子どもが輝く学校 子どもが輝く家庭
荒尾市立平井小学校 家庭教育講演会
平成22年3月16日

 皆さん、こんばんは。
 ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 ただ今、「なかがわありとし」さんと紹介いただきました。私は、「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。
 私が牛深小学校に赴任したときのことです。時の校長先生は私の顔をジーっと見つめながら、「うわぁー、あたは、ほんなこて中川先生な。私ぁ名前ば見て『今度来る先生は美人の先生ばい。』と職員には言うとった。あたが男の先生とは思わんだった。ほんなこて、あたは中川先生な。」と困ったという顔でおっしゃいました。私は美人ではありませんが、「よか男」と思っています。(笑い)
 このときの校長先生は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのだろうと思います。(頷く人あり)現に、「有紀(ゆき)」という名前の女性もいますね。教職員の住所録を見てみますと、数人いらっしゃるようです。
 このように、よく女性の名前と間違われるのですが、私は父がつけてくれたこの名前に誇りを持っています。すばらしい名前を付けてくれた父を尊敬しています。
 ホワイトボードを使っても良いですか?
 元教員の悪いクセでつい文字を書いて話をしたくなります。お許し下さい。
 「紀」は「21世紀」と使うように「年」を意味します。「有」は上に「保」を付けると「保有」という熟語ができます。「有」には「保有する」という意味があります。「年を重ねて、年相応の人になれ」という願いを込めて名前を付けたと父から聞きました。
 今、私は現在66歳です。自分なりに年相応の人間になろうと努力はしているつもりですが、今は亡き父の願いになかなか届きません。生涯努力し続けるつもりです。
 皆さん方も、子どもさんが生まれたとき、家族全員で喜び合って、いろんな思いを込めて名前を付けられたことと思います。その名前に託した親や家族の思いを是非子どもさんに語ってください。 名前に込めた親の思いをお子さんに話された方いらっしゃいますか?(たくさん手が挙がる)
 おっ、たくさんいらっしゃいますね。いいですね。
 お子さんの手を取り、目を見つめ、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら、名前に込めた親の思い、家族の思いを語ってください。子どもさんは自分に対する家族の思いを知って更に自分の名前を誇らしく思うようになると思います。
 人は、中学生の後半から高校生位の歳になると、道を外れそうになることがあります。私も左へそれようとしました。二人の息子も道を外れそうになりました。進む道から外れてあちこちをさまよったことがありました。特に、下の子は大変でした。大学受験で3年、就職でも3年遅れました。高校では、ほとんど勉強せず、遊んでばかりいたので当然のことです。
 高校の部活動で、テニスをしていました。あまり強いチームではなかったようですが、3年生の時、1勝か2勝したとかで、食堂で祝勝会をしたのです。食事だけならよかったのですが、ビールも飲んだということです。そうしてあろうことか帰りに皆で「○○高等学校万歳」と万歳三唱したそうです。(笑い)それを見たお客さんが学校に通報して、翌日保護者ともども呼び出されました。
 校長先生は「天網恢々疎にして漏らさず」という老子の言葉を使って諭されました。「天網恢々疎にして漏らさず」とは、天の網の目は粗いが決して悪人を逃しはしない、という意味です。
 苦労して、やっとの思いで大学に入学できたのだから、就職の時はすんなりいくだろうと思っていましたが、世の中そんなに甘くありません。採用試験を何度受けたでしょうか。なかなか採用してもらえませんでした。
 大学では同級生が4年生の時に入学です。就職の際は、同級生は自分の給料で生活しているのに採用試験を受け続けているのです。「しっかりせんか!」と叱り、励ましはするものの心が折れはしないかととても心配しました。何度か心が折れかかりましたが、やっとのことで3年目に就職できました。
 先日のことです。息子夫婦と話をする中で、嫁に「息子は、就職するまでだいぶ苦労したが、自尊感情が育っていたから途中で心が折れずにここまでこれた。自尊感情ってとても大事ばい。」と言いました。息子は笑っていました。自尊感情については後ほど詳しく話します。
 皆さん方の中にも違う道へ行こうとされた方もいっらしゃるかもしれません。
 お子さんが違う道へ行こうとするとき、「ほら、あなたが小さいときあなたの手を取って、あなたにはこんな人になって欲しいとの願いから名前をつけたと話をしたでしょう。」と言ってください。きっと、本来の道に戻ると思います。だって、あなたの赤い血を受け継いだあなたの子ですから。 また、6年生の保護者の皆さんは、卒業式の日、お子さんの手を握りしめ、目を見つめ、「がんばったね。卒業おめでとう。」と声をかけてください。きっと、お父さん、お母さんの手のぬくもりに触れ、自分の成長と家族の愛を実感すると思います。このようなことを通して家族の愛、絆が深まるものと思います。そして、後でいろいろと話しますが「自尊感情」の醸成につながると思います。
