おてもやんすぴりっつ  〜心豊かに生きましょう〜 
菊池市七城生涯大学
平成21年6月11日

     ♪火の国旅情

  ♪阿蘇は火の山 空の涯
   何を祈って吐く煙
   遠い神代の 愛の詩
   邪馬台の国に ながれている  
   ながれている ふるさとよ♪

  
 会場に入りますと、「火の国旅情」の綺麗な歌声が響いています。思わず立ち止まって聞いていました。
 学習が始まる前に皆さんで合唱する、いいですね。心が洗われます。
 また、生涯大学誓いの言葉を皆さんで唱和されました。その中の一つに「感謝の心」がありました。
 こんなすばらしい生涯大学で話ができることを大変嬉しく思います。
 昔から「笑う門には福来たる」と言われていますね。
もう、随分前になりますが、浪越徳治郎さんが「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」とテレビで高笑いをしていましたね。笑うことによって、脳は、血液の流れが活発になり、元気になるそうです。
 私の知り合いに落語研究家がいます。先日、彼から聞いた話ですが、落語で一番短い小話です。
「向こうからお坊さんが来るよ」
「僧(そう)かい」(笑い)
 あるところで聞いた小話です。
 お寺の賽銭箱をくすねた泥棒が山門を出ようとしたところを仁王がむんずとつかみ、足で踏みつけた。「ぷー」という変な音がした。仁王は顔を真っ赤にして口をへの字に曲げている。踏みつけられた泥棒が仁王を見上げながら「におう(仁王)か」(大笑い)
 笑いが体には良いことは誰でも知っていると思います。先ほど言いましたように昔から「笑う門には福来たる」と言われています。いつも笑いのある人の家には、自然と幸せがやって来るという意味だそうです。笑いは本来吐き出すことから始まったと言われています。つまり、体に入った悪いもの(毒)を体の外へ吐き出すことです。悪い毒は病気とかストレス等です。ストレスが溜まれば免疫力が低下しやすく病気になり易い体になると言われています。大いに笑い、不安・心の奥底にしまい込んだ悪いものを吐きだしましょう。
 この笑いの効用は、医学的にも証明されているそうですよ。
 笑うことで
 @笑いは腹式呼吸を促進し、腹筋の運動量が多くなり、内臓のマッサージ効果が生れ、血行が良くなり消化が良くなるそうです。
 A笑いによる感動は前頭葉を刺激し、脳の血液循環が良くなり、脳神経細胞の老化を予防するそうです。
 B笑いは、大脳辺を刺激し、脳内ホルモンの分泌を促進するそうです。そのホルモンが分泌されると、鎮痛効果をもたらすそうですよ。
 C笑いを体験することで、快感神経を刺激し、脳波のなかのα波が増え、情緒が安定し感情が豊かになるそうです。
 D笑いは人の心をなごませ、引き付ける不思議な力もあるそうです。
 最近は医療の現場にも笑いを取り入れた治療が、最良な治療だと言われてきているのだそうです。副作用のない笑いを日常生活に取り入れて免疫力を高めましょう。
 何もないのに笑えないでしょうから積極的に落語を聞いたり、都々逸を聞いたり作ったり、肥後狂句や川柳を作ったり聞いたりしてはどうでしょう?
 そこで、インターネットで「シルバー川柳」を開いてみました。おもしろいものがありますよ。少し、紹介します。
 
 逢えそうで ときめく朝の 散歩道        
 若いよと 言われて財布 軽くなり        
 年金は 増えねど増える しわの数        
 初恋の ときめきに似た 心電図         
 地獄まで 持って行けない 貯めた金       
 定年で 妻にエプロン 渡される        
 健康に 粗食が合うと 手抜き妻
 脳みそに 移しかえたい 顔のしわ
 旅行好き 行ってないのは 冥土だけ
 十五日 孫も知ってる 年金日
 胸よりも 前に出るなと 腹にいい
 やせたのは 一緒に歩いた 犬の方
 朝バナナ 効果があったの お店だけ

 思わず笑ってしまいますね。
 本日は、演題を「おてもやんすぴりっつ」としました。くまもとの代表的民謡である「おてもやん」も笑いがいっぱいですよね。私は、このおてもやんの歌詞の中に熊本県民の心があると思っています。
 今から正調「おてもやん」を流してもらいます。一緒に歌ってみましょう。歌詞はそこに記しています。


