子どもの生きる力をはぐくむ家庭
平成12年3月
高浜小学校家庭教育学級

1 はじめに
 ただいまご紹介いただきました中川です。
 私は、今ご紹介があったように9年間、社会教育の仕事をしていました。6年間、県の社会教育課に勤務していました。
 2月26日の新聞を見て、みなさん誰しも驚かれたことと思います。
 一つは、福島知事の突然の訃報です。
 校長室にも掲額してあった熊本の心「助けあい、励ましあい、志高く」を提唱されたのは福島知事です。熊本の心推進協議会が母体となって、県民運動としてこの熊本の心の普及啓発がなされています。私は、この熊本の心を「互助の精神」「切磋琢磨の精神」そして「自己を高める向上心を持ってのチャレンジ精神」と受け止めています。この心はまさに、現在の子どもたちに最も身につけてほしいものの一つです。
 個人的なことですが、県庁の食堂で食事をしていたとき、
 「どこの課で仕事をしていますか。」
 「社会教育課で生涯学習の推進に関する仕事をしています。」と応えると
 「熊本の社会教育、生涯教育の振興にがんばってください。」と激励されたことがつい昨日のことのように思い出されます。
 また、熊本県青年団協議会の総会などにもよく出席していただき、会員の乳飲み子を抱きかかえ赤ん坊に声をかけたり、ほほずりされていた姿を思い出します。福島知事のご冥福を祈ります。
 二つは、福岡県芦屋町立芦屋中学校での校内殺人事件です。社会面を見て、大変なショックを受けました。生徒同士のけんかによる殺人事件でした。
 2年前、栃木県黒磯中学校で先生が生徒からナイフで刺され死亡した事件がありました。あのとき、日本中がびっくりしました。あの事件以来、次から次へとびっくりする事件が起きています。
 私たちは、このような事件を「我がごと」としてとらえ、我が子が、我が学校の子が、我が地域の子がこのような事件に巻き込まれないような「心」は育っているのであろうか。点検してみる必要があると思います。
 これから一緒に考えていきましょう。

2 家庭について
 家庭とは、「家」に「庭」と書きます。ここでいう「庭」とは、木や草が生えている庭とは違います。「心の庭」のことです。心の庭とは、くつろぎの場、ほっとする場、ストレス解消の場などです。
 子どもが生まれて最初に出会うのは母親ですね。子どもにとって人生最初の師は親といわれています。格言に「一人の賢母は百人の教師に勝る」という言葉があります。母親の役割の重要性を表した格言です。この格言をかみしめたいと思います。
 また、ユダヤの格言「石鹸は身体のために。(感動の)涙は心のために。」があります。
 ある研修会で感動のあまり涙を流してしまった話です。
 それは、家が農家である大学生の話です。
 親元を離れて東京の大学で学んでいる学生が、夏休みに帰省したときのことです。夕方遅く、農作業を終えて帰ってきた父親に、「父ちゃん、疲れたろう。足ば洗ってやるけん出しなっせ。」と手桶で父の足を洗ってやっているとき、「自分が子どもの頃の親父の足はもっと美しかったのに、ひびがはいってしまっている。こんなにまで苦労して俺を大学にやっているのか。父ちゃん、ありがとう、ありがとう、ありがとう。」と目から出る涙を拭き拭き父の足を洗っていると、その大学生の首筋に暖かいものが一粒二粒落ちてきたというのです。この親子にはこれ以上の言葉はいらないでしょう。このような親子でありたいと思います。
 このことが、涙は心のためにではないでしょうか。

3 社会の変化と家庭の変化
 皆さんの中で、はがまでご飯を炊いたことのある人はどのくらいいますか。
 農家に生まれた私は小学生の頃よくご飯たきをしていました。火加減がわからず、途中でよく蓋を取っていました。稲わらで火を焚いていましたので蓋を取ると、わら灰がご飯にはいったり、煙が入ったりで、「炊きあがるまで蓋は取るなていつも言いよるだろうが」とよく親から注意されていました。私はいつ炊きあがるのかが分からないので蓋を取っていたのです。しかし、何度か失敗しながらご飯の炊き方を覚えました。失敗をしながら火加減を覚え、勘所を覚えていったのです。