 私は本日の演題を、「子どもが輝く学校 子どもが輝く家庭」としました。ここ、平井小学校の子どもたちは輝いていますね。笑顔いっぱいですね。校長室には、「花のように笑顔まんかい そんな学校 いいな」と記してありました。校長室便り名が「笑顔まんかい平井小」と校長先生からお聞きしました。
 校長室に貼ってあります子どもたちの写真は、はじけるような笑顔でいっぱいでした。「笑顔まんかい平井小」のイメージキャラクターは保護者の方が考案されたそうですね。まさに子どもも学校も輝いています。
 私は5時過ぎ、本校に着きました。中学生を交えた子どもたちが運動場でボール遊びに熱中していました。子どもたちは校長室の窓越しに私を見て、「こんにちは」と挨拶しました。健やかに育っている子どもたちを見て、「子どもの心を育む学校教育、家庭教育が展開されているな」と思いました。
 ところで、「子どもが輝く」をどうとらえますか?
 私は子どもの頃は遊びの名人でした。先ほど、PTA会長さんと話をしていると、会長さんも子どもの頃良く遊び回られたそうです。「学校の前の山や川でよく遊んだ」と言っておられました。川で、「自分で作った漁りで魚を突き刺し、捕っていた」とも話されました。遊びは、創造力をたくましくします。この恵まれた自然の中で子どもを遊ばせてほしいと思います。
 私は冬はこまを回して遊びました。こまの撃ち合いやちょんかけごまです。ここにちょんかけごまを持ってきました。
 ちょんかけをしたことがある人いらっしゃいますか?
 どなたか回してみませんか?
 回してみますね。
 (「そうめんがけ」をしてみせると、「うわー」という声があがる。拍手が起こる)
 ありがとうございます。
 室内ですからできないのですが、こまを高くほうり上げて回す「大振り」や、「ウグイスの谷渡り」といってこまが横に移動することもできます。「鯉の滝登り」といってこまが下から上に昇ることもできます。手のひらの上で回すこともできるのですよ。
 実は、このこま回しが私はなかなかできませんでした。上級生や友達は上手に回すことができるのに、私のこまはなかなか回りません。私が回すと、(こまを床に落とす)このようにすぐにすとんと落ちるのです。何度しても落ちます。上手な人の回し方を見ては、練習しました。こまの向きやひもの張り具合などを観察して練習しました。私は、コマの面を下向きにして回そうとしていたのです。だからすぐに落ちました。上手な人はコマの面を自分のお腹に向けていました。
 また、私はひもを強く張っていました。だから落ちないときは、宙ぶらりんになっていたのです。上手な人はひもを軽く持っています。上手な人から教えてもらい何日も何日も練習しました。だから回ったときの喜びは忘れられません。おそらく私の顔は輝いていたと思います。
 「輝く」には、「顔が輝く」、「瞳が輝く」、「心が輝く」、その他いろいろあるでしょう。
 少し話がそれますが、「色気」と「色香」という言葉があるでしょう?
 「色気」とは、化粧をしたりしなを作ったりして表現する表面的なことですね。そんなに努力は必要ではありません。ところが「色香」とは、香ですから身体の内から出てくる魅力ですね。内から出てくる魅力は、一朝一夕にできるものではありません。長年かけてつくりあげるもの、努力によって表に出す魅力、輝くものだと私は思います。
 バンクーバー冬季オリンピックでの浅田真央さん、ショートプログラム終了後のあの顔は輝いている顔でしたね。自分が思い描くように滑ることができた喜び、一生懸命滑ることができた喜びなどからあの笑顔が出たと思います。誰かと比べて勝ったとか優位に立ったとかではありませんね。
 あの浅田真央さんのような輝き、子どもはどんなとき輝くでしょうか。
 ちょっと考えてみてください。
 何かに熱中しているとき。無我夢中になっているとき。希望に向かって努力しているとき。何かができたとき・分かったとき。周りに認められたとき。いろいろありますね。
 これらをひとくくりにすると、子どもは自己存在感や自己有用感を感じたときに輝くと言えるようです。言い換えれば自己実現を体感しているときです。
 この自己実現を一番体感するのは、自分が好きな人から愛されていることが分かったときではないでしょうか。若かりし頃の胸のときめき。みなさんも経験がおありでしょう?私も遙か遠い昔、胸がときめいたことがありました。
 以上見ましたように、人が輝くとは「一生懸命」になっていることですよね。この一生懸命を支えるものが「自尊感情」だと私は思っています。
 自尊感情という言葉はいろんなところで聞いたことがおありと思います。
 資料につけていますのは、福岡県立社会教育総合センターの考え方です。読んでみます。


