人権の畑を耕しましょう
平成23年7月7日
益城町立広安西小学校


 みなさん 今日は。ただいまご紹介いただいた中川です。
 これから皆さんと家庭における人権教育について一緒に考えようと思います。よろしくお願いします。
 自己紹介をします。
 私は秋津の沼山津で生まれ育ちました。益城町には親戚が数軒あります。小学生の頃、祖父に連れられ、旧木山往還を歩いて古閑の秋祭りによく行っていました。そのとき、休憩したのがねこぼく石です。小さい頃はとても大きく見えました。祖父から「この石は、熊本城を造るとき横手五郎がねこぼくでここまで引いてきたがここに置いてしまった石」と聞きました。こんな大きな石をねこぼくで引いてくるなんて力持ちの人だなと思ったものでした。そんなこんなで、ここ広安西小学校には色々な思いがあります。
 ただいま、「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。そのとき、皆さんの中に「えっ、ありとしと読むのか」というような反応がありました。
 女性とよく間違われますが、見ての通りのよか男です。よか男とは誰も言ってくれませんので、自分で言っています。
 私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。わしぁ名前ば見て、『今度来る先生はとても美人の先生バイ』って紹介して居ったのに。ほんなこてあたは中川先生な。男の先生な。ほんなこて中川先生な」と念を押されました。校長先生も、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女性の先生と思い込まれたのだと思います。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味があります。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。父の願いに沿うようにと努力はしていますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 68歳になった今でも幼なじみからは「ありちゃん」と呼ばれています。私は「ありちゃん」と呼ばれることを嬉しく思っています。
 皆さんもお子さん誕生の時、いろんな思いや期待を込めて名前をつけられたことと思います。お子さん誕生の時の感動、名前に込めた親の思い、家族の思いを低学年のお子さんだったら膝の上に抱っこして、高学年のお子さんだったら手を取り、目を見つめて、話してやって下さい。きっと、お子さんは自分の名前をこれまで以上に好きになり、誇りを持つと思います。自分の名前を好きになり誇りに思うことは、自分自身を好きになり誇りを持つことにつながります。これが自尊感情を育み、自分も周りの人も好きになることができる人に育つと思います。私はこのことが人権教育の礎であり、スタートだと思っています。
 人は誰もが、道をはずれそうになることがあります。私もありました。私の二人の息子も道をはずれそうになりました。そんなときも、目を見て名前につけた思いを語ってやって下さい。きっと、もとの道に帰ってくると思います。
 私は小さい頃、「ありちゃん」の「あり」から「アリ」と言われ、「おっ、アリの来よる。アリば踏みつぶそう。」と言ってからかわれたりいじめられたりしました。そのたびに「おれはアリじゃなか。ありとし。」と言って上級生に体当たりしていました。
 熊本県では6月を、「いじめ根絶月間」と定め、いじめ根絶に取り組みました。広安西小学校でもいじめ根絶に取り組まれたでしょう?
 私がある小学校の校長時代にいじめ問題が起きました。冬は明けの明星が東の空に輝いている頃、つまり朝の6時40分頃、家を出なければ学校の始業時刻に間に合わない地区で、学校まで5kmほどあります。しかも坂道です。そこで、1学期の終わり頃、いじめ問題が起きたのです。そこを1年生から6年生まで一緒に歩いて登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、それがだんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。しかし、解決を見ないうちにいじめられている1年生の子は、お母さんと校区内の他地域へ転居したのです。おじいさんの落胆はとても大きいものでした。
 2学期、おじいさんは月に2・3回校長室に来て、「校長、わしぁ畑仕事で疲れて帰っても孫の顔を見ると疲れがいっぺんに吹っ飛びよった。たまには相撲も取りよった。孫がおらんごつなってほんなこてさびしか。」と話されます。私は話を聞いた後で、必ず1年生の教室に案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となっていました。区長さんとも解決方法を相談しました。そして、2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
 おじいさんは、「なんばしよっと。謝らんじゃよか。こんいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子どもたちを育てていこうじゃなかな」とおっしゃいました。
 この3つの力、「いじめをはね返す力」「弱い者をいじめることは愚かなことだと気づく力」「いじめを止めさせる力」を人権教育を通して子どもたちに付けさせる力として先生方と認識し合いました。
 いじめや差別は、見る目や見ようとする心がなければ見えません。「差別は必ずある。見えないだけ」という視点を持つことが大事だと思います。
 今、様々な人権課題がありますが解決しなければならない人権課題の根っこは一つです。深層心理の中に、人は、屈折した気持ちのうっぷん晴らしのはけ口を求めることがあります。これが、いじめや差別となって表れるのです。
 女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障がい者の人権、同和問題、外国人の人権、水俣病をめぐる人権、ハンセン病回復者の人権等様々な人権課題があります。
 様々な人権課題の中でも、熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を早急に解決しなければならない課題として教育・啓発が行われています。
 この3つの人権課題について中学生が記した人権作文があります。
 毎年、全国中学生人権作文コンテストが催されています。熊本県の中学生もたくさん応募しています。その中で一昨年、第29回全国中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した、栃木県大田原市立金田北中学校3年舩山泰一君の「一人でも多くの人に伝えたい」を一緒に読んでみましょう。