 ♪「おてもやん」

   おてもやん あんたこの頃
   嫁入りしたでは ないかいな
   嫁入りしたこた したばってん
   ご亭殿(ごてどん)が  ぐじゃっぺだるけん
   まーだ盃ゃせんじゃった
   村役 鳶役 肝いり殿
   あん人たちの 居らすけんで
   後はどうなっと きゃーなろたい
   川端町さん きゃー巡ろい
   春日 ぼうぶらどんたちゃ
   尻ひっぴゃーで 花盛り 花盛り
   ピーチクパーチク ひばりの子
   玄白なすびの いがいがどん

   ひとつ山越え もひとつ山越え あの山越えて
   私ゃあんたに 惚れとるばい
   惚れとるばってん 言われんたい
   追い追い 彼岸も近まれば
   若者衆も 寄らんすけん
   熊本(くまんどん)の  夜聴聞(よじよもん) 参り(みやーり)に   
   ゆるゆる話も きゃーしゅうたい
   男振りには 惚れんばな
   煙草入れの 銀金具が
   それがそもそも 因縁たい
   アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ

   一つ世の中 艱難辛苦の 荒波越えて
   男度胸で おいでなさい
   くよくよしたとて しょうがない
   いつかは芽も出る 花も咲く
   移り気な浮き世の ならいに 
   取り越し苦労は おやめなさい
   悩みなんぞは こちゃしらぬ
   意地と張りの心が それが後生楽たい
   あかちゃか べっちゃか ちゃか ちゃか ちゃ


   (音楽に合わせて歌声が会場のあちこちから聞こえる)
 皆さん、顔をほころばせながら歌われました。皆さんお上手ですね。
 今歌った歌詞をもう一度見て下さい。
  「あん人達のおらすけんで あとはどうなと キャアなろたい」
 これは、熊本県民のおおらかさを表現している思いませんか?「あとはどうなと キャアなろたい」物事にくよくよしない心を表しているように思います。
  「私ァあんたに ほれとるバイ ほれとるバッテン 言われんたい」
 この慎ましさ。最近は「好きだ」「嫌いだ」と自分で思っていることをすぐに口にする人がいますが、思ったことをあまりストレートに言うと人間関係がぎくしゃくすることがありますでしょう?
 どうですか?この「私ァあんたに ほれとるバイ ほれとるバッテン 言われんたい」は。このように慎ましく生きることは人間関係をよくしますね。
  「男ぶりには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それが そもそも 因縁たい」
 熊本県民は、目の付け所が違うんですね。最近「イケメン」という言葉がはやっていますが、「見てくれではなか。経済力が大事だ」と言っています。
 「あん人達のおらすけんで あとはどうなと キャアなろたい」
「私ァあんたに ほれとるバイ ほれとるバッテン 言われんたい」
 「男ぶりには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それが そもそも 因縁たい」
 この3つを「おてもやんすぴりっつ」と私は言っています。
 ところで、人間の脳は、40歳代から老化を始めるそうです。私は、現在65歳です。そこで、「私は老化街道を時速65キロメートルで走っています。このスピードにブレーキをかけようと生涯学習に取り組んでいます」とあちこちで話しています。この老化にブレーキをかけるのに効果的なのは、「文字を読む、それも声に出して。簡単な計算をする。友だちと会話する」ことだそうです。これは、東北大学の川島先生が言っておられることです。
 文字を読む、それも声に出してというと、最もこれに適しているのが新聞を読むことですね。私は90歳の母にいつも言っています。新聞の宣伝ではありませんが、母は熊日を読んでいますので、「新生面を毎日声に出して読みなっせ」と言っています。母は、「私は毎日おつとめをしている。お経を声に出して読んでいるもん」と言います。ここにもおつとめしている方がおいででしょうが、毎日のおつとめは暗記してしまって目をつむってでも読むことができるでしょう。蓮如上人の「白骨の章」の一説、「されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二(ふたつ)の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属(ろくしん・けんぞく)集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。」など私もところどころ覚えていますから。「新生面」は、内容が毎日変わって、しかも7〜8分くらいで読めるから声に出して読むのにちょうどよいのです。何も新生面だけではないのですよ。朝日だったら「天声人語」です。新聞第一面の下にコラム欄があるでしょう。これを声に出して読みましょう。脳が活性化しますよ。
 簡単な計算は、買い物などでおよその数にして計算することですね。友だちとの会話は、この生涯大学はもってこいですね。始まる前に、いろんな方と話をしておられるでしょう。
 最近は、脳の働きに関する研究が進んでいます。どんなときに脳が活発に働いているかが分かってきました。昨夜、NHK総合テレビで放映された「ためしてガッテン」を視聴された方いらっしゃるでしょう?ありがとうございます(数人の手が上がる)。
 心電図をとるとき、胸につけるようなものを頭にいっぱいつけて軽く走っている人の脳の働きを調べていましたね。軽くジョギングしているとき、隣を走っている人と会話ができる程度の早さで走るときは、脳が活発に働いているそうですね。私のように膝が悪くて走ることができない人はできませんが、無理のない程度に挑戦してみてはいかがですか?
 筑波大学名誉教授の井上和雄という先生は、「生命を守り、生命を育んで、楽しく生きるには、「自然の法則」に合った生き方」をすることだと説いています。先生が書かれた「生命のバカ力」には、私たちは、私たちが持っている遺伝子のわずか3%くらいしか使っていないとあります。「火事場のバカ力」という言葉があるように人は極限に追い込まれたとき、ふだんは考えられないような能力を発揮することがあるというのです。私たちの体には数十兆という想像もつかない細胞があるそうです。その一つ一つに遺伝子があるというのですが、毎日の生活の中で実際に働いているのはごくわずかで多くは眠っているのだそうです。だから追い詰められたとき、これまででは考えもできないような力を発揮するのでしょうね。
 自然の法則に合った生き方とは、「志を高く持つ」、「感謝して生きる」、「プラス発想で生活する」、「慎みの心を持つ」など挙げられています。