 自尊感情というのは、自分に対する肯定的な感情のことを言います。自分はそれなりの能力と、良い面をもった大切な存在なのだという気持ちのことです。自尊感情の高い子は、精神的に安定し、何事にも積極的です。自分を律し、自分を大切にした生き方ができます。志をもって前向きに生きる子であるための最も重要な条件と言ってよいでしょう。
 ところが、最近の子ども達はこの感情がとても低い傾向にあります。福岡県が2001年に調査したものによると、「自分は何をやってもダメな人間だという感じが『よく』『時々』ある」という子が小学6年生で48、4%もいます。
 この数値は外国の子どもと比べて非常に高いものです。因みに私の教え子のグリシェンさんが同じ調査を中国・新疆ウイグル自治区の区都ウルムチの小学5・6年生に実施した結果では、半分以下の19、9%でした。

 これは福岡県の実態ですが、熊本県も似たようなものと思います。
 私は妻と二人で中国を個人旅行しました。ここにあるウルムチには、5回ほど行きました。ウイグル人の居住地区を散策しました。あるバザールで、父親が路上で靴磨きをしていました。その傍らで木箱の上で一生懸命ウイグル語の文字を練習している小学1年生くらいの女の子がいました。父親は、「家が貧しくて学校に行っていないので、私が文字を教えている。大きくなったら立派な人になってほしい。」と言います。
 また、市街地の地下道の階段の手すりを滑り台代わりに遊んでいる小学2・3年生くらいの男の子がいました。若い母親が何か注意しますが遊びをやめません。そこで、母親は男の子のほっぺたをたたきました。それで男の子は遊びをやめました。
 これは、たまたま私が目にした光景ですが、親が一生懸命教え、子どもも一生懸命学ぶ、してはいけないことをしたときはたたいてでも教えるという子育てがあることを中国で再認識しました。このようなことが、子どもの自尊感情を育てているのではないでしょうか。
 ところで、お子さんの良いところを5点挙げてください。発表はしてもらいません。心の中で挙げてください。
 直したいところを5点挙げてください。
 どちらがすぐに思い浮かびましたか?
 良いところがすぐに思い浮かんだ方?(数人挙手)
 すごいですね。よくお子さんを見ておられますね。
 直したいところがすぐに思い浮かんだ方?(多数挙手)
 私もそうでした。短所がよく目につきます。しかし、このことが子どもの自尊感情醸成を阻害しているのかもしれません。
 続けて読みますね。


