感性豊かな子どもを育てましょう
平成19年6月13日
天草市立天附小学校 職員人権教育研修


 昨年10月のPTA家庭教育講演会では大変お世話になりました。
 本日は、先生方の人権教育研修会です。人権教育の在り方についていっしょに考えて行きましょう。
 校長室で、学級便りを見ました。ちょうど人権旬間だそうですね。人権旬間に合わせての研修会の企画はすばらしいと思います。
 階段に6年生の修学旅行のスナップ写真が貼ってありました。どの顔もいきいきと輝いています。子どもたちが、ドキドキ、ワクワクしながら長崎の町を歩いた様子が思い浮かびます。日頃から、先生方が子どもに寄り添った指導をしていらっしゃることがよく分かります。
 ところで、先生方はこの1ヶ月で、あるいはこれからの1ヶ月で「ハラハラ、ドキドキ、ワクワク」されたこと、また期待していらっしゃることはありませんか。
 私は、今度の日曜日、17日から中国新疆ウイグル自治区のウルムチとコルラへ連れ合いと二人で1週間旅行します。ここ数年、毎年ウルムチへ行っています。その度に感動がありました。今回は、どんな感動があるかワクワク、ドキドキしています。昨年も話したかも知れませんが、中国を旅して一番感動するのは、乗り物に乗ったとき、私のような高齢者に、子どもも、青年も、壮年も誰もがすすんで席を譲ってくれることです。ある時は、バスに子どもが乗車してすぐに座席に座りました。日本でもよく見かける光景です。ところが、後から乗ってきた赤ん坊を抱いたお母さんに席を譲るのです。感動しました。
 私は、毎日を「ハラハラ、ドキドキ、ワクワク」しながら生活するなかで、感性が豊かに育つと思っています。この感性が豊かな人権感覚へとつながるものと確信しています。
 これから「感性豊かな子どもを育てる」ことをいっしょに考えていきましょう。

 今は、21世紀の代です。21世紀は、「人権の世紀」「生涯学習の世紀」「福祉の世紀」「環境の世紀」「国際化の世紀」さらには「情報量爆発の世紀」などと言われています。
 私は、現職の頃から学校経営、学級経営の基本は「人権尊重の視点」と「生涯学習の視点」だと先生方に言い続けてきました。それは、いろんな世紀と言われているのも人権尊重と生涯学習の視点から見つめると、説明がつくでしょう。福祉や環境は人権尊重の視点から、国際化や情報の問題は生涯学習の視点から見るとよく分かります。
 人権尊重と生涯学習の視点を強く持って仕事をしているのが先生方だと私は思っています。
 明日の国語の授業、算数の授業の教材研究を毎日されるでしょう。教材が持つ教科の本質や教材を通してどんな力を子どもに付けさせるかなどなどを考えながら教材研究に取り組んでおられます。子どもたちに分かる指導法を研究することは、教員としての職業能力を高めることです。この職業能力を高めることは、生涯学習の視点の一つです。本日は、生涯学習の研修会ではありませんので生涯学習についてはふれませんが、「学校完結型の教育から、生涯にわたって学ぶ意欲や態度、それを支える基礎基本を身につけさせる」という現指導要領の考えは生涯学習の視点そのものです。
 また、先生方は、教材研究をするとき、この発問では「ありちゃんは理解できないかも知れない。そのときは、この資料を示して理解をさせよう」とか「京子ちゃんは、これはすぐに理解できるだろうから発展問題を準備しておこう」など、学級の子どもたち一人ひとりの顔を思い浮かべながら授業の展開を考えておられるでしょう。これは、一人ひとりの子どもたちが分かるようになりたい、もっとできるようになりたいと願っていることに応えようと考えてのことでしょう。これは、まさに人権尊重の視点ですよね。「子どもが分かろうが分かるまいが、仕事として1時間の授業をすればよい」と考える先生は一人もいらっしゃいません。
 また、先生方は、子どもの作品には必ず朱書でしかも温かい言葉でコメントしていらっしゃいます。これは、一人ひとりを大切にした学級づくりの表れですよね。
 どうぞ、「人権尊重の視点」と「生涯学習の視点」から教師としての力量を高め、感性豊かな子どもたちを育ててください。

