生きていることのすばらしさや喜びを実感する教育


平成25年8月7日
御船町カルチャーセンター

 おはようございます。
 昨年、人権教育課題別研究会で話をさせていただきました。そのとき、中学校の道徳教材「一冊のノート」の話をしました。何人もの先生がハンカチで目頭を押さえていらっしゃいました。物忘れが多くなったおばあさんに対する中学生の孫の言動、そしておばあさんが綴った1冊のノートを読んで心を揺さぶられた中学生とご自分の思いとを重ね合わせての感動だったと思います。私は、講演の記録をいくつかホームページに掲載しています。それを見たある県の先生からメールが来ました。そのメールには、「一冊のノートを教材として道徳の授業をしました。一人の子が自分のおじいさんと重ね合わせて、『自分を育ててくれたおじいさんの物忘れがひどくなり、きつく当たる自分を恥じました。』と涙を流して発表しました。その他『お年寄りは嫌いと思っていた自分が情けなくなりました。』などの感想を出してくれました。生徒たちの心を揺り動かすことができる教材を示していただきありがとうございました。」とありました。また、昨夜は、福岡県のある町の人権教育指導員の方から電話があり、「一冊のノートを読んで涙が出ました。老人クラブや婦人会などの研修会で使わせてください。」との電話がありました。
 私は「命」について考えるとき、心が揺り動かされることはとても大切なことだと思います。それは、本を読んだり話を聞いたりしたことを自分が体験したことと重ね合わせて「我がごと」としてとらえているからです。
 昨日(平成25年8月6日)は、広島に原爆が落とされた日です。第68回広島平和記念式典が行われました。その中で小学生代表が「今、わたしたちは広島に生きています。原爆を生き抜き、命のバトンをつないで。命とともに、つなぎたいものがあります。だから、あの日から目をそむけません。命のバトンをしっかりと受け継ぎ、世界平和のために貢献できるような人になります。」という趣旨の平和の誓いを述べました。
 「命のバトンを引き継ぐ」ことを二宮尊徳が道歌として残しています。二宮金次郎が薪を背負って本を読んでいる銅像が小学校の校門横にあると思います。金治郎は成人して尊徳と名乗りました。尊徳は神奈川県酒匂川の堤防改修を始め農村の暮らしの改革に大きく貢献した人です。
 “父母も その父母も わが身なり われを愛せよ われを敬せよ”
 この道歌は、「あなたの命はあなた一人のものではない。父母、その父母と幾世代にもわたり、連綿と続いてきた命の炎が一度も途切れることなく続いてきたからこそ、あなたの命がある。あなたの身体の中には幾百万、幾千万という先祖の連綿たる命の炎が燃えている。尊い命の結晶が自分であることに思いをはせ、自分を愛し、自分を敬うような生き方をしなければならない。」という意味です。
 両親との年の差を30歳として、3代100年遡ると16人の先祖が居ます。30代1000年遡ると10億人以上の先祖が居ます。このうち一人でもいなかったら今の私はこのように存在しません。生命誕生は、約5億の精子が1個の卵子に巡り会ってのことでしょう。このようなことを考えると、今私がここに居ること自体、奇跡としか言いようがありません。「奇跡である私の存在、この私を支えている命は私だけのものではない」ということを子どもたちに伝えたいと思います。
 「命の大切さ」について指導するよう文科省や県教育委員会等からの指導があっていると思いますが、私はというより私たちの世代は、「命の大切さ」について学校でも家庭でも教えられたことはありません。命を大切にすることは当たり前のことだったからです。毎日の生活の中で自然と学び身につけていたからです。
 このことをノンフィクション作家柳田邦男さんは、「バーチャル映像より現実体験を」の中で次のように述べています。


(1)兄弟姉妹も近所の友達も多く、群れをなして遊ぶ中で、たとえ喧嘩をしても、急所は蹴ってはいけないとか卑怯なことはしてはいけないということを、子ども同士の中で教えられた。
(2)テレビもゲームもなく、暴力や殺戮の過激な映像が、社会の中でも家庭の中でも、日常的に提供されることはなかった。
(3)出産も闘病も老衰も死も、日常の家庭の中にあり、幼少期から生老病死を自然な人間の営みとして、身近に見ていた。
(4)親子三代、同居または近くに住むことが多く、子どもの数も多かったので、「人の道」として生き方ややってはいけないことや生活の知恵が、いわば家族の文化として、日常生活の中で伝承されていた。
(5)日本全体として貧しい家が多かったことから、子どもでも自分で自分の生活に責任を持ち、早く自立しなければならないという自律心と自立心を、十代半ば頃には持つのが一般的だった。