 日本の子ども達は 「あなたの良いところは?」と尋ねられてもあまり言えません。それが「良くないところは?」と聞くとたくさん出てきます。自分を肯定的に捉えることができないのです。最近の子ども達の様々な問題行動の背景にはこの自尊感情の低さが考えられます。
 なぜ自尊感情が低いのでしょうか。それは、体験すべきことを体験していないからです。例えば、遊びのなかには仲間をリードしたり、難しい課題にチャレンジし、それを克服して自信をつけたり、仲間から尊敬されたり、認められたり、様々な体験が含まれています。ところが、その遊びが今ほとんどありません。親の手伝いをしたり、幼い子の面倒をみる体験も欠けています。欠点を指摘されることはあっても、人の役に立って誉められる機会はめったにありません。これで自分が有能な、大切な存在だという感情が育つでしょうか。
 子どもの自尊感情を高めるのに特別の方法があるわけではありません。遊びや手伝いや何か良いことをして認められるといった、何気ない日々の生活体験の積み重ねが大切なのです。児童期は自尊感情が育つ大事な時期です。せめて休日は友達と十分遊ばせてください。自分のことはもちろん、家の手伝いもきちんとさせてください。そして、勉強のことだけでなく、子どものちょっとした良さや伸びに目を向け、心から誉めてやってください。

 新潟、富山、石川県などがある北陸地方は生涯学習が盛んなところです。公民館講座やカルチャーセンターなどで学ぶ人が多いところです。新潟県にある上越教育大学の新井郁夫という先生が、公民館講座等で学ぶ人に対してアンケートをとられました。その結果、公民館で学ぶ人の大部分が小学校4年生頃から中学校2年生頃にかけて、先生や友達、家族から褒められた経験を数多く持っていたということがわかりました。つまり、小学校高学年から中学校にかけて褒められた経験が多い人は学習意欲が旺盛であるということが分かったのです。この学習意欲は、高齢になってからだけでなく、現在の学習意欲につながります。この学習意欲が子どもたちに自己有用感、自己存在感、自己肯定感などをはぐくみ、自尊感情が高まるのです。
 学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」を合い言葉に学校教育が展開されています。この「認め、褒め、励まし、伸ばす」は学校だけの専売特許ではありません。家庭でも、子どもの伸びに目を向け、認め、褒め、励まし、伸ばしてください。
 私の孫が1年生の時、通知表を見て孫を褒めたときのことを熊日に投書したことがあります。それを読んでみます。


