地域の力を活かし、子どもたちを健やかに育てましょう
〜できることを、できる時に学校支援ボランティアを〜
平成26年4月21日
益城町役場


 皆さん、こんにちは。熊本県教育委員会社会教育課が昨年度から事業を始めました学校を核とした地域の寺子屋プランナーの中川です。よろしくお願いします。
 本日は、皆さんの貴重な時間をいただき、学校応援団活動について約1時間ほど時間をいただきましてお話しをさせていただきます。よろしくおつきあいください。
 民生児童委員の皆様は、福祉関係の仕事の傍ら学校を訪問されたり学校応援団の一員として学校教育のお手伝いをしている方が大勢いらっしゃいます。私は現職の頃から、福祉と連携した教育を進めていかねばならないと強く思っていました。福祉と教育を接続する活動をしていらっしゃる民生児童委員の皆さんと学校応援団活動について考えることができますことをうれしく思っています。
 早速ですが、家庭教育の力が低下したでありますとか、親子の絆が薄くなったとか、子どもたちのコミュニケーション能力が弱くなったとか、子どもたちの体験活動の機会が少なくなったなど言われはじめて久しいのですが、これらに関して私が見聞きしたいくつかの事例を紹介します。
 私は平成16年から6年間、益城町の社会教育指導員をしていました。益城町教育委員会では、公民館活動の一環として16講座ほど主催講座を開設しています。益城町には学習意欲旺盛な方々が大勢いらっしゃいます。公民館講座受け付けの初日は体育館で行っていました。講座には定員があります。人気の高い講座はすぐに定員いっぱいとなります。そこで、早い方は朝の4時頃から体育館玄関に並んでいらっしゃいました。このように学習熱心な方がたくさんおいでです。今もそうだと思います。
 このように講座受け付けは午前中は大変多いのですが、午後はちらほらと来られます。そんな中、3歳くらいの幼児をつれた若いお母さんが受付を終えて帰られるときのことです。体育館玄関で、幼児に対して「○○ちゃん、あんよ出して」と言って足を出させ、お母さんが靴を履かせて手を引いて帰られました。しばらくして、おじいさんが同じくらいの年格好の孫を連れて講座申し込みに来られました。そして帰るとき、「○○、靴は自分で履ききるど?じいちゃんが見とるけん、自分で履け!」と言って孫が靴を履くのをじっと見ておられます。知り合いの方でしたので私も一緒に見ていました。幼児は靴を履くのに四苦八苦しています。しばらくしたら自分で履けました。おじいさんは「あーあ、右と左反対に履いてしもうたね。ばってん歩ばるっど。」と言って孫の手を引いて帰られました。私はこの二つの靴を履くという光景を見て、家庭教育のあり方を考えさせられました。「子どもが自分でできることは自分でさせる」が家庭教育の基本であると思います。過保護とか過干渉とか言う言葉があります。この二つの事例だけで全てがこうだとはいえませんが、家庭教育のあり方を考えさせられました。
 次は、同級生から聞いた話です。熊本空港の近くにクヌギ林があるでしょう。あそこにカブトムシを採りに行った時のことを私に話したのです。


 朝、早うカブトムシを採りに行った。ちょうど、小学2、3年生くらいの子を連れた父親も来た。俺は1時間ばかりで10匹くらいカブトムシば採った。親子は一匹も採っとらん。そん時、父親が「そんカブトムシば売ってはいよ」て言うた。俺は「カブトムシの採り方ば教えてはいよ」て言うなら教ゆるはずだった。ばってん「売ってはいよ」ばい。俺はすぐに「売らん」て言うた。 今ん親は何ば考えとっとだろか。「カブトムシはどぎゃん所におるですか?」って聞くのが親だろう?

