未緒にとって高校生活最後の日曜日は、微妙にいい天気だった。
 喫茶店の窓から見上げる空は、雲こそ多いものの明るく、街をゆく人々が吹き抜ける風に事をかき寄せることもない。
 春を待つ、穏やかな冬の日。
「……ところで高見さん」
「ん?」
 ストローをくわえたまま公人は未緒の方を振り向く。
「えっと……あの」
「…??」
「高見さんって……藤崎さんの後を追いかけてきらめき高校に来たんですよね?」
「ごふっ!」
 グレープフルーツジュースをまき散らしつつ、公人は咳きこんでしばらくのたうち回った。
「た、高見さん…?」
「……な、何故それを…?」
「いや、同学年ならみんな知ってると思いますが……って、大丈夫ですか?」
 何やら精神的ダメージが大きかったのか、公人はテーブルの上に突っ伏したまま動かない。
「……あの、1年生の時からみんなが言ってましたから3年生も終わりに近づいた今さら恥ずかしがる必要は…」
「如月さん……青菜に塩って言葉知ってる?」
「今の高見さんの状態を表すのには適当とは思いますが、多分傷口に塩の言い間違いではないでしょうか?」
「しくしく…」
「お客様、テーブルお拭きいたしまーす!」
 ウエイトレスがきびきびとした動作でテーブルの上を拭き始めたので、公人としても立ち直らざるを得ない。
「……世間って冷たいなあ」
「冬ですから」
「……今日の如月さんはいつになく冷たい気がする」
「芝居がかった仕草で涙を流すのはやめてください」
「……だって、演劇部だし」
「ですからっ」
 テーブルを叩くという荒々しい仕草を未緒が見せたことにびっくりしたのか、公人はちょいと腰を引き気味にして未緒の顔を見た。
「……何?」
「高見さん……お芝居とかすごく上手だから……だから、私……良くわからなくなって……」
「……」
「あ、すいません……私ったら、いきなり何言ってるんでしょうね…」
 口の中でもごもごと呟き、未緒は再び物静かないつもの雰囲気を取り戻す。
「……やっぱり、受験の結果とか心配?」
 自分を気遣うような口調に気付いて、未緒は微妙な表情を浮かべると、見ようによっては頷いたと見えるように俯いた。
「私、受験生である前におん……高校生ですから」
 未緒は瞬間的に女の子と言いかけたのだが、あまりに露骨すぎる表現と思って高校生と言い変えた。
「うん……なんとか、まだ高校生だね」
 まだの部分を強調した台詞。
 過ぎ去りし日を振り返ると時の流れは速すぎるのに、これからの未来に目を向けると未緒は圧迫感を感じてしまう。
 顔を上げると、どこか少年から脱皮しつつあるような公人の横顔が目に映る。
「今さらですけど……高見さんは何故演劇部に?」
 未緒は公人の視線から顔を隠すようにして眼鏡を外し、白いハンカチでレンズを拭いてから公人に向き直った。
「正直なところ、演劇に興味があったとは思えなかったですから」
「うん……そだね」
 カラカラッっと、公人がストローで掻き回した氷がグラスに当たって乾いた音を響かせた。
「演技を……感情をコントロールする事を覚えたかった」
「……その口振りからすると、目的が果たせなかったようですけど」
「……ははっ」
 公人が唐突にあげた笑い声に、未緒はちょっとどきっとする。
「な、何ですか?」
「ううん、なんだか今日の如月さんはやっぱりいつもとちょっと違うと思って。いつもなら黙って聞いているところで口を挟んでくる」
「あ、えと…その…」
「いや、そういう時ってあるよね。自分が自分じゃなくなる時っていうか……思ってもいない言葉を口にしてしまって人を傷つけたりとか」
 未緒の心に何かが微かに触れた。
「……藤崎さん、ですか?」
「あはは…正解」
 公人はちょっと俯き、そして再びグラスを鳴らした。
「そうですか…」
 微かに落胆が滲み出てしまったが、未緒はそれを隠すつもりにもなれなかった。その代わり、どこか怒りにも似た感情が心を埋め尽くしていく。
「……私、高見さんが藤崎さんを追いかけてここに来たって噂を聞いて、すごいなあって思ってました」
「どうして?」
 口元を固く結び、視線は窓の外へ。
「私なら、そんなに頑張れませんから…」
「え、頑張るって…?」
 未緒は指先で眼鏡のフレームを触り、ぎこちない笑みを浮かべながら公人を見た。
「でも……でも、女の子として言わせて貰えばちょっと浮気性かなって気がしますけど」
「……?」
「好きな人がいるなら、やっぱり他の女の子と出かけたりするのは良くないんじゃないかって思いますから…」
 未緒は軽く頭を下げ、公人が止める間もなく喫茶店から出ていった。
 
