21世紀は「人権の世紀」
平成22年10月28日
九州農政局


  おはようございます。ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 急に冷え込みましたね。長期予報によると、今年の冬は厳冬かもしれないと言うことです。
 今年の夏は連日35度を超す猛暑でした。暑さで野菜の生育が悪く不作のため値段は高騰しています。稲の生育も例年より悪く品質も落ちていると報じています。
 農林水産行政に携わっていらっしゃるみなさんのご苦労も大変なものがおありだと思います。私も農家の生まれですから自然相手の農業の安定を心から願っています。
 菅総理大臣がTPP環太平洋パートナーシップ協定参加検討を表明しました。貿易自由化となれば安い農産物が日本に輸入されます。食糧需給率がますます落ちてきます。日本の農業はどうなるでしょうか。食糧需給率が下がり食を外国に依存するようになって、外国からの輸入が止まったらと考えると恐ろしくなります。ところが今朝(10月28日)の朝日新聞によりますと、前原外務大臣は、「GDP 国内総生産における第1次産業の割合は1.5%に過ぎない。1.5%を守るためにその他の98.5%を犠牲にして良いのか」と言っています。第1次産業であります農林水産業は、日本人の生命を守る産業です。失礼ですがその意識が大臣にどれだけあるのかを疑います。どうか、農林水産業に従事する人々が元気の出る農林水産行政をしていただきますようお願いします。このことはとりもなおさず人権尊重の眼差しを持って農林水産行政にかかわることだと私は思います。どうぞよろしくお願いします。
 ところで、10月は、世界中を揺るがす出来事が2つありました。
 一つは、チリ北部のサンホセ鉱山落盤事故で地下に閉じ込められた33人の作業員全員が無事に救出されたことです。
 もう一つは、中国の民主活動家、劉暁波さんが今年のノーベル平和賞を受賞したことです。
 8月5日の事故発生後、地下700メートルで過ごしていた作業員全員が今月(10月)14日、69日ぶりに救出されました。
 アメリカのオバマ大統領は、「救出にあたった人々やチリ政府、世界中を鼓舞したチリ国民の決意と団結の証し」と賛辞を表しました。「作業員と家族が流した涙は彼らだけでなく、世界の人々の喜びを表現した」と感動を共有しました。救出に当たっては、アメリカ航空宇宙局の支援チームが早くから現地入りし、宇宙飛行士同様、閉鎖空間での生活を強いられた作業員の体調管理への助言などを行っていたそうですね。
 救出された作業員の一人は、「はじめは一人一人だったがみんなが互いに信じ合い、仲間となったことは誇りだ」と言っていました。「互いを信じ合い、仲間となる」、これはまさに互いの人権を認め合い、尊重し合った結果ですね。
 救出劇は、世界中の技術や医療が結集された結果です。中国のメディアは、カプセルを牽引した機械は中国製だったと報道していました。
 その中国の民主活動家、劉暁波さんが今年のノーベル平和賞に決定しましたね。授賞式出席を、「中国の人権活動家に託す」と妻の劉霞さんが発表したと新聞では報じています。中国が国を挙げてこの快挙を祝う日が来ることを願っています。
 本日は、研修の一環と言うことですので人権に関する諸答申等を資料として配付しています。
 確認します。
 一つは、同和対策審議会答申です。これは昭和40年に答申されたものですが、同和問題解決の指針として現在も多くのところで活用されています。
 「同和問題の解決は国の責務であり、国民の課題である」といわれますが、この文言は本答申の前文にあります。


 いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の探求に努力した。

 二つは、平成8年に出されました「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的なあり方について」いわゆる地対協意見具申です。私は本日の講演のテーマを「21世紀は人権の世紀」としましたが、この文言が示してあるのがこの意見具申です。
 意見具申2ページを見て下さい。「1 同和問題に関する基本認識」の冒頭部分を読んでみます。 


