「高見……高見…あ、あった。」
 ごく平凡な、穏やかな表情をした少年がクラス写真の隅っこに写っていた。その部分を指先でなぞり、愛は首を傾げる。
 3年間同じクラスにはならなかったにしても、その存在を愛が知らなかったと言うことはあまり目立つ存在ではなかったのだろう。
 多分、中学校の時は自分と同じように地味で目立たない人だったと愛は思う。
 今日になって初めて自分と同じ中学校の出身だと言うことを、詩織に教えて貰ったときはかなり驚いた。それでこうして、昔のアルバムを引っ張り出すことになっていたのだが……
「どうしてかな……?」
 そう呟き、アルバムを閉じてベッドの上に寝転がった。
 愛は中学校の時の少年を知らない。
 スポーツが出来て勉強も出来る……そんな今の少年の姿しか知らない愛は、かなり戸惑う。もし、昔からそうなら中学校の時も女子の間で騒がれてておかしくないはずだ。それなら、愛の耳に噂ぐらい聞こえてきてもいいはずだった。
「何か、あったのかな…?」
 愛は、少年のことをもっと知りたいと思っている自分に気が付いた。
 おそらくは、今の愛のように目立たない少年だった彼が変わった理由。それを知れば、多分自分も変われるのではないかと思う。
 決して自分の性格が嫌いなわけではないが、あまり好きでもなかった。もっと思ったことを口に出して言いたいし、いろんな事に挑戦してみたい。
 でもいつもそう思うだけで、実際は何もできない。
 目を閉じると、浮かび上がるのは親友である詩織の顔。知り合ったときから、あんな風になってみたいと思っていた。
 頭がいいとか美人とか言う事じゃなくて、あの誰にでも好かれる積極的な性格に、愛は憧れている。
 詩織は、出会った頃からそうだった。
 あの少年は……多分高校進学を機に変わったのだろう。だとすると、自分も変われるかもしれない。
「私も…変わりたいな。」
 その夜、愛は少しだけ泣いた。
 
 中庭に腰を下ろし、一緒に昼食を取っていた詩織が箸をおいて言った。
「……メグ、最近どうかしたの?」
「えっ?」
 思わず、まじまじと詩織の顔を見つめてしまう。
「最近…ちょっと悩んでるように見えるから。」
「そ、そんな……ちょっとだけ…」
 詩織の視線を避けるように、愛は俯いて膝の上のお弁当箱に視線を落とした。
「ふーん……」
「な、何?」
 詩織は、下からすくい上げるように愛の顔を覗き込んできた。何故か口元に笑みをたたえたままである。
「公人君、紹介してあげようか?」
 かちゃん。
 愛の手から箸がぽとりと落ちて、お弁当箱にぶつかった。
「なんだ、やっぱりそうなんだ……最近じーっと見てるからまさかと思ったけど。」
 カマをかけられたことを知っても、もう遅かった。既に詩織はあらぬ方角を向いて、しきりと頷いている。
「ち、違うの……詩織ちゃんが思ってるのとは、多分……」
「照れなくてもいいのよ、メグ。」
「し、詩織ちゃん……」
「そうかー、『男の子って恐い』なんて言ってたメグがねえ…うんうん、私が一肌脱いであげましょう。」
 何か話が大げさになっている様な気がしたが、もう愛にはどうすることも出来ない。
「ああ、そうだ。」
「な、何……まだあるの…?」
「紹介はしてあげるけど、その先は自分で努力するのよ。」
「だから、違うのに……」
 その後のことは、愛の心の中で忘れたい記憶ナンバーワンの地位を占めている。
 
