熊本地震から考える 震災と人権

平成29年10月3日
八代市ハーモニーホール


 皆さん こんばんは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 私はここ八代ハーモニーホールに5時半頃着きました。夕ご飯を食べようと、駐車場におられた方に「近くに食堂はありませんか?」と尋ねると、食堂の場所と道順を丁寧に教えていただきました。丁寧な対応に心が温かくなりました。
 食事を終えて、ここに帰ってきますと、あかね色に染まった夕焼けがとてもきれいでした。海のそばで、空気が澄んでいるからこんなにきれいなのでしょうね。こんなきれいな夕焼けをいつもご覧になっている皆さんをうらやましく思います。
 私が御船町の七滝小学校に勤めていますとき、部活動を終えた子供たちが校長室に来て、「校長先生、夕日を見に行きましょう。とてもきれいですよ。」と誘いに来ていました。七滝小学校の西側は、竹林に囲まれています。竹林の合間から見える夕焼けは、それはきれいです。「うわぁーきれいか!」と言うと、子供たちは「ね、きれいでしょう。七滝小学校の夕焼けは日本一です。」と言います。人は、美しいものを見て、「うわぁーきれいか」と感動することにより感性が豊かになります。さらに感動を周りと共有すると、増幅されます。花火大会で、大空を彩る花火に、「うわぁー音の太か!」「うわぁーきれいか!」と周りの人とその感動を共有します。
 本日は、お孫さんやお子さんをお持ちの方がたくさんいらっしゃるようです。子供たちに、「うわぁーきれいか」の感動をたくさん経験させてください。この感動が、喜びや悲しみを心から受け止める感性を育てます。この感性が豊かな人権感覚を育てます。
 ところで、7月上旬の九州北部豪雨では、福岡県朝倉市、東峰村、大分県日田市では甚大な被害を受けました。9月は、熊本直撃かと思われました台風18号は、予報より南を北上しましたので熊本地方では大きな被害はなかったようでしたが、鹿児島に上陸し、宮崎、大分を通過して日本を縦断するように進みました。各地で大きな被害が出ました。特に、大分県津久見市では、大雨による被害がひどかったようです。濁流が市庁舎に流れ込んでいる様子がテレビで報道されていました。職員の方は、「庁舎ができて初めてのこと」と言っていました。ここ数年、日本各地で雨や風による大きな災害が発生していますが、どこででも「初めての経験」と言う声が聞かれます。大きな災害がどこで起きてもおかしくないような状況になってきたように思います。
 熊本県も、昨年4月、大地震に見舞われました。
 4月14日午後9時36分、私はちょうど風呂に入っていました。突然、風呂桶が重機か何かでガタガタと揺さぶられるような感じがしました。風呂の湯がバチャバチャと暴れ出し、湯船からこぼれ出ました。一瞬、何が起きたか分かりませんでした。「地震だ!」と気づき、裸のまま風呂から飛び出し、「良子大丈夫か!」と大声で居間にいる妻を呼びました。妻も、ドーンという音、下から突き上げる揺れ、そして、居間に掛けている数十枚の絵馬がガチャガチャ音を立てて揺れ出し、「何が起こったか!」と思ったと言います。激しい揺れにもかかわらず、幸い、我が家は無事でした。その後は、30分間隔ぐらいで震度5弱から6強の揺れが間断なく続きます。揺れる度に身構え、家が倒壊しないだろうかという恐怖でいっぱいでした。その夜は、外にいつでも飛び出せるようにと居間の炬燵の中で寝ました。明くる朝、2階の寝室に行きますと、書斎と寝室を仕切っている作り付けの本棚が70cmほど横に動いていました。それを見て大きかった揺れを思いだし、さらに恐怖を感じました。長男が来て、「ここに寝るのは危なか。隣の部屋に寝た方がいい。」と言います。一時は、私たち夫婦もそうしようと思いましたが、2階より1階が安全だろうと1階の座敷に寝ました。1階に寝て正解でした。16日1時25分、震度7の本震に見舞われました。近くに住む弟が、「兄ちゃん、大丈夫か!家の中は危なか!病院の駐車場を開けてもらった。そこで車の中で寝よう!」と言います。その晩は、車中泊でした。車中泊は、その後も1週間ほど続けました。明くる朝、2階に上がってびっくりしました。妻が嫁入りの時持参した和箪笥の上段は、下段に乗ったままの状態で2mほど離れた床に落ちていました。下段は、横に倒れていました。この部屋に寝ていたら、今、ここにはいません。おそらくタンスに押しつぶされて圧死していたでしょう。隣の部屋も本棚が倒れ、書籍が散乱し、内壁がはがれ、整理ダンスも倒れていました。幸いにも我が家は、外壁に亀裂が入ったり、内壁が一部損傷しただけで、後日の被害状況調査では、一部損壊で済みました。ブロック塀は一部倒壊しました。
 沼山津の実家が心配になり、沼山津へ行くと、道路はいたるところで亀裂が走り、路面は隆起したり、陥没したりしています。水道管が破裂して水が噴き出しています。倒壊した家屋が道路をふさぎ、車で行くことができませんでした。歩いて実家まで行くと、実家は傾いていました。老齢の母は、余震の続く中、甥が必死で助け出したと言いいます、家族全員が無事で安堵しました。益城町の役場へ行くと、事務室の風景が一変していました。スチール製の机が、せりあがり、重なり合っています。ちょうど、真冬、諏訪湖の湖面が凍り、鬼渡りという光景を見るでしょう。あのような光景でした。4月14日から16日までの3日間で震度5強以上の揺れが10回も襲いました。車中泊中もラジオからは、緊急地震速報が流れます。気象庁の予報は、「今後1週間程度は、同程度の揺れが発生する危険性があるので厳重な警戒が必要です。」が連日繰り替えされました。この地震は収まるのだろうかと不安でいっぱいでした。
 揺れがどのくらいかを伝えるのは難しいのですが、4月14日の前震が起きたとき、知人は、郵便を出しに近くの郵便ポストまで歩いていたそうです。道路を横断するために、立ち止まって車の流れが途切れるのを待っていた時、後ろから足払いを受け、押されたような感じで道路に倒れたと言います。下から突き上げるような揺れが足払いを受けたように感じたのでしょう。上益城教育事務所では数名の指導主事の先生方が仕事をしていたそうです。突然の揺れに思わず机の下に潜り込んだと言います。しかし、潜り込んだ机が動き出すので机の脚を必死につかんでいたと言います。机が動き出したと聞いて驚きました。益城町の文化会館の3mほどの高さの法面が崩れて道路を塞いでいました。法面の崩壊は何カ所もありました。倒壊した家屋が往路を塞いでいるところも何カ所もありました。益城町の飯野小学校では、グランドピアノがひっくり返っていました。縦長のアップライトピアノなら分かりますが、3本足で安定しているピアノがですよ。また、益城町役場の駐車場に避難している人の話によると、本震では、3階建ての役場庁舎が浮き上がったと言います。沼山津の幼なじみは、「車中泊しているワゴン車が倒れはしないかと思った」と言います。川に架かっている橋という橋が道路と50cmから1mほど段差ができていました。田んぼの麦畑の畝が1mほど横にずれているところがありました。
 今、益城町教育委員会事務局がある「ミナテラス」のホワイエに、4月16日の本震の時、もっとも揺れがひどかった宮園地区の「宮園における水平地動変位」というものが展示してあります。それによりますと、わずか3秒間で、東へ10cm、南へ10cm、西へ15cm、北東へ40cm、西へ65cm、さらに北東へ140cm、そして、四方へ50cmほど揺れ動いています。この図を見るとどれだけ揺れがひどかったが分かります。このような壊滅的な被害の状況を前に、益城町の人々は、この先どうして過ごせばよかろうかと絶望感でいっぱいでした。地震後、避難所や車中、テント生活を続けているところに、全国から災害ボランティアの人が復旧を手伝いに続々とやって来ました。支援物資が届き始めました。だれ言うとなく「地震に負けておらるっか!」と前を向いて生活するようになりました。避難所生活をして感じたことを益城中央小学校の6年生が次のように綴っています。