 私は、ここに人権・同和教育の歩みとしています。このようにしたのは、平成14年3月をもって同和対策に関する特別措置法が失効しました。これと同時に同和教育が人権教育の名のもとに少し薄まっているように思うからです。
 特別措置法は、後でふれますが同和対策審議会答申に基づいて施行されたものです。30年以上にわたる特別措置法により、同和問題の解決に成果が見られたのでこれからは、特別法から一般法へ移行して、同和問題の解決にあたろうとの考えからだと私は理解しています。ただ、心理的差別の解消の面では大きな課題が残っていると指摘されています。
 さらに、「人権教育のための国連10年」にあるように人権教育という言葉が世界の潮流として使われてきたことから人権教育という言葉が全面出でてきたものだと考えます。
 このことは、「地域改善対策協議会意見具申」で次のように述べています。
世界の平和を願う我が国が、世界各国との連携・協力の下に、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の重要な一員として、その役割を積極的に果たしていくことは、「人権の世紀」である21世紀に向けた我が国の枢要な責務というべきである。
 我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害に係る深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。また、国際社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内において、同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。
 昭和40年の同和対策審議会答申(同対審答申)は、同和問題の解決は国の責務であると同時に国民的課題であると指摘している。その精神を踏まえて、今後とも、国や地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力していかなければならない。
 同和問題は過去の課題ではない。この問題の解決に向けた今後の取組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくという、広がりをもった現実の課題である。このように提言しています。
 ですから、部落差別をはじめあらゆる差別の解消に努めることが私たちの責務です。
 これまでの同和教育の成果はあちこちで見ることができます。一つ紹介しておきますと、本校6年生が修学旅行に行った長崎へ、私も何回も行きました。平和のまち長崎のシンボルとして必ず紹介されるものの一つに、「1本足鳥居」があります。先生方も見られたことでしょう。原子爆弾の投下による爆風により、鳥居を支える1本が吹き飛んだのですね。これを以前は「片足鳥居」と紹介していました。いつの頃からは知りませんが、今では「1本足鳥居」となっています。
 このような成果を上げている人権・同和教育のあゆみを概観してみましょう。詳しくは人権センターの啓発資料「こころ豊かに共に生きるW」に書いてありますので、後日是非読んでください。
 この部落差別の起こりについては先生方、ご承知の通りです。封建時代、時の為政者が幕藩体制を維持するために作った身分制度、更に低い身分として作られたことが起源であることは小中学校の社会の学習で指導するとおりです。
 明示政府は、富国強兵 殖産興業 文明開化 四民平等を推し進めました。そして、1871年(明治4年)8月28日、太政官布告いわゆる「解放令」を出しました。「自今身分職業共平民同様タルヘキ事」というものです。賤称を廃止し、被差別部落の人々の身分・職業とも平民と同じになると宣言しましたが、宣言のみに終わり、何の行政施策もないまま被差別部落の人々にとってはさらに厳しい貧困と差別が続いたのです。
 さらに、1872年(明治5年)わが国で最初の近代的な戸籍、いわゆる「壬申戸籍」が作られました。これには、旧身分や職業、壇那寺、犯罪歴や病歴などのほか、家柄を示す俗称欄が設けられていました。戸籍法では、従前戸籍の公開が原則とされていたので、この「壬申戸籍」は1968年(昭和43年)包装封印されて厳重に保管されるまで、他人の戸籍簿を閲覧したり、戸籍謄(抄)本を取るなど、結婚や就職の際の身元調査に悪用されたのです。
 近代化を図るための国策とともに日清・日露戦争を契機に資本主義は急速に発達しましたが、多くの国民が低賃金で、長時間働であったのです。特に生活に苦しむ被差別部落の人々は、生きるために、低賃金、悪労働条件下、危険な仕事でも、働かざるをえなかったのです。
 先生方は読まれたことと思いますが、島崎藤村が「破戒」を発表したのが明治39年です。主人公 瀬川丑松は信州の出身ですが、父親から「決して自分の出身を明かしてはならない」という戒を破る過程が描かれています。部落出身であることを明らかにして、社会運動に取り組む猪子蓮太郎への尊敬と恐れ、テロによる猪子蓮太郎の暗殺をみて、丑松が部落出身であることを告白するにいたる葛藤が書かれています。藤村は、被差別部落出身者を卑しい人など表現していますが、部落差別に悲しみ、苦しみ、怒り、平等社会の実現を願い、差別の不当に抗議していることを読み取ることができます。猪子廉太郎を尊敬していた丑松が部落差別から逃げるのではなく、差別解消に立ち向かう先生であったならもっと社会の様子も変わったに違いありません。しかし、当時はそのように厳しい部落差別があったのです。
