学びを楽しみ、学びを活かし、地域づくりにつなげましょう
平成25年4月17日
阿蘇市就業改善センター

 皆さん、こんにちは。
 ご紹介いただきました中川でございます。少し自己紹介をさせていただきます。
 私は今、とても感動しています。大学卒業以来、46年ぶりにあこがれの人であった方にこの会場で会うことができたのですから。その方は、○○教育委員長さんです。学生の頃、熊大の構内や下宿先で、教育論や恋愛論などを語り合っていたことを思い出します。いっぺんに若かりし頃にタイムスリップして心が高揚しています。
 私は、どうにか熊大を卒業して小学校の当時は1級といっていましたが免許をいただき、小学校に勤め全ての教科を一人で教えました。私には教えるのが苦手で苦になる教科がありました。一番の苦手が音楽の授業です。ピアノが弾けません。ポロン、ポロンと右手だけで弾きながら子どもと一緒に歌っていました。すると、子どもから「先生、先生は歌わんで。先生が歌うと演歌に聞こえるもん。」と言われたことがありました。悩みました。そして、音楽の堪能な先生と、音楽と体育の授業を交換しました。私が体育を受け持って音楽の堪能な先生に私のクラスの音楽を教えていただきました。数年、そのような交換授業をしていたら、音楽専科といって音楽の授業を専門に教える先生がおいでてほっとしました。それともう一つ苦手な教科がありました。家庭科の学習です。家庭科では、調理実習があります。私は恥ずかしいことですが料理ができません。言い訳になりますが、私は農家の長男です。私が小学生の頃、台所に行くと祖父から「男が台所で料理するもんじゃなか!」と叱られていました。親からも料理を教えてもらいませんでした。そんなことから料理はほとんどできません。独身時代のことです。ご飯は炊飯器が炊いてくれますのでおかずだけを買って夕食を食べていました。あるとき、友だちが遊びに来ました。夕食をごちそうしようと鯖を煮付けました。母が料理しているとき、魚の煮付けは醤油を使っていたことを思い出しました。鍋に醤油だけを入れ、鯖を煮込みました。炊きあがって友だちと一緒に食べようとしました。辛くて辛くて食べられるものではありません。何しろ醤油だけで煮たのですから。このような私が家庭科で料理を教えるのです。教えることはできません。困ってしまって、PTA活動の時、お母さんたちに「家庭科の調理実習で、目玉焼きをつくる学習をします。手伝っていただけませんか?」と頼むと10人ばかりの方が手を挙げて下さいました。それで、保護者が先生になって目玉焼きづくりの学習をしました。お母さん方にとってはお手の物の料理です。子どもたちは喜んで調理実習をしました。一人のお母さんが、「目玉焼きだけではおいしくないですよ。ハムエッグにしましょう。」などと言ってハムエッグを作り始めました。他にも、卵を炒って調理するのは何と言いますか?(炒り卵の声あり)そうですね。炒り卵ですね。そんなのを調理している班もあります。子どもたちは本当に楽しそうに学習しました。教育長、あまり真剣に聞かないで下さい。これは、教える内容からそれた授業ですから違反ですよね。でも、数十年も前のことでもう時効でしょうから話してもいいですね。
 お母さんたちと会食していると、「先生、近くに郷土料理が上手なおばあさんがいます。今度はそんな郷土料理に挑戦したらどうですか?」と提案がありました。子どもたちは、「先生やろう、やろう。」です。おばあさんに郷土料理を教えてもらいました。今度は、そのおばあさんが、「先生、私の友だちで百人一首がじょうずな人がいます。百人一首をされたらどうですか?」と提案されました。私も百人一首は好きですので、百人一首を教えていただきました。また、嘉島町では菊作りが盛んでした。地域の方の指導で3本仕立ての大輪の菊を子どもたちと一緒に栽培しました。夏休みには、校内キャンプをしました。PTA活動で父親たちに提案すると、薪集め、消防車の手配など直ぐにまとまりました。学級PTA行事としてキャンプファイアーを楽しんだあとの残り火で、鮎を焼いて、酒を酌み交わしました。
 卒業を前にして子どもたちが「先生、私たちはこれまで多くの方のお世話になりました。恩返しに今度は私たちが料理を作って感謝の会をしたいです。」と提案しました。子どもたちが自分たちで考えた料理を作って地域の人と茶話会を楽しんだこともありました。
 そんなことをしていたものですから、私の教室には、保護者や地域のどなたかがいつもいらっしゃいました。そんな私を見て、時の校長先生が、「中川さん、あたは、よう地域の人と一緒に勉強を教えているが、そんなこと進める社会教育主事という仕事がある。熊大で講習があるので受けてみらんな?」と勧めていただき、社会教育主事となり、先ほど教育長からご紹介いただきました県の社会教育課に勤めました。そのときは、主に生涯学習の啓発推進に関わっていました。
