子育ては啐啄同時
平成25年5月24日
熊本市環境総合センター

 皆さん、おはようございます。
 ご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 前の席から着席していらっしゃいます。自分が進んで参加しようと思う催し物や見たいと思うショーなどは前の席に座りますよね。もうずいぶん前のことですが、御船町の七滝小学校に勤務しています時、職員旅行で宝塚の観劇に行きました。私たちの席は一番後ろでした。担当の先生に、「前の席は用意できなかったのですか?」と問うと、「前の席は早くから予約しておかないと取れません。それにお金も高くつきます。」と言うことでした。私はおそらく宝塚劇場に行くのは最初で最後と思うから前で観賞したかったのですが叶いませんでした。若いころは、プロレスや相撲が好きでプロレスなどは高い金を出してリングサイドで見ていました。迫力が違います。自ら聞きたい、見たいと思うものは前の席に行きますよね。義務出席や動員の場合は、前の席はがら空きです。そういう意味から本日は前の席から着席いただいていますので責任を感じます。皆さんの期待に添う話ができるかと。
 これから約1時間30分話をしたり、ゲームをしたりします。前の席に着席していらっしゃる方にはもしかしたら唾がとぶかもしれません。そんなときはご容赦ください。(笑い)
 少し自己紹介をします。ただいま「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。「有紀」と書いて「ありとし」と読むのですが、「ありとし」と読んでいただく方はほとんどいません。「ゆき」または「ゆうき」と読まれます。牛深小学校に赴任した時、校長室に「中川と申します。お世話になります。よろしくお願いします。」とご挨拶に行きました。すると校長先生は私をまじまじと見ながら、「あたはほんなこて中川先生な。わしぁ女の先生とばかり思うておった。『名前からみて今度来る先生は美人の先生バイ』て紹介しておったのに。男の先生な。」とおっしゃいました。校長先生も私の名前を「ゆき」か「ゆうき」と読み間違われたのだと思います。このように女性と、それも美人の女性と間違われる名前ですが、私はこの名前が大好きです。(笑い)
 こんなすばらしい名前を付けてくれた父を敬愛しています。「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができます。このことから「有」は「保つ」という意味があります。父の名前は「有」一字で「たもつ」でした。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味があります。そこで、「紀(年)を重ねる毎に年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。父の願いに沿うようにと努力していますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。
 69歳です。もうすぐ70歳になります。私の住んでいる地域では、数え年で長寿の祝いをします。昨年11月、中学校の同級生で「古稀の祝い」をしました。川柳に「あちこちの 骨がなるなり 古稀古稀と」というのがあります。(笑い)こんな歳ですが、今でも小学校や中学校時代の幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。私は「ありちゃん」と呼ばれることを嬉しく思っています。
 父が私のよく名前について語ってくれたようにお子さんの名前に込めた親ごさんの思いを、人生の節目節目、誕生日だったり、入学の時だったり、卒業の時だったり、いろいろな時に語って欲しいと思います。
 小学校低学年までのお子さんだったら、膝の上に抱っこして背に手を回して、目を見つめて、生まれた時の感動を思い起こしながら親の思いを語ってください。高学年や中学生・高校生だったら、手を取り目を見つめて語ってください。
 お子さんは自分の名前に込められた親の思いを聞き、ますます自分の名前を好きになると思います。そして自分を好きになると思います。自分を好きになると言うことは自分を価値ある人間と思うことです。これが後で詳しく触れます自尊感情を育みます。
 小学1年生の田上虹希君がこのようなことを実感し、熊日新聞に投稿しています。本年4月1日熊日読者の広場若者コーナーに掲載された田上虹希君の「うんでくれて「ありがとう」」を読んでみます。


               うんでくれて「ありがとう」     田上虹希

 お母さんからの手紙を読みました。なぜぼくが「虹希(こうき)」という名前なのか、ゆらいが書いてありました。「七色の虹みたいに、いろいろな希ぼうをもって生きてほしい」というねがいがこもっていました。ぼくは、とてもうれしくてたまりませんでした。虹希という名前がもっともっとすきになりました。
 ぼくは、お母さんとけんかをしたり、へんなことを言ってきずつけたりしたけど、お母さんは、いつもやさしいです。お母さんはぼくがこまっているところを教えてくれたり、アドバイスしてくれたりします。
 お母さんの手紙の中に「しあわせです」「うまれてきてくれてありがとう」と書いてありました。ぼくもとてもしあわせな気もちになりました。
 お母さんがぼくをうんでくれて、とてもうれしいです。うんでくれてありがとうございます。これからはかんしゃしながら生きようと思います。


