中学3年進路希望調査の日以降、彼の部屋の電気が私の部屋よりも先に消えることはなくなった。
 彼の態度などから深層意識の中でその予想を済ませていたのかもしれない。
 だから、きらめき高校合格発表の日、彼の名前の存在を私は素直に受け止めた。
 彼のことならば誰よりもよく理解しているつもりだ。
 だって・・・・彼と私は幼なじみなのだから。
 
「詩織ちゃん。今日詩織ちゃんの家で一緒に勉強しない?わかんないところとか、教えてほしいんだ。」
 期末試験を来週に控えた週末、美樹原愛が詩織の教室まで出張していつものように会話を楽しんでいたのだが、不意に愛が、そう言いだした。
 一瞬、きょとんとする詩織。いいわね、といいかけちょっと意地悪をしてやろうと思いくすくすと笑いながら、答える。
「いいけど、勉強だったら公人君に教えてもらった方がいいんじゃないの?そのほうがメグも楽しいでしょう。」
 公人の名前がでただけで顔を真っ赤に染める愛。えっ、あの、としどろもどろになりながらやっとの思いで答える愛。
「あっ、だって詩織ちゃんの方が成績いいし、高見さんクラブが忙しいから・・・」
「それは、中学までの話。今は公人君の方が成績いいわよ。クラブが忙しいのはわたしもそうだしね・・・。私から公人君に頼んであげようか?」
 顔をますます赤く染め、うつむきながらイヤイヤを繰り返す愛。思わず抱きしめてしまいそうになるほど愛らしい仕草だが、かえって詩織の嗜虐心を刺激してしまう。
「どうするのメグ?私はどっちでもいいけど。」
 うつむく愛の顔を下から見上げ、にこにことみつめてやる。
「高見さんと二人きりなんて恥ずかしくて勉強にならないよ、詩織ちゃんの意地悪。」 これ以上いじめると本当に泣いてしまいそうだと判断し、詩織は愛の頭にぽんと手を置き、冗談よ冗談と笑いかけた。
 それを聞くと愛はそばにいる詩織にさえ聞こえないような小さな声で詩織ちゃんの意地悪。と、ぽつりと繰り返した。
 
 クラブは早めに切り上げるから3時頃校門で待ち合わせましょ、と約束し別れた二人。 試験前ということもあり、今日は大体のクラブは皆自主練習になっていた。
 いつもの部員の3分1もいないテニスコートをため息混じりに眺める詩織。
 −まあ、正選手メンバーは全員そろってるみたいだけど・・・
「ふーじーさーきーさーん。柔軟体操の相手してください。」
 すこーしテンポの遅い口調で、古式ゆかりが駆け寄ってくる。
 そうだ、約束の時間まで2時間もないのだからと思い、ゆかりに肯き二人一組で柔軟を始める。
「うわー藤崎さん体柔らかいですねー。」
 心底感心したように驚くゆかりに笑いながら
「うーん。でもそれを支える筋力がないから宝の持ち腐れなんだけどね。」
 などとなにげない会話の最中、コートの外がやけに騒がしい。
 なんだろうと思って詩織は首だけをそちらの方向に傾ける。すると伊集院麗が,女子生徒に囲まれて騒がれている姿が目に入った。
「いつもの風景だけど伊集院君も大変ねえ。」
 男女の違いや程度の差こそあれ自分にも思い当たる節があるだけになおさら詩織の口調が同情的になる。
「そうですねえー。伊集院さんは昔から自分の感情を殺し続けなければならない立場でしたからねえ。」
 昔から?という言葉に首を傾げかけた詩織だが、ゆかりと伊集院君が子供の頃からのつきあいだと聞いたことを思い出し口をつぐんだ。
 そんな詩織の態度におかまいなく、ゆかりの独白にも近い言葉は続く。
「伊集院さんが本当に大変なのは、自分という存在を受け止めてくれる人が友人はおろか、家庭にも存在しなかったことですねえ。そのせいで自分で自分を守るためますます自分を追いつめていることに気づいてないことが一番の不幸だと思います。」
 ここまでしゃべったところで、ゆかりは自分をを見つめる詩織ににこりと笑いかけ言葉を取り繕う。
「ちょっとしゃべりすぎましたかね。ただ、私ではもう伊集院さんの力になれないみたいので、伊集院さんを支えてくれる人が見つかることを祈るしかないんです。」
 ゆかりの口調に珍しく自嘲的な陰が含まれる。
 かける言葉を見つけられずに黙り込む詩織にゆかりは暗くなりかけた雰囲気を払うような魅力的な笑顔をむけ、
「藤崎さんはその人たちを手放してはいけませんよ。」
 と、何かを悟ったような言葉を淡々と口にした。
 その言葉や視線が詩織だけに向けられたものではないこと、ゆかりが詩織のことを心配していることだけは十分に理解できた。
 やけに鋭いところのあるゆかりは最近の詩織に普通ではない緊張感や、精神的な危うさを感じ取っていたのかもしれない。
 ただ、今の会話によって詩織の心に確実に影が刻まれた。
 その影とは、自分の心の柔らかい部分を託せる幼なじみと親友を同時に失うのではないかという暗い予感にほかならなかった。
 