      「一人でも多くの人に伝えたい」                栃木県大田原市立金田北中学校3年  舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 舩山君は、「今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 21世紀は、「人権の世紀」といわれています。人権の世紀はただ座して待っているだけでは人権の世紀とはなりません。一人ひとりが人権の世紀とするための行動に移すことです。このことを舩山君は私たちに訴えています。
 昨年の第30回コンテストで法務副大臣賞を受賞した井上由紀子さんの「私の大好きなふる里」で、水俣病問題、ハンセン病問題について考えてみたいと思います。


        私の大好きなふる里                  熊本県・熊本県立八代中学校 1年  井上 由紀子

 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 井上さんは、「ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。」と述べています。
 ハンセン病についての正しい知識がなかったが為に起きた悲しい出来事がありました。龍田寮事件というのをご存じですか?熊本市龍田にある寮に菊池恵楓園に入所している人の子が住んでいたのです。その子どもたちが黒髪小学校に入学するとき、黒髪小学校のPTAが入学拒否事件を起こしたのです。ハンセン病患者を親に持つ子どもと一緒に机を並べて勉強して我が子がハンセン病になってはならないとの思いから龍田寮の子どもの入学を拒否したのです。当時、ハンセン病はうつる病気、不治の病、怖い病気と思われていました。ところが、この頃には、プロミンという治療薬があり、治る病気であり、感染力も弱く日本の栄養状態では人には感染しないということがわかっていたのです。にもかかわらず、そのことが啓発されなかったため、ハンセン病に対する正しい理解がなされず入学拒否事件が起きたのです。このことは、私たちに「正しく学び、正しく理解し、判断・行動することの大切さ」を提起しました。
 今学校では、文科省が示した「人権教育指導法の在り方について」の指導指針によって人権教育が行われています。人権教育を通じて育てたい資質・能力として、「自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践行動力」を挙げています。そのために、人権に関する知的理解と人権感覚が必要としています。これが「知識から実践へ」ということです。
 人権問題解決のため、本日のように人権教育・啓発が学校・地域で行われていますがなかなか解消しません。どんなところに課題があるか見てみたいと思います。
 ワークシートをお配りしています。ワークシート@をみてください。
 そこに、魚の絵を描きましょう。
 (左を向いている魚を描いた人に描いてもらう)

(Aさんが描いた魚)

