さあ今日は忙しくなるぞお。
いつでもどこでもハイテンション。それが私の生きる道。
3限目が始まったばかりだというのに心はすでに放課後へと光の早さですっとんでいたためか、自分の背後でにこやかに自分を見つめる先生の姿に気づいたときには、机の上に広がる情報誌等をにこやかに取り上げられていた。
そして残りの時間にこやかにお説教をたれられ、にこやかに放課後居残りを告げられたりしちゃってるのだが、休み時間のうちにばっくれを決め込み、4限目の最中にその事実を見事に忘れ去っているのだから大物である。
残り1分の時点で、机の上はきれいに片づけられ鞄を小脇に抱えいつでもおっけい。
その姿を見てじんわりとこめかみのあたりに痛みを覚えた如月未緒はこう考えていた。
『・・・今日も一人で掃除しなきゃいけないのかしら・・・』
その予想はきっちり一分後、ドップラー効果ののきいた捨て台詞によって報われた。
「未緒ちゃんごめんねー。今度はちゃんとやるからー」
あの清川嬢もかくやという速度で走り去る朝日奈夕子を見ながら掃除当番の未緒はぽつりとつぶやいた。
「・・石井先生かわいそう・・・」
この状況で、放課後現れるはずもない朝日奈夕子を生徒指導室で待ち続ける石井先生の身を案じる心優しき少女は、右手にほうき左手にちり取りを持って掃除場所へと向かうのであった。
さて、当の彼女は駅前通をひた走っていた。目的地は新装オープンのゲーセン。それだけでも魅力たっぷりというのに加え、幻のアクションゲーム『究極戦隊ババンバーン2』さらに、『ちゃったんやらーくしゃんく2』が入荷するというのだ。いかねばなるまい、いかなければ朝日奈夕子の漢がすたるというものだ。
週末の繁華街ということもあり、決して少ないとはいえない人混みの中を『ダンスイリュージョン』で鍛えた華麗なステップで駆け抜ける。いつもの癖で必要のない一回転ターンやポーズまできめて集める注目が心地よい。行くところにいけばギャラリー20人からをうならせる腕前は半端ではない。しかしそのせいか、1時開店にすこし遅れてしまうおちゃめな夕子であった。
新装ということもあり店内は結構な人手である。だがその大半は人気の対戦格ゲーの前に集まっている。だが彼女の目当てのゲームはそんなとこにはない。なにが幻かというとあまりの人気のなさに何処に行っても見つからないせいなのだ。当然のようにトイレの前とか懐ゲーの一角に追いやられているに決まっている。
ほどなく『ちゃったんやらーくしゃんく2』を発見するも、すでに大学生風の男が陣取っている。かなりぎこちない動きでほどなくゲームオーバーになるも、積み上げている硬貨を次々と投入し延々コンティニューを繰り返す。
−この素人が!後ろに人が待っているときはコンティニューは一回までのマナーもしらなんのか!−
危険な衝動を何とか押しとどめ、ここは一時あきらめて『究極戦隊ババンバーン2』を探そうと辺りを見回す。だがそこにも先客がいた。
−できる。−
その背中から発する香りは、歴戦のゲーマーがもつそれであった。
−お手並み拝見しましょ−
どうやら始まったばかりのようである。華麗なフットワークで敵の攻撃をいなし続けるのだが全く攻撃する気配がない。どうやら、BGMの主題歌をフルコーラス聴き終わるまでは倒すつもりがないようである。
−どうやら安心して見ていられるようね。−
腕組みをしたまま、危なげのない戦いぶりを続ける画面を見つめる。そのうち背後のギャラリーに気が付いたのか、派手な技や魅せる戦いぶりへと戦術を変更しだした男に心の中で喝采を送った。
しかし、心の中で一つの疑問が膨れあがる。
『このきらめき高校の学生服を着た少年はどうやって私より先にここにたどり着いたのか』
そんな中、画面はエンディングをむかえた。夕日の中に溶けていく3人のシルエット、徐々にパーンしていき赤い地球が青色へと変貌し、感動的なラストシーンが終わるのを待って少年の後ろ姿に話しかけた。
「公人、学校はどうしたの?掃除をさぼるなんて人としての風上にもおけないわよ。」 −同時刻、きらめき高校3階廊下。
本来2人でやるべき掃除を1人でやり終え、ため息を付く未緒の姿があった。
風上に立ったが彼女の不覚であるようだった。
その少年−高見公人はおそるおそるといった感じで振り返る。にやにやと笑う夕子の姿を認めると安堵のため息を付いた。
「なんだ、誰かと思ったらヒナか。びっくりさせないでくれ。」
あいかわらずにやにやと笑いながらなおも追求する夕子。
「ふーん、誰と思ったの?」
「いや、詩織にばれたのかと・・・・」
夕子の目が、最初の質問の答えを聞いてないけどといった感じに輝く。
公人は不意に真剣な顔つきになって説明を始める。
「実は今日俺のクラスの高見君がだな、4限目の最中に気分が悪くなって早退したんだ。」 自分のことを他人事のように話す公人。
「で、その高見君はこんなとこでなにをしてるのかな?」
心底わからないといった表情で肩をすくめる公人。
数瞬の間をおいて二人とも腹を抱えて笑い出す。学校さぼってどうすんのよ?と笑いながら問う夕子に
「義務教育じゃないからね。本人がその行動の意味と結果を理解しているならば何の問題もないよ。」
公人の学校の評判は成績優秀とかスポーツ万能とかのほめ言葉は多いものの、品行方正だけは聞いたことがない。誰かをいじめるとかではないのだが古い言葉でいうところのガキ大将に近いタイプといえる。
それよりヒナはどうしたんだ、の問いに夕子は斜め上のあらぬ方向をみつめ、心底感謝しているといった風情でぬけぬけと言ってのける。
「未緒ちゃんって優しいの。」
再び笑い出す2人。いいコンビであるといえよう。
それからしばらく2人でゲームを楽しんでいたのだが、す、と公人が席を立つ。
「ヒナ、俺学校戻って部活でるから。」
まだいいじゃない、と引き留める夕子に
「授業はともかく、クラブは好きでやってることだからな。」
軽く右手を挙げて別れを告げる公人。後ろ姿を見送りながら夕子は店内が急に輝きを失ったように感じた。
金を使い切ったらしい男を押しのけるように『ちゃったんやらーくしゃんく2』の前に座る夕子。黒帯レベルをものともせず撃破していたが、
「なんかつまんない、私も帰ろうっと。」
誰に聞かせるともなくつぶやくと突然席を立ち、店内をあとにした。
行きはあれほど華麗なステップをきざんだ道のりを帰りはやや重い足取りで歩く夕子。夕子の家は学校を挟んで駅前通りの正反対に位置するため否応なしに学校への道を引き返すことになる。
グランドからは運動部のかけ声が響いている。その中に黙々と地道なトレーニングを繰り返す公人の姿があった。
−とても気分が悪くて早退したとはおもえないわね。−
先ほどの会話を思い出し自然と笑みがこぼれる。
『いや、詩織にばれたのかと・・・・』
瞬間、夕子の心が重くなる。
−私の声ってわからなかったのかな?−
公人が、幼なじみの藤崎さんを追いかけてきら高にきたのは結構有名な噂である。今となっては、夕子より成績が悪かったことが当時を知らない下級生達には信じられないことと思う。勉強に、部活動に、あの涙ぐましいまでの努力はすべて1人の少女のために捧げられた犠牲にすぎないのだろうか?