「……ちょっとばかり誤解があるような気がするんだけど」
「そうですね……今のこの体勢、すごく誤解されそうな体勢なんでしょうね」
 先ほど飛び出した喫茶店から50メートルと離れていない公園のベンチで、未緒は額に濡れタオルをのせたまま公人の膝枕で横たわっていた。
「いや、だか…」
「高見さんに膝枕して貰ったの2回目です…」
「そうだっけ?」
「あの時は……身体が弱いのも悪くないって思いました」
「……」
「今は……」
 今の複雑な自分の感情を表現する自信も、またそれを口にして良いかの判断も付かなかったので未緒はちょっと口をつぐんだ。
 喫茶店を出て、ちょっと走っただけで貧血を起こした自分。
「格好悪いです、私……」
 ふっと、白い物体が未緒の視界を横切った。
「おや…」
 公人が空を見上げ、未緒の視線もそれを追った。
 空に雲は多くなく、気温もそう低いとは思えないのに……どこからともなく風にながされて雪が舞う。
「……天気雪?」
「この冬最後の……雪でしょうか」
「えっと、寒くない?」
「この状況で寒さなんて感じません…」
「そっか……貧血って良くわからないから、ゴメン」
 公人に触れている部分から全身へと駆けめぐる熱量に気付くことなく、身体にかけられるコート。
 気持ちを正確に伝えるには、自分の言葉はあまりに不器用だった。
 おそらくは、この胸の高鳴りも伝わることはないのだろう。
 眼鏡のレンズに雪が一粒……ゆっくりと溶けて流れたのを見て、まるで自分が泣いているみたいだと未緒は思った。
「……如月さんは、伝説の樹って知ってる?」
「……はい」
 どこの高校にでもある……いわゆる縁結びの伝説。
「永遠……って、あるのかな?」
「……」
「昔、好きな女の子がいて……それはずっと変わらないと思ってた」
「高見……さん?」
 ちょっと悲しげな、自分自身を笑っているような寂しい表情を浮かべ、公人は空を……いや、雪を見ているのか。
「そういう人間がね、また誰かを好きになって……どうなるんだろうね?」
 少年の素顔を久しぶりに見たような気がした。
「命に永遠なんて無いでしょうけど……」
「……」
「だからこそ、1人の人間にとって、きっと永遠と呼べる何かはあると思います……」
「……哲学だねえ」
 気がつくと、雪は止んでいた……
 
「家まで送らなくて大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「うん……」
 ちょっと言葉を探すように俯いた公人に向かって、未緒は手袋を外した手をそっと差し出した。
「え…?」
「あの……帰り道、手をつないでもらえますか?」
「え…あ…うん…」
 おずおずと、壊れ物を扱うかのように公人の手が未緒の指先を掴んだ。
「……」
「……」
 指先を通じて、跳ねるような鼓動のリズムが伝わってしまうかも知れない。そんな不安を、相手の指先から伝わる跳ねるような鼓動のリズムが溶かしていく。
「高見さん」
「な、何?」
 相手の鼓動の乱れが、文字通り手に取るようにわかった。
「……今日はやめときます」
 そう呟きながら、未緒はきゅっと指先に力を込めた……
 
 
                    完
 
 
 ……なんか、微妙に如月さんのキャラじゃないような気がする。(笑)
 今プレイしている、某ゲームの影響だと思ったり思わなかったり。

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