 退職して、益城町の社会教育指導員をしていますとき、パソコン講座でホームページ作成方法を学びました。学んだらその成果を生かしたくなります。それで、インターネット上にホームページを開設しました。
 「メモのご用意をお願いします。ホームページの名前を言いますから。」こう言いますと、ほとんどの方がメモの用意をされますがメモするほどのことではありません。
 私は小さい頃から「ありちゃん」と愛称で呼ばれていました。この愛称が好きで「ありちゃんのホームページ」と題して開設しています。ホームページの作り方を勉強はしたものの全く自己流ですから見づらいかも知れません。まさに60歳の手習いです。今日現在、ヤフーでもグーグルでも先頭に出ます。時間に余裕のあるとき、開いてみてください。私は旅行が好きなものですから旅行した写真をかなり貼り付けています。それも妻と二人で中国の新疆ウイグル自治区を何度か旅した時のものを多く掲載しています。玄奘三蔵がインドに仏典を求めて旅した道やシルクロードを旅したものです。見える風景が日本とはかなり違います。写真の中にはおもしろいものがあると思います。
 本日は、前半は「生涯学習とは」について話し、後半は「生涯学習で学んだ成果であります知識や技能を学校教育のお手伝いに生かしましょう」という話をしたいと思います。
 生涯学習とは、先ほど教育長がごあいさつの中で述べられましたように、「人々が自分の充実や生活の向上のために、必要に応じて自分に適した手段や方法を選んで、生涯を通じて行う」ものです。この生涯学習のとらえ方は十人十色、百人百色です。また、生涯学習の考え方は1960年代にヨーロッパから伝わってきたのですが、日本では、ずっと以前から生涯学習の考えはありました。
 皆さん、論語をご存じでしょう?孔子が弟子に教え諭したものを弟子たちがまとめたものです。
孔子は、中国山東省曲阜に生まれ育ちました。今から2000年以上も前のことです。5・6年前に曲阜を旅しましたが、それはすばらしいところでした。孔子廟があり、たくさんの人々が訪れていました。日本では、古都奈良のような雰囲気の街でした。論語の中に、「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」があります。この言葉から「志学」とか「不惑」とか「耳順」などの言葉が生まれていますね。
 少し下ネタですが「接して漏らさず」という言葉を皆さんご存じでしょう?この言葉は貝原益軒が養生訓の中でとなえているものですね。貝原益軒は江戸時代、3代将軍家光の頃の儒学者です。益軒は慎思録で次のような言葉を述べています。
 「人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知って行うと能わざれば、知らざると同じ」これには続きがあります。「故に人たる者は、必ず学ばざるべからず。学をなす者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行わざるべからず。道を知ることは至りて難し」と。
 「人間は生まれて学ぼうとしないなら、生まれなかったのと同じ。学ぶことは知ったが、人間として行うべき道を知らないなら、何も学ばなかったと同じだ。知っていると言っても何もしないなら、知らないより悪い。人間は、必ず学ばなければいけない。学ぼうと思う者は、必ず人としての道を知らねばならない。道を知っている者は、必ず行動がなければ本物ではない。人間としての道を知ることはなかなか難しいが、一所懸命努力して生涯を生きようではないか」という意味です。まさに生涯学習の真髄をいっています。
 また、江戸末期の儒学者佐藤一斎の言葉が、言誌四録の中にあります。資料に拓本をつけています。資料を出して下さい。
 「少くして学べば即ち壮にして為すなり。壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば即ち死して朽ちず。」これは、読んで字の如しです。この言葉は、西南の役の薩摩軍の総大将、西郷隆盛の座右の銘であったといわれています。
 明治に生まれ、昭和の時代まで活躍した歌人、武者小路実篤、私は「むしゃのこうじさねあつ」と言っていましたが先日、中学3年生の孫娘から「むしゃこうじさねあつよ。」と教えられました。今は、「むしゃこうじ」と呼ぶのですね。この人の言葉「桃、栗3年、柿8年、だるまは9年、俺は一生」は、まさに生涯、学び続けることを言っています。資料につけています川柳を出してみて下さい。その中にも「八十路越え 大器晩成 まだ成らず」があります。生涯学習そのものでしょう?
