「つながり感」が実感できるまちづくりのために



 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました中川でございます。よろしくお願いします。
 ただいま部会長は、ご挨拶の中で、神奈川県相模原市にある「やまゆり園」での殺傷事件に触れられました。
 昨日の多良木町での上球磨地区研修会でも述べましたが、昨年7月26日、神奈川県相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、27人が負傷した事件をめぐり、被告の裁判員裁判について、横浜地裁は、被害者を匿名にして公判を開くと決定したということを、昨日ニュースで報じていました。刑事事件では、被害者はほとんど実名で審議されるのだそうです。 一昨日の、1周忌追悼式でも祭壇に遺影はなく、入所者が折り紙で作ったヤマユリが飾られていたそうです。神奈川県知事は、追悼の言葉で遺族や園職員から聞いた19人のエピソードを一人ずつ紹介し、「私たちは決して忘れません」と呼びかけ、式典後、「本来は19人の名前を申し上げ、一人一人の遺影が飾られるべきだが、今の日本では許される状況ではない。残念に思う。」と障害者への差別が残る状況を振り返り、共に生きる社会の実現を目指さなければいけないと述べられた聞きました。
 追悼式でも、裁判でも、なぜ犠牲者を匿名にしなければならないのでしょうか。私たちは、知事がおっしゃった共に生きる社会の実現のためにこの問題を人権課題と受け止め、真剣に考えねばならないと思います。
 昨年4月、震度7の激震が3日間で2度も熊本を襲いました。一瞬にして平穏な日常が奪われてしまいました。私たちは、地震に対する恐怖、いつ収まるか分からない不安、倒壊した我が家、変わり果てた我が町を目の当たりにしての絶望、復旧に力を貸していただいたボランティアの方々、全国から届く支援物資や激励のメッセージ等により「地震に負けてたまるか!」と地震に立ち向かう力の噴出等々、熊本地震からの復旧復興のドラマがいたるところでありました。その中の2つをご紹介します。
 「そろばんの先生 大丈夫でしたか?」
 益城町の広安小学校体育館で避難生活をしていた放課後子供教室ボランティアの人が、目にいっぱい涙をためて、私に次のような話をしてくださいました。
 「家は全壊で、広安小学校に避難していましたが、何時までも収まらない余震への不安、家は全壊でこれからの生活を思うと絶望感でいっぱいでした。そんなとき、『そろばんの先生、大丈夫でしたか』と子供教室で学んでいる子供から声をかけられました。下を向いている自分を気遣ってくれている。下ばかり向いていてはだめだと、子供の一声で前を向いて生きていこうとの気持ちが沸きました」と。 
 放課後子供教室の子供たちと指導者の心がつながっていることを実感しました。
 「ハッピー バースデイ ツー ユー」の誕生日を祝った逸話は、宇土東小学校でのことです。 宇土東小学校の避難所で、一人の高齢の方が小学校低学年の兄弟との出会いの中で、「明日は、私の誕生日」とおっしゃったそうです。それを聞いて、兄弟は「ハッピー バースデイ ツー ユー」と歌い始めたというのです。「今日ではないのよ。明日よ」と言っても歌を止めなかったので、うれしくて涙が止まらなかったそうです。あまりのうれしさに名前を聞くことも忘れ、避難所生活が終わり、我が家に帰ってからこのことを思い出し、お礼を言いたいと何度も学校に出向き、先生方に「誕生日を祝う歌を歌ってくれた子供さんを探してください」と頼まれたそうです。学校でも子供たちに何度も聞いたそうですが、「ぼくです」と手を挙げる子はいなかった。それが、今年5月の運動会で、「どうしてもお礼が言いたいので、探してください」と言われ、先生方が子供たちに尋ねられたら、ようやく3年生の子が「ぼくです」と手を挙げたそうです。高齢の方は、その子供に何度もお礼を言われたと聞きました。地震直後の混乱した状態の中で、誕生日を祝ってくれた子供の歌で、前を向いて生きる気持ちが湧いて来ましたという高齢の方の気持ちが痛いほど分かります。顔見知りでもないのに避難所で一緒に暮らした人の誕生日を祝う子供の優しさに胸打たれました。