 約束の3時に5分ほど遅れて校門に行ってみると、愛の姿がない。詩織は迷うことなく愛を探しにグランドに向かって歩き出す。
 グランドの隅で腰を下ろしグランドをみつめる愛。詩織が近づいて来たことにも気が付かずにただ1人の少年の姿を追い続けている横顔は、はっとするほど美しかった。その光景に詩織の両手が無意識に白くなるほどに握りしめられる。
 そのことに気が付き詩織は軽い自己嫌悪に陥る。そんな自分を振り払うようにことさら明るく振る舞おうとすることが悲しかった。
 愛の耳元で低い声でささやく。
「めーぐーちゃーん。なーにーしーてーるーのー?」
「ひゃあああっ!」
 耳を押さえて振り返る愛。
「しっ、詩織ちゃーん。びっくりさせないでよ。」
 抗議しかける愛の鼻先にす、と腕時計を突き出す。とたんに、あ、と口元を押さえ詩織の顔色をうかがうように上目遣いにのぞき見る。詩織はなにも言わない。
 沈黙に耐えかね愛が詩織の腕に抱きつきながらごめんねを繰り返す。
「ま、いいわ私も少し遅れたからおあいこよ。」
 笑いながら愛の頭をなでなでしてやる。子供扱いされふくれる愛。中学の頃から繰り返されてきた普段と変わらなすぎる風景。そんな2人の方へ転がってきたボールを追いかけ闖入者が現れた。
「そんなとこでなにやってんだ詩織。」
 意味もなくはね上がる心拍数。そんな素振りをちらりともみせずに答える。
「あら、公人君。これからメグと試験勉強よ・・・ってメグッ!私の後ろに隠れるのはやめなさいって。」
 詩織の後ろに隠れたまま、蚊の泣くような声でこんにちわを言うのが精一杯の愛。
「ああ、美樹原さんか。あいかわらずだなあ、よっぽど男子が苦手なんだね。心配しなくても取って食べたりしないよ。いや、食べる男子もいるか?」
 はた、と手を打つ公人に詩織がかみつくような勢いで抗議する。
「食べられてたまるもんですか!大体あなたが一番危ないのよ。」
「そりゃひでえや。と、まだ練習中なんだ。その件についてはまた今度な。」
 と走り去っていく公人。それを見てひょっこり顔を出す愛。
 この超内気な親友と鈍い幼なじみ。このほほえましい組み合わせを見守る気になれない自分を認識したのが、公人に愛を紹介した後のことという事実が詩織の精神をゆっくりと追いつめつつあった。
 