そんなつらい恋なんてしなくていいじゃない。夕子はそう思う。みんなもっと気軽にいろんな人とつきあって遊んで楽しくやってる。それが普通だと思う。
なにもよりによって藤崎さんでなくたっていいものを・・・
ライバルが彼女であることを知り戦線から離脱していった女の子の数は夕子の知る限りでも結構な数になる。好雄あたりに聞けばもっと増えると思うのだが・・・。
ま、私には関係ないけど。夕子はうつむいていた視線をぴんっとあげる。
公人と話したり、遊んだりするのは楽しい。けど自分までつらい恋に身を投じようとは思わない。
公人、せいぜいがんばりなよ。
雲の切れ間からのぞく日差しを浴びながらグランドに背を向ける夕子に、運動部のかけ声が一際大きく響いていた。
期末試験も終了し、夏休みを目前に控えざわつく教室の一角で一際騒がしい二人組。きら高のCIAとMI6と異名をとる早乙女好雄と朝日奈夕子が、夏休みの計画を話し合い気炎をあげていた。
「海だ。海が俺を呼んでるぜ!」
「どこもかしこも私を待ってるのよ!」
あまりのハイテンションに周りの生徒はひきまくっているのだが、そんなこたあどうだっていい二人である。そんな二人に背後から忍び寄る黒い影。
「赤点補習がおまえらを呼んでるんだが。」
担任の石井先生の一言が彼らの高校2年の夏休みをずたずたに引き裂いたのであった。
夕日が教室を赤く染め上げ時が止まったように幻想的な中で黒板にのびる2つの黒い影の主は、好雄と夕子。いうまでもなく補習中である。
本来2人してプリントをやってなければいけないはずなのだが、お昼過ぎに夕子がプリントをばらまきながら、
「こんな考えたってわかんない問題考えるだけ無駄よ!」
と叫びだし、好雄もそれに同意して先生のいないことを幸いとだらだらしている最中であった。しかし、もう少しで先生がやってくるのをわかっていて2人で言い訳を考えていたりするから救いようのないコンビである。
「去年は俺たちだけじゃなく公人もいたんだよな。」
「そうよねえ、今の公人ならこんなプリント簡単なんだろうけど・・・。」
顔を見合わせる2人。
「そうよ!公人がいればいいのよ。」
「そう、公人さえいれば!」
5分後、ユニホーム姿のまま教室にやってきた公人を拍手で迎える2人であった。
つい、右手を挙げて拍手に応えてしまう公人であったが、渋い顔で2人に言い放つ。
「教室の窓から、俺の名前を2人して叫ぶのは勘弁してくれよ。」
肩をすくめておどける2人につい公人の顔がゆるんでしまう。
「はいはい。で、やんなきゃいけないプリントはどれだ?」
非常に察しのいい公人の言葉に黙ってプリントを差し出す2人。
3人で会話を続けながら、すらすらとプリントを片づけていく公人。この1年間で学年最下位からトップに上り詰めた男にとってはたやすいものであるようだ。15分程ですべて片づけてしまい、好雄と夕子は少し惨めな気持ちになった。
もうちょっとここにいなよ、と引き留める夕子に公人は真っ黒に日焼けした顔から白い歯をのぞかせる。
「悪い。もうちょっと練習したいんだ。何せ今年は甲子園で優勝するつもりだからな。だから、8月の20日過ぎになったらまたみんなでゆっくり遊ぼうや。」
「そーんなこといって。1回戦で帰ってこないでよ、遊んであげないからね。」
公人は軽く手を挙げると、廊下を小走りに去っていく。急に静かになった教室にグランドからのかけ声や甲子園出場で結成された応援団の演奏等が流れ込んでくる。
プリントをそろえながら好雄が夕子に話しかける。
「全国優勝ね、なーんか本当にやってしまいそうだからすげえよな。」
「そんなことになったら、今までみたいに遊べないかもしれないね。」
少し寂しそうな夕子の横顔が好雄の目にやけに印象的に映った。
8月。お盆もすぎたというのにまだまだ真夏の陽差しは健在であった。
2人の補習もなぜか続いていた。今日も飽きもせずプリントを抱えて先生がやってくる。
夕子がたまらずに不平をこぼす。
「先生ー。いつまで補習しなきゃいけないの?」
「おまえらが事あるごとにさぼったりするから今日まで続いているんだが・・。」
と汗を流しながらにこやかに笑う石井先生。・・できた人物である。
好雄が手を握りしめ立ち上がる。表情は真剣そのものだ。
「先生!こんなところで補習なんかしてていいんですか?今こうしている間にも公人達は甲子園で戦っているんです。僕たちがやるべき事は甲子園に駆けつけ、応援することではないんですか?」
好雄の力説にそうだそうだと同意する夕子。石井先生は煙草の煙を吐き出しながら、
「ふーん。・・・で?」
と全く相手にしない。
先週に今と全く同じ台詞を語った挙げ句、その後神戸の3番街で見つかったりしてるため好雄の言葉に説得力はまるでない。
すごすごと引き下がるしかない2人。石井先生はにやりと笑うと、
「今日で補習は終わりだ。明日の決勝戦ぐらいはちゃんと応援してやれよ。」
すでに午前中の試合で決勝へ勝ち進んでいたことはおろか、日程すら知らない2人にプリントを押しつけながら教室から出ていく先生をきょとんとした表情で見送る2人。
きっかり7秒後、教室からあふれ出す喜びの雄叫びをきいて軽く頭を押さえる石井先生の姿を伝説の樹だけが見守っていた。(意味不明)
翌日。
甲子園のマウンド上で最後の打者を三振に斬ってとり右手を高々と突きあげる公人。
スタンドで抱き合って喜ぶクラスメイトや知人。
それらの感動的ともいえるシーンを冷房の利いた喫茶店のテレビ画面を通して眺める好雄と夕子。
「へえ、公人のやつ本当に優勝しやがった。」
「公人かっこいいねえ。ますますもてもてになっちゃうねー。」
アイスコーヒー一杯で一試合丸々ねばった2人にマスターの射すような視線が突き刺さる。
さすがの2人も少し居心地の悪さを感じたのか、伝票を持って立ち上がりながら好雄がつぶやく。
「ま、あいつにとっちゃありがた迷惑かもしれないがな。」
店を出て通りの広場に腰を下ろす2人。
「公人もねえー。もっと楽しい恋すりゃいいのに。どんなにがんばったって振り向いてくれない藤崎さんなんかほっといてさあー。誰だっていいじゃない、ねえ?」
好雄に同意を求めるように顔を向けると、幾分真面目な顔つきの好雄がじっと夕子を見つめているのに気づき、反射的に視線を逸らしてしまう。
「誰だっていいじゃない、か。藤崎詩織じゃなくて朝日奈夕子だっていいじゃない?ってことか?」
淡々とした口調で語られる好雄の言葉に夕子は少し体を震わせ、ちょっぴり間をおいて苦笑いを浮かべながら好雄を見る。
「やっぱ、わかっちゃう?」
入道雲がまだ存在を主張している空をぼんやりと好雄は見つめている。
「ま、あの2人ほどじゃないけど長いつき合いだしな。」
奇妙な沈黙が二人の間を流れる。
「けど、公人はやめといたほうがいいんじゃないの?多分・・つらいぞ。」
「頭ではわかってんだけど・・・最近公人の気持ちが理解できるってゆーかー。」
沈黙を破った好雄に、レンガ敷きの地面に視線を落としながら夕子は答える。
好雄は少し背をそらしながら、また空を見上げる。
「すこしうらやましいよ。俺にはそこまで想えるやつなんかいないもんなあ。」
ジーンズをぱんぱんと手ではたきながら好雄が立ち上がった。
「さて、甲子園のヒーローでもひやかしにいこうぜ、明日から公人のやつしばらく忙しくなるだろうから。」
「それもそうね。」
と、笑う夕子の笑顔はいつもの笑顔だった。
新学期が始まっていた。
甲子園の興奮をきらめき高校全体が未だ引きずっているのか、いつもと違い落ち着きをなくした雰囲気の中で当事者でありながらまったく興奮を引きずっていない公人、別に興奮していない好雄、夕子のいつもの3人組で弁当を開いていた。
好雄が眉間にしわを寄せ、耐えかねるといった感じで言葉を吐き出した。
「公人君。君が何かをするたびにキャーキャー騒ぐ後ろの集団は、なんとかならんか?」
公人がこめかみに手を当て(キャー)、答える。(キャー)
「ふっ、最近伊集院の気持ちが理解できるようになってしまったよ。」
いったい何処で調べてくるのか、自宅に届くファンレターの山。ファンからの電話にいたずら電話まで数え上げればきりがない。伊集院にアドバイスを求めたところ、一言。
−ファンを人と思うな。−
というまことにありがたいお言葉をいただく始末である。
あいかわらず騒がしい廊下の集団を押しのけてショートカットの少女が、公人達の方に近づいてきた。
ぱあん、と小気味よく公人は頭をたたかれる。
「よう、公人。なんかすごいことやったんだって?」
「清川さーん、手加減してよ。」
振り返りもせずに暴行者を清川望と断定する公人に、
「悪い悪い。遅れたけれどおめでとうな。遠征で応援できなくてさ。」
(きゃー清川先輩と高見先輩ってつきあってるの?嘘?)
