人権文化の花を咲かせましょう
御所浦町人権同和教育研修会
平成15年2月

 皆さん、今日は。
 ただ今ご紹介頂きました中川有紀です。「ありとし」とよみます。「年(紀)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこのようなすばらしい名前を付けてくれた父を尊敬しています。
 その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 私が結婚しようと思っていた人の身元調査をしたことを知ったときです。私と彼女の人権を踏みにじられた思いで父に厳しく抗議しました。当時私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 去年から今年にかけて2つの事例がありました。 
 登校班で、いじめが起きました。その問題を解決する話し合いの中でいじめを受けた子のおじいさんが言われた言葉です。
 「私は、今回のことで長い間悩んできました。そして、今日1日じっくり考えました。その結果次のような結論に達しました。
 今回いじめ問題が起きたのは、子どもたちに知識と精神力が足りなかったことが原因です。「知識とはいじめることの愚かさに気付く力がなかったことです。精神力とはいじめをはね返す気力がなかったことです。その知識が高学年の子どもにたりなかった。その精神力が私の孫にたりなかったのです。誰が悪いと言うことではありません。こんなことが2度と起きないように地区みんなで子どもを育てていこうではありませんか。」
 孫がいじめを受け、悩み抜かれて結論づけられた言葉です。この言葉は人権教育そのものです。本校ではこの言葉をこれからの人権教育の指針としていこうと確認し合いました。
 中学校時代の友人が学校に私を訪ねてきました。話しを交わす中で、友人が言った言葉です。
 「あんまり同和教育はせんほうがよかバイ。」
 これに対して、
 「あたは『おまえはばか』」といわれて何とも思わんや。腹のたつど。みんなが明るく心豊かに生活する社会を創っていこうというのが同和教育たい。あたはさっき、『この学校では子どもたちがようあいさつする。トイレのスリッパも並んどる』て言うたろが。これは同和教育のおかげバイ。」
 こんなことを言って人権同和教育の必要性を理解してもらいました。
 21世紀は人権の世紀と言われています。
 「人権教育のための国連10年」が国連で採択されて以来、「人権教育のための国連10年国内行動計画」をはじめ人権教育に関する施策が講じられています。
 熊本県は平成11年1月、「人権教育のための国連10年熊本県行動計画」を策定しました。 
 県民一人一人の人権が守られ、すべての県民が安全で心豊かに暮らせるような社会の実現を目指しています。このような社会を求め、人権文化の創造が叫ばれています。
 その視点に、女性の人権 子どもの人権 高齢者の人権 障害者の人権 同和問題 アイヌの人権 外国人の人権 HIV感染者・ハンセン病患者等の人権 刑を終えて出所した人等の人権 犯罪等の被害者の人権が示されています。
 私が社会教育主事の頃のことです。
 「あたはわしが大声で言うけんおごりよって思うとっど。あたたちにお願いせんと差別はのうならん。差別のなか世の中にして欲しかて思うけん太か声で言いよっとたい。」
 これは、ある地区の書記長の言葉です。書記長とは何度も部落問題について話をし、部落差別の厳しさ、醜さ、悲しさを学びました。
 「中川さん。あたは酒飲んで夜遅くタクシーで帰るとき、どこで降りるな。家の前で降りるど。わしたちは雨の降ろうが一つ手前の部落で降りるとばい。なしか分かるな。」
 「私の地区の高校生がバス通学するのに、わざわざ次の停留所で乗り降りする。なしか分かるな。」
 「昨日まであいさつしていた人が、ある日突然あいさつしなはらんようになる。なしか分かるな。」
差別の現実を聞きました。
 ある研修会では、お父さんが子に社会的立場を話されたときのようすを聞きました。
 人権教育についての基本的認識が深まったのはこの社会教育主事の頃です。そして、このころ先輩の先生方から「これからの教育は人権尊重の視点と生涯学習の視点を持つこと」を学びました。これが現在の私の学校経営の基盤となっています。
 ある地区の人の言葉です。
 私は地区出身です。
 私のどこが皆さんと違いますか。
