人権感覚を高め、差別や偏見をなくしましょう
平成24年9月4日
九州農政局 

講演レジュメ


 1 人権教育の目標(人権教育の指導方法等の在り方について[ 第三次とりまとめ]から)
 一人一人が、人権の意義・内容や重要性について理解し、[自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること]ができるようになり、それが様々な場面や状況下での具体的な態度や行動に現れるとともに、人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながるようになる。


2 一人一人が大事な存在であると感じられる社会(職場)をつくりましょう。
 多くの研究結果から、自分が大事にされていると感じられるほど、他の人も大事にできることが分かっています。人との関わりの中で、だれもがかけがえのない大切な存在として認められていると実感できる社会を創りましょう。
 キーワード「自尊感情」


3 見方を変える力と想像力を高めましょう。
 事実は同じでも受け止め方は人によってさまざまです。
 さまざまな角度から物事を見る力と、他の人の気持ちに共感できる想像力を高めましょう。
 ワークシート1〜3


4 互いに気持ちをわかり合うための技能を高めましょう。
 自分の気持ちを相手に伝えることは案外難しいものです。
 自分の気持ちを素直に伝えたつもりでも、思っていたことがうまく伝わらなかったり、結果的に相手に嫌な思いをさせてしまうことがあります。
 コミュニケーション力を高め、自分の気持ちをわかりやすく相手に伝え、わかり合うようにしましょう。
 ワークシート4〜5           


5 さまざまな人権課題(法務省 主な人権課題から)
 女性 子ども 高齢者 障害者 同和問題 アイヌの人々 外国人 HV感染者・ハンセン病患者等 刑を終えて出所した人 犯罪被害者等 インターネットによる人権侵害 ホームレス 
性的指向 性同一性障害者 北朝鮮当局によって拉致された被害者等 人身取引


6 差別や偏見をなくしましょう
 私たちの周りには、様々な情報があふれています。一部の情報に影響されて、根拠のない理由や固定観念でものごとを判断し、差別や偏見につながる行動やものの考え方をしてはいないでしょうか。日々の生活の中で一人一人がしっかり考え、情報を正しく判断し行動に移しましょう。
「○○=○○」などとステレオタイプで判断することなく、一人の人間として尊重しあいましょう。
  ワークシート6〜7


7 科学的根拠がないだけでなく、特定のものや人を遠ざけようとする風習や迷信がそのままにされていないか、そのことによって偏見や差別につながっていることはないか、考えてみましょう。
 ワークシート8〜9