「おーい詩織、ちょっといいか?」
「ん、どうしたの?」
 今日も、視線が愛を素通りしていく。
 公人の視線は詩織に向けられ、愛の方を見ようともしない。時たま、視線がぶつかるときがあるのだが、またすぐに詩織の方を向いてしまうのだ。
 そんなことが何度も何度か繰り返されるうちに、愛は遅まきながら何かに気が付いたと思った。そして、既に自分の想いは手遅れだったということも。
 きーんこーん……
「おっとまずい……詩織達も早く教室に戻った方がいいぞ。」
 休み時間の終わりを告げるチャイムの音に、公人は慌てて廊下を走り去っていく。その後ろ姿をぼんやりと眺めていた愛は、自分の腕を詩織に引っ張られて我に返った。
「ほら、メグ。急ぎましょう。石井先生うるさいから……」
 廊下を走る足音が、やけに遠くから聞こえてくるように愛には思えた。
 そして放課後。
 誰もいない教室で愛と詩織は机を挟んで向かい合っていた。
「前にも聞いたけど……詩織ちゃんは高見さんのことどう思ってるの?」
「ただの幼なじみ。」
 極度の緊張で、微かに声を震わせながら問いかけた言葉に対しての返答としては、はなはだ素っ気ないものと愛には思われた。
「でも、高見さんはきっと詩織ちゃんのことをね……」
 べちっ。
 俯いていた愛の額を詩織が軽くはたいた。
「痛い……」
「あのねえメグ、誰か公人君以外の男の子がメグのこと好きだっていったら、メグはその男の子のことを好きになるの?」
 愛はぶるぶると激しく首を振って頬を赤く染めた。
「……でしょう?」
 詩織は大げさにため息をつき、やがて横目でちらっと愛の方を見た。
「大体、なんで公人君が私のことを好きだなんて思うのよ?」
「あう……」
 自分に向けられた冷ややかな視線と口調だけで、愛はたじろいでしどろもどろになってしまう。視線云々を説明しようとしても、一旦口に出してしまえば絶対に変えられない事実になってしまいそうなのが怖かった。少なくとも今のままなら、自分の想像だけの話ですむ。
 結局、愛は俯いて黙り込んでしまった。
「ほら、みなさい。……それに、高校生活は後2年近く残ってるのよ。まだまだ先は長いと思うけど……」
「……うん。」
「さて、帰ろうか?」
 詩織に促されて立ち上がった愛の背中を、詩織が軽く叩いた。元気を出せと言うコトだろう。その反動というわけでもないが、愛はゆっくりと歩き出す。
 そうして詩織の背中に付いていきながら、愛は思った。
 いつか、誰かに背中を押されなくても歩き始めることができるようになりたい、と。
 
 公人に紹介されてから、全く進展を見せないまま愛は3年生になっていた。
「詩織ちゃーん、今度の日曜日なんだけど一緒に映画見に行こうよ。ほらほら、割引券もあるから……」
 びしっ。
 映画の割引券を握ってひらひらさせていた愛の脳天に詩織のチョップが炸裂した。といっても痛みを感じるような勢いではない。
「…?」
 きょとんとして詩織の顔を見つめる愛の目の前に、詩織の指先がずずいっと突き出される。心なしか、詩織のこめかみがひくついているようにも見えた。
「めーぐーちゃぁん?どうしてそのノリで公人君を誘おうとしないのおぉ?」
 愛は何回か瞬きを繰り返し、視線を一瞬だけ床の上へと落とした。それから約一秒経って、にっこりと微笑みながら顔を上げる。
「詩織ちゃんと見たかったから……。」
「……さっきの間はなんなのよ?」
 これ以上はないってぐらいに疑わしそうな視線を向けると、愛は恥ずかしそうに視線を逸らす。
 詩織はわざとらしく肩をすくめ、大きなため息を吐きだした。
「まったく…紹介してあげてから1年以上も経つってのに……」
 困ったようにそう呟いてから、詩織は気を取り直した様に愛の方を振り向いた。
「で、何て映画なの?」
「『ファイヤーネクロマンサー・炎の友情』って映画。崩れ落ちてゆく自分の身体に、もう長くないことを悟ったゾンビの主人公が恋人のゾンビと共に織りなす愛の逃避行。人間だった頃に訪れた各地を転々とする……」
 愛の説明を遮るように、詩織の両手が両肩をがっちりと掴んだ。
 そして、やけに愛想のいい笑顔で詩織は言った。
「公人君と行きなさい。いや、公人君たらその映画が見たいって涙を流してたから間違いないわ、うん。だからお願い、私を誘ったりしないでね。」
 なにやらしきりに頷きながらまくし立てる詩織の口に、舌が二枚ほど見えたような気がしたが、あまりにも舌の回転が速かったからかもしれない。
 愛は困ったように俯き、ぽつりぽつりと囁くように呟く。
「この映画はじっくりと見てみたいから。……高見さんと一緒なんて、恥ずかしくて……だから…」
 愛の手が詩織の制服の袖をキュッと掴む。
 詩織は慌てて後ろを振り返り、未緒に話題を振った。
「じゃあ、如月さんは?」
「すいません。私、この日曜は用事がありまして。」
 いきなり向けられた矛先を未緒は軽やかにかわす。まるで、その展開を予想していたように。そして詩織は、何かを思いだしたようにぽんと手をたたいた。
「そういえば、私も用事があったわね……うーん、残念。」
「うん…じゃあ私、1人で見に行くから…ごめんね、ワガママ言って。」
 詩織と未緒は、後ろめたそうな表情でお互いの顔を見る。せっかくの休日にスプラッター恋愛ホラー映画を鑑賞する趣味がないとはいえ、良心の疼くところがあったのだろう。
 
