夏休みを迎えた校舎はひっそりとした雰囲気に包まれており、時折思い出したようにグランドの方から響いてくる運動部のかけ声だけがかろうじて人の存在を思い出させてくれていた。
無論、実際は文化系の部活動に出席している生徒をはじめ、職員室にも数人の教師が出入りしているのだが。
「それじゃあ先生、私はこれで失礼します。」
クセのあるイントネーションと共に、職員室の扉が開いて少女が廊下へと出てきた。そのまま後ろ手に扉を閉めるあたり、礼儀作法はあんまりよろしくないように見える。
「あれ、片桐さん?」
なんとも微妙な表情でうつむいていた彩子は、自分を呼ぶ声に顔を上げてそちらを振り向いた。
「……公人。」
驚いたと言うよりも、確認するような口調。
それもそのはず、公人の声を聞き間違えるなどと彩子自身が思っていない。
「項垂れて職員室から出てくるなんて、何か穏やかじゃないね。……ひょっとして、補習とか?」
「悪い冗談ね、早乙女君じゃあるまいし……。」
公人の冗談めいた口調に対して、彩子は外国人がするように大げさに肩をすくめた。
「んじゃ、何してたのさ?」
窓枠にぶら下がるようにして、公人はなおも食い下がる。
彩子には、その態度が無邪気な好奇心から来るものなのか、それとも他の何かから来るものなのか判断が付かない。
彩子はくっきりとした眉を心持ちひそめ、それでもあまり深刻にならないように口元には微笑みを浮かべたまま言った。
「んー、進路の事でちょっとね。」
彩子は、お返しとばかりに公人に聞く。
「じゃあ、公人は何をしてるの?」
「もちろん美術部の活動中だけど。」
彩子は窓の外をちらりと眺めて呟いた。
「熱いのに大変ねえ……」
「片桐さんはどうして美術部を辞めたんだい?…まあ、賞が貰えるほどの腕前だからあんまり関係ないのかも知れないけど。」
2年生になった頃、彩子は美術部を辞めていた。と言っても、絵を描かなくなったわけではなく、ただ部を辞めただけだった。
彩子はいつもの通り、手を振って笑い飛ばす。
「んー、私って集団活動が生理的にバッドなのよ。まあ、今もちょくちょく美術室を使わせて貰ってるのに図々しいとは思うけど。」
「まあ、他人がいると気が散るってのは何となく分かるな…。」
「……それより公人、クラブの人がユーの事睨んでるみたいだけど。」
右目をつぶり、美術室の窓の方を右手で指し示してやると、公人は慌てて窓枠から身体を離した。
「いけね、買い物の途中だったんだ……」
「ジャンケンで負けたの?」
上級生下級生の区別無く、ジャンケンで負けた者がパシリになるのが美術部のルールであることを、彩子は知っていた。
「じゃ、じゃあ俺は戻るから…」
「オッケー、頑張ってね公人。」
眩しいグラウンドに向かって駆けていく公人の後ろ姿を見送るように、彩子は軽く手を振った。そして、その後ろ姿が見えなくなると、今日何度目かになるか分からないため息をつく。
「自分の希望した進路とはいえ……ベリー憂鬱かな、私。」
直射日光を受けて眩しいグランドとは対照的に、校舎の中はどこか薄暗い。
彩子は、先ほど公人が覗き込んでいた窓から顔をつきだして空を見上げた。
抜けるような青空……と言いたいところだが、南の空に大きく入道雲が出しゃばっている。ひょっとすると、夕立になるのかも知れない。
夏の陽射しの眩しさに目を細めながら、彩子はそのまま空を見つめる。
運動部の元気なかけ声を耳にして、彩子は再びグラウンドに目を向けた。
どのみち、今日はもう大した用事もない。
それならば……と、彩子はグラウンド脇の木の下に行き、膝の裏を抱えて腰を下ろした。この場所なら、望の姿を見つける分には便利が良さそうだった。
彩子がそうやってぼんやりとグランドの方角を眺めていると、真っ黒に日焼けした少女が静かに背後から近づいていく。
が、彩子はそちらを振り返ることもなく穏やかな声でその少女に話し掛けた。
「望、何の用?」