 ところで、県立高校の女子生徒が自殺した問題を再調査していた熊本県の第三者委員会は7月14日、「いじめがあったと認定した上で、自殺に至った直接の原因は特定できなかった」とする報告書を蒲島知事に提出しました。いじめ問題が社会問題となって久しいのですが、いじめ問題は後を絶ちません。今こそ、私たち大人が、命のぬくもりを子供たちに伝えねばならないと思います。
 私がある小学校の校長時代にいじめ問題が起きました。朝の6時40分頃には家を出なければ学校の始業時刻に間に合わない、学校まで5kmほどある地区の登校班で、いじめ問題が起きました。1年生から5年生までが一緒に歩いて登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、だんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。しかし、なかなか解決を見ません。2学期になり、おじいさんは月に2・3回校長室に来ておられました。私はそのたびに話を聞いた後で、1年生が勉強している教室に案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となりました。区長さんとも解決方法を相談しました。そして、2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
 おじいさんは、「なんばしよっと。謝らんちゃよか!このいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』と止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子どもたちを育てていこうじゃなかな」とおっしゃいました。
 私は、このことを全職員に話し、この3つの力、「いじめないで」といじめをはね返す力、「弱い人をいじめることは愚かなことだ」と気づく力、「いじめは止めよう」と止めさせる力は人権教育を通して子どもたちに付けさせる力だと説きました。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思っています。学校・家庭・地域、みんなで「いじめ」をなくしましょう!そして、命の尊さを子供たちに語っていきましょう。
 ご挨拶の中で、部会長が紹介されましたように、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等、様々な人権課題が存在しています。
 人権とは、人が尊厳を持って生きるために、社会から保障されるべき権利です。
 人権問題は、差別される側の問題ではなく差別する側の問題です。
 熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン問題を早急に解決しなければならない人権課題として、啓発に力を注いでいます。同和問題やハンセン病問題を中学生はどう見ているのでしょうか。中学生の人権作文から見てみたいと思います。
 資料1「一人でも多くの人に伝えたい」を見てください。
 第29回全国中学生人権作文コンテストで、全国人権擁護委員連合会長賞を受賞した栃木県の舩山泰一君の作文です。私が読んでみますので、一緒に読んでください。