 ご飯炊きの極意を言い表した言葉を知っていますか。
 はじめちょろちょろ、なかぱっぱ。赤子泣いても蓋とるな。じわじわどきに火をひいて、10分たったらできあがり。
 「はじめちょろちょろ。」「中ぱっぱ。」「蓋とるな。」「火を引く。」「待つ。」このご飯が炊きあがる過程を大切にすることが美味しいご飯を炊くこつなのです。これは子育ても同じだと思います。結果だけに目がいくのではなく、過程を大切にすることです。
 技術革新によって、私たちの生活は何事も早くて、便利で、簡単にできるようになりました。その反面、手間暇かけるということが少なくなってきました。
 結果だけを重視して、その過程を見落としています。
 産業構造の変化によって、 家族と共に働く機会が減少してきました。経済成長によって消費社会となり、ものを欲しがる欲求が再生産されています。
 子どもが店の前でだだをこねると、「しようがない子ね。」と言ってものを買い与えてしまう親が増えています。新潟の女児監禁事件を起こした容疑者は、「車がほしい」「自分の部屋がほしい」と欲しいものがエスカレートしていったというのです。我慢することを経験しないまま大人になってしまったのです。これは、親の家庭教育の間違いです。
 今は情報化社会です。性に関する情報をはじめとした情報が氾濫しています。価値観の多様化という名の下にしつけが甘くなり規範意識が低下してきました。
 よその単車を乗り回したことがわかって、「親から坊主頭になりなさい。」といわれ、散髪に行くと「そぎゃんことぐらいで頭を丸めんでもよかろうもね。」と大人が言うのです。これは価値観の多様化でしょうか。私は価値観の希薄化ではなかろうかと思います。
 都市化が進展しています。町そのものの都市化と心の都市化が進展していると私は思います。人とのつながりが希薄化しています。子どもたちが自然の中で遊ぶ機会が減少しています。
 昔は子どもたちは群遊びをしていました。小学生から中学生まで一緒になって夕方暗くなるまで遊んでいたものです。そこには、いわゆるガキ大将といわれる年上の子がいて、年下の子にいろいろと教えていました。ヒバリの巣を見つけてはいつごろ雛をとるか、川で泳ぐときこのあたりは深みがあるから気をつけろ、藻に足を取られるな、上流から下流へ川の流れに沿って泳ぐと泳ぎが上手になるぞ、椋の実が熟れたから取りに行くぞなどなどたくさんのことを私は中学生から教えてもらいました。また、ときには悪いことも教えられました。しかし、そこには、自分たちで作ったルールがあり、それをみんなが守っていました。子どもたちのつながりができていました。今の子にはそれがないのです。
 家に友達が遊びに来ても、みんな勝手なことをして遊んでいることが多いようです。テレビゲームに興じる子、漫画の本を読む子など同じ部屋にはいるがそれぞれが違うことをしているのです。これでは、本当の意味の仲間意識は育たないと思います。
 少子化が進んでいます。一人っ子、あるいは兄弟姉妹2人というところが多くなりました。子どもが3人というと「3人ですか」と驚きの目で見られると聞きます。兄弟姉妹での切磋琢磨、教え合いなどの触れあいが減少してきました。
 私は4人兄弟の長男です。よく弟をおんぶして遊んでいました。コマ回しをしたり、陣取りをしたり、メンコ、私たちはしかっぱんといっていましたが、弟を背にからってよく遊びました。時には、背で小便を漏らされたこともありました。兄弟喧嘩もよくしました。しかし、兄弟ケンカを通して殴り合いでは手加減することを学びました。仲直りの仕方を学びました。助け合うこと、思いやることを学びました。