                            熊本地震を振り返る

 昨年の4月14日と16日に熊本地震があり、ぼくの住んでいた家が壊れてしまいました。ぼくの家族は、2週間ほど車中泊をして、1ヶ月半ほどテント生活、2ヶ月半ほど益城町総合体育館で避難生活をしました。車中泊では、食べるものが無く、炊き出しのおにぎりをもらうのに2時間以上並んだりしました。テント生活では、電気のない生活がとても不便でした。避難所では、毎日冷たいご飯で、温かいご飯が食べたいなと思っていました。それから、仮設住宅に移って温かいご飯が食べられるようになってうれしかったです。仮設住宅に入ってからもいろいろな方から支援してもらいました。これからは、ぼくたちが復興に向けてがんばろうという気持ちになりました。
 ぼくの将来の夢は、薬剤師になることです。なぜかというと、地震後、約4ヶ月の避難生活の間に、何度も熱を出してしまい、そのたびに、救護班の薬剤師の人たちが来てくださいました。そのとき、やさしく接してくれました。この姿を見て、ぼくも将来、やさしく接することのできる薬剤師になりたいと思いました。そのことを家族に話したら「勉強をがんばらんといけんね」と言われました。だから、ぼくは、勉強をがんばって薬剤師になろうと思いました。
 地震後、いろいろな人に支援してもらいました。その方々に、とても感謝しています。もし、次に他の場所で地震や災害があったら自分たちにできることを考えて支援していきたいです。

この間、流言飛語が飛び交いました。一番ひどかったのは、「動物園からライオンが逃げた」がインターネット上に流れたことでした。しかもライオンが路上にいる写真付きです。
 昨年7月21日の熊日新聞記事を読んでみます。


                             「ライオン逃げた」デマ投稿か

 熊本東署と県警サイバー犯罪対策課などは20日、熊本地震の前進直後に熊本市動物園からライオンが逃げたというデマを単文投稿サイト「ツイッター」に投稿したとして、偽計業務妨害の疑いで、神奈川県、会社員佐藤一輝容疑者(20)を逮捕した。災害時にインターネット上にデマを書き込んだとして逮捕されるのは、全国初。
 逮捕容疑は4月14日午後9時52分、自宅でツイッターに「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが熊本」という文章と路上に立っているライオンの画像を投稿し、同園の業務を妨害した疑い。
 県警によると、投稿は1時間で2万件以上リツイート(転載)されて広がり、同園には市民から100件以上の問い合わせの電話が相次いだ。佐藤容疑者は、「みんなを驚かせようと悪ふざけでやった」と供述しているという。画像はスマートフォンでネットから探し出し、ダウンロードしたらしい。
 岡崎伸一園長は「情報が混乱している中で、ありもしない情報を発信するのは極めて遺憾。多くの方々が心配されたはずで、今後このような虚偽の情報発信がないように願っている」とのコメントを出した。
 熊本地震では、「大型ショッピングセンターで火災」など、様々な悪質なデマが流布した。

 車中泊している時、弟が私に「まーだ太か地震の来るって、息子が熊日から聞いてきた。」と言います。「そぎゃんこつは、他人には言うなよ!人ば不安にさせる。」とたしなめました。人が流言飛語を流すとき、少しでも信憑性があるように、その根拠を示します。「熊日が」とか、「おみくじに書いてあった」とか「○○さんが言いよる」など。
 このような流言飛語に惑わされないことです。大災害時こそ、どの情報が正しい情報かを判断し、自分に必要な情報を選択し、判断し、行動する情報選択力が必要になります。この情報選択力を日頃から身につけておくことが大切だと強く思いました。そのためには、日頃から、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動する力を身につけておくべきだと思います。地震情報に関する正しい情報は、日本気象協会が発する地震情報のみです。
 しかし、次のような読み方によっては善意とも受け取れる情報は、かなりの人が本当と思ってしまいます。


