私たちにできることから |
平成22年6月15日 |
和水町公民館 |
みなさん、こんにちは。中川でございます。よろしくお願いします。
ワールドカップの初戦で日本が勝ちましたね。昨夜は遅くまでテレビ応援をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は今朝、新聞で日本が勝ったことを知りました。今朝のテレビニュースを見ると、サポーターは周りの人とハイタッチしたり、抱き合ったりして勝利の喜びを共有していました。大分県上津江村では、8年前カメルーンが日本で開催された大会のキャンプ地であった関係からカメルーンを応援していました。そこには分け隔てはありませんでした。みんなが一つになっていました。人々が一つになって幸せを追求できる世になりたいですね。
ところで、ただいま、「中川ありとし」さんと紹介していただきました。
先日、ある研修会に参加したときグループ討議がありました。男性7名、女性3名の10名が集まりました。みなさん怪訝な顔をしているように思えました。グループの構成メンバーの氏名が資料に記載されています。その氏名と集まった男女の人数を見比べて怪訝な顔をしているようです。 みなさんが怪訝な顔をしている原因は私にあると思っていましたから私が最初に自己紹介をしました。
「私は『有紀』と書いて『ありとし』と言います。よく「ゆうき」または「ゆき」と読まれて女性と思われますが、ご覧のように男性です。よろしくお願いします」と自己紹介すると、みなさん得心したような顔をされました。
もうすぐ67歳になりますが、今でも小学校や中学校の同級生、幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。
私の父は「有」一字で「たもつ」でした。「有」という文字は、上に「保」という文字を付け加えると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。それで、「有」は「保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味がありますね。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。私が中学生の頃、当時は農家の長男は跡取りをするのがあたりまえという時代でした。祖父はいつも「お前は長男だけん跡取りばせにゃんぞ」と言っていました。しかし、父は、「先生になろごたる」と言う私を「お前の好きな道を歩め」と応援してくれました。そんな父を尊敬し、敬愛しています。
その父に1度だけ強く抗議したことがありました。
もう40年以上も前のことですが、私が結婚を意識し始めた頃のことです。私が結婚しようと思っていた女性、今の連れ合いですが、どこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。
当時は、私は何故身元調査をするのかを知りませんでしたが、私は連れ合いと私の人権を侵された思いで、「この女性と結婚すると決めたおるば信用できんとな」と強く抗議しました。父は何も言いませんでしたが、下を向いたままのその姿から父の思いが伝わってきました。結婚に際しては心から祝福してくれました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
本日は、同和問題について正しく理解し、部落差別をなくす取り組みについて私の思いを「私たちにできることから」と題してお話しします。
同和問題とは、部落差別に関わる問題です。それは、封建時代の政治や経済の仕組みの中でつくりあげられた身分制度に基づく差別に由来するものです。現代においてもいわゆる同和地区と呼ばれる地域に生まれ育ったというだけで基本的人権を侵され、特に職業選択の自由、居住や移転の自由、結婚の自由、教育の機会均等などの権利が完全に保障されていないという重大な社会問題です。人間は自分の意志で生まれるところを選ぶことはできません。にもかかわらず、いわゆる同和地区出身というだけで、様々な差別を受け基本的人権が侵害されている現実、これが同和問題です。
私が社会教育主事の頃、社会同和教育研究集会で基調提案をしていました。「同和教育」とか「同和地区」などの言葉を使っていました。基調提案を終えるとある方が、「中川さん、あたが行政職員として「同和教育」とか「同和地区」とか言うのは当然のことだろう。ばってん、あたが「同和地区」「同和教育」と言うたびに私ぁ大きな鉄槌で頭を殴られたような思いがしました。こんな思いばせんでよかごつ、1日も早う部落差別がなくなるごつしてはいよ」と言われました。
また、ある支部長さんが「俺はいろんな差別ば受けてきた。子や孫の代まで部落差別ば残さんごつあたたち行政の人に心から頼みよるとばい。部落差別ば早うなくしてはいよ」と両手で私の手を握りしめ、話されたことがありました。
自分の責任以外のこと、生まれた所によって差別を受ける部落差別はあってはならないことです。部落差別を始めあらゆる差別をなくすことは、すべての人の願いです。
「ありちゃん、あたたちが同和教育ばするけん知らん者まで知ってしまう。もうたいぎゃでよかばい。俺は、差別はしよらん。誰とでん付き合いよる。」
これは、私の同級生の言葉です。「教えるけん知らん者まで知ってしまう」とか「そっとしておけば差別はなくなる」という考え方は、「寝た子を起こすな論」です。この「寝た子を起こすな」の考えは、人権意識を眠らせ、差別を温存し、差別を次の世代に残してしまうことになり、同和問題の解決には結びつきません。
「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である、その早急な解決こそ国の責務であり、国民的課題である」と述べた同和対策審議会答申が出されて45年が経過しようとしていますが、部落差別は未だに解消していません。インターネット上では差別語を使った差別書き込み、人の目に触れる所での差別落書など悪質な差別事件が後を絶ちません。また、意識的に差別をしようとは思わない差別事例も後を絶ちません。
次の言葉を聞いてどう思われますか?