 体験活動の機会が少なくなったのは子どもだけではなく親世代も同じだなと思いました。
 3番目は、母親と子どもの会話から考えたことです。昨年の6月頃だったと思います。暑い日、3、4歳くらいの子が公園の噴水の下で水遊びに興じていました。噴水の水に打たれて気持ちよさそうでした。そして「ママー、見て。虹のきれいかぁ。」と母親に声をかけました。母親は携帯操作に夢中で、子どもが何度「虹がきれい」と言ってもその声に無反応でした。そして、携帯操作が終わったのか、「○○ちゃん、帰ろう」と遊びを止めさせて帰りました。水遊びの楽しさや虹の美しさをどうして親子で共有しないのだろうと私は思いました。楽しさや美しさに共感する者がいることで感動は倍加します。
 4番目は、公園で見かけた子どもたちの様子です。数人の子が滑り台の上で、思い思いに自分が手にしたゲームに夢中になっています。一緒に遊んではいるものの遊びの中身はそれぞれ違います。私が小さい頃は近所の子どもたちがつるんで同じ遊びに興じていました。かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたり、陣取りをしたり。皆さんもそうだったでしょう?陣取りで思い出すのは、一番下の弟をおんぶして遊んでいると、背中がじわーっと温かくなることがありました。小便を漏らしてしまったのです。そんなとき、陣取りから一時離れておむつを取り替えてまた遊びに興じていました。私はあのようなことが兄弟の絆を強くしたり、隣近所の友達とのつながりを強くしていたと思います。また、群れ遊びを通してルールをまもることや協力することの大切さ、我慢しなければならないことがあるなどを覚えました。
 5番目は、ユーモアの中に家族の絆を表現した詩を紹介します。昭和30年代山形県で、生活の様子を綴ることによってものの見方考え方を伸ばそうという教育が行われていました。無着成恭さんの名前は皆さんも記憶にあると思います。その無着成恭さんが編集した「ふぶきの中に」に「屁」という詩が収録されています。目を通してみてください。


     「屁」
         横戸 栄子

   葉煙草の収納がちかづき
   家中きちがいのように葉煙草をのしているときだった。   
   あねさが、
   私の家に嫁に来てから七年もたち、
   二人も、子供を持っているあねさが、
   前にからだをまげたひょうしに、
   プッと 屁をむぐしてしまった・・・・・

   私の家に嫁に来てから
   はじめてたれた屁であった。
   あねさは顔を真っ赤にし、
   「仕事の方さばっかり気とらっで
   むぐしてしまってはあ。
   おら、ぶちょうほうしたっす。」

   「みんなあることだ
   仕事しているときなのなおさらっだべづ。
   ほだな、きにすんな。」
   と慰めながら「おっかあ」を見ると、
   おっかあも
   「ンだ、ンだ。だれでも、あるごんだ。」
   といって笑った。

 「むぐす」は、東北地方の方言で「漏らす」という意味だそうです。
 どうですか?思わず笑い出している方もいらっしゃいますね。「屁」を漏らした姉さんの恥ずかしそうな表情、それを気遣う栄子さんの心情、お母さんの優しさが手に取るように分かりますね。この詩には、家族の温かい愛情がにじみ出ていますね。日頃は、口にすることがはばかられる「屁」を題材としたこの詩は、そんな家族の心のつながりを見事に表現しています。また、互いに信頼しあっている家族だからこそこんな詩ができたのだろうと思います。これこそ、この家庭で生活している栄子さんにしか書けない詩だと思います。
 このように、子育ての中には家庭でしかできないことがたくさんあります。親子は、血のつながった自然関係です。関係の深さは濃密です。その濃密な関係だからこそ、親にしかできない子育てがあると私は思います。先ほどの携帯に夢中になっていた母親との違いを感じます。
 ほんのある一場面の出来事から今日の家庭教育や社会教育、あるいは子どもたちの世界はこうだと論じることはできませんが今の子どもたちのおかれている状況を垣間見た思いがしましたので紹介しました。
 次は、旧豊野町子ども会育成会長さんの話です。