                                     
                       一人でも多くの人に伝えたい
                                                            栃木県・大田原市立金田北中学校3年 舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

舩山君は、私たちに次のように訴えています。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。
 皆さんはこの作文を読んでどう感じましたか。
 資料2は、第36回、昨年の全国中学生人権作文コンテスト法務大臣賞を受賞した栃木県の東大我君のハンセン病問題について考えた作文です。読んでみます。


                         ハンセン病を知って学んだこと

                                                    栃木県 宇都宮市立一条中学校 2年 東 大我

 「僕なんかその時に死んどけばよかった。」僕が母のお腹の中で何度も命が危険な状態になったことを聞いた時、母にこう言い放った。僕には吃音の障害があり、吃りを治すため今まで努力してきた。舌の病気がわかった時は舌を切って伸ばす手術もした。目の病気がわかり、メガネでの治療も始まった。なんで僕だけ …という思いが強くなり八つ当たりした。この夏、僕は見失っていた大切なことに気付き、自分の“今”を見つめ直すことができた。
 一年前、偶然つけたテレビでハンセン病を知った。それは多磨全生園の敷地内にあるハンセン病資料館を紹介する番組でその事実に言葉を失った。二年生に進級したある日、また同じ番組を見た僕は、二度の偶然に驚いて、ハンセン病が気になり始めた。そんな矢先、連休に資料館に行ってみようよと、母が誘ってくれた。自分の目で確かめるいい機会だと思った僕は資料館を訪れた。ハンセン病は恐ろしい伝染病、うつると治らないと偏った考えで患者さんを一生閉じ込めた強制隔離の実態に手が震えた。狭い部屋に八人の住居、重症者の看護、土木作業等の労働、結婚しても断種・中絶を強要され、逃亡したり逆らえば監禁室に閉じ込めた。この日本でこんな信じられないようなことが行われていたのかと改めてショックを受けた。その後療養所内を散策した。納骨堂に着いた時、案内人の方から耳を疑うような話を聞いた。生まれてきた赤ん坊の口をガーゼでふさいで抹消し、ホルマリン漬けにされた三十六人の命が眠っているという。どんな小さな命でも生きたいと思って生まれてきたはずなのに生きられなかったことを思うと心臓をえぐられるような思いになり、僕なんか生まれてこなければよかったと思ったことを悔んだ。赤ん坊が眠る「尊厳回復の碑」に手を合わせ、帰宅した。
 数日後、僕は再び資料館に足を運ぶ機会に恵まれた。語り部の平沢保治さんの講演会に参加することができたのだ。八十九歳の平沢さんをテレビで拝見していた僕は親しみを感じて胸が高鳴った。講演が始まると穏やかな表情は消え、強制隔離や全生園での生活等、その時の心境や思いをありのままに話して下さった。らい予防法の知識も深まった。僕と同じ十四歳で発病してから今まで受けてきた 差別や屈辱は僕の想像を絶することばかりだったが、「怨念を怨念で返してはいけない」という平沢さんの生き方に強く心を打たれた。僕は吃音がうつると言われ、手で耳をふさがれた時、何を根拠に言っているのかと悲しくて悔しくて、心がぺちゃんこになった。
 ハンセン病だと疑われただけで人として扱われない社会の暴力が行われてきたのは、病気の知識が少なかったため、必要以上に恐れられたからだ。正しいことを知らないということが心に「偏見」という壁を作り人を傷つける。その壁は僕の心の中にもある。これからは、思い込みや先入観で人を決めつけたりせず、正しいことを知る努力をしていきたいと思った。平沢さんは僕達に三つの約束事を伝えてマイクを下ろした。①夢や希望をもってほしい。②ありがとう…と言える人間になってほしい。③この地上に一度だけ 両親から頂いたこの命、どんなことがあっても大事にしてほしい…と。まるで今の僕を見透かされているようで恥ずかしくなった。僕はハンセン病をテレビで「偶然」知ったと思っていたが、きっと「必然」だったのだと思う。感謝の気持ちもなく親に反発する今の僕だからこそ、聞くべきお話であったのだと、そんな気がしてならない。 講演後、平沢さんがよく来たね、何年生?と、声をかけて下さった。僕は嬉しくて少しお話しする時間をいただいた。平沢さんは、「障害に負けないで堂々として生きていきなさい。辛い時悲しい時はいつでもこのじいさんの所に来なさいね。僕は自分の孫のように思って君を応援しているよ。」と、僕の手を力強く握り締めてくれた。心のトゲが抜けていくのを僕は確かに感じた。平沢さんは辛い過去をお持ちのはずなのにどうしてあんなに優しくなれるのだろうか。それは平沢さんが相手の気持ちを酌み取って声をかけ、優しく接する思いやりの心を持っておられるからだと思う。思いやりのある人というのは「想像力」を持てる人ではないだろうか。例えば、困ったり悲しい思いをしている人がいたら、自分がその立場になってみて、僕だったらどんな言葉をかけてほしいだろう、どんなふうに接してほしいだろうと、相手の気持ちを想像する力を身につけている人だと思う。中学生の僕でも「想像力」を働かせることはできる。それはとてもすばらしい能力だと思う。一人ひとりがその努力をしていけば、いじめや差別は少しずつ減っていくのではないだろうか。人と人がお互いを認め合って生きていくことがどんなに大切か教えて下さった平沢さんの思いを大切に、十四歳の僕が“今”、できることをやっていきたい。