 明後日4月20日西原小学校にて朝11時より肉100キロ焼きます。料金無料。良質のタンパク質を子供達に届けたいとの思いがあり、鹿児島の肉屋さんと、造り酒屋さんの協力のもと炭火焼BBQをいたします。子供、お年寄り優先だとお考えください。何も持ってこなくて大丈夫です。すべてこちらで用意します。
 また、肉とキャベツしか用意していませんので、果物とかご協力いただけると助かります。
 震災の中、少しでも子供達の笑顔が見られるといいと考えています。拡散お願いいたします。
 小学校の住所です。熊本市東区新南部3丁目4番60号
 以上です。拡散お願いします。

これに対して、西原小学校がこれを否定する注意喚起を行いました。


                                  【注意】SNSの情報にご注意を!
                                                                                                      2016/4/19(金)

 昨夜からSNS等で「4月20日西原小学校にて朝11時より肉100キロ焼きます」という内容の投稿が拡散されていますがそのような事実は一切ございません。またその件についてのお問い合わせが昨夜から多数あっており、学校・避難所としての本来の業務に支障を来しています。もしもご友人間等でこの件が話題になりましたら「事実ではない」ということをお伝えいただきますようお願いいたします。

 単なる悪ふざけの気持ちでこのような偽の情報を流したら、それによって社会が大混乱することがあります。恐怖がさらに膨らむことがあります。そこの本来の業務ができなくなることがあります。非常時だからこそ、悪ふざけなどしてはいけないことです。熊本地震では、単なる流言飛語で終わりましたが、東日本大震災では、福島県にある原子力発電所の放射能漏れによる避難先で、「放射能、うつる!」といじめを受けたり、保育園の入園を断られたり、農産物の不買が起きたりしたことは記憶に新しいところです。大正時代の関東大震災では、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマで、日本人によって朝鮮人の命が奪われるという事件まで起きています。
 流言飛語とは、根拠のない情報のことです。根拠がないのに言いふらされる風評のことです。うわさです。うわさが恐ろしいところは、その人にとって、事実を確認するまでは真実であると言うことです。そして、事実を確認する前にいろんな形で拡散し、デマが真実として広がるからから恐ろしいのです。
 「同和地区の人はおそろしか」と聞いたことがあります。「何か怖いめにあわれたのですか?」と聞くと、「自分は怖いめにはあってはいないが、だっでんそぎゃん言う。」と言います。「私は一つも怖いめにあったことはありません。どなたから聞かれたのですか?」と聞いても、「誰でも言いいよる」です。何の根拠もない同和地区の人に対する風評が同和地区の人に対する予断と偏見を生み、同和地区の人に対する差別意識が心の中に刻まれてきたのです。
 水俣病問題もそうです。昭和30年代、水俣病の原因が分からない頃、人々は、遺伝だとか、恐ろしい病気だと思っていました。それが窒素水俣工場の廃液に含まれる有機水銀を大量に摂取した魚を食べた人に発症する公害病と認定されたにも関わらず、今でも「うつる病気」と思っている人がいます。数年前、中学生のサッカーの練習試合中に、ボールを奪おうとせめぎあっている時、ベンチから「水俣病 うつる 触るな!」の声が飛んだことがありました。
 ハンセン病も間違った風評が広がって、ハンセン病に対する理解違いが生じたのです。現代の衛生状態や栄養状態から考えると、ハンセン病の感染率はきわめて低いと言うことが分かっていたのですが、ハンセン病を発病した人は、療養所に隔離されました。
 皆さんは「黒髪小学校事件」というのをご存じでしょうか。ハンセン病療養所菊池惠楓園に入所している人を親に持つ子供たちが、「龍田寮」というところで生活していました。その子供たちが黒髪小学校に入学するというので、一部の保護者が入学拒否闘争を起こしたのです。「ハンセン病患者を親に持つ子供たちと我が子を隣同士の席にするとハンセン病がうつる。我が子はそんな目に遭わせたくない」という理由からです。ハンセン病を発病させる「らい菌」は、感染力が弱く感染しにくいということを理解せずに、「ハンセン病はうつる病気」「ハンセン病は怖い病気」と理解違いして、この事件が起きたのです。また、黒川温泉でもハンセン病回復者の方への宿泊拒否という差別事件がおきました。
 これらに共通することは、「真実は何か」を知ろうとしないで、人づてに伝わってきた風評をそのまま信じて、自分の行動へと結びついていることです。
 私たちは風評を聞いたとき、本当にそうなのかと問い直し、そのことについて正しく学び、正しく理解することが大切だと思います。
 本日は、時間がなく、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題に触れることはできませんが、真実を知らない人が身近な人から間違った情報を得て、それによってマイナスイメージが増幅し、偏見が生まれ、差別が起きることをご理解いただきたいと思います。ですから私たちは、何が真実かを正しく勉強し、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することが大切なのです。
 熊本地震での流言飛語は、乱れ飛ぶたくさんの情報から何が真実か、自分にとって何が必要かを判断する力を身につけていくことの大切さを教訓として私たちに教えてくれました。
 熊本地震の避難所での生活に見られたことのいくつかをご紹介します。
 各地の避難所では、「お年寄りや身体が不自由な人をみんなで支えましょう。」を合い言葉に「共助」、「互助」の精神でみんなで力を合わせて生活されました。その例として、「みんなが安心して過ごせるようルールを作りましょう。」とか、「男性は外のトイレを、子供と女性は室内トイレを使いましょう。」などがあります。現在は、ほとんどが水洗トイレです。断水で水が出ません。このことで、阪神淡路大震災の時は、トイレの衛生状態が非常に悪化したと聞いています。トイレに行くときは、バケツで水を持って行かねばなりません。トイレへ行くたびに水を汲むのでは、なかなかトイレに行けません。ですから、トイレの近くには、プールから水を汲んできたバケツが並べてありました。水汲みもみんなが力を合わせていました。これらは、「相手を思いやる心」、「気遣い」、「つながり感」、地域の人同士の「絆」の表れです。 