 Aさんと同じように左向きの魚の絵を描いた方、手を挙げてみてください。(ほとんどが挙手)
 右向きの魚を描いた方、手を挙げてみて下さい。(数名挙手)
 私は「魚の絵を描いてみましょう。」としか言いませんでした。「左向きの魚の絵を描きましょう。」とは言っていません。にもかかわらずほとんどの方が左向きの魚の絵を描きました。
 こんな事が起きるのは一体、どういうことなのでしょうか?(「料理の時の魚は左向き」という声が聞こえる。)
 そうですね。料理では魚は左向きにだしますね。ある研修会では、板前さんから、「魚は左向きと昔から決まっている」と言われたことがありました。料理に出る魚や図鑑で目にする魚の絵や写真のほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見てください。9割近くは左向きの魚です。それらを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。釣りをされる方いらっしゃいますか?(挙手なし)大物や珍しい魚を釣り上げたとき、魚拓を作るでしょう?魚拓もほとんどが左を向いています。これを刷り込みと言います。5月の鯉幟の絵もほとんど頭は左を向いています。
 牛の姿を想像してみて下さい。色を付けて下さい。お尋ねします。挙手して下さい。
 あか牛の人(2割近く挙手)
 くろ牛の人(2割近く挙手)
 しろくろ牛(半数以上が挙手)
 以前、産山村で尋ねた時は、全員があか牛でした。天草では、くろ牛が大多数でした。天草では以前農耕用にくろ牛を飼っていたからだと思います。私たちは、小さい頃から身近に見てきた牛の色が、刷り込まれているのです。
 この刷り込みが思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なると偏見となることがあります。
 「左向きの魚の絵」や「牛の色」は直接差別につながりませんが、この刷り込みが時として偏見となり、差別につながることがあります。
 「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と返ってきます。「私が知っている地区の人たちは優しい人ばかりですよ」と返しますが、自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージを払拭することが求められているのです。
 皆さん、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手してみて下さい。(挙手無し)マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)
 私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たりカラスの鳴き声を聞くと、「今日は良かこつは無かバイ」などと言っていました。
 私たちはカラスの羽の色が黒いということでカラスは縁起が悪い鳥と決めつけているのではないでしょうか。本当にカラスって縁起が悪い鳥でしょうか。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。


           七つの子
                            野口雨情

    烏 なぜ啼くの   烏は山に    
   可愛い七つの  子があるからよ
   可愛 可愛と    烏は啼くの  
   可愛 可愛と  啼くんだよ
   山の古巣に    行つて見て御覧 
   丸い眼をした  いい子だよ

 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したのです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 雨情の心情に思いをはせながら、全員で歌ってみましょうか。
♪♪ 烏 なぜ啼くの   烏は山に    可愛い七つの  子があるからよ
    可愛 可愛と    烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
    山の古巣に    行つて見て御覧 丸い眼をした  いい子だよ ♪♪
 ありがとうございました。
 ”理性や知性はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる”という言葉があります。
 私たちは、様々な人権課題に関心を持ち、学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動することが大切だと思います。
ワークシートB「六曜」って何?を見てください。
 若いカップルがいよいよゴールイン。二人で式場さがしを始めました。相談に行った式場で「仏滅割引」を知った二人は、迷わずこの日を予約しました。浮いたお金を新婚旅行にあてようと思ったからです。
 ところが、二人とも親から
 「仏滅に結婚式なんてとんでもない」
 「世間の常識を知らない」
 「恥ずかしくて親戚に顔向けできない」
と猛反対を受けました。いつ結婚式を挙げようと関係ないと思っていた二人には、なぜ親がそこまで反対するのか納得いきませんでした。
 結婚式は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、事故を起こすと「仏滅」などと、日取りを決める基準にされることがあります。この六曜についてどう思いますか。六曜はどのようにして決めるかご存じですか。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていました。これでは細かい1日単位の表現が不自由です。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜と呼ばれるものです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、毎月の1日(旧暦)を次のようにすると勝手に決めました。正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引という具合にです。それで、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには大安が2日続くという場合もあります。
 このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽(こっけい)なことだと故高千穂正史さんは言っておられました。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、一人ひとりの意識が変わることによって「世間の常識」は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方が大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 みなさんご自身の人権感覚を豊かにするのと同じようにお子さんの人権感覚も豊かにして欲しいと思います。
 お手元にあるのは、私の孫娘が小学1年生の2学期の終業式の日に見せた通知表に関して、平成18年1月13日付けで熊日新聞に掲載された投稿文です。読んでみます。 