 違うという人がいたらどこが違うか教えてください。
 皆さんと違うのは、生まれた場所が部落ということだけです。
 皆さんと同じように明るく生きたい。
 皆さんと同じように恋もしたい。結婚もしたい。
 皆さんと同じように幸せな家庭もつくりたい。
 私たちは、このような地区の人の願いを知ろうとしているでしょうか。人ごととしてながめてはいないでしょうか。自分のこととして受け止めていきたいと思います。
 このような意味から、本日は人権同和問題を一緒に考えていきたいと思います。
 始めに、学校教育の場での人権教育についてお話しします。
 私は「人権尊重」と「生涯学習」の視点を学校経営の視点と据えて学校を経営しています。それは次のようなものです。人権擁護推進審議会答申が述べていることです。
 「人権教育は、生涯学習の視点に立って、学校・家庭・社会教育がそれぞれの主体性を発揮して実施する。」
 「各教科の特質に応じて、学校の教育活動全体を通じて人権尊重についての理解を促し、一人一人を大切にする教育を推進していく。このため、生命を大切にし、自他の人格を尊重し、お互いの個性を認め合う心、他人の痛みが分かる、他人の気持ちが理解でき、行動できるなどの他人を思いやる心、正義感や公正さを重んじる心などの豊かな人間性を育成する。」
 そこで、私は子ども達に学ぶ喜びを数多く体験させることを先生達に求めました。
 これが自ら学ぶ意欲を喚起するとともに学習の方法を学び取らせることにつながります。そこで、授業へ積極的に参加し、わかる喜び、できないことができるようになる喜びを体感させるために、次の6つの「あう」学習の展開を求めています。
   みんなで助けあう学習
   みんなで励ましあう学習
   みんなで喜びあう学習
   みんなで楽しみあう学習
   みんなで支えあう学習
   みんなで高まりあう学習
 次は、基礎的・基本的内容を確実に身に付けさせることです。
 そのためには、十分な教材研究と学習具の準備、わかる授業の展開、反復練習による基礎・基本の定着を求めました。
 さらに、学習方法を学び取らせることが大切だといつも話しています。それは、自主学習の仕方、自主研究の方法、記録の仕方、ノートの取り方・まとめ方、発表・話の仕方、聞き方などです。
 また、学校生活の中で、自己実現、自己有用感を味わわせる機会を数多く作り、子どもたちの自尊感情を育てることの重要性をいつも訴えています。
 1度きりの人生を大事にする態度、向上しようとする心、人生を充実させることに生きがいや生きる目標を見出そうとする情緒です。これは自分の人権、他の人権を大切にすることにつながります。
 一人ひとりの子どもの居場所づくりをとおして、豊かな人間性、人としての生き方、在り方を考える指導を行うことです。
 私が学校経営の中で人権教育を進める上で重視してきたことは、同和問題をはじめあらゆる人権問題に関する基本的認識の確立であり、「人権教育の日常化」であり、保護者や地域の理解を得る人権教育の推進です。
 「人権教育の日常化」についてお話しします。
 人権尊重の視点からの教育活動を展開についての具体的な事例を紹介します。
 私の学校の教育方針は、共生と自立です。本校には、肢体不自由児学級があります。昨年は2名在籍、今年は1名の在籍です。
 運動会を参観したある地区の区長さんの話です。
 「運動会を見て涙が出ました。車いすを後ろから押している光景はよく見かけます。本校では自分でできるところは自分で車いすを操作しています。組み体操も見学ではなく自分でできるところは一緒に参加しています。係活動もしています。すばらしい光景を見ることができました」と話をしていただきました。
 車いすの子がクラスの子と一緒に長縄跳びをします。一緒に遊ぶ姿を想像してもらえませんか。縄を回す役これはどこでもしていることです。子どもたちが考えた遊びはそれだけではありません。ゆっくりではありますが縄が回っている間を車いすで急いで通過するのです。こんな遊びも考え出すことができました。もちろん担任の指導があることは当然のことです。
 昨年度の卒業式では、卒業証書を受け取るためにステージに登壇する方法を担任と子どもたちが一生懸命考えました。短い距離であれば歩くことができましたから登壇は子どもの介助でできるようになりました。降壇は本人の足がすくんでいくら練習してもできません。そこで、昇降機で降壇するようにしました。もちろんこのときも介助が必要ですが担任は昇降機の操作、子どもたちが自主的に介助に回りました。