8 おわりに
 「恕」の精神



講演記録


 皆さん、今日は。只今ご紹介いただきました中川有紀でございます。
 私の名前は、「有紀」と書いて「ありとし」と読むのですが、「ほとんど「ゆき」または「ゆうき」と読まれ、女性とよく間違われます。ごらんのように男性です。熊本弁で言う「よか男」です。誰もよか男と言ってくれませんので自分でそう言っています。この名前は父がつけてくれました。「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味がます。「紀」は21世紀とつかうように「年」という意味があります。父は、「『紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ』との願いを込めて付けた。」とことある毎に話していました。69歳になりましたが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 私はこの名前が大好きです。自分の名前を好きになり誇りに思うことは、自分自身を好きになり誇りを持つことにつながります。これが自尊感情を育み、自分も周りの人も好きになることができる人に育つと思います。私はこのことが人権教育の礎であり、スタートだと思っています。
 小さなお子さんがいらっしゃる方は、どうか膝の上に抱っこして背中に手を回して、目を見て、お子さん誕生の感動を思い起こしながら、お子さんの名前にこめた親の思いを、節目節目に語ってやってください。大きなお子さんは、手を取り目を見つめて語ってください。きっと、お子さんも自分の名前を好きになり、誇りに思うようになると思います。
 本日は、世界人権宣言、人権啓発推進法、地対協意見具申等を資料につけていますが、時間の都合でこれらに触れることはできません。どうか、時間を見つけて是非目を通してください。
 21世紀は人権の世紀と言われています。このことについて、意見具申では、「「平和のないところに人権は存在し得ない」、「人権のないところに平和は存在し得ない」という大きな教訓を得た。今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。このような意味において、21世紀は「人権の世紀」と呼ぶことができよう。」と述べています。
 さらに、「我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害に係る深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。その意味で、戦後民主主義の真価が問われていると言えよう。また、国際社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内において、同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。昭和40年の同和対策審議会答申(同対審答申)は、同和問題の解決は国の責務であると同時に国民的課題であると指摘している。その精神を踏まえて、今後とも、国や地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力していかなければならない。そのためには、基本的人権を保障された国民一人一人が、自分自身の課題として、同和問題を人権問題という本質から捉え、解決に向けて努力する必要がある。」と述べています。
 同和問題の解決に向けて是非ご一読願います。
 今、学校では、文科省の人権教育指導法等に関する調査研究会議が提言しました「人権教育の指導方法等の在り方について」をもとに人権教育が行われています。その提言の中に人権教育の目標が示してあります。
 「一人一人が、人権の意義・内容や重要性について理解し、自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるようになり、それが様々な場面や状況下での具体的な態度や行動に現れるとともに、人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながるようになる。」と。
 人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながるようにすることが人権教育の目標であると明記しました。
 この中の「一人一人が、人権の意義・内容や重要性について理解し」とあるのは知的理解であり、「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるようになり」は価値的・態度的側面つまり人権感覚であり、「様々な場面や状況下での具体的な態度や行動に現れるとともに、人権が尊重される社会づくりに向けた行動につながる」を実践行動と捉えています。このことは、資料の「人権教育を通じて育てたい資質・能力」に示されています。
 その表からも分かりますように人権感覚を重視していることです。この人権感覚を豊かなものにするものとして、「人間の尊厳、自己価値及び他者の価値を感知する感覚」「自己についての肯定的態度」などが示されています。このような態度を育てるには、自尊感情を育むことが重要であると私は捉えています。
 この自尊感情は、個としての自尊感情と社会としての自尊感情があると思っています。「一人一人が大事な存在であると感じられる社会(職場)をつくること」は、社会的自尊感情を高めることだと思います。それはこれまでの多くの研究結果から、自分が大事にされていると感じられるほど、他の人も大事にできることが分かっているからです。人との関わりの中で、だれもがかけがえのない大切な存在として認められていると実感できる社会が人権尊重社会です。
 この人権尊重社会のキーワードは「自尊感情」です。
 自尊感情は4つの要素から成り立っているといわれています。「包み込まれ感覚」、「社交性感覚」、「自己効力感」、そして「自己受容感覚」です。
 「包み込まれ感覚」とは、自分の身近にいる人が自分を温かく包み込んでくれている、自分を愛してくれているなど、だれかが自分の気持ちをわかってくれているという気持ちのことです。
 次男に待望の赤ちゃんが4月30日に生まれました。5ヶ月目に入りました。私や妻が抱っこするとしばらくは抱かれていますが、やがてわんわん泣き出します。次男が抱きかかえると直ぐに泣き止みます。そして、私の方を見て微笑むのです。孫が泣いたり微笑んだりすると、次男夫婦が抱きかかえたり、声をかけたり、微笑んだりして反応していることが孫に安心感を与え、自分が受け入れられているという包み込まれ感覚を実感させているのですね。日頃あまり身近にいない私では安心して抱っこされていることができないのです。5ヶ月の乳児がすでに包み込まれ感覚を実感しているのです。この包み込まれ感覚が他の感覚のベースになっているといわれています。この包み込まれ感覚が身についていなければ他の感覚を育成することは難しいとも言われています。
 二つめの「社交性感覚」は、友だちが言ったことは自分はよくわかる、自分の言ったことは友だちがよくわかってくれる、という友だちとの心の通じ合いができているという気持ちのことです。つまり、自分は周りの人と心が通じ合っているというつながり感、絆を自覚する感覚です。
 三つめの「自己効力感」は、自分はコツコツ努力する人間だという気持ち、何かをやりはじめたら最後までやり通すのだという気持ちのことです。つまり、自分自身の能力についてプラス評価、自分は価値ある人間だと評価する感覚です。
 最後は、「自己受容感覚」です。いまの自分が好きだとか、自分の性格が好きという気持ちのことです。
 こう見てきますと、この自尊感情は、家庭や学校で子どもに育むことだけでなく、私たち大人も職場や地域社会で育まれるものであることがおわかりと思います。職場で自分は認められていると感じれば力が出ます。やる気が出ます。生き生きと働くことができます。職場に明るさと活気が出てきます。職場づくりにも生かして欲しいと思います。
 今の時間帯(午後1時過ぎ)は、上まぶたと下まぶたが仲良くなる時です。話を聞くだけでは眠くなりますのでこれからはワークシートを使って一緒に考えていきましょう。