 大正11年3月3日、全国から被差別部落の人々がさまざまな弾圧を乗り越えて、京都の岡崎公会堂に集まり、全国水平社が創立されました。「人の世に熱あれ人間に光りあれ」の水平社宣言を採択し、被差別部落の人々自らの手で解放を勝ち取ろうという運動が青年たちを中心に始まったのです。
 「オール・ロマンス事件」という言葉を聞いたことがありますか? 昭和26年、京都市衛生局の一職員が、『オール・ロマンス』という雑誌に被差別部落をモデルとして劣悪な実態を興味本位に強調して書いた小説を発表したのです。この問題について部落解放京都府委員会と京都市との話し合いがもたれる中で、「火事が起きたとき、消防車が入れない所はどこか」「下水道が完備していない所はどこか」「子どもたちにトラコーマが多い所はどこか」などを尋ね、その地を京都市の地図に書き入れていったところ、印が集中する地域があり、それが被差別部落であり、生活環境の低位な実態が明らかになったのです。この事件をきっかけに行政施策が必要であるとの考えが広まっていきました。
 また、昭和38年、高知県で子どもたちの教育権を保障するために、「教科書無償」の取り組みがはじめられました。高知県の被差別部落の人々が、「憲法には義務教育は無償とするとある。教科書は無償で支給して欲しい」との運動が起きました。国は、被差別部落の子どもたちに教科書を無償で支給すると回答しましたが、私たちの運動は私たちの子だけに特別に無償支給して欲しいと運動しているのではない。全国の子どもたちに無償で支給して欲しいと願っていると運動を続けました。奈良県でも、その取り組みがはじめられ、ついには、全国的なうねりとなって、昭和38年「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が成立し、義務教育における「教科書無償」制度が実現をみたのです。
 昭和40年、同和対策審議会が「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」を答申しました。前文に「同和問題は日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題であり、同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。」と明記されています。答申の中で、「市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である。同和地区住民がその時代における主要産業の生産過程から疎外され、賤業とされる雑業に従事していたことが社会的地位の上昇と解放への道を阻む要因となったのであり、このことは現代社会においても変わらないからである。したがって、同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、同和地区に滞留する停滞的過剰人口を近代的な主要産業の生産過程に導入することにより生活の安定と地位の向上をはかることが、同和問題解決の中心的課題である。」と述べています。このことが進路保障・学力保障が同和教育の総和であるといわれる所以です。
 この同対審答申をはじめ、地対協意見具申、人権教育指導法の在り方などをインターネットからダウンロードして「一太郎」に変換して記録したものを校長先生にお渡ししておきました。夏期休業中にでもプリントアウトして是非読んで欲しいと思います。
 この答申を受けて、昭和44年、同和問題の解決のための法律「同和対策事業特別措置法」が時限立法として制定・施行され、法律の名称を「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」とかえ、住環境の整備でありますとか、経済基盤等の実体的差別がある程度解消されてきたことから平成14年3月31日をもって法は失効しました。先ほども話しましたが、これは、特別法から一般法へ事業が移行したことであり、部落差別がある限り同和教育・人権教育を推進していくことは当然のことです。
 平成8年、地域改善対策協議会が「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」総理大臣・関係各大臣に対して意見具申を行いました。それには、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の一員として、その役割を積極的に果たしていくことは「人権の世紀」である21世紀に向けた我が国の枢要な責務である。同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。さらには、差別意識の解消を図るに当たっては、これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育、人権啓発として発展的に再構築すべきと考えられる。その中で、同和問題を人権問題の重要な柱として捉え、この問題に固有の経緯等を十分に認識しつつ、国際的な潮流とその取組みを踏まえて積極的に推進すべきであると述べています。
 昨年1月文部科学省は、人権教育の指導方法等の在り方について[第2次とりまとめ]を発表しました。基本的な考え方として、「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるようになり、それが、様々な場面で具体的な態度や行動に現れるようにすること」と述べています。 つまり、実践的な行動力を身につけるようにすることが求められています。

