安心して、安全に、心豊かに生活できるまちづくり
平成23年8月4日
御船町カルチャーセンター

          
皆さん、おはようございます。中川と申します。よろしくお願いします。
 昨日(8月3日)の熊日新聞夕刊、「ハイ!こちら編集局」に「面白い議会動画配信」という御船町民の方からの声が載っていました。

 御船町議会が、定例会の一般質問の様子をネット上に動画で配信していることを知人から教えてもらい、見てみました。質問をする議員のほか、町長や町職員が答弁する際の表情や様子が具体的にわかるんです。普段、町政に関心のなかった妻や娘がグッと引き込まれて、「こんなやりとりがあっているんだ」と。娘は町職員の答弁を見ながらこんなの答弁になっていないじゃん」とか。情報公開として、いい取り組みです。

 このような取り組みをしていらっしゃる御船町に敬意を表します。
 益城町では、小学4年生を対象に「アクティビティーコンサート」と題して、文化会館が本物の音楽に親しませようと、プロの音楽家が教室で生演奏を聴かせる事業があっています。例えば、ヴァイオリンを演奏する人の指の動き、弦が揺れ動く様子、フルートを吹く人の指の動き、ほっぺたのふくらみや頬の筋肉の動きが分かるのです。子ども達はとても感動します。
 私が七滝小学校に勤務しているとき、職員旅行で宝塚を観劇しました。私たちは最後列の席でした。全体の動きや声は分かるのですが、俳優さんの表情などは全く分かりません。後列にはオペラグラスで見ている人もいました。宝塚の人に聞くと、席は前の方から売れていくそうです。前の席は私たちがいた席の2倍以上の料金だというのに。
 私は格闘技、特にプロレスが好きで高いお金を出してリングサイドで見ていました。当時は、ジャイアント馬場やアントニオ猪木、アブドーラー・ザ・ブッチャ―、スタン・ハンセンなどの外国人レスラーと闘っていました。体がぶつかり合う鈍い音、バシーっという空手チョップの音、マットに投げつけた時の音、痛さを我慢する苦悶の表情、時には、汗や唾まで飛んできていました。しかし、2階席で見るよりうんと迫力がありました。
 自分が興味があるもの、見たいものは高いお金を出しても前の席に座ります。講演会や研修会でもできるだけ前に座った方が面白いですよ。それこそ、目の動きや顔の表情まで見て取れますから。時には唾が跳んでくることがあるかもしれませんが。
 自己紹介をします。ただいま「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。そのとき、皆さんの中に「えっ、ありとしと読むのか」というような反応がありました。本日の人権教育研修会の回覧を見て、「今年は女性の講師か」と思っていた方がいらっしゃるかもしれません。その方はおそらく私の名前を見て、「ゆうき」または「ゆき」と読まれたと思います。
 私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。「中川です。よろしくお願いします」と校長室にあいさつに行くと、校長先生は、「あたはほんなこて中川先生な。私ぁ職員に『女性の先生が来る』と紹介していたのに。男の先生な。あたはほんなこて中川先生な。」と私に念を押されました。校長先生も、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女性の先生と思い込まれたのだと思います。
 皆さんの中に私と同じ名前の方はいらっしゃいませんか?(挙手無し)「有紀(ゆき)」という女性にお目にかかるときが時々あります。私が知っている歌手の中にも一人いらっしゃいます。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味があります。そこで、「紀(年)を重ねるにつれて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこの名前が好きで、この名前に誇りを持っています。父の願いに沿うよう努力していますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。もうこの世にいませんが、こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 お子さんやお孫さんがいらっしゃる方、お子さん誕生時の感動、名前に込めた親の思い、家族の思いを低学年のお子さんだったら膝の上に抱っこして、高学年だったら手を取り、目を見つめて、名前に込めた家族の思いを話してやって下さい。きっと、お子さんは自分の名前をこれまで以上に好きになり、誇りを持つと思いますよ。自分の名前を好きになり誇りに思うことは、自分自身を好きになり誇りに思うことにつながります。これが自尊感情を育み、自分も周りの人も好きになることができる人に育つと思います。私はこのことが人権教育の礎であり、スタートだと思っています。
 私は68歳の今でも幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。私は「ありちゃん」と愛称で呼ばれることを嬉しく思っています。それで、「ありちゃんのホームページ」と題してインターネット上に公開しています。「ありちゃんのホームページ」で検索すると、ヤフーやグーグルではトップに出ます。時間にゆとりがある時、是非覗いてみて下さい。
 ところが、私は小さい頃、上級生などから、「おっ、アリの来よる。アリば踏みつぶそう。」と足で踏みつぶす仕草をしてからかわれたりいじめられたりすることがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。有紀。」と体当たりでぶつかっていきました。
 保育園の先生もいらっしゃると聞いています。保育園で、名前から付けられたあだ名で悲しんでいる子や、嫌な思いをしている子、苦しんでいる子がいるかもしれません。そんなとき、名前に込めた親御さんの思いを語ってやって下さい。きっと意地悪はなくなると思います。
 子ども達は今夏休みを満喫していることでしょう。1学期の終業式の日、通知表を持って帰ったでしょう。私の孫が1年生の時の通知表について熊日新聞に投稿したものを資料として添付しています。読みますので見て下さい。


