PRIDE


―1997年10月11日、「PRIDE」が世に知れ渡った。
当時、世界最強と謳われていたヒクソン・グレイシー挑んだのはプロレスラー代表高田延彦
しかし、結果はヒクソンの圧勝。ここにプロレスラー最強伝説が幕を閉じた。そして「PRIDE」という名の総合格闘技は東京ドームで産声を上げた。

PRIDE10年史

1997/10/11 「PRIDE1」が東京ドームで開催される。メーンは高田延彦対ヒクソン・グレイシー。
1998/3/11 「PRIDE2」が横浜アリーナで開催される。メーンはマーク・ケアー対ブランコ・シカティック。
1998/6/24 「PRIDE3」が日本武道館で開催される。メーンは高田延彦対カイル・ストュージョン
1998/10/11 「PRIDE4」から丁度一年後、「PRIDE4」が場所も同じくして開催されメーンに高田延彦対ヒクソン・グレイシーのリマッチが組まれた。
1999/4/29 「PRIDE5」が名古屋市総合体育館レインボーホールで開催される。メーンは高田延彦対マーク・コールマン。
1999/7/4 「PRIDE6」が横浜アリーナで開催される。メーンはマーク・ケアー対高田延彦。小川直也が参戦。
1999/9/12 「PRIDE7」が横浜アリーナで開催される。メーンは高田延彦対アレクサンダー大塚。
1999/11/21 「PRIDE8」が有明コロシアムで開催される。メーンにはじめて桜庭和志が抜擢される(VSホイラー・グレイシー)
2000/1/30 「PRIDEGP2000開幕戦」が東京ドームで開催。メーンはホイス・グレイシー対高田延彦。
2000/5/1 「PRIDEGP2000決勝戦」が東京ドームで開催。決勝はマーク・コールマン対イゴール・ボブチャンチン。
2000/6/4 「PRIDE9」が名古屋市総合体育館レインボーホールで開催。メーンはビクトー・ベウフォード対ギルバート・アイブル。また、この大会で火炎噴射が誤作動を起こし、マット・セラが試合することなくヤケドで病院へ。
2000/8/27 「PRIDE10」が西武ドームで開催。メーンは桜庭和志対ヘンゾ・グレイシー。
2000/10/31 「PRIDE11」が大阪城ホールで開催。メーンは桜庭和志対シャノン・キャノン・ザ・リッチ。
2000/12/23 「PRIDE12」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは桜庭和志対ハイアン・グレイシー。
2001/3/25 「PRIDE13」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対桜庭和志。
2001/5/27 「PRIDE14」が横浜アリーナで開催。メーンは藤田和之対高山善廣。
2001/7/29 「PRIDE15」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは石澤常光対ハイアン・グレイシー。ノゲイラ兄が初参戦。
2001/9/24 「PRIDE16」が大阪城ホールで開催。メーンはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対マーク・コールマン。
2001/11/3 「PRIDE17」が東京ドームで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対桜庭和志。初代PRIDEミドル級王者にヴァンダレイ・シウバ、初代PRIDEヘビー級王者にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラがなる。前回大会に続き日本人は勝てず。また、ミルコも初参戦し、俗にいう「外国人天国時代」が到来した。
2001/12/23 「PRIDE18」がマリンメッセ福岡で開催。メーンはセーム・シュルト対高山善廣。
2002/2/24 「PRIDE19」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対田村潔司。シウバが一度目の防衛に成功。
2002/4/28 「PRIDE20」が横浜アリーナで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対ミルコ・クロコップ。ボブ・サップが初参戦。
2002/6/23 「PRIDE21」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはドン・フライ対高山善廣。エメリヤー・エンコ・ヒョードルが初参戦。
2002/9/29 「PRIDE22」が名古屋市総合体育館レインボーホールで開催。メーンはハイアン・グレイシー対大山峻護。日本人五戦全敗。