 益城町の広安小学校体育館で避難生活をしていた放課後子供教室ボランティアの人から聞いた話です。
 「家は全壊で、広安小学校に避難していたもののこれからの生活を思うと不安で不安で仕方ありませんでした。そんなとき、『そろばんの先生、大丈夫でしたか』と子供教室で学んでいる子供から声をかけられました。この一声で前を向いて生きていこうとの気持ちが沸きました。」子供たちと指導者がつながっていることを実感しました。
 「ハッピー バースデイ ツー ユー」の誕生日を祝った逸話は、宇土東小学校でできごとです。宇土東小学校の避難所で、一人の高齢の方と小学校低学年の兄弟の出会いです。高齢の方が「明日は、私の誕生日」とおっしゃったそうです。それを聞いて、兄弟は「ハッピー バースデイ ツー ユー」と歌い始めたというのです。「今日ではないのよ。明日よ」と言っても歌を止めなかったので、うれしくて涙が止まらなかったそうです。あまりのうれしさに名前を聞くことも忘れ、避難所生活も終わり、我が家に帰ってから、お礼を言いたいと学校出向き、先生方に「誕生日を祝って歌を歌ってくれた子供さんを探してください」と頼まれたそうです。学校でも子供たちに聞いたそうですが、「ぼくです」と手を挙げる子はいなかったそうです。それが、今年の5月に行われた運動会の場で、「どうしてもお礼が言いたいので、探してください」と再度言われたそうです。先生方が子供たちに尋ねると、ようやく3年生の子が「ぼくです」と手を挙げたそうです。高齢の方は、その子供に何度もお礼を言われたと聞きました。地震直後の混乱した状態の中で、誕生日を祝ってくれた子供の歌で、前を向いて生きる気持ちが湧いて来ましたという高齢の方の気持ちが痛いほど分かります。顔見知りでもないのに避難所で一緒に暮らした人の誕生日を祝う子供の優しさに胸打たれました。
 益城町の飯野小学校での話です。学校の避難所は、体育館ばかりでなく、教室も避難所として使っていました。5月、学校再開が明日に迫った日、校長先生は、「皆さんがここ(教室)にいらっしゃっても子供たちは勉強できます。どうぞそのまま使ってください。」とおっしゃったそうですが、避難している人は、「明日から勉強が始まるそうですね。教室は子供たちが勉強するところです。子供たちに迷惑はかけられません。教室から出て行きます。」と言い、「子供たちが気持ちよく勉強できるようにみんなで掃除して返しましょう」とみんなできれいに掃除して出られたそうです。この飯野小学校では、運動場に仮設住宅が建っています。現在は、仮設住宅入居者の方との交流を続けています。今学校は、「地域とともにある学校づくり」を進めています。学校は地域の人への「感謝」、地域は学校への「感謝」の現れだと思います。
 「ソーシャル・キャピタル」という言葉があります。日本語では、「信頼」とか「お互い様」とか「絆」というそうです。このソーシャルキャピタルの意識が高い所は、地域の絆が強いそうです。助け合いが自然とできているそうです。学校では、学力が高い傾向にあるそうです。いじめや不登校も少ないそうです。これからの地域づくりのキーワードはこの「ソーシャルキャピタル」ではないでしょうか。
 大地震や集中豪雨での災害は、日常の生活を一瞬にして壊してしまいます。人々の心は平常ではありません。みんなのことを気遣わなければならないのは分かっていてもどうしても自分本位に考えがちです。避難所では、口に出せないような暴言もあったと聞いています。だからこそ密接な関係にある、「災害」と「人権」について、日頃から学んでいくことは大切だと思います。ある研究機関が、「地震など災害が起きた場合に、どのような人権問題が起きると思いますか」を調査しました。その主な回答は、
  ・避難生活でプライバシーが守られないこと
  ・要支援者(障害者・高齢者・乳幼児・妊産婦等)に対して、十分な配慮が行き届かないこと
  ・避難生活の長期化によるストレスに伴う嫌がらせやいさかいが生じること
  ・デマ・風評などによる差別的な言動が起きること
  ・支援や被災状況などの必要な情報が行き届かないこと
  ・女性や子育て家庭への十分な配慮が行き届かないこと
などでした。
 避難所では、老若男女たくさんの人が同一場所で生活します。プライバシーを守ることは、最大の課題の一つです。ですから、みんなで最低限のルールを作り、プライバシーの保護を心がけています。益城町では、段ボールで創った間仕切りに布をかけて、ちょうど病室がカーテンで囲まれているような感じにして、中が見えなくなる工夫をしてプライバシーの保護に気を配っていました。
 乳児の夜泣き等で、迷惑をかけるから避難所には行けないという人もいたと聞きました。「障害を持つ子供が大勢の人の中では、平静を保てずパニックを起こし、大声を出したり動き回ったりするので車中泊をしています」との声を聞いたこともありました。高齢者の人の中には、避難所内の移動に不便を感じる人も少なくありません。トイレに行く時、迷惑をかけるからと水分補給をひかえる人もいました。また、イヌやネコなどのペットを飼っている人も避難所では迷惑をかけるというので、車中泊をする人も多くいました。私が車中泊をしている間、隣で車中泊をしている人の中にもイヌと一緒の人も何組かいました。それぞれが相手の立場に立った配慮が必要です。
 災害時は、人々の精神状態は平常ではありません。普段なら腹もたたないことでイライラすることがあります。避難所によっては、情報伝達が遅いとか救援物資の配布が遅いなどで、イライラが募って、ここでは口にできないような暴言があった避難所もあったとも聞いています。精神状態が平常ではない災害時に心の冷静さをいかに保つか、自己中心ではなく全体のことを考えて行動するなどを日頃から身につけておくことが大切だと思います。益城町の避難所では、みんなでラジオ体操をしたり、歌を歌ったりして心と体をリラックスする姿がありました。
 デマとか風評は冒頭述べたとおりです。情報提供や女性や子育て家庭への配慮は後ほど述べます。 人権尊重の最大の課題は「命を守る」ことです。命を守るには、生死を分けるタイムリミットとされる「72時間の壁」があります。熊本地震でも、余震が続き危険が伴う中で、消防団の人たちが家の中に閉じ込められた人を助けたり、赤ちゃんを救出したりしました。