 東大我君は、「ハンセン病だと疑われただけで人として扱われない社会の暴力が行われてきたのは、病気の知識が少なかったため、必要以上に恐れられたからだ。正しいことを知らないということが心に「偏見」という壁を作り人を傷つける。その壁は僕の心の中にもある。これからは、思い込みや先入観で人を決めつけたりせず、正しいことを知る努力をしていきたいと思った。」と述べています。 
 二人に共通していることは、「正しく学ぶ」、「正しく理解する」です。なぜ、正しく学ばねばならないかを考えてみようと思います。
 皆さん、レジュメの空いているところに魚の絵を描いてみてください。
 全員の方の絵を見て回ったわけではありませんが、親子で参加のお二人がすばらしい絵を描いておられます。このホワイトボードに描いてもらいたいと思います。
 では、お母さんは、左側に、子供さんは右側に大きく描いてください。(魚の絵を描いて貰う)
 とてもすばらしい魚の絵、ありがとうございました。(自然に拍手が起きる)
 皆さんにお聞きします。
 ○○さんが描かれた絵のように、魚の頭が左を向いているように描いた方、挙手してください。(大多数)
 △△ちゃんの絵のように、魚の頭が右を向いている絵を描いた方、挙手してください。(小学生1人が挙手)
 偶然ですが、大人はすべて左向きの絵ですね。子供さん2人が左向きの絵です。どこの研修会でも魚の絵を描いていただくのですが、本日とほぼ同じです。大多数の方が左向きの魚を描かれます。私は、「右向きはだめですよ。左向きの魚の絵を描くのですよ」とは言いませんでした。にもかかわらず、本日は、大人は全員、左向きの魚を描かれました。どうしてこのようなことが起きると思いますか。
 皆さんは、図鑑などで魚の絵をごらんになりますね。図鑑に掲載してある魚の絵や写真は右を向いていますか。左を向いていますか。そうですね。ほとんど左を向いています。5月の鯉のぼりの絵もほとんど左向きでしょう。図鑑や本に載っている魚の絵や写真の7割から8割は左向きです。ですから私たちは、左向きの絵を数多く見ているのです。そして、いつの間にか「魚の絵は左向き」と思い込んでいるのです。
 もう一つ、お聞きします。「牛」と聞いて、すぐに思い浮かぶのはどんな色の牛ですか。
 「あか牛」を思い浮かべる人、手を挙げてみてください。(3割程度)
 「くろ牛」を思い浮かべる人、手を挙げてください。(2割程度)
 「しろくろのホルスタイン」を思い浮かべる人、どうぞ(5割程度)
 これも、どこででもお尋ねします。阿蘇の産山村でお聞きしたときは、全員があか牛でした。
 天草の本渡市でお聞きしたときは、8割程度がくろ牛でした。天草では、以前、農耕用にくろ牛を飼っていました。
 熊本市で聞きました。それぞれ3割くらいです。どうしてこんなに違うのでしょうか。小さい頃に見た牛、あるいは身近にいる牛を思い起こします。それは、その牛を見る頻度が高いからです。私は、家で乳牛を4から5頭飼っていましたので牛と言えば、ホルスタイン種の思い起こします。よく見ている牛の色をすぐに思い浮かべるのだと思います。それが、「○○=○○」との思い込みとなっているのだす。これを刷り込みといいます。
 もう一つ聞いてみます。
 皆さんは、カラスについてどんなイメージを持っていますか。
 (「悪さをするので、よいイメージはない」「カラスを見ると縁起が悪いなどと言っていたのでよいイメージではない」の声あり)
 私も小さい頃、田んぼにいっぱい舞い降りているカラスを見ると、「縁起が悪い」などと言っていました。
 益城広報の人権啓発文の一説を読んでみます。