 学校で勉強はしない、悪さはする、ずる休みはする、たまに「学校に行ってくる」と言って家は出ても山学校はする、山学校とは分かりますね。学校には行かずに近くの山や田畑で過ごし、みんなが帰る頃学校に行ったふりをして帰ってくることですね。こんな一人の中学生がいました。この子は、地域でもあの子は「わるごろ」とレッテルを貼られていました。私は、家庭でも学校でも地域でもわるごろとレッテルを貼られている子だからこそ、子供会で一緒に活動をさせ、地域の子の一人として中学校を卒業させたいと、子供会がある度にこの子を誘って一緒に活動させていました。育成会員の中には、「あのわるごろば子供会の活動にかてるのはどぎゃんでしょうか」との意見もありました。でも私は毎回彼を誘って子供会で活動させました。その子が中学校を卒業して仕事に就いた6月頃、「悪ごろといわれていた自分が中学校を卒業し、就職できたのもおじさんが子供会に誘ってくれたから。もうすぐ夏休み。自分が子供会で一番思い出に残っているのは海水浴でのスイカ割り。今年も海水浴でスイカ割りがあるだろう。その費用の一部に使ってください」との手紙に、初めてもらった給料の中から数千円を同封して送ってきました。私はこの手紙を海水浴に行くバスの中で読み上げました。私が手紙を読み終わると、育成会員は「あれはそぎゃんこつば思っていたのか」と自分の行為を恥じました。

 豊野町の育成会長さんは、「学校でも家庭でも地域でもきつい思いをしている子こそ、地域みんなで育てていきましょう」と語りかけられたのだと私は受け止めました。
 今学校は、学校が持つ教育力だけで子どもを育てる考えから学校・家庭・地域社会が連携しながら子どもを育てる方向へと進みつつあります。その理由には、社会がますます複雑多様化していること、子どもを取り巻く環境が大きく変化していることなどがあげられると思います。例えば、兄弟数の減少、3世代同居家庭の減少などでこれまでは家庭内で自然に身につけていた他を思いやる心、家族で協力し合う姿勢、我慢する心、コミュニケーション力などを身につける機会が少なくなっていることです。地域との結びつきも弱くなってきました。また、環境問題、福祉問題、エネルギー問題など新たな学習課題も生まれてきました。このような中、学校にはますます過剰な役割が求められるようになっています。このような状況のなかで、これからの教育は、学校だけが役割と責任を負うのではなくて、これまで以上に学校、家庭、地域の連携協力のもとに進めていくことが不可欠となっているからです。
 このことは、教育基本法にもうたわれています。


教育基本法第13条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)

 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 そして、学校支援地域本部事業でありますとか、放課後子ども教室、学校を核とした地域の寺子屋事業、コミュニティ・スクールなどが文科省や熊本県教育委員会の事業として推し進められています。
 学校支援地域本部事業は益城中央小学校が指定を受け、事業を展開しました。民生児童委員の皆さんの中には学校応援団の一員として益城中央小学校で学習活動のお手伝いをしていらっしゃる方も多いと思います。これは、学校の教育活動を支援するため、地域の皆様が学校支援ボランティアとして学校教育活動を支援していただくものです。地域につくられた学校の応援団です。
 放課後子ども教室は、これまで飯野小学校と津森小学校で、公民館講座のそろばん教室の受講生の皆様の協力をいただいて、そろばん学習を中心とした子ども教室を実施してきました。子どもたちはボランティアの皆さんの親切丁寧な指導のおかげでそろばんに興味を示し、そろばんの技能を身につけています。中には3級や2級に合格できた子もいます。今年から広安小学校と広安西小学校でも実施します。
 地域の寺子屋事業は、熊本県教育委員会社会教育課の事業です。本日、私はこの事業のプランナーとして皆様にお話しをさせていただいています。
 コミュニティ・スクールは、今年、益城中央小学校が文科省の指定を受け研究に取り組んでいます。
 これらは学校と家庭、地域が連携協力して子どもたちを育てていこうとするものです。この学校、家庭、地域が連携して子育てしていく協働体勢を大阪大学の志水宏吉先生は「スクールバスモデル理論」として説明しておられます。
 図を見ておわかりのように先生は、学校教育の構成要素を大きく4つに分けておられます。一つが、エンジンとハンドル・アクセル・ブレーキ部分です。二つが、バスの前輪です。三つが後輪です。四つが、バスの内装と車体部分です。この中で私が特に注目しているのは、バスの4輪です。右前輪が先生方による「すべての子どもの学びを支える学習指導」です。左前輪が「豊かなつながりを生み出す生徒指導」です。そして右後輪が「家庭教育の充実と家庭の学校への協力・応援」です。左後輪が「地域の教育力の充実と学校への支援」です。志水先生の提唱からも分かるとおり、 学校・家庭・地域社会がそれぞれの教育力を活かし連携することで確かな学力を身につけた子どもを育みます。ここに学校応援団の存在価値があると思います。
 今益城町では、各学校とも民生児童委員さんをはじめ、公民館講座生の方々、老人クラブの方々、嘱託員さん、交通指導員の方々、婦人会の方々、おじゃめクラブの方々などたくさんの方々が学校応援団の一員として学校を応援していらっしゃいます。皆さんの見守りで子どもたちは体験を豊かにし、確かな学力を身につけ、安心して登下校ができています。その中で子どもたちはいろんなことを感じ、心を豊かにしています。このことは子どもたちのお礼の手紙などから伺えます。
 そこに町内のある学校の子どもたちがボランティアの方へ送ったお礼の手紙の一部を記しています。