 平成7年1月に起きた阪神淡路大震災では、淡路島にある北淡町(現在の町名は淡路市)では、消防団の人たちが生き埋めになった人を自主的に救出し始め、警察や広域消防と協力して地震発生後、11時間あまりで300名もの生き埋めになった方たちを救出することができたそうです。それは、日頃から地域のつながりが深く、「○○さんの寝室はここだ」と近所の人が知っていて、倒壊している家屋の寝室付近を中心に救出活動をしたから短時間で救出できたと言うことでした。
 食料や水の備蓄は日頃から心がけておきたいものです。私は、水をよく飲みます。たまたま、熊本地震時は、飲料水を4箱確保していましたので、周りの人に分けてやりました。また、日頃から有事の時の避難場所や避難経路の確認、安全な生活の場は確保しておくことが大切だと思います。予断ですが、車のガソリンもたまたま前の日に満タン給油していました。車中泊時、冷え込んだときも安心してエンジンをかけ、暖房することができました。携帯の充電もいつも心がけています。
 災害は多くの命を危険にさらし、人々の暮らしのすべてを奪い、苦しみを強います。災害と人権侵害とは切り離せない関係にあります。だからこそ、こうして人権問題を日頃から考え、尋常でない時にいかに互いの人権を守るかを考えることが大切だと思います。
 災害弱者と言われる人たちの、避難所生活での「困りごと」をまとめてみました。
 まず、高齢者の人たちの困りごとです。
 大勢が密集して暮らしていますので通路は狭くなりがちです。段差もあります。それで、トイレに用を足しに行きづらく、つい我慢してしまいがちです。なるべくトイレに行かなくて済むように食事や水分を控えて、脱水症状や便秘など体調不良を起こしやすいと聞いています。私も膝が悪く、高い段差の上り下りは苦手です。また、躓いて転びやすいです。高齢の人への配慮が必要です。
 次は、障がい者の人たちの困りごとです。
 目が不自由な人がいます。車いすの人もいます。耳の聞こえが良くない人もいます。段差を一人で上がれない人がいます。一人ではトイレが使えない人がいます。洋式トイレしか使えない人がいます。一人での移動が困難な人もいます。いろいろな情報伝達が放送だけでは気がつかない人がいます。あるいは、聞き取れない、理解できない人がいます。外国旅行された方もいらっしゃると思いますが、外国旅行の時、機内放送が英語などの外国語だけだったりするときは、外国語を聞き取れない人には、何のことかさっぱり分からないでしょう。私の妻は少しだけ中国語が話せます。それで、二人だけでよく中国の新疆ウイグル自治区を旅しました。機内放送はすべて中国語です。私は、放送があっていることは分かりますが、内容はさっぱり分かりません。「ただいま、○○の上空を通過しています」とか「到着時刻が予定より○○分遅れます」とかの放送は、妻の通訳でしか理解できません。一つの伝達手段ばかりではなく、他の手段も使うことはとても大事なことです。また、知的障がいや自閉症の人は、集団生活のなかでは大声を発したり動き回ることも多いと聞きます。乳幼児がいる家族は、夜泣きなどのために避難所に居づらくなる場合があります。このようなことへの配慮が大事です。
 女性や子どもの困りごとです。
 性被害を受けることがあります。熊本地震の避難所でも、若者が子供にいかがわしい画像を見せていたという新聞記事がありました。
 避難所や仮設住宅では、プライバシーなど個人の尊厳や幸福追求権の保障が大切です。
 災害時の人権をみんなで守るためには、「共に助け合う」地域づくりが最も大切だと思います。
 外国の人が、日本での大災害の様子をテレビ等のニュースを見て驚くことは、非常時であるにも関わらず、暴動が起きないこと、ましてや略奪などが一つも起きないことだそうです。阪神淡路大震災時も東日本大震災時でも、熊本地震でも、暴動や略奪が起きるどころか支援物資を整然と並んで受け取っている光景、中には、弱者と言われる人に順番を譲っている光景がテレビ等のニュースで流されました。大災害時だからこそ、地域みんなで力を合わせて助け合う、これが日本人のすばらしいところです。これを私は「共助の精神」の表れだと思っています。この共助、あるいは互助の精神は公民館活動から生まれたものと私は思っています。これから先、大切なことは、地域住民一人一人のつながりを大切にした地域づくりだと思います。この地域づくりの根底に座っていなければならないものは、「思いやり」とか「助け合い」、「信頼」などの人権尊重の精神です。
 冒頭述べました、九州北部豪雨で甚大な被害を受けた大分県日田市花月川流域の自治会の取組を紹介します。
 ここは、平成24年にも豪雨で大きな被害を受けています。その時の教訓から次のようなマニュアルを自治会で作ったといいます。
  ・行政だけの情報に頼らず、自分たちが危険度を判断し、住民に避難を指示する。
  ・行政の情報だけに頼ることなく、自治会が独自に危険を判断することを盛り込む。
  ・緊急時に確実に集まることができる要員を洗い出す。
  ・支援が必要な住民の避難を誰が担当するのかを明確にする。
  ・住民の間でマニュアルへの理解の共有が進むよう、避難訓練を繰り返し実施する。
 このマニュアルに沿って、避難訓練を実施してきたそうです。それによって、7月の豪雨では、一人の犠牲者も出さずに、自治会の人全員が避難できたと言います。高齢の方が、「うちの地区はみんながしっかりしているから、みんなの言うとおりにしておけば大丈夫」と言っておられました。自治会役員の人たちを信頼している言葉です。
 避難訓練では、熊本市の一人の校長先生から次のような言葉を聞いたことがあります。
 「これまで、学期に一度は避難訓練を実施してきた。しかし、熊本地震ではそれが生きて働かなかった。2度の地震が夜だったから子供の犠牲者は出なかったが、昼だったらと思うとぞっとする。これからは、最悪の事態を想定して、被害は最小にする避難訓練をしなければならない。」
 私もそう思います。有事に生きて働く避難訓練をしなければ意味がありません。有事に生きて働くとは、行動面と心理面です。心理面については、これまで述べてきた人権尊重の精神です。
 災害時は自分のことで精一杯です。他の人のことまで考えが及びません。日頃から「恕」の心を持ちたいと思います。「恕」とは、論語に出てくる言葉です。「論語」とは、孔子が弟子たちに教え諭したことを弟子たちがまとめたものです。