       「子供をほめて自己実現増幅」(熊日新聞 平成18年1月13日)

 小学校1年生の孫が通知票を持って来た。通知票には、学習の様子、係の役割、出席状況、身体の様子、そして子どもの学校での暮らしぶりが所見として担任の先生の心温まる言葉で、実に丁寧に書き記してある。
 所見を声に出して読み、「うわー、2学期は1日も休まなかったんだね。体が丈夫になったね。『計算ができる』や『本読みができる』は、三重まるになっている。勉強もがんばっているね。係の仕事も一生懸命している。お友達とも仲良く遊んでいる。すごいぞ!」とほめると孫は、はにかみながらもうれしそうに「学校は楽しいよ。」と声を弾ませて応える。家族一人ひとりに通知票を見せながら、学校での様子を話している。その得意げな顔。瞳が輝いている。
 自分がしたことを人から認められたり、ほめられたりすることで存在感や有用感を実感する、いわゆる「自己実現」を味わっているのであろう。この自己実現が、現在はもとより生涯にわたっての学習意欲をかきたてる源であるという。公民館講座やカルチャーセンターなどで学んでいる意欲旺盛な人のほとんどは、小中学生時代に「自己実現」を実感する機会が多かったようだ。
 子どもたち一人ひとりの学習や生活の様子などつぶさに観察し、通知票にまとめて保護者に伝えることは大変な労力であろう。先生方のご苦労に頭が下がる。心を込めて作られた通知票をもとに家庭でも子どもたちを認め、ほめ、励まし、伸ばしたい。このことが子どもたちの「自己実現」を増幅させ、学習意欲旺盛で主体的に生きる人づくりにつながるはずだ。

今学校では、「認め、褒め、励まし、伸ばす」教育が展開されています。この「認め、褒め、励まし、伸ばす」は、学校の専売特許ではありません。家庭でも地域でも子ども達の言動を認め、褒め、伸ばして欲しいと思います。これは子どもだけではありません。私たち大人でも自分の仕事や言動がが認められ、褒められるとうれしくなりますね。ここ御船町役場でも上司の方はいつもこのことを念頭に部下職員の仕事ぶりを見ていらっしゃることと思います。
 ところが、私たちは子どもを認め褒めることより、「禁止」、「命令」、「否定」の言葉をかけていることが多いように思います。「否定」の言葉では子どもに自尊感情は育ちません。自分の言動を否定されることは自分自身を否定されることですから。自分を否定されてどうして自分を好きになれましょう。人は、他者から認められ褒められると、自己有用感、自己存在感を実感します。これが自尊感情につながるのです。家庭でも地域でも職場でも、大いに認め褒めて下さい。
 孫は今中学1年生ですが、未熟児で生まれました。元気に育つだろうかと心配しましたが、本人の強い生命力、親の深い愛情、病院の先生方の手厚い看護によって元気に育ちました。しかし、体が小さく、運動神経も同学年の子に比べると劣っています。その孫が4年生の時のことです。


      人権感覚持つ子ら育てたい(朝日新聞「声」 平成20年5月17日)