一際背後が騒がしくなるのを聞いて夕子はこう考えていた。
−私は眼中にないわけね。−
気を取り直して、夕子は望に話しかける。
「清川さんも日本記録更新して、世界選手権6位入賞でしょ。そっちの方がすごいじゃない。」
「公人のせいで影が薄くてね、おかげであんな騒ぎに巻き込まれずにすむけどね。」
肩をすくめながら、公人の背後に顎をしゃくる。
「ま、おめでとうが言いたかっただけ。一旦有名になると大変だよお。」
にやにやと笑いながら言い残し、望は去っていった。
頭を抱える公人に好雄が提案する。
「ストレスたまってそうだなあ。今度の日曜3人でどっかいってぱーっと騒ごうぜ。」
そうしよう、と同意する夕子ににかっと笑い、そうするかとうなづく公人。
周りの喧噪を後目にちっともペースの乱れない3人組であった。
そうそう、と何かを思いだしたように好雄が公人に尋ねる。
「どうだ、藤崎さんはなんか言ってくれたか?」
とたんにぶすっとした表情になりぼそぼそと答える公人。
「紹介したい友達がいるのよって、美樹原さんを紹介してくれた。」
顔を見合わせる好雄に夕子。
必死に笑いをこらえつつ公人の肩に手を置く好雄。
一方夕子はというと机に突っ伏して肩のあたりを時折ひくひくと痙攣させている。
「公人ぉーあきらめろ。脈ないって。」
「うるせえな、高校生活はまだ半分残ってるんだ。今にみてろ。」
「そうそう、人生長いんだからあきらめちゃいけないよね。」
三者三様の思いをのせて高2の夏が去っていく。
「公人、悪い。」
白く息を弾ませ、好雄が両手を合わせる。にやりと笑い昼飯で許してやろうとふんぞり返る公人に、わかったよと言いながら好雄はきょろきょろと周りを見渡す。
「あれ?夕子は?」
「また、電車でも混んでんじゃないの?」
とそっけなくつぶやく公人。
「ああ。あの言い訳は最高だったなあ。」
と笑う好雄達に向かって聞き覚えのありすぎる声。
「ごめーん。電車がもろ混みで。」
再び笑い出す2人に、訳が分からないといった感じの夕子。
季節がすぎてもあいかわらずの3人のようである。
なんだか、嬉しそうに街を歩く公人に、どうした?と好雄が尋ねる。
「え?ああ、いやなに最近やっと街の中で指さされたり、サイン書かされたりしなくなったんで楽しくてなあ。」
「じゃあ、郵便受けがつまったりもしなくなったの?」
一時期は、山のようなファンレターが毎週のようにきてたのだが、今では週に5,6通まで減っていた。
「その代わり、中身は濃くなってるがな。」
意味深な言葉に興味津々の2人。
「便せん3枚にびっしりと俺の名前を書いてくる娘とか、延々自分のプロフィールを書き連ねてくる女の子とか・・・。」
「そりゃ・・・・怖いな。」
「確かに・・・。」
ある意味笑えないネタにただうなずくだけの好雄と夕子。
「とにかく、自由に街を歩けるってのがこんなに嬉しいものとは・・・」
公人の言葉を途中で遮り夕子がぽつりと公人の耳元で囁く。
「もうすぐ、春の選抜選手権ねえ。」
あ、と短く呻く公人。
先日、きらめき高校は選抜出場校に選ばれていた。
で、でもまた3ヶ月もすれば静かに・・・と反論する公人に
「3ヶ月もすれば、また夏の甲子園が待ってるよ。」
反論を許さない夕子。そこに割ってはいる好雄。
「どうでもいいが、すげー傲慢な会話だぞそれって。」
「まーね。今度は一回戦で泣きながら帰ってくるかもしれないしね。」
とけらけら笑う夕子に、真剣な表情で公人が怒る。
「ヒナ!俺が負ければいいと思ってるだろ?」
「べーつに。勝っても負けても公人は公人だしね。たださあ、勝っちゃうと一緒に遊べないじゃない?そう言う意味では負けてほしいかも。」
9月に3人で遊びに行ったときのことを思い出す。どこにいっても指さされ、サインだ、握手だとどうにもならなくなって、結局逃げ帰ってくるはめになったのである。
甲子園というものは日本での一大イベントであることを痛感したものであった。
「でもそんなことは、終わってから考えよ。とりあえず今日は遊びにきてんだから。」
不毛な会話に終止符を打つべく夕子が公人の手を取って走り出す。よろけながら走り出す公人。追いかける好雄。
春はそこまで来ている−
とその前に、バレンタインがあったな・・・。
(某女生徒の日記から抜粋)
今日のきらめき高校は戦場でした。ただでさえ伊集院先輩目当てに一杯他校から人がやってくるのに、今年は甲子園優勝投手の高見先輩や、水泳の日本記録保持者の清川先輩まで加わって校内見たこともない女の子で一杯。
伊集院先輩に渡すのはトラックに投げ込めばいいんだけど、高見先輩や清川先輩目当ての女の子はたどり着くのが大変。そんな中で朝日奈先輩の華麗なステップワークや、藤崎先輩に渡してもらった美樹原先輩の頭脳作戦を見習おうと思った。
でもなんか高見先輩、美樹原先輩のチョコもらったときすごい嬉しそうだったのに藤崎先輩が何か言ったとたんがっかりしてたなあ。
あと、えーと外井さんがなんか紙袋を持ってた。誰からもらったのかなあ。でもなんで高見先輩の後をついていってたんだろう?
お兄ちゃんの調査によればやっぱり伊集院先輩が一番。二番は、宅配便で数をのばした高見先輩。でも伊集院先輩とはやっぱり桁が違ったみたい。三番に清川先輩。だらしないよねえ。女の子が三番なんて。もっとがんばれきら高男子。
そういえば、お兄ちゃんも失礼だよね?一個も貰えなくてかわいそうだから手作りの失敗作あげたんだけど・・・一口食べて泡吹いて倒れるふりなんてするんだもん。けど、あの顔色や半開きの瞳孔、お兄ちゃん役者の才能あるのかもね。
高見先輩たくさんもらってたなあ・・。優美のチョコちゃんと食べてくれるかなあ。
4月。
3年生になり、初めて3人そろって同じクラスになりいつものように弁当を開けていた。あいかわらずの風景に廊下で新一年生の女生徒が公人の一挙手一投足に黄色い声を振りまいている。
「しかし、大会前に突然入院して心配してたんだが、それでも勝つもんなあ。」
感心したように好雄がうなる。
「すごいよねえ。しかし何で入院したの?」
「さあ?医者は何か悪いものでも食ったんじゃないかと笑ってたが・・。」
首を振る公人に夕子も首を傾げている。
そのかたわらで好雄の顔が妙に青ざめていたのだが、二人はそのことに気が付かないようだった。
裏返った声で話題を逸らそうとする好雄。
「しかし、2回目ともなると結構慣れるもんだな。」
背後霊のように公人についてまわる廊下の集団に視線を向ける。
意味もなく右手を突きあげる公人。(きゃー)
「学校での集団は2週間もすればいなくなるわよ。」
公人に体を近づける夕子。(きゃー、嘘?なによあの人)
反応を楽しむ余裕さえうかがえる3人に、なに馬鹿なことやってんだかと呟きながら近づき、公人の頭をぱあんと小気味よい音をたてはりたおす望。
「しかし、私が記録を更新するたびに何でこの男は甲子園で優勝するかな全く。」
続けて公人のこめかみをぐりぐりする。
「なにはともあれ、おめでとさん。ここまできたら三連覇しかないな。」
近くの椅子を引き寄せ3人の輪の中に加わる望。ぐりぐりから解放されて安堵のため息をつく公人。あははと笑いながら夕子が望を肘でつつく。
「大丈夫よ。今年はオリンピックがあるでしょ。清川さんがメダル取ったら立場は逆転するわよ。」
にやりと笑う望。
「ま、それを狙ってるんだけどねえ。せいぜい三日天下を楽しんでねえ。」
そんな望に負けじと、公人が冗談めいた口調でやり返す。
「そうしたら、俺はドラフトにかかってまた注目されるんだぜ。」
好雄があきれたといった感じで二人をわける。
「注目されたっていいことなんかほとんどないだろうが。」
「んー、全く注目されないのもちょっと腹が立つのよ。」
肩をすくめる望。そんなことより、と手をたたくと
「で、藤崎さんはなんか言ってくれたの?」
最近いじめっ子が一人増え、全員同じクラスに所属することになったため公人の視線は度々遙か遠くの北の大地を彷徨うことが多くなっていた。
とおーくをみつめる公人の様子にそれぞれの温かい言葉を投げかけるのであった。
「だめだこりゃ。」
「やっぱ脈枯れてるって公人。」
「あきらめがつくまでがんばればー。」
校庭の桜の花びらが盛大に散りまくっていた。
ピピッ、ピピッ。
電子音に促され脇の下にはさんであった体温計を取り出す。
なかなか下がらない熱に、何故か電子体温計をふってしまう夕子であった。
ずる休みじゃない欠席は実に3年ぶりだなあ、と枕に顔を埋めてしまう。
風邪の理由はおそらく雨中決行の野外コンサートのせいであろう。梅雨時ではあったが、ファンの愛が足りなかったせいであの天気になってしまったのだ、と固く信じていた夕子はベッドの中で所在なげに寝返りを繰り返していた。
−また少し熱が上がったのかもしれない。−
どんどんシュールになっていく天井の模様に、夕子は頭から布団をかぶっておとなしく寝ようと決心した。
何度目かの浅い眠りから覚めるとかなり気分が良くなっていた。熱も平熱まで下がっている。
汗びっしょりのパジャマを着替えようとベッドから立ち上がり、もそもそと新しいパジャマに袖を通そうとした時、玄関のベルが鳴った。