柳田さんが述べていますように、毎日の生活の中で「命の大切さ」を実感していました。
 私は農家の長男です。家に馬1頭、乳牛を4〜5頭飼っていました。学校から帰ると、牛馬のえさになる草切りに行っていました。乳搾りもよくしました。お湯で湿したタオルで乳房をきれいに拭いて搾ります。牛の乳は、ただ、ギュッ、ギュッと搾るだけでは出ないんです。親指から人差し中指、薬指、小指と順番に折り曲げながら搾っていくのです。(数人の先生が乳搾りの動作をしている)乳搾りの経験がおありの先生がいらっしゃいますね。乳搾りの指の動作がお上手です。乳搾りの経験のある先生、挙手してください。何人もいらっしゃいますね。乳搾りは、気持ちよいでしょう?。牛も気持ちがよいようです。ところが、夏の今日のように暑いときは、アブが牛の血を吸うために牛の腹にとまるのです。それで、牛はアブを追い払おうと、しっぽを振ります。そのしっぽの先が乳搾りをしている私の頬に当たるのです。もう痛くてたまりません。それでも途中で乳搾りを止めるわけにはいきません。痛さを我慢して乳を搾り続けました。牛は、自分の糞の上であろうが小便の上であろうが平気で横になります。体は糞だらけです。それで、川に連れて行き、体を洗ってやります。あるとき、私が前屈みになって体を洗ってやっていると、私の背中に前足を乗せてきました。私は押しつぶされ、川底に沈みました。もがいてももがいても牛の足から逃れることはできません。死ぬかと思いました。必死にもがいて牛の足からやっと出たこともありました。お産に立ち会うこともありました。ある晩のことです。前足だけが出て、なかなか子牛が生まれ出ません。真夜中でしたが獣医さんに来てもらいました。獣医さんは前足に縄を附け、「ゆっくりゆっくり引きましょう」と言いながら、父と一緒に引き出しました。そのとき生まれた子牛は、前足のすねにほんの少し黒い毛があるだけで全身真っ白でした。牛に名前をつけたことなどなかったのですが、その子牛を「しろ」と名付けて、搾った乳を飲ませたり、切ってきたばかりの草を食べさせたりして可愛がりました。その子牛が結核にかかりました。育てることは出来ません。殺処分しなければならないのです。業者がトラックで子牛を引き取りに来ました。トラックに牛を乗せようとしますが、前足を突っ張って動こうとしません。牛にも分かるのでしょう。父がトラックの荷台に乗って引っ張り、私たちが尻を押します。子牛は涙を流しながら必死で前足を突っ張り動きません。父も母も私たち兄弟もみんな泣きながら牛をトラックに乗せました。あの時の牛の悲しそうな顔、そしてトラックが動き出したときの「めー」という声は今でも忘れることは出来ません。
 3番目の弟が生まれたときのことです。母は牛小屋の敷きわらを出していました。私も手伝っていました。母はおなかが痛いと言って仕事を止めて、しばらくして産婆さんが来ました。間もなく「おぎゃー」という産声が聞こえました。生まれたばかりの赤ちゃんの顔を見たのはそのときが初めてでした。真っ赤でしわだらけだったことを覚えています。私の長男が生まれたときのことです。妻が分娩室に入りました。私は動物園の熊のように分娩室の前を行ったり来たりするばかりでした。どれくらいの時間行ったり来たりしたでしょうか。分娩室から「おぎゃー」と産声が聞こえたとき、分娩室に招かれて生まれたばかりの長男を目にしたときの感動は今でも忘れることはできません。
 父の死については、昨年お話ししました。
 以前の日本は、このように動物や家族の生死と隣り合わせで生活していました。毎日の生活の中で知らず知らずのうちに「命の大切さ」を身につけていました。
 私がある小学校で担任している子が、社会体育で柔道の稽古中に事故死しました。指導をしていた方は刀剣収集家です。休憩時間、訪ねてきた指導者の知人が、「最近、新しい刀を手に入れたそうですね。」と聞いたそうです。指導者は、手に入れた刀を見せ、目釘を抜き、刀の柄から刀剣を取り出し、銘まで見せたそうです。そして、刀をさやに収め、その刀で居合抜きを披露したのです。その時、刀身がピューと飛び、正面に座っていた子の胸に突き刺さりました。心臓直撃だったそうです。その子の家は柔道練習場の近くでしたので、すぐに母親に抱かれ、日赤まで救急車で運ばれました。母親は自分の手の中で次第に冷たくなる我が子の名前を必死に呼び続け、両手で抱きしめていたそうです。