生  涯  現  役
菊池市七城高齢者大学
平成18年9月

 ただいまご紹介いただきました「なかがわ」でございます。この字で「ありとし」と読みます。よろしくお願いいたします。
 言葉が通じるというのは良いですね。公民館の少し手前で「公民館はどこですか?」と通りがかりの方にお聞きしますと、「ほら、そこです。私もこれから行くところです」と言って公民館へ案内していただきました。
 私は、中国シルクロ−ドの旅から一昨日帰ってきました。私は全く中国語が話せません。妻が少しばかり話します。それで、二人で旅してきたのです。どこかへの道順を聞いてもなかなか通じません。身振り手振り、メモ帳に文字を書いて筆談です。そうやってバス停まで行き、バスで目的地へと移動しました。もう、6回ほど二人で旅しますがその度に言葉には苦労しています。
 ところで、平成5年頃だったかと思います。ここ、七城町は当時の文部省指定「生涯学習モデル市町村事業」を受けられ、生涯学習のまちづくり大会が行われていました。
 私が参加しましたとき、七城小学校の先生が実践発表されました。
 小学校6年生の国語の学習で、柿本人麻呂作「ひんがしの 野にかぎろいの立つ見えて 返り見すれば 月かたぶきぬ」の和歌を指導したことを発表されました。
 詳しくは紹介できませんが、この歌の情景を絵に表そうと言うことになったそうです。東の情景は山の端から今まさに太陽が昇ろうとするところでまとまったそうです。西の情景が、傾むく月の形が満月あり、半月あり、三日月ありでがなかなかまとまらなかったそうです。そこに一人の子が「太陽と月の関係は4年生か5年生で勉強したごたる。明日理科の教科書ば持ってきてみんなで勉強してみよう。」と提案したそうです。そして、教科書を元に調べてみると、太陽が昇ろうとするとき、西の空に沈む月は満月だとみんなで理解し合ったという発表でした。私はまさに生涯学習の視点からの国語の学習だと感じ入りました。
 当時は、生涯学習というと「そらー、社会教育のことだろう。学校には関係なか」という先生がほとんどでした。
 このように町を挙げて学習に励んでおられる皆様を前に話ができること大変光栄に思っています。
 今年は、9月の声を聞くと同時に朝夕が涼しくなり、急に秋が来ましたね。明治の頃、小泉八雲は、熊本に来て「熊本と言うところはおかしな所である。夏から秋が急に来る。冬も急に来る」と言っていたそうです。秋を詠んだ和歌はたくさんあります。
○秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる(藤原敏行朝臣)古今和歌集
 これは、立秋の日に詠まれたうたということです。まだ残暑がきびしい頃です。秋が来たと目には鮮やかに見えないけれど、これまでとは違う風の音には驚かされる。もう秋が来たと感じずにはいられない。という意味の和歌ですね 
○夕されば かど田の稲葉おとずれて あしのまろやに秋風ぞふく(源経信 金葉集)
 夕暮れになると、門田の稲葉はそよ風に揺れ、さらさら音を立てる。蘆の小屋にも秋風が吹き、豊かな実りを採りいれる季節がやって来たという和歌です。
 田んぼの稲穂がだいぶ色づいてきました。ちょうど今頃の和歌でしょうか。
○吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ(文屋康秀 古今集)
 吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、それで山風を嵐というのだろう。
 これは「山」+「風」を「嵐」と読みます。平安時代のおやじギャグです。ギャグと言えば、私が高校生の頃友人にいつもギャグを言っては人を笑わせる者がいました。美しいものを見ると、「うわぁー、きれいか。絵のごたる。こいびしゃくの柄のごたる」など言っていました。こんなダジャレは今の若い人には通じないでしょう。
 ある学校の先生は子どもたちに「ミカンを好きになりなさい。ミカンを食べると未完成で終わることはありません」など言っては笑わせています。
 もうすぐ紅葉の季節です。美しい紅葉を見て、「また紅葉を見にこうよう」と言う人もいます。これら笑い話については後半でまた少しふれます。
 最近の私と妻の会話です。
「おい、あらぁどけあるや」
「あーっ、あれな。あら、あすこにあるたい」
