いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし |
平成20年4月5日 |
山鹿市鹿北総合支所 |
今、桜が見頃ですね。
ここまでの道々、あちこちで満開の桜がとてもきれいでした。三岳小学校の桜、岩野小学校の桜はことのほかきれいでした。今日あたり花見の宴があちこちで行われるのではないでしょうか。
花冷えというのでしょうか。少し寒うございますので、夜桜で熱燗がおいしいかもしれませんね。
桜をうたった和歌で有名なものが、
世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし(古今和歌集 在原業平)
があります。
少し桜について調べてみました。桜が歴史上初めて登場するのは「日本書紀」だそうです。そこには帝の酒盃に花ビラが風に誘われて浮かび、その桜のある場所を物部氏に探しに行かせるというエピソードが記されているそうです。1500年も前から花見の習慣があったんですね。
この頃の桜といえば山桜だったそうです。庭などで気軽に楽しむものではなく、遠くの山までわざわざ見にいくものでした。当時の貴族達が春の花として愛でていたのは、むしろ梅だったのです。
「万葉集」にある和歌の中で桜に関する和歌は42首。これに対して梅の和歌は118首も詠まれているそうです。梅を愛でる文化は、大陸からの影響だったと思います。
菅原道真の
東風ふかば におひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
は誰も知っている和歌です。
それが、春の花といえば、桜となったのはいつ頃からでしょうか。
「古今和歌集」では、梅の和歌が激減し、桜の和歌が100首に増えています。これは、奈良の都平城京から京都の平安京へ遷都されたことが関係しているのだそうです。この奈良から京へ都が移ったのは、「鳴くよウグイス平安京」と覚えました西暦794年のことですね。
貴族達は、かつての都、桜に囲まれた平城京を忍んで、貴族達は桜の和歌を詠み、また新都に桜を移植しました。桜の移植技術も発達し、山だけでなく都でも桜が鑑賞できるようになり、里桜を詠んだものもあります。こうして春の花の主役は、梅から桜へと移ったのでした。
私は小倉百人一首で遊んでいました。というより、高校生の頃無理に覚えさせられたのです。その中で今でも覚えていますのが、
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな 伊勢大輔 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ 前中納言匡房 花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり 入道前太政大臣 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 小野小町 ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 |
今では、愛の告白はバレンタインデーのチョコレートのようですが、平安の昔では、桜の花の枝木を送るのが愛の告白だったそうです。何とも風雅なものですね。
ところで、21世紀のキーワードは、「人権」「環境」「福祉」「生涯学習」などと言われています。
先ほど控え室で、総会の資料を読んでいますと、「更生保護女性の会綱領」に
一 私たちは、一人ひとりが人として尊重され、社会の一員として連帯し、心豊かに生きられる明るい社会を目指します。 二 私たちは、更生保護の心を広め、次代を担う青少年の健全育成に努めるとともに関係団体と連携しつつ、過ちに陥った人たちの更正のための支えとなります。 三 私たちは、知識を求め、自己研鑽に励むとともに、あたたかな人間愛を持って明るい社会づくりのために行動します。 |
とあります。
一は、人間尊重、人権尊重をうたったものでしょう。
二は、青少年の健全育成であり、地域づくりの精神です。
三は、生涯学習そのものです。
まさに、21世紀のキーワードそのものを実践していらっしゃる皆様と生涯学習について考えることができること、大変うれしく思います。