病院で死が確認されました。このことを知った私や地域の人、クラスの子どもたちの衝撃は言葉で言い表すことはできません。通夜にクラスの子どもを連れて参列しました。お母さんは、実名で言いますが「タカオ」「タカオ」と遺体が横たわっている側で、子どもの名前を口にしておられました。そして、子どもたちの手を一人一人握りしめ、「○○ちゃんの手は温っかねぇー。」と言っておられました。お母さんの手には冷たくなったタカオ君の手の感触しか残っていなかったのです。葬儀の日の午前中、勉強していると一人の子が、「先生、タカオ君が燃えよる。」と大声で言いました。火葬場は教室から見えていました。子どもたちは勉強どころではありません。みんな火葬場の方を向いて泣きながら手を合わせました。そして、タカオ君の分まで命を大切にしていくと誓い合いました。
 今の時代は、兄弟姉妹が少なく、近所の子どもも少ないので、屋外で群れて遊ぶことはほとんどありません。群れて遊んでいても自分のゲーム機をいじったりしています。このような遊びの中で、社会性を身につける機会は少なくなりました。テレビやゲームなどの過激な情景に日常的に接するようになりました。子どもの心の中では、バーチャルな映像が現実的体験よりも優位になって、残虐行為に対する抵抗感が稀薄になっています。生老病死が病院や施設内でのことになってしまったために、命を愛おしむ心が育ちにくくなっています。核家族化により、生きる知恵ややってはいけないことの心得などが伝承されにくくなっています。経済的に豊かになったことが、子どもの自律心・自立心の形成を遅らせています。ものに対する欲望が膨らみ、金欲しさに走らせる要因にもなっています。
 このような時代となり、学校や社会で「命の大切さ」を教えなければならなくなりました。「命」と向き合う機会を学校や地域で子どもに提供しなければならない時代となりました。
 命の大切さと向き合う機会を提供し、命について学ばせると同時に、「生きる喜び」や「命を輝かせる」ことを体験を通して実感させ、教えねばならない時代となりました。
 私は昨年まで上益城郡退職校長会の事務局長をしていました。亡くなられた先輩の葬儀に幾度か参列しました。その場で、お孫さんがお別れの言葉、弔辞を霊前に捧げる光景を何度かみました。自分を可愛がってくれたおじいさんを亡くした悲しみに体を震わせ、涙を必死にこらえ弔辞を読む後ろ姿からおじいさんの死を我がごととして受け止めていることがよくわかりました。
 資料を見てください。「子どもたちが実感する生きる喜び」を表にしています。
 「自己肯定感」「自己有用感」「成就感・達成感」「自然や生命への畏敬の念」「人を愛する喜び・人に愛される喜び」「五感で感じる喜び」「芸術に関する感動」等を子どもたちそれぞれの発達段階に応じて実感させて欲しいと思います。例えば、中学校の体育祭の応援団活動で団をまとめ上げ、演技を披露し終えた成就感・満足感で涙する光景をよく目にします。あの感動が子どもたちが心を揺り動かされること実感している生きる喜びです。部活動で勝ったときの喜びの涙、負けたときの悔し涙、飼育した動物の死に接した悲し涙を体感させましょう。ペットショップで飼ったカブトムシが死んだとき「お父さんカブトムシの電池が切れた。電池を替えて。」と言う我が子に愕然として、親子で山にカブトムシを採りに行き、そのカブトムシが死んだとき「お父さんカブトムシが死んだ。お墓を作ってやろう。」と言う我が子に安堵したという話を昨年しました。体験を通して生死に向き合うことがいかに大事かと言うことです。私は現職の頃、学校で牛か馬を飼いたいと思っていました。区長さんと相談して飼う一歩手前まで行きましたが、長期休業中の飼育や飼育中の事故等諸々のことで断念しました。学校では、ウサギとか鶏などを飼っていますが大型の動物を飼育し、子どもたちが牛の乳を搾ったり、馬に乗ったりして牛馬に触れあわせたかったのです。
 先生方、体験を通して、「命輝く人間の大切さ」を子どもたちに実感させてください。
 自尊感情を育むことも重要な課題の一つだと思います。自尊感情とは一言で言えば、「俺の家族は俺を愛し、信頼している。先生は俺を応援している。友達は俺のことを分かってくれ、俺を大事にしてくれている。俺ってたいしたもんだ。捨てたもんじゃなか。この俺を大事にするぞ!」という感覚です。このような思いを一人一人に育みましょう。
