子どもが独り立ちできる力をはぐくみましょう |
平成20年11月11日 |
天草私立御所浦小学校 |
皆さん、こんばんは。ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
ただ今、校長先生から過分なお褒めの言葉をいただきました。私がどんなことを話し、どれだけ皆様のお役に立つかは、これからの私の話をお聞きいただき、皆様方がそれぞれがご判断下さい。
今、校長先生から「なかがわありとし」さんと紹介いただきました。遅れましたが 私は、これまで私の名前を「ありとし」と読んでいただいた方はいません。そのはずです。「有紀」と書いて「ありとし」と読むのですから。
牛深小学校に赴任したときのことです。時の校長先生は私の顔をジーっと見つめながら、「うわぁー、あたは、本当に中川先生な。私は名前を見て『今度来る先生は美人の先生ばい。』と職員には紹介しとった。あたが男の先生とは思わんだった。ほんなこてあたは中川先生な」と本当に困ったという顔でおっしゃいました。私は美人ではありませんが、「よか男」と思っています。自分でそう思わなきゃだれも思ってくれませんから。
このときの校長先生は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのだろうと思います。このように、よく女性の名前と間違われるのですが、私は父がつけてくれたこの名前に誇りを持っています。父を尊敬しています。「紀」は「年」を意味します。「有」は「保有する」の意味です。父は「有」と書いて「たもつ」という名前でした。「年を重ねて、年相応の成長を」という願いを込めて名前を付けたと父から聞きました。
今、私は65歳です。自分なりに年相応の人になるよういろいろと努力はしているつもりですが今は亡き父の願になかなか届きません。生涯努力し続けるつもりです。
皆さん方も、子どもさんやお孫さんが生まれたとき、家族全員で喜び合って、いろんな思いをこめて名前を付けられたことと思います。その名前に託した親や家族の思いを是非子どもさんに語ってください。
そのときは、手を取り目を見つめ、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら語ってください。きっと、子どもさんは自分に対する家族の思いを知って更に自分の名前を誇らしく思うと思いますよ。
子どもが小学生の頃はそうではありませんが、中学生の後半から高校生位の歳になると、道を外れそうになることがあります。違う道へ行こうとすることがあります。そのとき、「ほら、あなたが小さいときあなたの手を取って、あなたにはこんな人になって欲しいとの願いから名前をつけたと話をしたでしょう」と言ってください。きっと、本来の道に帰ると思います。だって、あなたの赤い血を受け継いだあなたの子ですから。
先ほどの紹介で、生涯学習の推進に努めてきたとありました。もう、18年ほど前のことですが、当時の「生涯学習3つの理解違い」を紹介しますね。
一つは、「今更生涯学習なんて、今さら勉強なんてしたくはなか」という理解違いです。これは、教科書ノート片手に机に向かってする学習を思い浮かべ、勉強イクオール苦しいのイメージがあったからです。先生方にお願いします。学習・勉強イクオール苦という思いを子どもに持たせないようにしてください。学習とはこんなに面白いものだと言うことを子どもに感じさせてください。また、生涯学習とは、学校での勉強も生涯学習です。しかし、そのほかにも生涯学習はいっぱいあります。今夜の講演会も皆様にとっては生涯学習の一つです。友達と話をして、昨日まで知らなかったことを知った、分からなかったことが分かるようになったも生涯学習です。
ある町の公民館大会で、一人の方が発表されました。
「私は、仮免で今日初めて路上を運転しました。私たちが安全に歩行したり、車を運転したりするために、道路標識や交通ルールがあんなにあるとは思いませんでした。道路標識や運転のきまりがあるから、私たちは安全に道路を歩くことができるのですね」と。
私は、「あなたがそう気付いたことも生涯学習の一つですよ」と話しました。「こんな事も生涯学習の一つであるなら私もがんばります」と目を輝かせておっしゃいました。