ぱたぱたと母のスリッパの音。しばらくして、走り回る母の足音。そして、どかどかと無遠慮に階段を登る足音。
−好雄だな。−
夕子はベッドの下に手を伸ばす。やがて、夕子の部屋の前で足音が止まりノックもせずにドアを開く好雄の額に一斗缶の角を炸裂させながら夕子は叫ぶ。
「乙女の部屋にずかずか入ってくんじゃないわよ!」
そのほほえましい光景に夕子の母は母親らしくたしなめる。
「だめよ夕子、一斗缶の角は笑えないわ。ちゃんと側面を使わないと。」
全然たしなめてない母親の言葉に夕子は、
−そうか、ゆかりってばお母さんに雰囲気が似てるんだ。−
と妙な納得をしていた。
そんな母親の背後から公人が顔を出し、色紙を夕子の母に差し出す。
「おばさん。これでいいですか?」
公人がサインした色紙を、頬に手を添えながら受け取る母に夕子の頭痛がぶりかえす。そんな娘の気持ちを知ってか知らずか、急に公人の顔をまっすぐに見据えながら話し出す。
「高見さん。あなたに一つだけ確認したいことがあります。」
うって変わった態度に、やや緊張する公人。母がなにを言うのか気が気でない夕子。床に倒れたままの好雄をはさんで高まる緊張の中、続けてでた言葉。
「巨人?阪神?どっちかしら?」
「ホークスです。」
即答。
「ホークス?ダイエーじゃなくて?」
「ホークスです。」
夕子の母はにっこり笑うと、公人の肩に手をおいた。
「高見さんゆっくっりしていって、夕子も退屈してたでしょうから。」
階段を下りていく後ろ姿を見送りながら公人は考えていた。
−巨人って答えたら叩き出されたんだろうか?−
答えは夕子の母と神だけが知っていた。
「いやー久しぶりに風邪なんかひいちゃって・・・。」
「さすが、流行の最先端を走る夕子。夕子だけに夏風邪を・・・」
うんうんと頷く好雄の顎に、ケント紙製の夕子のはりせんが飛ぶ。
顎を押さえる好雄の前にぬっと突き出される公人の手。
「好雄、俺の勝ちだな。出せ!」
渋々と千円札を取り出し、公人の顔にたたきつける好雄。
その光景に首を傾げながらもはりせんを再び握りしめる夕子。
−夕子の休みがズル休みかどうかで賭が行われたということを、聞き出してから2分後。机の上に置かれたはりせんがぼろぼろになっていたことだけをここに明記しておく。−
きっちり、2人からお見舞い金と称して千円ずつ巻き上げた夕子はやけに気分がいい。
「ちくしょー絶対さぼりだと思ったのに・・公人はなんでそうじゃないって思ったんだ?」
まだ少し赤い頬を押さえながらぼやく好雄を、ふふんと鼻で笑いながら夕子の頭に手を置き、公人が勝ち誇る。
「そりゃあ、俺とヒナの間に愛があるからだよ。」
瞬間、夕子の顔に血が上り慌てて公人の手をふりほどく。
「なに馬鹿なこといってんだか。あんたには藤崎さんがいるでしょ?」
「ん、そ、そうだな。」
いつもと違って歯切れの悪い公人の言葉に目をきらきらと輝かせる好雄と夕子。
なに?なんなの?ハイエナのごとく群がる2人に公人は、頭をぼりぼりとかきむしりながら、やけに抑揚のない声で一言。
「ふられた・・・。」
極端に密度の高くなった雰囲気のをものともせず、つかみかからんばかりに矢継ぎ早に質問を重ねる好雄。実に情け容赦のない男である。
「ふられたって事は、今さらという気もするが告白したのか?いつ、どこで?ん?んーんー?」
やけに鼻息の荒い好雄の顔面に夕子のはりせんがヒットする。
「ちょっとは気使いなよ。公人がかわいそうじゃない?」
−おまえにだけは言われたくない−
のどまで出かかった思いをぐっと飲み込む好雄。
公人は、慌てて2人を制しながら言葉を続ける。
公人の語る事情を短くまとめると次の通りである。
−昼休み校舎裏に来てほしいの−
その手紙に夢見心地で足を運んだ公人に詩織は、
「公人君、悪いんだけどしばらく私に近寄らないでくれるかしら。迷惑なのよ。」
−以下略。
公人を笑い飛ばしてやろうと考えていた2人だったが、余りの悲惨さに気の毒そうに公人から視線をそらす。そんな2人の態度に公人はますます精神的に追い込まれてしまうのか、裏返った声で語り出す。
「いや、下手に気を遣われるとよけいあれだし。それに俺には夏の甲子園が待っているんだよ。もうやる気で一杯。はははは・・・。」
棒読みのような台詞に乾いた笑い。そんな公人の様子に奇しくも好雄と夕子の心に浮かんだ思いは全く同じであった。
−だめだ。−
「笑ってくれよ・・・。」
いきなりぼそりとつぶやく公人。
2人のかわいた笑いが響き渡る部屋の中、やけくそのような公人の笑い声がそれにかさなっていった。
翌日。
鬼気あふれる公人の練習風景に圧倒され、ドラフトでの競合を覚悟するプロのスカウト達に公人の頬を伝う液体に気づく者はいなかったとか。
「あーもう!天気予報なんて信じるんじゃなかった。」
梅雨時の予報を信じる方が迂闊なのだが、それをつっこむ相手もいないためか、雨宿りできる場所を求めひたすら走り続ける夕子に手頃な感じの樹が目に入る。
樹下に走り込み、また風邪引いちゃうよなどとぼやく夕子にタオルが差し出されて初めて先客がいたことに気が付いた。
「よかったら、これ使って。」
あまりにお約束すぎてなんだが、『ありがと』とつぶやいて朝日奈夕子は藤崎詩織からそれを受け取った。
元々そんな親しくもなく、趣味も活動範囲も全く違う2人の会話が弾むわけもなく2,3分程で雨音だけが2人の間を支配する。
先に沈黙に耐えかねたのはやはり夕子。しかもこれでもかと言うほどのど真ん中の直球であった。
「藤崎さんてさあ、公人の何処が不満なわけ?公人ってかなりポイント高いと思うんだけど?」
詩織が、ゆっくりと夕子の方を見る。
「質問の意味がよくわからないけど・・・。」
頭をかきながらしばらくうなっていた夕子だったが、どうやら決心が付いたようだった。
「いや、なんで公人とつきあったりしないのかなーなんて・・・。」
つい、自分をのぞき込む詩織から顔を背けてしまう。
「それは・・・ってどうしてそんなこと聞くのかしら?」
「んーとね、半分は純粋な好奇心。」
低く流れてゆく雨雲に視線をやりながら、残りの半分は?と詩織が夕子を促す。
「あはは、残り半分はちょっと不純な好奇心かな?」
詩織は、笑いながら答える夕子に何か憎めないものを感じてしまう。
「ちょっと子供っぽいとは自分でも思うんだけどね、『この人!』と思える人がいいの。変かしら?こんな理屈。」
少しはにかみながら話す詩織に、そうでもないでしょ、と応じる夕子。
「つまり、公人は藤崎さんにとって『この人』じゃないのか・・・今は・」
「あんまり長いこと幼なじみやってたから、それ以外の関係の築き方を忘れてしまったのかもね・・。それに、私のことを『この人』と思ってくれる人じゃないとね。」
なにやら含むところのある言葉に、夕子は詩織の方を振り向いた。
「公人にしたら藤崎さんは間違いなく『この人』でしょう?」
詩織は両手を後ろに回し空を見上げるだけで何も応えない。そんな詩織の態度に夕子はやや声を荒げながら言葉をつなげた。
「公人ってば藤崎さん一筋じゃない。大体、合格する可能性が限りなく0にちかかったきら高に来たのも藤崎さん追っかけてきたからでしょう?・・・」
自分の台詞にもかかわらずやけに夕子の心に響いた。
うつむいてしまった夕子の顔を詩織が再びのぞき込む。
「さて?入学した頃はともかく今はどうかしら?10年以上幼なじみやってると本人よりもよくわかることがあるのよ。」
自信ありげな詩織の表情を見て、夕子は2人の積み重ねてきた月日に嫉妬しながらも詩織の言葉の意味を反芻する。
−公人に藤崎さん以外の好きな人がいるってこと?・・・それはない。−
たった3マスで結論付け、夕子は詩織に何か言い返そうとしたが言葉がでなかった。
重くなった雰囲気を察して詩織がおどける。
「それに、私はメグ・・・美樹原さんを公人君に紹介してるし、今どうこうしようとしてあの子に刺されるのもいやだし・・。ま、これからも幼なじみやることになると思うけど・・・。」
詩織の口振りや顔つきから公人に好意を持っていることはわかるのだが、幼なじみに対する感情以上かどうかを察するには夕子と詩織のつき合いはあまりに少なすぎたし、また人の感情を読みとる能力も夕子にはかけていた。
しかし、そうなるとある疑問が夕子の脳裏に浮かび上がる。しばらくの逡巡の後、思い切ってその疑問を詩織にぶつけてみた。
「じゃあさ、なんで公人に迷惑だから近寄るななんて?」
一瞬ぽかんとする詩織。
「何で知ってるの?・・・・」
その言葉を言い終わる前に詩織はこめかみのあたりをもみほぐし始めた。
「まったく、公人君はなんでもかんでも・・・・・」
「私と好雄に囲まれて聞き出せない情報はないから、まあ公人を責めるのは勘弁してやってね。ただでさえ落ちこんでんだから。『藤崎さんにふられた』って。」
なんとなく誇らしげに胸を張る夕子に、詩織はこめかみをもみほぐす動きを速める。
ため息を一つついて詩織が話し出す。
「公人君が有名になり始めてからねひどいのよ・・・いやがらせが。『高見君は渡しません!』とか、『高望み女!』とか・・・・。」
喋っているうちにだんだん感情が高ぶってきたのか、詩織の両手がちょうどそこにはいない誰かの首をしめるように蠢く。
