「麗、伊集院家の跡取りとして少し自覚にかけるのではないか?」
 意識的にかそれとも無意識に備わっているのかはわからないが、人を威圧し命令することに慣れた口調。
 実の娘に対してもその口調を改めることのない父に、麗は内心のいらだちを押さえうつむいて時間が過ぎるのを待つ。
 滅多に交わされることのない親子の会話はあくまで一方的であり、麗にとって苦痛だけを与えるものにすぎなかった。
「春休みが終わればおまえも高校生だ。例の件を忘れるな。」
「・・・はい。お父様。」
 頭を下げ退室する。 
 麗はため息を1つつき、肩の力を抜いた。世間一般でいわれる安らぎを与えあう親子関係ではないのだ。・・・まあ、時折ニュースで流れる荒んだ関係よりはましといえるだろう。
 ばかばかしいと思いながらも麗は親の言いつけに大まかは従って育ってきたのだから。おそらく高校に行くのにも男装して、言いつけに従わざるを得ない自分が少し悲しくもあった。
 自分の部屋のドアに手をかけたままの姿勢で、麗は抑揚のない口調で背後の人物に声をかける。
「・・・外井。私は服を着替えるのですが?」
「・・・・私は気にしませんが、・・・興味もありませんし。」
 表情も変えずに外井は答える。
「私が気にするのだけど?」
 麗の肩の辺りが微かに震えだしていた。外井はやっと意味が分かったのか重々しく頷くと頭を下げた。
「・・・失礼しました。ですが予定が詰まってますのでお早めにお願いします。」
「5分で充分よ。それでいいでしょ。」
 麗は音高くドアを閉めた。
 ・・・・十分後、外井は誰もいない麗の部屋で開け放たれた窓から入ってくる風にカーテンが揺れているのを発見することになる。
 
 −15の乙女のパワーを甘く見たわね。−
 その時点で既に麗は屋敷からの脱出に成功し、軽い足取りで街の中心部に向かって歩いていた。
「さて、今日はどこに行こうかしら?」
 別に行きたいところがあるから脱出するのではなく、屋敷にいたくないから脱出したのである。特に行き先があるわけでもない。
 腰に届きそうなさらさらのロングヘアーが、一歩足を進めるたびに麗の両肩をはいていく。
 麗自身あまり自覚がないのだが、かなり人目を引く容貌である。声をかけようにも相手側にそれなりの覚悟を必要とする気品がにじみ出ていたせいか、これまでのお忍びでは大した事はなかったのだが今回は違った。
 相手側に麗の本質を見抜く目がなかったのと恥知らずな性格をしていたのが麗にとって災いした。
 麗の目の前に柄の悪そうな少年が3人現れ声をかけてきた。
「お嬢さん、暇そうだね。俺達と一緒に遊ばないかい。」
 麗は冷めた目で男達を上から下まで観察し、鼻をならした。
「出直してらっしゃい。」
 当然のごとく火に油を注ぐ結果となり、麗は走り出した。
 
 公人は走っていた。詩織との待ち合わせ時間は既にぎりぎりである。この公園を抜けて角を曲がり長い直線道路を走り抜ければ待ち合わせの駅がある。
 公人の視線は自分腕時計に向けられていたせいで丁度角を曲がってきた少女に気が付くのが遅れてしまった。
 少女は尻餅をついたまま公人をじっと見つめると微かに頷いた。すっと立ち上がると公人の背後に回り、遅れてやってきた3人組に宣言する。
「さあ、やるならこの人が相手よ!」
「・・・・はい?」
 公人は少女に軽く背中を押されながら呟いた。
 
