公民館活動と地域教育について |
平成26年1月16日 |
天草郡教育会館 |
ご紹介いただきました中川です。昭和48年から52年まで牛深小学校に勤務していました。赴任の前、校長室にご挨拶に行きました。「今度お世話になります中川です。よろしくお願いします。」と言うと、校長先生は私の顔を見ながら「あよー、あーたはほんなこて中川先生な。わしぁ今度来る2人の先生は名前からして美人の先生バイって言っておったのに。」と言ってとても困った顔をなさいました。もう一人の先生は「○○京子」といって美人の先生でした。校長先生は、私の名前を見て「ゆき」と読まれ、女性と思われたのだと思います。「有紀」と書いて「ありとし」と読みます。よろしくお願いします。
牛深小学校は、当時は児童が1200人ほどいました。子どもの教育を通して地域の方とのふれあいがとてもありました。牛深では秋に漁師さんの祭り、恵比寿祭りがありました。その祭りには子どもが学校に通っていないところからも案内がありおじゃましていました。4月は牛深はいや祭りがあります。子どもの鼓笛隊が参加していました。運動会の午前の最後の種目は全校ダンスで牛深はいやを踊ります。応援席からたくさんの方が飛び入りで一緒に踊っていらっしゃいました。ある年の運動会当日朝から雨が降っていました。決行か中止か迷っている時、校長先生が「漁師の○○さんに今日の天気はどうなるか聞いてきなさい。」とおっしゃいました。聞いてみると、遠方の島を指さしながら「あそこの島の雲のかかり具合がそうないから後で晴れますバイ。」とおっしゃいます。開始時刻を1時間ほど遅らして運動会をしたことがありました。天草は、人情が厚く地域のつながり、そして学校を応援しようとする機運が当時からありました。
本日は、天草郡市の社会教育委員さん、公民館長さん、行政職員の皆さん方と公民館活動について考えることができますこと大変うれしく思います。
公民館活動は言い換えれば地域づくりです。第二次世界大戦に敗れた日本は世界が目を見張るような発展を遂げました。産業経済は国の施策によるところですが、地域づくりは公民館活動を中心に行われました。以前は、公民館長さんは首長さんが兼ねていらっしゃることが多くありました。2年前の東北大震災での支援物資の配給に整然並んで待つ人々の姿を映像で見た世界中の人がびっくりしたでしょう。あの極限の中でよくもあんなに秩序正しく生活できるものだと。これらは日本特有の公民館活動による地域づくりから来るものであると私は思います。震災後、「絆」とか「つながり」の大切さが言われますが公民館活動を中心にこの地域のつながり感を大切にしていきたいと思います。
この公民館活動を生涯学習の観点から見つめ、公民館の現代的役割でありますとか社会教育委員さんへの期待等を話させていただこうと思っています。
早速ですが、生涯学習について見つめてみたいと思います。生涯学習の考えは、1965年(昭和40年)フランスのポール・ラングランが国連で、「変化の激しいこれからの社会で生きていく武器は、生涯学び続ける意欲と方法を身につけることである。」という生涯学習の理念を提唱したことに始まります。その後日本にもこの考えが紹介され、はじめは「生涯教育」と言っていましたが、昭和56年の中央教育審議会が初めて「生涯学習」という言葉を使い、臨時教育審議会で「生涯学習」という言葉が定着しました。当時は、就職する時、何ができるかよりどこの学校を卒業したかが重視され、人々は大学へ大学へと指向しました。臨時教育審議会が、変化への対応、個性の重視、そして生涯学習社会への移行を提唱したのはこのような学歴偏重社会の弊害を是正することもその目的の一つでした。
ヨーロッパから起きた生涯学習の考えですが、生涯学び続けるということは日本ではずっと以前からありました。
皆さんご存じの論語の中に
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。
があります。これはまさに生涯学び続けることを言い表していますね。この言葉から作られた年齢を表す言葉が創られました。
志学 十五歳 「学問に志す」
而立 三十歳 「三十にして立つ」
不惑 四十歳 「四十にして惑わず」
知命 五十歳 「五十にして天命を知る」
耳順 六十歳 「何を聞いてもすなおに受け入れる」
従心 七十歳 「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」
また、昔から日本では、お稽古事や習い事がありました。江戸時代にはたくさんの寺子屋が開設され、子どもたちが読み書きそろばんを習いました。