                                  決めつけが生み出す差別とは~カラスって縁起が悪い鳥?~

 皆さん、皆さんが、毎日、生活していく中で、「人権」って大事だと思いますか?
このように質問したとすると、多くの人が、いや、すべての人が「大事です」と答えられるのでないでしょうか。
 では、次に「差別」をどう思いますか?
と問いかけてみましょう。やはり多くの人が「許せない」「なくさなければならない」と答えらることでしょう。                   
 すべての人が、安心して、安全に、心豊かに生活したいと、願っていると思いますし、そのたには、一人一人の人権が大切にされる、差別のない社会を創っていかなければならないことも、んなわかっているはずです。
 しかし、残念ながら、筆者を含め、皆さんの周りには、まだまだ多くの、なくしていかなけれならない「差別」があります。             
 そして、そのような「差別」を生み出している背景には、これまで、知らず知らずのうちに、たちの意識の中に入ってきた「決めつけ」や「予断や偏見」といったものが、必ずといっていいどあるのです。            
 今月は、私自身が経験した、そんな出来事を、聞いていただきたいと思います。
 それは、私が、まだ幼かった時のことです。
 8月の真っ青な空と、キラキラと照りつける太陽のもと、小川が流れる田園の中を、麦わら帽をかぶって、祖母と散歩をしていました。
 とても気持ちの良い風を、頬にうけながら歩いていると、なにやら「カー!カー!」とうるさ鳴き声が聞こえてきました。見上げると、電線に10羽から20羽のカラスが、とまって鳴いてるのです。             
 私は、どこで知ったのか、定かではないのですが、自慢げに祖母に、このように話をしました。 「おばーちゃん、知っとんね。カラスはね、縁起の悪か鳥ばい。こわかとばい。」  
 すると、祖母は、今までつないでいた手を、もっと優しく握り、私の目線に合うように、しゃみ込むと、このように会話を返してくれました。     
 「あのね、たしかに、いたずらする悪いカラスもいるでしょう。でもね、本当はカラスは、子もを大切にする優しい鳥なのよ。」           
 といいながら「七つの子」を歌ってくれました。            
 カラスという鳥を、縁起が悪い存在であると決めつけていた、私の心の中の何かが、暖かく変っていくのを感じました。背中で聞く、カラスの鳴き声が、優しく響いていたことを記憶していす。(後略)
           

 カラスについては、カラスの羽の色が「黒=縁起が悪い」として、人々から忌み嫌われてきました。「七つの子」は、野口雨情が大正時代に発表したものです。この頃もカラスは縁起が悪い鳥と思われていました。「カラス=縁起の悪い鳥」のおかしさを訴えるために、「カラスは子煩悩の鳥」だと作詞したと言われています。こんなことを考えますと、カラスのイメージも変わってくるように思います。
 野口雨情の心情を思いやって「七つの子」を歌ってみましょうか。
 では、どうぞ。


       七つの子      
                               野口雨情     
     烏 なぜ啼くの  烏は山に  可愛い七つの  子があるからよ  
可愛 可愛と   烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
     山の古巣に    行つて見て御覧   丸い眼をした  いい子だよ 

 ご協力ありがとうございました。
 これまで見てきましたように
○私たちの意識の中には、知らず知らずのうちに刷り込まれていることがあります。
○「偏見」とは、合理的な根拠なしに特定の個人や集団、その他の事柄に対して抱く非好意的な 度や考え方です。
○誤解や無知は、偏見を生み、差別を助長します。
○それを乗り越える力が、私たち一人ひとりにあります。
○様々な人権課題に関心を持ち、正しく学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動し しょう。
そこに示していますのは、差別心が生まれる構造です。参考にしてください。



 刷り込み  →   決めつけ・思いみ   →    偏見   ┐               
                          ↑          |
                   (マイナスイメージ)       |  → 差別心・差別的言動 
                          ↓          |
 無知    →    間違った情報      →   偏見    ┘

 

 正しく学んで、正しく理解しても、人権感覚がなければ差別に気づきません。相手の立場に立での判断、行動はできません。人権感覚は、自分の心に自尊感情が育っていなければ身につきまん。自尊感情とは、一言で言い表せば、自分自身を価値ある存在と思う感覚のことです。この感を育みましょう。そして、自分とは異質な文化や価値観を持った人といい関係を育みましょう。会と関わって生きている意味を実感できる社会づくりに努めましょう。      
 人権文化の花咲くまちとは、「誰かが見守ってくれている、誰かが寄り添ってくれているとい肯定的なつながり感が実感できるまち」のことだと思います。
 論語の中に「恕」という言葉があります。「論語」とは、孔子が弟子たちに教え諭したことを子たちがまとめたものです。