 私が県社会教育課で生涯学習の啓発・推進をしています時、生涯学習に対する理解違いがいくつかありました。その中の一つに、「もう勉強はよかばいた。私が好きなこつばしますばい。」がありました。「これまで、子育てばがんばってきたのに教育委員会の方はまぁだ勉強せぇ、勉強せぇて言いなはる。こるからは、自分の好きなことばしょうごたる。」と。そして続けて、「今、車の運転免許ばと取りに行きよります。昨日、仮免で初めて道路ば運転しました。歩きよるときゃ気付かんだったばってん道路にゃ人が安心して歩かるるごていろんな標識や信号があるのですね。初めて気が付きました。」と話されました。私は、「そうですね。いろんな標識や信号があってはじめて私たちは安心して運転したり、歩いたりするこつができますね。そのように“昨日までは知らなかったことが分かった”なんて言うのも生涯学習の一つですよ。教室で教科書やノートを持って勉強するのも生涯学習。私のおもしろなか話ば聞いてくださるのも生涯学習ですよ。」と言いました。ですから、本日のように講演を聴いて何かを学ぶのももちろん生涯学習です。公民館講座で学ぶのも生涯学習です。資料に示しています川柳などを作るのも生涯学習の一つです。
 一句ずつ読んでみましょう。
 「愛してる じじの返事は 馬鹿言うな」(大笑い)
 外国人は、何の抵抗もなく「愛している」と言いますが、私たちは「愛している」と言うのはちょっと抵抗がありますね。しかし、言わんと分かりませんよね。でも、もうそんなこと言う年ではないと言うことでしょうか。
 「ときめきが 動悸にかわる 古稀の恋」(笑い)
 昔はあこがれの人に出会うと、心がときめいていました。私も学生の頃○○教育委員長と話をする時などときめいていました。70歳を過ぎると動悸ですかね。
 「共白髪 まっぴらごめんと 妻茶髪」(大笑い)
 「もの忘れ 増えて夫婦の会話 増え」
 夫婦の会話が増えることはよいことですよね。
 「メモ帳の しまい場所にも メモが要る」(笑い)
 「あちこちの 骨が鳴るなり 古稀古稀と」
 私の地域では、数え年で祝いますので昨年、中学校同級生で古稀を祝いました。もう、膝ががたがたで本当にコキコキと音がします。
 「脳みそに 移しかえたい 顔のしわ」(笑い)
 「胸よりも 前に出るなと 腹にいい」(笑い)
 「医者と妻 急に優しく なる不安」(笑い)
 お医者さんと連れ合いさんから急に優しくされると、「どこか悪くてもう長くなかっじゃなかろうか」なんて変な心配をしますよね。
 「旅行好き 行ってないのは 冥土だけ」(大笑い)
 私も旅行好きで、国内や外国旅行しますが、冥土への旅行だけはまだ先に延ばしておこうと思っています。
 こんなに笑うことは、脳の活性化にとても良いそうですよ。
 次は、ちょっと艶っぽい話ですが都々逸を見てみたいと思います。
 「嫌なお方の 優しさよりも 好いた貴男の 無理がいい」
 「信州信濃の 新蕎麦よりも、わたしゃあなたの そばがいい」
 一度でいいから、このようなことを言われてみたいと思います。今日帰られてから連れ合いさんに言ってみてはどうですか。
 「梅もきらいよ 桜もいやよ ももとももとの間(あい)が良い」
 ここのももは、桃の花の桃ではなく、太股のことですね。
 「枕出せとは つれない言葉 そばにある膝 知りながら」
 次は、阿蘇郡内のある公民館に掲示してあったものです。
 「スケベ男と カボチャのつるは となりの庭を はいまわる」(大笑い)
 今ではこんな事はありませんが、以前はあったのでしょう?