子どもたちのお礼の手紙から

・「字が上手だね。読みやすいなー。」と言ってくれてうれしかった。
・1問間違えた時、「あとちょっとだね。」と言ってくれてうれしかった。   
・「がんばったね。」と言ってくれてうれしかった。
・「もちょっと丁寧に書くと、読みやすいよ。」と言ってくれてうれしくなり、やる気が出てきた。
・「おはよう。」と大きな声で挨拶してくれて、僕は元気になります。
・「おはよう、行ってらっしゃい。」とか「お帰り、学校楽しかった?」と聞いてくれたりしてとてもうれしいです。
・(ボランティアは)お仕事ではないのに自分から進んでやるなんて本当にすごいし、かっこいいと思います。今度から僕も進んでゴミを拾ったりしたいと思います。大人になったらボランティアをしたいです。

 これらの手紙から、子どもたちは地域の方々から見守られていることを実感し、地域の方の一言で学習意欲を沸き立たせ、元気をもらい、ボランティアの人々を自分の将来像にしていることが分かります。
 実は、これらの一つ一つが21世紀に生きる子どもたちに最も必要だと言われています「自尊感情」を育んでいるのです。自尊感情とは、自分自身を価値あるものと思う感情で、人が健やかに心の成長を遂げるために必要な感情のことです。見えない学力とも言われています。
 わかりやすく表現しますと、家族は俺を愛し信頼している、先生は俺を応援している、友達は俺を分かってくれている、この俺を大事にするぞなどと思う感情のことです。家族は俺を愛し信頼していると実感している感情を「包み込まれ感覚」と言います。俺ってたいしたもんだ、この俺を大事にするぞという気持ちのことを「自己受容感覚」と言います。友達との絆を実感している感情は「社交性感覚」と言います。自分を価値ある人間と思う感情を「自己効力(有用)感覚」と言います。これらの感情を総称して自尊感情といいます。
 この自尊感情は私たちの誰にもあるのですが、自尊感情が高い人、低い人がいます。また、私たちには高い状態、低い状態があります。
 私は、引退した元幕内力士高見盛が好きでした。人気者でしたね。高見盛が相撲に勝って花道を下がっていた姿、皆さんもご存じでしょう。胸を張って顔を上げて意気揚々と下がっていました。逆に負けた時は、下を向いてしゅんとなったような状態で下がっていました。胸を張って上を向いている状態が、自尊感情が高い時と思っていただければわかりやすいと思います。下を向いている状態は低い時です。自尊感情が低い状態が長く続くと要注意です。子どもや若者だったら不登校や引きこもりにならないとも限りません。高齢者だったら高齢者鬱病にならないとも限りません。身近にこのような人がいたら声をかけてください。
「近頃、元気のなかごたるばってんどぎゃんかしたつな?」「俺に加勢できるこつはなかな?」などと。少し横道にそれました。元に戻します。
 学校支援ボランティアの効果はいろいろ挙げられます。
 第1は自分自身の生き甲斐づくりとなることです。そろばん講座を受講している○○さんが熊日新聞に投稿された文を見てください。