 20分後、公園のベンチの上に座って顔の傷口を麗に手当てして貰う公人の姿があった。
 近くの水道で公人の傷口を洗い、そこの薬局で薬を買った。麗は時折首を傾げながら公人の手当をしていく。
「まったく、情けないんだから。」
「相手は3人だったんだぞ!・・・しょうがないよ多少やられても。」
 公人の視線の先にはぼろぼろになって倒れている3人の姿があった。
「男だったら3人位ぱぱーんと無傷でやっつけるものじゃないの?」
「・・・・相手の3人の性別は関係ないの?」
 そう答える公人の口調はやけに抑揚がない。薬がしみるのを我慢しているせいかもしれないが・・。
「ふん、力ずくでか弱い乙女をどうこうしようなんてする生き物を私は男なんて認めないもの」
 ・・・・・ちなみに倒れた男達にどこからか拾ってきた棒きれでとどめをさしていったのは麗である。
「・・・と、これで終わり・・・だと思う。」
「なんか、非常に不安が残る言い方なんだけど・・・」
 麗のぎこちない手つきや、時折首を傾げ動きを止める治療の仕方に感じていた不安が公人の心に増幅された。やっと心が落ち着いてきたのだがそれにつれて自分がひどい目にあったという実感がじんわりとわいてくる。
「あ、そうだ。忘れてた。」
 麗は公人の正面に回り込みじっと公人の顔を見つめた。公人は公人でこの時になってやっと少女の顔をまじまじと見る機会に恵まれ、正直しばらく目を奪われた。
「助けてくれてありがとう。」
 麗はぺこりと頭を下げた。自分でも驚くぐらいに素直な気持ちで・・・。
「え?あ、よかったね無事で・・・。」
 公人の少々とんちんかんな受け答えに麗は口元をほころばせた。
 やはり自分の見る目は間違っていなかったという思いと、人の良さを感じさせる公人の受け答えに満足した思いがそうさせたのだが。
 
 2人はしばらく何を語るでもなくベンチの隣同士に腰をおろし、うららかな陽気に包まれた公園の景色を楽しんでいた。何気なく腕時計に目をやった公人は勢いよく立ち上がった。
「ああっ!しまった待ち合わせが!」
「え?」
 突然駅の方角に向かって走り出す公人の背後にぴったりとついて走る麗。なかなかの健脚である。
『私帰る。公人君のバーカ!・・・詩織』
 駅の伝言板の前でがっくりとうなだれる公人を慰めようと麗が声をかける。
「そう気落ちしないで。本当に好きだったら1時間位待つ筈よ。だから、元々縁が無かったと思って・・・」
 どちらかというと麗の行為は、慰めというより傷口に唐辛子をすり込むそれに近かったのだがあいにく麗に悪気はなかったし、公人もそれがわかったので何も言わなかった。
「え・・と、私のせいよね?・・・やっぱり。」
「・・・・・・いや、君のせいじゃないさ。・・・まあ、運が悪かったんだね。」
 麗は重苦しい雰囲気に耐えかねて、公人に謝ろうとしたのだが、公人は自分を責めようとしない。それでいて、これ以上落とすと後はもう脱臼するしかないというところまで肩を落とした公人の後ろ姿はなかなか哀愁が漂っていて麗の心を責めあげる。
 麗の手がゆっくりと公人の方に伸ばされていき、もう少しで背中に触れようとしたところで何かを躊躇したように引き戻される。
 麗は一度大きく深呼吸し胸を張った。そして公人の背中を軽く叩く。
「まあ、運が悪いなんて言わせないわよ。こんな可愛い女の子が一日つき合ってくれるんですもの。」
 怪訝そうな顔で振り返った公人の襟元をぎゅっと掴む。
「何?不服なの?それとも可愛いという形容に疑問でもあるとでもいうの?」
 公人は麗の瞳にのぞき込まれ慌てて首を振った。
「あ、可愛いと言うより綺麗だと思うけど・・・いや、そうじゃなくて君は他に用事があるんじゃないの?それに、お詫びとかなら無理しなくていいから。」
「私は暇で、あなたも暇。私は貴方なら今日一日つき合ってもいいと思ってる。・・・・これで、いいでしょ。何か問題があるならそれは貴方の問題。」
 麗は自分の恥ずかしさをごまかすように公人に対してたたみかける。公人はすっかり麗のペースにのせられてしまっていた。
 公人はゆっくりと空を見上げた。春にしては珍しく澄んだ空がどこまでも続いている。
「・・確かに。いい天気の日に家帰って枕を噛んで寝るのも嫌だな・・。わかった、遊ぼうか。・・・・・・ごめんそういえばまだ名前も聞いてなかったね。俺は高見公人。」
 麗は口元に笑みを浮かべて頷いた。
「私は伊・・・伊藤麗華。・・・・麗・・でいいわ、あんまり名字で呼ばれるの好きじゃないから。」
「じゃあ、俺も公人でいい。今日一日よろしく。」
 