 ある数学者の話です。「昔は、兄弟姉妹におやつを与えるとき、『10個のあめ玉を3人で分けて食べなさい。』などと言っておやつを与えていた。分けるとき残りの1個を誰がとるかでよくけんかをした。そこに、数概念が生まれる。最近はたくさんの数のあめ玉を皿に入れ、『あなたが好きなだけ食べなさい。』と与える。これでは、数を意識しない。」これは私たちが肝に銘すべきことではないでしょうか。
 核家族化も進行しています。これが、家族間での心のぬくもりや思いやりを学ぶ機会の減少につながっています。1昨年まで、山間部の学校に勤務していました。ほとんどの家庭が3世代同居でした。子どもたちはお祖父さん、お祖母さんの優しさを学んでいました。高齢者の生きてきた知恵を知らず知らずのうちに学んでいました。嫁舅の関係はいつの時代もどこの場所でも同じです。悩みはあるでしょうが、3世代同居は子どもにとってとてもすばらしいことです。
 学歴偏重社会の進展によって高等教育志向が増えてきました。このことによって子どもの遊びや諸々の体験が少なくなってきました。
 親子関係にも変化が見られるようになりました。親子関係は自然的あるいは感情的関係です。契約関係は、学校の先生と子どもの関係です。最近、家庭によっては、親子の関係が契約関係に近いところがあります。小学校高学年になっても1度も叱られたことがない、たたかれたことがないという子がいます。親子であれば、よいことをしたときは思いっきり褒め、悪いことをしたときは思いっきり叱ったり、たたいたりしてもよかろうと思います。親子はある程度感情でつながっていてもよいでしょう。これが児童虐待につながってはいけませんがね。
 近頃の子どもたちには真の「生きる力」が育っていないことから文部省は教育改革の大きな目標に「生きる力」の育成を掲げました。

4 生きる力
 「生きる力」を次のようにしています。
○いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。
○自らを律しつつ、他人と共に協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。
○たくましく生きるための健康や体力。
 この生きる力は、学校だけではぐくまれるものではありません。学校、家庭、地域の3者が真に連携して我が学校の、我が家の、我が地域の子どもを育てる視点に立たねばならないと思います。

5 家庭で育てる生きる力の基礎・基本
 生きる力の基礎基本は家庭で育てる基本的生活習慣の定着だと私は考えています。基本的生活習慣の定着の中で、必ずしつけておいて欲しいのが、「うそをつかない」「どろぼうをしない」「無益な殺生はしない」の3つです。この3つは時代がいかに変わろうと家庭でしつけねばならない家庭教育の不易の部分です。さらに、次のことも各家庭でしつけて欲しい基本的なものです。
  ・あいさつ(朝起きての「おはよう」から)
  ・大きな声での返事
  ・感謝の心
  ・礼儀(履き物をそろえる)
 あいさつは家庭からといわれます。朝起きて、夫婦間で「おはよう」と挨拶を交わしておられるところは挙手してください。(60名近くの参加者のうち、3分の1程度が挙手。その多さにびっくり。)こんなにたくさんの方があいさつを交わしておられるのですね。明日からは、高浜町全戸で「おはよう」の挨拶を交わしてください。
 今年は祝日法の改正で、成人式が第2月曜日となりました。甲佐町の成人式に参加しました。式に参加した新成人の態度はとても立派なものでした。一人として私語を交わす者もなく、式辞や祝辞を聞いていました。しかし、新成人の氏名点呼となったとき、司会が「大きな声で返事してご起立ください。」と何度も促しますが誰一人大きな声で返事する者がいないのです。冒頭に私個人の自己紹介で親が名付けた願いを紹介しましたが、どこの家庭でも子どもの誕生を祝い、親は大きな期待を込めて命名します。親が名付けてくれたこの世に一人しかいない自分の名前を呼ばれたらどこであろうと大きな声で返事をし、自己の存在を示したいと思います。今の子どもたちはというより、大人も含めて返事をしない人が多いです。返事ができる子に育てましょう。