「大体つきあってるもなにも、告白はおろか2人っきりで遊びにさえ高校に入ってから行ってないわよ!つきあってたらつきあってたで『あなたではつり合ってない』、つきあってないならつきあってないで『高見さんがかわいそうです!』ですってえ?ふざけんじゃあないわよ!私にどうしろっていうの!」
やけにリアルに前後に揺さぶるように動く詩織の両手が、いつこちらに矛先を変えないとも限らない状況で夕子は無意識に首をすくめながら考えていた。
−藤崎さんって普段、巨大な猫をかぶってるんじゃ?−
そこにいない誰かの息の根を止めてしまったのか、両手を静かにおろしやけにさわやかな表情で詩織は夕子の方を振り向いた。
「と、いうわけなのよ。」
夕子は首のすわらない子供のようにただがくがくと頷くことしかできなかった。
「しかし、いやがらせが多いって事は噂が広範囲に広がっているって事よね?誰がひろめてんのかしら?」
1人ぶつぶつと呟きながらわきわきと動く詩織の右手に、少しずつ詩織との距離を取ろうとする夕子の顔は言うまでもなく青ざめていた。
しばらく2人は黙ったまま薄暗い雲を眺めていたのだが、今回沈黙を破ったのは詩織のつぶやきだった。
「さっき喋ったこと・・・朝日奈さんから公人君に教えてあげて。理由話す前に公人君走り去っちゃったから。近づくと逃げるし・・。でも、朝日奈さんが教えたくなければ教えなくてもいいわ。」
ゆっくりと振り返る夕子にいたずらっぽく笑いかける詩織。
「さて、雨も小降りになってきたし私走って帰る。このままここにいると意地悪になっちゃうし。」
詩織の言葉に、え?と空を見る夕子。そんな夕子に詩織は思いだしたよ
うに付け加える。「最後に1つだけ。公人君昔からかなりの意地っ張りでね、自分が間違えたとわかっててもそれを認めたがらないのよ。」
そう言い残して雨の中へと飛び出す詩織。かすんでいく後ろ姿に夕子は1人言のように呟いた。
「さっきより雨激しくなってるけど・・・・・・」
既に詩織の姿は見えなくなっていた。
一晩考えた末、夕子は詩織から聞いた話を公人に話した。
−やっぱり教えないってのは公平じゃないよね。−
てっきり公人が喜んでくれると思っていたのだが、なにやら考え込む公人の姿に夕子は首を傾げる。
「つまり・・詩織に限らず俺がつきあう女の子には迷惑がかかると言うことか?」
ぼそぼそと呟く公人。
「ヒナは大丈夫なのか?」
公人に急に見つめられ、どきどきしながら必死で答えようとする夕子。
「え、ええっ?わたしぃ?・・・・多分、我慢できる・・と思う。」
「じゃあ、今ヒナもいやがらせとかされてんのか?」
公人の言葉にやっと自分の勘違いに気が付いた夕子が慌てて否定する。
「違う。そんなことされてないよ。」
顔を真っ赤にしてごまかそうとする夕子を心配そうにみつめる公人。そんな2人を楽しそうに眺める好雄。
雲の切れ間から陽差しがのぞいている。もうすぐ梅雨があけて本格的な夏到来の季節である。
後一人コールが、後一球コールへと変化した。
額の汗を拭いつつふとスタンドに目をやる。クラスメイトがいる。友達がいる。詩織や伊集院もいる。
−最後ぐらい見に来いよ。−
公人は、にやりと笑う。
−あいつらだけだ、俺とつき合い方が変わんねえのは。−
青い空に白球が舞い上がる。
公人は、駆け寄ってくる内野陣を両手で制した。
ベンチの控えの選手がすぐ飛び出せるように身構えた。
−甲子園はやっぱり青い空が似合うよな・・。−
小さな点のようだったボールが本来の大きさを取り戻しながら公人のグラブに収まった。
3連覇達成の瞬間、甲子園は一瞬静まりかえる。
静寂をうち破るように、マウンド上で公人が両手を高々と突きあげたことをきっかけに大歓声が甲子園を揺るがした。
9月。
「おっはよー。」
返事がない。というか、教室全体の空気がなぜかよそよそしい。正確に言うと学校全体で夕子によそよそしい気がする。
「ねえねえ未緒ちゃん。なんかあったの?」
ちょっと待ってください、と夕子に言い残し未緒はクラスメイトに話しかけなにか雑誌のような物を借りてきて机に広げた。
「多分このせいだとおもうんですけど・・・・。」
それは甲子園をわかせた主役達にスポットをあてたもので、選手の甲子園以外での私生活を中心にした特集の部分。そのうちの一枚が、公人達と試合のない休日遊びに行ったときの写真のようだった。
「あーこれ3人で遊んだときの・・あはは好雄ったら肩しか写ってない。これじゃあ、私と公人のカップル写真みたい。・・・・・・・・・はいぃ?」
「そういうわけです。・・・多分。」
えらく神妙に未緒が頷いた。
「でもまあ、目隠しされてるしわかんないよね。」
夕子が自分の椅子をひくと、床に画鋲が散らばった。画鋲を見つめながら夕子は鞄から手紙の束を取り出す。
「下駄箱に入ってたこの手紙の束ラブレターだよね。」
きらりと光を反射する未緒の眼鏡がこう語っていた。
−絶対に違います−
教室のみんなが夕子を見る目は、ドナドナのかわいそうな子牛を見るそれであった。
夕子がこれでもかと言うぐらい真剣な表情で、手紙をひとつひとつ日に透かして中に変な物が入ってないか確認する姿を見て、好雄と公人が話し合っている。
「子供の頃カツの脂身が苦手でさあ・・よくああやって光に透かしたよ。」
しみじみと語る好雄。
「ああ、そうやると脂身の部分が透けて見えるんだよな。」
うんうんと頷く公人。
「え?そうなんですか、私脂身苦手だから今度ためしてみます。」
話に割り込む未緒。
夕子の肩が微かに震えだしていることに3人とも気が付いていないようだった。
「如月さんはちゃんと食べないと、豚の脂身は貧血予防にいいんだから。」
「そうなんですか・・そうですよね、好き嫌いはいけませんよね。」
背後から公人の首筋に剃刀の刃が押しつけられる。
「ちょっと黙ってなさい。それとも黙らせてほしい?」
夕子の尋常ではない剣幕に黙り込む3人。そのうち夕子は剃刀の刃入りの手紙ははさみで、それ以外の手紙を素手で封を切り始めた。
−最初っから全部はさみで開けりゃあいいじゃねえか。−
とは、口が裂けても言おうとしない好雄であった。
−さわらぬ夕子にたたりなし−
ひそひそと話す公人。
「しかし、同級生が犯人とは考えにくいから廊下でうろちょろしてる下級生あたりの犯行かな?」
いつのまにか未緒は2人から・・正確には公人から離れて自分の席で詩集を読んでいる。なかなか賢明な判断であるといえよう。
「さあな・・まあそういう情熱を他に向けりゃあいいのにな。・・公人みたいに。」
なんのことだ?と3連覇の立役者は好雄を見て首をひねった。
「ヒナに悪いから、2人だけで購買でも行くか?」
黙って立ち上がる好雄。
2人は夕子を刺激しないように教室を後にした。
廊下の角で野球部のマネージャ虹野沙希とぶつかりそうになり慌ててよける公人。
沙希は公人に気づくとくすくすと笑う。
「見たわよ高見君。みんな学校で自主トレしてたのに夕子ちゃんとあーんなことしてたんだ。そりゃ次の日元気いっぱいにもなるよね。」
3人で遊びに行った次の日の準々決勝で、公人は準完全試合を達成して怪物の名をあらためて全国に知らしめていた。
部員の健康管理に注意する沙希だけに、あの写真が準々決勝を前にした完全休養の日であることをすぐに見抜いたようである。
公人は苦笑いするしかなかった。
「虹野さんにはかなわねーや、長い間お世話になりました。」
「お世話しました。でも高見君、なんで高校日本選抜や国体に出ないの?練習はちゃんと続けているのに。」
「めんどうだから。」
きっぱりと言い切る公人にため息をつく沙希。
「高見君らしいわ。仕方ない、じゃあ進学の準備のためと言い訳しとくからちゃんと口裏あわせてね。」
肯きながら沙希の後ろ姿を見送る公人に好雄が尋ねる。
「虹野さん、まだマネージャやってんのか?3年生はもう引退だろ。」
「ん、国体に出る3年生がいるからそれが終わるまで続けるとか言ってた。」
なるほどね、と好雄は頷いた。
しばらくして、好雄が思い出したように尋ねる。
「公人、おまえ進学すんの?」
「ドラフトの結果次第だな。」
「じゃあ、国体とか出た方がいいんじゃないのか?」
公人は好雄ににやりと笑いかける。
「俺はおまえらと遊ぶ方が楽しいからな。それに練習はやってるし、問題ねえよ。」
照れ隠しのため、好雄は公人の頭を抱え込み責めたてる。
「ふん、俺じゃなくて夕子と遊ぶのが楽しいからだろ。」
「あたりまえじゃないか。誰がおまえとなんか!」
−藤崎さんと夕子ならどっちが楽しいと思う?−
そういいかけて動きを止めた好雄から公人は脱出に成功する。
−俺が話す事じゃないしな。−
突然黙り込んでしまった好雄を不思議そうに見つめる公人。
好雄は、そんな公人の視線に気が付きなんでもないよと手を振って購買の方へと歩き出した。
購買で夕子の分を含め3つのジュースを購入し、それらを抱えて教室へと戻る途中、ばったりと夕子と出会った。
公人はジュースを一つ夕子の方に投げてやると、どうだった?と尋ねる。
「もう少し独創的な悪口がほしいわね。・・・とりあえず、あんま気分のいいもんじゃないわよ。」
ストローをパックに突き刺しながら答える夕子。
「やっぱり、全部いやがらせか?」
好雄の疑問に夕子はただ頷いた。