 人権感覚については「人権上問題があるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、人権への配慮が態度や行動に現れる感覚」としています。
 「日常生活の中で、人権上問題のあるようなできごとに接した場合に、直感的にそういうできごとはおかしいと思う感性や、日常生活において、人権への配慮が態度や行動に現れるような人権感覚」と説明しています。
 人権意識についても、「自分の人権を守り、他者の人権を守るため、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする意識」としています。そして、「自他の人権尊重の良さを肯定し、人権侵害の問題性を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする人権意識が生まれる」としています。また、人権教育を通じて育てたい資質や能力として、「人権に関する知的理解」と「人権感覚」としています。
 これが、「自分の人権を守り、他者の人権を守るために実践行動するこどもを育てる」と示しています。
 学校では、この2つの面を育てる人権教育が進められています。本校では、ちょうど人権旬間ということです。どこの学校でも、人権週間や旬間を設定して、計画的、系統的、意識的に人権に関する知識を指導しています。年間計画に沿って教材を選定し、隣接学年や学校全体で教材研究をして、指導していいらっしゃるでしょう。
 また、帰りの会などで、一日の出来事を振り返り、人権に関するできごとなどを子どもが提起したときは、学級みんなでその解決のための方策を考えているでしょう。あるいは、どうしても解決方策が見いだせないようなときは、先生方は教材をさがして子どもに考えさせているでしょう。
 例えば、思いこみが時として人権を侵すようになることに気づかせるのに「島引き鬼」という物語を教材として学習させることもあるでしょう。
 人権についての正しい理解の上に、自分や友達の人権を守るための行動力を身につける日常的指導をしていらっしゃいます。