 小学4年生の孫娘に電話すると、いつものような元気がない。訳を聞くと、「明日体育の授業でリレーがある。去年、リレーの時、私が走るのが遅いので私の組はビリだった。みんなからとても嫌なことを言われた。明日、またリレーがある。嫌だな」と言う。
 妻は、「リレーであなたの走りが遅くて負けたのなら、みんなにごめんなさいと言いなさい。それでも、みんなが文句を言うなら先生に相談しなさい。泣いたり怒ったりしては駄目」とアドバイスした。孫娘は、「分かった」と言った。
 周りから「おまえのせいで負けた」と責められると、「自分はダメな人間」と思いこみ、自信喪失になる。不登校や引きこもりになりかねない。
 孫の憂鬱は、人権感覚を育てることに直結する問題だと思う。人は自分の短所や欠点を他人に話すことには抵抗がある。しかし、自分のことを理解してもらうには自分のありのままの姿をきちんと話さなければならない。このような時、所属する集団に、互いの違いを認め、共に生きる感性や人権感覚が育っていれば素直に話すことができる。子どもの生活場面に起きる具体的な事例をもとに、豊かな人権感覚を持った子ども達をはぐくんでいただきたいと願う。

 私たちは、自分の長所は人に話すことができますが、そうでないところを話すのには抵抗があります。自分が話すことを受け容れてもらえるだろうかとの不安や心配があるからです。しかし、自分のことをきちんと話さなければ自分のことをわかってはもらえません。人が自分の良いところやそうでないところを何の心配もなく話すことができるには、その集団に、個性や違いを認め、受け入れ、共に育つ・生活する感性が育っていることが重要だと思います。このことは、職場でもいえることです。
 次の文は、滋賀県の人権教育指導資料の一文です。


          叱ること、信じること

 「お母さんにあやまることあるし・・・。帰ってから話す。」
 こんなメールが高校1年生になる子どもから来たのは、先週のことでした。普段は「もうすぐ駅に着くから迎えに来て」とか「今日はちょっと遅くなるし」とかいった一方的なメールばかりで、こんなメールを送ってくるのはめったにないことでした。
 帰ってきた子どもは、「ごめん、約束守れなかった・・・」と珍しく目をはらして言いました。驚いてわたしが「何があったの?」と聞くと、子どもはぽつぽつと話し始めました。
 実は、今日学校で全校集会があったけれど、参加しなかったというのです。そのことで担任の先生から注意を受けたらしいのです。子どもは、これまでも遅刻することが多くありました。そこで、先月、わたしと子どもと担任の先生とで話し合い、今月からは遅れずに授業に出ることを約束したばかりだったのです。
 「全校集会に出なかったって、どういうこと。一体何してたの!」わたしはきつく叱りました。
すると子どもは、「いろいろあったの。」と小さい声でいうと、自分の部屋へ入ってしまいました。
 しばらくして、担任の先生が、心配して電話をくださいました。
 先生の話から、子どもが全校集会に出なかった理由がやっと分かりました。
 朝からクラスの友達が泣きじゃくってどうしようもない状態だったので、友達にずっと付き添っていたというのです。そして、全校集会に行こうとさそってもその友達は動けなかったので、全校集会に出られなかったということでした。
 先生は、先月の約束もあって最初は厳しく叱ってしまったけれども、後で詳しい事情が分かり、子どもからもいろいろ話をしてくれたとおっしゃいました。
 子どもは今日の出来事が自分の中でも整理がつかない様子で、部屋で布団をかぶって寝てしまったようでした。夕飯前になって、居間に出てきた子どもに、一方的に叱ってしまったことを謝り、担任の先生から電話があったことを話しました。
 子どもは、「○○先生はわたしの気持ち分かってくれたからいいねん。」と言って、一緒に夕飯の支度を手伝ってくれました。
 学校や家庭は、子どもたちが社会人として生きていくためのルールを身につける場でもあります。わたしも、子どもが社会に出たときに責任を持てる人間になってほしいという思いから叱ることがよくあります。ただ、今回のことで、子どもを信じることの大切さを痛感しました。
 子育てに正解はないと言いますが、わたしは根っこのところで「あなたを信じてる」というメッセージを伝えることを大切にして、高校生という心が揺れ動く年頃の子どもとともに悩みながら歩んでいきたいと思っています。