 「志を高く持つ」これは、熊本では、県民運動として以前から提唱されています。と言いますのは、「心豊かな熊本を作る運動推進協議会」が「熊本の心」として、「助けあい 励ましあい 志高く」の言葉を広めています。ここ公民館にも掲額してあると思います。この熊本の心は、福島譲二元熊本県知事が提唱された県民運動の言葉です。これは、心豊かで潤いに満ちた郷土熊本を築いていくために県民一人一人が持ちたい心として提唱されたものです。
 日常生活の中で心のあり方としてお互いに相手を尊重し、協働・共有の相互扶助、志高くの心を持ちながら主体的に明日に向かって生きていく精神を表しています。その前は、細川護煕元知事が「簡易 善良 素朴」という熊本スピリッツを提唱しておられました。
 「感謝して生きる」は、会が始まる前に、「七城生涯大学」誓いの言葉で唱和しておられましたね。「人や社会、自然に感謝して生きる」これは当然のことですね。人間一人では生きていくことはできませんから。しかし、最近、この感謝の心が薄らいでいるように思います。感謝しても言葉として表すことが少なくなったようです。
 私は、益城町の放課後子ども教室で、子どもたちにそろばんを教えています。勉強が終わったら全員で、「ありがとうございました。」と言います。帰り際に、「先生、今日は教えてくれて有り難うございました」とわざわざ言いにくる子がいます。家庭の躾でしょうが、小さい頃からこのように感謝の気持ちを表すことができるといいですね。
 「プラス発想で生きる」、とても大事だと思います。私たち人間は、いつも順風満帆ではありません。陽が当たるときもあれば、そうでないときもあります。心が晴れやかなときもあれば、そうでないときもあります。自信満々の時もあれば自信がなくなるときもあります。
 私は、自分がきついときにどう生きるかが大事だと思います。物事は裏と表があります。表からばかり見ていると、見えないこともあります。違う方向から見ると、これまで見えなかったものが見えてくることがあるでしょう?
 「後期高齢者」と言う言葉は、高齢者の気持ちを逆なでしているというので表現方法を考え直すのでしょうか。でも、私の知り合いは、「後期高齢者という言葉があることで、年齢についていくつと説明しなくても済むようになった。もう、後期高齢者の仲間入りしましたというだけで、だいたいの歳を分かってくれるから良い言葉だ」と言っています。
 75歳以上の運転ドライバーは、車に紅葉マークをつけるように道路交通法が改正されました。ところが「枯れ葉を連想させる」高齢者いじめなどの指摘があり、紅葉マークを付けることが義務から努力になったでしょう。これについてもある人は、「紅葉マークをつけていると、対向車など用心してくれるからとても助かる」と言います。マイナスの方ばかりに目を向けないでそれをプラスに思考することの大切さを言っていると思います。
 「慎みの心」、これは、先ほどおてもやんすぴるっつのところで言いました。
 皆さんは、もう定額給付金をもらわれましたか?
 私は先日、いただきました。このお金は、景気を浮揚させるためにすぐ使いましょうと言われていますが、弁当を食べるとき、弁当箱のふたについている米つぶから先に食べる私は、簡単に使うことができません。「浪費イクオール悪」のイメージが頭から離れません。何に使うかは追々考えていろ処です。
 また、給料以外でお金を人からもらった経験はあまりありません。今回給付金としていただいたお金が私には特別のお金のような感じがして、普段はじっくり眺めたこともない1万円札をしみじみと眺めてみました。この一万円札の肖像は、皆さんご存じのように福沢諭吉ですよね。私は福沢諭吉については、学問のすすめの一文章「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」を知っているくらいで、ほとんど知りませんでした。
 先日、妻から偶然にも「福岡市美術館で福沢諭吉展があっているから見に行かんね?」と誘われました。私は、二つ返事で「行こう」と言い、諭吉展を見に行ってきました。
 諭吉について、学んできました。
 諭吉が、我が子に言って聞かせたことを「ひゞのをしえ」としてまとめているものがあるのですね。そこに示しているのは「ひゞのをしえ 二編」です。
 読んでみますね。