 いかがですか。自分の名前に込められた親御さんの思いを知った虹希君は、「生んでくれてうれしい」「感謝しながら生きていく」と言っています。もう一度言います。お子さんを膝の上に抱っこして背に手を回して、目を見つめて、生まれた時の感動を思い起こしながら親の思いを語ってやってください。
 ここ数日はPM2.5の値が高くて視界が悪うございますが、5月は1年のうちで最も過ごしやすい時期ですね。鳥たちにとっては繁殖の季節です。我が家の戸袋の上に鳩が巣作りをしました。ひなが2羽孵りました。ひなが孵る時、ひなが内側から卵の殻をつつき、親鳥が外側から卵の殻をつつきます。このタイミングがぴったり一致した時、ひな鳥が誕生するのです。どちらかが早かったり遅かったりするとひなは孵りません。このことを啐啄同時と言います。
 本日の講演について事前に教養部長さんから「子どもの思いを受け止めた子育て、家庭教育について話をしてください。」と依頼がありました。教養部長さんがおっしゃった子どもの思いを受け止めた子育てには、この「啐啄同時」という言葉がぴったり当てはまると思います。
 啐啄同時の「啐」とは、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことです。「啄」は、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくことを言います。
 中国の書「碧巌録」に鏡清啐啄機があります。


            碧巌録
                   鏡清啐啄機

  僧、鏡清に問う、学人啐す、請う師、啄せよ   
  清云く、還って活くることを得るや
  僧云く、もし活せずんば、人に怪笑せられん
  清云く、また是れ草裏の漢


訳は
  学僧が鏡清禅師に問いました。
   「私は十分に悟りの機が熟しております。私は今まさに自分の殻を破って悟ろうとしています。どうぞ先生、外からつついてください。」と。
  鏡清禅師が言いました。
   「つついてやってもいいが、本当のおまえが生まれてくるのか。」と。
  学僧が答えました。
   「私は、もし悟れなかったら世間に笑われます。」と。
  鏡清禅師が学僧を一喝しました。
   「この煩悩まみれのたわけものめが。」と。
 このように「啐啄同時」は、弟子をヒナ鳥に、師匠を母鳥にたとえ、師匠と弟子が意気相合して、間髪を容れる瞬間もないことを示す言葉です。弟子の修行が円熟しておることに気づいて、師僧が悟りの機会をあたえる、師僧の励ましに応じる境地に弟子が至っていなければだめなのです。
 親子であっても、卵の殻を内側から子が無心につつき、母も外側から無心につつく。互いに意識せず、自然にそうなっているものです。相談しながらつついたりするものではありません。親の指導と子供の自発的思いとが一致した時、はじめて効果をあげるのではないでしょうか。
 画図湖で花火大会があっていた頃の事です。私は花火大会が好きでよく見に行っていました。そのとき、小学校低学年くらいの子とお母さんが花火を見ていました。女の子が「うわぁー、きれい。音の大きかぁー。」と言っていました。傍にいたお母さんは、「せからしか!黙って見きらんとね!」と女子をたしなめていました。一寸移動すると、やはり同じような母子に会いました。女の子は同じように「うわぁー音の太かぁー。きれいかー。」と言っています。お母さんも一緒に「うわーきれい。音の大きかねー。」と手を取り合って見ていました。どちらの母子が気持ちが一致しているでしょうか。どちらが心を動かされたでしょうか。感動は1人より2人、2人よりも3人が共有するとそれだけ増幅します。
 別の話です。この暑さの中、小さい子が公園の噴水で水遊びをしていました。虹が出来ていました。小さい子が「ママー、見て-。虹よ。」と言いますが、母親は木陰のベンチに腰を下ろして携帯に夢中です。メールでも打っているのでしょうか。携帯の操作が終わると「帰ろう。」と言って小さいこの手を引いて帰っていきました。どうして「虹がきれいねー。」と虹の美しさを共有しないのでしょうか。啐啄同時とは、子の思いと親の思いが一致することです。子どもがきれいと思ったとき、親もきれいねーと感じる心を持ちたいものです。
 私は家庭教育は大きく3つの領域に分けられると思います。
 1つは、社会人として生活するためのルールを教え込むもの。これはどこの家庭でも同じように教え込むことが必要だと思います。2つは、保護者の価値観で将来このような人間になって欲しいと指導するもの。これは、各家庭で違うのが当然です。3つは、子どもの成長を支援し、その子に期待することです。この期待も個々の子に応じて違ってくると思います。
 1つ目の社会人としてのルールやマナーを教え込むことについてです。私はNHKのセールスマンではありません。宣伝をして報酬をもらっているわけでもありません。(笑い)日曜日の夜8時の大河ドラマをいつも見ます。今放映しているのは「八重の桜」ですね。ごらんになっている方もいらっしゃると思います。幕末から明治維新にかけて会津藩に生まれ育った女性、八重の生涯を描いたドラマです。第1回の放送の題が「ならぬものはならぬ」でした。これは、会津藩什のおきて(教え)に書かれているものです。内容は次のようなものです。


           会津藩什のおきて

  一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ     
  一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
  一、嘘言を言ふことはなりませぬ
  一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
  一、戸外で物を食べてはなりませぬ
  一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

