「人権」が尊重される社会づくりのために
熊本合同庁舎
平成29年9月19日


 おはようございます。
 ただいまご紹介いただきました中川ございます。どうぞよろしくお願いします。
 進路予報では熊本直撃かと思われました台風18号は、予報より南を北上しましたので熊本地方では大きな被害はなかったようで。皆様のお住まいのところではいかがでしたか?しかし、台風は、鹿児島に上陸し、宮崎、大分を通過して日本を縦断するように進みましたので、各地で大きな被害が出ました。特に、大分県津久見市では、風よりも大雨による被害がひどかったようです。濁流が市庁舎に流れ込んでいる様子がテレビで報道されていました。職員の方は、「庁舎ができて初めてのこと」と言っていました。ここ数年、日本各地で雨や風による大きな災害が発生していますが、どこででも「初めての経験」と言う声が聞かれます。大きな災害がどこで起きてもおかしくないような状況になってきたように思います。
 熊本県も、昨年4月14日夜の9時過ぎ、突然震度7という大地震に襲われました。続いて16日深夜には震度7の大地震が起きました。一瞬にして日常の生活が奪われてしまいました。皆様方の中にも被災された方がおいでだと思います。地震は人々の日常を奪いましたが、人と人とのつながり感を強くもしました。その中のいくつかを紹介します。
 益城町の放課後子供教室でボランティアとして子供たちにそろばんを教えている方から聞いたことです。
 「家は全壊で、広安小学校に避難していたもののこれからの生活を思うと不安で不安で仕方ありませんでした。そんなとき、『そろばんの先生、大丈夫でしたか』と子供教室で学んでいる子供から声をかけられました。この一声で前を向いて生きていこうとの気持ちが沸きました。」
 子供たちと指導者がつながっていることを実感しました。
 避難所での高齢の方と小学校低学年の兄弟との出会いについて、宇土東小学校の校長先生から聞いたことです。
 「高齢の方が『明日は、私の誕生日』とおっしゃっると、それを聞いた兄弟が“ハッピー バースデイ ツー ユー”と歌い始めたそうです。『今日ではないのよ。明日よ』と言っても歌を止めなかったので、うれしくて涙が止まらなかったと言っておられました。あまりのうれしさに名前を聞くことも忘れていたそうです。お礼を言いたくて、『誕生日を祝ってくれた子供さんを探してください』と先生方に頼まれましたが、『ぼくです』と手を挙げる子はいなかったそうです。どうしてもお礼が言いたくて今年の5月の運動会終了後、再度頼まれました。先生方が子供たちに尋ねると、3年生の子が『ぼくです』と手を挙げました。高齢の方は、その子に何度もお礼を言われました。『地震直後の混乱した状態の中で、誕生日を祝ってくれた子供の歌で、前を向いて生きる気持ちが湧いて来ました』という高齢の方の気持ちが痛いほど分かります。」
 避難所で一緒に暮らした人の誕生日を祝う子供の優しさに胸打たれました。
 「ソーシャルキャピタル」という言葉があります。「信頼」」とか「お互い様」とか「絆」を表す言葉だそうです。これからの地域づくり、職場づくりにはこの「ソーシャルキャピタル」が重要なキーワードになってくるものと思います。
 本日は「人権」についての研修です。皆さんは人権についてどんなイメージを持っていますか?「誰もが生まれながらにして持っているもの」「とても大事なもの」と思っていらっしゃることと思います。
 お尋ねします。今、あなたは、どんな権利を持っていますか? レジュメの枠囲みの中に思いつくだけ書いてみてください。
 どのような権利を書かれましたか?「結婚する権利」「選挙権」「知る権利」「労働権」「寝る権利」「食べる権利」等々たくさん書かれたことと思います。
 人権とは、読んで字のごとく「人間の権利」のことです。「誰もが生まれながらにして持っている、自分らしく幸せに生活するという基本的権利」です。しかし、中には、権利を主張すると「わがまま」とか「自分勝手」とか思われることもあります。権利とわがままや自分勝手とはどこがどう違うのでしょうか。次のような場面で考えてみてください。
 A「車を運転する」、B「ブログなどに書き込みをする」、C「飲酒や喫煙をする」などの行動が「権利」として使われている場面や状況と、「わがまま(自分勝手)」になってしまっている場面や状況を考えて、レジュメの表に書き入れてみてください。
 いろんなことをお考えいただいています。同じ行動が、ある場面では権利の主張であったり、ある場面ではわがままであったりしますね。
 たばこを吸う方はいらっしゃいますか?一人もいらっしゃいませんか。私は若い頃たばこを吸っていました。旅行する時、バスや列車の中でもたばこを吸っていました。周りの方に大変迷惑を掛け、不快な気持ちを持たせたものだと思います。たばこは食後の一服が本当にうまいものでした。家庭でも、たくさんの人がいる食堂やレストランなどでも食後吸っていました。たばこが嫌いな人や煙を不快に感じる人がいるなんてことは考えもせずに。たばこが嫌いで、食後の余韻を楽しみたいと思っている人には、たばこのにおいや煙は不快です。たばこをやめた今、このことがよく分かります。私はたくさんの方の権利を侵害していました。とても反省しています。
 「わがままや自分勝手」は他の人のことを顧みない自己主張ですが、権利は何を伴った自己主張でしょうか。その四角の中にはどんな言葉が入ると思いますか?