「で、・・・詩織さん・・だったかしら、彼女とどこに行くつもりだったの?」
「映画に行くつもりだったんだけど、違うところにしよう。別に麗は詩織の代役じゃないからそうじゃないと失礼だろ。どこか行きたいところある?」
 公人は、きょろきょろと辺りを見渡しながら隣を歩く麗にそう答えた。麗は不思議そうに公人に視線を向ける。
「・・悪い気はしないけど、別に気をつかわなくてもいいのよ。・・・・そうね、最近ちょっとむしゃくしゃしてたからぱあっとストレスを発散するような場所がいいかな・・・できればだけど。」
「発散・・・・身体を動かしたりするのって好き?」
 公人は顎に手を当て、考えながら麗に視線をを向ける。
「運動は得意だけど・・今日は結構走ったりしたから。」
 麗の言葉に公人は自分の顔の傷に指をやった。
「それじゃあゲーセンでも行く?適度に身体も動かせるし・・。」
「ゲーセン?」
 麗は聞き慣れない言葉に目をぱちくりとさせる。公人はそんな麗の反応に彼女の育ちの良さを再確認する。
「・・・止めとこうか?」
「いいわ、行きましょ。・・・ただ、わかんないところは教えてね。」
 大丈夫かな?と思いつつ、公人は麗を連れて歩き出した。
 公人から見れば清潔で客層の良いゲーセンを選んだつもりなのだが、麗は騒音と中の様子に顔をしかめる。
「やっぱり止めとこうか?」
「・・・何事も経験だから・・・何かひとつはやってみるわ。」
 ・・・数分後、ガンシューティングに興じる麗の姿があったりする。
 
 雰囲気にも多少慣れたのか、休憩しながら麗は笑顔を見せている。
「・・・上手いね。初めてとは思えないよ。」
「銃は護身のため扱ったことがあるから、・・・照準のぶれさえのみこめればあのぐらいは大丈夫。」
 突っ込みどころ満載の麗の台詞を公人は敢えて聞き流す。突っ込んではいけないような気がしたからだが・・・。
 麗は珍しそうにきょろきょろと周りを見ていたのだが、あるものに目を留めて公人の服をちょいちょいと引っ張った。
「あの人・・・何をしてるの?」
「ああ、画面の指示にあわせて踊ってるんだ。」
「踊る?ダンスには見えませんけど・・。」
 公人は立ち上がって麗の手を引く。
「やってみる?前ほどの人気じゃないからそれほど待たなくてもいいし。」
 まず、公人がお手本を示してみる。最近やってなかったが、すぐにこつを思い出して傍らの麗に説明してやりながらプレイし続ける。ステップは全部記憶しているので画面を見る必要もない。
「じゃあ、次は麗の番だよ。」
 麗は髪が邪魔にならないように後ろできゅっと束ねてやる気満々であったが、いかんせん初めてではどうにもならない。ただ、リズム感は良いのかステップはともかくタイミングを外していないからすぐに上手になるだろうと公人は考えていた。
「お疲れ。」
「・・・・もう一回する。」
 どうも負けず嫌いらしい。再び硬貨を投入しようとする麗の手を公人が引っ張る。不思議そうに振り返る麗に公人は背後を指さしてやる。
「順番は守らないと。こういう場所にはそれなりのルールがある。」
 麗は素直に頷いて列の最後にまわった。
 