 こんな調子の会話が増えてきました。ものの名前が直ぐに出てこないのですね。でもおもしろいもので、案外意志が通じるものです。時には妻は「あるじゃ分からん。はっきり名前バ言いなっせ。名前バ」と言いながら、「こん前こうちきた、あらどけなわしたな」こんな調子です。
 つい少し前までは「老い」とか「死」など考えもしなかったのですが、最近は老いについて気になるようになりました。気になると、ようしたもので「老い」や「死」に関する記事がよく目につきます。
 10日の熊日新聞では、熊本市の一新校区などの商店街で「重陽の節句」の9日に、買い物客に菊酒を振る舞ったという記事がありました。
 この日に酒に菊の花を浮かべて飲むと長寿、無病息災が得られると平安の昔から信じられていたそうです。また、9月8日の夜、菊の花に錦をかぶせて夜露を含ませ、9日の朝、その錦で肌をぬぐうと老いが除かれると信じられ、宮廷の女房たちは実行していたと言われています。
 人は誰も老いたくはない、死にたくはないものです。この老いから逃れる事は昔から考えられていたのですね。竹取物語で、かぐや姫は別れの時、御門に不死の薬を送りました。しかし御門はそれを駿河の日本で一番高い山で焼くように命じました。それからあの山は「不死の山」(後の富士山)と言うようになったということです。
 不老不死と言えば、秦の始皇帝の話しを思い出します。
 始皇帝は生まれつきあまり体が丈夫ではなく、統一したころから不老不死を求めて、方士を傍に近づけるようになりました。方士が飲ませた薬(水銀という説がある)でさらに体を悪くしたおもわれ、紀元前210年に5度目の巡遊の途中で死んでいます。特に有名なのは徐福です。2度目の巡遊の途中、斉に立ち寄り、徐福に東にあるという蓬莱の国へ行き、仙人を連れてくるようにと命じました。この蓬莱は日本の事を指していると言われ、日本各地に徐福の最期の地といわれる場所がいくつもあります。佐賀県では数カ所伝説があり、徐福の像まで建ててあるところがあります。和歌山県では徐福公園まであります。この徐福伝説と関係があるかどうかは分かりませんが小国町には、蓬莱小学校という校名の学校もあります。学校名の由来を聞いてみたいと思っています。
 蓬莱(ほうらい)とは、古代中国で東の海(渤海とも言われる)上にある仙人が住むといわれていた五神山のうちの一つの蓬莱山のことです。一説には日本を指すとも言われています。
 どんなに不老不死の薬を求めても人は老いていくのです。

 老化にはいろいろありますが、脳の老化がいろいろと取りざたされますね。脳の老化の特徴は次の5つだとある病院の先生から聞いたことがあります。
 ・もの忘れが多くなる ・物覚えが悪くなる ・動作が遅くなる ・がんこになる ・新しい友だちなどがつくりにくくなる。
 私はこの5つがすべて当てはまります。  
 最近は、人の名前をよく忘れます。忘れるというより、ど忘れですね。話題にしている人の名前をなかなか思い出すことができないことがあります。そんなときは、「彼は」とか「彼女は」などでごまかしますが、困るのは道でばったり会った人の名前を思い出さないときです。そんなときはいろいろ話しをした後で、
「とこっで、あたの名前は何だったかな?」
「なんてな、おるが名前ば忘れたつな。中川タイ。」
「忘るるもんな。中川さんてな知っとるタイ。わしが聞いたつは下ん名前タイ。」
 こんな風に言うと、相手から名前を聞き出すことができます。これも一つの生活の知恵でしょうかね。
 人は、40歳代から老化が始まるそうです。私たちはこの老化街道を時速60キロ、70キロで走っているのです。老化を止めることはできないそうですが、ブレーキはかけることができます。老化にブレーキをかけることが大事です。

 脳の老化にブレーキをかけるのは、前頭前野を鍛えることだそうです。どうして鍛えるかと言いますと、
・簡単な計算を早くする 
・読書をする それも声に出して読むと尚効果があるそうです。
・他人とのコミュニケーションをとる         
 この3つを心がけ実践することで、脳の老化にブレーキをかけることができるそうです。
 益城町公民館講座でそろばん教室をひらき、指導しています。