 「ルール」あるいは「義務」、「責任」などの言葉が入るでしょう。すべての人が人権を享有し、平和で豊かな社会を実現するためには、人権が相互に尊重されることが必要です。そのためには人権の共存が保障されていることです。人権が共存する人権尊重社会の実現には、すべての人が人権についての理解を深めるとともに、自分の権利の行使に伴う責任を自覚し、自分の人権と同じように他の人の人権も尊重することが大切です。人が互いに自分らしく幸せに生活する社会づくり・職場づくりには、互いの人権が調和をもって行使される「人権の共存」が大切だと思います。
 ところで、社会には同和問題をはじめ、女性差別、子供に対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別など、様々な人権課題が存在しています。熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を早急に解決しなければならない3大課題として教育啓発に力を入れています。本日は、子供の人権と3大課題について考えてみたいと思います。
 先ず、子供の人権について考えてみます。  
 少子化の進行をはじめ子供を取り巻く環境は大きく変化しています。家庭においては、経済的な問題や地域における人間関係の希薄化などに伴う育児不安や育児ストレスなどにより、児童虐待問題が深刻化しています。テレビ・新聞等の報道でご存じの通りです。学校においては、いじめや不登校、中途退学等の課題があり、その解決に向けた取組みがなされています。子供の人権を守り、子供たちが社会的に自立していけるよう、社会全体で子供の健全な成長を支えることが必要です。
 中でも、いじめ問題は大きな社会問題の一つです。いじめによるだろうと思われる若者の自死が後を絶ちません。子供たちに、今こそ、「命のぬくもりを伝えましょう!」
 いじめとは、子供に対して、一定の人間関係にある子供が行う心理的又は物理的な影響を与える行為で、その行為の対象となった子供が心身の苦痛を感じていることです。
 私がある学校に勤務している時起きた、いじめ問題についてお話しします。
 学校まで5kmほどある地域の登校班で、1学期の終わり頃、いじめ問題が起きました。1年生から5年生までが一緒に登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、だんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。1年生の孫が勉強している教室にも案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となりました。区長さんとも解決方法を相談しました。2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
おじいさんは、
「なんばしよっと!謝らんちゃよか!こんいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで!』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子供たちを見守り、育てていこうじゃなかな!」
とおっしゃいました。
 私は、この3つの力は人権教育を通して子供たちに付けさせる力だと全職員に説きました。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思っています。
 家庭・学校・地域社会で子供を見守り、育てましょう!
 次は、同和問題について考えてみたいと思います。
 同和問題とは、日本社会の歴史的発展過程で形づくられた身分的差別により、今日においても、同和地区に生まれたという理由で、又は住んでいるという理由だけで、根拠のない言い伝えや偏見によって差別され、全ての国民に保障されているはずの基本的人権が、完全には保障されていないという重大な人権問題のことです。
 現在もなお部落差別が残されているのは、同和問題について正しく学び、正しく理解し、自分の課題として同和問題を考えていないことが大きな要因です。同和問題の解決のためには、正しく理解・認識するとともに、世間体にとらわれることなく自分自身で考え、行動していく態度を養うことが必要です。
 皆さんの中には、どんな権利があるかを考えた時、「結婚する権利」とか「就職する権利」と書かれた方もいらっしゃると思います。同和問題の大きな課題は、結婚や就職の際に、出身地を理由に差別を受けることです。出身地を理由に、結婚に反対したり、就職の採用選考時に、本人の能力や適性とは関係のない不適切な質問が行われたりする等の事例が報告されています。また、インターネットの匿名性を悪用した、同和地区を誹謗中傷する差別的な書き込みなどが問題となっています。近年は、不動産売買における「土地差別」が報告されています。不動産業者から市役所等に、「○○地区は同和地区か?」との問い合わせがあることが報告されています。都市開発やマンション建築等の際、特定の地域に対する差別調査が行われたり、不動産売買において同和地区の物件が避けられたりする状況があります。さらには、一部の司法書士や行政書士が、職務上の権限を利用して他人の戸籍謄本等を不正に取得するといった事件が相次いで発覚しています。また、えせ同和行為が未だに後を絶ちません。えせ同和行為とは、同和問題に対する誤った認識を利用して、同和問題を口実に不当な要求などをすることです。この行為は、同和問題への誤った意識を植え付ける原因ともなっています。同和問題の解決に逆行するものです。
 中学生人権作文「一人でも多くの人に伝えたい」を読んでみます。