 今世紀、人類は二度にわたる世界大戦の惨禍を経験し、平和が如何にかけがえのないものであるかを学んだ。しかし、世界の人々の平和への願いにもかかわらず、冷戦構造の崩壊後も、依然として各地で地域紛争が多発し、多くの犠牲者を出している。紛争の背景は一概には言えないが、人種や民族間の対立や偏見、そして差別の存在が大きな原因の一つであると思われる。こうした中で、人類は、「平和のないところに人権は存在し得ない」、「人権のないところに平和は存在し得ない」という大きな教訓を得た。今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。このような意味において、21世紀は「人権の世紀」と呼ぶことができよう。

 三つは、平成14年に閣議決定されました「人権教育・啓発に関する基本計画」です。この中に、様々な人権課題が明記してあります。
 四つは、平成12年に成立しましたいわゆる「人権啓発法」です。
 本日は、時間の都合でこれらに目を通すことは出来ませんが、時間を作っていただいて是非目を通していただきたいと思います。
 人権課題について、行動計画2ページをお開け下さい。読みます。 


 現在及び将来にわたって人権擁護を推進していく上で、特に、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者やハンセン病患者等をめぐる様々な人権問題は重要課題となっており、国連10年国内行動計画においても、人権教育・啓発の推進に当たっては、これらの重要課題に関して、「それぞれの固有の問題点についてのアプローチとともに、法の下の平等、個人の尊重という普遍的な視点からのアプローチにも留意する」こととされている。
 また、近年、犯罪被害者及びその家族の人権問題に対する社会的関心が大きな高まりを見せており、刑事手続等における犯罪被害者等への配慮といった問題に加え、マスメディアの犯罪被害者等に関する報道によるプライバシー侵害、名誉毀損、過剰な取材による私生活の平穏の侵害等の問題が生じている。マスメディアによる犯罪の報道に関しては少年事件等の被疑者及びその家族についても同様の人権問題が指摘されており、その他新たにインターネット上の電子掲示板やホームページへの差別的情報の掲示等による人権問題も生じている。

 熊本県では、この中でも同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題を大きな人権課題と捉え啓発に力を入れています。
 同和問題は「同和対策審議会答申」で述べていますように


 日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的、社会的、文化的に低位の状態におかれ現代社会においてもなお著しく基本的人権を侵害され特に近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。

 この問題の解決を図るため、これまで「同和対策事業特別措置法」の制定以来、同和対策事業が進められてきました。
 同和問題の解決に向けての様々な取組みの結果、物的な基盤整備等については着実に成果をあげましたが、その一方で、今なお部落差別事象が発生するなど、差別意識の解消は十分に進んでいない状況にあります。同和問題の解決に向けて、積極的な理解と参加を得られるような啓発活動へのさらなる取組みが求められています。演習でも触れます。
 また熊本県では、日本における公害の原点といわれる水俣病を通して、その発生地域の内外で偏見や差別の問題が生じました。その解消に向けて、啓発活動が進められています。にも関わらず、
水俣市の中学生が6月上旬、県内の他市の中学校とのサッカーの練習試合中、相手側の生徒から「水俣病、触るな」と差別的発言を受けていたことが分かりました。水俣病に関する学習は各学校で取り組まれています。校長先生は「生徒に対し水俣病の表面的な知識しか伝えきれていなかった」と話しておられます。生徒は知識としては学んでも、それが意識となり、行動に結びついていないのです。だから、このような差別発言が出てきたと私は思います。人権課題について正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動に移すことが課題解決に必要なことです。このような意味から啓発活動が続けられています。
 そして、熊本県には「国立療養所菊池恵楓園」という全国最大規模のハンセン病療養所があります。ハンセン病に対する県民の偏見や差別の解消に向け、啓発活動を進めています。
 このような中、ハンセン病元患者宿泊拒否事件が平成15年11月に南小国町の黒川温泉で起きました。
 皆さんもご存じのようにハンセン病はらい菌による感染症です。遺伝する病気ではありません。感染力も非常に弱く、現在の栄養状態、衛生状態では感染することはほとんどないと言うことです。にもかかわらず、宿泊拒否事件が起きたことはハンセン病に関する偏見がなお残っているということです。さらなる啓発活動を続けていかねばならないということです。
 本日は、お手元に配布しています「ワークシート」を使って身近な人権問題について考えてみたいと思います。自分自身の問題として考えて欲しいと思います。 