 見取り算10問、かけ算20問、わり算20問、この3つを30分ぶっ続けですると身体が熱くなります。のどが渇きます。頭がぼーっとなります。かなり脳をつかいます。これにそろばん式暗算をすると、さらに右脳を鍛えると言われています。それは、そろばんの珠を頭にイメージして、それを動かして計算するからです。現在、30代から70代まで17人の人がそれぞれ自分のレベルにあった問題に挑戦しています。
 少しやってみましょうか。左手をお腹の前に手のひらを上にして置いてください。右手の親指と人差し指で手のひらの上で珠をはじきますよ。珠は頭にイメージしてください。5円也、6円也、7円では。18円になりましたか。このたし算を5に6をたして11、11に7をたして18とするのではなく、頭にイメージした珠を手のひらの上に入れていくのです。これをしていくと、毎日の買い物でもおよそいくらかをレジに並ぶ前に計算できますよ。レジで計算して「はい○○円です」と言われてお金を出すのではなく、「およそこれくらい」と計算してあらかじめ用意しておくと、買い物でも頭を使うことができます。
 新聞を声に出して読むことが効果があると、東北大学の川嶋教授は言っています。それは、新聞は毎日違う内容が書かれているからです。私は、新生面と1面のトップ記事を声に出して読んでいます。だいたい、10分程度要します。
 声に出して読むと、意外とつっかえたり、意味が分からなかったりする言葉があるものです。意味が分からなかったり読めなかったりする漢字は辞書で調べます。最近意味が分からないのはカタカナで書いてある言葉ですね。これも生涯学習です。
 年を取ると、新しい友だちがなかなかできにくくなります。腹を割って話ができるのは、昔からの友達です。だからこの年になると、同窓会が楽しみになります。いっぺんに若い頃にかえりますものね。だけどそればかりではよくありません。新しい友だちを作るのに一番適しているのが公民館講座です。共通の話題で話ができますから。
 そこに挙げています「弁天娘女男の白波」は、斉藤考の「声に出して読みたい本」からとったものです。調子が良いですから一緒に声に出して読んでみましょうか。最後の文句は、少しゆっくり読んで、見得を切りましょうか。

 「弁天娘女男白波(白波五人男)」河竹黙阿弥
 知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白波の夜働き、以前をいやあ江の島で、年季勤めの稚児ヶ淵。百味講でちらす蒔銭を、当に小皿の一文子、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の枕探しも度重なり、お手長講の札付きに、とうとう島を追いだされ、それから若衆の美人局、こゝや彼処の寺島で、小耳に聞いた音羽屋の、似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助たァ、おれがことだ。

 こんな調子で漢詩や物語、歌舞伎の名文句がたくさんあります。
 この本を読んでみませんか。断っておきますが、私は斉藤さんから礼金ももらってはいないし、頼まれてもいませんよ。

 今日の演題を「生涯現役」と付けました。
 先ほどふれました「不老不死」の話しと「生涯現役」は、相通じるものがあります。
 益城町の公民館講座生の一人の言葉です。「男と女の間には、出会いの数だけ別れがあるが、別れのない出会いがある。その出会いは、生涯学習。陶芸との出会いです」。まさに生涯学び続ける気持ちを表した言葉です。
 生涯学習というと、今日のようにおもしろくもない話しを聞いて何かを知ることも生涯学習、何かを読んで学ぶことも生涯学習、仲間と議論しながら学ぶことも生涯学習、そして詩や俳句、和歌、川柳、笑い話などを作り出すのも生涯学習です。笑いの中で脳の活性化を図るのもとても楽しいものです。
 松島町だったと思いますが、公民館のトイレで用を足していたら目の前に「短小でも見栄を張らずに一歩前」と張ってありました。私は特別見栄を張っているわけではありませんが便器から少し離れて用を足します。思わず苦笑いしました。そして、この発想に感心しました。
 配付している川柳を読んでみてください。
   タバコより 体に悪い 妻のグチ
   いい家内 10年経ったら おっかない
   天高く 馬も私も 肥える秋
 思わず笑い転げてしまいそうでしょう。
 9月14日の熊日、新生面にシルバー川柳の入選作のいくつかが載っていました。紹介します。
