣根にぴたりと身体をよせて、1匹の子猫が毛を逆立ててふるえています。
 「かーっ」と口を開け、ニャーオ、ニューオと泣いています。
 すぐそばに、二人の男の子が立って、成り行きを見ていました。
 窓から、それをのぞいていた女の人が、とぶようにして階段から駆け下りてきました。
 女の人は犬を追っ払うと、男の子達を叱りつけました。
 「あんたたち、恥ずかしくないの!」
 「どうして、はずかしいの? ぼくたち、なにもしていないよ!」
 男の子達はびっくりしたように、言いました。
 「だから、悪いのですよ!」
 女の人は、真っ赤におこって言いました。

 みなさん、女の人はなぜ、男の子達を叱ったと思いますか?
 そうです。何もしなかったことは、犬が子猫をいじめているのを助けているのと同じだからです。
 弱いものが強いものからからかわれたり、いじめられたりしているところを見かけたら、それをやめさせる方法を考えましょう。やめさせる勇気を持ちましょう。
 そして、いじめのない楽しい学級、楽しい学校を皆さん一人一人の手で創っていきましょう。



                      とびばこ

 昨日から1学期の人権旬間が始まりました。学級で毎日の生活の目当てを決めたり、友達を大切にしようと話し合ったりしていることと思います。
 これから熊本県に住む3年生が書いた「とびばこ」という作文を読みます。目と耳と心で一生懸命聴いてほしいと思います。

 私は、体育があまり好きではありません。
 なぜかというと、走るのもあまり速くないし、跳び箱や鉄棒や1輪車など、ほかの友達はできるのに、私だけなかなかできないのです。それに、みんなから笑われるのが何より悔しくていやだからです。
 今日の体育は跳び箱です。準備体操をして、みんな、跳び箱の用意を始めました。
 私はもう、逃げ出してしまいたい気持ちでいっぱいです。
 用意ができました。優一郎君から、次々に跳び始めました。いよいよ私の番です。跳んでみるとやっぱり失敗です。2回目も失敗してしまいました。
 3回目は、友達の跳び方を見て、さっきとちがう跳び方をしてみました。だけど、やっぱり跳べませんでした。何回跳んでもお尻が跳び箱の角に当たってしまいます。
 初めは小さく聞こえていた笑い声が、どんどん大きく聞こえてきました。
 その時
 「笑うな!」
と、大きな声が聞こえました。一馬君です。体育館が一瞬、シーンと静まり返りました。私もびっくりしました。
 しばらくすると、
 「笑ってごめん」とか「がんばれ、がんばれ」、「もっと勢いをつけると跳べるよ」とか言うみんなの声が聞こえてきました。
 私は思いっきり走りました。そして、手を強くつきました。身体が高く浮いたと思ったその時、私は跳び箱を越えていました。
 やったあ、とうとうできたんだ。夢じゃないんだ。跳べたんだ。私はとても信じられませんでした。
 みんなの拍手が聞こえてきました。

 みなさん、どうでしたか。
 みなさんは笑う人ですか。「笑うな!」と言う人ですか。「頑張れ!」と応援する人ですか。
 44人のだれもが「学校は楽しいな」と思う学校にするにはどうしたらよいかを一人一人考えてみましょう。