すまんな、と謝る公人にちらりと視線をやりながら夕子は紙パックを折り畳んだ。
「別に公人が悪いわけじゃないでしょ。・・・ま、ある意味悪い気分でもないし・・ね。」 意味ありげに夕子と好雄は視線を交わす。
はてしなく鈍い公人はわけがわからず、背景にはてなマークを一杯飛ばしていた。
「で、その後いやがらせは続いてるの?」
指先でストローの先をもてあそびながら、詩織は夕子に聞いた。
「一週間ぐらいで全然なくなりました・・・。」
半分嬉しそうに半分悔しそうに、微妙に表情を交錯させながら夕子は応える。
うらやましいわね、と呟いて詩織が紙パックをたたむ。
いやがらせにはどう対処すべきか?を詩織に尋ねに行った日から、夕子と詩織の会話の頻度が増えていた。2人の間の感情は友達と言うよりは戦友に近い感覚だが・・・。
屋上の風が何とも心地よい。
夏の間、空を我が物顔に占領していた入道雲はいつの間にか姿を消し、鰯雲がちらほらと顔をのぞかせ始めている。
公人と出会う前の夕子なら気にも留めなかったであろう季節の移り変わり。
−恋は季節を意識させる、か。−
前触れもなく顔を赤くし、両手で何かを追い払おうとしている夕子を詩織が不思議そうに眺めている。
「あーちょっと・・・電波がやってきたの。」
自分を不思議そうに見つめる詩織に、夕子はその場を取り繕うとしたのだがちょっと失敗。詩織は夕子との距離を静かに開いた。
「じゃあ藤崎さん、私教室に戻るから・・」
居心地の悪さから、退散した夕子とは入れ替わりのように誰かがやってくる。
「詩織ちゃん、今の朝日奈さんだよね・・。何話してたの?」
ちょっとね、と微笑む詩織。
「朝日奈さんっていいよね、高見さんと同じクラスでいつも一緒にいて休みの日は高見さんと遊びに行ったりして・・・うらやましいよね。」
速射砲のように美樹原愛にまくしたてられ詩織はため息をついた。
−なんで、他人の色恋沙汰ばかり相談されなきゃなんないのかしら私?やってらんないわよ、けっ。−
そんな思いを顔にはちらりともみせずに微笑みを絶やさない。
「メグ、あなたには押しが足りないわ。当たって砕けよの気持ちで行くの。」
やけにきっぱりと詩織は言い切った。
「砕けちゃうの?」
愛は両手で顔を押さえていやいやを繰り返す。
「じゃあ、メグはどうしたいの?」
「えーとね、詩織ちゃんが高見さんを誘ってくれるとか、高見さんが急に私を誘ってくれるとか、それから・・・・。」
あくまで他力本願を貫く愛に、詩織はがっくりと肩を落としてうなだれた。
−どのみちメグは失恋することになるんでしょうね。−
親友の恋の行く末と、その後の詩織が分担する役割を思うと憂鬱になり、詩織は落とした肩をさらに落とすのであった。
ここ数日公人の近辺は静かなもんであった。
今日あたりその理由が登校してくるはずなのだが、はたして彼女はやってきた。
「やっほー久しぶりー。いやあやっぱりどこにいっても注目されることされること。公人たらこんな窮屈な思いしてたんだなあと実感したよ。」
と、首からさげた金メダルをぶらぶらさせながら興奮して喋り続ける望。
遠慮がちに好雄が彼女に話しかける。
「清川さん・・・持ち歩いてるの、金メダル?」
「あれっ?」
驚いたように自分の首にぶらさがる物体を見つめる望。
−清川さんってひょっとして目立ちたがりの人?−
全然気が付かなかったと呟く望になんでやねん!とつっこむ公人。そんな光景を眺めつつ夕子はぼんやりとそんなことを考えていた。
昼休み、いつもの3人+望で昼食中。
突然何かを思いだした様に公人と夕子のを交互に見て、望が尋ねる。
「日本に帰ってから聞いたんだけど、いつから2人つきあってんの?恥ずかしながら、全然気が付かなくてさあ。」
公人と夕子は同時に空中にジュースを吹き出し、教室にみごとなアーチを描いた虹が出現する。
「まあ、公人も藤崎さんをあきらめてそれで正解だよ。」
凍り付いたような3人の中で、自分が何かを全力で踏んでしまったことに気が付かない望は1人喋り続けている。
あわてて公人と夕子は望の誤解をとくべく説明する。
照れるな照れるなと冷やかす望を納得させるのに5分の時間を要した。
「なんだ、つまんない。・・・いっそのこと本当に2人つきあえば?いつも一緒にいるし、そのほうが誤解もされなくてすむだろう。どうせ、藤崎さんは脈ないんだし。」
「またそんなことを・・ヒナが迷惑するよ、俺なんか相手だと。」
夕子はずっと公人の方に向けていた視線をすっと逸らした。
「別に迷惑じゃないんだけどね・・・私は。」
そう言い残して教室を出ていく夕子を望はぽかんと見送りながら公人に囁く。
「夕子、どうかしたのか?」
「さあ?」
立ち上がろうとする公人を好雄が押しとどめる。
「公人、おまえさあ・・・・・・まあいいや・・。」
−この2人の鈍さは天然なんだろうな・・・−
好雄は公人と望の2人を見ながらため息をつく。
「俺、便所行って来るわ・・・。」
そう言い残して好雄は公人達をおいて教室を出ていった。
「俺としてはあの2人にくっついてほしんだけどな・・・」
屋上の手すりにもたれながら呟く好雄の隣にいつの間にか出現した詩織が同意する。
「あの2人ってのが誰のことかは知らないけれど同感ね。」
「藤崎さんの言う2人が誰のことか知らないけれど、こればっかりは公人の気持ちもあるからねえ・・・。」
何ら驚く素振りも見せず、空を見上げながら答える好雄に詩織が頭を抱える。
「・・・・こりゃだめなわけだわ。」
そこで初めて好雄は詩織の方をふりむいた。
「どういうこと?」
「例えば・・早乙女君が、好きな女の子の机の中に『あなたが好きです』という手紙をいれて約束の場所に行ってみたら、違う女の子がそこにいて『私でよければ』なんていう状況に陥ったらどうする?」
「そりゃ、間違えたことを謝るしかないでしょう・・・・ってそんな状況あるの?」
「前日に席替えがあったのよ・・・ってそうじゃなくてまあそれが普通よね?」
話の展開についていくことができずに好雄はあいまいに頷く。はっきりいって詩織の言わんとするところが全くつかめない。
「で、公人君はどうするかというと・・・多分そのままつきあうことになってその女の子の求める理想を演じ続けるのよ。」
詩織はしばらく好雄の表情をみつめていたが、やがて小さく首を振った。
「例えが悪かったわ。・・・つまり、ずばりいうとあなた達がはやしたてるもんだから、違う女の子を好きになってもそれを自分で認められないぐらいがんじがらめになってるのよ!公人君自分の価値観に几帳面すぎるのよね。」
ちょうどチキンラーメンができあがる位の時間がたち、好雄が口を開いた。
「・・・・つまり、公人の好きな女の子はは藤崎さんじゃない?」
「あくまで憶測だけどね・・ただ、公人君の性格からしてたとえ友達でも好きじゃない女の子と2人で遊びに行くなんて事はしないわ。」
「いや、それは爆弾処理作業の一環であって・・・・」
身近な危険を察知して好雄が口をつぐむ。
何かしら?といった感じで小首を傾げる詩織の目だけが笑っていなかった。
おそるおそる好雄が反論する。
「しかし、公人とは入学してからつき合いだけにあれが演技だとはとても・・・」
「そりゃそうよ。少なくとも最初の一年間位は私だけしか見てなかったもの。今は・・・微妙なとこね。」
さらりと受け流す詩織。
−公人の気持ちを知っていた上でのあの態度・・・−
好雄の脳裏に、公人が詩織に冷たくあしらわれ続けた高1当時の様子が浮かんでは消えていく。
−鬼。−
決して口には出せない言葉を心の中で繰り返す好雄であった。
「というわけだから、あの2人がくっつくのが理想よね、ほとんどの人にとって。」
まるで散歩にでも行くような口調で、さらりと詩織が提案する。
「ちょっ、ちょっと公人の気持ちはあくまで憶測だろ・・・・」
詩織は好雄の方を見て声を出さずに軽く笑い、自信はあるわと呟いた。
−大体美樹原さんはどうでもいいんですか?−
世の中口に出して言えないことが多すぎるというのに、詩織はなにか壊れてしまったかのように話し続ける。
「あの2人がくっつけばあの2人はもちろん幸せ、いやがらせが消えて私も幸せ、立ち直りが速くてすむメグも幸せ。ほら、いいことばっかりじゃない!」
−藤崎さんの都合にな・・・・−
好雄は目の下にいっぱいの縦線を浮かべつつ、自分はこの藤崎詩織という女性を見誤っていたのではないかと思い始めていた。
「今さらこんな事を聞くのもなんだが、公人は藤崎さんの何処が好きなんだ?」
机にシャーペンを転がし、公人は好雄を見上げる。
これでもかという位、真剣な瞳の好雄に、公人はちょっと咳払いなんかをしつつ胸を張って答えた。
「全部だ・・・強いていえば気が強くて、見栄っ張りで、それでいて優しいところが好きだが・・・。」
−ほう、さらりと答えやがった。この漢いずれ世界をとるかもしれんな。・・・しかし、やっぱり公人が一番藤崎さんのことを理解してるんだろうな・・・。−
好雄は公人の顔を眺めながらそんなことを考えていた。しかしふとある疑問が浮かんでそれを口にしてみる。
「もし、藤崎さんがお前に野球やめろって言ったらどうする?」