「わー高見さんの部屋が見える。」
 詩織の部屋の窓にへばりつき離れない愛に、詩織があきれたように声をかける。
「メグ、なにしに来たのよあなた?」
 えへへ、と笑いながら窓から離れる愛。しばらく真面目に勉強し、2人ともちょっと休憩しようとしたタイミングで詩織の母が顔を出す。
「おじゃましてます、おばさま。」
 ぺこっと頭を下げ挨拶する愛をみて母は顔をほころばせた。
「まあっ!メグちゃん久しぶりねえ元気だった?」
 などとひとしきり喋った後、詩織の方に向かいすまなさそうに話す。
「詩織、悪いんだけどちょっとお使いに行って来てくれないかしら?母さん今手が離せなくって。」
「休憩しようとしてたから別にかまわないけど・・・・・」
 ちらりと愛の方に視線をやる。愛は慌てて私のことは気にしないでいいからと笑う。
「そう。じゃあ20分ほどで戻ってくるから。」
「ごめんねえメグちゃん。ゆっくりしていってねえ。」
 と、詩織が母親とともに部屋から出ていった。
 部屋に1人取り残された形の愛は、少し冷めてしまった紅茶を飲みほしながらぽつりと呟いた。
「いいなあ、詩織ちゃん。」
 自分がこの部屋で生活していたら・・・・朝私が窓を開けたら高見さんもちょうど窓を開けたところで、お互いちょっと照れたりしながらぎこちなく挨拶を交わしたりしてそんなことしてるうちに私自分がパジャマ姿を見られていることに気が付いて慌ててカーテンを閉めたりしちゃうんだわ・・・・・・
 しばらく、愛の乙女チックワールド全開とばかりに妄想に浸っていたのだが、上がり過ぎた心拍数が胸に軽い痛みを生じさせ我に返る。まだ顔が少し熱い。
 てもちぶたさになり部屋の中を見回す愛。ほどなく、アルバムを発見する。
 アルバムを前にしてきっちり60秒。好奇心が勝利の凱歌をあげページをめくった。
 そこには、愛の知らない公人の姿があった。
 小さい頃の写真は、詩織と公人ほとんど2人1組で仲良く撮られている。
 −ていうか、なんか詩織ちゃんが高見さんをいじめているように見えるわね。−
 その推察は限りなく事実に近いのであるが、そんなことは知らない愛のページをめくる手は止まらない。しかし、めくるにつれて公人の登場率は中学を境に急激に落ちわずかに全体写真だけの登場となる。
 高校になって、また復活してくるのだがそれらは愛も知っているのであまり新鮮さを感じない。最後の方は、流すようにみるだけとなった愛の目が最後のページでぴたりと止まった。
 そこには高校に入ってからのものであろう公人の写真が数枚挟まれていた。ただこれまでの写真と違って、公人しか写ってないことが、愛に与えた衝撃は大きかった。
 −なんで詩織ちゃんが、高見さんしか写ってない写真を持ってるの?−
 混乱した頭の中で必死に考えをまとめようとするのだがちっともまとまらない。もちろん、愛自身公人の写真は持っている。公人と愛が並んで撮った写真は、愛の宝物であり自分の部屋の引き出しに大切にしまってある。
 −高見さんと撮った写真を詩織ちゃんが持っているのは高見さんと詩織ちゃんがと幼なじみで仲がいいからなんだけど?−
 −私が高見さんの写真を持っているのは、高見さんのことが好・・・!−
 そこまで思い至ったとき愛の体が大きく震える。
 −詩織ちゃんも高見さんのことが・・・好き?−
 階段を登ってくる足音に我に返る愛。慌ててアルバムを元の場所につっこむ。そして、テーブルに向かい教科書を開いたところで詩織が部屋の中に入ってきた。
「ごめんねえメグ。退屈しなかった?」
「別に・・・平気。」
 詩織の顔も見ずに答える愛を不審に思い、愛の顔をのぞきこむ。
 その視線を避けるようにうつむき、普段にはない刺々しさを含む口調で勉強の続きを促す愛に対して不審感を抱いたが
「え、ええ。」
 としか今の詩織にはいえなかった。
 その後2人の会話は極端に減り、気まずい雰囲気の中で帰る愛の後ろ姿を見送った。 
 