2002/11/24 「PRIDE23」が東京ドームで開催。メーンは桜庭和志対ジル・アーセン。また、同大会で高田延彦が引退。シウバが二度目の防衛に成功。
2002/12/23 「PRIDE24」がマリンメッセ福岡で開催。メーンはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対ダン・ヘンダーソン。
2003/3/16 「PRIDE25」が横浜アリーナで開催。メーンはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対エメリヤー・エンコ・ヒョードル。ノゲイラが初防衛に失敗。新王者にエメリヤー・エンコ・ヒョードル。試合を終えたジャクソンがシウバと乱闘。
2003/6/8 「PRIDE26」が横浜アリーナで開催。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対藤田和之。
2003/8/10 「PRIDEGP2003 開幕戦」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは桜庭和志対ヴァンダレイ・シウバ。また、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコが揃い踏みし、PRIDEは三強時代へと突入する。
2003/10/5 「PRIDE武士道」が開催。メーンはミルコ・クロコップ対ドス・カラスJr。軽量級中心の新シリーズ。ハリトーノフ、アレキサンダーが初参戦。
2003/11/9 「PRIDEGP2003決勝戦」が開催。決勝戦はクイントン・ランペイジ・ジャクソン対ヴァンダレイ・シウバ。シウバが見事PRIDEミドル級GP初代王者となり二冠を達成し、絶対王者と呼ばれるようになる。またヘビー級暫定王者にはミルコを下したノゲイラ。
2003/12/31 「男祭り2003」が開催。メーンは桜庭和志対アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ。PRIDE初の大晦日興業。
2004/2/1 「PRIDE27」が大阪城ホールで開催。メーンはミルコ・クロコップ対ロン・ウォーターマン。
2004/2/15 「PRIDE武士道其の弐」が横浜アリーナで開催。メーンは美濃輪育久対ヴァンダレイ・シウバ。五味が初参戦。
2004/4/25 「PRIDE GP2004 1st ROUND」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対マーク・コールマン。ミルコが歴史的敗北を喫する。
2004/5/23 「PRIDE武士道其の参」が開催。メーンは美濃輪育久対ハイアン・グレイシー。
2004/6/20 「PRIDE GP2004 2nd ROUND」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対ケビン・ランデルマン。ハントが初参戦。
2004/7/19 「PRIDE 武士道 其の四」が名古屋市レインボーホールで開催。メーンは中村和裕対アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ。
2004/8/15 「PRIDE GP2004 FINAL ROUND」がさいたまスーパーアリーナで開催。決勝戦はエメリヤー・エンコ・ヒョードル対アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。バッティングによりノーコンテストとなった。
2004/10/14 「PRIDE 武士道 其の伍」が大阪城ホールで開催。メーンは五味隆典対チャールズ・クレイジーホース・ベネット。
2004/10/31 「PRIDE.28」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対クイントン・ランペイジ・ジャクソン。シウバが二度目の防衛に成功。ジョシュ・バーネットが初参戦。
2004/12/31 「PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。これに勝利したヒョードルが二冠に輝く。シウバがPRIDE初黒星。
2005/2/20 「PRIDE.29」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはミルコ・クロコップ対マーク・コールマン。
2005/4/3 「PRIDE 武士道 其の六」が横浜アリーナで開催。メーンは高坂剛対エメリヤー・エンコ・ヒョードル。