 そこにいくつかの言葉を示しています。
 「無知は偏見を生み、偏見は差別につながる」「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」「美しいものを、美しいと思える、あなたの心が美しい」
 「正しく知ること」と一口に言いますが、これがなかなか難しいものです。配付していますレジュメに示していますことをやってみましょうか。
 コップを描いてみましょう。
 いろんな形コップの絵を描かれましたね。「コップの絵を描いてみましょう」この言葉で、受け止める、自分で思い描く形はこんなに違いがあるのです。自分は、水を飲むコップのつもりで話をしていても、聞いている人がコーヒーカップをイメージしていては話が合いません。ここに誤解が生まれます。きちんと、話し合うことが大切です。
 ただ、先生方に共通していることは、描かれたコップが上を向いていることです。このように心のコップもいつも上を向けておきたいものです。子どもたちにも心のコップは上を向けておくように話をしてください。
 魚の絵を描いてみましょうか。
 皆さん魚の頭が左向きの絵を描かれました。右を向いている絵を描かれた先生はいらっしゃいません。
 牛の絵を頭にイメージしてください。それに色を付けてください。
 あか牛を描かれた先生は2人、黒牛を描かれた先生はいらっしゃいません、ほとんどの先生がホルスタイン種の白黒の牛を描かれました。私も牛と言えば、ホルスタイン種が頭に浮かびます。家は農家で多いときは4頭くらい飼っていましたから。
 私たちが図書室で見る魚の図鑑や写真のほとんどが魚の頭は左を向いています。牛が農耕用に飼われていた天草地方の子どもは黒牛を描いたそうです。阿蘇地方の子はあか牛、熊本地方の子は白黒の牛だったといいます。つまり、毎日の生活の中で自然と思い込んでしまったことが絵に表れているのです。これを「刷り込み」といいます。ときとして、この刷り込みが間違った社会常識を作ってしまうことがあります。そして、偏見を生み、偏見が差別につながることがあります。「みんながそうしているから」、「みんながそう言っているから」という理由で受け入れると時として、人権を侵害するようなことにもなりかねません。
 「同和地区の人は怖い」などという人に出会うことがあります。「あなたは怖い経験をされたのですか?」と聞くと、「だれでもそう言っている」と。「誰から聞かれましたか?」とさらに聞いても「誰でも言っている」の言葉が返ってきます。これは、同和地区の人に対する偏見、予断、差別に他なりません。元ハンセン病患者に対する予断と偏見もそうですよね。菊池恵楓園の側を通るときは、「うつる」という間違った理解で鼻をつまんで息をしないで急いで通り過ぎていた時代があったと聞いたことがあります。水俣病患者に対する偏見もそうですよね。窒素工場から流れ出た有機水銀に汚染された魚が原因であるにもかかわらず、遺伝病とか伝染病などと言われて石もておわれたこともあったと語り部の人から聞いたことがあります。
 物事は正しく知ることが、自分の心の中にある予断や偏見を取り除くことにつながります。
 