この生涯学習を提唱した人はたくさんいます。
薩摩藩中興の祖と言われています島津日新斎は、武士の心得を「いろは歌」で表しています。
「古の 道を聞きても唱えても 我が行いに せずばかひなし」
「はかなくも あすの命を頼むかな けふもけふもと 学びをばせで」
島津日新斎のいろは歌は、鹿児島県南さつま市竹田神社に歌碑があります。鹿児島を旅行する機会がありありましたら行ってみませんか。旧加世田市役所ではいろは歌をいただくことができました。
また江戸時代の貝原益軒は、愼思録で
生れて学ばざれば、生れざるに同じ。
学んで知らざれば、学ばざるに同じ。
知って行わざれば、知らざるに同じ。
と述べています。益軒の考えは学びと実践を結びつけています。まさに生涯学習とボランティアが結びあっています。
江戸末期の儒学者佐藤一斎は、言志四録で次のように言っています。
少而学 則壮而有為 (少くして学べば 則ち壮にして為す有り)
壮而学 則老而不衰 (壮にして学べば 則ち老いて衰えず)
老而学 則死而不朽 (老いて学べば 則ち死して朽ちず)
これは、西郷隆盛の座右の銘であったと言われています。また、当時の小泉純一郎総理大臣が教育関連法を説明するとき使われました。資料に拓本を付けていますのでご活用ください。
福沢諭吉は学問のススメであの有名な言葉を残しています。
「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、なおまた進んで学ぶ箇条甚だ多し」
武者小路実篤の言葉も有名です。
「桃栗三年、柿八年、達磨は九年、おれは一生」
昭和46年、社会教育審議会答申「急激な社会の変化に対処する社会教育の在り方について」において生涯教育の観点に立つ教育体系の整備を「今日の激しい変化に対処するためにも、また各人の個性や能力を最大限に啓発するためにも生涯にわたる学習の機会をできるだけ多く提供することが必要」と説いています。
昭和56年の中央教育審議会答申「生涯教育について」では、「生涯学習」という言葉を初めて使いました。
「今日、変化の激しい社会にあって、人々は、自己の充実・啓発や生活の向上のため、適切かつ豊かな学習の機会を求めている。これらの学習は、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり、必要に応じ、自己に適した手段・方法は、これを自ら選んで、生涯を通じて行うものである。この意味では、これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい。」
昭和59〜62年の臨時教育審議会答申では、来るべき社会を生涯学習社会と位置づけ、学習者の視点に立った生涯学習体系への移行を提言しました。
教育基本法第3条(生涯学習の理念)には
国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
と規定しています。
私は平成の初めの頃、熊本県内における生涯学習の普及・啓発を担当していました。そのころ、「生涯学習3つの理解違い」というのがありました。一つは「今さら勉強なんて」というものです。これには考えさせられることがありました。まず第1は、「勉強=苦」という考えです。だから「もう勉強はしたくない」ということにつながりました。第2は、勉強は教科書とノートを持ってするものだとの考えから抜け出せないことです。そこで、「友との会話から学ぶことも生涯学習ですよ。」「どこかの神社仏閣を訪ねてこれまで知らなかったことを知ることも生涯学習ですよ。」と説いていました。当時、文部省が「カラオケも生涯学習」と言ったことから、公民館講座に人々の要求課題が数多く採り入れられ、講座が個人の関心や趣味を学ぶ場となってしまいました。そこで、「地域を忘れた社会教育は裏のお山に捨てましょうか」という戯れ歌ができたことも事実です。とにかく何かを知ることを求めて学ぶことは生涯学習です。2番目は「生涯学習って社会教育を言い換えただけのこと。学校には関係なか。」という考えが学校の先生方にあったことです。平成4年、当時の七城町で生涯学習フェスティバルが行われました。そのとき、七城小学校の先生が発表されたのですが冒頭おっしゃったことが、「明日は町の生涯学習フェスティバルで国語の授業実践の発表をすると言うと、生涯学習って社会教育のことでしょう?何で学校の先生であるあなたが行くの?と同僚から言われました。」と。これは、文部省が社会教育局を生涯学習局と局名を変更したことに倣って県や市町村教育委員会が社会教育課を生涯学習課に換えたことによります。