育みましょう 人権感覚

平成23年2月26日
荒尾市総合文化センター

 
 おはようございます。ただいまご紹介いただきました中川でございます。よろしくお願いします。
 今年の冬は寒さが厳しかったですね。私はいつもの年より下着を1枚多く着ていました。それでも寒く、時には背中にホッカイロを貼り付けていました。皆さんもいつもの年より厚着されていたのではないでしょうか。
 例年にない厳しい寒さでしたが、心が温まる話題がありましたね。連日のようにタイガーマスクが現れました。新聞等の報道によると全都道府県に現れたということでした。ランドセルを届ける、文房具を届ける、などなど。なかには現金も届けられました。伊達直人と名乗った人は他を思う心の強い人だと思います。この互いに他を思い合う心や愛は家庭において育まれると私は思います。
 その家庭での親子のふれ合いについて少し話をします。私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔をまじまじと見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私は女性の先生が来ると職員に紹介していたのに。男の先生な。ほんなこてあたは中川先生な」と私に念を押されました。校長先生は、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女の先生と思い込まれたのだと思います。
 先ほど、私のことを「中川ありとし」さんと紹介して頂きました。「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。67歳の今でも、小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。父の願いに沿うようにと努力はしていますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯勉強だと思っています。今はこの世にいませんが、こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を尊敬し、敬愛しています。
 その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
 私が結婚を意識し始めた頃のことです。私が結婚しようと思っていた女性、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。連れ合いの身元調査をしていたのです。
 「生涯共に暮らす女性」と私が決めた彼女と私の人権を侵された思いで、「俺はこの女性と結婚すると決めた。俺ば信用できんとな」と強く抗議しました。父は何も言いませんでした。下を向いたままでした。しかし、その姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 また、上級生や中学生から「ありとし」の「あり」をとって「あっ、蟻の来よる。蟻ば踏みつぶそう」と言って踏みつぶす真似をしてからかわれたり、意地悪されたことがありました。その度に、「俺は、蟻じゃなか。ありとし」と言って上級生にくってかかっていました。
 皆さんにはお子さんやお孫さんがいらっしゃると思います。「おぎゃー」と産声を聞いたときのあの感動は今も心に焼き付いていらっしゃるでしょう。赤ちゃん誕生の感動、親の思い、家族の思いを込めてお子さんに名前を付けられたことと思います。名前に込めた親の思い、家族の思いをお子さんやお孫さんに語って下さい。小さいお子さんは膝に抱っこして、手を取り、目を見つめて。高学年のお子さんは手を取り、目を見つめて語って下さい。そして、思いっきり抱きしめてやって下さい。親の愛、おじいさん、おばあさん、家族の愛を感じることと思います。それが、他を思う心、思い合う心につながります。
 本日は人権問題講演会です。人権と一言で言いますが様々な人権課題があることは皆さんご存じの通りです。同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等々様々な人権課題が存在しています。
 熊本県では、様々な人権課題の中でも特に、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題の解決に力を入れています。この3つの課題について中学生が私たちに訴えている文を紹介します。
 資料1をご覧下さい。第29回、21年度の全国中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した栃木県大田原市立金田北中学校3年、舩山泰一君の「一人でも多くの人に伝えたい」を読みます。一緒に読んで下さい。



         「一人でも多くの人に伝えたい」

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題?」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う?」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 どうでしたか?
 「何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。」と部落差別の不合理、そしてその痛みを綴っています。そして、「今も、(同和問題で)悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。同和問題解決のために行動することを宣言しています。「知識から行動へ」は、学校の人権教育で推し進められていることです。
 次は、第30回、22年度全国中学生人権作文コンテストで法務副大臣賞を受賞した熊本県立八代中学校1年、井上由紀子さんの「私の大好きなふる里」です。読みます。