 次に子どもに心を育てて欲しいと思います。我が子に心が育っているかを見る鏡としていくつかの心を列記してみました。ご覧ください。
○子どもの心に育てたい力のいくつかです。読み上げてみます。
 正義感、卑怯を憎む心、倫理感、報恩感謝の心、人を敬う心、向上する心、我慢する心、もったいないの心、謙虚な心、人を思いやる心、ありがたいと思う心、感動する心などまだたくさんあると思います。それぞれの家庭でうちはこれだけはというものがあるはずです。
 恩について県子供会連合会の副会長は「今の子どもに身に付いていない3つの恩がある。それは、親の恩、先生の恩、地域の恩である。」と言っておられます。子どもに親の恩が意識されているなら家庭内暴力など起こることはないでしょう。子どもに先生に対する恩が意識されているなら対教師暴力など起こるはずもありません。ところが、もうすぐ卒業式を迎えますが、中学校の生徒指導担当の先生の中には「いつ、生徒から囲まれ殴られるか分からない。それを覚悟で指導している。」と言っている先生もいます。地域の恩を意識していれば我がふるさとをいつも誇りに思い、我がふるさとの話をするでありましょう。そういう子どもに育てたいものです。
 ある若い女性の話です。
 「寒い夜、恋人とのデイトで公園を散歩していました。寒かったので二人で片寄せあって互いの体温でぬくもりを保って歩いていました。そのとき、彼が『「寒くないかい』」と聞いてきました。私はなんて心の優しい人だろう。私のことをこんなに思いやって気遣ってくれる。こんなに優しい人であるなら結婚してもいいと思いました。『寒くないかい。』の一言で、心が温まりました。そこで、『寒くありません。』と答えました。する彼は『寒うなかや。おれは寒か。そんならあたの上着ば、貸せ。』と言って私の上着を脱ぎとろうとしました。それ以来、逢っていません。」と。
 いろんな心は、それを育てようと意識しても育つものではありません。いろんな体験を通して子どもの心は育っていくものです。体験を豊かにすることです。勤労体験、ボランティア体験、触れあい体験、自然体験など家族で、親子で、そして、子どもたち同士で体験させたいものです。
 フロンティアアドベンチャー事業での食事作りのことです。
 無人島や山の中で小学4年生から高校2年生までの子どもたち70人が10泊11日のキャンプ生活を体験する事業を県社会教育課で実施していました。久木野村で行ったキャンプでの出来事です。
 毎日毎日雨が降り続くキャンプでした。ある日、大雨が降り10班ある生活班の中の1つの班を除いてすべての班の竈が水浸しとなり、火を燃せない状態となりました。ご飯が炊けないのです。1つの班と私たちリーダーだけがご飯が炊け、朝ご飯をいただきました。子どもたちは空腹のため、私たちリーダーのテントにやってきて、私たちの食事を恨めしそうに見ているのです。私たち教員出身者は「食べるご飯がなくてかわいそう。私たちの食事の一部を分けてあげようか。」と言いいました。それに対してキャンプ協会の人が言った言葉は「人は1食や2食、食事を抜いても死にはしない。これも経験。絶対に食事を分けてやってはならない。」というものでした。心を鬼にして子どもたちを空腹のままにしておきました。子どもの学習がそこから生まれたのです。
 「自分たちの竈は水びたしになってご飯が炊けないのに、どうしてあの班の竈は水が入らないでご飯が炊けるのだろうか。」と必死になって観察し、竈の周りに排水溝を作り、竈はビニルで覆いをすることに気づいたのです。これこそ、本物の「生きる力」ではないでしょうか。
 中国のことわざに「聞いたことは忘れ、見たことは覚え、体験したことは理解できる」があります。