 愛が帰って、テーブルの上を片づけながら詩織は愛の態度を思い出す。
 −私が、席を外している間になにがあったのかしら?−
 首を傾げる詩織の視界に床の上に置かれたクッションとその下から少しはみ出した紙切れのようなものがはいった。
 −なにかしら?−
 拾い上げた詩織の顔色が変わる。
 −メグ、あなたまさかこれを・・・・・?−
 詩織の目は無意識に本棚のアルバムに吸い寄せられた。
 同日夜、美樹原邸。
 −中学時代、詩織ちゃんと高見さんがいつも一緒にいた記憶はない。それは、あのアルバムに挟まれた写真からも間違いはないはずだ。それ以前の枚数の多さ、今現在の仲の良さ。つまり中学生の頃何らかの理由で2人の仲は疎遠になっていた・・・・。
 高校生になってからまた仲良くなった。正確には、詩織ちゃんが私を高見さんに紹介してくれてから・・・。だって、私はいつも詩織ちゃんと一緒だったもの。
 そして、詩織ちゃんは高見さんのことを・・・・・好き?−
 ジグソーパズルの最後の一枚があるべき場所に音を立ててはまった様な気がして、愛は枕に埋めていた顔をあげた。ゆっくりと上半身を起こし枕を抱きしめながらベッドの上でうずくまる。
 −詩織ちゃんは、私を、利用した?−
 枕を抱きしめる腕に力がこもる。
 −そうか、詩織ちゃんは、私を、利用したんだ。−
 疑惑が確信へと変わっていく中で、愛の唇がおそらく無意識にであろうが動き始めていた。
「詩織、ちゃんは、私を、利用した。詩織ちゃんは、私を利用した。詩織ちゃんは私を利用した詩織ちゃんは私を・・・。」
 だんだんと滑らかに、そして大きくなっていく声。
「詩織ちゃんは私を!」
 ぜんまいが切れた人形のように突然喋るのをやめた愛。そして最後に蚊の泣くような声でぽつりとつぶやいた。
「・・・・裏切った。」
 やがて、愛の唇から嗚咽が漏れ出て部屋中に響き出す。
 しかし枕に押しつけられた顔からのぞく口元は、何故か笑っているように見えた。
 