「今日はありがとう。おかげで楽しい一日だったわ。」
「それは良かった。俺も刺激的で楽しい一日だったよ。」
 ゲーセンの後はいろんな所を歩いてまわり、気が付くと辺りは暗くなってきていた。麗の表情がなにやら硬くなってきていたので公人の方からこれぐらいにしとこうと切り出したのだ。
「1人で大丈夫?」
 心配そうな公人に対して麗は笑った。
「子供じゃないわよ。・・・それに電車で来てるから。」
「そうか、でも気を付けてね。じゃあ機会があればまた。」
「ええ、貴方もね。じゃあ、またね。」
 ゆっくりと遠ざかる公人の背中に向けて、麗は手を振っていたがやがてゆっくりと手をおろした。麗の唇から自然に紡ぎ出される台詞。
「またね・・・か。」
 麗は次がないことを知っていた。自分の知る限りで、今日は麗にとって幸せと呼べる何かに最も近づいた一日であった。
 −私の連絡先を聞こうとしないのにまたねなんて・・・−
 聞かれたところで答えるわけにはいかない位の分別を持ち、これから先こんな機会がないことも理解した上であっても、やはり『またね』は麗にとって残酷に響いた。
 今日という日は麗にとって幸せな偶然であった。ただ、2人にとって必然の一日だったのかもしれない。後に麗はこの日のことをそう思うようになるが今はまだうつむくだけであった。
 背後に人の気配を感じて麗は顔を上げる。
「帰るぞ。外井、車をまわせ。」
 麗の少年のような口調に外井は静かに頭を下げた。
 車の中で麗は外井に対して口を開いた。
「なぜ、見逃してくれた?」
「麗様のあのような笑顔を見たのは初めてでしたから・・・。」
 麗は夕闇に包まれてゆく窓の外に視線を向け小さく呟いた。
「・・・・感謝する。」
 
 麗は女の子に囲まれるのが嫌で他人より遅れて教室のドアの前に立っていた。
 自分が女であることを知られないためには他人と親しくしてはいけないのだ。これまでそうしてきたように高圧的に振る舞えば少なくとも男子は寄ってこなくなる。
 麗はドアを開け教室の中を一瞥し、他人にはわからない位の僅かな時間動きを止めた。
 ある意味不幸な偶然ではあったが、麗にとっては充分すぎるほどの幸せな偶然がそこに存在していた。微かな逡巡の後、麗は自己紹介を始めた。・・・高圧的な自己紹介を。
 
「伊集院君と私ってこの学校に来るまでは初対面だったよね?」
 麗の目の前で詩織が首を傾げていた。
「詩織君、何故そんなことを聞くのかな?」
「私の勘違いかもしれないけど、なんか最初から私に対してきつい態度をとってた気がするんだけど・・・」
 麗は僅かな感情の揺らぎを制御して詩織に笑いかける。
「詩織君の気のせいだろう。僕は誰に対してもこうだよ。・・・こうでもしないと人が集まってきて仕方がないのでね。まあ詩織君程の女性なら囲まれてもかまわないが・・。」
 詩織は口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「じゃあ、公人君は?・・・・・・・ひょっとしてそういう趣味があるの?」
「高見君は鈍感でずうずうしいだけさ。まあ、1人ぐらいは気にならないしね。後、僕はノーマルだよ。」
 麗は会話をうち切るように詩織に背を向けて歩き出した。完全には納得していない詩織の視線を背中に感じながら・・・。
 後ろに気を取られていたためか麗は階段のところで誰かとぶつかった。
「きゃっ!」
「おっとごめん・・。なんだ伊集院か、女の子かと思ったぜ?」
「今度いい眼科医を紹介してあげよう。・・・気を付けたまえ。」
 公人の脇をすり抜けようとする麗を公人が呼び止める。
「どうした伊集院?電話だとおしゃべりなのに最近俺のことを避けてないか?」
「・・・・・高見君の気のせいだろう。失礼する。」
 直接会話をかわすだけで麗の心は動揺する。男を演じる事が難しくなるほどに・・。
 学校中の男子の中で、唯一自分に愛想を尽かさない存在。それは単に最もお人好しと言えるのかもしれない。
 廊下の角を曲がるときに麗は視線だけで公人の方を見た。
「・・・・・いや、ただの八方美人かも・・・。」
 麗は小さく呟くと、未緒と話し込んでいる公人から視線を背けた。
 