 女性の顔が見えます。いくつくらいに見えますか?
 若い女性に見える人?(数名挙手)
 (なに、「若い女性に見える?」の声が聞こえる。)
 お年寄りの女性に見える人?(数名挙手)
 両方見える人?(数名挙手)

 実は、両方見えるのです。よく見て下さい。見えない方は隣同士で話し合って下さい。(「あー、なるほど」などの声が聞こえる。)
 どうしても一人しか見えないという人いらっしゃいますか?
 皆さん両方見えましたね。実は、この絵は「だまし絵」と言って錯覚を起こさせる絵です。
 この絵から皆さんに2つのことに気づいて欲しいのです。
 絵を見てすぐに若い女性に見えた方は、お年寄りの女性にはすぐには見えなかったでしょう。お年寄りの女性と見るには労力が要ります。その逆もあります。ですから出逢いを大切にして欲しいということです。良い出逢いをした人と互いに理解し合うことは容易ですが、そうでない出逢いをした人を理解するにはかなりの労力を必要とします。一緒に仕事をする人となればなおさらです。
 一つの事柄は、裏表の2面がありますが、片一方を注目すればもう一方が見えにくくなります。物事には、見える領域があれば見えない領域もあります。
 人権問題も同じで、「差別は社会問題だ!」と強調しすぎると「差別は人間個人の課題でもある」ということを忘れがちになりますし、反対のことも生じます。人権問題の解決は社会問題であると同時に個人の問題でもあるのです。
 これから身近な生活の中の人権問題を考えてみましょう。
 ワークシート(1)を見て下さい。読みます。


 「ねぇ、聴いた? Aさんは、大学卒業して5年目で司法試験に合格したそうよ。」
 「へ−っ。あの難関の。すごいわねー。」
 「Aさんのお母さん、とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって。」

 もともとは「人のやりたがらない仕事」の文言は、「ビルの清掃作業」でした。そして、この話は美談として語られたのですが、「とってもえらいのよ。人のやりたがらない仕事までして息子さんを支えたんですって。」を、「人のやりたがらない仕事って、なに? 私は自分の仕事に誇りを持っている。」との同じような仕事をしている人の指摘で、「これは、おかしいんじゃない?」ということに気づいたのです。
 つい最近人権問題に関する集会で講師から聞いた実話です。
 その方が小学生の頃、お父さんはくみ取りの仕事をしておられたそうです。学校で同級生から「臭かー、あっちへ行け」といじめられていたそうです。親に心配掛けまいと押し入れで毎日悔し涙を流していたそうです。ある日、とうとう我慢できなくてお父さんに「父ちゃん、くみ取りの仕事は止めて」と言ったそうです。お父さんは我が子から自分の仕事を否定されて腹を立てるどころか次のように話されたそうです。
 「こん仕事は、船が沈んでどん底の時、一番の親友が「もう海は危なかけん陸の仕事ばせんかい?バキュームカーの仕事バッテンせんかい?」と俺に紹介してくれた。俺は考えた。くみ取りがおらんとうんこが山盛りになってみんなうんこができん。困るど?臭かけんだれもしようごとなか。ばってん、俺が仕事ばする。えらかろうが?仕事にはなぁ、無駄な仕事は一つもなか。その仕事がなかと困るけんあると。どの仕事も大事な仕事バイ。だれも馬鹿にするこつはできん。」と。
 「人のやりたがらないような仕事までして」という言葉の裏にある意識には、Aさんのお母さんの仕事を、軽蔑している心が潜んでいます。「きつい」「きたない」「きけん」いわゆる3Kといわれる一般的に人のやりたがらないような仕事も、私たちの生活にとってはなくてはならない大切な仕事です。職業には貴賎はありません。
 「自分は差別していない」と思っている人でも、自分の心の中にある差別心に気づかずに、ふとした時に人を傷つけてしまっている場合があるのではないでしょうか。
 (2)を見て下さい。