二つは、「生涯学習なんて社会教育を言い換えたことでしょう。学校教育には関係なか」という理解違いです。これは、先生方に多かったのです。当時の文部省がいけないのです。文部省は当時、「社会教育局」といっていた局名を「生涯学習局」に変更したのです。それで、都道府県、市町村の「社会教育課」が「生涯学習課」と課名変更したのです。それで、生涯学習イクオール社会教育というイメージが広まりました。もちろん、社会教育も生涯学習の一つです。現在の指導要領の元になっている教育課程審議会答申は生涯学習の視点から述べられていますよね。学校完結型の教育から生涯にわたって学び続ける教育へその基軸を転換しました。ですから、「生涯学習の視点に立って」という言葉がいたるところにあります。この指導要領に基づいて教科書が作られ、その教科書を使って子どもたちに勉強を教えておられます。ですから、今学校では「生涯にわたって学び続ける意欲や態度、方法」そして、「教科の基礎基本」を身につけるように徹底して鍛えていらっしゃるでしょう。
三つは、「生涯学習なんて暇人がするこつ。私は忙しうて生涯学習どころではなか」という理解違いです。公民館講座やカルチャーセンターなどで学ぶ人の多くは、第1線をリタイアした人や余暇を楽しんでいる人が多かったのです。しかし、今の時代、農業にしろ、漁業にしろ、どうしたら生産を高めることができるか、漁獲量を増やすことができるかいろんな情報を集めて研究したり、本を読んだり、人と相談しなければならないでしょう。職業能力を高めることは生涯学習の一つです。ある方が言っていました。「スリが人に気付かれないように他人の財布をスリとる訓練も生涯学習の一つ。スリの方法を公民館やカルチャーセンターで学習しないのはそれが反社会的行為だから」と。
生涯学習という考えはフランス人が提唱しました。この考えが日本に入ってきた時、「生涯教育」といっていました。しかし、「教育」というと、教える人がいて教わる人がいる。これでは生涯にわたって自ら進んで学習するという考えにそぐわないというので「生涯学習」と呼ぶことにしようとなったのです。
背中の教育と言うでしょう。親が学ぶ姿勢と子どもに見せることです。生涯学習を実践してください。
今夜、ここにおいでた方はまさに生涯学習を実践し、その姿を子どもに見せておられるのです。きっと、子どもにも良い影響が出るはずです。
私が担任しているときのことです。昼休みに教室で「からゆきさん」に関する小説を読んでいたときのことです。子どもたちが「先生も本を読むと?」とびっくりして言います。本を読むという当たり前のことをしていて子どもから驚かれる事にびっくりしましたが、考えてみると、私は子どもの前では殆ど本を読んでいませんでした。採点をしたり、教材研究をしたりでした。
先生方、子どもと一緒に本を読んでください。家庭でもみんなで本を読んでください。昔から「背中の教育」というでしょう。きっと子どもたちも感化されることと思います。
本題に入りましょう。
「生きる力」という言葉を学校でも社会でもよく聞くでしょう。学校では、「自ら課題を見つけ、自ら学び自ら考え、判断し行動できる力」といっていると思います。「生きる力」とは大きなくくりです。あまり大きすぎて漠として、どんな生きる力を身につけさせるのかがあまり分からないでしょう。そこで、具体的にあなたの子どもさんにどんな力を身につけさせたいですか。具体的な生きる力を考えてみてください。隣同士で話し合ってください。(3分ほど隣同士で話し合う)
実際は、今話し合っていることを一つ一つ付箋紙に書くのです。それを広い用紙に貼っていきます。そうすると、似たようなもの、違うものが出てきます。似たもの同士でグループ分けしてそれに名前を付けるのです。例えば、自然体験、勤労体験、福祉体験などと。それを体験する内容を学級PTA活動、地域活動などでで企画するのです。そして、企画の段階から子どもも参加させるのです。楽しいですよ。是非学級PTA活動などで試してみてください。
そこで、今話し合った生きる力をどなたか発表してください。発表しようと思う方はいらっしゃいませんか?
皆さんは子どもたちには「自分から進んで発表しなさい」と言うでしょう。子どもに求めることは自分でも実践することです。
一番前の方どうぞ。(「自分で起きることができる力」「あいさつができる力」「整理整頓・後かたづけができる力」などがあります。)
ありがとうございました。「自分で起きることができる力」これはとても大切なことですよね。 お子さんは、朝自分で起きますか?
お母さんの中に、「○○ちゃん、もう朝よ。起きるの?起きないの?」と子どもに声かける人はいませんか?