「大きな声で同和、同和と言うな。間違われる。」「こんな話を聞かれたら自分たちも部落と思われる。」「人事部で同和問題を担当していると言うと、近所の人があんまり口をきかなくなった。」
「電車の中で部落問題の本を読むとき、何故だか必ずブックカバーを付けてしまう。」
どれも部落差別の現実を示してますね。でも、部落出身者に対する侮辱や見下し、悪口を発しているわけではありません。ただ部落問題にかかわる話題を避けているだけです。しかし、これが部落差別の現実です。
熊本県が平成16年に実施した県民意識調査のデータがあります。
○同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
@結婚問題で周囲が反対すること 54.4%
A身元調査をすること 41.8%
B就職・職場で不利な扱いをすること 29.8%
と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
○結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
@子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない 62.5%
A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30.0%
B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない 4.1%
C絶対に結婚を認めない 3.4%
6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これは、これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、親として反対するが子どもの意志が強ければしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、家族や親戚の反対があれば結婚を認めないが4、1%、絶対に認めないが3、4%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
いわゆる同和地区の人と結婚しようとするとき何故、周りは反対するのでしょうか?
「同和地区出身者と結婚したら地区出身者と見なされ、差別を受ける不幸に見舞われる。そうはさせたくない」という我が子への親の愛情が結婚差別となって表現されるのです。おそらく私の父もこの考えから連れ合いのことを調べたのだろうと思います。
さらに、「同和地区の人と親戚になると、自分たちまで地区出身者と見なされる。結婚する当事者はそれでよいかもしれないが、私たちの子どもへの影響も考えてもらいたい」という思いとなるのです。これまでの結婚差別事件で、「相手を差別するつもりなど全くなかった」からも分かるように、いわゆる同和地区出身者を積極的に差別する意図がないなかで深刻な結婚差別の現実がつくりだされているのです。
「相手を差別するつもりなど全くない。でも同和地区出身者との結婚は反対」というこの思いはどこから来るのでしょうか?
それは、いわゆる同和地区や出身者に対するネガティブなイメージが私たちの心の中に刷り込まれているからです。
人は学校での同和教育や職場での研修を受けるより前に同和問題について伝え聞いている場合が多いことが、いろんな調査からうかがうことができます。熊本県の平成16年度調査では、同和問題を知ったのは、「学校の授業で教わった」が30、3%、「家族から聞いた」が18、6%です。家族から同和問題について正しく聞き、正しく理解するのであれば良いのですが、「部落は怖い」とか「自分たちとは違う」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識を聞き、それがネガティブなイメージとして刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。
ですから、いわゆる同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むネガティブなイメージを払拭することが求められているのです。
○結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
@親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する 54.5%
A自分の意志を貫いて結婚する 26.7%
B家族や親戚の反対があれば、結婚しない 15.2%
C絶対に結婚しない 3.6%
5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。
学校で同和教育が始まって、40年以上も経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
次のデータは、児童生徒、保護者の願いです。
○「部落差別についての学習でどのようなことがわかりましたか?」に対して
@理由もなく差別を受け、苦しんでいる人がいること 62.3%
A部落差別をなくすためには、思いこみや間違った見方などをしないで、自分自身で考え判断することが大切なこと 29.0%
B差別を許さない、差別に負けない強い心をつくること 28.3%
「ある地域に生まれたから」という自分の責任外のことで差別を受けることの不合理さを子ども達は理解しています。また、「思いこみ」「間違った見方」をせずに、自分自身で学び判断することの大切さに気付いています。
○「部落差別の問題を解決するために、今あなたにできることはどのようなことですか?」に対して、
@部落差別を正しく理解する 27.1%
A人ごとでなく自分の問題として差別をなくすよう努力する 21.4%
Bおかしいと思ったことは積極的に伝える 18.8%
「部落差別を正しく理解すること」「自分の問題として差別をなくす努力をすること」を挙げています。
次は保護者の回答です。
○「同和問題の解決に必要なことはどんなことだと思いますか?」に対して
@同和問題を解決するための教育・啓発広報活動を推進する 50.7%
A同和問題について、自由な意見交換ができる環境をつくる 40.5%
B行政が差別を受けておられる方々の自立しやすい生活環境をつくるよう努力する
31.7%
「教育・啓発」の必要性を強く感じています。
○「学校の人権問題の研修会などについて、どのようにお考えですか?」に対して
@講演会などで、いろいろな体験談などを聞きたい 36.2%
A人権についての学習の大切さは理解できるが、人権問題以外の学習もしたい 13.1%
B講演会などで、いろいろな人権問題についてじっくり学習したい 13.1%
21世紀は、人権の世紀とも生涯学習の世紀とも言われています。人権尊重の視点から生涯学習をすることを回答しています。
○「お子さんの人権学習について、どのようなお考えですか?」に対して
@自分の考えをはっきりと伝えたり、相手の気持ちをきちんと理解できるように育ててほしい 22.4%
A高齢者の方や障害者の方達との交流学習を通して、優しさや思いやりなどしっかり学んでほしい 20.7%
Bお互いを認め合い、励まし合いながら、育ち合う環境で学習させたい 19.2%
これからの人権教育に望む保護者の考えが見えてきます。
部落差別をはじめあらゆる差別をなくすために私たちにできることを考えてみましょう。
下の絵を見てください。二人の女性の顔が見えますか?