2005/4/23 「PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦」が大阪ドームで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対吉田秀彦。
2005/5/22 「PRIDE 武士道 其の七」が有明コロシアムで開催。メーンは五味隆典対ルイス・アゼレード。
2005/6/26 「PRIDE GRANDPRIX 2005 2ndROUND」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは中村和裕対ヴァンダレイ・シウバ。
2005/7/17 「PRIDE 武士道 其の八」が名古屋市レインボーホールで開催。メーンは五味隆典対ジーン・シウバ。
2005/8/28 「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」がさいたまスーパーアリーナで開催。決勝戦はヒカルド・アローナ対マウリシオ・ショーグン。ショーグンが王者に輝いた。また、シウバは準決勝で破れシウバ時代が終わりを告げた。セミではヒョードルがミルコを下し二度目の防衛に成功したと同時に「三強時代」も終焉の時がきた。
2005/9/25 「PRIDE 武士道 其の九」が有明コロシアムで開催。メーンは五味隆典対ルイス・アゼレード。本大会は史上初、ライト級、ウェルター級ダブルトーナメントとなった。
2005/10/23 「PRIDE.30」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンはミルコ・クロコップ対ジョシュ・バーネットのリマッチ。
2005/12/31 「PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは吉田秀彦対小川直也。シウバがアローナにリベンジを果たし、三度目の防衛に成功した。マッハを下した五味がPRIDE初の日本人王者に。ブスタマを下したダンヘンが王者に。金子賢参戦。
2006/2/26 「PRIDE.31」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは西島洋介対マーク・ハント。
2006/3/13 週刊現代問題が勃発。この日発売された「週刊現代」に「猪木祭り」イベントプロヂューサーの川又誠矢氏のインタビューが掲載された。そこで同氏は「ヒョードル参戦の際、DSE榊原社長ならびにDSEと関係をもつ暴力団に脅された」と語っている。
2006/4/2 「PRIDE 武士道 其の拾」が有明コロシアムで開催。メーンは五味隆典対マーカス・アウレリオ。五味が初黒星。
2006/4/3 この日発売の「週刊現代」にも前号のようなことが掲載された。
2006/4/17 DSE榊原社長が川又誠矢氏などを横浜地検に刑事告訴。
2006/5/3 「HEROS」のリングに桜庭が登場。
2006/5/5 「PRIDE無差別級グランプリ2006 開幕戦」が大阪ドームで開催。高坂が引退。
2006/6/4 「PRIDE 武士道 其の十一」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは三崎和雄対フィル・バローニ。五味を倒したマーカスを石田が破りライト級戦線は混沌としてきた。直、当初は地上波で放送予定だったが、後日おこるフジテレビショックにより白紙になってしまった。
2006/6/5 フジテレビショックがおこる。フジテレビがDSEの契約違反を理由に地上派放送中止を発表。これによりPRIDE危機が叫ばれる。
2006/6/8 榊原社長が緊急会見を開いた。そこには数多くの選手、ファンが登場した。また、ここで「PRIDEGP20062ndRound」のカードが発表された。
2006/7/1 「PRIDE無差別級グランプリ2006 2ndROUND」がさいたまスーパーアリーナで開催。メーンは吉田秀彦対ミルコ・クロコップ。
2006/8/5 桜庭が「HEROS」で試合を行う。
2006/8/13 PRIDEが海外初上陸となる、ラスベガス大会実施の概要を発表。10/21開催、大会名は「PRIDE.32"THE REAL DEAL」
2006/8/26 「PRIDE 武士道 其の十二」が名古屋市総合体育館レインボーホールで開催。メーンは五味隆典対デビッド・バロン。また、三崎がダンヘンを下す大金星。
2006/9/10 「PRIDE無差別級グランプリ2006決勝戦」がさいたまスーパーアリーナで開催。ミルコ・クロコップが圧倒的な強さでGPを制し、悲願の初タイトルとなった(決勝はVSジョシュ・バーネット) この大会では、シウバ、ミルコ、ノゲイラ、ジョシュの四選手がベルトを争い改めてPRIDEのレベルの高さを示した。