生涯にわたって学ぶ基礎的基本的なことを指導しているのが学校ですから、学校こそ生涯学習を行っている機関なのです。3番目は「生涯学習ってひま人がすること。私ぁ忙しうてそれどころじゃなか。」です。これは主に第一線でばりばり働いている男性に多かった理解違いです。私の従兄弟で車の整備士をしているのがいます。彼が言うには、「新しい車が次から次にできてくる。いろんな車の整備をするには常に車のことを勉強しなければ整備士としてやっていけない。」と言います。プリウスに始まったハイブリッド車、そして電気自動車。過去の経験で得た技術だけでは車の整備はできない時代ですね。まさに自分の職業能力を高めるために学習は欠かせません。忙しい人ほど学ばねばならない時代です。ある大学の先生は、「スリがいかに相手に気付かれないように財布を盗むかを研究・練習するのも生涯学習。しかし、スリの技術を学ぶ講座が公民館でないのはそれは反社会的行為だから。」と言っておられました。
この地域住民の生涯学習の場となるのが公民館です。公民館で学んだことを活かして地域へ恩返しをしたいと思う気持ちが人々の間に芽生えてきました。皆さんは山都町の通潤橋をご存じと思います。あの通潤橋見学に県内の小学校からやってきます。通潤橋は、江戸末期時の総庄屋布田保之助が白糸台地へ水を引くために創った水道管石橋です。このことの説明を教育委員会へ求めていたのです。教育委員会では求めがある度に説明に行っていましたが、それによって本来の業務ができません。だれか説明をするものがいないものかと思っていたのです。一方、町の長寿大学で学ぶ人たちが「自分たちは町の税金で学ばせてもらっている。学んで得た知識や技能を町のために役立てたいものだ」と思っていたのです。この2つの思惑がちょうど合致して「通潤橋案内ボランティア」が生まれました。長寿大学で学んだ60歳、70歳代の方々が通潤橋の案内をしていらっしゃいます。学んだことをもとに案内することが自分自身の生きがいとなっておられます。阪神淡路大震災があった年の秋、通潤橋にやってきた小学生がボランティアの方に質問したそうです。「この通潤橋は、阪神淡路大震災のような地震にも耐えることができますか?」と。ボランティアの方は、これまでに何度も地震があったけどこうして現存しているのだから地震にも耐えられますと答えようと思ったそうです。しかし、勉強をしに来ている小学生にあやふやなことは答えられないと思い直して、「私はそこまで勉強していません。地震とこの通潤橋について調べ直してから学校に返事を書きます。それでいいですか?」と答え、町の文献、熊本県立図書館へ出向いて調べたそうです。江戸末期、矢部地方でも大きな地震が起きていたことが分かりました。そのことを書面に記して回答を送ったそうです。このことから学んで得た成果を活かしたボランティア活動にで新たな学習課題が見つかり、その課題解決のためにまた学習という学びとボランティアがサイクルとして動いていることがおわかりと思います。
今私は益城町公民館でそろばんを指導しています。50代から70代の方が学んでいます。その人たちが益城町放課後子ども教室で子どもたちにそろばんを指導しています。その中で、「6+7をどう教えたらよいか」とか、「114−17はどう教えたらよいか」などを互いに意見交換しながら学んでいます。そしてボランティアをしながら個を高め合い、他とつながり合っています。これが地域づくりにつながると私は思っています。
これまで生涯学習についてみてきましたが、生涯学習の定義は百人百様です。自治体によって微妙に違っています。公民館の役割については後で触れますが、市町の税金で学ぶ場を提供する公民館講座では人々の要求課題ばかりではなく、市町行政の必要課題、例えば、人権問題でありますとか環境問題、福祉問題等を講座の中に入れ込んで欲しいと思います。最近の必要課題の中には学校応援団養成が入ってきたのではないかと思います。
このような市町行政の必要課題を住民に伝え、住民の学習要求課題を行政に伝えるのが社会教育委員の役割の一つだと私は思っています。
皆さん方既にご存じのことですが社会教育委員についての法的規定を見てみます。
社会教育法第15条(社会教育委員の構成)に、
都道府県及び市町村に社会教育委員を置くことができる。
2 学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験者の中から、教育委員会が委嘱する。
とあります。
社会教育法第17条(社会教育委員の職務)には、