  ならぬことはならぬものです。

 いかがですか?
 最後の「戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ」以外は全て平成の今でも当てはまることばかりでしょう。
 私は昭和18年生まれです。母は大正生まれです。私が中学生時代、近所の女子中学生と道ばたで話をしていると、母親から「道で女と話をしてはならん。用があるなら家で話せ。」と注意されていました。わずか半世紀ばかり前のことですが、今思えば隔世の感がします。
 横道にそれましたが、社会人として最低守らねばならないルールは理屈抜きで「ならぬものはならぬ」と教え込まねばならないと思います。私は小さい頃、「無益な殺生はするな」「ものを盗むな」「嘘をつくな」を厳しくたたき込まれました。
 2つ目は、親の価値観での子育てです。私の次男が高校生の時の話です。息子はテニス部に入っていました。試合に勝つことはほとんどなかったのですが、ある試合で勝ったのです。それが嬉しくて近くの食堂で祝勝会をしたのです。そして、あろうことかビールまで飲んだのです。帰り際には、「○○高等学校万歳」と万歳三唱までしたのです。それを聞いたお客さんが学校にこのことを知らせました。翌日は親子そろっての呼び出しです。妻はどうしても外せない仕事と重なったものですから私と次男とで学校に行きました。そのとき、校長先生は孟子の「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉を引用して高校生としての生活のあり方を訓示されました。「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉は、「天に張りめぐらされた網の目は粗いが、悪さをした人は決して見逃さない」という意味です。息子はこの校長先生の言葉により目が覚めたようですが、家でも厳しく言って聞かせました。これは校長先生の言葉からの指導例ですが、このように保護者の価値観で生きる道を指し示す家庭教育があると思います。
 3つ目は、子どもの成長に期待する家庭教育です。次男夫婦に昨年4月赤ちゃんが誕生しました。私には3番目の孫です。孫はかわいいものです。次男夫婦にとっては待望の赤ちゃんですのでそれはかわいがっています。昔から子どもの成長を期待する言葉に「這えば立て、立てば歩めの親心」というのがあります。子どもの成長は目を見張るものがありますね。それも親や周りの大人が教えるのではなく自力で成長していきます。人には生きる力があると孫の姿を見て思い知らされました。
 皆さんはお子さんが小さいとき、寝返りやお座りの仕方、はいはいの仕方、立ち方、歩き方を教えましたか?これらの力は教えることなく赤ちゃんが自力で獲得してきたでしょう。人に限らず生物の成長は目を見張るものがあります。この成長を支えるのも家庭教育です。離乳食をつくって与えることもその一つですね。
 先日、孫が私の家で1日過ごしました。妻が離乳食を作り食べさせました。デザートにイチゴを小さく切って食べさせているところに嫁が来ました。孫は、大きなイチゴを手にとって口に持って行きます。のどにつかえたら大変と取り上げていました。嫁は「大丈夫ですよ。」と言って大きなイチゴをそのまま食べさせます。孫は口いっぱいにイチゴをほおばってもぐもぐさせながらイチゴを食べます。驚きました。前歯が数本しか生えていないのにかみ砕いて食べています。私たちはまだそんなことはできない、のどにつかえさせたら大変と思い、取り上げていました。大きなイチゴをそのまま食べさせる、こんなことは毎日子どもを観察している親にしかできません。ですからこどもをいつも見ていることが大切なのです。
 皆さん方は以上の3つの家庭教育をうまく調和させながら子どもを見守り指導していらっしゃることと思います。
 ドロシー・ロー・ノルトの「子は親の鏡」は、お帰りになってからお読みください。そしてそれぞれの家庭教育の在り方と照らし合わせてみてください。親の価値観、考え方、生き方で子どもは変わることがおわかりになると思います。
 熊本県ではこの4月、「くまもと家庭教育支援条例」が施行されました。この条例の前文を読んでみます。


             くまもと家庭教育支援条例

 前文

 家庭は、教育の原点であり、全ての教育の出発点である。基本的な生活習慣、豊かな情操、他人に対する思いやりや善悪の判断などの基本的な倫理観、自立心や自制心などは、愛情による絆で結ばれた家族との触れ合いを通じて、家庭で育まれるものである。私たちが住む熊本では、子どもは地域の宝として、それぞれの家庭はもちろんのこと、子どもを取り巻く地域社会その他県民みなで子どもの育ちを支えてきた。
 しかしながら、少子化や核家族化の進行、地域のつながりの希薄化など、社会が変化している中、過保護、過干渉、放任など家庭の教育力の低下が指摘されている。また、育児の不安や児童虐待などが問題となるとともに、いじめや子どもたちの自尊心の低さが課題となっている。
 これまでも、教育における家庭の果たす役割と責任についての啓発など、家庭教育を支援するための様々な取組が行われてきているが、今こそ、その取組を更に進めていくことが求められている。
こうした取組により、各家庭が改めて家庭教育に対する責任を自覚し、その役割を認識するとともに、家庭を取り巻く学校等、地域、事業者、行政その他県民みなで家庭教育を支えていくことが必要である。
 ここに、子どもたちの健やかな成長に喜びを実感できる熊本の実現を目指して、この条例を制定する。