2006/10/21 「PRIDE.32〜THE REAL DEAL〜」がアメリカ、ネバタ州ラスベガスにあるトーマス&マックセンターで行われた。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対マーク・コールマン。アメリカ初上陸。白熱した試合も多く上々の出来だった。しかし、その一方で日本とアメリカ開催でのルールの違いが今後の課題となった。(日本:1R10分、2,3R五分。4点ポジションでの膝蹴り有り。グラウンド状態への相手へのスタンド状態からの蹴り有り。 USA:5分3R。4ポジでの膝無し。グラウンド状態への相手へのスタンド状態からの蹴り無し)
2006/11/5 「PRIDE 武士道−其の十三−PRIDEウェルター級グランプリ2006 決勝戦」が横浜アリーナで開催。決勝でデニス・カーンを下した三崎和雄が奇跡の優勝。本命パウロ・フィリオは準決勝で三崎に勝利を収めながらも怪我に泣き決勝進出ならなかった。
2006/12/7 「PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-」の記者会見が行われ、総合エンターテイメントサイトのDMM.comにて男祭りをインターネットでライブ配信することが発表された。
2006/12/30 PRIDEオフィシャルサイトにて公募されていた「“ファンが選ぶPRIDEのアカデミー大賞”PRIDE AWARD『PRIDE BESTBOUT&MVP2006』ベストバウト&MVP」の結果が発表された。見事ベストバウトに輝いたのは、ミルコ・クロコップ対ヴァンダレイ・シウバの無差別級GP準決勝の闘い。この試合ではミルコのハイキックがPRIDEのリングでKO負けを味わったことのないシウバを沈めた。まさに戦慄が走った。MVPにはこの年試合に試合を重ねてそのどの試合でも甘んじることなく大活躍を見せたジョシュ・バーネットが受賞。無差別級GP王者のミルコを抑えての受賞は今年のジョシュの活躍をうつす結果となった。
2006/12/31 「PRIDE男祭り2006-FUMETSU-」がさいたまスーパーアリーナで開催された。メーンはエメリヤー・エンコ・ヒョードル対マーク・ハント。ヒョードルが三度目の防衛。地上波が無いだけに開催が危ぶまれたが蓋を開けてみれば男祭り史上最高の大会となった。激動の2006年を締めた。
2007/2/25 「PRIDE.33 “THE SECOND COMING”」がアメリカ、ネバタ州ラスベガスにあるトーマス&マックセンターで開催。メーンはヴァンダレイ・シウバ対ダン・ヘンダーソンのタイトルマッチ。早くもアメリカ再上陸となった今大会では波乱が立て続けに起きた。シウバが四度目の防衛に失敗。五味がまさかの一本負け(VSニック・ディアス)、ホジェリオは無名ソクジュに秒殺される。ウェルター級GPを制した三崎もフランク・トリッグに判定負けを喫する。今大会が神大会と称される一方、この波乱はまるで悪い噂が絶えない今後のPRIDEを占っているようだった。
2007/3/23 PRIDEオフィシャルサイトで「重大発表公開記者会見」を27日に行うことを発表。内容は明かさず、ただ「PRIDE史上最大の発表」と書かれているだけであった。
2007/3/24 デイリースポーツとスポーツ報知が“PRIDEがUFCに買収されるのでは”とのことを公開。特にPRIDEと絶縁状態にあるスポーツ報知では断定的に詳しく書かれていた。
2007/3/25 ニッカンスポーツも買収報道をする。
2007/3/27 東京六本木ヒルズアリーナで記者会見が行われた。各紙で報道されていた通りの内容だった。ただ、「買収ではなく提携」「前向きなもの」「MMA版ワールドシリーズ」など飽く迄前向きな記者会見となった。この会見には、DSE榊原信行代表とUFCのダナ・ホワイト代表も出席。新オーナーにはロレンゾ・フェティータ。新会社はDSEからPRIDE FC WORLDWIDEへとなる。直、「PRIDE.34」で榊原代表が勇退することも発表された。
2007/4/8 現行PRIDE最後の大会となる「PRIDE.34」がさいたまスーパーアリーナで開催された。メーンは藤田和之対ジェフ・モンソン。ソクジュがホジェリオに続きアローナまで喰ってみせた。また現行PRIDE最後の試合であり、PRIDE対UFCの最初となる藤田とモンソンの試合はモンソンが制した。UFCが先勝。全試合終了後、エンディングが行われ、マーク・コールマン、ヴァンダレイ・シウバ、五味隆典らのファイターと榊原代表がリング上からあいさつを行った。最後は高田統括本部長が締めくくった。ここにDream Stage EntertainmentのPRIDEは幕を閉じた。