『バーバラッ!僕達は死んでも一緒だよ……』
『リック……ありがとう…』
 闇の中に溶け込むような洋館が、徐々にそのシルエットを露わにしていく。獰猛な赤い炎に包まれた洋館の中で蠢く2つの黒い影。闇の中で煌々と燃え上がる館を見つめ、重々しく頷く1人の老人の姿がロングになったところでスクリーンにテロップが流れ出した。
 決して広いとはいえない館内の中のまばらな客が、瞼をこすりながら出ていく様子はたまらなくB級映画テイストである。
 そんな中で、ただ1人愛は感動して言葉を失っていた。
 やがて、愛は大きく頷いて呟く。
「……もう一回見ようっと。」
 ……それから、普通の観客にとっては地獄のような2時間が過ぎ、愛はパンフレットをぎゅっと握りしめて映画館を後にした。
 都合4時間以上も暗い中で座っていたせいだろうか、屋外の眩しさに、愛は思わず目を細めた。可能なら最終上映まで繰り返し鑑賞したいところだが、日が暮れてしまうと門限に間に合わなくなるのであきらめざるをえなかった。
「でも、面白かったなあ……」
 映画の中身を反芻しながら、愛は知らず知らず中央公園のあたりまでやってきていた。
 いきなり、詩織と公人が親しげに肩を並べて歩いている姿が愛の視界の中に飛び込んできた。思わず物陰に身を隠す愛。
「……ああ、詩織ちゃんの用事ってこの事だったんだ。」
 愛は納得がいったように大きく頷き、再び二人の姿を目で追った。
「あの二人って……やっぱりお似合いだよねえ。」
「そこは怒るところじゃないの?」
 呆れたような呟きとともに、ちょいちょいと肩がつつかれた。振り返ってみると、見覚えのない少女が愛を見つめている。
「……?」
 長い髪を1つにまとめ……両サイドに垂らしている巻き髪はつけ毛だろう。元気そうな表情に、どこか見覚えがあるのだが……
 少女は何かに気が付いたように慌ててつけ毛と髪留めをはずし、片方だけ三つ編みにして耳の上のあたりで円く輪を作った。
「あ、美晴ちゃんだったんだ……。」
「お願いだから髪型だけで認識しないでよお……。」
 もちろん、こんなコトをしている間に二人の姿を見失ったのは言うまでもない。
 美晴は肩を落としたまま、近くの喫茶店へと愛を誘った。
「美樹原さんはもっと勇気を出さなきゃダメだよ。」
 などと自分のことを棚に上げまくった発言をする美晴に対し、愛は恥ずかしそうに頬を上気させ、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……美晴ちゃんもその…高見さんのことが…なんだよね?どうして私に、そんな親切にしてくれるの?」
 見晴は、いきなり不機嫌そうな表情を隠そうともせず、あらぬ方角を見ながら吐き捨てるように言った。
「私は高見君とあのくそ女がひっつくのが嫌なだけで……あいたっ。」
 愛のチョップが美晴の額にヒットしていた。
「詩織ちゃんは私の親友なんだからね。」
 美晴は両手で額を押さえながら納得がいかないように呟いた。
「私、藤崎さんなんて一言も言ってないけど?」
 ほんの僅かな沈黙の後、愛は不自然に元気な声で美晴に向かって話しかけた。
「この紅茶おいしいね……。」
「何かごまかそうとしてない?」
「……だって、見晴ちゃんいつも詩織ちゃんの悪口ばかり言うから。」
「ま、それもそうね…。」
 