 次の笑い話も阿蘇郡内のレストランで目にしたものです。昨年12月、衆議院議員の選挙がありました。今年は7月に参議院議員の選挙がありますね。そんな選挙を風刺した笑い話です。
 お菓子屋さんから出てきた人に向かって、選挙運動に走り回っている人が聞きました。
 「あたは何党な?」
 「わしな、わしぁ昔は辛党だったバッテン、今は甘党タイ。」(大笑い)
 今度は歯医者さんから歯の治療が終わって出てきた人に、
 「あたは何派な?」
 「わしな、わしぁ前歯と奥歯タイ。」(「私なら虫歯たいと答える」という声あり)
 川柳や都々逸、笑い話などを作るには、かなり頭を使わなければなりません。これも生涯学習の一つですので紹介しました。
 生涯学習の理解違いの2つめに、「私ゃ忙しうして 生涯学習どこっじゃありまっせん。」がありました。その後に続く言葉がありました。「生涯学習って、第一線ばリタイアした人や家庭人など暇な人がするこつでしょう?」と。
 「退職された人などが心の豊かさを求めて学習されるのも生涯学習の一つです。あなたのように今第一線で働いている人が自分の職業能力を高めるために学ぶのも生涯学習ですよ。新しい技術や考えを仕事に取り入れるために職場などで研修していらっしゃるでしょう?」と言いました。ある方は、「スリが人に気づかれないように、いかにうまく財布を盗むかを研究するのも生涯学習だ。」と言う人もいました。だったらなぜ公民館講座などでスリの学習をしないかといえば、それは反社会的行為だからです。「オレオレ詐欺」の手口を一生懸命学習するのも詐欺師にとっては生涯学習ですよ。「オレオレ詐欺」は、「俺、俺」と言って息子や孫を語って振り込め詐欺を働くことですね。私たち人間の脳は、自分が愛する人や尊敬する人の言うことを聞くようにプログラミングされているそうです。遠くにいる息子や孫が、「今困っている。助けて!」と言ってきたら、少々声が違っていてもすぐに信用してしまいます。それで被害が拡大してしまったのです。警察などから振り込め詐欺にあわないように、その手口と防止策などを公民館講座で学んだことがありました。これも生涯学習の一つです。ところが、最近はさらに巧妙になっているそうです。詐欺師も学習しているのですね。ですから、私たちはその上を行く学習をする必要があります。このようなことから、第一線で仕事をしている人は、自分の職業能力を高めるために学習をすることは大事なことです。
 この他生涯学習の理解違いに「生涯学習って社会教育を言い換えただけなんでしょう。学校には関係ありません。」がありましたがこれについては、時間がありませんので割愛します。
 「私ゃ、税金の一部で学ばせてもらいました。地域に恩返しばしようて思うとります。」は、理解違いではなく、学んだ成果を世のために役に立てたいという発想です。
 皆さんの中には、矢部町の通潤橋見学に行かれた方もいらっしゃるでしょう。通潤橋は江戸時代末期、矢部地方の惣庄屋布田保之助が白糸台地に水を送るために私財をなげうって建設した水を通す石橋です。この通潤橋が社会科の教科書に掲載してありました。秋になると、県内各地の小学生が通潤橋について現地学習に行きます。引率の先生方は事前に学習をして子どもを引率されますが、現地説明を求められます。そこで、教育委員会事務局員が説明に出かけていましたが、毎回、説明に出かけると教育委員会の仕事ができません。誰か案内してくれる人がいないものかと探しているところに、当時、矢部町教育委員会主催の長寿大学で学んでいる人たちが、「自分たちは町の税金で勉強させてもらっている。恩返しをしたいものだ」と思っていたのです。長寿大学では矢部の歴史を勉強していました。その中で、通潤橋についても学んでいました。そこで、「通潤橋の案内ボランティアをしようか」ということになり、教育委員会事務局員の思いと長寿大学で学んでいる人の思いがぴたりと重なりあって通潤橋案内ボランティアが誕生したのです。案内ボランティアの方は、腕に腕章をつけて案内をしています。長寿大学で学んだことや自分で学習したことを元に説明するのですが、説明していると自分の学習範囲外のことも質問がとんできます。