第29回全国中学生人権作文コンテスト 全国人権擁護委員連合会長賞

                        一人でも多くの人に伝えたい
                                                                栃木県・大田原市立金田北中学校3年 舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題?」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
 「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う?」
 僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。


 舩山君は、「江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。」「母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました」と述べています。
 舩山君が言うように、何もしなければ何も変わりません。正しく学び正しく理解し、正しいことを正しく伝えていかなけらばならないと思います。
水俣病問題も同じです。皆さんの中には、水俣病の語り部、杉本英子さんの話を聞かれた方もおいででしょう。杉本さんは平成20年に亡くなられました。杉本さんは水俣の網元の家に生まれた方です。お母さんが、突然、けいれんを起こし病院に運ばれ、ラジオで「マンガン病」と放送されたそうです。当時は原因が分からず「その病気はうつる」と誤解されたため、村の人は誰も家に寄りつかなくなり、雨戸に石を投げられることもあったそうです。あいさつしても無視され、「道を歩くな」とも言われ、親戚の人たちにさえ「この恥さらしが」となじられたそうです。
 「水俣病は伝染する」という誤解から、水俣病患者さんばかりでなく水俣出身の人々も様々ないやがらせを受けたり結婚や就職が断られるなど厳しい差別がありました。
 水俣病は、みなさんご存じのようにチッソ水俣工場から排出されたメチル水銀に汚染された魚介類を、長い間たくさん食べたことが原因となって発生した中毒症のことです。伝染病・遺伝病・風土病ではありません。現在は、住民や行政、関係機関の努力によりその発生原因が明らかにされ、同じ過ちを繰り返さないために、広く啓発が行われ、水俣病に対する理解が深まってきました。そう思っていたのですが、数年前、中学生が水俣市の中学生に対して差別発言をしました。サッカーの練習試合で、ボールの奪い合いをしている時、ベンチから「水俣病うつる。触るな!」という差別発言が出たのです。学んだことを知識として頭の中にしまい込んでいては差別意識はなくなりません。水俣病について正しく理解するとともに、被害者の立場に立って考える人権感覚を豊かにし、学んだことをどう受け止めるか、それをどう行動に移すかが問われました。
 皆さんは石牟礼美智子さんの「苦海浄土」という作品をお読みになったことと思います。まだ、読んでいないという方は、一度読んでみてください。胎児性水俣病の江津野杢太郎さんのおじいさんが、石牟礼さんに語りかける場面があります。