 「家庭は、教育の原点であり、全ての教育の出発点である。」とはっきりうたってあります。そして、「熊本では、子どもは地域の宝として、それぞれの家庭はもちろんのこと、子どもを取り巻く地域社会その他県民みなで子どもの育ちを支えてきた。」とあります。これは地域の教育力を取り戻そうとの考えだと思います。
 私が小さい頃は、地域の大人からよく叱られ、褒められもしました。ケンカなど悪さをしていると「そぎゃんこつすると有ちゃん(父の名)の泣かすぞ!」と言って諫められていました。また、善い行いをしているとき「幸平しゃん(祖父の名)の孫だろう?じいさんの喜ばすばい。」と言って褒められていました。いつも地域の目がありました。うっとうしいこともありました。私が大学生の頃、家に恋人(現在の妻です)を連れてくると、あちこちから好奇の目で見られました。そぎゃん見らんでもよかろうもんと思っていましたが、地域に見守られている安心感もありました。
 子どもを地域の宝として地域全体で育んでいこうという条例です。全文を資料として載せていますのであとでご覧下さい。
 これまで約1時間、私が一方的に話をしてきました。皆さんはただ聞くだけ。疲れたでしょう。ここで中休みにゲームをしたいと思います。
 1つはじゃんけんゲーム、もう1つは歌声です。
 では、じゃんけんゲームをします。前後左右隣同士で4~5人のグループを作ってください。そのグループでじゃんけんをします。グループで1番強い人を決めるときは、誰か一人が勝つまでじゃんけんしますね。本日は、一寸違うじゃんけんをします。
 例えば、ぐー、ちょき、ぱーの3種類が出たら勝ち負けはありません。あいこですね。
 2種類が出たら勝ち負けがありますね。一人がちょきを出して残りがぐーだったら、ぐーを出した人全員が勝ちです。3人がぱーで残りがちょきだったらちょきを出した1人が勝ちです。
 じゃんけんゲームのルールわかりましたか?
 では、練習してみましょう。最初はぐー、じゃんけんぽん!(「勝ったー」「負けたー」の声あり)
 ルールは分かりましたね。では何を競うかと言いますと、5勝するのはどなたが1番早いかを競うのです。ですから、「最初はぐー」と言っていては遅くなりますよ。いきなり「じゃんけんぽん」で始めて下さい。5勝した人は「勝った-」と言って手を挙げてください。ではいいですか。始めますよ。
 用意、始め!(各班ともじゃんけんゲームに夢中に取り組む。30秒ほどで「勝ったー」の歓喜の声とともに手が挙がる。)
 速いですね。1番早かった方は31秒でした。もう1回しましょうか。今度は1番とタイムを競ってください。
 用意、始め! (やはり30秒ほどで手が挙がる)
 速いですね。タイムは先ほどが少し速かったようです。33秒でした。
 次は、グループ内の最強チャンピオンを決めましょう。これは5勝というとかなり時間がかかると思いますから3勝したら「勝ったー」と言って手を挙げてください。
 このじゃんけんはいつもしていることですから練習しなくてもいいですよね。
 始めますよ。いいですね。
 ようい、始め!(真剣な表情が伝わる。「勝ったー」の歓喜の声とともに手が挙がる。)
 速いですね。30秒かからなかったですよ。じゃんけんに強い人がいらっしゃるようですね。
 では次のじゃんけんゲームは勝ち負けではありません。全員同じものを出すのを競うゲームです。4人ないし5人が同じものを出すまで続けます。「ぐーにするよ。」などと声に出したりサインを出したり、目配せしたりしてはいけません。互いに出しそうなものを予想して自分は何を出すかを決めるのです。以心伝心で気持ちが通じ合うかどうかです。では、練習してみましょうか。どうぞ。(「あったー。」の声あり。)
 1回で同じものが出たんですか。すごいですね。続けて同じものが出るでしょうか。
 では、これも3回同じものが出たら「あったー。」と言って手を挙げてください。
 ようい、始め!(20秒程度で挙手あり)
 速いですね。皆さんの気持ちが一致しているのですね。じゃんけんで同じものを出すのはなかなか難しいものですが。
 じゃんけんゲーム最後は、負けるが勝ちをしてみましょう。勝つためにじゃんけんするのではなく負けるためにするのですよ。グループ内で1人だけ負けのじゃんけんです。これも3回負けた人は「負けたー」と言って手を挙げてください。
 ではいきますよ。ようい、始め!(30秒程度で手が挙がる)
 ここでお尋ねします。4つのじゃんけんゲームをしました。どのゲームが1番気合いが入りましたか?(「最強チャンピオンを決めるゲーム」の声あり)
 では、気合いが入らなかったゲームはどれでしたか?(「負けを決めるゲームの声あり)
 私たちは、じゃんけんというと物心がついてこの方勝つためにします。ですから目の色が変わります。これを負けるためにというと勝手が違うでしょう。でもおもしろさはあります。このようにやり方を変えてみる、見方を変えてみるとこれまで見えていなかったことが見えることがあります。お子さんを見る目もこのように時には見方を変えてみることも必要ではないでしょうか。「マイナスと思っていたことをプラスにとらえ直す」このような見方をリフレーミングとも言います。お子さんの新しい側面を発見できると思いますよ。