 麗は最近になってやっと自分が性別を偽って学校に通わねばならないのかを理解し始めていた。他人を寄せ付けない壁、威圧感と言い換えてもいい。それらを身につけさせるためなのだろうと麗は推測していた。自然と身に付いた仕草や口調に、時折自分自身をもはっとさせる冷たいもの感じさせるようになっていた。ただ、それでも・・・。
 麗直通の電話のベルの音。
 休日になると決まって鳴り出す音を心待ちにする心の動きに最初当惑し、今ではあきらめにも似た感情が麗の心にあった。
 最初は上手く話す事ができずに忙しいと理由を付けてすぐに切った。今では麗の方が話を引き延ばそうとくだらない話を続ける努力をしていた。
 それを望んでいたからこそ連絡先を教えたのではなかったか?
 心の中に巣くう孤独が彼を単なる好ましい存在からかけがえのない存在へと昇格させつつある事実を麗は認めざるを得なかった。そのことが一層麗の心を悩ませることになったのだが。
 いろんな思いが頭の中を駆けめぐったが、実際には麗の手がすばやく受話器を掴むまでの僅かな時間にすぎなかった。
「・・・・・なんだ、また君か。」
 いつも通りの会話。繰り返される嘘。そして、変わってゆく気持ち。変わらないのは彼の態度だけ。
 切れてしまった電話の受話器を握りしめ、ため息をつく。いつも通りの休日の始まり・・・そして休日の終わり。
 
 かしましい女子生徒の一群。
「ねえ、伊集院君見なかった?」
 公人は黙って階段の方を指さした。礼の1つもいわずに立ち去っていく女生徒を見送ってから公人は呟いた。
「・・・もういいぞ伊集院。」
「・・・・感謝する。」
 疲れ切った表情で背後の扉から麗が現れた。顔を上げた麗に向かって公人がぽんとジュースを投げてよこした。
「おごりだ、飲め。」
 麗は一瞬ためらったが素直に飲むことにした。
「・・・大変だなお前も。気の休まる時がないだろう?」
「・・・・そうでもないさ。」
 −例えばこの瞬間。−
「あんまりもてすぎるのも考え物か・・・。」
「・・・別に、彼女たちが追っかけているのは伊集院家だろうからな。」
 ずびしっ。
「な、何をするんだ?」
 公人に脳天チョップをくらわされ、麗は頭を抑えながら公人をきっと睨む。
「まあ、年齢不相応な経験をしてきたのはわかってるけどな。それでも、お前が伊集院家の跡取りってのは事実だろ。どんなに自分だけを見て欲しいと思っても、人はそういった事実を切り取っては存在できないんじゃないか?」
 公人の口から思いもかけずまともな台詞が出てきたので麗は半ば驚いていた。そんな麗をしりめに公人は淡々と言葉を続ける。
「だからお前は今の内に財産だけでもなくお前個人の魅力だけでもないお前の存在を丸ごと見てくれるやつを見分ける目を養わなければならんだろう?それが、そんなあきらめたような気持ちではとても無理じゃあないのかな?」
 麗はいつになく真剣な公人の視線から目を逸らした。
「お、大きなお世話だ!」
 公人は黙って頷いた。
「俺もそう思うよ・・。」
「・・・・前からひとつ聞きたいことがあったんだが、高見君は何故僕が誘拐されたとき駆けつけてくれたんだ?」
「さあ・・俺は考えるより先に行動する人間だから多分心配だったんじゃないのかな?別に特別な事じゃ無いと思うぞ。」
 公人は軽く右手をあげて麗に背を向けた。初めて出会ったときは麗の方が大きかった身長はいつの間にか公人に抜かれていた。その大きな背中を見送りながら麗は呟いた。
「特別なことじゃない、か・・・。」
 