 週明けの月曜日呼び出された校舎裏で出会った愛の顔は、意外にも詩織には普段と変わらないように見えた。
 何か言い出そうとした詩織を軽く制して詩織の顔を真っ正面から見据える。
「詩織ちゃんのアルバムってどうして高見さんの中学校の頃の写真だけないの?他は一杯あるのに、・・・けんかでもしてたの?」
 顔こそ笑っているものの、愛の悪意に満ちた言葉に反応する詩織。
「メグ、・・あの日態度が変だったのはやっぱりあれをみたからなの?違うのよ、あれは公人君に渡してって人に頼まれてた写真なの。」
 愛は詩織を冷ややかに見つめる。
「そう、・・詩織ちゃんまた私にウソをつくんだ。」
「嘘だなんて・・・」
「だってウソでしょう?」
 愛にそう決めつけられると詩織はもうなにも言えなくなる。
 黙り込んでしまった詩織に愛はことさら明るい声で質問する。
「詩織ちゃん、最後に一つだけ聞きたいことがあるの。詩織ちゃんは高見さんと仲直りするために、私を利用したの?」
 そんなこと、と言いかけて詩織は考える。絶対にそうではないといえるのだろうか?それまで理由もわからないまま疎遠になっていた公人との会話を楽しんだ自分を思い出す。
 潔癖すぎる彼女の性格が感情を凌駕する。
「・・・・そうかもしれないわね。」
 詩織のその答えが少し意外だったのかもしれない。愛はそう、とだけつぶやいた。
「詩織ちゃんのおかげで高見さんと知り合えたこと感謝してるわ。でも、私たちこれでおしまいだよね?」
 −メグは、こんな笑い方をする女の子だっただろうか?。私の知っているメグはこんな話し方をしない。−
 −私がメグを追いつめてしまったのだろうか?−
 そんな思いが詩織の胸を締め付ける。 
「メグッ!私は・・・」
「やめてよっ!!」
 詩織の言葉を遮る愛の叫び声。
「頭がよくて、スポーツもできて、おまけに美人。もう充分でしょ、何もいらないじゃない。高見さんの事が好きならどうして私なんかに紹介したのよ。私になんか負けないと思ったから?そうでしょ?」
 次々とまくしたてられる言葉が、詩織の耳にどこか遠くから聞こえてくる。
 心と身体が分離してしまったような感覚。
 魂を抜かれたように立ちすくむ詩織を見て、愛は詩織にゆっくりと歩み寄る。
 詩織の耳元に唇を寄せ囁いた。
「じゃあね、詩織ちゃん。本当にさようなら。」
 詩織に背を向け去ってゆく愛の口元に笑みが広がってゆく。
 −これで詩織ちゃんは絶対に高見さんに手を出さないわ。だって親友だったんだもの。詩織ちゃんの性格なら誰よりもよく知っているつもりよ。絶対に詩織ちゃんにだけは高見さんは渡さない!−
興奮している愛は自分の頬を伝う涙に気が付いていなかった。
一方詩織は立ちすくんだまま愛の去っていった方向をみつめていたが、その瞳はなにも映していないようだった。
 自分の背後で下草を踏む音に反応してのろのろと振り返る詩織。その生気のない瞳に声をかけることがはばかられて、少女は自分のハンカチをそっと差し出した。
 ハンカチを差し出されて初めて詩織は自分が涙を流していることに気が付いた。やっとの思いで声を出す詩織。
「聞いてたの如月さん。」
「立ち聞きするつもりはなかったんです・・・ごめんなさい。」
 謝る未緒に、詩織は呟く。
「いいのよ・・・。」
 事実、今の詩織にはどうでもよく感じられた。
 高見さんを紹介してほしいと頼んできた愛についた小さな嘘とはいえないような嘘。あの嘘が今日のこの事態を招いたのだから。
「全部私が悪いんだから・・・」
 未緒は、詩織に向かって少しでも気を楽にさせたいと思って話し出す。
「藤崎さん。事情はよくわかりませんが、藤崎さんは自分以外の責任まで背負い込もうとしていませんか?」
 −目の前の少女の言葉がうつろに響く。この足下のふわふわした頼りなさはなんだろう?−
「ごめんなさい、しばらく一人になりたいの。」
 と言い残し、未緒の横をすりぬける。
「藤崎さん!」
 未緒が思わず肩に伸ばした手を力無く払いおとす詩織の姿に、深い心の亀裂を感じとった未緒はただ見送ることしかできなかった。
 『詩織ちゃんと高見さんって幼なじみなんだよね。・・・・詩織ちゃんは高見さんのことどう思ってるの?』
 『何とも思ってないならお願い、紹介して?いいでしょ?』
 −私はただメグの悲しむ顔がみたくなかっただけなのに!本当にそれだけだったの!それにあの頃は公人君のこと何とも思ってなかったから・・−
 愛になじられたとき言おうとして言えなかった重いが頭を駆けめぐる。
 −でも、本当にそれだけだったの?− 
 −公人君が同じ高校を目指してくれたことに、私は心のどこかでいつも自惚れていたのかもしれない。だからメグの言うとおりの・・・−
 出口のない迷宮にも似た堂々巡りの思考の中で詩織は、アルバムを本棚から取り出し、公人の写真を取り出す。
 −公人君の写真が見つからなければ、私が写真さえ持っていなければこんなことにはならなかったのに・・・。−
 写真を持つ詩織の手に力がこもる。静かな音を立てながら破れていく写真。
 −そうだ、私が公人君を好きにさえならなければ写真を持つこともなかった。−
 もうこれ以上は引き裂けなくなるまで小さく破ってしまうと、また次の写真を破り始める詩織の細く繊細な指先。
 −公人君を好きじゃなくなれば・・また元に戻れるかもしれない・・。−
 写真を次々と破り捨て、最後の一枚を手に取る。
 写真の中で、公人が笑っている。その顔が真ん中から引き裂かれた。
 −私は公人君なんか好きじゃない。−
 詩織の表情は何か張り付けられたように固くこわばっていた。
 一方愛は、口元に笑みを張り付けたまま昏い興奮を引きずっていた。
 自分がかつての親友詩織に与えた打撃を思い起こすだけでおかしくてしかたがない。
 −でもね、詩織ちゃん。あれで終わったと思わないでね。−
 声を立てずに笑い続ける愛にいつもと違う主人の雰囲気を感じ取ったのか、愛犬が心配そうに足下にすり寄ってくる。その頭を優しくなでてやりながらも愛は笑いを止めようとはしない。
 そこまでに憎悪しているかつての親友を、いまだちゃん付けで呼ぼうとする自分の心の矛盾に気が付く時はくるのだろうか?
 そんな2人の思いとは裏腹に見上げれば満点の星空。
 思い思いの夜を過ごしながらねじれていく感情、離れていく距離・・・。
 そして朝がくる−    
 