円の中に書かれている四角形の辺は、内側にへこんでいるように見えませんか。
 定規をお持ちの先生は定規を当ててみてください。これは、正方形でしょう。

 矢印の中の線は、どちらが長いでしょうか。左の方が長いように見えるでしょう。実は同じ長さです。


 周りにある円であるとか、矢印というよけいな情報によって正しくものを見ることができない場合がよくあるものです。

 ABとCDの二本の線があります。どちらが長いでしょうか。
 ABの方が長いと思うが、おそらく長さは同じだろうと判断するのが予断です。どちらが長いでしょうかと聞かれたら、おそらくではなく、きちんと定規で測って判断すべきですよね。
 実際は、ABの方が1mm長くなっています。「たった1mmしか違わないの?」と思われたことでしょう。定規で測ってみてください。
 私たちの目にはABがもっと長く見えるでしょう。
 これは、4本の斜めの線がそう見せるのです。
 正しく見て、正しく理解するとはとても難しいことですね。たくさんある情報の中で何が必要で、何が不必要かを選択する能力も大切な力です。

 女性の絵です。年はいくつくらいに見えますか。


 若い女性に見える人?
 高齢者に見える人?
 両方に見える人?

 若い女性に見える先生は、なかなか高齢の女性には見えにくいでしょう? その逆もありますね。
 目の前にいる子どもたちのことを考えてみましょう。ある一面から見て判断すると、子どもの姿を正しくとらえることができないことがあるでしょう。
 先生方は子どもについての自分の見方を出し合い、当該子どもの姿を正しくとらえようとされるのです。そして、心の中にある偏見を少しでも取り除く努力をしたいものです。
 「情動体験の機会を数多く持つ」、これは昨年も話したと思いますが、私は情動体験を「こころが揺り動かされる体験」ととらえています。
 私の父は、15年前に亡くなりました。父は生前「我が家で死を迎えたい」と言っていました。家族みんなが見守る中で眠るがごとく息をひきとりました。息をひきとるまで、手や足をさすりながら、父の弟妹は父の名前を、私たち子は「父ちゃん、父ちゃん」と、孫たちは「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼び続けました。次第に冷たくなる父の体をみんなで必死でさすりました。息をひきとると、みんながわっと泣きながら父の体を抱きしめました。私は「父ちゃん、ありがとう。これからも俺たちを見守ってください」とこみ上げる悲しみを必死でこらえて父に語りかけました。
 病室に、心拍数、心臓の鼓動の波形などを示すモニターを病室に設置しているところでは、病室に詰めている家族の目は、モニターに向かってしまうそうです。枕元で手を握り、顔を見つめて、別れの言葉をかけるという別れの行為を忘れていることに誰も気付かない。医者から「ご臨終です」と言われて家族は死者の顔を見ることになるそうです。テレビドラマでもこのような光景が放映されることがありますね。最近では、病院でもモニターは病室には置かないで看護師の詰め所に置いてあるところが多くなったそうです。
 このような人の生死や、朝日の出を見て厳かな気持ちになる、夕日を見てきれいと思う、自分が育てた生き物を見て喜ぶ、悲しむ、このような心を揺り動かす「情動体験」を数多く持ってください。子どもには数多くこのような機会を与えてください。それが豊かな感性を育てるのです。人権感覚豊かな人とは、豊かな感性を持った人です。 
 人権教育の指導法に関する調査研究会議座長であり、筑波大学教授福田弘先生は「人権感覚を育成するためには、感動する感性、適切かつ健全なセルフエスティーム、共感する力が大切である」と言っておられます。
 私はこの「自尊感情」が人権教育や生涯学習推進の上ではとても重要であると思っています。自尊感情の高い人ほど学習意欲が旺盛です。自分と同じように他を大切にします。
 自分がしたことを他から認められ、褒められることによって子どもは自分の存在感や有用感を実感します。カーテンの開け閉めを子どもに任せ、それができたとき、「今朝は、あなたがカーテンを開けてくれたので明るい陽が入ってとても気持ちがよい」など子どもを認め、褒め、励まし、伸ばす視点を忘れないで欲しいと思います。それら一つ一つの積み重ねが自尊感情を高めます。
 柳田邦夫さんの「壊れる日本人」という本を読みました。その本の中で次のようなことが紹介してありました。
 「両手は何のためにあるのか」という話です。大腸癌で死の宣告を受けたのち、在宅ケアを選んだ38歳の高橋さんの子どもさんの話です。
 お父さんがベッドで手を出して、両手は何のためにあるかと聞くんだ。僕たちはボールを受け止めるためだとか、ご飯を食べるためだとか言ったけど、お父さんはみんなあっているけどみんなちがうと言う。両手はね、好きな人を抱くためにあるんだ。だけど、体だけを抱くんじゃない、心までしっかり抱くんだ。心を抱きしめたいくらい好きになれた人でなければ結婚なんかしちゃダメ。お父さんはお母さんのことが本当に好きだから、心まで抱くんだと言っていたよ。
 なんとすばらしい話でしょう。こんなすばらしい話を是非子どもたちにしてやって欲しいものです。

6 おわりに
 ダジャレのようですが、「歓声あふれる生活の中で、子どもの感性ははぐくまれる」と思います。豊かな感性は、シャープな人権感覚をはぐくみます。
 豊かな感性、シャープな人権感覚をお持ちの先生により指導されることにより、天附小学校の子どもたちは感性豊かな子に育つことでしょう。そして、学校いっぱいに子どもたちの輝く笑顔があり、歓声が響きわたることと思います。
 終わりに桑原 律さんの「ささやかな正義感を」読みます。

   


  ささやかな正義感を        桑原 律

   目の前でケガをして    
   苦しんでいる人がいれば  
   すぐにかけよって
   「だいじょうぶですか」と 声をかけるように
   いじめや差別を受けて   
   苦しんでいる人がいれば  「だいじょうぶですか」と
   声をかける自分でありたい

   目には見えない心の痛み  
   外見ではわからない    
   心の傷の深さ
   自分は知らなかったから  
   何も気づかなかったからと言って
   どうか 通りすぎないでください

   いじめや差別を受けた人たちの  
   その苦しみや悩みを  
   共に分かちあおうとする心
   そういう心を自分も持ちたい

   相手の心に寄り添い  
   共に考え 共に解決しようとする心
   そういう心を自分も持ちたい

   そうした心があれば  
   他の人の心の声が  
   おのずと聞こえてくるのです

   いじめや差別を受けて 
   心を痛めている人がいても 
   気づかないまま通りすぎていく人
   気づいても  
   見て見ぬふりをする人
   そういう人たちが  
   なんと多いことか

   ささやかな正義感でもいい  
   小さな勇気でもいい
   そのとき だれかが   
   「そんないじめはやめようよ」
   「そんなさべつはやめようよ」と
   一言 声をかけてくれたなら  
   苦しみ悩んでいる人の  
   心の痛みはいやされるのです

   そのとき   
   たとえ一人でもいい   
   その場で  
   たった一声でもいい
   声をかけようとする  
   自分でありたい

   一言 声をかけることのできる  
   自分でありたい
      (ヒューマンシンフォニー「光は風の中に」より)