朝起きるることは、子どもに判断させることではありませんよね。起きなければ、「起きなさい」ですよね。
あいさつや返事ができない子がいます。子どもばかりではありません。大人の中にもあいさつ・返事ができない人がいます。先ずは大人からですね。
「整理整頓・後かたづけができる」はとても大事なことです。
私は、これまでいろんな家庭を見てきました。朝10時過ぎてからしか学校に来れない子の家庭訪問をしたことがあります。台所には朝ご飯を食べた食器がそのまま置かれたままです。食卓のそばには、コップが転がっています。子どもには見せることができないような雑誌が散らかっています。このような環境で子どもが生活していては、健やかな子どもに成長するのは難しいと思います。整理整頓・後かたづけは人として生きる基本です。
私はいつも妻から「あなたはよそでは生きる力を身につけさせましょうと言っているようだが、生きる力が身に付いていないのはあなた自身」と言われています。自分で料理を作ることができません。それでいつもこう言われているのです。私は、昭和18年生まれで農家の長男です。祖父からいつも「男の子が台所に行ってどぎゃんするか。外の仕事ばせー」と言われていました。だから料理ができません。でも妻からいつも言われますので、近頃は少し自分でも作っています。先日、初めて自分一人でカレーを作りました。自分で作ったカレーのおいしいこと。あんなにカレーがおいしいとは思いませんでした。
レジュメにかえります。
今子ども達に必要なのは「保護」ではなく、「自立」です。ですが、人間は他の動物と違い、親の保護無くしては自立していけません。親の「保護」とは、「半人前」の子どもを「一人前」の人間にすることです。「一人前」とは、「体力」「耐性」「道徳性」「基礎学力」「感受性 思いやり」が備わっていることです。
そこで、「保護」するとは、どんなことをするのかを見てみます。「世話」があります。「指示」があります。「授与」があります。「受容」があります。先ほど言いましたようにどれもこれをしないと人は育ちません。しかし、それが過ぎるとどうなるでしょう。
「世話」のし過ぎにより、子どもは自分のことが自分でできなくなってしまっています。子どもはいつも「世話」をされているので自分でする必要がないからです。先ほどの後片づけもそうです。自分でさせることが大切です。
「指示」のし過ぎにより、子どもは自己判断ができなくなっています。いつも「こうしなさい」「ああしなさい」と「指示」されるので、自分で判断して行動する必要がありません。そしていつのまにか、誰かの指示無くしては動けなくなります。これを指示待ち症候群と言うでしょう。
大学の先生に聞いた話です。今の学生は、「先生、宿題を出してください。何をどう勉強して良いかわかりません」と言うそうです。先生の講義を聴き、それに関することを自分で調べたり、自分が興味のあるものを進んで研究したりするのが大学生です。それが、大学生にもなって「宿題を出してください」はあまりにも主体性がありません。
「授与」、ものの与えすぎにより、子どもの心から「感謝の心」、「物を大切にする心」がなくなってしまっています。次から次にものを与えられるから、ものをもらうのがあたりまえとなります。なくしても直ぐに新しいものを買ってもらえます。ここには「感謝の心」も「ものを大切にする心」も育ちません。
先生方、本校ではどうですか?教室には鉛筆の落とし物がいっぱいありませんか?(落とし物があるとの返事有り)
自分の持ち物は大切に使わせたいですよね。それには、何をどのくらい与えるかその加減を考えなければなりません。それは、一人一人の子どもさんで違うはずです。子どもさんと話し合ってください。