 「B美、あなたもう30歳でしょう。そろそろお嫁に行ったらどう。」
 「余計なお世話よ。」
 「女は夫や子どもに尽くし、家を守るのが一番の幸せよ。」

 この会話を読んでどう思いますか?
 (受講生から)「自分の思いこみを人に押しつけるのは良くない。」
 「思いこみ」という言葉がありました。「女は夫や子どもに尽くし、家を守るのが一番の幸せ」と考えていることですね。そう考えている人もいるでしょう。反対に、「まだ30歳、やりたいことがいっぱいある。私には私の生き方がある」と思っている人もいるでしょう。
 「女は家事や育児をして家を守るべき」という固定的な考え方を他人に押しつけて、女性の社会に出て働きたいという願いと機会を奪ってしまうことはないでしょうか。
 戦前の女子教育の中心的徳目の中に「三従の教え」というのがありました。「家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫死しては子に従う」というものです。「良妻賢母」という言葉があります。この言葉に不快と感じる人も多くいます。男性中心の考えが根底にあります。
 人にはそれぞれ異なる夢や希望があります。自分の希望が努力と関係ない「女性だから」「男性だから」「高齢者だから」「障がい者だから」あるいは「生まれたところが○○だから」という理由で可能性が閉ざされてしまったらだれもが憤りを感じますね。
(3)は場面を少し説明します。
 歩道にたくさんの自転車が置いてありました。買い物に来たAさんも、そこに自転車を駐めて買い物に行きました。その歩道を通ろうとした車いすの人は駐めてある自転車で通れなくなってしまったのです。その場面でのAさんの言葉です。


「だって、他にも自転車がたくさん置いてあったんだもの。私はただ横に1台置いただけよ。車イスの人が通れないようにわざとしたわけじゃないわよー。」

 歩道に溢れる自転車、よく見る光景です。車いすやベビーカーが通れなくなるかもしれない、目の不自由な人が通れなくなるかもしれないなどの思いやりがあれば、このようなことは起きません。
 「差別はいけない」という気持ちは、みんな持っているはずです。しかし、もし「私一人ぐらいが差別したってたいしたことない」という気持ちがどこかにあれば、みんながそう思うとしたら、大きな社会的差別を生みます。「私一人くらいが差別をなくそうとしてもたいしたことにならない」という気持ちでいれば、いつまでたっても差別はなくなりません。
(4)も場面を説明します。
 A君は、学校の帰り仲良しのB君とサッカーをして遊ぶ約束をしました。A君がB君とサッカーをしようとサッカーボールを持って出ようとしているところでのお父さんの言葉です。


 「あそこの子とは遊ぶなよ」

 特定の友人を説明もなく排除しようとすれば、友人ばかりでなく言われた子どもの心も深く傷つけてしまいます。大人達が持っている偏見が、いつの間にか子どもにも伝わり真似ることがあります。
 「あそこの子」の「あそこ」が被差別部落であったらどうでしょう。
 次の詩は高知県の被差別部落出身の江口イトさんがお孫さんが友の誕生会に招かれなかったときのことを詩にしたものです。


              招かれなかったお誕生会            江口 イト

    孫は小学四年生   かわいい顔した女の子   仲良しA子ちゃんの誕生会
    小さな胸にあれこれと   選んで買ったプレゼント   早く来てねと友の呼ぶ
    電話の声を待ちました