阪神淡路大震災後のことです。見学に来た子どもから、「阪神淡路大震災のような大地震があっても通潤橋は大丈夫ですか?」と質問があったそうです。案内ボランティアの人は、「江戸末期から今日まで厳然として残っている通潤橋だから大丈夫」と答えようかと思ったそうです。しかし、自分でも自信がなかったので、「私には自信を持って大丈夫ですとは言えません。調べてから学校に手紙で知らせます。」と子どもに言って、矢部町にある資料や県立図書館の資料を調べたそうです。通潤橋が完成してまもなく安政南海大地震が起きました。その大地震にもびくともしなかったことが分かり、このことを文章にして学校に送ったということです。「生涯学習で学んだ成果を生かしてボランティア活動をすることによって新たな課題が見つかる。その課題解決のためにまた学ぶ」これが生涯学習とボランティアの関係です。今このような学習成果を生かした取り組みが県下各地で行われています。本市、阿蘇市でも行われていることと思います。益城町でも行っています。後ほどRKKのニュース番組で紹介があった「そろばん先生が行く」のDVDを視ていただきたいと思います。
 ところで、私たちの脳は40歳代から老化を始めるそうです。私は今69歳、もうすぐ70歳になります。時速60kmの猛スピードで老化街道を突っ走っています。このスピードにさらにアクセルを踏むのではなくブレーキを踏んで、できるだけスピードを落とさねばなりません。そのブレーキ役になるのが生涯学習だと私は思っています。
 後先になりましたが、老いには5つの特徴があると益城町の公民館講座である病院の先生から教えてもらいました。それは、「もの忘れが多くなる」、「物覚えが悪くなる」、「動作が遅くなる」、「がんこになる」、「新しい友だちなどがつくりにくくなる」だそうです。私には全てが当てはまります。皆さんはどうですか?
 東北大学教授で脳生理学者の川嶋隆太先生は次のように言っています。
 「考え事をしているときの脳は、左脳がわずかに働いているが、右脳は働いていない」、「簡単な計算問題を早く解いているときは、脳の多くの場所が活発に働いている」、「本を音読しているときの脳はよく働いている。特に音読スピードが速ければ速いほど活発に働く」と。
 川嶋先生の話からも生涯学習は、脳の老いにブレーキをかけるのに最適だということがお分かりだと思います。
 先ほども言いましたが、今、生涯学習の成果を活かした地域づくり・学校支援ボランティアの要請が高まっています。
 まちづくりの方向が、「ものから心」に移行していることはご存じの通りです。市役所や役場庁舎壁面に掛けられているスローガンには建物や道路、橋などの建設に関するものはなく、「高齢者が生き生きくらせる町」とか「文化とふれあいを大切にする町」とか「健康づくりの市」などが目に付きます。
 学校教育の場でも、「地域の宝である子どもたちを地域ぐるみで育てていこう」の機運が高まっています。社会の変化にともない、いまや、子どもの教育は学校だけでは負いきれない状況にあります。学校は、地域人材を求めています。そして、地域の人たちの応援を得て子どもたちの「生きる力」をはぐくむ教育が展開されています。学校が、地域と連携を深めながら、一人一人の子どもたちに対してきめ細かい指導をすることは社会の要請であると思います。
 これらに応えて、今県内では、学校応援団が少しずつ増えてきています。益城町の学校応援団に関わった人々の声を紹介します。
 ボランティア活動を通して、新たな生きがいを発見した声が数多くあります。 
 「自分も社会のために役立っていると実感できうれしい。」は70歳代の人です。
 「子どもたちが『できた』と喜ぶ瞬間に立ち会うことができる喜びがあります。」は、50歳代の人です。
 「子どもたちにわかりやすく教えるにはどうしたらよいかをいつも考えています。」は60歳代のそろばん講座生です。
 「学校で教えるお手伝いをすることは、学ぶことです。」これは、先ほど紹介しましたボランティア活動を通して新たな課題が生まれ、その課題解決のために学ぶことを実感し実践している人の声です。