  論語 衛靈公第十五 412

    子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
    子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。

          恕:相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること
 
 子貢とは、孔子の一番弟子です。その子貢が孔子に尋ねました。
 「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。あったら教えてください。」
 孔子が答えました。
「その言葉は恕だ。」と教えましたが、子貢には、よく分からなかったようなので付け加えて「自分の望まないことは人にしないことだ。」と諭したと言われています。
 「恕」とは、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになることだと訳されています。
 私はこの「恕」の精神が人権尊重の精神だと思います。
 ・声をかけ合い、力を寄せ合い、人を気づかい、助け合う“地域の絆”をつくりましょう。
 ・日頃から他を思いやる心を持ち続けましょう。
 ・非常時に生きてはたらく力を身につける防災訓練は、人権尊重の視点から実施しましょう。
 ジョン・F・ケネディの言葉を紹介して、終わります。
 「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」
 人権文化の花咲く地域づくりのために、自分には何ができるかを日頃から考え、八代市が人権文化の花咲くまちとなりますことを祈念して話を終わります。
 長時間のご静聴ありがとうございました。




                                           
人権セミナーやつしろ 感想

○地震避難所等での助け合いといった美談が大きく取り上げられる一方で、負のこともあることを改めて教えていただいた。そうした負のことを取り上げる機会があっても良いのかもしれません。今後の教訓として。

○やはり、実際体験されている方の話は重みがあり、よく分かった。物事に感動することを忘れずに何事に対しても感動の気持ちを持って過ごしたいと思いました。そして言葉の大切さ(言葉を掛けることの大切さ)も痛感しました。日頃からの付き合いも大切だと思いました。

○地震を想定した避難訓練を検討していたので参考になる話が聞けた。前ぶりが長いように感じた。

○地震の中でも人々の思いやり、絆を大切に自然と支え合うことが育ち、すばらしいなあと思いました。反対に人の心の痛みを感じない情けないデマを流す若者など悲しくなります。このような先生の生の声をこれからもどうぞ語り続けていただきたいです。一人でも熊本地震のことを忘れず、一人ひとりが、どう向き合って、地域で支え合うことの大切さを考えるきっかけになると思います。本日はありがとうございました。

○本日は貴重な話を聞かせていただいてありがとうございました。思いやりの大切さを改めて感じました。自分のことだけでなく相手のことを考えて行動ができるようにしたいです。

○今後何時起きるか分からない災害に対して、実体験を基に話をしていただき参考になりました。

○災害体験の中で「人と人の絆」のありがたみを感じることができたとの話を聞き、ジーンと来ました。やはり日本人で良かったと思いました。人間は通常ではない異常の時にどのように動くか、振る舞うか、頭で考えるのではなく自然に体が動くようにしたいものです。人権に対する姿勢に対しても同じことが言えると思う。考える前に行動できる人間になりたいものです。

○熊本地震で大きな被害を受けた益城町であった出来事を聞くことができたことは有益であった。

○本人の体験談を聞けたのはよいことであったが、人権について伝わりづらかった。

○いろんな人権問題がありますが、本題の前に話された夕日の感動、七滝で見た夕日も同じくきれい、感性豊かな感動の人生をと改めて感じました。

○熊本地震を経験した上で、今自分にどのような意識、見方が必要かを考える良い機会となりました。職場に戻って今日学んだことを振り返り、同僚、上司と共通理解を図って全員で「共助の意識」をしていきたいと思う。

○益城の人々が復興に向かってがんばっていらっしゃる中にたくさんの苦労、苦しみや不安があったと思います。それでも地元愛が共助の力をより高めていったと思います。自分の住む地域でも共助について自分なりに関わりを持ち、準備していきたいと思いました。

○自分の体験を基に話されましたので、とても分かりやすく重みのある話だった。私たちは月に2度、職場で避難訓練をしているが、今日の話を聞いて見直しも必要だと感じた。明日、早速職場に帰って話をしてみたいと思った。「恕」の気持ちを持って、これから行動できる人になりたいです。

○まだまだ、社会に出たばかりで、社会人としても知らないことばかりで、情報をすぐうのみにしてしまうことがあったと感じた。情報はたくさんありすぎて、いろいろ迷うこともあるが、自分なりに一度しっかり考えてからやっていきたいと思う。保育士をしているので、園生活の中で思いやりの心を大切にしながら子供たちと関わっていきたい。

○避難所の詳しいお話をしていただき、その状況がよく分かった。日頃より地域づくりがとても大切だと改めて感じました。

○地震が起きた時は熊本市内に住んでいたので、避難所生活や地域の方との交流を思い出しました。あの頃を思い出し、気を引きしめていきたいと思いました。

○日頃からの共助、地域の人との絆の大切さが改めて分かりました。災害時、地域と方との助け合いが命を守ることへのつながるなども身にしみて分かりました。人と人との大切さ、思いやりをこれからも大切にしていきたいと思いました。

○避難訓練を職場で毎月行っていますが、本当に行事になりかねない時があり反省しました。最悪の事態を想定し、最小の被害で食い止めることができるよう、また、人と人とのつながりを大切にしたいと思います。ありがとうございました。

○内容は良かったがもう少し早めに終わって欲しい。

○災害時に備えて、日頃から地域の人とのつながりを持ち、地域の絆を作っておくことの大切さを感じました。

○身に迫る地震体験の様子がよく分かり、地震の不安がよみがえりました。その中で、地域の人の助け合い、共助の大切さがよく分かりました。「恕」の大切さが身に染みました。