 お母さんは、「信じることの大切さ」を痛感しています。子育てで悩みがない親はいません。子どもを信じて、親子共に悩み、共に成長していこうではありませんか。
 本日は人権尊重の視点から行政を遂行する資質を養う人権問題研修会です。
 「世界人権宣言」、「同対審答申」、「地対協意見具申」、「閣議決定 人権教育・啓発に関する基本計画」、「人権教育及び人権啓発に関する法律」を資料として事前に各課に配付していただいています。話の中で直接触れることはできませんが、是非目を通してください。「同和問題の解決は国の責務であり、国民的課題である」は、同対審答申前文に記されている言葉です。「21世紀は人権の世紀」は、地対協意見具申で述べられている言葉です。各施策を遂行される上で、人権尊重の視点からどうだろうかと思うことがありましたら、一度紐解いて下さい。必ずヒントとなることがあるはずです。
 人権については、世界人権宣言第1条で、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と述べています。人権擁護推進審議会答申では、「人権は、人間の尊厳に基づく人間固有の権利である。」と述べています。地域改善対策協議会意見具申では、「我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害に係る深刻かつ重大な問題である。」と述べています。
 私は、「人権とは、自分の生活を理由なく侵害されず、人が人として生きていくことのできる権利」であり、「人権は押しつけるものではなく、自から自分のこととして考えるもの」と捉えています。そして、人権とは、「差別してはいけない」ばかりでなく、自分自身が人間らしく豊かに生きるとはどういうことかを考え、自己実現を図る権利と思っています。
 人権問題研修が「自己防衛型研修」、「免罪符型研修」では、「また人権か。もう人権はよか」となります。御船町では毎年、人権問題研修を行い、昨年は「セクハラ」、「パワハラ」等について研修を深められ、明るい職場づくりにつなげておられると研修担当の総務係長からお聞きしました。私は行政職員人権問題研修を、情報開示、説明責任、危機管理、明るい職場つくり、明るいまちづくりなどのための研修ととらえたいと思っています。
 皆さんご存じの通り、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在しています。熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を早急に解決しなければならない人権課題と位置づけ教育・啓発がなされています。
 ワークシートにそって人権について考えていきましょう。
 いきなりですが、コップの絵を描いてみましょう。(2人に描いて貰う)

Aさん Bさん

 Aさんにちかいコップを描いた方、手を挙げてみて下さい。(3割近く挙手)
 Bさんにちかいコップを描いた方、手を挙げてみて下さい。(7割程度挙手)
 今私は「コップの絵を描いてみましょう」と言いました。しかし、受け止め方に違いが出ていますね。同じ事を聞いてもすべての人が同じ受け止めをするとは限りません。日常会話の中で、窓口業務で話がかみ合わないことはありませんか?自分は水飲み用コップの話をしているのに、相手はコーヒーカップの事を考えて聞いているのであれば、話はかみ合いません。受け止め方が違うと言うことを前提に丁寧に話し合わねばなりません。
 しかし、皆さんが描いたコップに共通するものがあります。何でしょうか?それは、みんな上向きのコップだということです。このように心のコップもいつも上向きにしておきたいものです。

 女性はいくつくらいでしょう。
若い女性に見える方?(4割近く挙手)
年寄りに見える方? (「何、年寄り?」という声有り。4割程度挙手)
どちらにも見える方?(2割近く挙手)(隣同士で教え合っている姿有り)
どうしても両方には見えない方?(なし)
若い女性の耳をお年寄りの目と思って下さい。あごは鼻、ネックレスを唇、 このように見ると若い女性にもお年寄りの女性にも見えますね。
 この絵から出会いの大切さに気づいて欲しいと思います。見てすぐに若い女性に見えた方は、高齢の女性と見直すのに苦労されたでしょう?反対もそうです。見直すことはかなりの労力が必要です。同じように、よい出会いをした人とは、よい関係を続けることが容易ですが、悪い出会いをした人とよい関係をつくるのは労力が要ります。特に、窓口業務をしている方は住民との出会いが常にあります。いつもよい出会いができるよう気をつけておられることと思います。
 次に魚の絵を描いてみましょう。 二人に描いてもらう。