論語 衛靈公第十五 412

    子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。  

恕:相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること

 子貢とは、孔子の一番弟子です。その子貢が孔子に尋ねました。
 「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。あったら教えてください」
 孔子が答えました。
「その言葉は恕だ」と教えましたが、子貢には、よく分からなかったようなので付け加えて「自分の望まないことは人にしないことだ」と諭したと言われています。
 「恕」とは、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになることだと訳されています。
 私はこの「恕」の精神が人権尊重の精神だと思います。
 副部会長さんの話によりますと、本市でも青年団、婦人会、老人クラブなどの社会教育関係団体の組織が弱まっているとのことです。価値観の多様化で、組織としての活動がなかなかうまくできなくなりました。
 地域づくりのためには、「共助」「互助」はとても大切です。特に、大災害時には大きな力となります。
 ・声をかけ合い、力を寄せ合い、人を気づかい、助け合う“地域の絆”をつくりましょう。
 ・日頃から他を思いやる心を持ち続けましょう。
 今月5日から6日かけての九州北部豪雨では、福岡県朝倉市や東峰村、大分県日田市では甚大な被害を被りました。このとき、大分県日田市花月川流域にある自治会では、自主避難をし、一人の犠牲者も出さず、全員が避難したそうです。
 この地区では、平成24年にも豪雨で大きな被害を受け、その時の教訓から自治会でマニュアルを作り、日頃から避難訓練をしているそうです。マニュアルは、自助・共助あるいは互助の精神からできているように思います。この地区の高齢の方がインタビューに応えて「自治会の人がちゃんとしているから心強い」とおっしゃった言葉からもうかがい知れます。
 住民同士が強い絆で結ばれ、互いを信頼しあっておられます。そして、感謝の気持ちが表れています。
 繋がり感が実感できるまちづくりのために、皆さん方が先頭に立って行動され、人権文化の花咲くまちづくりがさらに進みますことを祈念申し上げ、話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。


                                            感    想

○中学生の作文を読んで驚くほどしっかりした考えを持っていると感心した。青年団、婦人会、老人会と弱体化しているので、みんなで助け合う社会づくりが大切だと思った。(60代女性)

○差別心、差別的言動が生まれる背景がよく理解できました。(70代男性)

○普段は考えないようなことを考え、頭と心をリセットできました。ありがとうございました。(50代男性)

○いじめは子どもだけでなく、大人にもある。いじめのない人権尊重の大切さを知って、いじめのない世の中になればと、つくづく気付かされました。(70代男性)

○民生委員になったばかりなので、「人権尊重の精神」大変勉強になりました。自助、共助、互助を生活の中で考えていきたい。人と人とのつながりの大切さを深く感じました。(70代女性)

○人権課題として同和問題をかかげてありますが、実際にたずさわったことがないので、なかなか理解できなかったことが大変よく分かりました。(70代女性)

○先入観を持つことで、人を決めつけてはいけないと思った。広い視野を持ち、しっかり人の話を聞き、お互いに知ることが大事だろう。(30代男性)

○身近な問題を例にしてもらい、とてもわかりやすく改めて気付かされた感じでした。無恥ということのおそろしさ、情報過多時代に気をつけないといけない思いました。(40代女性)

○「普通」「当たり前」という感覚が刷り込みだとの発想はとても面白かった。(40代男性)

○自分の子供の人権について、話すことがなかったので考えさせられました。流言飛語、確かに大問題であることを確認させられました。(30代女性)

○とてもわかりやすい内容でした。人権問題に関していじめ問題も含め無関係な存在はあり得ないとつくづく感じました。本日は大変ありがとうございました。恕を大切にして生活していきたいと思います。(50代男性)

○子供たちが知らないこと、疑問に思っていることをきちんと説明できるようにまずは親が学び、理解して教えていく必要があると再度考えさせられました。(人権問題、いじめ問題、部落差別等)地域づくりは、まずは自分たちから始める。(30代男性)