 同和教育の総和は学力保障(学力充実)といわれています。就労保障は進路保障、進路保障は学力保障です。学力保障は学力充実です。このことから、これまで同和教育が校内研究のテーマであったのを教科指導の工夫改善の研究へと改めました。そして、学び方の定着、生涯にわたって学ぶ意欲の醸成、基礎・基本の定着、自尊感情の醸成を主眼に校内研究を進めています。
 「わかる授業」、「子どもが輝く授業」の創造を目指しています。
 そのため、学習指導案への人権教育の視点を明記しています。
 生活科の指導案に一人の教師が明記した人権教育の視点を紹介します。
 ・自分が感じ取ったことを表現できる雰囲気作りに努める。(自立・実践力)
 ・順番を守って発表したり、友だちの考えを最後まで聞いて話し合い、お互いの考えを認め合うことができる。(仲間づくり)
 ・発表を苦手としている子どもには、その子なりの発表意欲を持たせる配慮をする。(人権尊重)
 ・生き物も命を持っていることや成長していることに気づき、生き物を大切にしようとする心情を育てる。(豊かな感性)
 ・学び方を習得したり楽しく学び合い活動をしていく中で自己存在感や自己実現の喜びを実感させる。(自尊感情の醸成)
 主体的学習態度を育成するために4・5・6年生の少人数指導体制「輝きの時間」を導入しました。毎週水曜日5校時を前期(4月から10月)が国語、後期(11月から3月)算数としています。全職員で指導に当たります。
 国語の学習の例です。
 「土筆」何と読むでしょう。ヒント 春先に田圃のあぜ道や通学路の端にでてきます。
 「つくし」と読むことができました。
 「イルカは漢字でどう書くでしょうか。来週はこんなことを学習します。」と指導者が言うと、「それまでに自分で調べておこう。」と何人もの子どもが言いました。『進んで学習』を知らず知らずのうちに実践しています。これが習慣化することをねらっています。
 次は社会教育の場での人権教育について考えてみましょう。
 「女性の年齢を明らかにしないのは、女性に対する優しさからかしら?」と落合恵子さんは問題提起しています。
 女性の場合、生年月日や年齢を明らかにしないというのは、社会の一つの慣例であり、ある優しさから生まれたものかも知れない。しかし、女性が年齢を重ねることはマイナスなのだろうか。「女性は若いうちが華よ」という若さは、確かにすばらしいことではあるが、女性は若さだけが取り柄ではない。若さだけが取り柄なら、歳を重ねた女性はどこに誇りを持って生きていくか。男性も女性も1年365日一生懸命生きている。一生懸命生きて、50才となり、60才となる。年齢を伏せておいて、90歳、100歳の年になるとすばらしいというのはどうみてもおかしなことだと。
 平成14年3月29日に出されました「人権教育・啓発に関する基本計画」では、「女性」についての具体的取り組みとして、政策・方針決定過程への女性の参画を拡大していく、男女共同参画の視点に立って様々な社会制度・慣行の見直しを行う、女性に対する偏見や差別意識を解消し,固定的な性別役割分担意識を払拭する、性別に基づく固定的な役割分担意識を是正し,人権尊重を基盤とした男女平等観の形成を促進する、雇用における男女の均等な機会と待遇を確保する等が具体的な取組として示されました。
 女性差別は男性の問題とはよく言われる言葉です。身近な問題からおかしいと思ったことはどんどん問題提起していきましょう。
 我が国では、2015年には、4人に1人は65歳以上の高齢者だと予想されています。
 「じいちゃん、ばあちゃんなきたなかて思うとったつが恥ずかしか」これは、私が社会教育主事の頃、高校生ボランティア養成講座に参加した高校生から聞いた言葉です。
 県社会教育課で高校生を対象とした「ボランティア養成講座」を実施していました。ある年の参加者の中で「年寄りはすかん。しわだらけで臭かもん」と言っていた高校生が、特別養護老人ホームでのボランティアの実習に行きました。
 はじめは言葉通り、おばあちゃんとの会話もぎこちなく距離を置いて話していたのです。おばあちゃんから「ちょっと肩をもんでくれんね」と言われ、仕方なくまさにおずおずと肩をもんでいました。会話の中で「私にも、ちょうどあたくらいの孫がおるとたい。ばってん、あんまり来てくれん。寂しか。今日はありがとう」と言って、肩をもんでいる高校生の手に自分の手を添えられました。一瞬、手を引こうとしたその高校生は、そのまま、肩もみを続けていました。