 次は歌声遊びをしましょう。若い頃、ガールスカウトなどで活動したことがある方はもしかしたら知っているという方がいらっしゃるかもしれません。「八百屋の歌」です。
♪♪「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん考えてごらん」♪♪という歌です。遊んだ方いらっしゃいますか?(数人挙手)
 何人かいらっしゃいますね。
 楽しいけれど少し緊張する歌遊びです。歌を唄いながら、八百屋さんの店先に並んでいる野菜を一つ一つあげていくのです。
 ♪♪「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」♪♪とみんなで歌って当てられた人が自分で思い浮かべる野菜の名前を一つあげます。たとえば、「トマト」と言ったら、みんなで「トマト」と復唱します。そして「あーあ」というのです。また、みんなで♪♪「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」♪♪と歌い、次に当てられた人は「考えてごらん」の次に、最初の人が言った「トマト」と言います。皆さんもそれに続けて「トマト」と言います。そして、自分が思い浮かべる野菜名、例えば「キュウリ」と言います。その後でみなさんも「キュウリ」と復唱します。これを繰り返すのです。ですから、後になるほど、前の人が言った野菜の名前を覚えておかねばなりませんので緊張します。遊び方、分かりましたか?
 少し練習してみましょう。前の人が言ったことを覚えていて、自分は違う野菜の名前を言わないといけないのなら、緊張する。こんな緊張する遊びはイヤだと言う人いらっしゃいますか?イヤだとおっしゃる方は無理に参加されなくてもいいですよ。無理強いはしませんから。
 緊張はするけどおもしろいですよ。やってみましょうね。
 では、まずは、歌を覚えましょう。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪(2~3回練習)
 ではやってみましょうか。はじめに言ってみたい人? 2番目の人? 3番目の人?
 4番目から後は、私が当てます。どなたになるか分かりません。前の人が何の野菜を挙げたかよく覚えておくのですよ。そして、自分の好きな野菜も考えておいてください。既に出てきた野菜は言ってはいけません。
 ではいきます。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「トマト」一緒に「トマト」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「トマト」「トマト」あなたが思い浮かべた野菜名をどうぞ「レタス」一緒に「レタス」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「トマト」「トマト」、「レタス」「レタス」、「キャベツ」「キャベツ」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「トマト」「トマト」、「レタス」「レタス」、「キャベツ」「キャベツ」、「なすび」「なすび」あーあ。
 良くできました。もっと続けたいのですが時間もありますのでここらで終わりにします。
 私が牛深小学校にいます時、よくこのゲームをしていました。牛深はご存じのように漁港のまちです。子どもたちは「八百屋のお店」より「魚屋のお店」が良いと言っていましたので「魚屋のお店」をよくしていました。「きびなご」が好きな男の子がいました。この子はいつも自分の番が来ると「きびなご」と言っていました。それをみんな知っているものですから他の子がわざと「きびなご」と言っていました。男の子は大げさに残念がっていました。みんな大笑いでした。クラスが沈んでいる時はこの歌を歌って盛り上げていました。
 家族で、あるいは学級活動やPTA活動でやってみてください。きっと盛り上がりますよ。
 それでは、後半に入ります。
 レジュメに、「子どもの言動に対する親の対応の型」を示しています。皆さん、ご自身の子育てを振り返って当てはまるものがありますか?しばらく考えてみてください。
(1)子どもに何かするように、またはしないように言う「命令」型
(2)学校に行かないとお父さんに言いつけるよ、などと言う「脅迫」型
(3)学校には行くべきだなど、何をすべきかを言う「説教」型
(4)先生に相談してみたらなど、どうしたら解決できるか助言、忠告、提案する「提案」型
(5)嫌だと思うから嫌になるんだよ、などと言う「講義、理詰めで迫る」型
(6)すぐ弱音を吐いて嫌だね、などと否定的な評価をする「非難」型
(7)じゃあ行かなくていいじゃないないなど、肯定的な評価をしたり、賛成する「同意」型
(8)甘ったれだななどと言う「はずかしめる」型
(9)子どもの言動の動機が何かを親が解釈したり原因分析したりする「解釈」型
(10)確かに嫌な時もあるよなどと言う「同情」型
(11)親の方から子どもの悩みを解決するのに役立つ情報を聞こうとする「尋問」型
(12)悩みから子どもをそらそうとする「ごまかす」型