                子供をほめて自己実現増幅

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。

 あるところでこのことを話しましたところ、ある方が「最近の親は子どもを褒めんですね」とおっしゃいます。そして次のように話されました。
 私が娘の家に用事があって行った日のことです。孫がこんなに大きな魚を釣ってきました。孫の表情からは、みんなに見せようと思っているようでした。私が「うわー、大きな魚ば釣ってきたねー」と褒めようとするより早く娘が「何ね、そぎゃんふとか魚ば持ってきて。うちにはそぎゃんふとか魚ば養うところはなか。早う、川に逃がして来なっせ」と言うではありませんか。孫は皆に見せたかったのです。褒めて欲しかったのです。それを、叱られて、しょんぼりしていました。私は、後で孫に「ふとか魚ば釣ったね。釣れたときはうれしかったろう。こがんふとか魚は誰でも釣りきらんもん。ばってんがね、お母さんが言うたごつ、家には魚ば養うところはなかけん川に逃がしておいで」と言うと、にこっとして「うん」と言って川に逃がしに行きました。子どもがしたことは認めて褒めてやらにゃんですねと。
 毎日の生活の中で、子どもを認め、褒め、励まし、伸ばすことによって、子どもは自己実現を体感します。しかし、認め、褒めるには子どもの姿を見ていないことにはできません。子どもが伸びを実感していないものを、あるいは褒められる価値がないものを褒められても子どもはそう喜びません。ところが子ども自身が伸びを実感しているとき、周りから褒められると喜びは倍増します。
 「碎啄同時」と言う言葉があります。
 卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、内側からヒナが殻をつつくのを「そつ」、外から親鳥がつつくのを「啄」というのです。このタイミングが合わないとヒナは死んでしまいます。この自然の不思議さを表現した言葉が「卒啄同時」です。
 つまり、子どもが伸びを実感したとき、親がそれを認め褒めるというタイミングが大事です。ですから、子どもから目を離さずにいることが大事なのです。
 と同時に、「してはならないことをしたときは、厳しく叱る」の視点を忘れてはならないと思います。
 みなさん御存知の福沢諭吉は、わが子を集めて毎日訓話をしたそうです。それを「ひヾのおしえ」にまとめてあります。その中の二つを資料につけています。昔のかなづかいで少し読みづろうございますが読んでみますね。

                       ひヾのおしえ

 人には勇気なかるべからず。勇気とはつよきことにて、物事をおそれざるきしやうなり。何事にても、じぶんのおもひこみしことは、いつまでもこれにこりかたまり、くるしみをいとはずして、成し遂ぐべし。たとへば、ほんを一度よんでおぼえずとて、これをすつべからず、一度も二度も十ぺんも二十ぺんも、おぼえるまでは勇気を振ひ、なほもつよくなりて、つとむべし。


 てあしにけがをしても、かみにてゆはへ、またはかうやくなどつけて、だいじにしておけば、じきになほり、すこしのけがなれば、きずにもならぬものなり。さてひとたるものは、うそをつかぬはずなり、ぬすみせぬはずなり。いちどにてもうそをつき、ぬすみするときは、すなはちこれを、こヽろのけがとまうすべし。こヽろのけがは、てあしのけがよりも、おそろしきものにてくすりやかうやくにては、なかなかなほりがたし。かるがゆへに、おまへたちは、てあしよりもこヽろをだいじにすべきなり。