 自尊感情を構成している「包み込まれ感覚」「社交性感覚」「勤勉性感覚(自己効力感)」「自己受容感覚」については、昨年触れましたので本日は割愛します。本日は、違う角度から自尊感情を見てみたいと思います。
 先生方は、子どもたちの良いところ探しで、一人一人の子どもたちにプラスメッセージを送っていらっしゃるでしょう。これは、本人も周りもプラスと思っているところへさらにプラスメッセージを送ることです。このことによって育まれる自尊感情を「状況的自尊感情」と言うそうです。
 これも大事なことですが、本人も周りもマイナスととらえていることへプラスメッセージを送り、自尊感情を高めて欲しいのです。
 ある学校での人権集会での出来事です。
 「私の肌の色が黒いことで、『色が黒いくせに。』と言われます。自分がとても気にしていることを言われて、学校に行くことができなくなるくらいつらいです。」と、6年生のA子が涙を流しながら訴えました。
 シーンとした会場で、子どもたちから、「これから絶対、言わないから、ごめんなさい。」「冗談のつもりでした。許して下さい。」「軽いつもりで言っていたけど、こんなに深く悲しんでいるということを初めて知りました。これから言わないから、許して下さい。」など子どもたちが謝りました。意見発表が終わったかなと思っていると、一番前に座っていた1年生の女の子が、「Aねえちゃんは、色が黒いのがよう似合う。」と言ったのです。この1年生の言葉は、他の子どもたちとは異質です。他の子どもたちは、A子の肌の色が黒いことをマイナスと思っています。A子もそう思い、気にしています。周囲はそのことにさらにマイナス・メッセージを送っていたのです。だから、「ごめんなさい」と謝りました。しかし、1年生の子は、Aねえちゃんの黒い肌の色をマイナスとみていません。それで、「Aねえちゃんは、色が黒いのがよう似合う。」の言葉が出たのだと思います。
 A子が、「この1年生は自分を丸ごと大事にしてくれている。」と思ったとき、A子が抱く感情を「核心的自尊感情」と言うそうです。「リフレーミング」と言う言葉があります。マイナスと思っているところへプラスメッセージを送ることで自分を丸ごと受け入れることができるようになるのではないでしょうか。この核心的自尊感情が重要だと大阪教育大学の園田教授は言っておられます。
 心が揺り動かされる情動体験を子どもたちに数多く味わわせて欲しいのです。
 そこに示していますように、「自然にふれる自然体験」を通して、人とのつながりを実感できる「社会体験」を通して、「誕生や成長の喜びにふれる体験」を通して、「老いにふれる体験」「死の悲しみにふれる体験」を通して子どもたちの心を揺り動かし、感性や想像力を豊かにして欲しいと思うのです。
 生活科は平成4年から実施されました。この年、人吉市の西瀬小学校で生活科の研究発表会がありました。当時、私は県教育委員会社会教育課で生涯学習の推進を担当していました。生活科は生涯学習の始まりだととらえ、私はその研究発表会に参加しました。発表会には分校の子どもたちも参加していました。分校から参加した6年生の男の子に犬がついてきました。男の子は何度も追い帰そうとしたそうですが学校までついてきました。男の子は犬が参観者等の迷惑にならないように首にひもをつけて一日中、校庭を犬と歩き回っていました。そのときの講師は当時の文部省生活科教科調査官の中野重人先生でした。先生は、講評の中で、「犬の世話でとうとう授業には参加できなかった6年生の子が、本日一番学習した子だったでしょう。理由は先生方考えてください。」とまとめられました。6年生の男の子は、この日いろんなことを考えながら犬の世話をしたことと思います。考えたことが学習だったのです。また、4年生の教室には生後1歳前後の乳児と母親が10組ばかりゲストとして来ていました。乳児とのふれあいを通して「命」を考えさせる学習でした。子どもたちは、おそるおそる赤ちゃんを抱っこしていました。そして、「かわいい」とか「あったかい」など子どもを抱っこした感想を発表していました。はじめはお母さんたちも不安な表情で子どもたちに赤ちゃんを抱っこさせていました。そのはずですよね。もし落としたらと思うと、気が気ではありません。子どもたちは、そのお母さんの表情を通して親の子に対する愛情、命の尊さを学び取ったと思います。
