薄くもやのかかったような空気。
 やっと確認できるほどの桜の小さなつぼみ。
 吹く風はまだ肌寒いものの、やわらかな陽差しはゆるやかな春の訪れを示していた。
 体育館に響く『仰げば尊し』の歌声。卒業証書の授与。総代は詩織が務めた・・。
 『蛍の光』。卒業生を送る拍手の渦。半分程はなげやりな拍手。残りの半分は拍手する手間さえ惜しんでいる。
「卒業しても連絡くれよな!」
「さあ、打ち上げ打ち上げ!」
 卒業式特有の決まりきった会話があちこちでかわされる。普段米粒ほどの愛着もよせなかった教室や校舎から離れ難いのかぐずぐずと居残っている連中もいれば、さっさと帰っていく連中もいる。
「公人。俺、今から打ち上げに行くんだけどお前も来るか?」
 肩越しにかけられた好雄の言葉に反射的に頷きかけたが、俺はゆっくりと首を振った。
「いや、やめとくわ。気分じゃない・・。」
「そうか・・まあ気が向いたら寄ってくれ。駅前の『檜』でやってるから。」
 軽く右手をあげて走り去っていく好雄の足音が遠ざかっていく。雲雀の鳴き声を耳にしたような気がした。
 俺は教室の中に誰もいなくなったことを確かめ、ゆっくりと机の中をのぞき込んだ。
「さて、帰るか・・。」
 ため息と共に自分に言い聞かせるように呟いた。
 
 校門のところで立ち止まり、校舎の方を振り返った。
 3年前、希望に胸を膨らませて見上げた校舎。色あせた記憶。不思議なことに記憶の中の校舎よりも今こうやって見ている校舎の方がくすんで見えた。
 時間にしてほんの数秒。俺は踵を返して家路を歩み始めた。
 その時その時の気持ちはともかく、今思い返すとあまり盛り上がりのない高校生活を送ったように思う。それなりの高校生活。その最後の日ぐらい何かイベントがあってもいいだろうなんて考えながら機械的に足を動かす。
 何事もなく家についてしまった。
「まあ、こんなもんか・・。」
 卒業証書と花束を無造作に机の上に放りだし、ベッドの上に横たわった。
 特にやることもなく、ぼんやりしたまま怠惰な時間を過ごす。やがてぼんやりするのにも飽きて何か暇をつぶすためのものを求めて本棚へと足を運ぶ。目についたのは一本のビデオテープ。おとといクラブの女の子から貰ったテープだ。以前見たい映画の話をしていたのを覚えていてくれたらしくダビングしてくれたのを渡してくれたのだ。
 簡単にはがせるラベルの上に鉛筆書きでタイトルを書いてくれている。自分の好きなようにラベル整理の余地を残してくれているところが彼女の良く気が付く性格を表しているように思えた。
「如月さんらしいや・・。」
 如月美緒・・・同じ演劇部のメンバー。おそらく自分と一番親しい女の子だったと思う。休みの度に一緒に遊びに行ったりして友人にはつき合っているものと思われていたぐらいだ。
 ・・でも単なる友達だったらしい。
「ちょっと期待してたんだけど・・。」
 左手で眼鏡の位置を調節しながら少しはにかむような笑顔。あれは優しい彼女が誰にでも向ける笑顔だったのだろう・・。ただ、彼女の言葉を待ち続けた自分にも問題があったのかもしれない。自分から告白する勇気が無かったのだ。
 ビデオテープを片手に持ったまま再びベッドに横になった。こんなことなら好雄の誘いにのって仲間とわいわい騒いでいた方がましだったかもしれない。横目でちらりと時計を確認してみたら3時過ぎ。下手をするともう二次会に移動している可能性がある。あきらめた方が賢明だろう・・。
 俺はせっかくだから如月さんに貰ったビデオを見ることにした。
 昔の・・いわゆる名作『ラスト・レター』。カラーよりもモノトーンの似合う、現代では色あせてしまった夢を求めるストーリー。それでいて現代に生き残った作品。いや、色あせてしまったから生き残っているのかもしれない。
 