 それでは一つ一つ見ていきましょう。
 (1)子どもに何かするように、またはしないように言う「命令」型
 これは当てはまるなという方いらっしゃいますでしょう?これは、「○○しなさい」「△△してはいけません」などの言い方ですね。いつも命令、あるいは指示ばかりしているとこどもはどうなるでしょう。自分は何も考えないで親の命令や指示を待つ子になってしまいます。また、「してはいけない」の否定的命令・指示は子どもは自分の人格までも否定されたように思わないとも限りません。このようなことは避けたいですよね。画図小学校では「廊下は走らないように」でしょうか。「走ってはいけません」でしょうか。「静かに歩きましょう」でしょうか。あるいは他のことで静かに歩くように促されていますでしょうか。以前は、「走ってはいけません」が多かったと思います。今は、「静かに歩きましょう」が多いようですね。また、こんな呼びかけをせずに、廊下に花を置いたり、水槽などを置いて子どもが花や水草を観察するように仕向け静かに歩かざるを得ないような工夫をしてあるところもあります。家庭でも命令や指示より子どもが自ら考えるような言葉かけを心がけたいものです。
 (2)学校に行かないとお父さんに言いつけるよ、などと言う「脅迫」型
 これはどうでしょうか。これは虎の威を借る狐型とも言えるでしょうか。子どもが何か悪いことをしたとき、「おまわりさんに言うよ」もこの型ですよね。自分の言葉で、自分の考えで指導したいと思います。先日、市電に乗っていると、3歳くらいの男の子を連れたお母さんが乗っていました。男の子はいつの間にか、靴のままで座席に上がり外を見ていました。お母さんが注意しますが男の子は聞きません。その時お母さんは「運転士さんから怒られるよ。止めなさい。」と言いました。誰かから叱られるから止めさせるのではなく、目的に合わない使い方は他の人の迷惑になることを子どもに応じた言葉で指導すべきではないでしょうか。例えば、「みんなが座る座席です。汚さないようにしようね。」などと。
 脅迫型とは少し違いますが、20数年前、県警少年課の方に聞いたことです。下通り、上通りなどで深夜徘徊で補導した高校生の保護者に連絡すると、母親が引き取りに来て「今度のことはお父さんには言わないからこんなことは絶対してはだめよ。」と言う親がいた。そんな家庭の子は深夜徘徊を繰り返していたと。
 私が学級担任をしていた時、集団で万引きをするという事件がありました。各家庭で店に謝罪に行ってもらいました。このとき、子どもと両親で謝罪に行った家庭、子どもと母親で行った家庭がありました。子どもと母親で行った家庭の子はその後も何度か事件を起こしました。両親が肩を震わせて謝罪している姿を見て、親をこんなに悲しませて自分は何て悪いことをしたのだろうと深く反省し、立ち直った子どもがいました。子どものことは両親で共有しておきたいですね。
 (3)学校には行くべきだなど、何をすべきかを言う「説教」型
 お説教はつい長くなります。また、先ほどの命令や指示と同じで自分では考えなくてもすみます。口うるさく言うお説教ではなく、ポイントを指摘し、自分で考えるようにさせたいですね。
 (4)先生に相談してみたらなど、どうしたら解決できるか助言、忠告、提案する「提案」型
 これは、よくあることでしょう。いろいろと話し合った末に悩みなどの霧が晴れないことがあります。こんな時は、「先生に相談してみたら」ということはあることです。しかし、ろくに話も聞かずに誰かに相談してみたらというのは、親としての責任放棄ですよね。
 (5)嫌だと思うから嫌になるんだよ、などと言う「講義、理詰めで迫る」型
 このように理詰めで迫ると子どもは逃げ場がなくなります。逃げ場はあった方がよかろうと思います。そして子どもが嫌だと思うことを聞いてやりたいですね。そしてそのことに共感した上で、「私はこう思うよ。」と助言したらどうでしょう。
 (6)すぐ弱音を吐いて嫌だね、などと否定的な評価をする「非難」型
 これは絶対避けたいですね。これが続くと子どもは自分の人格まで否定されたように思わないとも限りません。
 (7)じゃあ行かなくていいじゃないないなど、肯定的な評価をしたり、賛成する「同意」型
 これは会話の内容、密度によってこんな言葉が出ることがあると思います。しかし、この場合でも親としての考えは述べておきたいものです。子どもの気持ちを確かめもしないで子どもの言い分を受け容れてしまうとわがままな子になってしまいます。
 (8)甘ったれだななどと言う「はずかしめる」型
 これも絶対してはいけないことですよね。叱ることは、次への意欲をかき立てるためにすることです。意欲をなくすような声掛けは絶対にしてはいけません。
(9)子どもの言動の動機が何かを親が解釈したり原因分析したりする「解釈」型
 保護者は、解説者でも評論家でもありません。第3者でもありません。子育ての当事者です。原因分析をしなければならない場足もありますが、よくない言動だったらそれをどう矯正するかが問題です。そこを子どもと話し合い、共有することです。
(10)確かに嫌な時もあるよなどと言う「同情」型
 同情ではなく共感です。子どもの主張を受け止めたうえで、親としての考えを述べ子どもに考えさせることです。