「1つだけ聞くぞ、何故俺と伊集院なんだ?」
「僕が誰か1人の女の子と踊ったら不公平じゃないか・・。」
 体育祭のフォークダンス。運動神経のいい2人は華麗なステップをきざみながら休むことなく文句を言い合っている。
 公人自身も人気があるだけになかなか罪作りなカップリングであるといえよう。一部の女子の間では大うけしているみたいではあるが・・。詩織をはじめとした数人は思いっきり疑惑の目で2人を見つめていたりする。
「絶対あの2人あやしいって。」
「そうですかあー?ごく当たり前な組み合わせだと思いますけどー。」
 そんな声も2人の耳に飛び込んでくる。
「あんな事言われてるぞ・・・。しかも、なんか写真撮られまくってるぞおい!」
 少々狼狽したように公人が麗の耳元で囁くと黄色い声が一段と大きくなった。
「高見君。女性の手はもう少し優しく扱うものだぞ。キミの方が背が高いから男役を譲ってやったというのに・・。」
「わかったよ・・・。」
 公人は考えることを放棄してひたすら曲が終わるのを待ち続けた。
 グランドの片隅で膝を抱えて座る公人。
 フォークダンスが終わった瞬間に伊集院のファンからぼこぼこにされたうえ、知り合いの女の子からは白い目で見られたのだから無理もないことだが。
「やあ高見君。今日は楽しかったねえ。」
「うるせえ、ばかやろー。」
 麗は公人の罵声を背にうけながら舌を出した。
 
「高見君受け取りたまえ。」
 公人の目の前に差し出された小さな包み。丁寧にかわいらしくラッピングまで施されている。
「知り合いの女の子に頼まれたのでね・・。僕の顔を立ててくれないか?」
 麗の言葉を聞いて、公人は大きく息を吐いた。
「ま、そういうことなら・・。」
 公人は呟きながら麗の手から包みを受け取った。気のせいか麗の身体からも力が抜けたような雰囲気を感じた。
 毎年恒例となった校庭でのチョコ投げの風景を眺めながら公人が呟く。
「大変だな伊集院も・・。」
「直接渡そうとしないぐらいなら最初から渡さない方がましだろう・・。」
 厳しい言葉とは裏腹に麗の目には何故か自嘲的な色が見てとれた。
「・・・キミは変わらないな、あの日から少しも。」
 何気なく言葉を交わしてから麗は口をおさえた。麗のそんな態度を知ってか知らずか公人は無表情に呟いた。
「伊集院は高校を卒業したらどうするんだ?」
「・・・アメリカだよ。おそらく君と会うことは二度とあるまい・・。」
「またそういうことを・・・」
「いや、二度と会えないさ・・。」
 どこか遠くを見つめるような麗のまなざしに公人は口をつぐんだ。やがて、公人は大きく息をはきだしてこういった。
「まあ、気が向いたら顔を見せてくれ、お忍びでな・・・。」
 含むところのあるような公人の言葉に麗の身体が小さく揺れた。
「高見君・・・キミは・・?」
 訝しげに口を開いた麗に公人は背を向けて包みを持った右手を軽くあげた。
「じゃあ、伊藤さんによろしく・・。」
「!・・・・彼女も喜んでるだろう。」
 飾り物にすぎない言葉のすれ違いは互いの心にいいようのない喪失感を与え、二人してその喪失感を埋める術を持たなかった。
 