 学校に行くのは当たり前。
 詩織は今日初めて学校に行きたくないという感情を味わった。
 無意識に準備を遅らせてしまったのか、いつもなら顔を合わせることのない家の前でばったりと公人とはちあわせする。
 思わず腕時計に目をやってしまう公人。
 −やっぱり走らないと間に合わないな。−
「ごめん、今日急いでるから。」
 それだけを言い残し、公人に背を向けて走り出す詩織。
 −そりゃあ急がねえと遅刻するもんな。−
 と納得して詩織の後を追って走り出す公人。
 端から見るととてもほほえましい風景なのだが、校門をくぐり抜ける2人の様子を教室の窓からじっと見つめる愛の瞳。その奥に昏い炎が灯っていた。
「私やっぱり、詩織ちゃんのことよくわかってなかったみたい。」
 そう呟く愛は、自分が後ろの席からじっと見つめられていることに気が付いていなかった。
「如月、今日は委員会の日だ。忘れずに出席してくれ。」
 HRの最後に先生にそう言われ、わざわざ几帳面に立ち上がって返事する未緒を振り返って愛が尋ねる。
「委員会?」
「あ、各学級のクラス委員が集まって学校行事の連絡事項や質問を話しあうんですよ。」「ふーん。大変なのね。」
 −クラス委員てことは詩織ちゃんもでるんだ」
 昨日、愛と詩織の話を聞いてしまったため何気ない会話にも未緒はどぎまぎしてしまう。今朝から無意識に愛の様子をうかがっていたのだが、何か目の離せない危うさを感じ取り、よけいに注意をひきつけられている。
「その委員会って時間はどのぐらいかかるの?」
「え?あ、今月は特に行事もないから30分ぐらいだと・・・」
 そうなの、と呟く愛はやけに楽しそうに見えた。
 何か、よいいたずらを考えついた子供のように・・・・
 愛の様子にいやな予感がした未緒は誰かに相談しようと決意した。
 
 委員会の途中、未緒は詩織の様子をうかがったがやはりいつもより元気がなさそうであった。ぼんやりした感じで時折窓から外を眺めていたりしている。
 −美樹原さんの様子がおかしい事、藤崎さんにも伝えた方がいいのかしら?−
 詩織にそれを伝えると彼女の心配事を増やすだけではないか、と危惧して黙ったまま委員会は進んでいく。
 詩織は窓から見える自分の教室を見上げ、揺れ動く人影に誰が残ってるのかしらなどと考えているうちに委員会は終了した。
 人影の主−愛は、教室の窓から委員会がちょうどいい時間に終わりそうなことを知りほっとするとともにこれから自分がやらなければいけないことのために深呼吸をした。
 教室のドアが開く音がして愛はドアの方に振り向いた。
「高見さん・・・すいません呼び出したりして。」
 
 委員会を終え詩織は鞄を取りに自分の教室へ向かった。
 未緒が心配そうな表情で詩織を見つめているのが少し気懸かりだったが、おそらく昨日の件であろう。そう判断して未緒を避けるように出てきてしまった。
 −鞄を取ってからクラブか・・・−
 体を動かせばこの心も少しは楽になるだろうかなどと考えながら、教室のドアの取っ手に伸ばした詩織の手がぴたりと止まる。
 −この声?・・・メグ!−
 詩織は少し開かれたままのドアの隙間に顔を寄せていった。
 