         「私の大好きなふる里」

 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 心を揺り動かされたでしょう?
 数年前に亡くなられた水俣病語り部、杉本栄子さんの話を聞いた方もいらっしゃるでしょう。当時の水俣では水俣病を遺伝病、怖い病気と考えられ、とても辛い嫌がらせを受けたり差別されたりしたと淡々と話し、今は人権問題はしけの状態、早く凪になって欲しいと訴えておられました。
 ハンセン病問題でも、ハンセン病がうつる病気、怖い病気と思っていたため菊池惠楓園の傍を通るときは鼻をつまんで走っていたと聞いたことがあります。龍田寮事件というのがありました。これは、菊池惠楓園入所者の子どもが黒髪小学校に入学するのをPTAが拒否するという事件でした。我が子が惠楓園入所者の子どもと一緒に机を並べて勉強すると我が子にハンセン病がうつると思い、恵楓園入所者の子どもの入学を拒否したのです。
 水俣病問題もハンセン病問題も、このことについての無知が生み出した差別です。
 井上さんは「これ(ハンセン病問題)も水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。」と私たちに訴えています。
 人権とは、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障されるべき権利です。「差別」とは、自分の力ではどうすることもできないことで社会的不利益を被ることです。人権問題は、差別される側の問題ではなく差別する側の問題です。
 本日の人権問題講演会のように地域社会では人権問題についての啓発活動が行われ、学校でも人権教育が進められています。それでも差別や偏見がなくならないのは何故でしょうか。このことについて、考えてみたいと思います。
 皆さん、レジュメの空いているところに「魚の絵」を描いてみてください。
 どなたかここに描いてもらえませんか?(○○さんが左向きの魚の絵を描く)
 とてもすばらしい魚を描いていただきありがとうございました。
 ○○さんとは違う絵を描いた方いらっしゃいますか?(△△さんが右向きの魚を描く)
 ありがとうございました。
 ○○さんと△△さんの絵が違うところは、魚の頭の向きですね。
 お尋ねします。○○さんと同じように頭が左向きの魚を描いた方?(大多数)皆さん、会場を見渡してみて下さい。(「うわー」という驚きの声が上がる)
 △△さんの絵と同じように右向きを描かれた方?(4人)
 私は皆さんに「左向きの魚を描きましょう」とは言いませんでした。「魚の絵を描きましょう」と言いました。にもかかわらず、左向きが100人以上、右向きは4人です。
 私はいろんなところで話をするとき、魚を描いてもらっています。どこでも、95%くらいの人がが左向きの魚を描きます。残りの5%くらいが右向きです。
 どうしてこのようなことが起きるのでしょう?(「料理の魚は左向き」というつぶやきが聞こえる)
 そうですね。尾頭付きの場合、左向きにしてありますね。あるところでは、「あたは何ば言いよるか。魚は左向きと昔から決まっとる」と言われたことがありました。図書館にある魚の図鑑を見て下さい。魚の図鑑に載せてある魚の絵や写真のほとんどが左向きです。つまり、私たちが目にするもののほとんどは左向きです。私たちは、知らず知らずのうちに空気を吸うが如く「魚は左向き」を学習しているのです。右向きの絵を描かれた方は、自分の考えで魚を描いていらっしゃいます。
 もう一つお尋ねします。牛の色をイメージして下さい。
 あか牛をイメージする方?(約半数)
 くろ牛?(8人)
 白黒のホルスタイン?(あか牛よりやや少ない 約4割)
 阿蘇地方で牛の色を尋ねると、ほぼ全員があか牛です。天草地方では、以前は農耕用にくろ牛を飼っていましたのでくろ牛が多いです。熊本市近郊ではほぼ3分の1ずつです。牛の色は、自分の周りにいる牛、小さい頃からよく見ていた牛の色をイメージしますね。
 このように無意識のうちに「○○は○○だ」と思ってしまうことを「刷り込み」と言います。この刷り込みが、「思いこみ」「決め込み」となり、決め込みにマイナスイメージが重なると偏見となります。その偏見が時として差別につながります。
 「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と言います。「私が知っている同和地区の方は心優しい人ばかりですよ」返します。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう、これは社会が作り出した偏見であり、それにもとづく差別です。
 それによって、苦しみ、悲しみ、憤り、心を痛めている人がいることを忘れてはなりません。  3年前、義母が亡くなりました。葬儀社の方に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の方がファイルをひろげて、「一般的には今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないと言われています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは六曜の考えは信じていませんので、「今夜が仮通夜、明日が本通夜、葬儀は明後日にお願いします」と友引の日に葬儀と決めました。火葬場には、数組の家族が火葬の順を待っていました。科学的根拠のない六曜にとらわれることなく生活している方が多くなっていると思いました。友引の日に葬儀を済ませましたがどうってことありませんでした。
 この六曜とは、どんなものでしょうか。
 どうやって今日は何の日と決めるか、ご存じでない方いらっしゃいますか?(半数以上挙手)
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものです。
 旧暦の1月1日を先勝、2月1日を友引、3月1日を先負、4月1日が仏滅、5月1日が大安、6月と1日が赤口、同じように7月1日が先勝、8月1日友引、9月1日先負、10月1日仏滅、11月1日大安、12月1日を赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには大安が2日続くという場合も出てくるわけです。調べましたところ、ここ数年は大安が2日続くことはありません。
 「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と熊本市の仏願寺住職であった故高千穂正史さんは、その著書「愛語問答」で述べています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と一人ひとりの意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていくものです。
 第2次菅改造内閣が発足した日、1月14日は仏滅でした。自民党政権時代の内閣改造は大安の日に行われていたそうです。このことから「菅内閣の行く末は、厳しいだろう」などと言っていた国会議員の談話を新聞で目にしました。国の行く末を考える国会議員がこのような考えでいることに憤りを覚えました。
 迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動しようではありませんか。
 実は、このような考え方のおかしさを鎌倉時代に述べている人がいます。徒然草を著した吉田兼好がその人です。
 高校時代、古文で「つれづれなるままにひぐらし硯にむかいて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂おしけれ」で始まる徒然草を勉強しました。当時は、難しくてなかなか意味がわからなかったのですが、「ものいはぬは はらふくるるわざなり」は記憶に残っています。この徒然草の第九十一段に「赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり」があります。
 資料4を見て下さい。しばらく読んでみて下さい。


       赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり

赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌(い)まず。この比(ごろ)、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企(くわだ)てたりし事成らずといふ、愚(おろか)かなり。吉日(きちにち)を撰(えら)びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。
その故は、無常(むじよう)変(へん)易(えき)の境(さかい)、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終りなし。志は遂(と)げず。望みは絶えず。人の心不定(ふじよう)なり。物(もの)皆(みな)幻(げん)化(げ)なり。何事か暫(しばら)くも住(じゆう)する。この理(ことわり)を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶(きよう)なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶(きつきよう)は、人によりて、日によらず。

 原文は家に帰ってから読んで下さい。現代語訳を読みます。
 六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、これを忌むようになった。「この日に始めた事は中途半端で終わり、言った事や行った事は頓挫し、手に入れた物は紛失し、立てた計画は失敗に終わる」と言うのは、愚かなことだ。敢えて吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。
 考えてみれば、世の中は不安定で、全ての物事は終わりに向かって緩やかに進んでいる。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても最終的には失敗し、目的が達成できないまま欲だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物はいつか壊れて無くなる事を思えば幻と一緒である。永遠など無いのだ。このことをわかっていないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。
 「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なりと言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。」と言っています。
 繰り返しますと、知らず知らずのうちに刷り込まれているものや誤解、無知が時として偏見を生み、差別を助長します。中学生も述べていますように、私たち一人ひとりにはこの一連の流れを乗り越える力があります。それは、学ぶことによって正しく理解し、相手の立場に立って正しく判断し、行動する力です。
 私は昨年、ウズベキスタンを旅行しました。中央アジアの国、ウズベキスタンは、緑あり、砂漠あり、歴史遺産あり、暮らしている人々の優しさありとそれは素晴らしい国でした。ところがこの旅行に参加する前にいろいろありました。
 はからずも、マリカさんという日本語ガイドさんが旅行最後の日に私たちにこう尋ねました。
 「ウズベキスタンに行くと言ったら『あんな危ない国には行かない方がいいよ』と言われた人はいませんか?ウズベキスタンにやってきてどうですか?危険な国と思いますか?」 実は、私は知人から「危ない国には行かない方がよかバイ」と言われたのです。知人どころか私自身が「ウズベキスタン 青の都サマルカンドを旅するツアーに参加しよう」という連れ合いに「危険地域だからウズベキスタン旅行は止めよう」と言っていたのです。ウズベキスタンの隣国はアフガニスタンです。外務省が出している外国の治安情報ではアフガニスタンの国境周辺は「渡航の是非を検討して下さい」です。それ以外も「十分注意して下さい」です。でも、連れ合いはどうしても行きたいと言います。それで、治安について旅行会社に問い合わせました。問題ありませんという返事です。外務省にも問い合わせました。外務省からは、個人旅行する人も含めて治安情報を出しています。旅行会社のツアーだったら心配ないでしょうとのことでした。