 集合時刻になっても、その高校生はなかなか帰ってきません。見に行ってみると、それこそ、二人で抱き合わんばかりにして、話し込んでいました。
 その高校生の実習後の言葉です。
 「じいちゃん、ばあちゃんなきたなかて思うとったつが、恥ずかしか。外見での判断が間違いであったことに気付きました。」
 各省庁では、高齢者の人権についての国民の認識と理解を深め、高齢者が社会の重要な一員として生き生きと暮らせる社会の実現を目指すでありますとか、「敬老の日」「老人の日」「老人週間」の行事を通して高齢者の福祉について関心と理解を深めるなど示しています。
 「結婚式は大安がよかぞ」これは今でもいわれている言葉です。
 「大安」「仏滅」などの言葉は知っています。どんな意味かは知りません。しかし、みんながそう言いよるということで、これが社会の習慣となってしまっています。一つの迷信でもあります。
 迷信とは広辞苑によると「(宗教的・科学的立場から)道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。その判定の標準は常に相対的で、通常、現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものについていう。俗信」とあります。
 「大安」の日に結婚式を挙げたからといって夫婦関係がうまくいくという保証は全くありません。この日に結婚式を挙げた夫婦の離婚も多いという事実から明らかです。このことはみんな知っているのですが、現実にはこの日を選んで結婚式をあげる人が多く、結婚式場では、最近、「仏滅」の日の結婚式は割安にしているところもあるそうです。おかしなことです。
 吉田兼好は徒然草九十一段で「陰陽道で万事に凶であるとする赤舌日(しゃくぜちにち)を迷信であるとして、これにとらわれる必要はないと言い、「吉凶は人によるものであって、日によるものではない」と言っています。
 この迷信と差別に共通するところは、科学的・合理的根拠がない観念や意識であるということ、普段の生活では意識していないのになにかあらたまった事があるとき、意識するということです。
 今日は何の日か暦を見て出てこられた方はおそらくいらっしゃらないと思います。普段の生活ではほとんど意識していません。それが、結婚式を挙げるというときに、葬式を出すというときにこの意識が出てくるのです。部落差別も同じです。結婚や就職、あるいは利害に関するようなときに出てくるのです。普段は意識していない心の奥にある意識が問題なのです。
 家族や親戚など周りの人からすりこまれてきた間違い、予断であり偏見です。この予断と偏見を一つ一つ取り除いていく学習を続けたいものです。おかしいと思うことを、自分で調べ、学習し、講演会や学習会に進んで参加し、学びたいものです。学ばないと、世間を狭くします。「学ぶ」、「確かめる」、「調べる」という生涯学習を続けることが予断と偏見を取り除き、差別のない明るい社会づくりへとつながります。
 ある小学4年生の子どもの作文があります。読んでみます。
 迷信と差別を学習して
 「コロッケあげようか」と夕食の時、お姉ちゃんが言いました。私が「うん、ちょうだい」と言うと、お姉ちゃんが、はしでコロッケをつかんで、私にわたそうとしました。私はお姉ちゃんが持っていたコロッケをはしでつかもうとしました。すると、お母さんから「やめなさい」と大きな声で言われました。私は怒られたと思って、はしを引っ込めました。でも、何故怒られたのかわからないので、「どうして」と聞くと、お母さんは「はしとはしでものをわたすと、縁起が悪いのよ」と言いました。私は何故そんなことを言うのか不思議に思いました。
 私たち4年生は、2学期に「迷信と差別」を学習しました。最初に、家の人にどんな迷信や言い伝えがあるかの聞き取りをしました。
 夜、テレビを見ていたお祖父ちゃんに「おじいちゃん、迷信てしっとるね」と聞くと、おじいちゃんは「何でそぎゃんことば聞くとかい」と言いました。私は「学校の勉強で、迷信ば習いよるけん、調べよるとたい」と言いました。お祖父ちゃんはちょっとだけ考えて、「しゃもじばなめると結婚が遅くなるとか言うなぁ」と言いました。「ほかになかとね」と聞くと、「茶柱が立つと縁起がよかという迷信もあるね」と全部で10個くらい教えてくれました。私が知っているものもありましたが、知らないこともたくさんありました。お祖父ちゃんはよく知っているなぁと思いました。