     そこに女性のイラストがあります。
 女性はいくつくらいでしょう。(各自考える)
 若い女性に見えた方、挙手してもらえますか。(14〜15人)
 お年寄りの女性に見えた方は?(7〜8人)
 今、「え?」という表情の方がおられました。
 若い女性にもお年寄りの女性に見えた方は?(5〜6人)
 「両方に見えるの?」という方もおれれるようです。両方見えるのです。 もう一度、よく見てください。
 どうしても両方には見えない方?(10人程度挙手)
 「こう見れば若い人にもお年寄りにも見えるよ。」と、どなたか説明してもらえませんか? 

 「お年寄りに見えた人は、鼻を顎と見ると斜め後ろから見た若い女性に見えます。お年寄りの唇がネックレスに、目が耳に見えます。」
 ありがとうございます。今説明していただきましたように見ると、両方に見えるでしょう。(納得の表情が見える)
 この絵は、「だまし絵」と言いますが、見方を変えると、若い女性にもお年寄りの女性にも見えますね。さまざまな角度から物事を見る力と、他の人の気持ちに共感できる想像力を高めることの大切さを実感していただきました。

 次に、コップの絵を描いてみましょう。(各自コップを描く)
 お二人に描いてもらいました。
 ○○さんと同じようなコップ(水を飲むコップ)を描かれた方?(15人程度挙手)
 △△さんと同じようなコップ(取ってのある湯飲みコップ)を描かれた方?(6人挙手)
 皆さん、考えてください。私は「コップの絵を描きましょう」と言いました。ですが、皆さんはこの2種類のコップを描かれました。コップの絵という事実は同じでも受け止め方は人によって違うことがあるのです。
 違うコップの絵ですが共通点があります。それは何でしょう?(各自考える)
 2つとも上向きのコップであることです。私は上向きのコップを描きましょうとは言いませんでした。しかし、皆さんが描いたコップの絵は全て上向きです。
 皆さんの家庭では食器棚にコップをしまうとき、上向きにしてありますか?それとも下向きですか?
 食器棚のコップは家庭によって上向きであったり下向きであったりの違いはあると思いますが、私たちは常日頃、テーブルの上のコップを目にしていると思いますか? 食器棚のコップを目にしていると思いますか?
 私たちはテーブルの上のコップを見ているでしょう?食器棚のコップはあまり見ていないと思います。それでいつの間にか「コップは上向き」を学習して、上向きのコップの絵を描くのです。

 次のことで考えてみましょう。
 魚の絵を描いてみてください。(各自魚を描く)
 ここに○○さんに描いてもらいました。○○さんのように左を向いている魚を描かれた方?(全員)
 考えてみてください。私は「魚の絵を描きましょう」と言いました。「右向きの魚の絵を描きましょう。」とは言いませんでした。ですが、皆さん全員左向きの魚を描かれました。どうしてこんなことが起きるのでしょう。考えてみてください。
 昨年、労働局の研修でやはり魚の絵を描いてもらいました。そのとき、一人の方が「私は今、料理教室に通っています。そこで先生から、『魚は左向きに出します。』と教えていただきました。左向きの魚をいつも見ているからではないでしょうか。」と話されました。図書館にある魚の図鑑に掲載してある魚の写真や絵の7割から9割は左向きの魚です。
 5月5日の鯉のぼりの絵や写真はどちらを向いているでしょうか?(「左を向いている」の声あり)
 そうです。ほとんど左向きですよね。つまり、私たちは空気を吸うがごとく、「左向きの魚」を学習して、さなかなの絵は左向きというイメージができあがっているのです。このことを刷り込みと言います。この刷り込みを実感することがもう一つあります。
 牛の色を思い浮かべてください。
 あか牛が直ぐに思い浮かぶ方(5〜6人)
 くろ牛の方(7〜8人)
 白黒 ホルスタインを思い浮かべる方(14〜15人)
 ホルスタイン種が多いですね。
 阿蘇で尋ねましたら、全員があか牛でした。阿蘇の高原に放牧してある牛はほとんどがあか牛です。
 天草では9割近くがくろ牛でした。天草では以前農耕用にくろ牛を飼っていました。つまり、自分の近くにいる牛、小さい頃よく目にしていた牛の色が刷り込まれているのです。
 この刷り込みが、「○○=○○」の思い込み、あるいは固定観念となり、これにマイナスイメージが加わると偏見となります。この偏見が時として差別心が生まれるのです。また、無知も誤った情報を信じ込み、「○○=○○」の固定観念をつくり偏見を生みます。ですから、ものごとを正しく学び、正しく理解すること、「そうかな?」と立ち止まって見つめ直すことが大切なのです。後で触れますが、「ハンセン病=うつる病気」と思い込んでいたことからたくさんの人権侵害が起きました。
 同和問題についての知識がないがために、同和地区は怖いと聞いた人が、自分では怖い思いをしたことがないのに「同和地区=怖い所」と思い込み、それが差別心を生んでいるのです。「昔から言われている」とか「みんな言っている」という思い込みが時として偏見や差別心を生むことがお分かりでしょう。