 今晩、私が言いたいことはレジメに書いてきました。これは、皆さんも今晩聴いたことは、聴いているときは「うん。うん。」と頷き理解しておられますが、すぐ忘れてしまわれると思い、私が言いたいことは忘れてもらわないようにレジメに記してきたのです。
 これは冗談ですが、話を聞くことより、自分で体験することの方がはるかに理解でき、自分のものになります。子どもには大いに体験をさせましょう。そして、情緒を育てましょう。私が言います情緒とは、
 成し遂げたよろこび、克服したよろこび
 恥ずかしいおもい、悔しいおもい、辛いおもい、悲しいおもい、
 腹が立つおもい
などです。
 子どもには、本物を体験させて、体験から情緒を育てたいのです。自分で一生懸命努力して成し遂げた喜びを味あわせたいのです。克服した喜びを味わわせたいのです。

6 具体的取り組み 「自立できる人」「社会に調和して暮らせる人」に
(1)家族のふれあい
@乳幼児期における親子の絆形成
 第2次世界大戦後、アメリカ人は日本人が人前でも肌をさらして乳飲み子に母乳をやっていたのをみて、恥ずかしいことだと言っていたそうです。それが原因であるかは定かではないのですが、現在、若い母親がおっぱいを乳飲み子にふくませている光景はあまり目にしません。しかし、現在のアメリカでは、乳飲み子を母乳で育てる母親が多いと聞きます。母乳で育てるのは、体の成長の栄養ばかりでなく、肌の触れ合いにより心の成長のための安定感を乳飲み子に与えているのです。 母という字は「垂乳根の母」というように、母という字の「、」は、乳首の意味があるのではないかと思います。今では乳首の「、」ではなく、森永ミルク、明治ミルクの「ミ」がはいるのかもしれません。
 親子の強いきずなが、基本的生活習慣の定着や社会生活に必要なルールやマナーを教えること、つまり、しつけることにつながっていくのだと思います。しつけとは、しつづけることであり、我慢を繰り返し教えることです。それは、他人に迷惑になることをしない自制力、人に不快や害を与える行動をチェックする意志力を身につけさせることでもあります。
 イギリスのしつけの原則について、「子どもは見られるべし、聞かざるべからず」という言葉があります。
 見られるべしとは、人前ではじっとおとなしくしていなさいと言う意味だそうです。
 聞かざるべからずとは人前ではむやみにしゃべってはいけないという意味ということです。これは、公衆の前で騒ぐなどの迷惑をかけない子に育てるというしつけの基本をいっているのです。
 我慢する力と自己統制力(思うようにならないとき、自己をコントロールする力。)
 今、「キレル」とか「むかつく」、「ジコチュウ」などの言葉があります。これは、生理的、社会的欲求を我慢できないフラストレーションの状態をいいます。
 以前の日本では、欲しいものが手に入らないときは、誰もが諦めるか、待つか、人から借りるなどの行動をとりました。現代は、欲しいものが手に入らないときは、盗んだり、暴力に訴えて自分のものにしたり、家に籠もったりなど不適切な行動をとる子がでてきました。これは、勉強さえしていればたいがいのことは大目に見たり、真剣に叱られたりした経験がないことなどの面もあると思います。
 我慢する力と自己統制力はとても関係が深いのです。
A父親の出番
 子育ては、母親任せという父親が多いようです。父親が子育てに積極的にかかわることが大切です。私がかつてある学校で担任した万引きをした子の例を話します。万引きをした子の保護者のとる対応に3つありました。
 1つは、母親が父親に話し、両親と子とであやまりに行く家庭です。
 2つは、母親が父親には知らせたが、母親と子どもとであやまりに行く家庭です。
 3つは、母親が父親には知らせないで、母親だけがあやまりに行く家庭です。