 次の日、学校でみんなが家の人から聞き取った迷信や言い伝えを出し合いました。黒板に書いていくと、全部で20個ありました。 先生が「それでは、これらの迷信や言い伝えが本当に正しいかどうかを、実験して調べることにしましょう」とおっしゃいました。
 私は、そんなことして大丈夫だろうかと思いましたが、いろいろな迷信の中から、「夕焼けならば次の日は晴れる」と、お母さんから言われた「はしとはしで食べ物をつかむと縁起が悪い」を調べることにしました。
 先週の金曜日、部活動の帰りに、西の空がきれいな夕焼けでした。次の日、朝早く起きてみると、とてもいい天気でした。だから「夕焼けならば、次の日は晴れる」は本当だなと思いました。また、「はしとはしで食べ物をつかむと縁起が悪い」も実験してみることにしました。給食時間に、○○さんとカリントウをはしで渡してみました。その日は何も悪いことはおきませんでした。
 みんなが実験したことを報告しながら、迷信と差別について考えました。実験などして調べてみると、正しくなかったという迷信や言い伝えがたくさんありました。それから先生の話を聞いて分かったこともたくさんありました。
 たとえば、「夜、口笛をふくと蛇がでる」は、昔の家は、透き間があいていたので夜口笛などが聞こえると近所迷惑なので、蛇が出るなどと言って子どもをしつけていたのだそうです。こんなふうに、子どもの躾のために言われていた迷信もありました。しかし、子どもの躾とはいっても間違ったことが伝えられてきたことは、1学期に勉強した「部落差別の始まり」と似ているところがあるように思います。それは迷信も部落差別も昔からずっと私たちの時代まで、伝わってきていることです。また、迷信は正しくないことが多いし、部落差別も殿様がつくった間違った考え方だし、どちらも間違った考え方が今まで伝えられていることです。だから、私たちはそれが正しいことなのか、正しくないことなのかを判断していくことが部落差別を無くしていくことになるのだと思います。
 迷信や言い伝えられていることにはおかしなことがたくさんあります。そのいくつかを紹介します。
 最近は年暮れに餅つき時の杵の音は余り聞かれなくなりました。ほとんどが餅つき機での餅つきです。私の家では一家総出で臼と杵で餅つきをしています。
 「29日の餅つきは、苦をつきこむから1年中苦しい目に遭う。やめた方がよか」と近所では言います。しかし、福岡県の粕屋町では、29日に餅つきをするとききました。なぜだと思いますか。
 それは、「フク(29)」をつきこむということからだそうです。所によって、このように違うのはおかしなです。
 今は、椿の花が真っ盛りです。椿の花は首からポロッと落ちるけん、縁起の悪か。屋敷には植えんがよか」という人がいます。他の花と違い、椿は花びらが落ちるのではなく、花全体が落ちるのです。何故、首からポロッと落ちるかを考えてみたらわかると思います。
 椿は花びらが5枚の一重の筒咲きの花で、雄しべと癒合して、密をたくさん蓄えています。その密を吸いにめじろなどがきます。めじろなどの動きで椿は受粉し、雄しべと花びらはその役目を終えて落花します。この落花がポロッと首から落ちているようだと形容して、人の首が落ちるのと重ね合わせて縁起が悪いといったものでしょう。
 「椿の花は首からポロッと落ちるけん、縁起の悪か。屋敷には植えんがよかばい」は、何の根拠もないものであり、おかしなことです。
 今日は研修の場ですからあえて差別語を使いますが、今、「○○」という言葉を使う人はいません。互いに相手を思いやる心がありますから。みんなの心に共生の心がありますから。「○○」と言う言葉を聞いて、心を痛める人がいる言葉は使わない心があるのです。これは同和教育の成果です。
 甲佐小学校で県立点字図書館長さんが、3年生の子どもと「共に生きる」学習をされたことがありました。その時の館長さんの言葉です。