 杢は、こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。何でもききわけますと。ききわけはでくるが、自分が語るちゅうこたできまっせん。生活保護いただくちゅうても、足らん分はやっぱり沖に出らにゃならん。わしもこれの父も半人前もなかもん同士舟仕立てて、いいふくめて出る。杢のやつに、留守番させときます。すると時間のたつうちにゃ、ぐっしょり、しかぶっとりますわい。しかぶっとるか、しとらんか、顔みりゃすぐわかる。じゅつなか顔しとります。気の毒しゃして。気いつこうて。肉親にでも気いつかうとですけん。冬でのうてもぐっしょり濡れて、寒さに青うなっとる。
 このじじばなが死ねば誰がしてくるるか。親兄弟にでも、人間尻替えて貰うとは赤子のときか、死ぬときか。兄貴も弟も、やがては嫁御を持たにゃならん。そんときこれが、邪魔になりゃせんじゃろか。そんときまで、どげん生きとれちゅうても、わしどま生きられん。
 ほら、わしがこの目、このように濁っとります。もう大分かすみのかけて見えまっせんと。この目ば一生懸命ひっぱってあけて、この前のごつお迎えのバスの来れば、ああいう風に、病院にも、背負うて連れて行きます。からえば、腰の曲がってちぢんどるわしよりか杢の方が、やせてはおるが足の長うなって、ぞろびくごてござすとばい、もう数え年は十でござすけん。
 わしも長か命じゃござっせん。長か命じゃなかが、わが命惜しむわけじゃなかが、杢がためにゃ生きとろうござす。いんね、でくればあねさん、罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかとでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持ってうまれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴にわしどもが後から入って、抱いてやろうごたるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん。


 水俣病がどれだけ人々を苦しめているかが分かると思います。
 ハンセン病問題については、国の隔離政策などによってつくり出された偏見や差別をなくすこと、ハンセン病回復者等への十分な医療や福祉を確保すること、ハンセン病回復者の方が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるようになることなど、多くの課題が残っています。これら課題の解決のためには、ハンセン病問題を他人事としてではなく、自分自身のこととして受け止め、ハンセン病について正しく学び、偏見や差別を許さない心情や態度を身につけることが大切です。
 ハンセン病は、感染力が極めて弱い細菌による感染症です。現在、日本での感染・発症は実質的にゼロだそうです。すぐれた治療薬により、障がいを残すことなく外来治療で完治すると聞いています。後遺症として外見的な変形が残る場合があるため、いつまでも病気のままだと思われがちですが、完治後に感染することはないということです。
 患者の隔離を定めた「らい予防法」は1996(平成8)年に廃止されましたが、90年にも及ぶ誤った施策により、社会の中に強められた偏見や差別は根強く残されています。  
 熊本県においても、国立療養所菊池恵楓園の入所者に対するホテル宿泊拒否事件が起きました。
ハンセン病に対しての正しい理解がなかったがために、ハンセン病回復者に対しての偏見からの宿泊拒否事件でした。この事件は、人権問題の解決のためには、正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することの大切さを私たちに教えてくれました。
 中学生の「ハンセン病を知って学んだこと」を読んでみます。


 第36回全国中学生人権作文コンテスト法務大臣賞

                         ハンセン病を知って学んだこと
                                                              栃木県 宇都宮市立一条中学校 2年 東 大我

