インフルエンザが流行っているせいか、それとも毎日のように全国のどこかで入試試験が行われているせいなのか、2月に入ってからというもの、3年生の教室には全員が揃うことが滅多になくなった。
「如月さんに虹野さん、おはよう」
 いつもよりゆっくり登校してきた詩織の声に、沙希と未緒は予想が外れたような面もちで振り向いた。
「おはよう、藤崎さん」
「おはようございます、詩織さん……昨日は受験ですか?」
「まあね…」
 詩織は少しくたびれたとばかりに、緩慢な動作で荷物を置く。
「ま、あの出来なら何とかなるんじゃないかしら……と言っても、倍率が20倍を越えるとそんなの気休めにもならないけど……」
 困ったように肩をすくめ、詩織は2日ぶりに自分の席に腰を下ろす。
「やっぱり座り慣れた椅子が一番よね……」
「くすくす……やっぱり家が一番って感じですか?」
 そんな詩織の様子に、沙希は呆れたような顔で呟く。
「もうすぐ卒業なんだけど……」
「虹野さんだって、この前そう言ってたじゃない」
「あ、それとこれとは別なの」
 詩織は机に突っ伏した姿勢のまま、視線を沙希から未緒へと移した。
「……そう言えば、如月さんは?」
「私は……私立の受験はしないんです」
「え、未緒ちゃんすべり止めもなし?」
 未緒は少しだけ恥ずかしそうに微笑み、小さく頷いた。
「私、行きたい大学が決まってるからそれ以外はちょっと……でも、自信があるってわけじゃあ……」
「ふうん……公人君と同じとこ?」
「ち、違います!わ、私は……でも、大学じゃなくて、その大学にある文芸サークル目当てだから動機としては似たようなものかも知れませんけど……」
 ぱたぱたと詩織達に向かって走ってくる足音。
「詩織ちゃーん、試験失敗しちゃったぁ!詩織ちゃんだけが合格しても入学手続きしないでね、お願いだから……」
 周囲の目も気にせずにまとわりつく愛の頭を撫でてやりながら、詩織はもう片方の手で未緒の額をつついた。
「まあ、こんなメグみたいなのもいるからいいんじゃない?」
「どのみち、高見さんの偏差値と私の偏差値は大分違いますし……」
「……えーと、公人君の志望大学知ってる?」
「い、いいえっ、知りませんけど?」
 詩織は大きくため息をつき、ぱんぱんと二度柏手を打って恥ずかしそうに顔を紅潮させている未緒に頭を下げた。
「な、何なんですか?」
「多分間違いないと思うけど、ごちそうさま…」
「え?」
「如月大明神様、よろしくお願いします…」
 と、これは沙希の声。
「え、えっ?」
「良くわからないけど、未緒ちゃんお願いします…」
 と、詩織のしたように頭を下げる愛。
 何かの冗談のように鐘の音まで聞こえてくるような気がした。
「み、みなさん一体何なんですか!」
 未緒には珍しく声が大きい。
 そんな未緒を遠い目で見つめながら、詩織がやけに平板な口調で呟く。
「公人君って前科持ちだし……」
「追いかけるよりも追わせてこそ女の道よね……ねえ、藤崎さん?」
「何か言いたそうね、誰かさんに追いかけられたことのない虹野さん?」
 ジト目でお互いに牽制しあう詩織と沙希。
 愛はそんな詩織を優しく抱きしめて囁いた。
「乗り換えられちゃったのよね、詩織ちゃんは……」
「あ、う……」
 引きつった表情を浮かべて身体を硬直させた詩織を見て、沙希は眉をヒクヒクさせながら呟いた。
「み、美樹原さん……可愛い顔して結構容赦ないわね」
「そりゃあ……高見さんを紹介しておいて、後足で砂をかけるようなコトするから。だから同じ大学に行って、4年かけて復讐するの…」
「ちょっと、メグ?」
「あはは、冗談だよ詩織ちゃん…」
 そんな2人から距離をとり、沙希と未緒は顔を寄せ合ってぼそぼそと話す。
「美樹原さん、目が真剣でした…」
「何をするつもりなのかしら…?」
「あはは、やだなあ2人とも。冗談だって言ってるのに……ねえ、詩織ちゃん」
 愛はぎゅっと詩織を抱きしめて、必要以上にフレンドリーな演出を示すのだ。そして詩織はと言えば、何か後ろめたい感情に支配されているのかされるがままになっている。
「でも……みなさんとこうしていられるのも後僅かなんですね」
 未緒は何かを懐かしむような寂しげな微笑を浮かべて窓の外の景色に目をやった。中学を卒業するときに同じような景色を目にしたことがあるが、やはり一度や二度ではその寂しさと切なさの入り混じった感情には慣れそうもない。
「未緒ちゃん、卒業したからといって……」
 何か言いたげな沙希の言葉を遮るようにして首を振る未緒。
「そうじゃないんです……ただ、同じ学校に通ってこうして同じ景色を眺めることができなくなるなあと思いまして…」
 そんな未緒に対して、何故か乾いた笑い声を上げる沙希と詩織。
「同じ景色ばっかりじゃあつまらないじゃない?」
 何を言ってるかな?とばかりに未緒の頭をぺちぺちと叩きながら夕子が割り込んできた。
「あ、おはようございます、夕子さん」
「……あんまり、おはようってわけでもないんだけど…」
 夕子は呆れたような表情を浮かべて自分の頬のあたりを指先でひっかいた。そうして黒板の方をゆっくりと指さす。
「とりあえず、朝のHR始まってるんだけど気が付いてる?」
 今日もどこかの大学の入試が行われているのか、いつにもまして出席率が悪かったのでうっかりしていたようである。
「うっ……」
 愛は慌てて自分の教室に、未緒を含めた3人は担任である老教師の方に背筋を伸ばして振り向くのであった。
 