 両親と子とであやまりに行った家庭のほとんどが2度と万引きする子はいませんでした。それは、自分がしたことを両親が肩をふるわせて詫びている姿を目の当たりにした子どもは、親にこんな思いをさせて悪かったと心から反省するからです。親は子どもがしたことは親の責任と捉え、その責任感が謝罪する姿に表れるのですね。そんな親だからこそ、両親そろって謝りに行きました。その姿に強く心を動かされない子どもはいません。
 母親と子どもとであやまりに行く家庭の半数は、万引きをまた繰り返しました。特に、父親の態度に問題があるのです。「子育てはおまえに任せているから、おまえがあやまってこい。」「おれは世間に対して恥かしか。」など現実から逃げようとする態度が子どもを本心反省させきれないのです。
 「今度のことはお父さんには内緒にしておくから、うんと勉強せなんよ。」などの言葉があったら子どもは万引きの社会的悪さに気づかずに終わります。
 父親の毅然とした姿勢で社会のルールを破ることの悪さを教えていかねばなりません。「悪を憎む。」「悪いことは悪い」などの強さは父親が教えるべきことではないでしょうか。
 今は筍が旬である。子育てにも旬、つまり適時がある。悪いことをしたときは、思いっきり叱ったり、たたいたりして指導してもよかろうと思います。教師が子どもへの体罰は厳に禁止されていることでありますが、「親が我が子を叩いてでもしつける。」これは当然のことです。これが感情的関係です。
 私は、正義感や卑怯を憎む心、ルールを守る心など精神的強さは父親が理屈抜きで教えることだと思います。他を思いやるなどの優しさは母親が教えることだと考えています。異論がありましたら後でお聞かせください。ある人は、このことを父性と母性といっています。
B祖父母とのふれあい
 祖父母とのふれあいにより、心のぬくもりや思いやりを学ばせてください。
C一家団欒
 一家団欒の時間を持ちたいと思います。家庭の中で、話し声、笑い声、歌声を絶やさずにしましょう。そして、怒鳴り声、怒り声、泣き声を減らしましょう。
(2)家族の一員としての役割分担
(3)子どもの居場所つくり
 家庭は、子どもの居場所があるところです。子どもの心が安らぐところです。子どもがストレスを解消するところです。子どもが心を開くところです。ところが、家庭がこのような機能を果たしていない家庭が増えているいうことを聞きます。
 「夕焼小焼」という童謡があります。皆さん、小さい頃歌われたでしょう。私はよく歌っていました。歌詞を読んでみます。
 夕焼小焼で 日が暮れて
 山のお寺の 鐘がなる
 お手々つないで 皆かえろ
 烏と一緒に 帰りましょう

 子供が帰った 後からは
 円い大きな お月さま
 小鳥が夢を 見る頃は
 空にはきらきら 金の星
 夕暮れ時になったから、「急いで家に帰る」これが生き物の習性です。子どもが帰る家を創りましょう。
(4)体験の機会を豊富に
 今の子どもたちに体験が少なくなってきたことはもうずいぶん前から指摘されていることです。高学歴重視の風潮が出始めた頃からです。「仕事はせんでよかけん、勉強ばせー」といわれるようになった頃からです。皆さんももしかしたらこのような考えで育ってきた世代ではないでしょうか。
 自然体験、社会体験、勤労体験、ボランティア体験など、自分の汗を流して体験したことは人はいつまでも忘れません。それは、本物の感動が心に残っているからです。それが、生命や自然のへの畏敬の念、思いやりなどの情緒を養っているのです。
 仲間との群れ遊びもそうです。時間も忘れて遊び回った体験は人の成長の過程でとても重要な役割を果たしています。昔からよく言われているでしょう。「よく学び、よく遊べ」って。
 宮崎フェニックス自然動物園長さんの話です。
 猿の世界でボス猿になる猿はよく遊んでいるそうです。体を動かしてよく遊ぶ猿は、腹も空くので、どこに餌になる木の実があるかをすぐに見つけることができるのだそうです。どこが危険であるかをすぐに察知できるらしいのです。どんなことをすれば仲間の猿から嫌われるかが自然と身に付いてくるのだそうです。そこで、仲間どうしの秩序を保つ術を自然に覚えるといいます。体を動かすので、自然に体力や腕力、知力が付いてくるということです。人間も全く同じです。遊びで生きる力を獲得すると思います。 