 「僕なんかその時に死んどけばよかった。」僕が母のお腹の中で何度も命が危険な状態になったことを聞いた時、母にこう言い放った。僕には吃音の障害があり、吃りを治すため今まで努力してきた。舌の病気がわかった時は舌を切って伸ばす手術もした。目の病気がわかり、メガネでの治療も始まった。なんで僕だけ …という思いが強くなり八つ当たりした。この夏、僕は見失っていた大切なことに気付き、自分の“今”を見つめ直すことができた。
 一年前、偶然つけたテレビでハンセン病を知った。それは多磨全生園の敷地内にあるハンセン病資料館を紹介する番組でその事実に言葉を失った。二年生に進級したある日、また同じ番組を見た僕は、二度の偶然に驚いて、ハンセン病が気になり始めた。そんな矢先、連休に資料館に行ってみようよと、母が誘ってくれた。自分の目で確かめるいい機会だと思った僕は資料館を訪れた。ハンセン病は恐ろしい伝染病、うつると治らないと偏った考えで患者さんを一生閉じ込めた強制隔離の実態に手が震えた。狭い部屋に八人の住居、重症者の看護、土木作業等の労働、結婚しても断種・中絶を強要され、逃亡したり逆らえば監禁室に閉じ込めた。この日本でこんな信じられないようなことが行われていたのかと改めてショックを受けた。その後療養所内を散策した。納骨堂に着いた時、案内人の方から耳を疑うような話を聞いた。生まれてきた赤ん坊の口をガーゼでふさいで抹消し、ホルマリン漬けにされた三十六人の命が眠っているという。どんな小さな命でも生きたいと思って生まれてきたはずなのに生きられなかったことを思うと心臓をえぐられるような思いになり、僕なんか生まれてこなければよかったと思ったことを悔んだ。赤ん坊が眠る「尊厳回復の碑」に手を合わせ、帰宅した。
 数日後、僕は再び資料館に足を運ぶ機会に恵まれた。語り部の平沢保治さんの講演会に参加することができたのだ。八十九歳の平沢さんをテレビで拝見していた僕は親しみを感じて胸が高鳴った。講演が始まると穏やかな表情は消え、強制隔離や全生園での生活等、その時の心境や思いをありのままに話して下さった。らい予防法の知識も深まった。僕と同じ十四歳で発病してから今まで受けてきた差別や屈辱は僕の想像を絶することばかりだったが、「怨念を怨念で返してはいけない」という平沢さんの生き方に強く心を打たれた。僕は吃音がうつると言われ、手で耳をふさがれた時、何を根拠に言っているのかと悲しくて悔しくて、心がぺちゃんこになった。
 ハンセン病だと疑われただけで人として扱われない社会の暴力が行われてきたのは、病気の知識が少なかったため、必要以上に恐れられたからだ。正しいことを知らないということが心に「偏見」という壁を作り人を傷つける。その壁は僕の心の中にもある。これからは、思い込みや先入観で人を決めつけたりせず、正しいことを知る努力をしていきたいと思った。平沢さんは僕達に三つの約束事を伝えてマイクを下ろした。①夢や希望をもってほしい。②ありがとう…と言える人間になってほしい。③この地上に一度だけ両親から頂いたこの命、どんなことがあっても大事にしてほしい…と。まるで今の僕を見透かされているようで恥ずかしくなった。僕はハンセン病をテレビで「偶然」知ったと思っていたが、きっと「必然」だったのだと思う。感謝の気持ちもなく親に反発する今の僕だからこそ、聞くべきお話であったのだと、そんな気がしてならない。 講演後、平沢さんがよく来たね、何年生?と、声をかけて下さった。僕は嬉しくて少しお話しする時間をいただいた。平沢さんは、「障害に負けないで堂々として生きていきなさい。辛い時悲しい時はいつでもこのじぃさんの所に来なさいね。僕は自分の孫のように思って君を応援しているよ。」と、僕の手を力強く握り締めてくれた。心のトゲが抜けていくのを僕は確かに感じた。平沢さんは辛い過去をお持ちのはずなのにどうしてあんなに優しくなれるのだろうか。それは平沢さんが相手の気持ちを酌み取って声をかけ、優しく接する思いやりの心を持っておられるからだと思う。思いやりのある人というのは「想像力」を持てる人ではないだろうか。例えば、困ったり悲しい思いをしている人がいたら、自分がその立場になってみて、僕だったらどんな言葉をかけてほしいだろう、どんなふうに接してほしいだろうと、相手の気持ちを想像する力を身につけている人だと思う。中学生の僕でも「想像力」を働かせることはできる。それはとてもすばらしい能力だと思う。一人ひとりがその努力をしていけば、いじめや差別は少しずつ減っていくのではないだろうか。
 人と人がお互いを認め合って生きていくことがどんなに大切か教えて下さった平沢さんの思いを大切に、十四歳の僕が“今”、できることをやっていきたい。