○今日はいい話を聞くことができました。「恕」。心に響く言葉、ありがとうございました。

○避難訓練の話が心に残りました。例年通りでなく地域とともにやっていこうと思いました。

○「共助」と「恕」の言葉を忘れずそれを実際に実現できるように心がけていきたいと思います。また、避難訓練について、生きて働く力を身につけられるように、日頃から考え、意義のある訓練となるよう自分自身、取り組む姿勢を大切にしたいと感じました。

○災害が起こった時の話、体験談を聞けて良かった。わかりやすかった。

○共助という言葉が印象に残りました。地域とのつながりを大事にしなければと思いました。

○地震の時の写真やパネル展示のようなものがあればさらに災害と人権について深く考える機会になったような気がする。

○自分の命を守るための有効な手立てとして、自治会の活発な取組が大切ではないかと思った。これから災害等に関して自治会の有り様は重要になっていくと思った。ありがとうございました。

○内容は興味深く聞けたが、時間が長く感じた。1時間半程度でまとめて欲しい。災害対策の話は不要。人権セミナーと論点がずれている。もう少し災害と人権についての話が聞きたかった。

○災害時には行政にだけ頼らす、自分たちにできることは協働でするといい。

○具体的な体験を通しての話であり、共感できる面が多かった。自分を含めて身近な話であり、すぐ実践でき、これから活用できる話であった。

○具体的にわかりやすい言葉での話で聞きやすかった。地震のけんでは、備えの話などはありきたりだと感じた。

○中川さんの一生懸命に話される姿に体験された思いが伝わってきました。八代まで来ていただいてありがとうございました。私も「恕」という言葉を大切に、いつも心にとめ、生活できる人になりたいです。

○「ソーシャルキャピタル」 地域のつながりの大切さを改めて学びました。

○講師の先生の話がうまかった。ついつい引き込まれた。

○先生の間の取り方がとても良かった。

○体験談ありがとうございました。どのような人権侵害が起き、女性、小さな子供のいる人、障害者の方々の話も伺いたかったです。今後どのような準備をしていけばよいのか、どのような組織を作ったらよいのか、考えなくてはならないと思いました。地震への備えではなく、人権を考えるというお話をもっと伺いたかったです。

○日常的なつながりが災害時において必要なものであるというのは、全くその通りだと思いました。そのようなつながりがない場合には、人権を守ることはできにくいでしょう。日常的に人と人とのつながりを作っていきたいですね。

○実体験のお話に改めて地震の時のことを思い出しました。物事について正しい判断を身につける。ソーシャルキャピタルを身につける。無知→偏見→差別となるなどを学びました。

○災害時での避難所などは、災害弱者に対する「思いやり」が一番必要だと再認識しました。最大の被害を想定し最小の被害に食い止めるにはどのようにするか常に考えることは必要であることを強く感じました。「恕」の言葉の重みを痛感しました。

○熊本地震の話を例に挙げながら話されたので、災害時の心構えを改めて考えることができました。また、避難所でとるべき行動を学ぶことができたので良かったと思います。

○体験談の講演で聞きやすかった。

○体験されたことを聞けたこと、地震の怖さ、人に対する思いやりの心を再認識させていただきました。ありがとうございました。

○「恕」という言葉を心にとどめて生きたいと思いました。自分で行動していくことの大切さを学びました。

○熊本地震での被災者の生活、苦難の状況を少しだけ知り得た。避難生活は想像以上だったと理解した。災害に対するマニュアルの必要性を痛感した。

○熊本地震で益城町や熊本市の方の話を聞けたことは良かった。八代市は、まだまだ防災に関して、特に熊本地震レベルの地震が起きたとき、この教訓が生かせるだろうかと思いました。「共助」とても大切なキーワードだと思います。

○とてもわかりやすい講話であったように思います。「共助」の思いがあれば、職場、家庭、地域で楽しく生活できるだろうと再認識することができました。これから先、自分自身地域のために何ができるか考えていきたいと思います。

○「ソーシャルキャピタル」という言葉初めて知りました。今回の講話を通じて、地域社会における人々の信頼関係や結びつきというものを今一度考えていこうと思いました。

○私は熊本地震発生後あまり苦労しなかったので、苦しんだ人の話が聞けたのは良かったと思います。地震が起きて1年以上経たので当時のことは忘れつつありますが、大事なことを思い出すことができたのはよかったです。共助が必要ですから日頃の行いを良くしたいと思います。東日本大震災で風評被害があったことや、ハンセン病の差別の歴史など、私が知らないことが多々あるので知る必要があると思いました。今後も精力的に活動を続けていけたらと思います。

○「共助」がいかに大切であるかが分かりました。日頃からの地域のつながりを強めていくことが何かあったときに恐怖や不安から救ってくれるのだと思いました。私たちは物事を正しく学んで、正しく理解して、正しく判断して行動できる力を身につけておかなければならないという言葉が心に残りました。周りの情報に惑わされて右往左往することが多いので、真実を判断できる力を身につけていこうと思います。熊本地震を通して改めて、「人権」ということを考えることができました。参加して良かったです。ありがとうございました。

○無知とマイナスイメージが結びついて偏見や差別につながること、これを防ぐためには、それぞれが正しく学び、正しく判断し、それを正しく行動に移すことが重要であることがよく分かりました。その他、「共助」の在り方を普段から考えておくこと、そのためには、日頃から「恕」の心を持つことの大切さが印象に残りました。大変わかりやすく、整理してお話しいただき、ありがとうございました。熊本地震の益城町の様子も含めて子供たちに伝えたいと思います。

○人権尊重の視点からの防災訓練をもう少し考えて伝えていきたいと思いました。情報伝達は、目で見て、耳で聞いて分かるように様々な手段でみんなに伝わるための方法を考えなければならないと思いました。いざというとき、大変な事態になったとき、人権意識ができるかできないか日頃から心がけて意識していかなければならないと思いました。

