「……さん、如月さん」
「……ん?」
 自分を呼ぶ声に、未緒は目を覚ました。
 ぼんやりした視界の中に、ぼんやりとした人の顔らしきモノが、絵画におけるシュールリアリズムを彷彿とさせる。
 ついいつもの感覚で枕元の眼鏡を探る……が、指先は空を掴んだ。
「あ……そうか、保健室」
 すこし、意識がはっきりしてきたようだった。
「おはよう……と言っても、もうすぐ夜だけど」
 眼鏡をかけ、自分の顔を覗き込んでいる愛に向かって微妙な微笑みを返す。
「美樹原さんも……?」
「え……あ、うん、今さっき目が覚めたところなの」
 愛もまた微妙な笑みを浮かべた。
「美樹原さん、前にも言いましたが養命酒に頼るのは…」
「だ、だって……動悸息切れが激しくなって」
 真っ赤な顔を手のひらで押さえ、愛はイヤイヤをする。
 愛曰く、養命酒を一口飲むと陽気な気分になってイイカンジ(笑)になれるのだとか。ただ、愛はアルコールに対して極度に弱いためその後の記憶がほとんどなくなるのが欠点らしい。
「それは多分、養命酒の効果じゃなくて……」
「ううん、養命酒は正露丸と同じぐらい万能なの……これさえあれば、如月さんの眩暈もばっちり回復」
「あ、私は身体が弱いだけですから…」
「大丈夫。ほら、ここのラベルに虚弱にも効果ありって…」
 などと鞄から取りだした養命酒のラベルを未緒に示す姿は、まるでセールスのよう。
「美樹原さん…」
 何かを言いかけた未緒を手で制すると、愛は未緒の視線を避けるように窓の外に視線を向けた。その横顔には、どことなく寂しげな雰囲気が漂っている。
「如月さんは私と違って強いから……」
「……」
「詩織ちゃんにも言われたから……何かに頼ってばかりじゃいけないって、自分の力で何とかすることを覚えなさいって」
「そうですか…」
 小さなため息をつき、未緒もまた窓の外に視線を向けた。
 夕焼けの赤はとうに消え、西の空には見る者の魂を吸い込んでしまいそうな濃い藍色が広がっている。
「もう、2月ですからね…」
 卒業まで後1ヶ月をきった……受験や就職の話題が先行してついつい忘れがちではあるが、その事実はもう曲げようがない。
「強く……なれるのかな?」
「そう願えば、多分……」
 未緒は愛の肩から力を抜けるのを感じた。
「…?」
「そう思いこめる人はきっと強いんだよ。詩織ちゃんも、如月さんも……そしてあの人も」
 どこか吹っ切れたような表情でそう呟き、愛は目を閉じた。
「一度逃げることを覚えちゃったら……多分、強くはなれないね」
「……」
 かける言葉が見つからないというより言葉をかけるべきではないと判断したのか、未緒はただ黙って夕暮れの青がその深みを増しながら夜に近づいているのを見つめ続けていた。
「あのね、如月さん……」
 愛の口調にどこか切迫した何かを感じ取り、未緒はゆっくりとそちらを振り返った。
「思いが……あの人に対する思いが足りなかったなんて思って欲しくないな」
 瞬きを忘れたようにぱっちりと開かれた瞳から、一筋、二筋と、涙が頬を伝う。
「あきらめたんじゃなくて……私が…弱かっただけ…だから」
「思いませんよ…」
 未緒は、微かに震える左手を愛の目の前に差し出す。
「…?」
「卒業式の後……それを考えるだけで震えが止まらなくなるんです」
 愛は未緒の顔をじっと見つめ、そしてほんの少しだけ笑った。
「そっか、決めたんだね……」
「ええ……」
 未緒はぎこちなく笑い、再び窓の外に視線を向けた。
「本当に強いなら、伝説なんてものに頼らなくてもいいはずなんです。本当に強いなら……多分、卒業式までそれを言わないなんて」
「断られても卒業だし…」
「そういう事は思っても口に出さないものですよ、美樹原さん」
「ん、強い人にはちょっと悪戯したくなるの……」
 大きくのびをする愛の表情は、やはり何かから解放されたような奇妙な明るさに溢れている。
「でも、うまくいくといいね」
「藤崎さんにも同じ事言ってません?」
「正直、どっちでもいいから……あの人の隣にいるのが詩織ちゃんだろうが如月さんだろうが……あの人が笑ってればそれで」
「もうすぐバレンタインなのに……」
「あ、うん……それは渡すつもり」
 愛は一旦言葉を切り、そして言葉を続けた。
「区切りをつけるための儀式…かな?」
 引きずっていた重い荷物から解放されたような晴れやかな表情。
「その様子だと、今年はちゃんと渡せそうですね」
「うん、哀しいけどそうみたい…」
 愛は鞄を持ち、未緒に向かって手を振った。
「じゃあ如月さん、先に帰るね…」
「はい、気をつけて…」
 保健室のドアに手をかけた姿勢で立ち止まると、愛はくるりと振り向いた。
「言い忘れてたけど、誕生日おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「それと、そこの机の上にプレゼントがあるから忘れないで」
「え、あ、そんな…」
 愛はにこりと笑い、手を振った。
「贈り主は私じゃないから……」
「はい?」
 きょとんとした表情を浮かべる未緒には構わず、愛はさばさばとした表情を浮かべたまま保健室から出ていった……
 
 
                       完
 
 
 これ書きながらふと思ったんですが、もう5年ぐらいときメモ(初代)をプレイしていないのかなあと。(笑)
 どうも高任の場合、愛情過多になると物語がしっちゃかめっちゃかになる(笑)傾向があるんで、できるだけさり気なく仕上げたつもりです。
 いや、養命酒を一気のみして酔っぱらった美樹原さんが繰り出す凶器攻撃から主人公を守るために如月さんが身を挺して……なんつーお話を遠い昔に描いた覚えはありますが、別に美樹原さんに対して悪意があるわけではないと明言しておきます。(笑)

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