 東君は、「ハンセン病だと疑われただけで人として扱われない社会の暴力が行われてきたのは、病気の知識が少なかったため、必要以上に恐れられたからだ。正しいことを知らないということが心に「偏見」という壁を作り人を傷つける。その壁は僕の心の中にもある。これからは、思い込みや先入観で人を決めつけたりせず、正しいことを知る努力をしていきたい」「困ったり悲しい思いをしている人がいたら、自分がその立場になってみて、僕だったらどんな言葉をかけてほしいだろう、どんなふうに接してほしいだろうと、相手の気持ちを想像する力を身につけたい」「十四歳の僕が“今”、できることをやっていきたい」と述べています。 
 二人に共通していることは、「正しく学ぶ」、「正しく理解する」です。なぜ、正しく学ばねばならないかを考えてみようと思います。
 皆さん、レジュメの空いているところに魚の絵を描いてみてください。
 どなたかに魚の絵を描いてもらいたいのですが、本日は時間が少なくなりましたので私からお聞きします。
 左を向いている魚の絵を描かれた方、挙手願えますか。(ほとんど全員が挙手)
 前にお座りの方、皆さんの様子を見てください。(「全員のようだ」と驚きの声)
 右向きの方、挙手してください。(2人挙手)(驚きの声があがる)
 私は、「右向きはだめですよ。左向きの魚の絵を描くのですよ」とは言いませんでした。にもかかわらず、本日は、ほとんどの方が左向きの魚を描かれました。どうしてこのようなことが起きると思いますか?
 皆さんは、図鑑などで魚の絵をごらんになりますね。図鑑に掲載してある魚の絵や写真は右を向いていますか?左を向いていますか?そうですね。ほとんどが左を向いています。5月の鯉のぼりの絵もほとんど左向きでしょう。図鑑や本に載っている魚の絵や写真の7割から8割は左向きです。私たちは、左向きの絵を数多く見ているのです。そして、いつの間にか空気を吸うがごとく「魚の絵は左向き」と思い込んでいるのです。
 もう一つ、お聞きします。「牛」と聞いて、すぐに思い浮かぶのはどんな色の牛ですか。
 「あか牛」を思い浮かべる人、手を挙げてみてください。(3割程度)
 「くろ牛」を思い浮かべる人、手を挙げてください。(3割程度)
 「しろくろのホルスタイン」を思い浮かべる人、どうぞ(3割程度)
 阿蘇の産山村でお聞きしたときは、全員があか牛でした。天草の本渡市でお聞きしたときは、8割程度がくろ牛でした。天草では、以前、農耕用にくろ牛を飼っていました。
 私たちは、小さい頃に見た牛、あるいは身近にいる牛を思い起こします。それは、その牛を見る頻度が高いからです。私は、家で乳牛を4から5頭飼っていましたので牛と言えば、ホルスタイン種のしろくろ牛を思い起こします。よく見ている牛の色をすぐに思い浮かべる、これが、「○○=○○」との思い込みとなっているのです。これを刷り込みといいます。
 もう一つ聞いてみます。
 皆さんは、カラスについてどんなイメージを持っていますか?
 どちらかというと、良いイメージをお持ちの方?(挙手なし)
 どちらかというと、悪いイメージをお持ちの方?(大多数が挙手)
 私も小さい頃、田んぼにいっぱい舞い降りているカラスを見ると、「縁起が悪い」などと言っていました。
 益城広報の人権啓発文の一説を読んでみます。


                                決めつけが生み出す差別とは ~カラスって縁起が悪い鳥?~

 皆さん、皆さんが、毎日、生活していく中で、「人権」って大事だと思いますか?
 このように質問したとすると、多くの人が、いや、すべての人が「大事です」と答えられるのでないでしょうか。
 では、次に「差別」をどう思いますか?
と問いかけてみましょう。やはり多くの人が「許せない」「なくさなければならない」と答えらることでしょう。                   
 すべての人が、安心して、安全に、心豊かに生活したいと、願っていると思いますし、そのためには、一人一人の人権が大切にされる、差別のない社会を創っていかなければならないことも、みんなわかっているはずです。
 しかし、残念ながら、筆者を含め、皆さんの周りには、まだまだ多くの、なくしていかなけれならない「差別」があります。             
 そして、そのような「差別」を生み出している背景には、これまで、知らず知らずのうちに、私たちの意識の中に入ってきた「決めつけ」や「予断や偏見」といったものが、必ずといっていいどあるのです。            
 今月は、私自身が経験した、そんな出来事を、聞いていただきたいと思います。
 それは、私が、まだ幼かった時のことです。
 8月の真っ青な空と、キラキラと照りつける太陽のもと、小川が流れる田園の中を、麦わら帽をかぶって、祖母と散歩をしていました。
 とても気持ちの良い風を、頬にうけながら歩いていると、なにやら「カー!カー!」とうるさい鳴き声が聞こえてきました。見上げると、電線に10羽から20羽のカラスが、とまって鳴いてるのです。             
 私は、どこで知ったのか、定かではないのですが、自慢げに祖母に、このように話をしました。
 「おばーちゃん、知っとんね。カラスはね、縁起の悪か鳥ばい。こわかとばい。」  
 すると、祖母は、今までつないでいた手を、もっと優しく握り、私の目線に合うように、しゃがみ込むと、このように会話を返してくれました。     
 「あのね、たしかに、いたずらする悪いカラスもいるでしょう。でもね、本当はカラスは、子供を大切にする優しい鳥なのよ。」           
 といいながら「七つの子」を歌ってくれました。            
      烏 なぜ啼くの  烏は山に  可愛い七つの  子があるからよ
      可愛 可愛と  烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
      山の古巣に   行つて見て御覧   丸い眼をした  いい子だよ
 カラスという鳥を、縁起が悪い存在であると決めつけていた、私の心の中の何かが、暖かく変っていくのを感じました。背中で聞く、カラスの鳴き声が、優しく響いていたことを記憶していす。このことは、人と人との関係にも、当てはめることができるのではないでしょうか。    私は、「差別」をなくしていくために、自分に何ができるのか?そう問いかけるとき、この出来事を思い出します。             「 あの人は、自分とは合わない、ちがう」と決めつけることなく、自分の大切さとともに、他人を大切にできるようになれば、世の中の差別はなくなっていくことでしょう。      
 このように、「差別」をなくすために自分にできること、それは、毎日の生活の中にたくさんあるのです。