 次は、互いに気持ちをわかり合うための技能を高めることの必要性について考えてみましょう。
 自分の気持ちを相手に伝えることは案外難しいものです。自分の気持ちを素直に伝えたつもりでも、思っていたことがうまく伝わらなかったり、結果的に相手に嫌な思いをさせてしまうことがあります。コミュニケーション力を高め、自分の気持ちをわかりやすく相手に伝え、わかり合うようにしましょう。「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるようになる」ことはとても大切なことです。
 心地よいやりとりのスキルを身につけるためにそこに示しています夫婦の会話1と2を読み比べてみてください。


   夫婦の会話1
    夫「うわっ、もう7時だ。なんで、もっと早く起こさないんだ!」
    妻「何でそんな大声出すのよ。いつも通り7時に起こしたじゃない。」
    夫「6時半に起こしてくれって、言ったじゃないか。」
    妻「そんなこと、聞いてないわよ。」
    夫「確かに言ったよ。おまえがちゃんと聞いていなかったんじゃないか。」
    妻「ぜーったい聞いてないわよ。」
    夫「いいよ、もう。すぐ出ないと遅れるから。」
    妻「どうぞ、ご勝手に」

   夫婦の会話2
    夫「しまった!寝過ごした。昨日、6時半に起こしてくれって頼まなかったっけ?」
    妻「早く行きたかったのね。でも私知らなかったから・・・。どうしましょう。」
    夫「急がなくっちゃ、遅刻しちゃう。困ったなあ。」
    妻「まだ7時なんだから、急いで準備しましょうよ。」
    夫「そうだね、出かけられるように、手伝ってくれないか。」
    妻「OK、いいわよ。」

                        (長野県人権教育資料「笑顔から始まる人権」から)

 会話1と会話2、どこがどう違うのでしょうか?
 会話1の夫は、自己中心的で、「自分はこう言った」との思い込みが強い人のように感じられます。こんな話し方では協力の気持ちより反発心の方が起きやすいようです。共に生きるという気持ちは湧きにくいのではないでしょうか。
 会話2の夫はどうでしょう。ものごとを自己責任で考える人のようです。妻の方も協調的ですね。ここには共生の心が起きますね。
 皆さんの家庭での会話は会話1に近い方ですか。それとも2に近い方ですか。
 できるだけ会話2に近い会話をしたいものですね。私は、そのときの虫の居所で会話1になったり2になったりしますが会話2を心がけています。「心地よいやりとり」で家庭内に潤いが生まれてくるように感じています。