私が小さい頃、家は「貧乏」でした。いつも買ってもらえないから物を大切にしました。我慢しました。一つのものを工夫して使いました。無くしたときは必死で探しました。たまに買ってもらえるから感謝したのです。
「受容」、子どもの言い分を何でも聞き入れていては、「耐性」「自己規制」「節度」は生まれません。自分の考え、行いを受け容れてもらえるので我慢する必要がないからです。
昭和50年代頃、私が学級担任をしている頃の話です。学級の子どもと保護者で校内キャンプをしていました。子どもが寝てしまった頃、保護者とキャンプファイアーの残り火で鮎を焼いて食べながらいろいろ話し合いました。
そこでよく話題なっていたのが、父親は辛抱して1足1000円の靴を履いているのに、子どもには1足1万円の靴を買い与えているということでした。子どもが「○○君は1万円もするいい靴を履いている。僕も欲しか」と言うのを聞き入れて自分は辛抱して1000円靴、子どもには1万円の靴です。これはおかしな事です。子どもが欲しいというのを何でもかんでも聞き入れてしまわないようにしたいと思います。
2年ばかり前の公民館講座受講生受付時のできごとです。講座申し込みに若いお母さんが2歳くらいの幼児を連れておいでました。帰りに、「はい、○○ちゃん、あんよ出して」と言って靴を履かせて帰りました。しばらくして、同じ年格好の幼児を連れたおじいさんが来られました。帰りに「○○、靴は自分で履ききるど。じいちゃんが見とるけん、自分で履け」と言って幼児が靴を履くのをじっと見ておられました。「右左反対に履いてしまったね。よかたい。歩かるるけん」と言って帰って行かれました。靴は左右反対に履くと歩きにくいでしょう。反対に履いて歩きにくい体験をすることで、靴の右左を意識して履くようになるのです。
どちらの子どもも靴を履く体験をしました。後で生きて働く体験はどちらでしょうか。言わずもがなですね。ある学校での家庭教育講演会では、「手を離して 目は離さずに」としました。実は、この逆が多いのです。目を離して、手を離さないことが多いのです。
皆さん方の家には、子どものお手伝いさんはいないでしょうね。ここでいう子どものお手伝いさんとは、子どもがすべきことを母親が替わってしていることです。布団の上げ下ろし、ベッドメイキングは子どもさんがしていますか?お母さん方がしていますか?お母さんがしていらっしゃる家庭が多いようですね。小学3年生ごろから、子どもができるでしょう。子どもにさせて下さい。子どものお手伝いさんにならないでください。
これまで一方的に私が話をして、皆さんは聞くばかりです。少し疲れたでしょう。ゲームをしましょうか。楽しいけど少し緊張するゲームです。歌を唄いながら、八百屋さんの店先に並んでいる野菜を一つ一つあげていくゲームです。
「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」とみんなで歌って当てられた人が自分で思い浮かぶ野菜の名前を一つあげるのです。そして、みんなでその野菜の名前を復唱して、「あーあ」というのです。これを繰り返します。2番目の人は、1番目に言った人の野菜名を言って、自分が思い浮かべる野菜名を挙げます。みんなは、それぞれを復唱します。
1番目の人が「きゅーり」と言ったら、みんなで「きゅーり」と言います。2番目の人は「きゅーり」と言います。みんなも「きゅーり」と言います。そして、自分が思い浮かべる野菜例えば「とまと」と言います。またみんなで「とまと」と言うのです。分かりましたか?知っている人もいらっしゃるようですね。
ではみんなで遊びたいと思いますので、まず、歌を覚えましょう。
♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪(2〜3回練習)
ではやってみましょうか。はじめに言ってみたい人? 2番目の人? 3番目の人?
