2001PABFオープンチームレポート

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(成田さんからの報告)
現在、現地(シンガポール)時間で6/8(金)1:30ですが、題名上では、6/7(木)夜とします。

今日は、遅くなってしまったので、簡単に。ダダダっと。オープンチームを中心に。個人名は、適当に敬称略です。

林のみ前日着で、残りの6人(オープン選手&NPC)は、6/7の便でシンガポール着。ホテルに着したのが6人ともほとんど同時刻で19時少し前。平田、成田は、宮石さんと同便、同席で東京から、前田、小林泰、清水誠也(&平盛、倉谷=関西からの応援団)は、関西空港から。

<事件1>
清水さんの荷物が何かの手違いで、到着が遅れる。体だけホテルに着した模様。でも19:30ころにやっとホテルに着して、一安心。

<事件2>
印刷されたプログラム冊子の中の、選手紹介ページを見て、みんな唖然、そして大笑い。どうなっていたか。それは、
(1)インドネシア6人チームの中に、林の写真があって、Hasyim Ariefという名前で紹介されている。(似てる!)なぜか、あんまり違和感が無い。(ひげもあるし)
(2)日本チームの写真は、成田NPCと4人が同時に移っている1枚。
 4人同時の1枚は、朝日新聞社杯の優勝記念写真なので、小林、清水、花山、平田の4人。→写真だけざっと眺めると、日本は4人チーム、林はなぜかインドネシアチームのメンバーで、前田はどこにもいない。でもよく文字を読むと、4人写真の下に、4人の名前と、Not in Photo:前田、林、とある。よく読むと、6人チーム。よかったよかった。林をインドネシアから取り戻さねば。

というわけで、初日は7名+関西応援団2名の9名で盛大に食事をして、スタートをきりました。
体調を崩している人はいない模様。チーム内の雰囲気もいつもどおりでした。そう、このチーム、明るいんですよ。多少の緊張感はどことなく感じられますが(当然か)、明日(6/8)の第一試合が15時開始とあって、選手は気分的に余裕があるように見えました。食事会後に、成田ルームと前田/小林(twin)ルームで、簡単なミーティング(部屋をはしごした)後に解散。このとき、24時近くだったかしらん。

平田と成田は9:30からキャプテンズミーティング。あ、実はですね、成田は英語がだめそうなので、平田さんに一緒に出て頂くことに。さらに成田はテープレコーダー持参。(散々なデビュー?いえいえ、当初からの予定の行動なんです。)

明日は8時から朝食ということで、7時起きの予定。そろそろ寝なくては。(お、もう2:10)成田の楽観的な感じとしては、まあまあの初日だったと思います。

以上

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