(11)親の方から子どもの悩みを解決するのに役立つ情報を聞こうとする「尋問」型
 子どもは、自分で考え解決方策をなかなか見いだすことができないから悩むのです。そこを聞き出そうとしても悩みは解決しないと思います。これまでの知識や経験などから助言すべきではないでしょうか。
(12)悩みから子どもをそらそうとする「ごまかす」型
 これは絶対してはいけないことですね。真剣に自分に立ち向かおうとする気持ちを壊してしまいます。
 これまでいろいろな親の対応についてみてきましたが、要は子どもの気持ちを受け容れ、自分、つまり親の考えを子どもに返し、子どもに考えさせ、子どもが自ら決断するような声かけをしていくことです。特に小学校高学年から中・高校生にかけてはこの姿勢がとても重要であると思います。子どもは「自分は愛されている」「包み込まれている」「信頼されている」などの実感を積み重ねることによって自尊感情が育まれていきます。冒頭に、子の名前のところでも述べました自尊感情とは、自己肯定感とも言われています。自己有用感や自己存在感などを実感し生活に活かす感性です。次の子どもの言葉が自尊感情を言い表しています。
 「俺ってたいしたもんだ。捨てたもんじゃなか。家族は俺を信頼している。友達は俺を大事にしてくれる。先生は俺を応援している。俺は俺を大事にするぞ!」
 この言葉を少し詳しく見ますと、「俺ってたいしたもんだ。捨てたもんじゃなか。」と思う感情のことを自己有用感と言います。「家族は俺を信頼している。」と思う感情は、「愛されている」「包み込まれている」という感情につながります。これを包み込まれ感と言います。「友達は俺を大事にしてくれる。」が社交感覚、つまり他とのつながりをじっかんする感覚です。強い絆を実感することです。「俺は俺を大事にするぞ!」が自己受容感覚です。
 先日、「赤ちゃんポスト」で救われた命がたくさんあるという内容をテレビで報道していました。私は、「こうのとりのゆりかご」を運営している慈恵病院の看護師さんの話を聞いたことがありました。望まない妊娠で生まれてくる赤ちゃんの話です。中学生と高校生のカップルが望まない妊娠をして女子中学生が相談に来たと言うことでした。私はこの話を聞いて、この二人に自尊感情が育っていたらと悔やまれました。というのは、性行為をすれば妊娠の危険性があることは中学生以上だったら知っていると思います。性行為を求められた時、「私もあなたを愛している。この愛を大切に育てたいから今性行為をすべきではない。」とどうして断れなかったのか。男性の方も、女性を本当に愛しているのならなぜ、自分の欲望を抑えることができなかったのか、自分を大事な存在と思うなら愛する彼女もなぜ大事にできなかったのかと。
 自尊感情は、この包み込まれ感覚、社交感覚、自己有用感覚、自己受容感覚で形成されていると言われています。なかでも包み込まれ感覚が他の感覚を下支えすると言われています。お子さんに幼少時から包み込まれ感を数多く実感させてください。その一つが膝の上に抱っこして、背に手を回して、目を見て語りかけることです。
 この自尊感情は、人権尊重社会であり生涯学習社会ともいわれています21世紀に生きる私たちに欠かせない感情です。また、自尊感情は見えない学力とも言われています。
 私たちは誰もが凸凹を持っています。つまり自分の長所、短所を持っています。秀でているところ、そうではないところがあります。その秀でているところを「すごいね」「上手ね」「よくできるね」とか「すばらしいね」などと他の人からプラスメッセージをもらうことによって、自尊感情はますます育まれます、これを「状況的自尊感情」と言う人もいます。「友だちのいいところ探し」がこれに当たると思います。
 また、私たちには秀でているところがある反面、凹んでいるところもあります。この凹んでいるところを気にして悩み、凹んでいるから自分のことが好きになれない、自分の存在そのものを肯定的に見れないという子もいます。「どうせおれなんて」と言う子がいます。このような子にプラスのメッセージを送りたいと思います。じゃんけんゲームをした時、「見方をかえてみる」こと、リフレーミングしてみることも大切だと話しました。本人がマイナスととらえていることを「よくできるじゃない。すごいよ。」などとプラスのイメージを発することで、認められ、褒められ、「そうか、俺にもできることがあるんだ」という感覚を育んで欲しいと思います。このことを核心的自尊感情と言います。
 これまで自尊感情について述べましたが、子どもの自尊感情を育むには2つの栄養素が必要だと言われています。それは、「体の栄養」と「心の栄養」です。
 心の栄養については、ずっと述べてきました。「愛されている」「一人ぼっちじゃない」「話を聴いてくれる」「認めてくれる・褒めてくれる」「信じてくれる」「感謝してくれる」「安心・安全な居場所がある」などを実感を与えることです。
 体の栄養については、「よく食べ」、「よく寝て」、「よく動く」ことです。画図小学校でも「早寝早起き朝ご飯」をいろんな会合の時、提唱されているでしょう。これは、言い換えれば自尊感情を育む取り組みなのです。食べる、寝る、動くは、量もですが質が問われています。