社会教育委員は、社会教育に関し教育長を経て教育委員会に助言するため、次の職務を行う。
・ 社会教育に関する諸計画を立案すること。
・ 教育委員会の諮問に応じ意見を述べること。
・ 前項の各職務を行うために必要な研究調査を行うこと。
2 教育委員会の会議に出席して、社会教育委員自らが意見を述べることが出来る。
3 市町村の社会教育委員は、教育委員会から委嘱された青少年教育の特定事項について社会教育関係団体、社会教育指導者に対し助言・指導をすることができる。
とあります。また、公民館運営審議会委員との兼務ができるようになっていますのでほとんどの市町の社会教育委員さんは、公民館運営審議会委員を兼ねておられることと思います。委員さんは社会教育関係団体、つまり老人クラブや婦人会、PTA等に関係のある方、学校の校長先生などであると思います。本日お見えの方はそのような立場のお方だと拝察します。
先ほどから述べていますように、私は社会教育委員は、社会教育行政と住民をつなぐ架け橋だと思っています。具体的に言いますと、社会教育委員は、行政施策の押し売りであり住民の学習要求の御用聞きだということです。そして、社会教育委員は、市町村行政の必要課題を住民の要求課題へとつなげる仕掛け人であるということです。例えば、人権問題や環境問題は行政の必要課題として講演会やセミナーが行われていますが、これを住民の側からの学習要求になるよう仕掛けることです。新しいコミュニティづくりではこの視点が特に求められているように思います。
天草郡内の市町では、社会教育委員会議は年3回程度開催されていると思います。どうですか?
山鹿市では、毎月定期的に集まって青少年教育や家庭教育のあり方等について協議し合っているそうです。そして、建議としてまとめ教育委員会へ提言しているそうです。教育委員会によっては、教育長から諮問があって、それに応える答申をまとめているところもあります。それぞれの立場から我が町の我が市の社会教育行政のありようを見つめ意見具申をして欲しいと思います。それが社会教育の活性化につながります。
次に公民館の役割を見てみます。これも皆さん方ご存じのことですので温め直していただければと思います。
社会教育法第20条(目的)に、
公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
@地域の学習拠点としての機能
ア 多様な学習機会の提供
イ 自発的な学習活動の支援
ウ 学習成果活用の場の配慮
エ 学習情報の提供
オ 相談機能の充実
A地域の家庭教育支援拠点としての機能
B地域づくり(ボランティア活動・体験活動等を含む)の推進
ア 地域活動の拠点としての役割
イ 生涯学習関連施設等との連携
C学校、家庭、及び地域社会との連携の推進
とあります。
冒頭述べました日本社会の秩序は、公民館活動を中心に守り育てられたものです。
学習機会については、生涯学習のところで述べましたので現代的公民館の課題について少し触れたいと思います。少子高齢化が指摘されて久しいのですが、学校では児童数減による学校の統廃合問題、いじめ不登校問題、家庭教育にあっては核家族化による育児不安、子育てと労働の両立問題等新たな課題が山積しています。このような状況であるから本日の研修会前半では、親の学びプログラムを実施されたものだと思います。子育てについて一人で悩まないでいろんな場でいろんな人に相談できる体制の整備、そして、子育てついてアドバイスできる人材を養成することが求められています。その一環としての親の学びプログラムの体験だったと思います。
先の東北大震災後、防災・減災に関する取組が新たな教育課題となりました。これこそ、地域が連携して取り組まねばならない課題です。
また、文科省は土曜日の学校教育を容認するような方向のようですが、土曜日の午前中は公民館でドリル学習を中心に学習活動を行い、午後は、年齢の異なる子ども同士で遊んだり地域探検をするような活動を計画されたらいかがでしょうか?「地域の子は地域で育てる」「地域の絆づくり」が子ども支援を通して新しいコミュティづくりへとつながりはしないでしょうかか。宇土市の走潟小学校では、校区公民館関係者のみで通学合宿をして大きな成果を上げています。
「地域の宝である地域の子は地域で育てる」と言いましたが、
教育基本法第13条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)に
学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。