と言いますのは、私は県教育委員会で生涯学習の推進という仕事をしていたものですから、この生涯学習については少しこだわりがあるのです。
生涯学習が強く叫ばれましたのは、昭和50年代後半、時の中曽根康弘総理大臣が臨時教育審議会を設置し、これからの日本の教育の在り方を検討したときから始まります。この審議会は、社会の急激な変化が教育の在り方にも大きな影響を与えて、学歴偏重の社会的風潮や受験競争の過熱化、青少年の問題行動、あるいは学校教育の画一性、硬直性など様々な問題が指摘されるようになりました。また、産業・就業構造の変化、情報化社会の進展、各分野における国際化など社会の変化や文化の発展に対応する教育の実現が強く求められるようになったことからそれらに対応する教育の在り方を審議するために設置されたのです。この審議会の3つの柱は、「個性の尊重」「変化への対応」「生涯学習体系への移行」です。特に「生涯学習体系への移行」が打ち出された背景には、次の3つがありました。
○学歴偏重社会の弊害(受験競争、いじめ、不登校等)是正と評価の多元化
○社会の成熟化に伴う心の豊かさを求めた学習需要への対応
○社会・経済の変化に対応するための社会生活や職業生活に関する学習継続の必要
まず、学歴偏重社会の弊害是正です。今も高学歴を志向する風潮は変わりませんが、当時、大学受験が激化し、受験地獄などといわれましたように大きな社会問題となっていました。これは、学校を卒業して「何ができるか」ではなく「どこの学校を卒業したか」が就職に大きな影響を与えていた頃です。ですから、いつの間にか、大学に入ることが目的となりました。入試の合格発表のインタビューで「これからは大いに遊んで大学生活を楽しみたい」と答える人がいます。大学は遊ぶために行くところではありません。勉強するために行くところでしょう?
これはおかしいというので、人の評価は「学歴」ではなく「何ができるか」をいろんな物差しで測ろうではないかという考えです。そして、受験学力ではなく、生きて働く学力、つまり生きる力を子どもたちに付けさせようとしました。この考えが今の学校教育の基本の考えになっています。
次は、社会の成熟化に伴う心の豊かさを求めた学習需要への対応です。平均寿命の延びや機械化により、私たちの余暇時間が増えました。それにともない、第一線をリタイアしたあとも心豊かに過ごしたいとの人々の願いに応えるため、公民館やカルチャーセンターでいろいろな学習が行われるようになったのです。
ちなみに、生涯学習という考えはフランスのポールラングランという人が提唱した考えです。これは、次に述べます「社会・経済の変化に対応するために社会生活や職業生活に関する学習継続の必要」つまり、職業能力開発という考えでした。ヨーロッパでは心の豊かさを求める生涯学習の考えはありませんでした。ところが、日本で心の豊かさを求めて生涯学習を進めていることがヨーロッパに伝わり、ヨーロッパでも心の豊かさを求める生涯学習が進められるようになりました。
日進月歩進化している技術に対応するには、学校で学んだ知識を小出しにしている時代とは違って、常に学ばんで職業能力を高めるのが当たり前の時代になったのです。
皆さんも、例えば洗濯機を新たに購入されると、昨日までの洗濯機と同じ要領では使えないでしょう?炊飯器もそうですね。必ず、店の人から説明を受けたり、使い方を書いたマニュアルを自分で読まないと使えませんね。つまり、私たちが社会の変化に対応して生活するには、絶えず学んでいかねばならない時代になったのです。新聞を見てください。10年前とは比べものにならないほど横文字がたくさん並んでいるでしょう。先日の熊本県知事選挙でのマニフェストなどその最たるものと思います。
これまでの選挙公約とは違うそうですね。「何を、どうやって、いつまでに達成する」という道筋を数値化して示すのがマニフェストというらしいですね。
これまで述べましたのは、社会としての生涯学習の考えですが、個人としての生涯学習の考えは、洋の東西を問わず昔からありました。特に、我が国では、習い事がずっと昔からありました。そこに示していますのは、それらを表した言葉です。