             「自分では気づかないで友達をきずつけたりしてはいないか、振り返ってみましょう」

 今日は、住井すえという人が書いた「テレビとうま」というお話を読みます。
 テレビが今のようにどこの家にもない頃のお話です。自分で想像しながら聴いてください。

 「おとうちゃん、テレビ、買ってよお。」かつおが言うと、お父さんは、「なにぃ、テレビ?」と、かつおの顔をにらむように眺めました。
 かつおのお父さんは、屋根にトタンを張ったり雨どいをかけたりするブリキ屋さんだ。仕事が上手なので、よく方々からたのまれる。それで、暮らしに困るようなことはないが、そうかといって、テレビを買うほどのゆとりはなかったのである。
 けれども、かつおはテレビがほしい。帽子も靴もぼろでよいから、テレビがほしい。そこで今夜、仕事から帰ったお父さんが、好きなお酒を飲み始めたところで、ちょいとねだってみたのだ。しかし、やっぱりどうもよくなさそうだ。かつおは、がっかりして、算数の宿題を始めた。すると、立て続けにぐいぐいと盃を口に運んだお父さんが、「はっはっはっ」と笑い出して、「かつお、テレビなんてハイカラなやつは、こんな貧乏なぼろ家は、いやだといって、滅多に入ってこないんだ。だからみろ、おまえの友達でも、テレビがあるのは、身なりの立派な家ばかりじゃないか」
 その通りだった。かつおは、いよいよがっかりして、やたらと鉛筆をなめた。お父さんは少し酒に酔ったように、「だからおまえは、そういう立派な友達の家へ行って、一緒にテレビを見せてもらえばいいんだ。一緒に勉強している仲間だ。テレビを見せてやらないなんて、意地悪は言うまい。ワハハ、ワハハ。」
 それもその通りだった。かつおは、友達のまさはる君の家で、もうずっとテレビを見せてもらっているのだ。こんなわけで、次の日も、かつおは、まさはる君の家で、まさはる君と一緒にテレビを見た。好きな野球と、それから、続きもののまんが映画だった。
 「僕はやっぱり、買ってもらえないのかな。」と思いながら。
 「かつお、今日は、まっすぐ帰ってこいよ。テレビが来るんだから。」道具箱を自転車につけながらお父さんが言った。(中略)
 「おとうちゃん、明日から、テレビのない友達に見せてやってもいいか。」「ああ、いいとも」お父さんはにこにこした。ちっともお酒を飲まないのに、テレビを見ているお父さんは上機嫌だった。
 「じゃ、僕、いっとうはじめに、としお君をよんでやるんだ」
 「としお君一人を、よんでやるのか」
 「うん」
 「でも、見たいという子があれば、一緒によんでやったらいいじゃないか」
 「だって、そいじゃつまらないもの。僕はとしお君をうまにして、テレビを見るんだ」
 「なにっ、おまえはとしお君をうまにして、その上に乗って、テレビを見る気か!」
 ぐいと、お父さんの手が伸びて、かつおは胸ぐらをつかまれた。
 かつおは半分泣きながら
 「だって、おとうちゃん、僕はまさはる君とこでテレビを見せてもらうとき、いつでも、まさはる君の馬になってたんだもの。そうしなきゃ、見せてもらえなかったんだもの」
 「だから、としお君をまた馬にするというのか、このばかめ!」
 どんと突き放されて、かつおはしりもちをついた。そのかつおをお母さんは抱え起こしながら、
 「かつお、おとうちゃんが、酒もたばこもやめて、テレビを買ってくれたのは、おまえが、う、うまにされているのを見たからなのだよ」と声をふるわせた。
 かつおは、だまって、お父さんの胸にとりすがっていった。

 お父さんは、なぜ、かつお君の胸ぐらをつかみつきはなしたのでしょう。
 かつお君は、なぜ、お父さんの胸に取りすがっていったのでしょう。
 自分では気付かずに友達をきずつけたり、差別していることはないか、振り返ってみましょう。



                             「食べることは生きること」

 みなさんは毎日の生活の中で、友達を大切にしたり、おかしいなと思うことがあったら注意したりして、七滝小学校のみんなが楽しく、幸せに暮らせるように頑張っていますね。
 今週は、特に、みんなで楽しく幸せに生活できることを意識して過ごしましょう。みんなで、さらに楽しい七滝小学校にしていきましょうという週です。
 このことについて学級ごとに学習します。担任の先生と一生懸命学習して欲しいと思います。
 私はみなさんに「食べることは生きること」というお話をします。目と耳と心でしっかり聴いてください。

 みなさんは、どんな食べ物が好きですか。「僕はハンバーグが好き」、「私は、カレーライス」という声が聞こえてきそうです。
 今日の給食は何でしょう。肉は入っているかな。野菜はどうでしょう。パンかな。ご飯かな。おいしい魚のフライがあるかもしれません。
 ところで、みなさんは食べる前に「いただきます」、食べた後には「ごちそうさまでした」と言いますね。「何を」いただいて、「何を」ごちそうさまといっているのか知っていますか。
 本当は、「いただきます」、「ごちそうさまでした」の前には、ある言葉がかくされているのです。
 「○○をいただきます」、「○○をごちそうさまでした」と言うわけです。
 ○○にはどんな言葉が入るか考えてみましょう。
 考えつきましたか。
 じつは「いのち(生命)」という言葉が入るのです。
 「生命をいただきます」、「生命をごちそうさまでした」というわけです。
 どうして「生命をいただきます」、「生命をごちそうさまでした」というのでしょう。
 ごはんは、農家の人が田んぼで大切に手をかけて育てた稲からできています。稲は太陽の光を浴び、大地から栄養をもらい、すくすくと育っているのです。お米の一粒一粒が生命を持ち、生きて呼吸をしていたのです。
 肉はどうでしょう。牛肉だとしたら、牛として動き回り生きている生命を持っていたのです。豚肉だとしたら、生きている生命を持った豚だったのです。魚だって同じですね。
 私たち人間はついこの間まで生きて呼吸していた別の生命をいただかなければ、生きていけないのです。私たちが毎日食べているものはものではなく、たった一つしかないかけがえのない私たちと同じ生命なのです。
 私たちが食事をするとき、作ってくれた人に感謝するのはもちろんのことですが、たくさんの生命をいただいていることを忘れてはならないでしょう。
 かけがえのない生命をいただいて生きている自分の生命を大切にしましょう。自分の生命と同じように、友だちや周りの人の生命をも大切にしなければいけませんね。それが、楽しく、幸せな七滝小学校作りになるのです。