 次は、交差点でのできごとです。
 車椅子の人が、交差点を渡ろうとしています。そこには段差があって、車椅子で渡るのは不可能かもしれません。そこに介助の人はいません。
 あなたならどうしますか? そこに示していますどの行動に近い行動を取りますか?
  A 気づかないで通り過ぎる。
  B 気づいても通り過ぎる。
  C 交差点を渡ろうとしているので、そっと車椅子を押してやる。
  D 車椅子の人にどうしたいのか聞いてみてから、行動に移す。
  E それ以外
 このことを考える前に、車椅子を使っている人の話を紹介します。
 「手をお貸ししましょうか。」
 「は、はい、ありがとうございます・・・・」
 私のように車椅子を使って行動する者に、このように声をかけてくださる方が多くなってきました。でも、自分で行動できるときには、お断りしようか、それともお受けしようかと迷ってしまいます。そんなとき、私は断ることはしません。ここで断ったら、本当に介助が必要な時に声をかけてもらえないかもしれない、もしかしたら、他の障がい者に声をかけることを止めてしまうかもしれないと思うのです。自分の力でできるときでも、声をかけてくれた方への感謝の気持ちをこめてお断りしたくないのです。
 この方は、「自分でできることは自分でしたい。自分一人ではできないとき、力を貸して欲しい」とおっしゃっているように思います。自立とはそういうものだと思います。
 こんなことを考えると、私は車椅子の人にどうしたいのか聞いてから、行動に移します。皆さんは、どうされますか?

 次は、人権課題にはどのようなものがあるあるかを考えてみましょう。
 そこに示しています「さまざまな人権課題」は、法務省が示しています主な人権課題です。
「女性 子ども 高齢者 障害者 同和問題 アイヌの人々 外国人 HV感染者・ハンセン病患者等 刑を終えて出所した人 犯罪被害者等 インターネットによる人権侵害 ホームレス 性的指向 性同一性障害者 北朝鮮当局によって拉致された被害者等 人身取引」
 すべての人権課題について概観することは時間の都合でできませんが、いくつかを見てみます。
 女性問題は、言い換えれば男性問題ですね。今でも,「女だから…。」などと言う人がいます。女性というだけで社会参加や就職の機会が奪われることはあってはなりません。男女平等の理念は、日本国憲法に明記されており、法制上も男女雇用機会均等法などによって、男女平等の原則が確立されています。また、職場等におけるセクシュアル・ハラスメント、性犯罪などのは女性の人権に関する重大な問題の一つです。
 子どもの問題で今もっとも深刻な問題がいじめ問題です。昨年大津市公立中学校2年男子生徒がいじめを苦に自殺した問題は、大きな社会問題となっています。鹿児島県出水市でも女子生徒が新幹線の線路に飛び降り自殺しています。いじめは人権侵害です。将来大きく花開くであろう可能性を持った中学生がいじめにより、自分で自分の命を殺めることは絶対あってはなりません。いじめが原因で不登校状態や引きこもりに陥っている子がいます。また、虐待等もあります。
 同和問題については、後で考えてもらいますが、もっとも深刻なものは愛し合っている者同士が同和地区出身であることを理由に結婚を妨げられたり、就職の際に不公平を被ることです。
 平成15年、熊本県の黒川温泉で、菊池恵楓園に居住するハンセン病回復者の宿泊拒否事件が起きました。熊本県はホテルに対して、ハンセン病に関する資料を示して、感染する恐れがないことを再三説明していたのですが、宿泊を拒否されたのです。これはまさにハンセン病回復者に対する人権侵害です。ハンセン病に関する啓発を進めてきた中で起きた大きな問題でした。熊本県ではハンセン病問題を大きな人権課題として啓発に力を入れています。
 熊本では、水俣病問題も大きな人権課題です。先週の金曜日(平成24年8月31日)NHKのテレビ番組で「石牟礼道子語る ミナマタが教えてくれること」が放映されました。その中で、一人の漁師さんが「俺は最愛の妻に毎日毒を食わせよった。」と言っていた映像がありました。家族が病気したとき、体の具合が悪いとき、海で取れた新鮮な魚を食べさせて精をつけさせようといつも食べさせていたのです。体の不調が水俣でとれた魚が原因とは全く知らなかった時のことです。水俣病語り部の杉本栄子さんは生前、「自分たちは「みんなの代わりに病気になった。誰も憎んではいない、許す。」と言っておられたそうです。皆さんご存じの通り、水俣病は窒素水俣工場からの排水に含まれていた有機水銀を体内に持っていた魚を食べて発病した公害病です。しかし、水俣病の原因が有機水銀と分からなかったとき、水俣病は、遺伝病や伝染病と考えられ、患者や家族は大きな人権侵害を受けてきました。この人権問題を学校でも地域社会でも啓発を進めてきたにもかかわらず、一昨年、水俣市内の中学生とサッカーの練習試合中に「さわるな!うつる」の中学生の差別発言がありました。人権啓発の在り方が見直され、さらなる人権啓発が推し進められています。