    夕陽が山に沈んでも   電話の声はありません   孫はポツリと言いました
    きっと近所のお友達   おおぜい遊びに行ったので   お茶わん足りずにAちゃんは
    困って呼んでくれないかも

    二、三日たった校庭で   A子ちゃん家での誕生会   楽しかったと友人に
    聞かされ孫はA子ちゃんに   どうして呼んでくれないの   私はとても待ったのよ
    A子ちやんとても悲しい顔をして   私は誰より花織ちゃんを 呼びたく呼びたく思ったの

    けれども私の母ちゃんは   呼んではならぬと言ったのよ   それで呼べずにごめんねと
    あやまる友のその顔を   見つめた孫の心には   どんな思いがあったでしょう

    私は孫に言いました   お誕生会に招かれず   さびしかっただろうねと
    孫はあのねおばあちゃん   A子ちゃんとても優しいの   私の大事なお友達
    A子ちゃん悪くはないのよ   お母さんが悪いのよ   大人ってみんな我ままよ
    寂しく言った孫の瞳に   光る涙がありました
    どんなするどい刃物より   私の胸を刺しました

 孫に対する深い愛情と部落差別に対する心の叫びが凝縮されています。
 先ほども触れましたが、同和対策審議会答申が出て45年、半世紀近く経ちました。この間、同和対策特別措置法等による対策事業、そして同和教育・啓発がなされてきました。住環境等の環境面の改善はかなりなされましたが、心理的差別はまだまだなくなっていません。なぜ、心理的差別があるのかを自分の問題として考えてみたいと思います。
 ワークシートの空いているところに「コップ」の絵を描いてみましょう。
 (3人に描いて貰う 水を飲むコップ コーヒーカップ ビールを飲むジョッキ)
 ワークシートには、「コップの絵を描いてみましょう」と書いてあります。しかし、このようにいろんな受け止め方があります。同じ事を聞いても同じ受け止めではありませんね。
 日常会話の中で、話がかみ合わないことがありませんか? 自分は水飲み用コップの話をしているのに相手はコーヒーカップの事を考えて聞いているなら話がかみ合わないはずです。受け止め方が違うと言うことを前提に丁寧に話し合わねばなりませんね。人権啓発も同じです。ですから啓発はこれだけやったからもうよいと言うことはないのです。
 この3つのコップに共通するものがあります。何でしょうか? そうです。みんな上向きです。このように心のコップもいつも上向きにしておきたいものです。
 次に魚の絵を描いてみましょう。
 一人に描いてもらう。(左を向いている魚を描く)
 ○○さんと同じように左向きの魚の絵を描いた方手を挙げてみてください。(全員挙手)
 全員の方が左向きの魚を描いていらっしゃいます。お一人が左向き、右向き、正面向きの3つの絵を描いていらっしゃいました。絵がとても上手で、絵を描くのが好きな方ですね。
 この魚の絵も、「魚の画を描いてみましょう。」しか書いていません。「左向きの魚の絵を描きましょう。」など書いてはありません。にもかかわらず全員の方が左向きの魚の絵を描きました。
 どういう事でしょうか?
 私たちの周りにある魚の絵、写真、そして料理に出る魚はそのほとんどが左向きです。図書館等で魚の図鑑を見てください。9割近くは左向きの魚です。それを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。
 これを刷り込みと言います。この刷り込みが時として思い込み、偏見となるのです。そして偏見が差別につながることがあるのです。
 「魚の絵は左向き」は直接差別につながりませんが、「同和地区の人は怖い」と聞くことがあります。
「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分は怖い目にあったことはないが、だれでも言っている」と言います。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見となり、差別をしていることです。
 外科医は息子の何にあたるでしょうか? 読みますので目を閉じて聞いて下さい。


      息子よ 息子!