Cさん Dさん

 Cさんと同じように左向きの魚の絵を描いた方、手を挙げてみてください。(ほとんどが挙手)
 Dさんと同じように右向きの魚を描いた方、手を挙げてみて下さい。(5人挙手)
 右向きは5人です。そのわけは後で話します。
 この魚の絵も、私は「魚の画を描いてみましょう。」としか言いませんでした。「左向きの魚の絵を描きましょう。」とは言っていません。にもかかわらずほとんどの方が左向きの魚の絵を描きました。5月の鯉幟の絵もほとんどが頭は左を向いています。
 こんな事が起きるのは一体、どういう事なのでしょうか?私たちの周りにある魚の絵や写真、そして料理に出る魚はそのほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見て調べてみてください。9割近くは左向きの魚です。それを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか、知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 牛の姿思い描いて下さい。
 あか牛を思い浮かべる方?(数名)黒牛を思い浮かべる方?(数名)しろくろ牛、ホルスタインを思い浮かべる方?(大多数)私もしろくろ牛です。
 どうしてこんな事が起こるのでしょうか?(「私の家ではあか牛を飼っていた」、「私の家の隣の家ではくろ牛を飼っていた」という声有り)私の家では乳牛を4・5頭飼っていました。私は乳も搾っていました。そんなことから牛と言えばホルスタイン種が思い浮かびます。
 産山で尋ねたときは、全員があか牛でした。天草ではほとんどがくろ牛でした。このように牛の色と言えば、小さい頃から見慣れた牛の色がすぐに思い浮かびます。魚の絵は左向き、牛の色は○○のように「○○は○○」と知らず知らずのうちに自分のものとなっているものをを刷り込みと言います。この刷り込みが時として思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なって偏見となるのです。そして偏見が差別意識につながることがあるのです。
 この意味から、右向きの魚を描かれた方は魚の図鑑の絵や写真から刷り込みを受けることなく、自分の考えをお持ちですからすごいことだと思います。
 「魚の絵は左向き」は直接差別につながりませんが、「あすこんもんはおそろしか」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だっでん言いよる」と返ってきます。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 皆さん、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手してみて下さい。(挙手無し)マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たりカラスの鳴き声を聞くと、「今日はあんまり良いことは無かバイ」など言っていました。
 私たちはカラスの羽の色が黒いということでカラスは縁起が悪い鳥と決めつけているのではないでしょうか。本当にカラスって縁起が悪い鳥でしょうか。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。


           七つの子

                            野口雨情  
     烏 なぜ啼くの   烏は山に
     可愛い七つの  子があるからよ
     可愛 可愛と    烏は啼くの  
     可愛 可愛と  啼くんだよ
     山の古巣に    行つて見て御覧 
     丸い眼をした  いい子だよ

 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 「あの人は、自分とは合わない、ちがう」と決めつけることなく、自分の大切さとともに、他の人を大切にできるようになれば、世の中の差別はなくなっていくことでしょう。


あなたなら、若い夫婦の注文にどう応えますか?


 ある日、若い夫婦が二人でレストランに入りました。
 店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内し、メニューを渡しました。
 「Aセット一つと、Bセット一つ。」
 店員が注文を聞きその場を離れようとしたその時、夫婦はしばし顔を見合わせ、「それとお子様ランチを一つ頂けますか?」と言いました。
 店員は驚きました。なぜなら、そのレストランの規則で、お子様ランチを提供できるのは小学生までと決まっているからです。
 店員は、「お客様、誠に申し訳ございませんが、お子様ランチは小学生のお子様までと決まっておりますので、ご注文はいただけないのですが...」と丁重に断りました。
 すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員は事情を聞いてみました。
 「実は…」と女性が話し始めました。
 「今日は、天国へ旅立った私たちの娘の誕生日なんです。私の体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。娘が私のおなかの中にいる時に『三人でこのレストランでお子様ランチを食べようね』って話していたんですが、それも果たせませんでした。子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、最近やっと落ち着いて、亡き娘にここの遊園地を見せて、三人で食事をしようと思ったものですから…」