 これらの人権問題に対する差別や偏見をなくすことについて考えたいと思います。
 私たちの周りには、様々な情報があふれています。一部の情報に影響されて、根拠のない理由や固定観念でものごとを判断し、差別や偏見につながる行動やものの考え方をしてはいないでしょうか。日々の生活の中で一人一人がしっかり考え、情報を正しく判断し行動に移すことが今求められています。
 そこに示しています「息子よ 息子」を読んでください。


                 息子よ 息子

  路上で交通事故がおきました。
  大型トラックが、ある男性と彼の息子をひきました。
  父親は即死しました。
  息子は病院に運ばれました。
  彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
  外科医は「息子、これは私の息子!」と大声で悲鳴をあげました。

 この話、胸にすとんと落ちましたか?
 何か変だなあと、思われた方?(半数程度挙手)
 ちっとも変じゃない。普通の痛ましい、かわいそうな話だと思われた方?(半数程度挙手)
 もう一度ゆっくり丁寧に読んでみてください。(「あーっ、そうか」の声あり)
 やっぱり胸に落ちない方?(5〜6人挙手)
 外科医はこの息子の何に当たるのでしょうか。(「母親だったのか」の声あり)
 そうですね。外科医が母親だったら胸に落ちますね。交通事故で亡くなったのが父親、外科医は母親だったのです。このことからも分かるように私たちの意識の中に「外科医は男性」という思い込みがありはしないでしょうか。このような「○○=○○」と思い込んでしまうことを固定観念、ステレオタイプと言います。社会にはこのようなステレオタイプの考え方が意外と多くあります。「ハンセン病=うつる病気」などこの例です。これは「みんなが言うから」という考えです。私たちは、「本当にそうかな?」と立ち止まって考え直す姿勢、自分で科学的に確かめようとする姿勢が必要だと思います。
 この固定観念に、好きや嫌いなどの感情や思いが加わると偏見となります。次の文はどれが固定観念で、どれが偏見で、どれが客観的な意見だと考えますか?
  @先生はみんな親切だから好きだ。
  A私には親切な先生がいてうれしい。
  B先生というのは親切なものだ。
 @は、「先生はみんな親切」と決めつけています。それに「好き」という感情が加わっています。ですから、この文は偏見です。残念ながら先生の中には親切でない方もいます。
 Aは、「うれしい」の感情は入っていますが「私には」と断っています。この文は、客観的な意見ですね。
 Bは、「先生というのは」と先生全体を一纏めにしています。これは固定観念です。
 「○○=○○」などとステレオタイプで判断することなく、一人の人間として尊重しあいましょう。

 先ほど同和問題の課題の一つは結婚問題ですと言いました。次の文を読んで、それぞれこれからどうしていくことがよいでしょうか。考えてください。


公民館講座の休憩時間に、5人の仲間が一つのテーブルの周りでお茶を飲んでいます。
 しばらくして、Cさんが誰にともなく、こんなことを話し始めました。

 ああ、悩んじゃうわ。30歳になる私の息子にやっと結婚したい人ができたらしいのよ。「どんな人かな」と思って、息子に「その女性のこと調べた?」と話したら、「今時そんなことをするなんておかしいよ」と言われてしまったの。
 そんなこと、私もわかっているのよ。でも、調べてみないとどんな人か分からないでしょ。もし、同和地区の人だったら、私はよくても・・・・・親戚が何て言うか分からないし・・・・。息子は分かってもきっと「結婚する」って言い切ると思うの。息子の話を聞いていると、相手はとっても素直ないい人みたいで・・・・でも、やっぱり、相手の女性のことを調べてみた方がいいかなあ。
    Aさん 無関心な人
Bさん 迷っている人(傍観)
Cさん 人権侵害をしようとしている人
Dさん 関わりたくないと思っている人(傍観)
Eさん 注意しようとしている人  

                                                                (長野県人権教育資料「笑顔から始まる人権」から)