 朝ご飯で言いますと、私がある小学校に勤務している時、9月末の運動会に向けて練習している時、全体練習で何人もの子がばたばたと倒れていました。保健室で、話を聞いてみると、倒れた子のほとんどが朝ご飯を食べていませんでした。食べてきたという子もよく聞くと、パンとコーヒーと言っていました。つまり、食事の質も重要なのです。
 島根県雲南市では、学力テスト結果と朝ご飯の関係を詳しく調査しています。詳しくは「朝食 食べればよいか」東京学芸大学名誉教授 児島邦宏さんの文を資料に付けていますので後ほど見てください。その資料によりますと、パンとコーヒーだけの子より、野菜を1品付けた食事を取った子が点数がいいのです。さらに卵焼きとかさらに1品付けるとさらに数点上がる結果が出たのです。
 「食べる」「寝る」「動く」の体の栄養は、量と質を考えて子どもに与えて欲しいと思います。
 今、皆さん方のお顔を拝見していますと、とても穏やかです。笑顔で私の話を聞いていただいています。私が自分で言うのもおかしな事ですが、私が話していますことはよく耳に入っていることと思います。ところが、講演終了予定の時刻が過ぎてもまだ私が話を続けますと、皆さんの中にはだんだん眉間にしわが寄る人が出てくると思います。「もう時間が過ぎているのにいつまでも終わらっさん」。こうなったら、いくらすばらしいことを言っても耳には入りません。もうすぐ終わりにします。(笑い)
 みなさんが私の話を熱心にしかも平穏な気持ちで聞いていらっしゃるように、子育てに平穏な気持ちで熱中できているのは、夫婦の仲、家族の仲がよいからです。家族の仲、特に両親の仲がよいと、子どもたちは明るく元気に生活できます。両親がケンカなどしているときは、子どもたちの顔は下を向きがちです。
 自分がイライラしたり気をもんでいることがある時、子どものちょっとしたことで怒鳴り声を上げることはありませんか。これを「虫の居所が悪い」と言うことはありませんか。
 10年ほど前、まだ妻も勤めていた時のことです。私は料理ができませんのでせめて後片付けはしなければと、食事のあとは食器を台所まで運びます。ある朝、急いでいたものですから食器とおかずの入った皿を一緒に運んでいたらちょっと躓いておかずをこぼしてしまったのです。「朝のこの急がしか時に要らん仕事ばつくってと」と妻は鬼の形相で私をなじりました。虫の居所が悪かったのです。(笑い)後日、またこぼしました。また叱られるとそっと始末をしていると、妻が「なんばそうどうしよっと?」と言います。「こぼしたけんかたづけよっと。ごめん。」と言いますと、「なぁーん、片付ければよかたい。」と言って一緒に片付けました。私は救われたと思いました。このときは虫の居所が良かったのです。(笑い)しかし、このように虫の居所の違いで同じことを叱られたり叱られなかったりしたら子どもはどうして良いか分からなくなります。こんなことは、子育てに良い影響は与えません。これを私は子育てのピンチと言っています。家族の誰かに健康問題が生じたり夫婦で諍いが生じたりすると、平静な心で子育てに当たることは難しいです。ですから、健康には日頃から気をつけることです。そして夫婦仲良く暮らすことです。仲良くと言っても、意見は対立することがあります。当たり前ですよね。これまで何十年も違う価値観、違う生活をしてきた者同士が夫婦となるのですから。子育てのことでの意見の対立もよくあるものですね。そんなとき、子どもの前では、口げんかもましてやつかみ合いやものを投げてのけんかはしないことです。わずか1歳の孫が私たちが大声で話をしたり、声の調子が日頃と違うと、顔の表情が曇ってくるのですから。次男夫婦が言っていました。普段と違う大声で言い合った時、子どもが泣き出した。「ごめん、ごめん。なんでもないよ。」と言ったら泣き止んだ。それ以来、大声での言い合いは止めたと。
 私は、学校支援アドバイザーの仕事をしています。不登校の子どもや保護者と向き合っている仕事をしています。不登校の子ども達の中には、「明日は学校に行こう」と前の晩から登校の準備をして、朝、玄関を出ようとすると体が硬直して足を前に踏み出せない子がいます。「学校に行きたい、でも足が一歩でない」ことで、親御さんも本人も心の葛藤をしています。学校も関係者も温かい心で支援していらっしゃいます。いろんな要因で不登校状態にありますが、不登校の子どもの中には、小さい頃の両親の諍いが心に陰を落として、登校できないという子もいます。
 家族が仲良く、明るく元気に過ごすことが、子どもたちが元気で明るく、顔を上げて前向きに生きていくことにつながります。子育てのピンチを作らないようにしましょう。  
 中国の「詩経」に「妻子好く合うこと琴瑟を鼓するが如し」という言葉があります。琴は琴のことです。瑟は大きな琴のことです。この琴と瑟とを奏でると、その音色が響き合い、よく調和して、楽しい雰囲気を醸し出すことから、夫婦仲の好いことを例えて言う言葉です。家族・夫婦は仲良く、心安らかに、子育てに当たりましょう。家庭内でピンチを作らないようにしましょう
 画図小学校の子どもたちがますます健やかに成長しますことを祈念して話を終わります。
長時間にわたりご静聴ありがとうございました。