 先生方からも多くの声を聞いています。
 「担任一人では、40人・30人の子どもに指づかいなどの指導はできません。ボランティアの方が支援してくださるからそろばんの良さまで指導ができます。」は、3年生のそろばん学習をボランティアの協力を得て指導された先生の声です。
 「郷土のよさをボランティア活動を通して子どもに教えていただいています。」は、花植えなど環境整備を担当している先生の声です。
 「担任も子どもも緊張感を持って授業に臨んでいます。」は、校長先生の声です。緊張感とは良い意味の緊張です。地域の人と一緒に学習することで学習意欲が出ます。
 「子どもたちに地域の知人が増えています。安心・安全な登下校ができています。」は、低学年の先生の声です。見守り隊の人が登下校時の交通指導はもちろんのことですが、「学校は楽しかったね?」とか「仲良く遊ばにゃんよ。」などの声掛けで子どもたちが安心・安全な登下校ができていますとの感謝の声です。
 子どもたちの声も紹介します。
 「ぼくもおとなになったらボランティアをしたいと思いました。竹馬ができるようになったら友達や妹たちに教えたいです。」昔遊びを教えてもらった子どもの声です。子どもは自分も将来ボランティアをしたいという自分の理想像を発見しています。
 「ふでをいっしょに持って、いっしょに書きながら教えてもらったときが一番うれしかったです。」は、3年生の子です。初めての習字の学習で公民館講座で毛筆習字を学んでいる人が習字のお手伝いをします。先生が、筆の持ち方、筆のうち付け方、運び方、止め方、はね方、払い方などを全体指導をされます。その後で、一人一人が練習に入ります。これからがボランティア指導員の出番です。ボランティア指導員は一人一人の子どもの手を取って、先生が全体指導されたように教えます。子どもたちは、筆の運び方の感覚が分かり意欲的に学習に取り組みます。
 「『がんばったね。字がきれいだね。』と言ってくださってありがとうございます。」これも3年生の声です。
 益城中央小学校に昨年転勤して来られた校長先生が「この学校の子どもたちは習字がじょうずだと思ったら、地域の方が習字の学習を手伝っておられるのですか。それで字が上手に書けるのですね。」とおっしゃいました。ボランティア指導員が8人ばかりで手伝いますので、子どもたちは1時間の授業で3回〜4回ほど手を取ってもらって書きます。こんなこと先生一人ではとうていできないことです。
 「私もボランティアの方のように心のやさしい人になりたいです。」家庭科のミシンの使い方を学んだ子の声です
 「一緒に帰りながら、木の実の名前や特ちょうなどを教えてもらったり、私の話を聞いてもらったりして楽しかったです。また、ボランティアの方の子どものころの話を聞かせてもらって楽しかったです。」は、見守り隊の人と一緒に帰る6年生の声です。地域の人との心の交流があります。
 「『お帰りなさい』と声をかけてくださると、とても心があたたかくなります。私もボランティアの気持ちを持てたらなぁ。」5年生の声です。
 「ボランティアの方の『おはよう』『行ってらっしゃい』と言う声に、『よし、今日もがんばるぞ!』という気持ちになります。」やはり5年生です。
 「お花を見るたびに心がいやされます。きれいな生け花はボランティアさんがいっしょうけんめい考えられたのだろうなと伝わってきます。次の生け花も楽しみにしています。みんなの心があたたかくなるようなお花を生けてください。」児童玄関と来客者玄関に生け花ボランティアの方が花を生けています。これを見た6年生の声です。
 ほんの一部の声の紹介ですが、ボランティア指導員も先生も子どもたちもとても豊かな学習をしていることがお分かりいただけたと思います、また、一緒に学ぶことで子どもたちの心が育まれ、将来の夢が芽生えていることもお分かりと思います。
 平成22年3月放映されたRKKニュース番組「そろばん先生が行く」を視てください。(音声のみ)