 「私は、目が不自由です。しかし、歩くこともできます。ものを考えることもできます。楽しいときには大きな声で笑います。悲しいときには涙を流して泣きます。ただ、車の運転だけは皆さんのお父さん、お母さんと同じようにはできません。目が不自由な人と、皆さんとで楽しくふれあうことができるようにするには少しの工夫があればよいのです。その工夫の一つが点字です。点字を使って、会話やゲームができます。体の不自由な人とそうでない人と共に暮らせる世の中でありたいですね。」
 数年前のNHKドラマ「元禄太平記」では、浅野内匠守が殿中松の廊下で吉良上野介に斬りつけた刃傷沙汰の裁きを「片落ち」と表現していました。原作の船橋精一の「新忠臣蔵」では、「片手落ち」でした。
 長崎市に原子爆弾の爆風により、鳥居の片方が吹き飛ばされた鳥居があります。以前はこの鳥居を「片足鳥居」といっていました。6年生と修学旅行に行ってみると、「1本足鳥居」となっています。呼び方が変えてあります。
 これまで使っていた言葉の中でも改めたがよい言葉は改められています。これらは同和教育の成果です。
 皆さん。千昌夫さんが歌う「星影のワルツ」。ご存じでしょう。
 2月、3月の別れの季節では歌われることがあります。
 「星影のワルツ」は次のような歌詞です。
一 別れることはつらいけど  仕方がないんだ君のため  別れに星影のワルツを歌おう
  冷たい心じゃないんだよ  冷たい心じゃないんだよ  今でも好きだ死ぬほどに
二 一緒になれる幸せを    二人で夢見たほほえんだ  別れに星影のワルツを歌おう
  あんなに愛した仲なのに  あんなに愛した仲なのに  涙がにじむ夜の窓
三 さよならなんてどうしても 言えないだろう泣くだろう 別れに星影のワルツを歌おう
  遠くで祈ろう幸せを    遠くで祈ろう幸せを    今夜も星が降るようだ
 私は、この歌が好きでよく二次会などで歌っていました。同和問題研修会で、この詩の背景にあるものを学習して以来、歌えなくなりました。それは、同和地区出身の人が周りの反対にあって、自分がこの世で一番好きな人、結婚して幸せな家庭をつくとうと心に決めた人と別れねばならなくなった心情を歌ったものと知ったからです。
 もう一度歌詞を読んでみます。「あんなに愛した仲なのに」、「今でも好きだ死ぬほどに」、「一緒になれる幸せを、二人で夢見たほほえんだ」、「遠くで祈ろう幸せを」この言葉一つ一つを読んでいると、愛する人と別れねばならない作者の無念さ、部落差別に対する憤りが伝わってくると思います。
 この歌を歌う時の千昌夫さんの真剣な表情から、部落差別の不当性、部落差別への怒り、そして部落差別を無くそうと強く訴えながら歌っているように思えてなりません。
 これまで考えてきましたように身の回りには、部落差別を始めさまざまな差別があります。これを氷山に例えるなら、海面上に現れている氷山は、差別の一現象です。海面の下に「差別意識」、「予断」、「偏見」などの「人権意識の希薄さ」が隠れているのです。「この人権意識の薄さ」の氷の塊を溶かす努力、周りの海水の音度を上げる学習、人としての生き方、在り方を常に追い求めていきたいものです。
 菊池恵楓園の園長は「無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。」と言われます。ハンセン病に対する間違った認識で私たちは長年、元ハンセン病患者を差別してきました。
 同和対策審議会答申では、人によってつくられた差別は人によって取り除かれねばならないと訴えています。私たち一人一人の努力で1日もはやく同和問題を解決していこうではありませんか。
 生涯学習で心豊かな社会を創りましょう。
 同和問題をはじめとした様々な人権に関する「知識」を深め、一人ひとりの人権について認めあうための具体的「技術」を身につけ、人権を守っていくための「態度」を身につけましょう。
 技術とは、世間の噂より自分で調べて整理して表現する力であり、相手の権利を侵さないで自分の気持ちを表現する力です。自分で決定し、冷静に判断し行動できる力のことです。
 態度とは、生命を尊重する態度のことです。自分が好きといえる気持ちや態度、つまり自尊感情が強いことです。お互いの違いを認めあう態度です。他の人を信頼し協力できる態度のことです。
 21世紀は人権の世紀といわれています。しかし、ただ待っていても人権の世紀とはなりません。私たち一人ひとりの努力で21世紀を「人権の世紀」としましょう。人権文化の花を咲かせましょう。
 長時間のご静聴ありがとうございました。