 −そろそろかしら?−
 愛は公人に見えないように笑うと公人の顔を見つめる。普段なら恥ずかしくてできないようなことも、詩織を傷つけるためなら何でもできそうなことが愛には不思議であった。
「あの・・高見さんは詩織ちゃんのことが好きなんですよね。」
 背後で息をのむ気配。愛は背中に目がついているわけではないが、今自分が背を向けているドアの向こうに詩織がいることを確信していた。
 充分すぎる間をおいて、愛はうつむいて言葉を続ける。幸い公人は、なにを話せばいいのかわからずに黙ってくれている。
「でも、詩織ちゃんは高見さんのことただの幼なじみだって・・・何とも思ってないって。」
 話しながら、愛は公人の制服の胸のあたりにしがみつく。公人は微かに肩をふるわせる愛の身体を支えるように無意識に手を回す。
 −メグ、あなたいったい?−
 震えだした詩織の膝がドアにふれ、音を立てた。
 愛を見下ろす様にうつむいていた公人の視線があがって、ドアの隙間からのぞいていた詩織の視線とぶつかる。
 詩織は公人の視線に縛られたように動けない。時が止まってしまったような二人に挟まれ愛は嗚咽混じりにしゃべり続ける。
「いくら好きでも振り向いてくれないのって悲しいですよね・・。そんな悲しい思いしなくても高見さんを好きでいてくれる女の子とつきあった方が楽じゃないですか?高見さんを好きな人はたくさんいます。私だって・・・」
 愛の言葉を遮るように公人の手によって愛の顔が公人の胸のあたりに押しつけられる。そして愛をなだめるように頭を優しくなでてやる。
「ただの幼なじみ・・詩織はそう言ったのか?」
「そう言ってました。」
 愛に聞かせるにしては公人の声は大きかったが、愛は自分に語られたと思いそう答えた。公人の視線はずっと詩織に向けられていた事に気づくことはできなかったので無理もないことなのだが。
 そして、詩織にできることはその場から逃げ出すことだけであった。
 滲んだ視界で走る詩織は廊下の角でゆかりとぶつかったが、そのまま走り続けた。一刻も早くあの場所から遠く離れたいがために。
 −昨日の自分の決意はこれほどまでに脆弱だったのだろうか?−
 一方ゆかりは、詩織の顔がぶつかった場所に手をやりそこが濡れていることに気づき詩織が走ってきた方角に視線を向けた。
 廊下を走り去る足音に、愛は公人の胸に身体を預けながら笑い出しそうになる衝動を抑えようと必死であった。
 突然愛は前触れもなく公人から引き離され、顔をのぞき込まれる。
 公人の愛を見る視線は先ほどまでと違って冷たい。
 愛の顔は笑っていたのだから・・。
「なるほどね。ただの演技か・・。」
 公人は、愛から視線を逸らすとそう呟く。
 公人の呟きに愛の身体が硬直し、笑みが崩れる。
「私、ウソなんかついてません!」
 演技ではない涙を流しながら公人に訴える愛。それでも、公人は静かに言い切った。
「いや、美樹原さんは多分嘘をついてるよ。・・・自分の心にさ。」
 公人の顔が少し赤いのは照れだろうか?やがて、公人は愛の方に手を伸ばす。無意識に首をすくめる愛の頭をゆっくりと撫でながら諭すように話しかける。
「美樹原さんは詩織の親友だろう?詩織は美樹原さんの知っているとおりの優しい子だよ。もう一度よく考えてごらん、詩織の性格を。」
 −なぜだろう?こうやって頭を撫でてもらっていると気分が落ちついてくる。−
 気分が落ち着いてくると見えなかったものがいろいろ見えてきた。公人の頭を撫でる仕草が詩織そっくりなこと、なぜかある程度公人が事情を察していること、そして・・・公人が詩織のことを好きなこと。
 愛の頬を涙が一滴光って落ちた。
 −そうか、詩織ちゃんは私を悲しませたくなくて気を遣ってくれてたんだ。−
 愛は公人から離れた。そして、おずおずと尋ねる。
「詩織ちゃん、私のこと許してくれるでしょうか?」
「その答えは、美樹原さんがよく知ってるんじゃないの?」
 にっこり笑った公人につられるように、愛はいつもどおりの少しはにかんだような笑顔で涙を拭いた。 
「さて、美樹原さん。詩織を探しに行こうか?」
 公人が伸ばした手を避けるようにして、顔を真っ赤に染める愛。
 いつも通りの愛であった。
 教室のドアを開けて、廊下に立っている女生徒に話しかける。
「感謝してます、如月さん。お礼に今度映画でもおごるよ。」
「藤崎さんに言いつけますよ。」
 ほっとした感じで笑う未緒。公人と愛の後ろ姿を見送りながら眼鏡の位置を調節する。
「もう助けはいりませんね。私はクラブにでも行きますか。」
 未緒はなんとなく温かい気分で図書館に向かって歩き出したが、しばらくして立ち止まりくるりと方向を変えた。
 