孔子は、「論語為政」の中で
「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども 矩を踰えず」と言っています。
日本語では、「先生がいわれた、私は15歳で学問に志し、30歳になって独立した立場を持ち、40歳になってあれこれと迷わず、50歳になって天命をわきまえ、60歳になって人の言葉をすなおに聞くことができ、70歳になると思うままにふるまっても道をはずれないようになった」と訳されています。
これは次のように、年齢の別称としてもよく知られています。
15歳が志学 30歳が而立 40歳は不惑 50歳は知命 60歳は耳順 70歳は従心と言いますね。
孔子が示したこの一節は、人間がどう生きるべきかにつき、人生の年代順の生き方、人生設計を説いたものとして広く知られ、現代においても私たちに示唆に富んだ人生の指針を示しているものと思います。
孔子は74歳でこの世を去っていますが、その時代には80歳まで生きることは極めて希で、そのために70歳以後の目標を掲げなかったものと思います。しかし、90歳までも生きる現代においても、セカンドライフで「耳順・従心」を目標となるのではないかと考えます。
次の拓本は、佐藤一斎の言志四録のなかの言葉です。
「少にして学べば、則ち壮にして為すあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」と読みます。
佐藤一斎は、幕末の人です。儒学を学び、昌平坂学問所塾長となり、儒学者の最高権威として崇められました。門下生の中には横井小楠もいます。
この言葉は、西郷隆盛の座右の銘であったとも言われています。また、時の小泉純一郎首相が衆議院での教育関連法案の審議中に言志四録についてふれ、知名度があがりました。
ついでながら、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」とも言っています。これは、「春風のようななごやかさで人に接し、秋霜の厳しさをもって己を規制する」と言う意味です。
「桃栗3年柿8年 だるまは9年 俺は一生」は、武者小路実篤の言葉です。
「桃栗3年柿8年」というのは、日本の諺で、「桃と栗は芽が出てから3年で実を結び、柿は8年経ってから実を結ぶ。木にはそれぞれ種をまいてから実がなるまでに必要な年月がある。そのように人も、その職業や学問、技芸に応じて必要な年季を入れなければ、成果は期待できないものである」ということですね。
だるまの「9年」というのは、達磨大師が、インドから中国に禅宗を伝えるために、9年間少林寺で坐禅を続けたという故事によるものです。 どちらも「モノになるには大変な時間がかかる」という意味です。
では「俺一生」とは?
武者小路実篤は毎日のように書を書き、絵を描いそうですが、ついに上達しなかったそうです。若き日のノートに「デッサンは実にへたなり。勉強するつもり」と自作評を記し、晩年の色紙に「桃栗3年柿8年だるまは9年俺は一生」と書いているのです。つまり、生涯学び続けると言っているものと思います。結果が出なくても、一生懸命にやる姿がいいのです。
ところで、私たちの脳の老化は40歳代から始まるそうですよ。私は今64歳です。 時速60kmで老いの道を突き進んでいます。
その老いの特徴として次の5つが挙げられるそうです。「もの忘れが多くなる」「物覚えが悪くなる」「動作が遅くなる」「がんこになる」「新しい友だちなどがつくりにくくなる」ということです。
私には、このすべてが当てはまります。
今朝のことです。妻に「おい、あすこに行くにはどこば通ればよかったかいね?」と聞きました。自分では分かっているのですが、「鹿北町」という言葉がすっと出てこないのです。妻は「あすこじゃ、どこか分からんタイ。はっきり言わにゃん答えられん」と言います。この会話が終わるか終わらないうちに妻は「昨日買ってきたあれはどこに置いたね?」と言います。最近の私と妻との会話はこのような具合です。今笑っていらっしゃる方もこのような経験がおありのようですね。
動作も鈍くなりますよね。椅子から立つとき、「よいしょ」とか「どっこらしょ」などのかけ声が知らず知らず出ませんか?