平成22年3月26日 熊日新聞掲載
                子どもに指導 そろばん楽し
                                                  ○○

 ぼけ防止にと、益城町公民館講座でそろばん講座に入り、月に2回練習しています。
50年ぶりのそろばんですが、自然に手や指が動き、自分でもびっくりしました。学校や職場でやっていたことを体が覚えていてくれたのか、動きの遅かった指が練習を重ねるごとに早くなり、脳の活性化にそろばんが一番だと思いました。
 最近は、脳の活性化と同時に楽しみが増えました。それは月に数回「放課後子ども教室」にそろばんの指導員として町立津森小学校と飯野小学校へ行っているからです。益城町では、公民館講座で学んだ知識、技能を地域と連携した学校教育の一環として「放課後子ども教室」へ行き指導しています。
 わんぱく盛りの子どもたちが少しずつ、そろばんに興味を持ち、やり始めた時のうれしさ、そして全珠連珠算検定に向かって一生懸命練習する子どもたちの姿を見ていると、自分の老いを忘れてしまうほどです。検定に合格した子どもたちに拍手を送り、子どもたちにいろいろ教えられる日々ですが、そろばんを通してこんな毎日が送れることに感謝しています。

 もう一つは、△△さんの手記です。


学校応援団員のひとりとして思うこと
                                                   △△

 私は、70歳でそろばん教室を受講しました。60年ほど前、そろばんを学校で少し習いました。それ以来のそろばんです。ですから、「1+1」から教えて頂きました。10までの足し算・引き算ができるようになり、見取り算の練習に入りました。そして、かけ算・割り算を教えて頂きました。練習を始めて6ヶ月後、8級の検定試験を受けました。試験を前に、心臓がどきどきするのが分かります。試験となるといくつになっても緊張するものです。試験に合格し、先生から合格証を戴いたときのうれしさは忘れることができません。小中学生の頃にかえったようでした。それから、そろばんのおもしろさが分かり、毎日、時間を見つけて練習しました。4級の試験では、210点での合格でした。練習の時は、ほとんど満点が取れていました。合格はしたもののあまりうれしくありませんでした。そこで、家で一人、試験のつもりでやってみました。かけ算・割り算・見取り算すべて満点でした。思わず、万歳と叫びました。
 小学校のそろばんの勉強の手伝いに行きました。親指だけで珠を入れる子、珠を入れるのは親指か人差し指か迷っている子、5珠が下りているときの足し算の仕方が分からないで悩んでいる子、それらが手に取るように分かります。「7はいくつで10になるね」などの声かけで、「分かった」と珠を動かしていきます。分かったときのあの笑顔は忘れることができません。私のちょっとした声かけで子どもが分かったときは、私もうれしくなりました。そろばんの勉強が終わって、給食をごちそうになり子どもたちといろんな話をしました。
 近くのスーパーで買い物をしているときなど、「あっ、そろばんの先生。こんにちは」と挨拶する子が増えました。私も、「そろばんの勉強はしているね?」「先生の話はちゃんと聞いているね?」などと声をかけるようにしています。
 そろばんの練習を通して、新しい友だちができました。子どもたちとも顔見知りになりました。これは、私の一生の宝物です。

 いかがですか。
 ○○さんは、「子どもたちがそろばんに興味を持ち、やり始めた時のうれしさ、そして全珠連珠算検定に向かって一生懸命練習する子どもたちの姿を見ていると、自分の老いを忘れてしまう」「子どもたちにいろいろ教えられる日々だが、そろばんを通してこんな毎日が送れることに感謝している」と言っています。
 △△さんは、「そろばんの練習を通して新しい友だちができ、子どもたちとも顔見知りになった。これは、私の一生の宝物」と言っています。
 まさにボランティア活動を通して生きがいを見いだしておられます。
 第2の効果は「知の循環型社会を創り出す」ということです。
 公民館講座等で学んだ知識や技能、またはこれまで生きてこられた中で得た知識や技能を地域社会(地域社会には学校も含みます)に還元するボランティア活動をすることによって新たな疑問や課題が生まれ、それを解決するために新たな学びが始まります。
 皆さんは矢部町の通潤橋を見に行かれたことがあるでしょう。八朔祭りなどでは豪快な放水も見られます。あの通潤橋が小学4年生の社会科の教科書に載り、熊本県内外の小学4年生が勉強に訪れています。通潤橋の案内をする人たちは旧矢部町の老人大学で学んだ人たちです。案内ボランティアと腕章を付けた方が案内している様子をごらんになった方もいらっしゃると思います。その案内ボランティアのお一人から聞いた話です。