 行ってびっくりでした。私たちが訪問した、タシュケント、ブハラ、サマルカンドの都市は穏やかで人々はとても明るく治安の心配などみじんもないところでした。ある一つの情報を鵜呑みにして「○○は○○だ」と思い込むことのおかしさを実感しました。
 また、マリカさんはウズベキスタンの大学で日本語を学び、法政大学に留学して日本語を学んだということでした。そして、日本の旅行も楽しんだということでした。京都が印象に残っていると話しました。そして、金閣寺や銀閣寺はとてもきれいだったが、最も心を動かされたのは竜安寺の石庭だったと言いました。竜安寺の石庭を見つめていると、心が癒されたと言いました。この竜安寺の石庭を造ったのは、被差別部落の人だと言われています。室町時代、能を創りあげた観阿弥、世阿弥も被差別部落の人だと言われています。また、江戸時代、前野良沢、杉田玄白と日本で最初の解剖をした人も被差別部落の人だと言われています。被差別部落の人々が日本文化に果たした功績は大きいのです。このようなプラスイメージをもっと語り継ぐことが大事だと思います。
 ここで、自分自身を見つめてみましょう。
 「あなたは、ありのままの自分のことが好きですか」と問われたとします。
 皆さんは、どう答えますか。「有能な自分」、「人からいい人だと思われている自分」、そんな自分は好きだけど、「できない自分」、「駄目な自分」、「弱い自分」はちょっと隠しておこう、見ないでおこうの考え方では「ありのままの自分が好き」とは言えません。
 できるところもあればできないところもある、よいところもあれば悪いところもある、長所もあれば短所もある、私たちは誰もがその両面を持っています。私も含めて皆さんもそうだと思います。
 良いところも悪いところも含めて、ありのままの自分が好きだという人が、自分を大切にできる人であり、自分を大切にできる人が他者の人権も心から大切にできるのではないでしょうか。
 自分のできることをしっかり大事にしましょう。自分が持っているよいところを輝かせましょう。できないことは出来るようになる努力をする、自分ができることを一生懸命する、そうしたときに、持っている力や可能性や良さが引き出されると思います。これは自分自身に誇りをもち、輝いた人生をつくっていくことです。このことは「自尊感情」と呼ばれています。他と比べて、勝った、負けた、良い、悪いではなく、私が私としてかけがえのない値打ちを持っている、私を愛おしく思う、私を私らしく生かしたいと思う気持ちです。人権の原点はここにあると思います。
 自分の責任でもない事柄で人から冷たい目で見られたり、排除されたりする、それが差別です。例えば部落の人々はそういうことを経験してきました。障がいを持つ人もそうです。自ら選んで、自らの責任でそうなったわけでもないことがらを理由にして、社会が自分という存在を否定的に見る扱いを受けると、「ありのままの自分を好き」と思いにくくなります。
 世の中には、自分とは異質な文化や価値観を持った人々がたくさんいます。年齢が違ったり、出身地が違ったり、健常者、障がい者、男性、女性、子ども、高齢者など自分とは違う人がいます。異質性を持った人たちと、いい形で出会えたり、いい関係を育むことができる社会ほど人権文化は豊かだと思います。
 学校では、不登校問題とともにいじめが問題となっています。いじめの対象は何でもいいのです。背が高いから、低いから、勉強が出来るから、出来ないから、太っているから、痩せているからなどなど自分とは違うところを大きくクローズアップしてそれを根拠に仲間外しをする、意地悪をする。これは差別です。小さい頃から自分とは違うものを大事にする、自分との違いを理解し、それを受け止め、共に生きる社会を作ることが大切です。共生のまちが人権文化の花咲くまちだと思います。