 これまで見てきましたように、私たちの意識の中に、知らず知らずのうちに刷り込まれていることがあります。このすり込まれているものに、マイナスイメージが重なると偏見が生まれます。偏見とは、合理的な根拠なしに特定の個人や集団、その他の事柄に対して抱く非好意的な態度や考え方です。また、誤解や無知は、偏見を生み、差別を助長します。
 それを乗り越える力が、私たちにはあります。されは、様々な人権課題に関心を持ち、正しく学び、正しく理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動することです。
 明るい職場づくりについて考えてみたいと思います。明るい職場づくりでなくさねばならないものは次の2つだと思います。
 第1は、職場におけるパワーハラスメントです。
 私が言うまでもありませんが、パワー・ハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与えること又は職場環境を悪化させる行為のことですね。このパワハラは、上司から部下に行われるものだけでなく、先輩・後輩間や同僚間などの様々な優位性を背景に行われるものもあります。
 第2は、職場におけるセクシュアルハラスメントです。
 セクシャルハラスメントとは、相手の意に反した性的な言動により相手の心身を傷つけることですね。異性間だけでなく同性間でも起こります。職場におけるセクシュアルハラスメントには、
 「対価型」:性的な言動に対する労働者の対応により労働条件について不利益を受ける
 「環境型」:性的な言動により労働者の就業環境が害される
があります。
 これらを取り除きみんなが働きやすい職場づくりに、みんなで取り組みましょう。
 また、
 ・自分と違う人たちといい出会いをしましょう。
 ・自分とは異質な文化や境遇、価値観を持った人といい関係を育みましょう。
 ・社会と関わって生きている意味を実感できる社会づくりに努めましょう。
 今、国や関係機関では、長時間労働の解消を初めとした「働き方改革」が検討されています。
 熊本県では、8月「よかボス宣言」というのを出しました。厚生労働省が推進している「イクボス」の熊本県版だそうです。小山薫堂さんが命名したそうです。紹介します。


                           よかボス宣言

  私は、幸せな人生が実現するよう、自ら仕事と生活の充実に取り組むとともに、職員の仕事と生活の充実を応援し、以下の事項を約束します。

 1 私は、全力で仕事に取り組んだ後は、くまもとのうまかもんを食べ、家事をして、健康で幸 せなくまもとライフを楽しみます。
 2 私は、楽しみながら仕事をし、早く帰って家事や余暇などの生活も楽しむ職員を、誇りに思 います。
 3 私は、計画的に休みを取って人生を楽しむとともに、職員にも休みを積極的にとるよう勧め ます。
 4 私は、職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフステージにおける希望や安心が実 現できるよう、応援します。
 5 私は、忙しい中でも楽しく仕事ができる職場づくりに取り組みます。


 働きやすい職場づくりに参考にしてください。
 論語の中に「恕」という言葉があります。


論語 衛靈公第十五 412

   子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
   子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。


 子貢とは、孔子の一番弟子です。その子貢が孔子に尋ねました。
 「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生ていけるという言葉がありましょうか。あったら教えてください」
 孔子が答えました。
「その言葉は恕だ」と教えましたが、子貢には、よく分からなかったようなので付け加えて「分の望まないことは人にしないことだ」と諭したと言われています。
 「恕」とは、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになることだと訳されいます。
 私はこの「恕」の精神が人権尊重の精神だと思います。「恕」の精神を持ち、みんなが暮らしすい社会、働きやすい職場づくりに努めましょう。
 ご静聴ありがとうございました。