4番目から後は、私が当てますどなたになるか分かりません。前の人が何の野菜を挙げたかよく覚えておくのですよ。そして、自分の好きな野菜も。
ではいきます。
♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
「アスパラガス」あーあ
♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
「アスパラガス」「アスパラガス」、「トマト」「トマト」あーあ
♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
「アスパラガス」「アスパラガス」、「トマト」「トマト」、「レタス」「レタス」あーあ
♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪
「アスパラガス」「アスパラガス」、「トマト」「トマト」「レタス」「レタス」、「キャベツ」「キャベツ」あーあ
良くできました。もっと続けたいのですが時間もありますのでここらで終わりにします。こちらの子どもたちは「八百屋」より「魚屋」の方がいろんな魚の名前が出てくるかも知れませんね。
学級活動やPTA活動でやってみてください。
しりとりをしてみましょうか。しりとりもなかなか緊張するものです。前の人がなんと言ったかをしっかり覚えていなくてはなりません。前の人が言った言葉が何という音で終わるのかを一生懸命聞いていなければなりません。そして、終わった音で始まる言葉を考え出さねばなりません。だから、ある程度語彙が豊かでなければできません。
ではしりとりを始めますよ。(しりとり遊びをする)
しりとり遊びは、体験が豊かな人ほどいろんな言葉が思い浮かびます。体験を通して言葉を覚えます。体験を通して心が育ちます。豊かな体験を子どもにさせて下さい。
俄の脚本家、佐藤幸一さんの「人生は俄なり」の第5話にわらべ歌「いっぷくてんぷく」の話がありました。少し歌詞は違っていましたが、私も小さい頃この童歌を聞いて育った一人です。冬の寒い夜、家族そろって火鉢に手をかざして暖をとっていました。そんなとき、祖母や時には母が、「はい、指を丸めて」と言い、この童歌を歌うのです。
ちょっと、手を貸してください。指を丸めて穴をつくってください。そうです。
私は歌声にあわせて、一人ひとりの指の輪の中に順番に人差し指を入れていきます。
♪♪「いっぷく てんぷく てんだいもんの おとひめが ゆうれにもまれて なくこえは ピヨピヨ モンガラ モンガラ オヒャリコヒャーリ ヒャイ」♪♪と歌い終わったとき、私の指が入っている手を火鉢から引き込めるのです。それを繰り返して、誰の手が最後まで残るかを楽しんだものでした。冬の夜長を祖母や母が歌う童歌で、家族みんなが童心になり過ごした。火鉢に手をかざして暖くなりましたが、家族の温もりを感じたものでした。
先ほど校長室で、校長先生からお聞きしましたが、今月の終わりの日曜日30日に、地域の人が先生となって昔遊びや郷土料理をつくるなどの御所浦フェスティバルが計画されているとのことですね。昔の遊び、昔の人の生きる知恵を子ども達に伝えてください。
資料に、蔭山英雄さんの「早寝早起き朝ごはん」をつけています。文科省でもこのことを奨励しています。本校でも校長先生はじめ各先生方から奨励されていることと思います。「なぜ、早寝早起き朝ごはん」なのか隣同士で話し合ってください。(3分程度隣同士で話し合う)
私が担任をしている頃、秋の運動会が9月下旬に行われていました。その全体練習のとき、ばたばたと子どもが倒れるのです。貧血の症状を起こして。保健室に連れて行き、休ませます。気分が回復してから「朝ご飯を食べてきたね?」と尋ねると殆どが食べていないのです。食べたという子どもの朝ご飯の様子を聞くと、食パン1枚にコーヒーと答えていました。朝ご飯は私たちの活力の源です。
私は、教員生活を神奈川県でスタートしました。一人で生活です。先ほども話しましたが、私はご飯の準備ができないので朝食抜きで数日間出勤しました。ところが、駅の階段を上るのに力が入らないのです。空腹で。これではいけないと、朝食を作ることにしました。朝食といってもご飯、これは炊飯器が炊いてくれます。みそ汁、これは小さい頃から作っていましたので適当に野菜を入れたみそ汁は作りました。このご飯とみそ汁を食べることで力が出るのです。
私はご飯とみそ汁、それにたくあんとか納豆などがあればよいと思います。
早寝早起き、朝ご飯というと、これだけで規則正しい生活ができているのです。
お子さんは毎日、何時頃に寝ますか?
何時頃起きますか?