 いつからかはわからないが彼は知っていたのだ。考えてみれば初めて出会ったときとの違いは髪を縛っているかいないかだけである。それでごまかし続けるには彼はあまりに自分の近くに居すぎた・・。
 麗は今まで公人に対して接してきた態度を思い返して顔を染めた。同時に動機が激しくなった。
 自惚れが過ぎるかもしれないが彼は自分に対して好意を持っていたのではないか?という考えに至ったからである。それに対して自分は彼になんと言ったか・・。
『二度と会えない・・。』
 麗にしてみれば今まで騙し続けてたというのにおめおめと顔を出せるはずも無いと思っていたから口にしたのだが、公人はどう受け取ったのだろうか?
 彼の心を傷つけてしまったかもしれない。そう思った瞬間、麗は受話器をとり上げた。
「ああ、僕だ。今から言う少年のある記憶を抹消してもらいたい・・。」
 麗は用件を伝えるだけ伝えて受話器を叩きつけるようにして電話を切った。
 その夜、麗は膝を抱えたまま一睡もできなかった。
 
「・・・高見様からメッセージがございます。」
 恭しく外井が麗に対して頭を下げた。
「メッセージ?」
「必ず言付けてくれと頼まれましたので・・・。」
 顔を上げた外井の瞳に微かな非難の色を見てとって麗は目を背けた。
「・・・・彼はなんと?」
「記憶は消せても感情は消えない・・・と。」
「彼の言いそうなことだ・・。」
 麗はそう呟き肩をすくめた。と、何か言いたそうな外井に気が付いて緯線を向けた。
「それでよろしいのですか?」
「彼と僕は交わることのない道を歩んでいただけのことだ。・・・奇跡でもおこらない限り、いや奇跡だけでは足りないな。幸せな偶然も必要だろう・。」
「あのことは幸せな偶然だったのでは?」
 麗の顔に朱がのぼり、目元がつりあがる。
「お前にしてみれば私という恋敵が減って願ったりではないのか?」
「私は正直なところ高見様の曇った顔を見たくはありません。・・・どうです麗様、1つ高見様に機会を与えてみませんか?」
 外井の説明を聞き、麗が声を荒げた。
「馬鹿な、手術は成功したと聞いている。彼が覚えているはずはあるまい。」
「麗様の言う奇跡と幸せな偶然があればそうでもないでしょう。もし高見様が覚えていたら・・いや、みなまで言いますまい。それが麗様の願いでもあるでしょうから。」
 何か言い返そうとしたが、麗は口をつぐんだ。
 重苦しい沈黙を破って麗が口を開く。
「1つ聞かせて貰おう・・・何故だ?」
 外井は涼しげに笑った。
「自分の愛する人の望みを叶えてあげたいという気持ちがおわかりになられませんか?・・・見守るだけの愛もございます。」
 それに対して、麗は冷ややかな笑みをこぼした。多分に自嘲的な思いが込められていたであろうが・・・。
 
 ほんの一日。高校卒業を前にして家訓を破った自分。
 麗は外井に敢えてのせられたのだ・・。起こり得ない奇跡に胸を高鳴らす自分を冷ややかにみつめる自分。
 麗は鏡に映る自分の姿に目をやった。あれから3年が過ぎたのだ・・もはやあの頃の少女の面影は残っていない。
「もし奇跡に可能性があるのなら・・・これ以上は低くはなるまい・・。」
 麗は静かに笑い、唇に薄く紅をひいた。
 鏡の中の少女がどんな結末を望んでいるのか、その表情から読みとることは困難であった。
 −今日、私は夢見がちな自分に決別するためにここにいる・・。−
 伊集院家の跡取りとして現実だけを追求する自分が必要なのだ。これはそのために乗り越えなければいけない試練。麗はきゅっと唇を噛みしめた。
 