「詩織ちゃん、聞いて聞いて。昨日見た映画なんだけどすっごく面白かったの。」
「あ、ああ…そうなの。」
 そんな話聞きたくない光線を思いっきり放射している詩織の顔を見て、愛は昨日気になったことを口にした。
「あ、そうだ。昨日詩織ちゃんと高見さんが二人で歩いているのを見たんだけど……?」
 詩織の表情が、困惑したものに変わった。それに対する返答は、どことなく歯切れが悪い。
「ん、ちょっと相談したいことがあるからって言われてね……」
「ふーん…でもね、やっぱり二人が並んで歩いてると、お似合いだなあって思って…」
 にこにこと笑いながら愛を見て、詩織はなんとも複雑な表情になる。
「……詩織ちゃん?」
「まったく、メグってば…」
 呆れたような口調とは裏腹に、詩織は愛の頭を優しくなで始めた。
「な、何?」
「んーん、別に。ただ、こうしたかっただけ…」
 
「メグ、今日は一緒に帰りましょ。」
「あ、詩織ちゃん。いいよ。」
 一緒に帰るのは久しぶりだね、などと話しながら校門へと向かう二人に後ろから声がかけられた。
「よおっ、詩織。」
「あら、公人君。公人君も今帰りなの?」
 何故か、二人の視線があらぬ方角を向いていた。
「じゃあ、3人で帰りましょうか?メグも構わないよね。」
「え?……うん。」
 愛は、何か変だなと思いながらも頷く。
 夕暮れの帰り道、隣を歩くのは一番の親友と……一番好きな人。穏やかに流れていく時間とは裏腹に、愛は自分の心臓の音が二人に聞こえないだろうかと真剣に悩んでいた。
 そして、3人を取り巻く雰囲気に妙な緊迫感。
 そんな中で、ぴた…という擬音が聞こえてくるような仕草で詩織が立ち止まる。
「いけないっ、忘れ物してきたわ。」
 自分の鞄を開いて困ったように頭をかくと、詩織は二人に向かって言った。
「私、学校に戻るから……じゃあね、また明日。」
 また明日……と言うことは、待たなくてもいいという事よね……と、愛は公人の顔をそっと見上げた。
 夕日の照り返しを受けた少年の表情は良くわからない。
「……帰ろうか?」
「……はい。」
 愛は女性の中でも小柄であり、公人は男性としても長身の部類にはいる。そんな二人が、同じペースで歩こうと思えば、どちらかが自分の歩調を崩さなければいけない。
 さりげなく自分が車道側に立ち、愛の歩く速度に会わせてゆっくりと歩を進める公人。愛はもちろんそのことに気が付くような精神状態ではなかった。
 過程はともあれ、こうやって二人きりで帰るのは初めてだった。
 多分この日のことをずっと忘れないだろう、と愛は思っていた。繰り返し、繰り返し、この日のことを思いだしながら自分は眠りにつくのだろう……などと思っていた矢先のことである。
「ところで、美樹原さん。明日の日曜日は暇?」
「え!?は、はい暇ですけど…それが、何か?」
 唐突に話しかけられた事に狼狽しながらも、愛は何とか返答した。
 肺に流れ込む空気がやけに薄い。
「ああ、美樹原さんさえよかったら明日一緒に映画でも見に行こうかと思って…」
 ……イッショニエイガデモミニイコウトオモッテ……
 何か、異国の言葉が耳を通り抜けていったような気がした。しばらくの間、言葉の意味が理解できなかった。
「…え?」
 いかにも頼りなさそうな言葉が、愛の口を衝いて出る。
 公人は、困ったように空を見上げてもう一度繰り返した。
「いや、だから、明日映画見に行かない?」
 愛は、自分の心臓の音をちょうど10回確認する。
「(…生きてるよね、私…)」
 じんわりと言葉が身体中に染み渡っていき、突然愛の顔が真っ赤に爆発した。これが夢ならば冷めない内にと思い、慌てて鳩の様にかくかくと首を縦に振る。
「……良かった。うん、じゃあ、また明日ね。」
 夕陽の中にとけ込むように走り去っていく公人に向かって、愛は大きく手を振った。
 