  Aさんは、「私には関係ないこと」というように会話に参加しないで本を読んでいます。こんな無関心でよいでしょうか。
 数年前、熊本県人権子ども集会で、高校生が部落差別と闘っていることを発表しました。「あそこって元部落よね。」という友達の発言について両親や担任の先生と話し合い、当人だけでなく他の親しい友達にも自分が差別と闘う生き方をしていることを話しました。すると、友達は、「あなたがどうだと言うことは関係なか。私たちは友達よ。」と言ったそうです。高校生は、「関係なかではない。あなた達が部落差別をする側に立つのではなく差別をなくす側に立って欲しい。」「共に差別をなくす仲間になって欲しい。」との思いから、一人でも多くの差別をなくす仲間を増やしていきたいと熱い思いを訴えました。
 「部落差別は関係なか」ではないのです。私たち一人ひとりに関係があります。皆さんの家族のどなたかの結婚話がでたとき、事例のようなことが起きないとも限りません。事例のような人権侵害が起こさせないためにも部落差別を始めあらゆる差別を他人事として受け止めるのではなく自分のこととして受け止め、みんなが幸せに暮らせる世の中になる努力を続けましょう。
 Bさんは、「そんなことおかしいわよ。人権侵害よ」とCさんに伝えようかどうしようかと迷っています。傍観者の一人です。人権侵害を傍観していては差別はなくなりません。してはいけないことはしてはいけないとはっきり言うことが大切だと思います。
 Cさんは、いわゆる身元調査をすることが人権侵害だと言うことを自覚していないようです。なぜ、結婚相手が同和地区の人だったらいけないのでしょうか。人は誰でも差別を受けたくありません。それで、自分は差別を受ける側になりたくない、自分の子どもには、差別を受けさせたくない。自分の子が部落出身者と結婚したら子も部落出身者と見なされ、差別を受ける不幸に見舞われる。そんなことは何としても避けなければという我が子への親の愛情が結婚差別となって表現されているのです。同和地区の人と親戚になれば、自分たちまでもが部落出身者であると見なされかねないという「みなされる」ことへの恐れがあるのです。ということは、自分自身も同和地区の人々に対する差別意識があることです。「みなされること」への恐れそのものが差別であることを説いていくことです。
 Dさんは、できるならこんなことには関わりたくないと思っているようです。Dさんも傍観者です。傍観していることはCさんの差別心をそのままにしていることで人権問題の解決にはならないことを説いていきたいと思います。
 Eさんは、そんな考えはおかしい、人権侵害だと注意しようとしています。人権侵害だとCさんを諭すことはとても大事なことです。諭してCさんに正しく理解してもらわねばなりません。ですから、身元調査をすることは人権侵害であることを冷静に話していく態度が欲しいと思います。
 残りの時間が少なくなってきました。科学的根拠がないだけでなく、特定のものや人を遠ざけようとする風習や迷信がそのままにされていないか、そのことによって偏見や差別につながっていることはないか、考えてみましょう。
 結婚式は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、などと、日取りを決める基準にされることがあります。この六曜についてどう思いますか?
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、細かい表現ができなく不便を感じて、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものなのです。これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引、3月と9月の1日は先負、4月と10月の1日を仏滅、5月と11月の1日を大安、そして6月と12月の1日を赤口と決めたのです。
 このことを、「ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだ」と熊本市仏願寺住職であった故高千穂正史さんは言っています。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。六曜は迷信であり、偏見にしばられることなく真実を知る生き方を通して一人一人の意識が変わることによって、「世間の常識」は変わっていきます。偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。
 おわりに「恕」の精神に触れ、終わりにします。
 法務省は毎年12月4日から1週間を人権週間と定め、人権啓発を行っています。昨年の第63回人権週間のテーマは、「みんなで築こう 人権の世紀 〜考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心〜」でした。
 「考えよう 相手の気持ち 育てよう 思いやりの心」と同じことを孔子が言っているのです。
 論語に、
  子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
  子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 があります。
 「人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい。」「その字は恕。恕とは相手の身になって思い・語り・行動する優しさだよ。自分が嫌なことは人にしてはなりません。」と口語訳されています。
 「恕」と言う文字の意味は、「常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさ、思いやり」のことです。
 「恕の精神」を持って互いの人権を尊重し合い、農林水産業に関わる人々が将来に夢を持ち、やる気を持って仕事ができる農林水産行政を推し進められますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。