小学3年生までだったら睡眠時間は9時間は欲しいものです。高学年は8時間くらいでしょう。そして、朝起きて、脳が活発に働くのは起床後、2時間経ってからです。
1時間目が始まるのは何時ですか?(8時40分)
だったら、朝は6時半頃までには起きるのがよいでしょう。すると、寝る時刻は低学年が9時から10時の間、高学年が10時半くらいまでということになります。
どうですか? このくらいの生活スタイルですか?ちょうど夜の7時から2時間もののテレビ番組がありますからなかなかこの時刻には寝ることができませんか?テレビ視聴の時間の長いのもいろいろと問題があるのです。長時間テレビを見る子は、疲れやすかったり、自己肯定感が低下するといわれています。詳しくはお帰りになってから資料の新聞切り抜きを読んでください。
間食なく9時から10時頃に寝ると、朝起きてお腹がすいています。すると朝ご飯がおいしく食べることができます。朝ご飯をおいしく食べると、脳が活性化します。物事を深く考えて脳を鍛えます。だから「早寝早起き朝ごはん」なのです。もう一つは、家族そろって朝食を食べる事です。家族に絆が深まります。
次に、「認め」「褒め」「励まし」「伸ばす」視点をもって子どもが自己実現を実感する機会を数多く作り自尊感情を醸成しましょう。
新聞切り抜きです。私事ですが孫が1年生の時の通知票を見て感じたことを投稿したものです。読んでみます。
「子供をほめて自己実現増幅」
小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。
あまり見せたがらなかった通知票でしたが、るんるん気分で家族に見せて回りました。子どものがんばりを認め褒めることがいかに大事であるかを孫の姿を通して実感しました。
今学校では、「認め」「褒め」「励まし」「伸ばす」教育が展開されています。しかし、この「認め」「褒め」「励まし」「伸ばす」は学校の専売特許ではありません。家庭でも地域でもこの4つの視点をもって子育てに当たりたいものです。
あるところでこの話をした後で、一人のおばあさんが話されました。
私が娘のうちに用事があって行った日のことです。孫がこんなに大きな魚を釣ってきました。孫の表情からは、みんなに見せようと思っているようでした。私が「うわー、大きな魚ば釣ってきたねー」と褒めようとするより早く娘が「何ね、そぎゃんふとか魚ば持ってきて。内にはそぎゃんふとか魚ば養うところはなか。早う、川に逃がして来なっせ」と言うではありませんか。孫はみんなから褒められると思って見せたかったのです。それを、叱られて、しょぼんとしていました。私は、後で孫に「ふとか魚ば釣ったね。釣れたときはうれしかったろう。こがんふとか魚は誰でもは釣りきらんもん。ばってんがね、お母さんが言うたごつ、家には魚ば養うところはなかけん川に逃がしておいで」と言うと、にこっとして「うん」と言って川に逃がしに行きました。子どもがしたことは認めて褒めてやらにゃんですねと。
認め、褒めと言いますが、子どもを認めること、褒めることはそう簡単ではないのです。何でもないことを褒めても子どもは喜びません。子どもに目安をとるようなことになっては子どもから信頼されません。いつも子どもから目を離さずに子どもの成長や変化を見守ることが大事なのです。
一人の新任の先生に、「子どもを褒めるときはどんなところを褒めますか?」と尋ねたことがありました。その先生は、「子どもにがんばったところを聞いてそこを褒めます」と言いました。「低学年の内はそれでよいかもしれませんが、高学年ではそれではよくありません。先生が褒めるところを見つける目を養わなければ子どもから信頼されませんよ」と言いました。
家庭においてもそうです。いつも子どもの成長や変化を見続けてください。そして、良いところは大いに褒め、間違っているところは厳しき叱りましょう。
自尊感情は、「自尊感情を育てなさい」と言い続けて育つものではありません。また、就学前の子どもや小学生時代には、その有無があまり見えません。これが中学校になると見えてきます。
以前、中学校では偏差値教育といって進学先高校を偏差値によって輪切りにして進路指導していたでしょう。これでは、子どもが行きたい学校に行くことができないと批判が相次ぎ、今では偏差値による輪切りでの進路指導はしていません。子どもが行きたい高校に行くように指導しています。
子どもは、中学校に入った時点で、あるいは高校進学を意識した時点ではA高校に行きたいという希望を持ちます。希望するA高校に行くには、努力をしなければなりません。「どうしてもA高校に行くんだ」という強い願いを持って。ところがここで自尊感情の差が出てくるのです。「なんとしてでもいきたい」という強い意欲を持って努力し続けるのが自尊感情の高い子です。自尊感情がそう高くない子は、努力の度合いがだんだん少なくなります。「俺にはとてもいけそうにない」と考え、生きたい高校をB高校へ落とします。さらにC高校へと。これだったら、偏差値による輪切り指導と一つもかわらないでしょう。