 それで、知的面での評価ばかりでなく、生活面での評価も大切にして欲しいのです。結果より、過程をたいせつにしてください。努力を認める姿勢、これが親に欲しいのです。
 何かを仕上げたとき、「長い時間かかったね」「汚い字ね」「間違いだらけよ」より「頑張ったね」とその過程の努力を認めると子どもはどれだけ、次への意欲がわくでしょう。
 「後で見るからね」は子どものやる気をそぎます。その場で褒めることです。
 家の手伝いは責任を持たせ、やり遂げたらそれをきちんと認めてやることです。親からの注目や関心、賞賛は社会的なものです。この積み重ねが、自分を認め、自分を大切にできる人となります。「自尊感情の高い人」となります。これが意欲や向上心、自信につながります。つまりは、自立できる人となります。
 結果だけにしか目にがかない親を風刺した笑い話です。
 「おい、○男。今日は通知票ば先生からもろうち来たろう? 早よ、見せんか。」
 子どもは黙って通知票を父親に見せます。
 「なんや、この通知票はえらい冷たかね。」
 通知票を冷蔵庫に入れておいた子ども曰く
 「お父さんやお母さんは僕の通知票ば見ていつも言うだろうがいた。おまえは悪なるばかりねって。だけん、これ以上悪うならんごつ、冷蔵庫に入れといた。」

7 生きる力の基礎・基本
 私は「生きる力の基礎・基本」は、「読み、書き、計算、それにコミュニケーション力とストレス解消力、NOといえる力」だと思っています。
 読み、書き、計算は言わずもがなですが、人とのコミュニケーション能力が求められています。ある大学の先生に聞いた話ですが、最近の学生は麻雀はあまりしないのだそうです。4人でコミュニケーションを取りながらの遊びより、一人でできるパチンコやパソコンゲームをする学生が多いのだそうです。
 びっくりしたのは、「恋人」関係ではなく、「セックスフレンド」の関係が増えてきているということです。
 「恋人」の関係だったら、意見が衝突したとき、あるいはうまく気持ちが通じ合わなかったとき、いろいろと悩むでしょう。これは皆さんおおいに経験有りでしょう。この悩むところに青春の思い出がたくさんあるはずなのに、今の学生はこの思い悩むことを嫌うのだそうです。「セックスフレンド」はあれやこれやと思い悩まなくてすむのだそうです。楽しければいつまでも続けるし、楽しくなければそこで「さようなら」だそうです。こんな関係は本当に情けないと思いませんか。猿の子どものことでも話しましたが、小さい頃からこんなことをしたら相手がいやがる、こんなことは言ってはいけないなどのコミュニケーションの力をつけていくことです。
 情報活用力、これも改めてお話しすることもないでしょう。膨大な情報量の中から、自分に必要な情報を収集し、分析し、それを活用する力が必要になります。つまり、21世紀を生きるには、学力ばかりでなく社会の変化に対応できる力が必要です。それが生きる知恵を身につけることです。

8 おわりに
 アメリカの心理学者ローレンツは「人間は生まれながらにして、好きな人、尊敬する人の言うことを聴くようにプログラミングされている。」といっています。
 私たち親は、子どもが尊敬する大人になる努力をしていきましょう。子どもが尊敬すればその人の言うことは子供は素直に聞きます。
 森孝夫教授は「自分自身の長所にはアクセルを、短所にはブレーキを」とよく講演で話されます。
 私が最後に皆様に訴えたいのは「子どもの長所にはアクセルを、短所にはブレーキを」です。
 我が子から手を早くはなして、目はいつまでもはなさないことです。そして、長所はどんどん伸ばしましょう。短所は早く直しましょう。
 ご静聴ありがとうございました。