 その夜、愛は自分のお気に入りのぬいぐるみを抱えて部屋の中を延々と転げ回っていた。
 ぬいぐるみの声なき悲鳴を耳にしたわけではないが、、愛はふと何かに気が付いたように上体を起こす。
 詩織が忘れ物を取りに帰るときなんと言ったか思い出したのである。
『いけない、忘れ物……』
 ……そして詩織は鞄を開けた。
 愛は、何か変だと思った。鞄を開けて確認してからではなく、詩織の口調は最初から確信を持っていた。
 それは忘れ物をした確信ではなく、忘れ物など無いという確信ではなかったか?
「確信があるなら、詩織ちゃんは鞄を開けたりしないよね……」
『メグ、明日暇かしら?』
『メグ、今日は一緒に帰りましょ。』
 愛は、自分の部屋を出て階下にある電話の受話器を取り上げた。かけなれた番号を指先は一瞬のためらいもなく押してゆく。
 数度のコールの後、上手い具合に目当ての相手が受話器を取ったようだった。
「はい、藤崎です。」
「……詩織ちゃんでしょ?」
「ああ、メグなの。どうしたの?」
「……詩織ちゃんでしょ?」
 愛は、同じ台詞を繰り返した。
「は?だから私だって。……何かあったの?」
「…………何でもない。ごめんね変な電話かけちゃって…。」
 愛はゆっくりと受話器をおろした。
 誰が何を望んだのかはともかく、少なくとも公人と2人で映画を見に行けることに変わりはないのだから。
 一方、詩織は切れてしまった電話の受話器をゆっくりと置き、じっとりと汗ばんだ額を拭った。
「やっぱ、メグでも気が付くよね……」
 そう呟きながら、詩織は枝毛の存在に気が付いた。無意識に、指先でそれをつまんで引っ張る。
 ぴっ……
「もうっ!」
 詩織はいらただしげな声をあげた。
 その枝毛が、2つに別れることを拒むように大きく裂けてしまったから……
 