一人は高齢の女性、もう一人は若い女性です。同時には見えにくいと思いませんか?
一人しか見えない人は、二人の女性に見えるという人に教えてもらってください。
一つの事柄は、裏表の2面がありますが、片一方を注目すればもう一方が見えにくくなります。物事には、見える領域があれば見えない領域もあります。
同和問題も同じで、「差別は社会問題だ!」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになりますし、反対のことも生じます。同和問題の解決は社会問題であると同時に個人の問題でもあるのです。
なぜ同和問題が現在まで残っているのでしょう?
コップを描いてみてください。
どなたかここに描いてもらえませんか?
(3人に描いてもらう。水を飲むコップ、コーヒーカップ、ビールを飲むコップ)
すばらしいコップを描いて頂きありがとうございます。いろんなコップがあります。みなさんにお尋ねします。
水を飲むコップを描かれた方、手を挙げてみてください。(半分程度)
コーヒーカップの方?(10人程度)
ビールを飲むコップの方?(5人程度)
私は「コップを描いてください」と言いました。この私の言葉を聞いてみなさんはこのようにいろんなコップを描きました。
人それぞれ受け止め方やものの考え方がは違うということがお分かりでしょう。他人が自分と同じように考えているとは限りません。自分の意志を伝えるとき、相手はどう思うかを考えましょう。
ここに描いてもらったコップは形は違いますが共通していることがあります。全て上向きということです。すべての方の絵を見たわけではありませんが、私が見た限りでは下向きのコップを描かれた方はいません。コップが下向いていると、ものを注いでもたまりません。私の話を聞いているみなさんの心のコップは上を向いています。いつも「上向き」にしておきたいですね。
魚の絵を描いてみましょうか。(ほとんど全員が左向きの魚を描く)
ここに描いてもらえませんか?
(1人に描いてもらう。左向きの魚が描かれる)
すばらしい魚の絵を描いていただきありがとうございました。
お尋ねします。
□□さんのように左向きの魚を描かれた方?(ほとんど全員)
右向きの魚を描かれた方、手を挙げてください。(1人)
右向きの方はお一人ですか?
私は皆さんに、「魚の絵を描いてください」と言いました。「頭が左を向いている魚の絵を描いてください」とは言いませんでした。それなのに、左を向いている魚を描いた方が圧倒的に多いです。どこの研修会でも、本日のようにほとんどが左向きの魚を描かれます。どうしてそうなると思いますか?
私たちが目にする魚の写真や絵はほとんど左向きです。料理に出る魚も左向きです。先日、中国の青島、曲阜、泰安の3市を旅しました。中華料理でもみんな左向きでした。つまり、私たちは毎日の生活の中で空気を吸うごとくに無意識のうちに「左向きの魚」を学習しているのです。
牛の絵を描いて欲しいと思いますが、宮崎県は口蹄疫問題で揺れ動いています。1日も早く終息宣言が出ることを願っています。
そこで、牛を思い浮かべてください。お尋ねします。
あか牛を思い浮かべた人?(3割程度)
黒牛?(2割程度)
白黒のホルスタイ?(半分程度)
阿蘇郡産山村で聞いたときは、全員があか牛でした。天草では、くろ牛が多く、熊本市周辺ではほぼ3分の1ずつでした。私は、白黒のホルスタインをイメージします。
どうしてこんなに違った牛の色をイメージするのでしょうか?私たちは「牛」と聴けば、小さい頃からよく見ていた牛の姿が思い浮かびますね。魚の絵といい牛の色といい、私たちは子どものころから、空気を吸うように「○○は○○」と無意識のうちに身につけています。これを刷り込みといいます。
次3つのは、どれが「固定観念」、「偏見」、「客観的な意見」だと考えますか?