   定年で 働き蜂から おじゃま虫
   威張ってた 上司地域で 役立たず
   カードなし ケータイもなし 被害なし
   メモ帳の しまい場所にも メモが要る
   医者と妻 急に優しく なる不安
   八十路超え 大器晩成 まだ成らず
 これは愛知県の81歳の男性の作です。正に生涯学習ですね。
 どどいつ
   嫌なお方の 優しさよりも 好いた貴男の 無理がいい
 艶っぽい、粋な文句ですね。
   旦那まいにち 天文館で わたしゃ帳簿が ちんぷんかん
 先日、鹿児島県で九州公民館大会が行われました。私も参加しました。夜の天文館はとてもにぎわっていました。
   金がなければ 先ず知恵絞れ 知恵が出なけりゃ汗を出せ(井原西鶴:作)
 これは人生訓のようですね。
 19日の熊日には、「思わずニヤッ ユニークな標語」と題して益城町の交通指導員の標語の紹介がありました。
  暑かけん てれっとしとっと 事故おこす
  稲穂出て 黄金にみのれと下を向く 車の運転 前ば向け
 こんな標語を町道の脇にある「猿田彦」大神の石碑にかけて、交通安全を呼びかけているそうです。猿田彦の神は、天孫降臨のとき、迩々芸命(ににぎのみこと)を案内した神様で、道案内の神と言われています。交通安全の呼びかけにぴったりの試みですね。
 少し下ネタですが、
  スケベ男とカボチャのつるは となりの庭を はいまわる
 これはどこかの公民館に掲示してあったものです。思わず吹き出します。
 阿蘇郡内のある学校へ講演に行ったとき、食事した近くのレストランに創作「笑い話」という本がありました。
・創作 笑い話「選挙戦」です。
 昨年の郵政民営化に関する衆議院選挙は、「刺客」という言葉がにぎわいましたが、それにともないいくつかの新しい政党ができましたね。それを風刺した話しでしょうか。
 お菓子屋さんから出てきた中川さんに向かって、選挙運動に走り回っている竹塀さんが聞きました。
 「あたは何党な?」
 「わしな、わしは昔は辛党だったバッテン、今は甘党タイ。」
 今度は歯医者さんから歯の治療が終わって出てきた所で、林派の中山さんが聞きました。
 「あたは何派な?」
 「わしな、わしぁ前歯と奥歯タイ。」
 少し下ネタの笑い話です。 
 「提灯のしわ」おばあさんと孫の会話
 「ばあちゃん、こらなんな? えらいしわがあるバッテン。」
 「提灯タイ、こぎゃんしわがあるとなー、使うとき太ーなるとバイ。」
 「そんならおるがつと同じタイ。」
 「何ばあんたは要らんこつば言いよるかな。早よー、火ば付けんかな。」
 「おらー、ばあちゃんには火は付け切らん。」
 「なんてな、ばあちゃんに火ば付けたらあんたじゃ消しきらんバナ。あんたは何ば言いよるかな。提灯に早う火ば付けて言いよるとタイ。」
 背中をピーンと伸ばして学習することも大切ですが、時にはこのように鼻の下を伸ばす学習もあって良いでしょう。
 話しばかりでは退屈です。ちょっとゲームをしてみましょうか。
 両手をパンとたたいて、右手をパーにして胸を押さえてください。左手はグーにして斜め上に挙げましょう。もう一度両手をたたいて、今度は左手をパーにして胸を押さえ、右手をグーにして斜め上に挙げてください。少し、練習しましょうか。
 (1,2,3,4の号令で練習)
良くできますね。ただ号令でするのはおもしろくありませんから歌にあわせてやってみましょうか。
 皆さんご存じの「誰か故郷を思わざる」です。一度、歌だけ唄ってみましょう。
 花摘む野辺に日は落ちて みんなで肩を組みながら
 歌を歌った帰り道 幼馴染のあの友この友 ああ誰か故郷を思わざる 
 では、歌いながら先ほどの動きをしますよ。良いですね。
 (歌を唄いながら、歌にあわせて動作を繰り返す)
 むずかしいですね。手の動きを命令する脳と歌を唄う脳とは使う場所が違うからです。このように2つや3つのことを一度にするのも脳を活性化させるのに良いそうです。これから高齢者大学のテーマソングと身体の体操にしてはどうでしょうか。
 資料で拓本を配付しています。
 これは江戸時代の儒学者 佐藤一斎の「言志四録」です。生涯学習の神髄を表しています。
   少にして学べば 則ち 壮にして為すあり
   壮にして学べば 則ち 老いて衰えず
   老いて学べば 則ち 死して朽ちず