記録室


ヘビー級

 一番重い階級、ヘビー級。即ちヘビー級の王者が世界最強。その称号を求め数多くの選手がこのPRIDEのリングへとあがった。高田延彦が負けたことにより、ヒクソン最強神話が唱えられるようになる。
 ヒクソン不在の無差別級GPが行われそこでボブチャンチンを下したマークコールマンが優勝し、世界最強の称号を手にした。同大会では長く日本人ヘビー界をリードすることになった藤田和之が活躍した。ヒクソンはPRIDEに参戦することがなくなりホントに神話になってしまった。しかしコールマン時代も長くは続かなかった。
 柔術マジシャンの愛称で登場したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。二度目の参戦でコールマンとの対決が実現したかと思うと、腕ひしぎ三角でGP王者相手に何もさせず勝った。そして、この後長くノゲイラ時代が続く。ノゲイラが強豪相手に三角マジックを魅せている裏で、後に三強と言われる様になるミルコ・クロコップエメリヤー・エンコ・ヒョードルが試合を重ねていった。
 そしてノゲイラが無敗街道まっしぐらの中開催されたPRIDE25で事件は起きた。あのノゲイラの三角を悉くかわし、後に氷の拳と評されるパウンドを浴びせ、ノゲイラになにもさせず勝った男。ロシアンラストエンペラー、エメリヤーエンコヒョードルの登場である。その強さは正に異常であった。日本人からは藤田や小川、高坂が挑むも2Rに進めずやぶれる。ヒョードルの怪我に伴う暫定王者を決める試合にはノゲイラとミルコ。ミルコ優勢の中試合が進んだが、最後はノゲイラが逆転の腕ひしぎで勝利を収めた。
 そして、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコが出揃った中で開催されたPRIDEヘビー級GP。しかし、ヒョードルとの対戦を熱望していたミルコは一回戦でまさかのKO負け。そんなGP決勝に残ったのは王者ヒョードルとリベンジに燃えるノゲイラ。しかし、試合は偶然のバッティングにより無効試合となり、その年年末の「男祭り」で再戦が組まれた。そしてこのハイレベルの大会を制したのは、またしても判定でヒョードル。
 そして2005年が始まった。この年、遂にヒョードル対ミルコのタイトルマッチが組まれることになる。結果はヒョードルの判定勝ち。寝技のノゲイラ、打撃のミルコを下したヒョードルは正に完全無欠の王者となった。そして三強時代はおわった。
 2006年に入って、PRIDEが地上波放送中止で揺らぐ中、打倒ヒョードルを掲げて無差別級GPが開催された。ミルコ、ノゲイラにくわえて、ジョシュ・バーネットなど数々の強豪が名を連ねた。ミルコは美濃輪や吉田を相手にせず、ノゲイラは未知強のズールやファブリシオを下し、ジョシュはヒョードルの弟となるアレキサンダーやハントなど強豪を葬り、そしてミドル級王者のシウバが藤田を下し四強が出揃った。誰が優勝してもおかしくないこのGPを制したのはミルコだった。準決勝ではシウバをハイで失神させ、決勝ではノゲイラに勝ったジョシュを倒した。GPを制したミルコ、これでヒョードル戦実現へミルコ待望論がでる。
 しかし、その後、ミルコ、ノゲイラはUFCへ。ヒョードルはボードッグへ。ジョシュはUFCと提携したPRIDEを批判し、PRIDEヘビー級10年の歴史はここに幕を閉じた。