 雨?
 いつの間にか寝てしまっていたらしい。部屋の中はテレビのブラウン管の光に照らされて薄暗く、窓の外はもう真っ暗だった。どうやらテレビのノイズ音を雨の音と聞き間違えたようだ。電気のスイッチを付けて時計を見てみると10時過ぎである。
 高校生活最後の日の情けなさに俺は思わずため息をついた。
 やけに耳につくノイズ音を切ろうとして床の上のリモコンを拾い上げた。そして電源ボタンに指先が触れる直前、画面が切り替わった。
 よく見てみるとビデオテープがまだ回り続けていたらしい。3倍で6時間だからちょうど終わる直前の映像と言うことになる。
 画面に現れた少女は俺の良く知っている女の子。恥ずかしげに俯いたまま、やがて話し始める。
『この映像が高見さんの目にとまることはまず無いと思います。・・私は最後まで勇気がでませんでした。こんな偶然に頼る方法しか思いつかなかった・・。馬鹿みたいですよね私って。・・でも、馬鹿でいいです。・・卒業式の日、伝説の樹の下で待ってます。もし偶然が重なって貴方が来てくれたなら、私は勇気が出せそうな気がします。』
 時間にして約2分。再びテレビからノイズ音が流れだし、俺は家を飛び出した。
 
 吐く息が白い。制服だけでは夜の寒気を防ぎきることができずに未緒は両腕で自分の身体を抱いている。
 背後で枯れ葉のこすれ合う音がして未緒は振り向く。そして再び白い息を吐き出した。
 何度も騙されたのに、その度期待しながら振り向いてしまう。未緒の口元に自然と自嘲的な笑みが浮かんだ。
 あんな回りくどいことをしなくても今日手紙を渡せば、直接言葉で伝えれば良かったのに、などといろんな思いが未緒の頭の中を駆けめぐっていた。別に勇気が出せなかったのは今回に限ったことではない。ほんのひとかけらの勇気。それが無いばかりに今までどれだけのものを失ってきただろう・・。
 本当は、今日そんな自分から卒業したかったのだ。
 夜の風に吹かれて冷たくなった未緒の頬を温かいものが一筋滑り落ちていく。
 待っているだけの自分から卒業したかったのに、こうして自分は今もただ待っているだけ。・・・そしてまた、自分は失うのかもしれない。
 何度もあきらめて帰ろうと思い、それすらもできない自分。僅かな可能性にすがりつくようにしてこの樹の下に立ちつくすだけ。
 未緒は月明かりで時間を確認した。
 どのみち今さらできることはない。ただ信じて待つことの他には・・。
 
 一刻も早くとは思ったが一度家に帰ることにした。
 俺は馬鹿かもしれない。でも、彼女は・・いや彼女ならずっと待ち続けているに違いない。それなら俺はそれにふさわしい服装で彼女の前に現れなければいけないような気がした。・・ただそれだけのことだ。
 時間を確認する。・・・このペースで行けばぎりぎり間に合うだろう。冷たい夜風が気にならないぐらい熱く心がはやっていた。
 学校に近づくにつれ身体は熱くなり、不思議なぐらい意識がすんでいく。俺は躊躇もせずに校門を乗り越えた。
 月明かりに照らされた樹の下に佇むシルエット。
 俺は呼吸を整えるようにそちらに向かってゆっくりと歩き始めた。
 
 風が止んだ。
 それなのに枯れ葉の音が聞こえる。闇にとけ込むような黒い学生服。
 自分は彼のことを信じていなかったわけではないと思う。ただ自分はあの隠されたメッセージが彼の目にとまることを信じていなかっただけなのだ、と。
 とくん。
 動悸が激しくなる。でも、嫌な痛みではない、むしろ幸せな痛み。
 頬を涙が流れていく。でも、悲しい涙ではない、嬉しい涙。
 これから私の卒業式が始まる。
 
「遅刻・・・じゃないよね?」
 公人が自分の腕時計に目をやって未緒に笑いかけると、未緒もまた自分の腕時計に目をやった。
「ええ、大丈夫です。」
 さっきまで寒さに震えていたのが嘘のようなはきはきとした口調だった。
 2人の間に沈黙がおりる。
 既にお互いの心は通い合っている。後はそれを言葉にするだけ・・。
 未緒が微かに息を吸い込んで口を開いた。
 2人きりの卒業式が静かに始まった。
 2つの影が1つに解け合った瞬間、日付が変わったことを知らせるラジオの音が風にのってきらめき高校へと流れていく。
 伝説の樹は何も語らず、2人の未来をを見守るようにただそこに存在していた。
 
 
 

 王道。(以下略)ある意味安心して書き、また読めるお話ですね。なんだかんだいいながら一杯書きまくったキャラです。・・だって好きなんだから仕方がない。(笑)
 しかし、眼鏡キャラに対して『コンタクトの方がいいよ』などという台詞を吐くのが良くわかりませんが、失礼な発言ですな。某ゲームで初めてコンタクトにしたキャラに対して『似合わん』とか『帰れ』とかいう発言を見習って欲しいものです。(どのみち失礼な発言に変わりはありませんが)
 

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