          子供をほめて自己実現増幅

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。

 20個以上の評価欄があったと思います。それを「なんか三重まるはたった二つか」ではなく、「『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。」と褒めたのです。それで、それまであまり見せたくない素振りをしていた孫娘がるんるん気分で家族に見せて回りました。このときほど、褒めることの大切さを実感したことはありません。家庭でも地域でも子どもたちを認め、褒め、励まし、伸ばしましょう。
 お子さんの長所とそうでないところとを思い浮かべてみて下さい。どちらがスイスイと思い浮かびますか。
 改めて欲しいことがすぐに思い浮かぶ方?(ほとんどが挙手)
 長所が思い浮かぶ方?(数名挙手)すごいですね。どんどん長所を伸ばしてやって下さい。
 学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」教育が行われています。これは学校だけのものではありません。家庭でも、地域でも、子どもをよく見て「認め、褒め、励まし、伸ばす」ことです。
しかし、「認める、褒める」ことはそう簡単ではありません。なかなか難しいのです。子どもの言動や考え方の成長を見つけて、それを認め、褒めることです。成長や変化は、子どもをいつも見ていなければ認めることはできません。
 2番目の孫娘は3年生です。縄跳びが好きでいつも縄跳びをしています。縄跳びをする時、跳躍しやすいような跳躍板があるでしょう。それを使って、2段跳びが30回位できると言っていたのです。私たちに「見て」と言いますので見ていると、その日は調子が悪いらしく何回跳んでも10回前後でひっかかってしまいます。後では、妻はあまり見てはいませんでしたが、20回くらい跳んた時、「うわぁー、すごい」と妻が言うと、孫娘は、「見てもいないでそんなこと言わないで!」と言うのです。自分では、よく頑張ったと思っていないものを褒められても嬉しくないのです。
 私の2段跳びの記録は、71回です。それで、孫に「おじいちゃんは71回跳べたぞ。おじいちゃんの記録ば破ってみ」と言うと、「うん」と言って何度も挑戦します。できたのです。100回跳べました。疲れでへたり込んでいます。「うわぁー、すごいぞ!」と抱き上げ、褒めました。そのときのうれしそうな表情。
 「?啄同時」という言葉があります。鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで、殻が破れて雛が産まれるのです。このことを「?啄同時」といいます。人は自分が一生懸命がんばったことを認めて欲しいと思っている時、それを逃さずに周りから認められ、褒められた時はとてもれしく思います。だから、目を離してはいけないのです。
 ところが、私たちは早く離さねばならない手をいつまでも離さないで、離してはいけない目は離してしまっていることが多いようです。
 学校では「廊下は右側を静かに歩きましょう」と張り紙してあります。私が学級担任をしていた頃は、「廊下を走ってはいけません」と張り紙をして、廊下を走らないよう指導していました。これは「禁止」の言葉です。子どもたちが廊下を走るのはなかなか止みませんでした。
 子どもに対する声かけが「禁止」「命令」「否定」では子どもに自尊感情は育ちません。「禁止」ではなく行動の「ヒント」、「命令」ではなく「促す」、「否定」ではなく「肯定」などの言葉かけをしましょう。これが自尊感情を醸成し、人権感覚豊かな子どもを育てることにつながると思います。
 おわりに、人権の畑に「種をまこう」を一緒に読みたいと思います。しばらく黙読してください。


         種をまこう

   種をまこう 種をまこう  こころの中に種をまこう
   わたしのこころ あなたのこころ みんなのこころに 種をまこう
   生まれたばかりのやわらかいこころに 「人権」という名の種をまこう
   そして
   「思いやり」という名の水と 「愛」という名の栄養を
   たっぷりたっぷり そそいであげよう
   みんなの「笑顔」という名の陽をあびて きっと 芽が出る 花が咲く
   やがて
   大きな幸せの実が みのる


 広安西小学校の保護者のみなさんが人権の畑を耕し、みなさんご自身、そして子どもたち「人権尊重」という大きな実が実ることを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。