@先生はみんな親切だから好きだ。
A私には親切な先生がいてうれしい。
B先生というのは親切なものだ。
「先生というのは親切なものだ」は、固定観念ですね。残念ですが、親切でない先生もいます。
「私には親切な先生がいてうれしい」は、客観的な意見ですね。「親切な先生がいてうれしい」は、そうでない先生もいることを前提にして話しています。
「先生はみんな親切だから好きだ」が偏見となります。「みんな親切だ」は固定観念です。しかし、それに「好きだ」という感情が付いています。これが、ある特定の集団に属しているというだけで、「好きだ」「嫌いだ」「敬う」「見下す」という態度をとることになります。これが偏見です。この偏見は、マイナスイメージを持っているときに生まれやすいのです。
魚の絵や牛の色は「○○だ」との刷り込みは社会問題とはなりません。でも、この刷り込みが社会意識となり、差別意識をつくりだしていることが多いのです。
人はだれひとりとして「偏見」を持って生まれてくるわけではありませんが、この刷り込みが、思い込みとなり、社会的偏見となり社会意識となり、差別につながるることがあるのです。
それによって、苦しみ、悲しみ、怒り、憤りといった心を痛めている人がいることを私たちは忘れてはならないと思います。後でも触れますがみんなが言うからとそのまま受け入れることではなく、「そうかな」と立ち止まって考えてみることがとても大切なことと思います。
次の文を読んで下さい。
Aさんはあなたの一番大切な友だちです。ある日、Aさんとあなたが二人きりになった時にAさんが言いました。
「実は、私は○○です。」
「○○」にあてはまる内容には、どのようなものがあるでしょうか。
趣味のこと、病気のこと、過去の出来事、将来の夢、悩み、いろいろありますね。二人きりになったとき、打ち明けることは信頼関係があるからのことですね。信頼に応える受け答えが必要だと思います。
自分のことや、出身地や住んでいるところを言うことが、簡単にできない状況にある人がいることを知っていますか?また、そのような状況を作っている原因はいったい何でしょうか?
出身地を簡単に言えない背景に同和問題の根深さがあります。これまで見てきた様に結婚や就職などの人生の大事な場面で差別が残っています。
丸岡忠雄さんの「ふるさと」を読みます。
ふるさと 丸岡忠雄
「ふるさとをかくす」ことを 父は けもののような鋭さで覚えた
ふるさとをあばかれ 縊死した友がいた ふるさとを告白し 許婚者に去られた友がいた
吾子よ おまえには 胸張ってふるさとを名のらせたい 瞳をあげ なんのためらいもなく
「これが私のふるさとです」と名のらせたい
「中川さん、あたはタクシーで帰るときどこで降りるな?家の前で降りるど?私たちは寒かろうが雨が降っていようが我が家のずっと手前で降りる。何故か分かるな?」と問いかけられました。
周りの人が同和問題を正しく理解し、共に生きる感性や人権感覚があれば「どうってことないさ」とふるさとを名乗ることができるのです。全ての人がなんのためらいもなくここが私のふるさとですと言える世の中にしなければなりません。
数年前の熊本県が主催する人権子ども集会で高校生が次の様に訴ました。
「あそこって元部落よね」という発言について、当人だけでなく他の親しい友達にも自分が差別と闘う生き方をしていることを話します。親しい友達は、「あなたがどうだと言うことは関係なか。私たちは友達よ」と言ったそうです。高校生は、「関係なかではない。あなたが部落差別をする側に立つのではなく差別をなくす側に立って欲しい。差別をなくす仲間になってほしい」。差別をなくす仲間を増やしていく熱い思いを訴えました。彼女の思いが、私たちの心に響きました。
「部落差別は関係なか」ではないのです。私たち一人ひとりに関係があります。部落差別を始めあらゆる差別を他人事として受け止めるのではなく自分のこととして受け止め、みんなが幸せに暮らせる世の中になる努力を続けましょう。
これまで見てきました様に思いこみや偏見をなくすことです。そして、迷信や世間体にとらわれない生き方をすることです。
本日は、時間配分がうまくできなくて読む時間がありませんが資料に益城町広報人権啓発文を付けています。後で読んで見て下さい。
「カラスを縁起が悪い鳥」と思い込んでいるおかしさ、ふだんは気にしないのに何かの時に「今日は何の日」と気にするおかしさを記しています。
自分の大切さとともに、他の人を大切にできるようになれば、世の中の差別はなくなっていくことでしょう。このように、「差別」をなくすために自分にできること、それは、毎日の生活の中にたくさんあるのです。