自尊感情は、生涯学習時代の基礎です。人権尊重の基礎です。
校長室に校訓が掲げてありました。「人を慈しみ、己がつとめをつくす」とあります。これも自尊感情が身に付いていなければできるものではありません。
子どもに自尊感情を育ててください。自尊感情は、認め、褒めることと同時に、大きな感動を味わわせることで育ちます。心が揺り動かされるような感動をさせてください。
時間も迫って参りました。最後に、望ましい親子関係を考えてみます。
父親との関係は、「大きくなったらお父さんの仕事をしたい」と子どもが言うことです。
母親との関係は、「お母さんの料理は好き」と子どもが言うことです。
私には二人の息子がいます。長男は「ぼくはお父さんのように、先生になりたい」と言って教師になりました。しかし、次男は「おれは先生にはなりたくない」と言って労働行政の仕事をしています。次男のモデルにはなれませんでした。子どものモデルになって欲しいと思います。
私の家庭は外食はほとんどしません。妻が食事を作ります。
お母さん方、仕事で疲れて帰ってきたり、帰りが遅くなったりで毎日食事の準備をするのはとてもたいへんだと思いますがなるべく料理を作ってください。その際、お父さんに1品多くおかずを付けてやってください。お父さんは喜ばれます。子どもも何か感じるはずです。
とうとう、私は1品多くもらうことはありませんでした。これは、私の願望です。
資料には新聞記事をつけています。時間の関係で見ることはできませんでしたが、帰られてから目を通してください。何かの参考になることと思います。
本日は一方的に私の思いを話しましたが、御所浦小学校の子どもたちが心豊かで健やかに育ちますことを祈念しまして話を終わります。
ご静聴ありがとうございました。
御所浦小学校家庭教育講演会 参加者感想 ○毎日の生活の中で気づかなかったことがたくさんあり、考えることが多くあり、勉強になりました。 ○いろいろな体験を話していただき大変分かりやすかったです。自分も世話し過ぎると思いました。 ○「子どもが自尊感情を高めるように育てることが大切だ」ということがとても分かりやすく、良かったです。 ○子どもに対する見方が分かりました。 ○自分の子そだての反省すべき点、これで良かったんだと思う部分を知ることができました。 ○子そだてについての喩えを入れた分かりやすい話でした。自立について考えていましたが、なかなかできていないと反省しました。 ○いろいろなたとえ話でどうすればよいかということが分かりやすく理解できて楽しく聞くことができました。 ○いろいろ勉強になりました。1つでも我が家にも習慣になるようにしたいものです。 ○反省することがたくさんありました。一人前の人間に育てるために私も生涯学習をがんばろうと思います。 ○「目を離さずに、手を離して」という言葉が心に残りました。 ○今まで自分自身が学習することを「欲」だと感じていましたが、生涯学習ととらえることができました。 ○自分が考えている部分と同じ部分が多かったように思います。話を聞き、なかなか思うようにできていないですが子どもに接しようと心の励みになりました。 ○楽しい講演会でした。「生きる力」とは頭では分かっていますが、なかなか子どもには実践できていないことがよく分かりました。 ○自尊感情が一番大事と言われたところに強く打たれました。良いお話しありがとうございました。 ○子育てが終わり、忘れかけていたことについて再度認識ができました。「保護」「自立」「一人前」について。 ○楽しく聞き入ってしまいました。もっと長く聞きたかったです。反省するところが多くありました。 ○日頃分かっているつもりで子そだてをしていましたが、理解できていないことが多くあることが先生の話を聞いて分かりました。 ○日々の生活の中で思い当たるところがたくさんありました。 ○子どもに対しての見方が変わると思います。子そだてに役に立ちました。 ○親としての責任をとても感じました。 ○小さい子どもを持つ親としてがんばる力が出てきました。 ○先生が話されたことは人として当たり前のことばかりだと思います。これを少しでも子どもに伝えられるようもっと子そだてをがんばります。 ○先生の講話を聞いて、自分では分からないうちに子どもの自立を妨げるようなことをしているのだと感じました。これからはもっと子どもが自立できるようにしていきたいと思いました。 ○とても分かりやすい中川先生の優しい語り口が好感を持てました。無理なく話が聞けました。 ○子どもに対しての教育のし方が分かりました。 ○婦人会から参加させていただきました。子育てが終わり久しぶりに「すてきな話」を聞かせてもらいました。 今後の生活に生かしていきたいです。「早寝早起き」「朝ご飯」「褒めること」などを。 |