新しい友だちも作りにくくなります。
じっとしておけば確実に脳は老いていきます。老いにブレーキをかけることが大切です。
脳を活性化させるには、次の3つの活動が良いそうです。これは東北大学の川嶋教授の提案です。
「読書をする。それもなるべく声を出して読む」「簡単な計算をする」「人とのコミュニケーションをはかる」を努めて実行することで脳が活性化するそうです。
皆さん方は、日頃から更生保護というすばらしい活動をしておいでですので、脳の老化は別世界のことでしょうが、私が市町村の公民館講座や生涯大学などで話をさせていただきますとき、小説などの一節を必ず一緒に声に出して読んでもらいってます。本日は、皆さんご存じの芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を準備しました。一緒に読んでみたいと思います。まず、しばらく黙読してみてください。
では、一緒に読みましょうか。
蜘蛛の糸 芥川龍之介 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。 するとその地獄の底に、ノ陀多と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。このノ陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこでノ陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。 御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、このノ陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。 |
今日は、はじめに黙読していただいて、声に出して読みました。これをはじめから音読すると、黙読ではすっと読み通した言葉が、読めなかったり、意味が分からなかったりで新たな発見をするものです。今読んだ中でも「玉」を「たま」と読むか「ぎょく」と読むかで、少し雰囲気が違います。どう読むかを考えるでしょう?「金色」も「きんいろ」と読むか「こんじき」と読むか考えるでしょう?声に出して読むとこのように新たな発見がありますし、新たな疑問が生まれ、辞書を引いてみようとなるのです。これも生涯学習です。そして、それだけ脳に血流を送り込み、脳が活性化するのです。
私の母は、今年88歳です。母に「声に出して読むと脳が若返るバイ」というと、母は「私は毎日蓮如上人のごもんしょう「白骨の章」を読んでいるケン良かろ」と言います。朝晩仏様に向かっておつとめをしています。これは、もう読むというよりそらんじていることを唱えているようなものです。声に出して読まないよりは良かろうと思いますが、本や新聞を声に出して読む方が良かろうと思います。「新聞がよかバイ」と勧めました。新聞1面の記事を声を出して読むのはとても良いそうです。それは、新聞記事は毎日文章が変わるからです。試してみませんか。
3月末には、茨城県土浦市と岡山市で若者によるとても痛ましい事件がありましたね。「人を殺せば死刑になる」「だれでもよかった」などと言っているそうです。どんな家庭で、どんな育ちをしたのでしょうか。こんな事件が起きる度に家庭教育の在り方が問われます。
最近の家庭における親子関係が、友だち感覚になっているように思えてなりません。もっと、家庭において、父性の心で厳しさを、母性の心で優しさを育てて欲しいと思います。
昔から、子育ての3原則、「うそをつかない」「人様のものを盗まない」「無益な殺生はしない」は、どこの家庭でも口が酸っぱくなるようにいつも子どもに言って聞かせていたでしょう。今はどうでしょうか?
「子育ては親育ち」は、以前から言われ続けている言葉です。お示ししていますのは、アメリカの心理学者 ドロシー・ロー・ノルトの「子は親の鏡」です。
読んでみます。
子は親の鏡 ドロシー・ロー・ノルト けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる 不安げな気持ちで育てると、子どもも不安になる 「かわいそうな子だ」といって育てると、子どもは、みじめな気持ちになる 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう 励ましてやれば、子どもは、自信を持つようになる 広い心で接すれば、キレる子にはならない ほめてあげれば、子どもは明るい子に育つ 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ やさしく思いやり持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる |
読んで字のごとしですね。
今学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」の視点から子どもの指導が行われています。
ある方がこんなことを私に話されました。
用事があって、娘の家に行くと、孫が大きな魚を釣って帰ってきました。私が「うわー、大きな魚ば釣ったねぇ」と褒めようとするより早く、娘が「そぎゃんふとか魚ば持ってきて、うちには養うところは無か。はよう、川に逃がしてきなっせ」と言うではありませんか。孫は釣った魚を母親に見せると褒められると思ったのでしょう。褒められるどころか叱られてしまってしょんぼりしていました。私は、あとで孫に「大きな魚ば釣ったね。魚が釣れたときはうれしかったろう。でもね、お母さんが言うように家では養われんバイ。魚は川に逃がしてやろうよ。魚も喜ぶバイ」と言いました。孫は、にこっと笑って川に放しに行きました。褒めてやらにゃんですよね。
認め、褒め、励まし、伸ばすことで、自尊感情といって自分自身が好きになる感情がはぐくまれてきます。自分自身が好きになると言うことは、向上心が生まれ、自分から学習する意欲、つまり、チャレンジ精神が旺盛になります。また、自分自身が好きということは、自分自身を大切にします。他人も大切にします。つまり人権尊重の心がはぐくまれるのです。自尊感情をはぐくむことは、生涯学習と人権尊重の基礎です。
どうか、ご家庭や隣近所にこのドロシー・ロー・ノルトさんの言葉を広めてください。
1月、恵楓園に研修に行きました。ハンセン病に関する間違った理解が元で数多くの差別事件が起きたことは皆さんご存じの通りです。
その中で、昭和29年に龍田寮児童通学拒否事件というのがあります。
菊地恵楓園に入所している親をもつ子どもが生活している竜田寮の子どもが、地元の黒髪小学校に通学することにPTAの間から反対の声があがるという、通学拒否事件です。
「ハンセン病はうつる病気、恐ろしい伝染病」と思いこんでいたことにより、ハンセン病患者への偏見と恐怖により起きた事件です。竜田寮の子ども達の登校に反対して、同盟休校へと発展したのです。当時の熊本商科大学長が竜田寮の子どもを引き取り、そこから通学させるということで、解決しました。
「黒髪小PTAの反対派をそこまでかりたてたのは、ハンセン病は恐ろしい病気である、うつる病気であると人々が思いこんでいたからです。わが子を思うあまり取った行動であったと思います。このとき、伝染力は極めて弱く、うつることはないとの理解が出来ていればこのような事件は起きなかったでしょう。無知、知らないことは偏見を生みます。偏見は差別につながります。物事は正しく理解することが大切です」と元恵楓園長由布先生から聞いたことがありました。
正しく理解しないで、みんなが言うからとの思いこみは案外多いものです。何かの過ちで刑罰を受け、罪を償った人が更正しようと思っても、「あの人は犯罪を犯した人」という目で見る人が社会には多いと思います。ですから、更正しようと思っても更正がなかなか難しいという現実もあるでしょう。皆さんが活動しておられる更生保護の仕事をもっと社会全体で進めたいですね。
私たちの生活の中には、このように意図しない学習や教育の結果は多いものです。部落差別をはじめあらゆる差別をなくす行動力を身につけるために、毎日の生活の中で偏見や差別意識を正すために学習することが当たり前になることが大切だと思います。
私たちの考えやイメージの中には、意図的に学習して学び得たものと、まるで空気を吸うがごとく無意識のうちに作り上げられたものとがあるのです。どんなものがあるか、ちょっとみてみましょうか。
皆さん、総会資料のあいているところに魚の絵を描いてみてください。
魚の頭が左向きを描いた方、手を挙げてみてください。ほとんど全員ですね。
右向きの方は? あっ、お一人いらっしゃいますね。すごいですね。
私たちは、どうして魚の絵を描くのに頭が左を向いている絵を描くのでしょう?
そうですね。食事の時、尾頭付きの魚は左が頭ですよね。図鑑や事典などの魚のほとんどが頭は左を向いています。毎日の生活で、それらを見て知らず知らずのうちに自分の頭の中で頭が左を向いている魚をイメージしているのです。
牛の色もそうですよ。皆さんは「あか牛」「くろ牛」「白黒の牛」どれを思い浮かべますか?