 地域の力で地域の子どもたちを育てようと取り組んでいる人たちがいます。その取り組みとは?を取材しました。
 (益城町立飯野小学校で「読み上げ算」をしている場面)
 飯野小学校の放課後子ども教室、そろばん教室です。
 毎週月曜日の放課後、4年生と5年生10人がそろばんの練習に励んでいます。
 「さあ、がんばって! がんばって!」「じょうず! じょうず! すごいぞ!」
 子どもたちを優しく励ましながら指導しているのは地域の人たちです。「そろばん先生」と呼ばれています。
 教室では、そろばん先生7人が子ども10人を見ています。
 そろばん先生代表の中川有紀さん。
 「この子ども教室ができるのは地域の方たちが一生懸命学校に協力しようという気持ちがあるからです。」
 そろばん先生の代表 中川有紀さんは元小学校の校長先生です。誰よりも子どもたちの気持ちを大事にしています。
 (子どもの声)
 女の子「楽しいです。」
 女の子「わかりやすいです。」
 「ダメなところがあるとしっかりと厳しく注意して普段は優しい先生なので・・・。」
 5年生の○○君は、小学生には難関と言われる2級まで進みました。そろばんを始めて2年目の快挙です。
 (暗算の練習風景)
 「願いましては、6円也、8円也、3円也、4円也、5円也、3円では」 「29円」
 「すごい! すごい!」
 教室のみんなが○○君を目標にしています。
 (全国商工会珠算検定試験合格賞授与風景)
 「6級合格 おめでとうございます。」
 「4級合格 おめでとう。」
 この日は、2月に行われた商工会の検定試験を受けた子どもたちの結果が発表されました。
 そこにはたくさんの笑顔がありました。
 (ボランティア指導員の話)
 「子どもたちががんばる姿を見ると教えていてよかったなと思います。」
 (益城町公民館で)
 益城町公民館では月に2回そろばん教室が開かれています。平均年齢は65歳です。ほとんどの人がそろばんを習うのは小学校以来です。
 (講座生へのインタビュー)
 女性講座生「最近物忘れがひどくなって、少しは脳の活性化になるかと思って始めました。」
 男性講座生「妻が珠算が得意ですので、夫婦で仲良く共通の趣味を持つことができるようにそろばんを始めました。」
 女性講座生「さびた脳に油を注ぐ、そんな感じで始めました。」
 中川さんは、学校を退職後、公民館でそろばん教室の講師を務めてきました。
 「自分のお金でカルチャーセンターなどで学ぶのと、町の税金で公民館で学ぶのは私は質が違うと思います。だから町の税金で学ばせてもらっているならば町のために恩返しをする。お返しをする、そんな気持ちになって欲しい。」
 中川さんの熱い思いが地域の人たちを動かして15人のそろばん先生が誕生したのです。
 (益城町立広安西小学校3年生4組教室で)
 そろばん先生は、小学校の算数の授業でも活躍しています。  
 この日は、子どもたちにとって初めてのそろばんの授業です。そろばん先生は、学校の先生の授業内容に沿って子どもたちをサポートします。
 「指を立てて、そうそう、じょうず、じょうず!」
 そろばん先生は、子どもたち一人一人の手を取って教えました。
 男の子「はじめは分からなかったけど、分かるようになったからよかった。」
 男の子「分かりやすかったです。」
 担任の先生「大変助かります。地域の皆さんとの親睦という意味でもとてもありがたい。子どもたちにとっても私にとってもとてもよかったと思います。」
 そろばん先生の活動が始まって4年。評判は上々です。そして、そろばん先生のボランティア活動は、そろばん先生の生きがいにつながっています。
 (公民館で)
 女性講座生「とても楽しく生きがいを感じています。」
 女性講座生「子どもたちに負けないようにがんばらねばと思ってそれを目標にしています。」
 女性講座生「私の方が元気をもらっています。」
 地域の力で地域の子どもたちを育てたいと願う中川さんの思いはただ1つです。
 「自分自身を誇りに思う。大事にする。そういう心を子どもたちがそろばんを通して養ってくれたらいいなと思っています。」
 いかがでしたか?