○わかりやすく、自分の心を問い直す良い講演をしていただきました。(60代女性)

○無知ではいけない、人として正しい判断ができなくなる。人のために正しい判断ができるように正しい知識を身につける。(30代男性)

○とても分かりやすくお話しいただきました。差別心が生まれる構造、思い込み、恕。(40代女性)

○差別心、偏見が生まれるのはなぜか、差別心、偏見をなくすためには、どのようにすればよいのか。それは、正しい教育ではないだろうか。幼・小・中・高校と正しい、公正な公教育をお願いしたい。(60代男性)

○差別心が生まれる構造を教えていただき、子供を育てる親として、決めつけや思い込みを子供にできるだけ伝えないように気をつけたいと思いました。そして、「恕」の心を持った大人に育てたいと思いました。ありがとうございました。(30代女性)

○差別心が生まれる構造として、刷り込み→決めつけ、思い込み→偏見ということは、確かだと思いますが、講師の質問で、例えば、“牛”のイメージ(色)があった。3つの中から選ぶことこそ刷り込みさせているように感じた。(様々な色の牛がいると思っても一つだけ選ばなければならない)あえて、選ばなくとも良いのではないだろうか。人もいろんな考えの人がいる、一人一人を尊重すべき!(60代女性)

○先生のお話はとても丁寧で、わかりやすかったです。今後の活動に活かしていきたいと思います。(自助・互助)共助の大切さを痛感しております。(60代女性)

○大人になると人権についての話や勉強する機会がなくなりますが、今回はとても為になるお話を聞くことができました。この様なお話しを子供たちは学校で学ぶことはありますが、子育てをする親はいつの間にか忘れ、日々生活しています。時には、人権について学ぶことで今の時代に起きているいじめ等の問題解決にもつながっていくのではないかと感じることができました。今日は参加できて良かったです。(30代女性)

○今まで幾度となく話は聞いてきましたが、何回聞いても良い。「ハッ」とする思い返す機会を今日いただきました。ありがとうございました。(70代女性)

○日常の中に育ってきた環境の中で、気づかないうちに思い込んでいる部分がある・・・・ということ、ドキッとしました。人と人、言葉と言葉の大切さを改めて感じました。(50代女性)

○機会があればできるだけ伝えていきたいと思います(60代女性)

○改めて気づきました。(80代男性)

○中川先生のお話ぶり(一方的な講話ではなく、話のま)が味わい深かった。紹介していただいた話で、自分の心が洗われ感動した。人権感覚を磨き、相手の立場に立って行動できるように心がけたい。ありがとうございました。(50代女性)

○人はイメージ先入観で物事を判断していることがある。(50代男性)

○とても良かったです。ありがとうございました。(70代女性)

○魚の絵など、刷り込みによるものが多いことに気づかされました。差別のもとになるのは、誰にでもあるのだと感じました。(30代女性)

○決めつけ、思い込み、噂を盲信するのではなく、自分で考え、判断することが大切だと改めて感じました。ありがとうございました。(20代男性

○改めて人権感覚を磨くことの大切さを感じました。自助、共助、互助の大切さを日頃から感じています。(70代男性)

○知らず知らずのうちに刷り込まれた「偏見」をなくすには、素直にものごとを見る正しい知識である。無知を恥じるのではなく、無知のままで誤った判断が偏見を持つことを恥じるようにしたい。人権感覚を持つために「自尊感情」を持つ、自分が価値ある存在という感覚をまずははぐくむことが肝要。(50代男性)

○今でもこのような差別やいじめ等、残っているのは大変残念なことである。今後、人権尊重を大切に、つながり感を実感できるまちづくりに私たちもしっかり取り組まねばならないと思った次第です。(40代男性)

○幼い頃からの刷り込みにより、偏見と意識していない偏見が自分自身の中にあることに気づきました。(60代女性)

○自分の中にある偏見や思い込みに気づく機会となりました。日常的に自分の考えを振り返るようにしていこうと思います。ありがとうございました。(50代女性)

○柔らかい口調で大変聞きやすかったです。ありがとうございました。(40代男性)