 迷うことなく歩き続ける公人に愛がおそるおそるといった感じで話しかける。
「あの・・高見さん?詩織ちゃんがどこにいるかわかってるんですか?」
「いや、全然。」
 そういいながら、公人はすたすたと校門の方へ歩を進める。 
公人は 心配そうな愛を振り返り、何でもないように説明する。
「ただの勘だよ。」
 近所の公園。
 詩織の後ろ姿を発見し、愛は少し複雑な表情で公人を見る。
 自分よりも親友のことを理解する者への軽い嫉妬。
 そんな愛の気持ちも知らずに詩織に近寄る公人。愛は公人の後ろに隠れるように歩く。
 詩織はうつむいていた顔も上げずに、近寄ってくる人影に話しかける。
「公人君でしょ。どうしてここが・・・?」
「長いつき合いだから・・・といいたいけど単なる帰り道。」
 なおも近寄ろうとする影に、詩織は拒絶の言葉を発した。
「公人君、それ以上こっちにこないで。」
 影の歩みが止まらない。
「別に詩織に話があるのは俺じゃないからかまわないさ。」
 顔を上げた詩織の目に映ったのはこぼれそうな涙を必死にこらえる愛の姿であった。
「詩織ちゃん・・。私、私ね・・・・」
 静かに2人から離れる公人。そのせいで、愛が詩織に何を言ったのか聞こえなかったが、ああやって2人抱き合っているのだから心配はないだろう。
「というわけだから、そっとしといてあげてよ。」
 木の陰から未緒とゆかりが顔を出す。2人とも照れたように笑っている。
 ため息をつく公人の方にとてとてと愛が走ってきて、手をつかんで詩織の方に引っ張っていく。
 何をするつもり?という風の公人と詩織。
「詩織ちゃん、高見さんが私に教えてくれたの。『自分の心に嘘をついちゃいけないって』、だから詩織ちゃんも自分に正直になってね。」
 そう言い残して、ゆかりと未緒の手をつかんで公園の出口に引っ張っていった。
 取り残された2人。
 気まずい沈黙を詩織が破った。
「公人君・・・。」
「な、なんだよ・・。」
「私の鞄は?」
「はあ?」
「は?じゃないわよ、どうして私の鞄持って帰ってきてくれないの!」
「そ、そんなもん長年連れ添った夫婦じゃあるまいしわかるわけねえだろ!」
「長年連れ添った幼なじみなんだからわかってくれてもいいじゃないの!」
 詩織はやってられないといった感じで歩き出す。
「また学校に行かなきゃなんないわ。誰かさんのおかげで・・・ついてこないでよ。」
「俺はクラブにでるため学校に戻るだけだよ勘違いするな!」
 遠ざかる2人の声。
 愛、未緒、ゆかりの3人は茂みから顔を出す。
 ゆかりがぽつりと呟く。
「2人とも正直じゃないですねえー。」
 その言葉に愛は静かに首を振った。
「それもあるかもしれないけれど・・・多分それだけじゃないよ。」
 遠ざかる詩織達の後ろ姿を、愛はほんの少し寂しそうにみつめた。
−私のことなんか気にしなくていいのに・・・−
 
 海底に降る雪のように静かに静かに、しかし確実に積み重ねてきた2人の歴史。
 言葉にしなくても解り合える。
 でも言葉にして、形にして初めて安心できる関係がある。
 だからこそ、2人の間には特別な儀式が必要だったのかもしれない・・・
 
 卒業式の朝。
 公人は郵便受けで自分宛の手紙を見つける。
 −ふん、あいつはこういうやつだよ。まあ、こっちから言おうとも思ってたけどな−
 無意識に公人の視線は隣の家の二階の部屋を見上げる。
「じゃあ、行って来ます。」
「公人。なんか落ちたわよ。」
 差出人の名前すらない白い封筒から白い便せんが一枚こぼれ落ちる。
 便せんには短くこう書かれていた。
 −伝説の樹の下で待ってます−
 
 
 

 ・・・さすがヒロインだけあって話のネタがふりやすいこと。(笑)というかどんなネタでもおっけーというか・・やっぱり小さい頃に2人で買った時計が再び時を刻み出すとか、(2人の時)子供の頃のプレゼントの中に手紙が入ってるとか書いてみたかったけど、とりあえず過去ネタはおいとこうかなと思いました・・。
 しかし、私の話の中では毎度毎度愛がひどい扱いを受けます。(笑)これじゃあただの嫌な人だよ・・・でも現実でもっとひどい人なんか一杯いるからまあいいか。

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