「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別をはじめさまざまな差別の際に、口にされてきました。迷信や偏見にしばられない生き方をしていこうではありませんか。
「そうかな?」と立ち止まって考え、学び正しく理解ていこうではありませんか。
お子さんや周りの人が確かな人権感覚をはぐくみ、みんなが幸せを実感する社会づくりとして次のことに留意して欲しいと思います。
○自己存在感や自己有用感などを実感する機会を数多くつくり、自尊感情を育みましょう。
自尊感情とは自分自身を大切にする感情です。自分を大切にすると言うことは他も大切にします。自他の人権を大切にするこころ豊かな子どもを育てていきましょう。
○情動体験を通して、共感的に理解する心を育てましょう。
踏まれた足の痛みは踏まれた人にしか分かりません。しかし、踏まれた人の痛みに近づくことはできます。それが共感的に理解することです。
○自分の人権を守り、他者の人権を守るための実践力・行動力を身につけさせましょう。
終わりに桑原律さんの人間の尊さをみんなで声に出して読みましょう。
人間の尊さ 桑原 律 人間のねうちは何ではかるのでしょうか その人の先祖や家柄でしょうか その人の地位や肩書きでしょうか その人の職業や財産でしょうか 人間のねうちは そんなものさしではかることはできません 人間のねうちは何で決まるのでしょうか その人がどんなに努力する人であるのか その人がどんなに誠実な人であるのか その人がどんなに思いやりのある人であるのか 人間のねうちは その人がどんな生き方をするかで決まるのです 自分の言葉が 誰かの心を傷つけたりしてはいまいかと 自分の行動が 誰かの人権をそこなったりしてはいまいかと いつも 自問自答しながら生きること そこから 人間を人間として尊重しあう 新しい生き方が始まります 偏見や差別をなくしていくために まず自らが努力する生き方を 今日から始めようではありませんか |
本日私が話しましたことの一つでも二つでも取り上げていただき、家庭での一家団欒の時あるいはPTAの会合などで話題にしていただき部落差別をはじめあらゆる差別がなくなる新たな取組を初めて欲しいと思います。
ご静聴ありがとうございました。
感想・意見 ・資料5の「人間の尊さ」の詩・・・家で子どもに伝えたいと思えるものでした。 自分もいろいろ刷り込まれていると改めて気づかされました。刷り込まれている自分を意識しながら、日々過ごしていきたいと思います。 ・子育ての中で、子どもたちと一緒に取り組みたいと思いました。マイナスイメージだけを伝えすぎないように心がける。 ・多くの資料も準備していただき、身近な問題としてとらえやすいように話されたのでたいへん良かったと思う。 ・どちらかといえば「寝た子を起こすな論」を親からも聞かされてきたし、学校では学習の場がありましたが、知らなければ・・・という考えでした。 中川先生のお話で、相手の立場になり関わりを持って人の痛みもわかる人にならなければいけないと思いました。自分の子に対しても、しっかり耳を傾けられる親になりたいと改めて思いました。 ・人権に対するマイナスイメージがあると、それもささいな事からのはじまりであることに気づかされました。 ・現代は学校で人権を学ぶために、若年者の人権に対するだいぶ高くなっていると思います。しかし、年齢が高くなるにつれ差別意識が高いのを実感します。 男女差別はもちろん、部落差別やハンセン病問題など身近なことでも多々あります。高齢者の意識を変えるというのは難しいのでしょうね。それが本日の講話にあった、小さい頃から刷り込まれている差別意識なのでしょうか。 ・偏見をなくすきっかけになると思います。 ・偏見や思いこみがどれだけ人を傷つけるかということがわかりました。自分でできることから少しずつ実践していきたいと思います。 ・正しい知識を持たないと、知らないところで人権を侵してしまう可能性があると感じた。 ・心を打たれる内容でした。 ・これからの啓発のあり方に大変参考になりました。 ・講話ありがとうございました。私の中に、刷り込み→思いこみ→偏見をしているのだと、良くわかりました。 ・一人ひとりの意識の大切さ。 ・刷り込み等、無意識での思いこみで差別や偏見がある、ということが良くわかりました。 ・どちらかと言えば良かった。 ・いつの間にか終わりの時間が来たと思うような集中できた内容であった。 ・「刷り込み」ということに関しては、少し無理があると感じました。 |