 皆さんはどう対応しますか?規則だからお子様ランチの注文は受け付けませんか?受け付けますか?
 ここの店員は、「かしこまりました」と注文を受け付け、若い夫婦を2人がけのテーブルから4人げけのテーブルに移動させ、「お子様はこちらに」と、夫婦の間に子ども用のイスを用意したのです。しばらくして、「お客様、大変お待たせいたしました。ご注文のお子様ランチをお持ちいたしました。では、ゆっくりと食事をお楽しみください。」と笑顔でそう言ったそうです。
 この夫婦から後日届いた感謝の手紙には次のように書かれていたそうです。
 「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思っていませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。また来年も再来年も、娘を連れてこの遊園地に来ます。そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行きます。」と。
 この話を聞かれた方は、いらっしゃいますか?(数名挙手)ありがとうございます。この話は、東京ディズニーランド内のあるレストランで実際にあった話です。レストランの規則を破った店員は、上司に叱られたでしょうか。いいえ。お客さんに喜んでもらい、感動を与えたと賞賛されたそうです。
  ミッキーマウスの産みの親、ウォルト・ディズニーが人々に感動を与えようとディズニーランドを造りました。日本では千葉県浦安に、東京ディズニーランドとしてオープンしました。
 感謝の手紙にあるように、「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思っていませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。」これこそ感動です。このような感動の積み重ねによって感性がさらに豊かになります。この感性が人権感覚を豊かにします。
 誰かに親切にすることで、「ありがとう」や「笑顔」が返ってきます。それが「生きている」「誰かとつながっている」の実感につながります。


次は、あなたがトイレの掃除担当だとします。次の文を読んで下さい。


 役場庁舎のトイレは普段から大勢の方々が利用しています。毎日掃除をし、きれいにしているのに、最近、トイレの使い方が悪く、困っています。
 そこでトイレに張り紙をしようと考えました。
 あなたなら、その張り紙にどんなメッセージを書きかすか?

 ここ、カルチャーセンターのトイレには張り紙はありません。上益城総合庁舎には「いつもきれいにご利用いただいてありがとうございます」とあります。
 「ここはみんなが使うところです。きれいに使ってください。」の張り紙ではなかなかきれいにならなかったトイレが、「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます。」と書き換えたらトイレの使い方がとてもきれいになったという話を聞いたことがあります。自分の行為を人から感謝されて悪い気はしません。人が生きていく上で「感謝」はとても大切なことです。

 次の会話、何か変だと思いませんか。

 もともとは「人のやりたがらない仕事」の文言は、「ビルの清掃作業」でした。そして、この話は美談として語られたのですが、「とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって。」を、「人のやりたがらない仕事って、なに? 私は自分の仕事に誇りを持っている。」と同じような仕事をしている人の指摘で、「この話は、おかしいんじゃない?」と気づいたのです。
 「人のやりたがらないような仕事までして」という言葉の裏にある意識には、Aさんのお母さんの仕事を、軽蔑している心が潜んでいます。「きつい」「きたない」「きけん」いわゆる3Kといわれるような仕事も、私たちの生活にとってはなくてはならない大切な仕事です。職業には貴賎はありません。
 「自分は差別していない」と思っている人でも、自分の心の中にある差別心に気づかずに、ふとした時に人を傷つけてしまっている場合があるのです。
 「あの人は女性だから」は女性問題についての設問です。時間の都合で本日は割愛します。後で、各自考えて下さい。


              あの人は女性だから

 「課長、先日の書類が仕上がりました。」と吉田係長が私に数枚の書類を差し出した。先週頼んでいた書類がきちんと整理されていた。「よくできているね。」と声をかけると、「ありがとうございました。」と明るい返事が返ってきて、良い職場だなといつも思う。
 5時30分、帰り支度を始めたとき、緊急放送が入った。「重要な会議を行いますので、各課係長以上は会議室にお集まりください。」
 吉田係長が会議用の書類を揃え始めたので、「吉田係長、君はいいよ。帰っても。家が困るだろう。会議内容は明日話すから。」と私が言うと、彼女は少し迷って、「ありがとうございます。それでは失礼します。」と言って帰っていった。
 田中課長補佐が近づいてきて「吉田係長はいなくていいのですか?」と言ったので、「あの人は女性だから。」と言うと、「さすが課長、これが配慮なのですね。」と答えた。
 部下に配慮できる課だと評判はいいし、私自身もそう自負している。

 同和問題について考えます。
 次の絵のような場面でのことがもしあなただったら、どう感じますか。

 同和問題の中でも、「結婚差別」「就職差別」そして「あの子こと遊んでいけない」という分け隔てが最も深刻な問題です。このことについて中学生が書いた作文があります。一緒に読んでみましょう。