ミドル級

 ミドル級のブランドを高めたのは桜庭和志の登場であった。グレイシー一族最強神話を打ち砕いたヒーローとなった。サクの愛称で奇想天外な試合をしながらも、極めるときは極める、立て続けにグレイシーを破った。ホイスとの90分の激闘は今でも伝説として語り継がれている。しかし、そんな桜庭時代も長くは続かなかった。
 1999年、ヴァンダレイ・シウバがPRIDEのリングへと登場した。そして、連勝をし実現した桜庭とのタイトルマッチ。結果はときに残酷であった。「サクラ散る」シウバの圧勝であった。そしてこの後長くシウバ時代は続くことになる。
 2001年には、桜庭相手に負けはしたものの自慢の怪力を披露したクイントン・ランペイジ・ジャクソンがデビュー。同年、ミドル級ベルトが創設され、シウバと桜庭のリマッチが組まれた 。しかし、結果は桜庭の脱臼によりシウバのTKO勝ち。シウバ時代はまだまだ続く。
 2002年もシウバをとめるものは現れなかった。田村、金原などU系ファイターを下せば、後にヘビー級チップファイターとなるミルコには、ひけをとらない打撃戦を展開した。
 2003年はミドル級GPが行われたが、シウバの強さを更に印象付けるものとなった。
 2004年、ジャクソンがGPのリベンジを果たすべくシウバに挑戦するも後一歩足りず。2005年、GPが開催された。2003年に続き、シウバと対戦した吉田秀彦。またしても一歩足りず判定に泣いた。しかし、このGP準決勝でシウバがヒカルド・アローナに負ける波乱が起きた。遂にシウバがミドル級で敗れた。優勝はそのアローナを下したシウバの弟分のマウリシオ・ショーグン。遂にミドル級にも戦国時代へと化した。
 2007年、シウバはダン・ヘンダーソンにも負け、遂に無冠となる。そして戦国時代のままミドル級10年の歴史が終わる。

ウェルター級

 近年、設けられた階級。2005年に開催されたトーナメントでは前評判どおり、ダン・ヘンダーソンムリーロ・ブスタマンチを下し王者となった。
 2006年にもGPが開催された。ディフェンディングチャンピオンのダンヘンは三崎和雄に敗れる波乱。同GPでは日本人受難と思われていたこの階級で、三崎、郷野、長南が揃って二回戦へ進出し大躍進した。ダンヘンが敗れたこのGPではパウロ・フィリオが優勝候補だった。そして準決勝で三崎を破った。しかし、怪我で決勝進出ならず。代わりに負けた三崎が決勝へ進出しデニス・カーンを下し王者となった。
 しかしその三崎もベガス大会で負けるなど強さを見せられないまま旧PRIDEは終わりを告げた。

ライト級

 武士道というブランドを確立させた男、それが五味隆典である。桜庭以来のスター誕生。試合はアグレッシブで常にKO狙い。次々に連勝を重ねた火の玉ボーイ。
 そして2005年に開催されたGPでは、次々に強敵を下し、決勝では桜井マッハ速人との日本人対決を制し、日本人で初めてのPRIDE王者となった。
 しかし、2006年。早くも王者五味に暗雲が立ち込めた。王者の驕りか。踏み台になるはずの相手マーカス・アウレリオに逆に踏み台にされてしまった。まさかのタップに誰もが息をのんだ。
 しかし、そのライト級にもニューカマーが出てきた。そのアウレリオを石田光洋が下したのだ。PRIDE武士道其の十三では五味がアウレリオに辛勝し、リベンジ果たすもその試合内容には本来の強さが無かった。その裏で石田は勝ち、更に青木真也鮮烈武士道デビューする。
 その年の大晦日はライト級が羽ばたいた。青木は強豪ヨアキム・ハンセンを下し、川尻達也ギルバート・メレンデスはハイレベルな打撃戦を展開。そんな中、王者五味は石田の挑戦を受けた。結果は王者の秒殺KO勝ち。五味が意地を魅せた。しかし翌年のベガス大会ではニックディアスに五味は手痛い敗戦を喫する。旧PRIDEはこれで幕を閉じる。