                          ひゞのをしえ 二編

 東西、東西。日々の教え二編の始まり。お定めの掟(おきて)は六か条、耳をさらへてこれを聞き、腹に収めて忘るべからず。

第一
 天道様(てんとうさま)を畏(おそ)れ、これを敬(うやま)い、その心に従うべし。
 ただし、ここに言う天道様とは、日輪のことにあらず。
 西洋の言葉にてゴッドと言い、日本の言葉に翻訳すれば 造物者(ぞうぶつしや)というものなり。

第二
 父母(ちちはは)を敬い、これを親しみ、その心に従うべし。

第三
 人を殺すべからず。獣を酷(むご)く取り扱い、むしけらを無益に殺すべからず。

第四
 盗みすべからず。人の落したるものを拾うべからず。

第五
 偽るべからず。嘘をついて人の邪魔をすべからず。

第六
 貪るべかららず。無闇(むやみ)に欲張りて人のものを欲しがるべからず。

 
 無益な殺生はしない、人様のものを盗まない、嘘をつかないは、子育ての3原則として今もどこの家庭でも教えられていることですね。
 私が思わず笑ってしまったのは、桃太郎についての話です。


 もヽたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしのあるたからを、わけもなく、とりにいくとは、もヽたろふは、ぬすびとともいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いったいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もヽたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばヽさんにあげたとは、たヾよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。

 なるほど、そうですよね。
 資料として付けている「中津留別の書」を見てください。
 旧仮名遣いですから読みにくうございますが、読んでみます。意味は分かりますから。
 15行目くらいに「人倫の大本は夫婦なり。」という文があるでしょう?そこを読んでみます。


 夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり。天の人を生ずるや、開闢(かいびやく)の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるをえず。また男といい女といい、ひとしく天地間の一人にて軽重の別あるべき理なし。
 古今、支那・日本の風俗を見るに、一男子にて数多(あまた)の婦人を妻妾にし、婦人を取扱うこと下婢(かひ)の如く、また罪人の如くして、かつてこれを恥ずる色なし。浅ましきことならずや。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これに傚(ならつ)て母を侮(あなど)り、その教を重んぜず。母の教を重んぜざれば、母はあれどもなきが如し。孤子(みなしご)に異ならざるなり。いわんや男子は外を勤(つとめ)て家におること稀なれば、誰かその子を教育する者あらん。哀(あわれ)というも、なおあまりあり。
『論語』に「夫婦別あり」と記せり。別ありとは、分けへだてありということにはあるまじ。夫婦の間は情(なさけ)こそあるべきなり。他人らしく分け隔ありては、とても家は治(おさま)り難し。されば別とは区別の義にて、この男女はこの夫婦、かの男女はかの夫婦と、二人ずつ区別正しく定るという義なるべし。然るに今、多勢の妾を養い、本妻にも子あり、妾にも子あるときは、兄弟同士、父は一人にて母は異(こと)なり。夫婦に区別ありとはいわれまじ。男子に二女を娶(めと)るの権あらば、婦人にも二夫を私するの理なかるべからず。試に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、一婦二夫、家におることあらば、主人よくこれを甘んじてその婦人に事(つかう)るか。

 詳しいことは分かりませんが、大まかな意味は分かるでしょう?
 男子に二女を娶(めと)るの権あらば、婦人にも二夫を私するの理なかるべからず。試に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、一婦二夫、家におることあらば、主人よくこれを甘んじてその婦人に事(つかう)るか。
 明治の初めに、諭吉は女性の地位向上を説き、一夫一婦制を説いているのです。男女同権を唱えているのですね。
 この「中津留別の書」は諭吉の信念が表れてるものだと書いてありました。「学問のすすめ」で「学問とは、ただむずかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。」「実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬(たと)えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言(もんごん)、帳合いの仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤(てんびん)の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。」
 つまり、毎日の生活に役立つものを学ぶことを勧めています。学問のすすめをもう一度読んでみませんか?
 もう2年ほど前になると思います。NHKの「BS日本の歌」で、杉良太郎さんが「ぼけたらあかん長生きしなはれ」という歌を歌いました。「良い歌だな」と思って歌詞をインターネットで調べました。そしたら、岐阜県関が原の妙応禅寺で見た言葉「ぼけたらあかん長生きしなはれ」というのがありました。
 この妙応禅寺とは、
  西美濃三十三観音霊場第十八番札所 
  東海薬師四十九霊場第十三番札所
  岐阜県不破郡関ヶ原町今須 青坂山 妙王禅寺
 というお寺さんだと言うことです。そこに「ぼけたらあかん長生きしなはれ」が書いてあるそうです。
 読んでみますね。


  西美濃三十三観音霊場第十八番札所 
  東海薬師四十九霊場第十三番札所
  岐阜県不破郡関ヶ原町今須 青坂山 妙王禅寺

      ぼけたらあかん長生きしなはれ

  年をとったら出しゃばらず 憎まれぐちに泣きごとに
  人のかげぐち愚痴いわず 他人のことは賞めなはれ
  聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも知らんふりいつでもアホでいるこっちゃ  

  勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら
  若いもんには花持たせ 一歩さがってゆずるのが
  円満にいくコツですわ いつも感謝を忘れずに
  どんな時でもヘえおおきに

  お金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも
  死んだら持って行けまへん あの人はえゝ人やった
  そないに人から言われるよう 生きているうちにバラまいて
  山ほど徳を積みなはれ

  というのはそれは表向き ほんまはゼニを離さずに
  死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても
  お金があるから大事にし みんなベンチャラいうてくれる
  内証やけれどほんまだっせ
 
  昔のことはみな忘れ 自慢話は しなはんな
  わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも
  体がいうことをききまへん あんたはえらい わしゃあかん
  そんな気持ちでおりなはれ

  わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われる
  えゝ年寄りになりなはれ ボケたらあかんそのために
  頭の洗濯 生きがいに 何か一つ趣味持って
  せいぜい 長生きしなはれや

 読んでみると、お説教の言葉ですね。
 特に終わりの3行
   えゝ年寄りになりなはれ ボケたらあかんそのために
   頭の洗濯 生きがいに 何か一つ趣味持って
   せいぜい 長生きしなはれや
 これは、まさに生涯学習のことを説いているものと思います。
 七城生涯大学で学んでおられる皆様がこれからも生き生きと学び、長生きされることを祈って話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。