 にへらー。
 内気な愛は、本来あまり目立つ存在ではない。しかし、今日の愛は教室中の視線を集めていた。無論、本人はそれに気が付くような状態ではないのだが。
 ッその表情に敢えてタイトルを付けるとするなら『新婚さんいらっしゃああぁーい!』というところだろうか。
「あの、藤崎さん。美樹原さんいつになったら帰ってきてくれるんでしょう?」
 話しかけてもどこか遠くを見ているように、にへらーと幸せそうに笑う愛。どうしてもコミニケーションがとれない事に困り果て、未緒は詩織の方を振り向いた。
 連絡事項がきちんと伝わったかどうかは定かではない。というか、絶対伝わっていないという確信が未緒にはあった。
「……今なら車にはねられても笑ってそうよね。」
 詩織はため息をつきながら、未緒の肩を軽く叩いた。
「如月さん、悪いけど公人君呼んできてくれないかしら?」
 未緒はちょっと首を傾げておそるおそるといった感じで口を挟んだ。
「…悪化しません?」
 さあ?とばかりに詩織は肩をすくめた。
 公人が話し掛けて反応を見せないようであれば、絶対に無理ということは確認できる。第一、それ以外にできることはなさそうなのだから。
「……は?」
 わけもわからないまま教室に連れてこられた公人は、間抜けな声をあげた。
「だから…ちょっとメグに呼びかけてみてよ。」
「な、なんでそんんなこと……」
「別に人前でデートに誘えってわけじゃないんだからいいでしょ!」
「な、何怒ってるんだよ…」
 公人は詩織の剣幕に驚きながら周りを見渡した。
 ちらちらとこちらを盗み見る視線が突き刺さる。なんというか、恥ずかしいことこの上ない。時間をかければ悪化するだけだろうと判断したのか、公人は渋々という感じで口を開いた。
「み、美樹原さん……」
 ぴくっ。
 愛の両肩が微かに震え、効果音が聞こえてきそうな笑顔をはじかせて後ろを振り返る。そして公人の顔を視界に収めた瞬間、これまた血の流れる音が聞こえてきそうなぐらいに顔を真っ赤にして両手で顔を覆いながら机に突っ伏す巣愛。
「……はあ、帰ってきたわね。」
「そうみたいですね。」
「……ごめん、話が見えないんだけど?」
「あーいいからいいから、公人君はもう帰っていいよ。」
 はいご苦労様、とばかりに詩織は公人を教室から追い出した。
 普段、異性と会話も満足にできない愛が一体どんな一日を過ごしたのか非常に興味のあるところである。それは詩織ならずとも未緒も同様であった。
「メグ、昨日はどうだったの?」
「うん…映画館に行って、喫茶店で休んでお散歩したの。」
 再び愛の周りにぽわーとした空気が集まってくるのを、詩織と未緒は慌てて追い散らした。
「で、どんなお話したの?」
 ずずい、と身を乗り出すようにしてさらに突っ込みをかける詩織。未緒もまた苦笑いしながらも止めようとはしない。
 しかし、愛は顔を真っ赤にしながらぷるぷると首を振った。
「……へ?」
「そんな…お話なんて恥ずかしくてできないよ。」
「出来ないって、メグ…」
 詩織と未緒はお互いに顔を見合わせた。
 二人の脳裏に浮かんだ光景は、およそ楽しげなデートといえるものではなかったとだけ記しておく。
 
 愛の視線と公人の視線が一瞬だけぶつかる。
「ああ、それでさ、詩織……」
 そして、相変わらず少年の視線は自分を通りこしていった。
 浮かれていた気分が落ち着いてしまうと、その現実がどうにも重かった。愛は、自分の隣に立つ詩織の顔を見つめ、二人に知れぬようにため息をつく。
「じゃあ、俺練習があるから。」
「はいはい……ちゃんと受験勉強もしなさいよ。」
「……高見さん、さようなら…」
 消え入るような愛の言葉が耳に届いたのか届かないのか、公人はそのまま立ち去っていく。
 進学するのか、それともスポーツの道にすすむのかは少年以外誰も知らないのだろう。
「じゃあ、メグ。私達は帰ろうか……どうかしたの?」
 自分の顔をじっと見つめている愛の様子に、詩織は困惑した表情を向けた。
「ううん……」
「……?」
 首を傾げながら詩織は下駄箱を開けた……
「……ふう。」
 ため息混じりにその紙切れを一瞥した詩織は、愛の方を振り向いて言った。
「メグ、ちょっと待ってて……」
 それから15分後、詩織がとぼとぼと帰ってきた。
「お待たせ…帰ろう。」
 詩織に交際を申し込む相手が同級生とは限らない。相手が誰だか知らないけれど、今度もまた断ってきたのだろう。
「……大丈夫?」
 校門を抜けるところで、愛はおそるおそる話し掛けた。詩織は口元に自嘲的な笑みを浮かべ、空を見上げた。
「……こういうコトがある度に、自分の性格が悪くなっていく気がするわ。」
「詩織ちゃんがそんな人じゃないことはみんな知ってるよ……」
 愛は知っている。
 振られた腹いせに悪い噂を流したりする人がいたことを。しかし、そんなことよりも悲しそうに項垂れる姿の方が詩織にとってはつらいのだと言うことも。
「別に、みんなにそう思われなくてもいいのよ。」
 詩織は、自分自身に言い聞かせるようにもう一度繰り返した。
「そう思ってくれる人が、少なくてもいいの…」
 沈む夕日を見つめる詩織の瞳が、とても遠いものに愛は思えた。その遠い瞳が見つめる先に何があるのかを考えると、愛は落ち着きを無くしていく。
「詩織ちゃんは……好きな人がいるの?」
 詩織は何も言わずに、ただ笑って愛の方を振り向いた。
 愛は、この時の詩織の表情を一生忘れないだろうと思った……
 