「俺はただ単に野球が好きなんだが・・・まあ、いいところを見せるという下心がなかったと言えば嘘になるが。・・・・・・やめないよ俺は。それに詩織は絶対にそんなこと言わない。詩織は俺が本当に好きなものに対しては口出ししないから。」
淡々とした口調で続けながら、深い湖を思わせる澄んだ瞳を公人は窓の外に向ける。
詩織と公人の間の誰も立ち入れない深い信頼と理解を感じて好雄は黙り込んだ。ただそれがわかるだけに、好雄はなおさらさっきの詩織の態度に納得がいかないものを感じていたのも事実だが。
放課後。グランドの片隅で黙々とダッシュや柔軟を繰り返す公人の姿を窓枠に両肘をのせてぼんやりと眺める夕子に好雄が近づいた。
「夕子、似合わないぞ。」
「あ、やっぱり?」
夕子はきゃらきゃらと笑いながら好雄の方に振り向いた。だが虚勢もそこまでで、耐えきれないようにため息をついた。
「似合う似合わないじゃないんだけどね、こういうのって・・。」
「・・・・いっそのこと告ってみれば?」
夕子が好雄を恨めしそうに睨む。
「・・・・・他人事だと思って・・・」
「だって他人事だもん。」
窓際に背中をもたれかけさせながらうそぶく好雄から夕子は視線を逸らす。
「私、負けるとわかってる勝負はしないの。せめて少しは勝算がないとね・・。」
そう言い残して夕子が教室から去っていき、1人取り残された教室の天井を見つめながら好雄が呟いた。
「・・・さて、本当に勝ち目がない勝負なのかな?」
静かな教室内に思ったよりも大きく響いた好雄の呟きは、グランドからのかけ声によって瞬時にかき消された。
晩秋の夕暮れは早い。辺りは既に真っ暗となっているのに黙々とトレーニングを続けていた公人がやっとベンチに腰をおろし、大きく息を吐き出した。
「お疲れさま。」
公人は差し出されたタオルを受け取って礼を言う。
「サンキュ、・・・・こんな遅くまで残ってると危ないぞ。」
「マネージャーが部員より早く帰るわけにもいかないでしょ。」
闇の中でどうやら沙希は笑っているようだった。公人もまた苦笑する。
「・・・来年はだめかな?努力すれば勝てる訳じゃないけど、強いチームはどこも努力してるもんだからなあ・・。」
公人が誰もいないグランドに視線を向けながら呟くと、隣で沙希がくすっと笑った。
「この3年間、高見君のせいで帰る時間が遅くて遅くて・・・。」
「つき合ってくれなくても良かったのに・・・。」
「まあ、好きでマネージャーやってたから。」
先日国体も終了し、既に3年生は引退していた。大学の推薦を貰ったやつや実業団へ進む部員は身体が鈍らない程度に動かすだけでこんな遅くまで練習してるのは公人だけであった。
雲の切れ間から月明かりがこぼれてやわらかな光をグランドに注ぎ始める。僅かな逡巡の後沙希は口を開いた。
「高見君お願いがあるんだけど・・一球でいいから高見君の投げた球を捕ってみたいんだ。もちろん本気で投げたボールを。」
しばらく沙希の顔をみつめていた公人は静かに頷いた。
「わかった。ただしミットは動かさないように。」
沙希は真っ赤に腫れた左手を水道の水で冷やしながら呟く。
「高校生活のいい記念になったわ。」
公人は下手にミットのスポットを狙うと手首を捻挫するかもしれないと思ったので、手のひらの部分を狙ったのだがやはり衝撃が強すぎたらしい。
「・・・・怪我してない?」
沙希は首を振りながら口を開く。
「高見君が本気で投げてくれて嬉しかったよ。」
「・・・野球で嘘はつきたくない。」
沙希が水道の蛇口をひねると公人はタオルを手渡した。沙希は、いつもと逆だね?と呟きタオルを受け取ると視線を地面へと落とした。
「・・・最近夕子ちゃん元気ないんだけど・・。」
「・・・・・・。」
「鈍いふりしてるけど気付いてるんでしょ?それって一番残酷だよ女の子にとっては。」
公人の目の前に突き出されるボール。仕方なく公人が口を開く。
「あれで気が付かない方が変だろ。でも俺は・・・」
公人の目の前にまだ赤く腫れた沙希の左手が突き出される。沙希が何をしたいのかわからずにきょとんとする公人は口をつぐんだ。
「この手の痛みは高見君が本気で投げてくれたから・・。何事でも本気で向かい合おうとすると痛みはつきものよね。・・・・でも本気で向かい合わないと後で苦しくなるんじゃないかな・・?」
ここで一旦沙希は言葉を切った。そしてにこりと笑って右手の人差し指で公人の胸の辺りを軽く押す。
「ここが。」
とてつもなく恥ずかしい沈黙を破るように、公人は笑いながら両手をあげた。
「・・・・参りました。なんせ詩織の後を追っかけてここにやってきたからなあ、しかも周知の事実と化してるし。正直なところ後ろめたさもあるし、やっぱり詩織のことが好きな気もするし、どちらが好きなのかわからないというか考えたくなかったのかも。」
「野球ばっかりしてたからそういうのもいいんじゃない?ただどちらを選ぶにしても本気で向かい合ってね、自分の心と。・・まあ、高見君が選んだとしても向こうが選ぶとは限らないけどね。」
くるりと背中を見せた沙希を今度は公人が呼び止めた。
「1つ聞いていい?なんでこういうことを?」
「夕子ちゃんは私の友達だし、マネージャーは部員の面倒を見るのが仕事だからね。最後のマネージャーの仕事かな?あ、でも高見君の球を受けてみたかったのは本当だよ。」
笑いながら答える沙希に向かって、公人は深々と頭を下げた。
「最後までお世話になりました。・・・そしてありがとう。」
「じゃあね、高見君。気を付けて帰ってね、ばいばい。」
沙希の後ろ姿が闇の中に消えるまで公人の頭は下げられたままだった。
目の前を白いかけらが通り過ぎた。
吐く息の頼りない白さとは違う形のある白さに公人は鉛色の空を見上げた。冬とはいえ12月に雪が降るのはこの辺りでは珍しく、まして冬というのに風の無い日であった。空を見上げて静かに舞い落ちてくる雪を見ていると、自分の身体が回転しているような錯覚にとらわれ公人は視線を地面へと落とした。
「おーい公人。一緒に走りに行かないか?」
ジャージの上にウエアを着込んだ望がグランドの隅の公人の方に駆け寄ってくる。
「悪いけどアスファルトの上をあまり長くは走りたくないんだ。それに俺のランニングはダッシュを混ぜるから清川さんのペースを乱すかもしれないし。」
「相変わらず野球に関しては妥協しないな。まあ私も水泳に関して妥協する気は無いけど・・・もう契約はすましたのか?」
軽くストレッチしながら質問する望に公人は苦笑する。
「今朝の新聞見てないの?昨日正式に契約したよ。」
「ふーん、いいねえ野球は。お金一杯貰えてさ・・・水泳じゃそうはいかないから好きなだけじゃ続けられないからね。私は運良く続けられるけど・・。」
「さあ、その分責任は重い筈なんだけど・・・・とりあえずもうしばらくしたらプロの練習を肌で感じることになるから体力だけは作りあげておかないと。」
お互い頑張ろう、といい残して望は雪の舞い散る中を駆け出していった。
急激に気温が下がってきたため公人は速めに練習を切り上げた。怪我をしては元も子もないのと今日は伊集院家のクリスマスパーティに招待されていたからだ。
部室の前で夕子が雪にまみれていた。
「遅いよ公人。早く行かないと遅れちゃうよ。」
「しかし、イブの日に雪になるなんて出来過ぎだな。・・雪でも降らなきゃいいけど。」
公人の軽いボケに絶妙のタイミングで突っ込まれる夕子の右手は寒さのせいかいつものきれががなかった。
「・・・中で待ってりゃよかったのに。」
「今日はどこでも寒いって・・・。」
いつの間にか粉雪はぼたん雪へと変わっていた。
・・・またかよ。
公人の手にあるのは伊集院のサイン入りブロマイド。これで3年連続である。今年は公人も反撃してやろうとして自分のサイン入りボールをプレゼントにしたのだが・・。
辺りを見渡す公人の服を遠慮がちに引っ張る手に気付いて振り返ると愛がいた。
「あ、ボール・・大事にします。」
顔を真っ赤にしてそれだけを言い残し去ってゆく愛の姿に公人は呟いた。
「失敗か・・・。」
「公人ぉー、一緒に帰ろっ。ついでに私の家に寄ってってよ。お母さんがどうしても会いたいってきかないの。」
いつの間にか背後にいた夕子が公人の服を遠慮なく引っ張り、公人は夕子と一緒に伊集院家を後にした。
「・・・・寒い。」
いつの間にか風が吹き始めていて体感温度がぐぐんと下がっていたのと、さっきまで暖房の効いた建物の中にいたせいで2人とも身をすくめるようにして夜空を見上げた。
急に風向きを変える気まぐれな風にもてあそばれながらも雪は音もなく地面へと舞い続けている。
「・・・こういうのムード抜群っていうのか?」
「外にいると寒いだけのような気がするね・・。」
どちらからともなく寄り添うようにして歩き出す2人。黙ったまま夜道を急いでいたのだがふいにぽつりと夕子が呟く。
「やっぱりムード満天かも・・・。」
帰り道の途中にある夕子の家に公人は立ち寄った。夕子の誘いよりも暖をとらないと凍えそうだったからだが。
「お母さん、公人連れてきたよ。」
ぱたぱたとスリッパの音がして夕子の母が愛想良く現れる。
「いらっしゃい高見さん、寒かったでしょう。」
それから約一時間程夕子の母が阪神に捧げる情熱を聞かされることになった。