 「言志四録」は江戸時代の儒学者佐藤一斎の処世訓です。幕末の西郷隆盛や佐久間象山・吉田松陰その他多数の志士達に多大の感銘を与え座右の戒めとし、維新の原動力の源となったそうです。熊本の横井小楠は、佐藤一斎をとても褒めています。

 「人以外の動物に老人は存在しない」これは、京都大学霊長類研究所教授 正高信男さんの主張です。正高先生は「繁殖を停止したのに、なおかつ生きている」というのが老人だと言っています。生物にとって子孫を残すというのが何よりも大事なこと。だから、子孫を残す役目が終わると無用な存在になると言うのです。動物園などで飼育しているニホンザルは、だいたい25年生きるそうです。23歳か24歳で閉経するそうです。閉経したら1年か1年半で死んでしまうのだそうです。チンパンジーは50年くらい生きるそうですが、40いくつで閉経し、すぐに死んでしまう。オスにも同様のことが言えると言っています。
 それでは人間の世界ではどうして、老人が生きているかということです。つまり、長生きをした人間がいたほうが周りには有利だったということです。それは、お年寄りが生きてきた生活の知恵を伝える、より暮らしやすい地域づくりや子育てに関わる、これが人間にとってとても大切だったわけです。そして、これは今でも変わりありません。皆さんがいらっしゃるから今の社会があるのです。皆さんは社会に必要とされています。あなたがいるから今の社会は成り立っています。この気持ちを持って皆さんが持っている知恵を社会に還元しましょう。
 それは、地域づくりであり、子育てであり、文化の伝承であり、その他いろんなことが期待されています。
 今学校では、総合的な学習の時間といって地域学習などをしています。その学習の地域の先生として、あるいは、子どもたちの生活全般の指導者として活動されませんか。
 例えば、食事中の箸の持ち方です。箸は食べ物を口に運ぶ役目だけではありませんよね。日本の食文化の一つです。箸を持つことでも美しさを求めたいものです。子どもたちの箸の持ち方は美しさとはほど遠い持ち方をする子がいます。一緒に給食を食べながらさりげなく教えて欲しいのです。それができるのが皆さんです。
 あるいは、ぞうきんの絞り方、極端に言うと両手で押して絞りましたという子がいるのですよ。私の弟が学校で剣道を教えています。初めて竹刀を手にする子どもに「竹刀はぞうきんを絞る要領でと言っても子どもには通じない」と言っています。そのはずです。家庭でぞうきんを絞ることなどほとんどないのですから。風呂上がりに使ったタオルを絞って身体を拭くことなどしません。乾いたバスタオルで拭きますから。
 皆さん、学校支援ボランティアを申し出てみませんか。学校は皆さんの力を必要としていますよ。
 時間がなくなりました。皆さんに提案したいことがあります。「七城町高齢者大学研究論文集」を発行しませんか。
 研究論文というと、「そんなものは私には書けない」とおっしゃる方もおいででしょうが、堅く考えないで、先ほど話しましたような笑い話でも良いです。詩や俳句、短歌でも良いでしょう。あるいはこれまでいろんな方の話を聞かれたことでしょうからそれらの感想文でも良いでしょう。日頃考えていることでも良いでしょう。どうしても文が書けない方は、家族の方に皆さんの話を聞き取って書いてもらわれても良いでしょう。きっと楽しい論文集ができると思いますよ。
 そして、それを印刷製本して町内の方に配付されたらいかがでしょう。
 鹿児島の殿様、島津日新斎は「いろは歌四十七首」で「いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひにせずばかひなし」と唄っています。
 学んだことを実行に移さねば学んだ甲斐がないと言っています。
 これは島津日新斎忠良が5年がかりで完成させたと伝えられるもので、島津一族はもとより、後世幕末に至るまでその士風を怖れられた薩摩武士の根底に流れる規範とも言えるものです。

 フランスのルソーは「生きるということは、ただ息をすることではなくて活動することである。最も長生きしたというのは、最も長い年月を生き延びた人というのではなくて、最も強く生命を感じ取った人のことである。世の中には100年も長生きをして葬られた人もいるが、それだけでは生まれてすぐ死んだ人と同じではないか」と言っています。
 命がほとばしる生き方をしたいものですね。
 長時間のご静聴ありがとうございました。