とあります。このことから、学校では、地域の力をお借りした学校教育が展開されています。
平成19年度から放課後子ども教室、平成20年度から学校支援地域本部事業が始められました。ここ天草郡市でも数多くの学校でこの事業が展開されていることと思います。このような事業でなくとも、学校独自で地域の力をお借りした学校教育が展開されていることと思います。学校支援本部事業は、学校・家庭・地域が一体となって子どもを育てる体制の一つです。これは次のような目的から行われています。@教員や地域の大人が子どもと向き合う時間が増える。A学校や地域の教育活動のさらなる充実が図られる。B住民が自らの学習成果を生かす場が広がる。C地域の教育力が向上する。
大阪大学の志水先生は、子ども達の学力を下支えしている力をスクールバスモデルと表現しておられます。それは、右前輪が学習指導、左前輪が生活指導、右後輪が家庭の教育力と家庭の支援、左後輪が地域の教育力と支援だと。子ども達の学力向上には、家庭の学校への支援と地域の支援はなくてはならないものだとおっしゃっているのです。以前から言われています「学校・家庭・地域の連携」をより具体的に言い表しておられます。
先ほど申しましたが私は、益城町公民館講座で月に2回そろばんの学習指導をしています。若い頃、そろばんをしていた方、初めてそろばんに向き合う方、それぞれです。自分のレベルに応じた学習をしています。講座生の方は、講座での学習ばかりではなく、毎日時間を見つけてそろばん学習に励んでいます。「そろばんの練習をすると上着1枚脱ぎます。」とか「寝る前に割り算の練習をすると頭がさえて眠れません。」とか「寝る前は見取り算の練習がいいです。頭が適当に疲れてよく眠れます。」などの声がよく聞こえてきます。そして毎回、講座が始まる前に「公民館講座そろばん教室 合い言葉」を全員で唱和します。
公民館講座そろばん教室 合い言葉 そろばんで一日一回頭の体操 子どもとともにがんばろう 他の人と比較はせずに マイペース 上級目指してがんばろう 我心は丸く 気は長く 腹を立てずに がんばろう 生涯現役 今日も元気にがんばろう 努力は必ず報われる |
合い言葉の中に「子どもとともにがんばろう」の文言がありますように、講座生は、町内2校の放課後子ども教室でのボランティア指導員、そして3年生4年生の算数の学習でのそろばん学習のお手伝いを務めています。子ども教室では、2年生から6年生までの子がそれぞれの学校で30人程度学んでいます。ボランティア指導員は、6〜8人程度でグループを作り指導に当たっています。指導の気づきをメモしながら互いにどう言葉かけをすれば子どもがやる気を起こすか、5球が降りているときの足し算の方法をどう教えるかなど話し合い、毎回笑顔で指導に当たっています。ボランティア指導員は、できなかった子どもができるようになる姿、わからなかったことがわかってきた子どもの姿を見て自分も社会に貢献できていることを実感しています。それが喜び、生き甲斐となっています。そして、周りの人にこのことを話しています。これが子どもを介した新たな地域づくりにつながります。
私は学校応援団の組織化は地域づくりにつながると思っています。
「子どもは、家庭で育ち、学校で学び、地域で伸びる」という言葉がありますが、子どもたちは、学校支援ボランティアの方を人としての理想像ととらえています。先ほど言いましたように、学校支援によって、人が生き生きと生活することは一人一人が高まり地域が活性化することです。地域が活性化するとは、住民がここに生まれて良かったというここで生活できる喜びを実感していることです。これを子どもも実感します。これがこれからのまちづくりであると思います。これからのまちづくり、地域づくりの主役は住民一人一人です。学校支援の輪がもっともっと広まることを期待します。
おわりに昔話「桃太郎の鬼ヶ島の鬼退治」の話をして終わります。
皆さんご存じのように、桃太郎が鬼ヶ島の鬼退治に行くとき、キジ、サル、イヌが家来として随行します。キジは空高く舞い上がって鬼ヶ島の情報を収集します。キジが収集した情報をサルが知恵を働かせて分析し、戦略・戦術を練り上げます。サルが練り上げた戦略・戦術に基づいてイヌが鬼と戦い実践行動して見事鬼ヶ島の鬼退治をします。
私たちは、このキジの情報収集能力、サルの分析能力、イヌの実践力を常に身につけておきたいと思います。
この3つの力を身につけ住民の要求課題と行政の必要課題を結びつけた公民館活動を展開し、活力あるまちづくりが行われますことを期待しまして話を終わります。
ご静聴ありがとうございました。