 平成7年1月、阪神淡路大震災が起きました。この年に、通潤橋を見学に来た子どもから、「1月、阪神淡路大震災がありました。この通潤橋はあのような大地震が起きても壊れませんか?」と質問されました。一瞬、熊本でも大地震があったはず。それに耐えて今もこのように強固な橋として残っているのだから「大地震が起きても壊れません」と答えようかと思いました。しかし、自分が勉強していないことを憶測で答えると子どもに間違ったことを教えることになるかも知れないと思い直し、「あのような大地震が起きてもこの橋は壊れないということは勉強していません。今の質問については勉強し直して、学校に返事を出すと言うことでいいですか」と言いいました。子どもは「お願いします」と言ったので県立図書館や町の図書館などで矢部地方の大地震を調べました。すると、「通潤橋完成まもなく安政南海大地震が起きた。そのとき、布田保之助が畳石にわずかのズレもないことを確認した」という資料を見つけることができました。それで、このことを手紙にしたため学校に送りました。

 この方の行為が、学習で得た知識や技能を活かしてボランティアすることによって新たな学習課題が生まれ、新たな学びが始まるということです。
 公民館講座そろばん教室でそろばんを学習している人は休み時間などに、「私はこう教えたが、子どもは理解しなかったようだった。どのように教えたら良かろうか」、「私がこう教えたら、分かったようで子どもがにっこり微笑んでありがとうと言ったよ」などと子どもにわかりやすい教え方を互いに学び合っておられます。これが、学びの風土を地域に作り上げ、根付かせていくと思います。童謡「めだかの学校」の歌詞の中に「誰が生徒か先生か みんなでお遊戯しているよ」があります。互いに教え合い、学び合う輪が広がることによって新たな地域づくりに繋がっていくと思います。
 地域の宝である子どもたちが学び、成長する場である学校は知の拠点であり、地域住民の心のよりどころであるべきだと私は思っています。そして、地域の宝である子どもたちを育てることに学校と地域とが責任を持つべきであると思います。これが学校を核とした新たな地域社会の創造だと私は思います。
 先日ある校長先生から「民生児童委員になったら必ず学校支援ボランティアをしなければならないのですか?」と辛口の質問があったとお聞きしました。昨年12月、どこの地域でも民生児童委員さんの交代がありましたね。新たに民生児童委員になられた方が、引き継ぎで「学校教育のお手伝いもしていた」という意味のことをおっしゃったそうです。それで新しく民生児童委員になられた方が学校の手伝いをしなければならないのかの質問が出たらしいのです。
 皆さん既にご存じのようにボランティア活動はあくまでも自発的な活動です。義務でも強制でもありません。個人個人の自由な意志により、考え、発想し、行動するものです。労力提供でもなければ滅私奉公でもありません。
 学校支援ボランティアとは、「地域の子は地域の力で育もう」という考えへの共感と、学校の受容による「教育活動」として行われる活動です。
 例えば、読み聞かせ 傾聴 採点 昔遊び 郷土料理 ミシン裁縫 見守り 習字 そろばん 焼き物 絵 郷土史 環境問題 農業体験などの中から「できることを、できる時に」をモットーに学校支援をしていただきたくことです。このことを縷々話をさせていただきました。
 時間となりましたので、平成26年3月発行の上益城郡退職校長会会報に私が寄稿しました「できることを、できる時にをモットーに上益城教育振興のお手伝いをしましょう」は、時間にゆとりがあるときにお読みください。
 高齢者福祉問題などで忙しく活動していらっしゃる皆様ではありますが、できることをできる時に学校支援してくださることを願いしまして話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。