 この時期の3年生には授業はなくそのほとんどが自習である。
「……だったら、いっそのこと他の公立校みたいにお休みにすればいいのにね」
 既に専門学校への進路を決定している夕子はつまらなさそうに天井を見上げた。嫌ならさぼればいいのに……と言いたそうな詩織の視線に気付き、夕子は唇をとがらして抗議する。
「休んでもいいという雰囲気だと、気が向かないの!」
「複雑な精神構造ね……」
「夕子さん、本当にそれだけですか?」
「うっ…」
 含み笑いを浮かべたような未緒にじっと見つめられ、夕子の態度が少しずつ落ち着かないものへと変化していく。
「そうよね、朝日奈さんって本当は学校好きだもんね、卒業が近いから寂しいんでしょ…?」
 からかうような沙希の言葉に、夕子はぷいっとそっぽを向いた。そんな夕子を見ながら、未緒は詩織と沙希に視線を向けて聞こえよがしに囁く。
「くすくす…卒業式で夕子さんが泣くと思う人手を挙げて…」
「もうっ、未緒ちゃんたら意地悪なんだから」
 夕子は困ったように椅子の背中を抱きかかえ、顔を隠しながら悔しそうに呟いた。
「もう、3人とも同じ大学に行くからって……」
「え?」
 夕子の言葉に、沙希と詩織の表情が凍り付く。それとは正反対に、夕子は得意そうな表情を浮かべて小さく笑う。
「頑張ってね、お2人さん」
 夕子はそう言い残して教室から出ていった。
 自習とはいえ、実に堂々としたエスケープである。さっき自分で言った台詞はこれっぽっちも記憶にないらしい。
「んー、偶然って恐いわね…」
「まあ……受験に失敗しなければだけど」
 何やら納得したようにしきりと頷きあう沙希と詩織だったが、はっきり言って未緒には全然事情が飲み込めていない。
「あの……?」
「未緒ちゃん、受験頑張ろうね!」
「え?」
「虹野さんは頑張らなくてもいいけど、如月さんは頑張るのよ!」
 右手と左手をそれぞれ沙希と詩織に取られてぎゅっと握られるにあたって、さすがの未緒も事情が飲み込めてきた。
「……あの、私、本当に高見さんの志望校は知らないんですけど?」
「何言ってるの未緒ちゃん、私は未緒ちゃんと離れたくなくて…」
「そうよ如月さん、私は純粋に自分の志望と照らし合わせてあの大学を受験するだけなんだから」
 そんな3人の姿を眺めながら、ゆかりは羨ましそうに呟いた。
「いいですねえ……友情って」
 
 
                   完
 
 
 と言うわけで、個人的に一年で最もめでたいのは10月1日の『眼鏡の日』ですが、このサークルが結成された理由を考えれば、2月3日の如月嬢の誕生日が一番の記念日ではないかと。(笑)
 それはともかく、なんか小話みたいになっててオチがついてませんけど。(笑)
 卒業までを念頭に置けばもっと長く書くこともできるんですが、高任の好きな言葉『祝辞は短いから祝辞で、弔辞は長いから弔辞なのだ』に従うことにしました。

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