 「あなたがいてくれたおかげで、私も勇気を持つことができた」、「あなたが頑張ってくれたおかげで、うまくいってよかった」など、皆さんの存在が誰かにとって意味を持つ、感謝される、認められる、このような経験が皆さんにはたくさんおありと思います。人は、自分が存在していることを誰かがきちんと認めてくれている、自分なりに努力したことが、世の中の役に立っている、誰かに感謝されていると思えれば思えるほど、内なる力を発揮するものです。
 一人一人の人権が尊重されると、誰もが「自分はこの世に生きる値打ちを持っているんだ」と思うようになります。だから、人権を尊重することが大事なのです。
 ここ荒尾市では、ビニル袋を持ってゴミ拾いのボランティアをしてる人を見かけるでしょう。私も家の周りのゴミ拾いをしています。人は、仕事を通じて、地域活動を通じて、ボランティア活動を通じて自分がこの社会とつながっている、私の仕事や取り組みが社会にプラスの意味を持っているなどと社会とかかわっていることを実感しながら生きていると思います。誰もが社会と関わって生きている意味を実感できる社会づくりに努めたいものです。
 子どもたちには体験が不足しているとよく言われます。10年程前は、自然体験、社会体験、勤労体験が不足しているといわれ、それを補う取り組みがなされてきました。最近の子どもにはこれらに加えて、社会とつながっていると実感する体験や心の体験が不足しているように私は思います。地域の人から思いっきり叱られる、褒められる、感謝される、頼りにされる、などなどが。これらの体験を積み重ねることによって自尊感情が醸成されます。自尊感情が豊かな子ほど、学習意欲が旺盛であり、自分や他の人権を大切にすることはこれまで述べてきたとおりです。ですから、家庭でも学校でも、地域でもこのような場を意図的に仕組んでいくことが大切だと思います。
 おわりに桑原律さんの詩集「ヒューマンシンフォニー 光は風の中に」にあります「人権感覚って何ですか」を全員で読みたいと思います。
 桑原律さんは、岐阜県人権同和教育協議会委員をされ、人権詩集「光は風のなかに」「ひとすじの光ひとすじの道」などを表し、人権問題について幅広くご活躍の方です。
 少し脱線しますが、私は現在67歳です。時速67kmのスピードで老化街道を走っています。このスピードにアクセルを踏むのではなく、ブレーキをかけることを心がけています。東北大学の川島隆太先生は、「脳の老化にブレーキをかけるには、いろんな人と話をすること、簡単な計算をすること、声に出して本を読むこと」の3つを挙げています。
 母は現在90歳です。「毎日声に出して本を読むとよかバイ」と言いますと、「私ぁ、毎日声に出しておつとめをしているけんよかタイ」と言います。仏壇の前で蓮如上人の白骨の御文章などを読んでいます。しかし、ほとんど暗記していますので読んでいることにはなりません。一番よいのは、新聞のコラム欄です。熊日でしたら「新生面」、朝日でしたら「天声人語」のようなコラムです。読む文章が毎日違うからです。皆さんも毎日声に出して読んでみませんか?
 元に返ります。しばらく黙読して下さい。
 では一緒に読みましょう。


   「人権感覚」って何ですか   桑原 律

  「人権感覚」って何ですか     

  「人権感覚」って何ですか
  それは ケガをして
  苦しんでいる人があれば
  そのまますどおりしないで
  「だいじょうぶですか」と
  助け励ます心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは 悲しみに
  うち沈んでいる人があれば
  見て見ぬふりをしないで
  「いっしょに考えましょう」と
  共に語らう心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは 偏見と差別に
  思い悩んでいる人があれば
  わが事のように感じて
  「そんなことは許せない」と
  自ら進んで行動すること



 桑原律さんは、「偏見と差別に思い悩んでいる人があれば、わが事のように感じて、そんなことは許せないと自ら進んで行動すること」と言っています。
 人権問題の解決のためにそれぞれに出来ることを出来る範囲で行動に移しましょう。
 荒尾市がますます人権文化の花咲くまちとなりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。