  路上で交通事故がおきました
  大型トラックが、ある男性と彼の息子をひきました
  父親は即死しました
  息子は病院に運ばれました
  彼の身元を、病院の外科医が確認しました
  外科医は「息子、これは私の息子!」と大声で悲鳴をあげました

 この話、ストンと胸に落ちましたか?
 先ほど思いこみという言葉が出ましたが、外科医が男性と思い込んでいると胸には落ちません。そうです。外科医は子どもの母親ですね。私たちの心の中には意外と思い込んでいることが多くあるのです。
 「カラス」と聞いてプラスイメージを持っている方いらっしゃいますか?
 マイナスイメージを持っている方?(ほとんどが挙手)
 私もマイナスイメージを持っていました。小さい頃、カラスが鳴くと、「今日は何か悪いことがあるバイ」など言っていました。これはカラスが黒い鳥というだけで、「黒=不吉」と思い込んでいたのです。
 このおかしさを野口雨情は「七つの子」で私たちに教えてくれました。“不吉な鳥”として嫌われてきたカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現しました。
 結婚式に出席した人の会話です。


 「今日は、仏滅だよ。」
 「どうして仏滅の日に結婚式をしたんだろうね。」

 日頃は気にかけずに生活しているのに、結婚式や葬式と言った日に「今日は何の日だろう?」と気にするのが「六曜」と呼ばれるものですね。大安の日、結婚式場は大盛況ですね。友引に葬式は良くないなど言う人がいます。
 この六曜って何でしょうか?
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活しています。しかし、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬中旬というふうに10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由ですね。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜とか六輝と呼ばれるものなのです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。その時、毎月の1日(旧暦)を次のようにすると勝手に定めました。すなわち、正月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引という具合です。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには友引が2日続くという場合も出てくるわけです。
 このようにして定められ、ただ機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと仏願寺というお寺の住職であった故高千穂正史さんは言っています。
 「科学的には何の根拠もない、おかしい」と考えていても、世間の常識には従っておいた方がよいだろうとする傾向が私たちにはあります。
 迷信や不合理な偏見、因習にとらわれた生活態度は、結果として同和問題をはじめとした人権問題を残すことになってしまいます。
 迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。そのとき、偏見にしばられて生きるおかしさに気づくことができます。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 21世紀は、人権の世紀であると言われていますように生涯学習の世紀とも言われています。
 学ぶことによって人権感覚を磨きましょう。
 正しく学ぶことによって、正しく理解し、相手の立場に立って考え、判断し、行動できるようになりたいと思います。
 資料につけていますのは、今、全国の学校で行われています人権教育の指針、「人権教育指導法の在り方について」に示されているものです。
 人権教育を通じて育てたい資質・能力は「自分の人権を知り、他者の人権を守るための実践行動」です。人権に対する知識ばかりでなく行動力を求めています。
 私たち一人ひとりが差別解消のために行動することによって人権問題が解決できると言うことです。
 冒頭お願いしましたが、皆さん方に再度心からお願いします。
 人権尊重の眼差しを持って毎日の生活を送ってください。さらには人権尊重の眼差しを持って農林水産行政にお力を発揮していただきますようお願いします。
 おわりに桑原律さんの「人権感覚」って何ですかを一緒に読みましょう。


 「人権感覚」って何ですか  
                  桑原 律

  「人権感覚」って何ですか
  それは ケガをして
  苦しんでいる人があれば
  そのまますどおりしないで
  「だいじょうぶですか」と
  助け励ます心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは 悲しみに
  うち沈んでいる人があれば
  見て見ぬふりをしないで
  「いっしょに考えましょう」と
  共に語らう心のこと

  「人権感覚」って何ですか
  それは 偏見と差別に
  思い悩んでいる人があれば
  わが事のように感じて
  「そんなことは許せない」と
  自ら進んで行動すること

  「人権感覚」って何ですか
  それは
  すどおりしない心
  見て見ぬふりをしない心
  他者の苦悩をわが苦悩として
  人権尊重のために行動する心のこと

     (ヒューマンシンフォニー「光は風の中に」より


 ご静聴ありがとうございました。