「・・・だからね阪神ファンは優勝よりも巨人より順位が上であることを望んでいて・・・もちろん優勝するのに越したことはないけど・・。」
どうやら顔にはでていなかったもののただの酔っぱらいであった夕子の母が眠り込んだおかげでどこまでも続きそうな熱弁から解放された。
「ヒナ、わかってて俺を呼んだのか?」
不服そうに公人が口をとがらせると夕子は手を合わせた。
「ごめんね、連れてこないとお小遣いくれないっていうから・・。」
無邪気に笑う夕子に公人はがっくりと肩を落とす。
「・・・何がムード満点なんだか・・・。」
「まあ、身近なファンサービスと思って。私のお母さんなんて阪神ファンの中じゃひよっこみたいなものだし。少しは慣れとかないと。」
「・・・あんまり慣れたくない・・・。」
「・・・野球の道を選んだのは自分でしょ。最近は練習ばっかりで遊んでくれないから仕返しだよ。」
夕子のいたずらっぽい笑顔に公人は黙り込む。確かに最近少し夕子を避けていたのは事実だっただけに返す言葉がなかったのだ。
「悪いと思ってんならお正月はあけといてね。初詣に誘いに行くから。」
公人は黙って頷いた。
「いやあ助かったよ、ヒナが来てくれて・・・。」
心底疲れた表情で呟く公人に夕子は眉根をよせ、口を開いた。
「・・・・なんかあったの?」
「いや多分契約金絡みだろうけど、見たこともない親戚が増えて大変だったんだ。」
「・・・やだねお金って。私はお金っていうのはちょっと足りないぐらいが一番だと思うけど。」
両手を頭の後ろにまわして夕子が空を見上げながら呟く。
雲一つないいい天気であったが、その分少し肌寒かった。日本全国他に行く所は無いのかという位に込み合った神社からの帰り道に2人はゲーセンに立ち寄った。
無言で千円札を全て50円玉に交換する2人。やる気満々、対戦上等で座席に着いたのだが、あいにくこの近辺で2人に対戦を挑もうなどというチャレンジャーがいるはずもなく結局2人で対戦を繰り返しギャラリーを沸かせるはめになった。
ちなみに50円玉を先に使い切ったのは公人であった。・・・一枚差だけど。
「・・・・腕を上げたなヒナ。」
「2P側に座ったがうぬの不覚よ・・。」
缶ジュースを二本買い、一本を夕子に渡してやりながら10代とは思えない会話をかわして壁にもたれる2人。公人がふと思い出したように夕子に尋ねる。
「そういえば好雄は?」
「ナンパ。」
夕子は興味なさそうに答えながら空き缶をゴミ箱に投げ込む。
「・・・あいつも不屈の闘志を持った男だな・・。」
「また失敗して夏休みの時みたいに砂をかき集めてくるんじゃないの?」
夏休みの最終日に、好雄が青春の証だといい残し須磨海岸の砂をつめた小瓶を2人に手渡し走り去っていった姿を思い出す。高校球児を冒涜する行為といえよう。(笑)
「もうしばらくしたら学校にも来なくなるんでしょ?」
相変わらず騒々しいゲーセンの中で、囁くような夕子の声は不思議なことにはっきりと耳に飛び込んできた。
「・・・まあ、卒業式ぐらいは出たいとは言っといたけど・・。」
「大変だね・・・。公人はわざわざ苦しい思いをするのが好きなんだね。」
公人はもたれていた壁から離れて空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
「さあな・・好きだから苦しい思いをするんじゃないの?」
「・・・・柄にもないことを言うんだね?」
「かもな・・。・・・ヒナ、そろそろ帰るか?」
ゲーセンを出て、分かれ道までくると夕子が公人に背を向けながら質問する。
「1つ聞いていいかな?・・・なんで在阪球団を希望したの。・・・藤崎さんは関東の大学に進学するって聞いたんだけど?」
微かに震える肩。それ以外は身じろぎもせずにただ答えを待つ夕子の姿に公人は息をのむ。
僅かな・・・2人にとっては長い長い沈黙。夕子はくるりと公人の方に向きなおったが視線は地面へと落とされたままゆっくりと口を開く。
「私、地元の専門学校に行くんだけど・・・・・自惚れていいのかな?」
公人が口を開こうとした瞬間慌てて夕子がそれを制する。
「あ、やっぱり今はいいや・・。ごめんね変なこと聞いて・・・じゃあね。」
公人に背を向けて足早に去ってゆく夕子の後ろ姿を公人は黙って見送った。
「最近朝日奈さんいい顔してるわね。・・・おせっかいをやく必要もないみたいだし。」
「ああ、でも別のおせっかいやきがいたみたいだけど・・」
2月の屋上に佇む詩織と好雄。正気の沙汰とは思えない。
「早乙女君。私のいったとおりだったでしょ。」
好雄は黙って帽子を脱ぐゼスチャーをした。
「でもこれでやっと五分五分じゃないの?それより藤崎さんはそれで良かったの?」
「・・・別に、先は長いもの。」
一瞬こわばった顔を見せた好雄に気が付くと詩織はにやりと笑った。
「いつの間にか公人君と立場が逆転したからね、今度は私が努力しないと不公平ってものでしょ?」
「え?それってまさか・・・。」
狼狽する好雄にかまわず言葉を続ける詩織。
「公人君から聞かなかった?私は負けず嫌いだって。・・・そうねえ、大統領夫人でも目指してみようかしら?」
「ラビニアですか・・・」(注・小公女セーラに出てくる意地悪お嬢様)
ここでやっと冗談だと気が付いた好雄は多少の不安を残しながらも苦笑する。
「で、早乙女君には春はこないの?」
「俺の広辞苑では冬の次は秋が来ることになっている。ついでに秋の次は冬だけど。」
詩織があきれたように冷たい目で好雄を眺める。
「ま、無理もないわね・・。これといって優れたところのないキャラだし。」
「さぶっ。藤崎さん寒いよ・・。」
「冬だからあたり前よ。」
誰もいなくなった教室の中で、夕子は公人の席に何かを忍ばせようとしていて好雄に呼び止められた。
「夕子。いつ、勝算ができたんだ。」
ぎくり、と動きを止めて好雄の方を振り返った。
「勝算なんかじゃなくて・・・・後悔したくないからかな。」
「なるほど・・でも公人のやつ今日オープン戦で登板するらしいぞ。」
「・・・・・・・どこで?」
「甲子園。」
夕子は目を閉じて軽く頷き、手に持っていたものを机の中にそっと置いた。
「じゃあ、大丈夫だよ。」
3月。暦の上では春という分類にはなっているものの、昨日までは冬だったのである。吐く息は白く夕子の周りを取り巻いている。自らのかけがえのない季節を過ごした学舎に別れを惜しむようにぐずぐずと居残っていた卒業生達も、辺りが薄暗くなるこの時間まで残っている物好きはいないようだった。・・・夕子以外には。
「なんか、私が公人を待つのって初めてかもしれない・・。」
待ち合わせにいつも遅刻したのは夕子の方だった。いつもいつも言い訳を考えながら待ち合わせ場所へ急いだ自分が嘘みたいである。ただ、今日は別に待ち合わせをしているわけではない。夕子が勝手に公人を待っているだけだ・・・・何かを信じて。
伝説の樹。
入学したときからここに存在していた樹は今も変わらぬ姿でこうして静かに立っている。
この樹はこれまでにどれだけの感情を見守ってきたのだろう。誰かを待ち続ける不安や何かにすがりつこうとする感情。
そして、待ち人が姿を見せたときの爆発するような喜び。
待ち合わせていたわけではない。約束も何もなくただ待っていただけ。それなのに夕子は近づいてきた人影を認めると口をとがらせた。
「遅いよ、公人。」
公人は頭をかきながら謝った。
「悪い。取材の人が放してくれなくてさ・・。」
「ふんだ。」
夕子は公人に背を向けて伝説の樹と向かい合わせになった。右手がざらざらとした樹の表面を優しくなぞる。夕子は指先から何かが流れ込むような感覚に身を固くする。様々な感情が入り交じった例えようのない気持ち。ひょっとすると夕子自身が押さえつけていた感情があふれかえっただけかもしれない。
夕子がゆっくりと樹を見上げると風もないのにざわざわと葉がゆれている。制御できない感情の激流が嘘のようにひいていく。それと同時に葉のざわめきが止んだ。
優しい風が吹いた。春は音もなくやってきて全てに祝福を与えつつあった。
「自惚れていいんだよね?」
真っ直ぐに公人を見つめる夕子の瞳。何かが邪魔をしてはっきりと公人の顔は見えないけれどゆっくりと公人が頷くのを確認して、こらえていた何かがたまりかねたように頬をつたって落ちていった。
夕子の頬をつたった何かがが地面に落ちてはじけるのと同時に、2人の距離がせばまってやがて1つのシルエットに落ち着いた。
再びざわざわと葉のこすれ合う音が2人を祝福するように鳴り始めた。
完
まあ、たいがいの人は気が付くと思いますけど、途中から雰囲気が変です。へのへのーと元気に書いてたら途中で話がすげえ矛盾していることに気が付いてその部分から消しました。いろいろ書きたかったエピソードをぶったぎり、修正したらこんなになっちゃいました。もっと好雄の出番があったのに・・・・幸せにはならんけど。
所々話が破綻してますが勘弁していただきたい。
ファンレターの話とかはある意味事実です。知人が嘘ついてなければですが・・。
しかし、結局100枚ちょっとオーバーですか・・まあ、書き直す前は150枚あったしこんなもんでしょう。
うーん、やっぱり展開が不自然だなあ・・。(笑)まだまだ未熟だなあ。
前のページに戻る