 情報社会の陰の部分として、現実と仮想現実との違いがはっきりと区別できていない子どもがいるようです。「兵庫・生と死を考える会」の調査(2004年11月)では、「11歳から12歳で、15〜20%近くの子どもが死んでも生き返れると思っている。こんな子は、テレビやゲームの暴力シーンを好む、お墓や通夜、葬儀に行った経験がない、祖父母と暮らしていない等の特徴が見られる。」と述べています。仮想現実と現実との違いを認識させることが今、新たな課題として生まれています。
 元気に走り回る犬をテレビ画面の音や映像を通して見て、犬はかわいいとか走るのが速いとか理解するのは犬の一部を理解したに過ぎないと思います。犬の全体像ではありません。犬に触れ、毛触りや体の温もり、心臓の鼓動、においを感じたりする体験を通して、犬の全体を理解することができるのだと思います。犬の「命」を実感することができると思います。こうして理解することが本来あるべき姿であると思います。画面型の知識取得から5感を働かせた知識取得へが今叫ばれています。
 夏休みに入って、NHKラジオでは、「夏休み子ども科学電話相談」があっています。通勤中、このラジオ番組を聞いています。先日、回答者が「本物を見て、本物に触れて相談してください。」と言っていました。私たちもテレビニュースで交通事故の場面を見ても、「大きな事故があったな。」くらいにしかとらえませんが、自分で車を運転しているとき、交通事故を目撃すると、「あんな事故を起こしてはならん。」と気が引き締まるでしょう。人ごとではなく、我がごとと受け止めます。
 「命の教育」は、先生方がどんなに優れた教材で優れた指導力で授業を展開されても子どもたちが命を「人ごと」としてとらえるなら命の大切さを本当に理解したとはいえないと思います。「我がごと」として受け止めることができなければ、それを行動化へ結びつけることは、難しいと思います。このようなことから命を我がごととして受け止める工夫がとても重要だと思います。
 先生方はアメリカの心理学者、マズローの欲求の5階層ということをご存じと思います。5階層とは、まず、「生理的欲求」が生じ、それがある程度充足されると、「安全の欲求」が生じ、それが満たされると、「所属と愛の欲求」、さらには「承認の欲求」そして「自己実現の欲求」が生じるというものです。乳幼児の欲求は「生理的欲求」と「安全の欲求」が主なものでしょう。人は成長するにつれて所属や愛、承認、自己実現などへと欲求が膨らむと思います。
 先生方は子どもたちの意識の実態調査をされますが子どもの欲求がどの段階にあるかを把握することは、「命」を我がごととしてとらえさせる上で重要であると思います。
 意識調査のいくつかを例示しますと、
 「人が生きていく上で、必要なものや必要なことは何だと思いますか。」では、回答の大部分は「生理的欲求」ではないでしょうか。それに「安全の欲求」や「所属と愛の欲求」がどれくらいの割合で入っているかで、授業の組み立てが違ってくると思います。
 「人が幸せに生きていく上で、必要なものや必要なことは何だと思いますか。」この問いには、「所属と愛の欲求」「安全の欲求」が多くなるでしょう。中には「生理的欲求」もあるかも知れません。
 「あなたが幸せに生きていく上で、必要なものや必要なことは何ですか。」の問いは、我がごととして考えさせるものですが、回答は「所属と愛の欲求」「安全の欲求」、そして「生理的欲求」が多くあるだろうと思います。
 「あなたが生きていることを実感するのは、どんなときですか。」では、他者との関わりの中で生きていることを実感する回答が多いと思います。「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」は他者との関わりの中で実感するものですよね。
 「命の大切さ」は他者との関係において、生や死を我がごととしてとらえることができなければ胸に落ち、実行に移すことはできないと思います。他者の生死あるいは存在を自分のこととして考えることが命を大切にする心を育てる基本だと思います。
 このような観点から中学校の道徳の学習で、キロロの「ベスト フレンド」を教材としてみてはいかがでしょうか。