「メグがこんな所に呼び出すなんて珍しいわね。」
 詩織は、ブランコに腰掛けて笑った。
「で、何の話なの?」
 遊びに行こうではなくて、わざわざ近所の公園まで出向いてきているからには、電話では話せない内容なのだろうと言うことが詩織にも分かっているようだった。
 愛は、ありったけの勇気を振り絞って囁くように言った。
「うん、あのね…詩織ちゃん、私に遠慮してない?」
 以前から愛の心の中にあった、詩織が自分に遠慮しているのではないかという考え。もしそうだとしたら、自分はかけがえのない親友と好きな人の邪魔をしていたことになる。
「遠慮って……何を?」
「だって、詩織ちゃんは高見さんのコトが好きなんで……」
 げしっ。
「痛ーい、詩織ちゃん本気でぶった。」
「ぶたれるようなこと言うからでしょ……ったく。自分が好きな相手を友達に紹介するほどお人好しじゃないわよ、私は。」
 頭を押さえてうずくまる愛を無視して、詩織はブランコを大きくこぎ始めた。
「公人君は…ただの幼なじみ、よっ。」
 詩織の身体が宙に舞い、綺麗に着地を決める。
「……嘘。」
「そのヘルメット頭、砕いて欲しいの?」
 詩織は硬く握り込んだ拳に息を吐きかけてすごんだ。こういう状態の詩織が危険なことは良く知っている。
「でもね、高見さんは詩織ちゃんのこと好きだよ……」
 詩織は、不思議そうに首を傾げた。
「前にも聞いた覚えがあるけど……」
 詩織は再びブランコに腰掛けて、愛に向き直って言った。
「……メグ、どうして公人君が私のことを好きだと確信してるの?」
「だって、視線が……」
「視線?」
 愛は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
 どきどきと激しい鼓動の中、このままだとこのままだわ、などともっともではあるが少しピントのずれた思いを巡らす。
 ここで言わなければ……自分は一生このままだろうと思う。
 続きを促すような詩織を見て、愛は息を吸い込んだ。
「高見さんは、いつも詩織ちゃんしか見てないもの!」
 びっくりするほど大きな声が出たことに驚いたのは愛だけではなかった。詩織もまた驚いたのだろう、目を大きく見張っている。
「私と視線がぶつかってもすぐに目をそらして詩織ちゃんを見てる。それに、詩織ちゃんを追いかけてきらめき高校に来たって聞いたよ。」
 愛は、一旦言葉をきって再び息を吸い込んだ。
「私、詩織ちゃんが大好きだから……好きな人には幸せになって欲しい。」
 愛は肺の中に残った空気を全て吐き出すと、詩織の様子を窺うために顔を上げた。
 詩織は、地面に視線を落として肩の辺りを小刻みに震わせていた。
「詩織ちゃん…?」
 まさか泣いているのかと思った瞬間、詩織は耐えきれないとばかりにおなかを抱えて笑い出した。その一方で、愛は何が起こったのかわからないままぼんやりと立ちつくす。
 しかし、涙を流しながら笑い続ける詩織を見ているうちに、何か自分の真剣さをからかわれているような気分になって急にむらむらと怒りがこみ上げてきた。
「何がおかしいの!」
 詩織の手がちょっと待ってねという風に愛の方に突き出された。しかし、詩織は相変わらず愛に背中を向けて、肩の辺りをひくひくと痙攣させる。
「いや、……ごめんねメグ…ぷっ…あんまりあれだったから……」
 目尻の涙を拭いながら、詩織はぽんぽんと愛の頭を叩いた。
「あのねえメグ、あなた公人君の顔を真っ直ぐにみつめたままお話しできる?」
「……え?」
 愛は微かに頬を染めてふるふると首を横に振った。
「そうよね、恥ずかしいからできないよね……でも、私相手なら平気よね?」
 愛は当たり前じゃないという風に詩織をみつめ返した。
 詩織は右手の人差し指をぴんと伸ばし、愛の目の前で軽く振った。
「私と公人君とメグが3人でいるとき、メグは気付かれないようにちらちらと公人君を盗み見てほとんどは私の方を向いてなかったかしら?それで、どうして公人君とメグの視線がぶつかったりするの?」
 詩織は愛の額を人差し指で軽くはじく。
「大体ねえ、私とメグがいつも一緒にいるとは限らないでしょ?それなのに、どうして公人君は私がメグといるときに話し掛けてくるのか考えたことはない?」
「……あれ?」
 顔を上気させた愛を見て、詩織は悪戯っぽく片目をつぶった。
「物事を一方向から見つめたら駄目よ、メグ。」
 