   一人でも多くの人に伝えたい   栃木県・大田原市立金田北中学校3年 舩山 泰一

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 どうですか?
 舩山君は、「江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのか」
「悩み苦しんでいる人がいる世の中は絶対に変えていかなくてはならない。何もしなければ、何も変わらない」と私たちに訴えています。

 結婚式は「大安」に、お葬式は「友引」はよくない、などと日取りを決める基準にされることがあります。

 この六曜についてどう思いますか?
 平成20年8月、義母が亡くなりました。葬儀社の方に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の方がノートをひろげて、「一般的に、今夜が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないと言われています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは六曜の考えは信じていませんので、「一般的な方法で、今夜が仮通夜、明日が本通夜、葬儀は明後日にお願いします」と友引の日に葬儀をし、義母を送りました。その日は日曜日でした。火葬場には、数組みの家族が火葬の順を待っていました。六曜思想ににとらわれることなく生活している方が多くなっています。友引の日に葬儀を済ませましたがどうってことありませんでした。
 この六曜とは、どんなものでしょうか。どうやって今日は何の日と決めるのでしょうか。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬・中旬・下旬と10日を単位にしていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由です。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜と呼ばれるものです。これは、足利時代の末に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。
 旧暦の1月と7月の1日を先勝と決め、2月と8月の1日が友引、3月と9月の1日は先負、4月と10月の1日が仏滅、5月と11月の1日が大安、6月と12月の1日が赤口と決めたのです。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合もあります。
 このように機械的に定められ、暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと仏願寺住職であった故高千穂正史さんは、著書「愛語問答」で述べています。
 高千穂さんどころか、徒然草の作者 吉田兼好は、日がよいとか悪いとか言うことのおかしさを、「徒然草第九十一段」で、「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なりと言へり。吉凶は、人によりて、日によらず」と綴っています。「吉凶はその人の心の問題であって日ではない」と言っているのです。こう言ったのは鎌倉時代ですよ。
 このように科学的根拠のないものを「皆が言うから」「世間が言うから」と何の疑問も感じないまま信じることはおかしな事です。「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、一人ひとりの意識が変わることによって、世間の常識は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。思い込みや偏見をなくし、世間体にとらわれない生き方をするために、ものごとを、正しく学び、正しく理解し、判断し、相手の立場に立って行動しようではありませんか。
 終わりに水俣病問題とハンセン病問題について記した中学生の人権作文を読みます。


    私の大好きなふる里           熊本県立八代中学校 1年 井上 由紀子

 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 井上さんは、「ハンセン病も水俣病も、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習すること。そうすれば、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなる。」と述べています。
 私たちは、様々な人権問題に関心を持ち、学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動することが今求められています。正しく学び、正しく理解し、判断・行動することが、自分自身を見つめ直し、明るいまちづくり・明るい職場づくりに活かされることと思います。
 おわりに、すべての課が「人権尊重」の視点からまちづくり行政を進められますことを願って、桑原律さんの「差別のない町」を読みましょう。


       差別のないまち                    桑原 律

   ただそこに生まれたということだけで  人間のねうちがきめられてしまう
   そんなことがあってよいのでしょうか

   道一つ異なるところに生まれただけで  心と心が隔てられてしまう
   そんなことがあってよいのでしょうか

   人の口づてに伝えられてきた偏見に  今もなお 多くの人びとの心がまどわされる
   こんな愚かなことがあってよいのでしょうか

   科学と文明が百年の進歩を見せても  人びとの心は百年前でとどまってしまっている
   こんな愚かなことがあってよいのでしょうか

   「自分は気にしていないが世間の人たちが」と 「自分に偏見はないが 世間が許さないから」と      
   いつもまわりのせいにして  心に衣を着せてきた自分
   その古い殻を破り 差別の壁を崩すために  努力する一人になろうではありませんか

   このまちに住んでよかったと  だれもが思えるように
   心の底から語りあいたい  お互いの心を結びあおう

   人の心を傷つけず  おたがいの人権を尊重しあおう
   そうして 差別のない  住みよいまちづくりをすすめよう

   そのために努力する人たちの  心の輪をひろげよう

                                    (ヒューマンシンフォンニー「光は風の中に」より)

 桑原さんの詩にありますように、御船町民一人一人が「この町に生まれ住んでよかった」と思い、共に語らい合い、互いの心が結び合う御船町になりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。