 現実は厳しい。
 こんなありふれた言葉を人は何度耳にし、また口にするのであろうか?
 現実は甘いわけでも厳しいわけでもない、ただそこにあるだけなのだ。それをどう感じるかは人の主観に過ぎない。
 麗の目の前に立つ少年の唇がその名前を呟いたことも現実。
 それを聞いて麗の瞳から止めどなくあふれる涙もまた現実。
 それを信じる心が僅かでも存在したから麗は伝説の樹の下で公人を待つことに同意し、公人は樹の下の麗の姿を目にしたことで記憶を戻した。
 ・・・それだけのことである。
「・・・伊藤さん。」
 麗は首を振った。言葉にならない思い。
「・・・ありがとう。」
 覚えていてくれたこと。
「・・・そして、ごめんなさい。」
 騙していたこと、記憶を奪おうとしたこと、あなたを信じていなかったこと。
「私、伊集院です。・・・伊集院麗・・・。」
 なにかが氷解したような公人の表情。
「・・・そうか、あの夜に。・・・ひどいことするなあ。」
 麗は顔をひきつらせて笑おうと努力した。公人に対してのすまないという感情すらも押し流すような喜びに支配され、それでいて止まらない涙。
「ずっと嘘をついていてごめんなさい。・・・でも、好きなんです。」
 やっとの思いで自分の想いを口にして公人をみつめる麗。沈黙を破るように公人の口元が微笑んだ。
「騙されてた記憶は無いよ・・。」
 麗の瞳に映るもの。
 最初に感じたとおりのお人好しの少年の姿。
 長い髪を踊らせて公人の胸に飛び込む麗の姿を見て、校舎の陰から1人の男が微笑んで立ち去っていった。
 2人の前途は決して明るいものではないが、今日という日が2人の記憶にある限り歩んでいける。そんな思いを抱かせるかのように温かな春の陽差しが彼ら2人を祝福するように照らしていた。
 
 
 

 うっきゃー失敗いぃぃー、思ってたラストと全然違う。私はあのラストが書きたくてこの話を書き始めたのに本末転倒。何処で狂ったんや?
 まあ、いいや(笑)これもまた現実やし。
 しかし、強烈にねじ曲げたお話ですな。まあ、隠しキャラやし・・でも心のNO・2。粗末には扱えません。やっぱり主人公の目の前で強風にあおられ束ねていた髪がぱっと広がるとか、しばらく電話しなかったら向こうからかけてくるとか、女の子との会話にわり込んでくるとかのイベントが欲しかったなあ、はっはっはっ。
 お嬢様キャラで記憶に残ってるというと、禅仰寺沙織(卒業写真2)とか新藤麗子(下級生)とか・・・結構いますなあ(笑)というと私の好みからして、眼鏡で病弱で影があってお嬢様でボーイッシュだったら完璧な・・・・分裂症だな。(笑)
 うん、多分シチュエーションの問題でしょうけど・・。
 個人的にこの手のゲームのシナリオで大切なのは『主人公がそのキャラにとって特別であることをいかに演出するか?』だと思ってますんで・・・。
 わかりやすくいうと、誰に対しても無愛想なキャラが自分にだけは話しかけてくるなんていうとこから、主人公だけに自分の秘密を打ち明ける等・・・。それらをキャラの性格ごとに手を変え品を変え、おおっぴらにわかりやすい特別さや本当に微かな、ふとした瞬間にぽろっとこぼれてしまうような特別さを演出するわけです。(笑)
 つまり、キャラが立つイコール演出方針が固まることと思ってます。
 ・・・・何の話でしたっけ?
 脱線しまくりましたがそういうことで笑点お開きにしたいと思います。
 

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