 いかがですか?
 明治の始めに諭吉はこのようなことを言って子どもを諭しています。学びたいと思います。
 私は心が揺り動かされる体験を情動体験と言っています。この情動体験を数多くさせて下さい。自分が一生懸命育てたペットが死んだ、子どもを産んだ、あるいは、草花が花を咲かせた。こんな喜びや悲しみ、あるいは驚き、怒り、そして感動などもあるでしょう。
 夏の夜空を彩る花火大会、感動しますね。ある年、熊本市画図湖の花火大会で目にした光景です。小学1年生くらいの親子連れでした。「うわー、きれい。うわー、音が大きい」と母子で手を取り合って喜んでしました。尺玉といって大きな音がし、空一面に拡がる花火があるでしょう?同じ感動でも2人が共感しあうと、それが増幅するのです。少し移動して人混みの中に来ました。やはり小さな子どもとお母さん。子どもが「うわー、きれい。」「うわー、大きな音」と言うと、「せからしか、静かに見切らんとね」とお母さんが子どもを叱っています。
 花火を見るという体験でも、どちらが強く心を揺り動かされ、いつまでも心に残るでしょうか。
心を揺り動かす体験、「情動体験」を数多くさせてください。それが豊かな感性を育て、自尊感情を高めることに繋がるのです。
 資料の「自尊感情と生活実態の関係」をご覧下さい。夜の10時までに寝る子は、そうでない子より自尊感情が高いという結果が出ています。つまり、規則正しい生活を送っている子です。文科省が「早寝・早起き・朝ご飯」を提唱しています。その所以だと私は思っています。その他、外遊びをする子、お手伝いをする子、叱られ体験のある子、褒められ体験のある子、授業で積極的に発言をする子、このような子は自尊感情が高いということです。
 私が小さい頃は、家庭では自分の仕事がありました。手伝いではありません。自分の仕事です。自分がしないと、家の中がうまくまわりません。風呂の水くみ、雨が降り出したときの干し物の取り込みなどなど。「今日は急に雨が降り出したバッテン有紀が入れてくれたケン助かった」などと声をかけてもらったものでした。このようなことで、自分では気づかなかったのですが知らず知らずのうちに自己存在感を味わっていたのです。
 子どもさんにできる仕事をさせてください。カーテン開けでも良いでしょう。「いつもあなたがカーテンを開けてくれるので朝陽が部屋に入って気持ちいい」と家族から声をかけられるときっと、「俺(私)がいるからこの家はうまくまわっている」と実感するはずです。このようなことの積み重ねが自尊感情を育むのです。
 それから、失敗をしたとき、決して能力のせいにさせないで下さい。「私には能力がない」から失敗したでは、次につながりません。能力不足ではなく、努力不足、勉強や練習方法の不備と考えるようにさせてください。そうしないと、失敗を反省して次につなげることはできません。
 「失敗は成功の元」とか「失敗は成功の母」などの言葉があるでしょう。この言葉は、自尊感情があることを前提にした言葉です。
 今、私は放課後子ども教室や公民館活動で子どもたちにそろばんを教えています。
 そろばんを学習している子ども達は、次の5つくらいに類別できます。
 「できるようになりたい」と周りの雑音も気にせず、そろばん学習に集中する子。
 「まだ分かりません。もう一度教えてください」と何度も何度も教えを請う子。
 周りの子がおしゃべりを始めるとすぐにそちらに流されてしまう子。
 そろばん教室には出席するが、5分も集中できなくてすぐにおしゃべりを始める子。
 2〜3日練習して、「自分にはできない。分からない。」とやめてしまう子。
 この5つのタイプは、「学力差」ではなく「自尊感情の差」と直結しているようです。
 何度も教えてくれと言う子や周りを気にせずそろばんに集中する子は、着実にそろばん技能を身につけています。そうでない子はなかなか技能が身につきません。
 誰もが「できるようになりたい」「わかるようになりたい」とは思います。しかし、その目標に向かって努力できるのは自尊感情の高い人です。
 学力はとても大切な力ですが、私は中学2年生くらいまでは「学力」より「自尊感情」の醸成が大切だと強く思います。自尊感情の低さによって自らの能力を十分に発揮できないのはもったいないことです。
 先日、慈恵病院でこうのとりのゆりかごにかかわっている看護部長さんの話を聞きました。女子中学生が妊娠して赤ちゃんを産むという事例があったそうです。男子中学生は将来結婚すると言いながら、成長すると全くかかわらなくなったということでした。セックスを求められた女性が、「ノー」と言う力は自尊感情だと思います。性に関する知識を持つことははもちろん大事なことですが、自分を大事にする自尊感情が高ければ、拒否できるはずです。生活のあらゆる場面で自尊感情の差がその後の進む道を左右するように思います。
 時間が来ました。おわりにイギリスの教育哲学者ウィリアム・アーサー・ワードの言葉を紹介します。
 「凡庸な教師はただしゃべる。ちょっとましな教師は理解させようと努める。優れた教師はやってみせる。本当にすぐれた教師は心に火をつける。」
 この「教師」を「親」と置き換えてください。
 「凡庸な親はただしゃべる。ちょっとましな親は理解させようと努める。優れた親はやってみせる。本当にすぐれた親は心に火をつける。」
 子どもの心に火をつけ、平井小学校の子どもたちがますます「笑顔まんかい」になりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。