         ベスト フレンド
                          作詞 玉城千春
                          作曲 玉城千春
  もう大丈夫心配ないと 泣きそうな私の側で
  いつも変わらない笑顔で ささやいてくれた
  まだ まだ まだ やれるよ だっていつでも輝いている

  時には急ぎすぎて 見失うこともあるよ 仕方ない
  ずっと見守っているからって笑顔で
  いつものように抱きしめた
  あなたの笑顔に 何度助けられただろう
  ありがとう ありがとう Best Friend

  こんなにたくさんの幸せ感じる瞬間(とき)は 瞬間
  ここにいるすべての仲間から 最高のプレゼント
  まだ まだ まだ やれるよ だっていつでもみんな側にいる
  きっと今ここで やりとげられること どんなことも力に変わる

  ずっと見守っているからって笑顔で
  いつものように抱きしめた
  みんなの笑顔に 何度助けられただろう
  ありがとう ありがとう Besto Friend

  時には急ぎすぎて 見失う事もあるよ 仕方ない
  ずっと見守っているからって笑顔で
  いつものように抱きしめた
  あなたの笑顔に 何度助けられただろう
  ありがとう ありがとう Best Friend
  ありがとう ありがとう Best Friend


 「この歌は何を伝えようとしている歌ですか?」
 「どんな人が自分にとってベストフレンドですか?」
 「友にとって、自分がベストフレンドであるためには、自分はどうあるべきだと思いますか?」
などの質問をすることで、子どもたちは他者と自分との関係、自分はどうあるべきかなどを考えるのではないでしょうか。そのことが命を我がごととしてとらえることにつながると思います。
 2学期、授業実践してみませんか。
 童謡「シャボン玉」は先生方よくご存じの歌です。この歌は、幼くして夭逝したわが子への鎮魂歌と言う説があります。確たる根拠はないらしいのですが、雨情は、長女「みどり」を生後7日で亡くしています。後に生まれた「恒子」も2歳で亡くしています。このようなことを思いながらシャボン玉の歌詞を読むと「命」について考えることができると思います。


         シャボン玉
                            作詞 野口 雨情
                            作曲 中山 晋平
    シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ  
    屋根まで飛んで  こわれて消えた
    シャボン玉消えた  飛ばずに消えた
    産まれてすぐに  こわれて消えた
    風、風、吹くな  シャボン玉飛ばそ

「この歌を聴いてどんな感じを受けましたか?」
 「雨情はシャボン玉をあるものに例えて作ったと言われています。シャボン玉は何を表していると思いますか?」
 「雨情はどんな思いでシャボン玉を書き上げたと思いますか?」
 子どもたちは、「命」についていろいろと深く考えると思います。
  先日、御船中学校の校長先生、教頭先生、養護教諭の先生から生徒指導や不登校生徒の現状等について話をお聞きしました。校長先生はじめ中学校の先生方は腹を据えて、本気で生徒指導に取り組んでいらっしゃいます。小学校時代と違って体も大きくなり、本気で、はまって学習指導・生徒指導に当たらなければ生徒は言うことを聞きません。小学校でも「課題の本質を解決しなければ子どもは成長できない」と本気で真剣に家庭と連携して課題本質の解決に当たっておられます。
 このような子どもを中心に据えた実践を通して情報交換・子ども理解をはじめとした小中連携をさらに進め、御船町の子どもたちが、「命」を「我がごと」としてとらえ、命を大切にする生き方ができる子ども、生きていることのすばらしさや喜びを実感できる子どもに育ちますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。