 音声が出ませんでしたが、雰囲気はわかってもらえましたか?
 資料につけています新聞投稿文を見てください。平成20年4月6日熊日「読者の広場」に掲載されたものです。
      知識や技能で子どもを支援
 「今日はそろばん名人さんと一緒に学習します。」先生の巧みな指導でそろばん学習が始まった。公民館講座「そろばん教室」の受講生6人が授業を手伝った。
 先生の丁寧な指導で、子供たちは1珠や5珠の意味、数の読み方す直ぐに理解できた。1珠を入れるときは親指、1珠を取るときと5珠を入れたり取ったりするときは人差し指を使うことも理解できた。
 個別学習になり、私たちボランティアの出番がきた。子どもが珠を入れる様子を観察すると、親指で入れるか、人差し指で入れるかを一生懸命考えて入れる様子が手に取るように分かる。珠を入れたところで、「よくできたよ」と頭をなで褒めると笑顔が返ってくる。1時間の授業があっという間に終わる。授業が終われば、運動場に飛んでいく子どもたちが、「おじちゃん、教えて」とさらに難しい問題に挑戦する。
 授業後短時間ではあったが、子どもの学習について先生と情報を交換した。先生は、日頃見えない子どもの良さが見えて大変良かったと話された。本年度から地域で学校教育を支援する文科省の学校支援地域本部事業が始まる。公民館講座で学んだ知識や技能を生かし、子供たちの更なる成長を側面から支援していきたい。
 このように、学校は地域の人の応援を待っています。学校は敷居を低くして待っていらっしゃるのですが、学校はどうしても敷居が高いですよね。なかなか1歩が踏み込めません。一度ボランティア活動をするとそうでもないのですがね。
 そこで皆さんにお願いです。地域の方の背中を押してください。一緒に手を取り合って学校に出かけてください。学校で子どもたちと触れ合うことで、楽しい時間を過ごすことができることや子どもから元気をもらうことなどを講座生の方や身近な人におおいに宣伝してください。
 一人でも二人でも多くの方が学校応援団員となられますことを願っています。
 時間がなくなりました。島津日新齊の「いろは歌」を紹介して終わりにします。
 島津日新斎は、15世紀の薩摩の戦国大名で島津家中興の祖といわれています。日新齊は「日新公いろは歌」を創作しました。「いにしへの道を聞きても唱へてもわが行ひにせずばかひなし」に始まる47首の歌です。このいろは歌は薩摩藩士の郷中教育の規範となり、現代まで大きな影響を与えています。
 「いにしへの 道を聞きても唱へても わがおこなひに せずばかひなし」
 「昔の立派な教えや学問を口に唱えるだけでは、何の役にも立たない。実践、実行することがもっとも大事である」ということです。学んだことを生かして実行に移さなければ意味がないということは、先ほどから言っていますように、学んだことを地域づくりや学校応援に生かすことだと私はとらえています。
 「ろ」は、「楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは 高きいやしき」
 「立派な御殿に住んでいようと、粗末な小屋に住んでいようと、それで人間の価値は判断できない。心のあり方によってこそ真価が決まる」という意味です。
 「は」は、「はかなくも 明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで」
 「明日のことは誰もわからない。学習や修養を明日しようと引き延ばし、もし明日自分が死んだらどうするのか。今この時を大切にすべきだ」ということです。
 鹿児島県南さつま市役所で「島津日新公のいろは歌を教えてください。」と尋ねると、いろは歌を教えてもらえますよ。また、市役所近くの竹田神社に行くと、いろは歌の歌碑があります。興味のある方は南さつま市を訪ねてみてください。
 阿蘇市の生涯学習講座で学んで得た知識や技能を地域づくりや学校応援団活動に生かして、学校や地域がますます活性化することを念じまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。