 愛が帰ってしまった後、詩織は1人でブランコに座っていた。
 公園を吹き抜ける風は、詩織の髪を吹き流さんばかりに強く、そして冷たい。
「私の説明も……ある意味、一方向からしか見てないけどね。」
 しかし、愛と違って詩織はあることを知っていた。
「大事な大事な幼なじみのお願いだからね……きいてあげないわけにもいかないし。」
 詩織は、大きく息を吸い込んで……小さく呟いた。
「公人君のバカ……初志貫徹しなさいよ。」
 そしてもう一度……
「私のバカ……気づくのが遅すぎるぞ、自分の心に…」
 雲一つない青空を見上げた詩織の目尻に溜まった液体が、空の青を映し込んでいた。
 
『卒業式を始めます……式に参加する生徒は今すぐ体育館に集まってください。』
 校内放送に追い立てられるように、ぞろぞろと移動を始める3年生達。
 そんな人の流れに逆らう人間が、ちらほらとしているのも目に入らない様に……
「メグ。」
「……大丈夫。」
 愛は心配そうな詩織に笑って見せた。
 これまで散々背中を支えてきてくれた親友に、しっかりしたところを見せなければいけないと思ったからである。
「……しっかりやんなさい。」
「ありがとう、詩織ちゃん。」
 愛は人の流れに逆らって、教室を目指した。ポケットの中には一通の手紙。
「……ん。」
 白い封筒を手に持って、愛は目を閉じた。
 誰もいなくなった教室に1人、愛は願を掛けたその手紙を机の中へと忍ばせる。そして、踵を返して慌てて教室を出ていく。
 卒業式が終わってから机の中を見てくれるかどうか少し心配だったが、多分大丈夫だと思いこむ。
 急ぎ足で体育館を目指しながら、窓から見える伝説の樹を見下ろす。やわらかな日差しを受けた梢が、春の風に微かに揺れていた。
 
 
                 完
 
 
 この話では美樹原さんと詩織、そして主人公は同じ中学という仮定の下で進めましたのでよしなに。(笑)
 昔の同人誌でもちらっと文章で書きましたが、妙に加虐心をそそるキャラです。(笑)思わず鉄下駄をプレゼントしたりしてしまうじゃありませんか。
 多分クリアした回数は一番多いキャラです。毎回出てくるし、爆弾処理してたらいつの間にかにっこりマークだし。
 自分が魂を捧げたキャラとは違う人間が告白しに来るというのがときメモの醍醐味だとすると、美樹原さんこそときメモの代名詞だと思います。
 結構好きなキャラですけど、もう少しシャキッとして欲しい……。(笑)
 
 ……書き直すより新しく書いた方が早いよう…っていうか、途中から別の話になってます。(笑)どうも話の流れが気に入らなかった(自分で書いたくせに)ので、昔書いたお話と合体させて詩織の見せ場を大盛りに……って美樹原さんの話なんだが、これは。(笑) 以前の話を持っている人は、読み比べて腹を抱えて笑ってください。ある意味で原型をとどめてませんから。ついでに、テキスト量は約2倍。(笑)

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