あか牛の方? うわぁー、多いですね。
くろ牛の方? 4人です。
しろくろの牛の方は? 5人ですね。
2月産山村でこの事をお尋ねしたら、全員があか牛でした。天草では黒牛でした。熊本市内ではだいたい、3分の1ずつです。
つまり、生活の中で無意識のうちに学習して、よく見ている牛を思い浮かべます。これが、時として、固定観念として他の人にいやな思いをさせたり、排除したりすることがあります。差別につながることがあります。
私が小さい頃は、「はだいろ」という色がありました。今はありませんよね。白人や黒人などいろんな肌の色をした人がいる中で特定の色をはだいろとするのはおかしいということからはだいろはなくなりました。おかしいと思うことは、正しく学習することが大切です。
これまで、生涯学習について見てきました。
本日の講演のテーマにしましたのは「いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし」という島津日新斎のいろはカルタです。
いま、NHK大河ドラマ「篤姫」が放映されています。これは幕末期、島津斉彬の養女として活躍した島津家の姫のお話ですが、この島津家繁栄の基礎を作ったのが島津忠良、のちの日新齊です。
忠良は教養が深く、「いろは歌」を作りました。
この「いろは歌」は武士としての儒教・道徳感を養うために忠良自身が考えだしたもので、薩摩藩の士風強化の聖典となったものです。
「我が行いにせずばかひなし」つまり、「学んで得たものは行動に移しなさい」ということですね。
今、ボランティア活動が盛んです。ボランティア活動は、地域のためというより自分のためという考えの人が多くなりました。ぜひ、地域づくりに生かして欲しいと思います。
私は、公民館講座で「そろばん」を教えています。40歳代から80歳代まで20人の方が熱心に学習しておられます。講座の日、私を待ちかねたように私に「先生、ここはどうするのでしょうか? 何度しても答えが合いません。教えてください」とおっしゃいます。とても学習熱心な方達です。64歳の方は、昨年4月、一からそろばん学習に取り組まれました。その方が2月の検定試験では6級の合格され、現在5級に挑戦しておられます。70歳代のある方は、足し算引き算はできていました。しかし、かけ算・わり算はまったくできませんでした。その方が、2年かけて昨年11月4級に210点で合格されました。4級までは、正答率が7割で合格ですから、ぎりぎり合格なんですね。私が「おめでとうございます」と言ってもうれしい顔はされません。そして次の学習日に、「先生、私は日頃は250点くらいとっていました。210点の合格では悔しかったので家で一人で試験と思ってしてみました。時間は32分かかったけど300点満点でした。思わず万歳と叫びました」とおっしゃるのです。このように学習意欲旺盛な方達です。
この方達と一緒に、小学校3年生のソロバン学習のお手伝いに行きました。先生からも子どもからも大変喜ばれました。学んで得た知識や技能を社会に還元したいものですね。
熊本の地域教育力「3つの提言」は、お帰りになってからお読みください。
昨年亡くなりました植木等さんは、とても責任感が強い方だったそうです。その方が無責任ものの映画で「わかっちゃいるけど やめられない」なんて歌っていました。よく考えてみると、やめられないのなら、わかっていないのと同じです。
かつて、唐の道林という禅師は、詩人白居易から「仏の教えで一番大切な事は何ですか?」と質問され、「悪い事をせず、善い事をすることだ」と答えたそうです。白居易が「そんなことだったら3歳の子どもだって言えるぞ」と言い返すと、道林は、「3歳の子どもでも言えるかもしれないが、80歳の老人でも行う事は出来まい」と切り返したそうです。
このことは「知って行わざるは 知らざるに同じ」と言う言葉に表されています。
わかっていることを実行するのは大変な事です。でも、「これは悪い事だ」と思う事はすべきではないし、「善い事だ」と思う事はどんどん行動していくべきだと思います。
皆さんご存じの「次郎物語」で朝倉先生が次郎達に「白鳥芦花に入る」と説きます。これは、真っ白な鳥が、真っ白な芦原のなかに舞い込むと、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた芦原が一面にそよぎ出すという意味です。朝倉先生は、地域づくりで派手なことをするのではなく誰が始めたのか分からないがそれがやがて大きな運動に広まることを願ってこの言葉を次郎達に説いたのです。
皆さんの活動が、「白鳥芦花に入る」のように静かに広まることを祈念して話を終わります。
長時間のご静聴ありがとうございました。