                 「ニックネームとあだな」

 みなさんは「ニックネーム」とはどんなものか知っていますか。
 「あだな」とはどんなものか知っていますか。
 「ニックネーム」は親しみとか尊敬などの気持ちを込めて言う言葉です。呼ばれる人は気持ちよく返事することができます。
 「あだな」は友だちをバカにしたり冷やかしたりする気持ちで言う言葉です。呼ばれた人は気持ちのいいものではありません。イヤな気持ちです。腹が立ちます。悲しい気持ちになります。
 私は「中川 有紀」(ありとし)という名前です。小さい頃から「ありちゃん」と呼ばれていました。今でも、友だちからは「ありちゃん」と呼ばれています。
 「ありちゃん」は親しみを込めた言葉ですから気持ちよく返事をしていました。
 ところが年上の人が私をからかったりいじめたりするとき「あり。あり。蟻の通りよる。」と言うことがありました。とても腹が立ちました。
 「なんば言うか。オレはありじゃなか。ありとし。」とくってかかっていました。
 「なんば言うか。オレはぬしがこつば言いよっとじゃなか。蟻の通りよるけん蟻の通りよるて言いよる。」と言って私をからかったりします。
 何度も何度も「オレはありじゃなか。ありとし。」と言っていました。年上の人は私が泣き出すのを見ておもしろかったのでしょう。でも、私は悔しくて悔しくてたまりませんでした。そして「オレは絶対あぎゃん者にはならん」と思いました。
 私が教えた子どもの中に「ガネ」とあだなで呼ばれていた人がいました。その人は太田君と言います。太田君のおじいさんは川ガニ取りの名人と言われるように川ガニ取りが上手でした。そのことから太田君は「ガネ」とあだ名で呼ばれるようになったのです。
 人権週間の学習で太田君は「僕をガネ、ガネと呼ばないでください。」という作文を書きました。そして、大粒の涙を流しながらクラスのみんなに訴えました。クラスのみんなはシーンと静まりました。太田君の訴えを真剣に受けとめました。
 しばらくして一人の子が「ごめん。みんなが『ガネ』と言うので面白がって僕も言っていました。太田君がそんなにイヤな思いをしているとは知りませんでした。ごめんなさい。」と謝りました。次々にみんなが謝りました。さらにしばらく経った後で清原君が「これからは僕たちの組では誰も『ガネ』とは言わないと思います。でも、他の組の人たちは太田君がこんなにイヤな気持ちでいることを知りません。他のみんなにも言った方がいいと思います。」と言いました。
 太田君はクラスのみんなから元気をもらって全校集会でも「僕をガネ、ガネと呼ばないでください。」と訴えました。
 皆さんの中にもあだ名を言われてイヤな思いをしている人はいませんか。もし、そんな人がいたら太田君のようにみんなに訴えましょう。
 皆さんの中にはイヤな思いをしている人を見て見ぬ振りをしている人はいませんか。もし、そんな人がいたら勇気を持ってそんなことは止めようとみんなに呼びかけてください。
 皆さんの中にはこんな呼び方をしたらきっといやがるだろうなと分かっていながらあだ名を言って面白がっている人はいませんか。もし、そんな人がいたら友だちが悲しむような言葉をかけて悦ぶ貧しい心を今すぐ捨ててください。
 これから、人権週間で学んだことの意見発表があります。目、耳、心で一生懸命聴いて249人みんなが楽しい思いをする甲佐小学校にしていきましょう。