○地震を経験されたことで、いいことも悪いことも見られてきた中川さんだから伝わる話でした。共助、大切ではあるがなかなか身の回りでできていないことを強く思います。日頃からのご近所付き合いは大切であると深く思いました。地震で絶望を感じるときこそ、声を掛け合い、人と人とのつながりで生きる力となることを改めて考えさせられました。デマ、風評で差別が起きることも、自分自身で確かな情報を得ることの必要性を感じさせられました。自分は何ができるか、しっかり考え、行動に移したいと思いました。中川さん、講演ありがとうございました。

○実際に被害に遭われた講師の先生の話はとても重く心に響きました。大変な生活を続けられた中での教訓を教えていただき、なるほどと思うこともあり、感激深かったです。仕事に出かけていき、普段地域の人との関わりが少なくなりがちですが、できるだけ日頃から、自分からコミュニケーションをとっていこうと思います。

○遠方から講演のためにお出でいただきありがとうございます。自らの体験でわかりやすくお話を聞くことができました。改めて日頃からの備えを振り返ろうと思いました。母は、たった1日の避難生活で体調を崩しました。避難生活を長くされた方は、本当に大変だったと思います。

○今日の人権セミナーでは災害時の話であったが、おもに熊本地震での体験の話をしていただいた。私は地震発生時、大学生で福岡にいて熊本ほどの揺れ、被害はありませんでした。しかし、家族や友人が被災し、避難所で生活をされ大変な体験をしており、自分にとってもこれまでより身近なものとなった。災害後に「災害と人権」について考えたり、学ぶ機会がなかったのでとても貴重な学びの機会を与えていただいたと思います。ツイッターの問題など現代の問題であり、自分も災害時に惑わされたことを思い出すことができて良かったです。

○全体的に「災害と人権」というよりも「災害に対する備え」や思い出話のようでしたので、期待していた内容とは少し異なりました。人権侵害の話については、研究機関のアンケートで得られたデータのみでした。もっと講師のリアルな体験を通した話とそれをどう解決したのかというお話が聞きたかったです。○○については、みんなで考えていかなければなりませんと言われるだけで、自分がどうされてきたのか伝わりませんでした。

○八代では、熊本地震が益城町みたいに被害は大きくなかったのですが、今日先生の話を聞かせていただいたことで、本当に共助の大切さを感じました。今、自分にできることをよく考え、行動し、間違った判断をしないように考えてみたいと思います。今日は本当にいい話を聞かせていただきありがとうございました。

○熊本地震を振り返り今日はいろんなことを学び、教えていただきました。人と人とのつながり、共に助け合う思いやり、大事なことです。

○やはり「忘れかけていたこと」を再び考えるいい機会となりました。避難所等での知的障害者、発達障害を持たれている方やその後家族の受けられたつらさなどを、もっと詳しく知りたかった。そして再びあってはならないが同様の状況になったときに、どう対応すべきかを話して欲しかった。

○お話を聞いて、当事者に寄り添って、いかに思いをはせられるかという思いでいっぱいでした。震災から時間がたつと、だんだん当時のことが薄らいでいくなあと改めて感じました。このような話は何度も繰り返し、聞きながら自分のものにしていきたいと思いました。

○体験に基づいていてわかりやすかったです。

○熊本地震の体験があるからこそ、今日のセミナーの内容はとても身近に感じることができました。自助を支える便利な道具が多数あったり、公助の質が高かったとしても、やはり共助ほど支えになるものはありません。他者とのつながりの大切さ感じることができた体験でもあったなあと思いました。情報の不明確さは、不安をあおったりするので正しい情報の選択が必要だと思います。私も当時、デマに振り回されました。デマは、風評、偏見、いじめへと変化していくと講話で聞いて知りました。思いやり、正しい情報の選択をするように心がけ、人権を守る行動をしていきたいと思います。

○熊本地震を体験された中川さんの話を聞きながら、車中泊したことや避難所へ行ったことなどを共感しながら受講した。その中で感じたのが、また再びやってくる自然災害にどのように取り組んでいったらよいのか真剣に考えなければならないと痛感した。声を掛け合い、力を寄せ合い、人を気遣い、思いやり、助け合う、地域の絆をつくり、共助し合うことを考えていきたい。

○今日は中川先生の話を聞くことができ、災害に対しての心構えを準備することの大切さを感じました。共に助け合う地域づくり、職場づくりに取り組んでいきたいと強く思いました。本当に貴重なお話を聞くことができ、感謝します。

○正しい情報か間違った情報かをしっかり見極めることの大切さ、重要性を感じました。間違った情報に踊らされ、むやみに偏見を持つことの怖さ、また、それから差別へとつながることも知りました。共に助け合う地域づくりの大切さ、共助ですが、近所付き合いもなくなっています。これからもう少し、地域に目を向けて常日頃からつきあいたいと思います。

○地域の共助の大切さをご自分の体験を通しての講話、また、「大丈夫ですか」の一言に助けられました。人と人とのつながり、避難訓練を繰り返し実施、日頃から「恕」の心を持つことの大切さを学びました。

○熊本地震という体験から、改めて物事を正しく学び、正しく理解し、正しく判断し、行動することの大切さを学ぶことができました。しかし、正しく行動するためには判断できるだけの力量を自分で持たなければなりません。ぞのために人権について正しく学び続けたいと思います。今日はありがとうございました。

○人の記憶は忘れ去られるものです。地球のサイクルは繰り返され、地震もまた起こるもので、いつの間にか人の記憶から消えている。先生のお話は将来の成人のみに限らず、子供たちにとってもとても大切であると思いました。天災は一瞬にして人の命を奪い、人は失った出来事を忘れようとすることで、立ち直ろうとしているのかもしれません。それと同時に、人から人に受け継がなければならないことも忘れてしまうのでしょうか。つらいことは語りたくありませんし、とてもかけがえのないことだと思います。

○どのような人権問題があるかよく分かりました。大切なことをたくさん伝えてくださり、ありがとうございました。感性が育てば思いやりの心も自然と育つと思います。意識して美しさに気づき、これからを生きていく子供たちと共感したいと思います。参加させていただきよかったです。

○貴重な体験などのお話を聞かせていただきありがとうございました。いつも思いやりを持つことが大切さと気づかせていただきました。