                       「スーホの白い馬」

 「スーホの白い馬」というお話をします。

 中国の北の方、モンゴルには、広い草原が広がり、そこに住む人たちは昔から、羊や牛や馬などを飼って生活していました。その草原にスーホという貧しい羊飼いの少年がいました。スーホは年取ったおばあさんと二人で暮らしていました。ス−ホはたいへんな働き者でした。
 ある日のことです。スーホは生まれたばかりの白い馬を抱きかかえて帰ってきました。「子馬を見つけたんだ。地面に倒れてもがいていたんだよ。あたりを見ても持ち主らしい人もいない。お母さん馬も見えない。放っておいたら夜になってオオカミに食われてしまうかもしれない。それでつれてきたんだ。」とみんなに話しました。
 スーホは心を込めて白い馬を世話しました。子馬の体は雪のように白く、きりっと引き締まって誰でも思わず、見とれるほどに立派な馬に成長しました。スーホはこの馬がかわいくてかわいくて仕方がありません。
 月日が過ぎてある年の春、草原一帯に知らせが伝わってきました。殿様が町で競馬大会を開くというのです。そして、1等になった者は殿様の娘と結婚させるというのです。この知らせを聞いた仲間の羊飼い達が「是非、白馬にのって競馬に出てごらんよ。」とスーホに進めました。スーホは競馬大会に出ることにしました。
 競馬が始まりました。国中から集まった若者達が一斉に革の鞭をふります。馬は飛ぶようにかけます。先頭を行くのは白馬です。スーホの乗った白馬です。
 「白馬が1等だぞ。白馬の乗り手を連れて参れ。」殿様は言いました。殿様の前にきたのは貧乏な羊飼いです。
 「おまえには、銀貨を3枚くれてやる。その白い馬をここにおいて、さっさと帰れ!」
 「私は競馬にきたのです。馬を売りに来たのではありません。」
 「なんだと、卑しい羊飼いのくせに。このわしにさからうのか。ものども、こいつをうちのめせ!」
スーホは大勢に殴られ、け飛ばされ、気を失ってしまいました。友だちに助けられてやっと家まで帰りました。「白馬はどうしているだろう」とスーホは白い馬のことばかり考えていました。
 すばらしい馬を手に入れた殿様は全くいい気持ちでした。殿様は白い馬に乗ってみんなに見せてやることにしました。殿様が白い馬にまたがったそのときです。馬はおそろしい勢いで跳ね上がりました。殿様は地面に転げ落ちました。白馬は殿様の手から手綱を振り放すと、騒ぎ立てるみんなの間をぬけて、風のように駆け出しました。
 殿様は大声で怒鳴りました。「早く、あいつを捕まえろ!捕まらないなら弓で射殺してしまえ!」家来達は弓を引き絞り、一斉に矢を放ちました。白馬の背には次々と矢が刺さりました。それでも白馬は走り続けました。
 その晩のことです。スーホが寝ようとしていたとき、外の方でカタカタと物音がします。様子を見に行ったおばあさんが叫び声をあげました。「白馬だよ!家の白馬だよ!」スーホは跳ね起きて見に行きました。白馬がそこにいます。その体には何本もの矢が刺さり、汗が滝のように流れています。白馬はひどい傷を受けながらも走って、走って、走り続けて大好きなスーホの所に帰ってきたのです。スーホは歯を食いしばってつらいのを我慢しながら馬に刺さっている矢を抜きました。「白馬、死なないでくれ!」でも、白馬は弱り果てていました。息はだんだん細くなり、目の光りも消えていきました。次の日、白馬は死んでしまいました。
 悲しさと悔しさで、スーホは幾晩も眠れませんでした。ある晩、眠り込んだとき、スーホは白馬の夢を見ました。スーホがなでてやると白馬は体をすり寄せてきます。そしてスーホに語りかけました。
 「そんなに悲しまないでください。それより、私の骨や皮や筋や毛を使って、楽器を造ってください。そうすれば、私はいつまでもあなたのそばにいられます。あなたを慰めてあげられます。」
 スーホは夢から覚めるとすぐ楽器を作り始めました。夢で白馬が教えてくれたとおり骨や皮、筋、毛を夢中で組み立てていきました。楽器はできあがりました。
 これが馬頭琴です。スーホは馬頭琴を弾くたびに白馬を殺された悔しさ、白馬に乗って草原を駆け回った楽しさを思い出しました。楽器の音色はますます美しく響き、聞く人の心を揺り動かすのでした。羊飼い達は夕方になると、寄り集まってその美しい音色に耳を澄まし、1日の疲れを忘れるのでした。 

 「私は競馬にきたのです。馬を売りに来たのではありません。」殿様にいいかえすスーホをどう思いましたか。
 体に何本もの矢がつきささり、ひどい傷を受けながらもスーホの所に帰ってきた白馬とスーホの心の通い合いをどう感じましたか。
 今週は人権週間です。甲佐小学校では、差別やいじめのない楽しい学校をめざしています。皆さんどうすれば差別やいじめのない楽しい学校になるかを考えてみましょう。