振り返りもせずに自分だと断定された望は、不思議そうに頭をかいた。
「何で私だとわかるかなあ……?」
「……んふふ、何となくね。まあ、用事があったのは私の方だけど。」
望は黙って彩子の隣に腰をおろし、彩子の方を見た。
「留学の話って今日決まるんだよね?……どうだったの?」
「うん、決まったみたい。」
まるで他人事のような口調が自分の口から出たことに少し驚く。
彩子自身が切望していた進路であるはずなのに、どうしてだかわからないもやもやとした気持ちが胸の中にある。
望は彩子の表情を見て、遠慮がちに口を開いた。
「おめでとう……で、いいんだよね?」
「うん、……その筈なんだけどね。」
彩子は、意識的に作った笑顔で、初めて望の方を振り向く。
彩子の笑顔を見て、望はやっと安心したらしい。日焼けした顔に真っ白な歯をこぼして嬉しそうに笑い返してきた。
「じゃあ、ここで公人を待合わせ?」
留学決定の報告。
木陰に座ってグラウンドを眺めていた彩子の行動を、おそらく望はそう理解したのだろう。彩子さえよければ、望自身が今すぐ公人の所へ走っていきそうな雰囲気だ。
「ストップ……公人を驚かせたいからまだ伝えないで。」
立ち上がりかけた望の腕にすがりつくようにして彩子が望を座らせる。まるっきりの嘘ではないが、本音以外の心情が微かに紛れ込んでいることに彩子は気が付いている。
しかし、望はにやりと笑って、彩子の脇腹を肘でつつく。
「…彩子は公人と2人でお祝いしたいんだ?」
「ちょっ、望。私達まだそんな関係じゃ……」
「ふーん、まだ、ね?」
望が左目をつぶって、彩子の背中をばんばんと叩く。
息が出来なくなって苦しそうな彩子にはお構いなしに、である。
「まあ、卒業までに勝負をかけて頑張るんだね。……私に言わせれば、今さらという気もするけどね?」
揶揄するような望の言葉に、彩子は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
確かに、二人の時間が許す限りデートを繰り返してたら告白も何も、既に恋人同士だと言えなくもない気がするのだが。
思っていた反撃が返ってこないことに拍子抜けしながらも、望はすくっと立ち上がって兵士がするように敬礼してみせる。
「それじゃ清川望、地獄のロードに行ってきます!」
望はそのまま勢いよく走り去り、その場には彩子1人が取り残された。
「……ソーリー、望…」
そう呟いた彩子の横顔に、寂しげな影がおちていた。
「留学が決まったのにあんまり嬉しそうじゃないんだね?」
そう言われた彩子の脚が止まった。
そして、不思議そうに公人の顔をみつめた。不自然な部分を見せないように注意したつもりなのに、自分でさえ気が付かない何気ない仕草から感情を読みとったのか、公人は不思議そうに彩子の顔をのぞき込んでいる。
彩子は苦笑いしつつ、あらかじめ考えておいた答えを返す。
「気が早いから、リトル不安なのよ。」
「リトル不安って、またそんなマイ日本語を……って今はそうじゃないな。留学までまだ半年近く先だろ?それなのにホームシック?」
そんなんじゃないけど、と相づちをうって彩子は公人から視線を逸らした。そんな彩子の様子を知ってか知らずか、公人は質問を続けていく。
「卒業したらすぐ留学先に行くの?」
「うーん、まだはっきり決まってないのよ……。」
「確かにまだまだ先のことだもんな。……でもそう思ってると半年や1年はすぐ過ぎちゃうからなあ……」
公人は頭の後ろに両手をまわして空を見上げた。
いい天気、とは少し言い難い。ひょっとすると、というような雲行きを見て公人は彩子の手を引っ張った。
「雨になりそうだ…ちょっと急ごう。」
「え?お、オッケー…」
公人の予想通りに、5分もすると空は急速に輝きを失いつつあった。今日のデートコースであるプラネタリウムの入り口が2人の視界に入ってきた途端、冷たい滴が彩子の頬をうつ。
「オウッ!セーフ!」
「ほんとだ…良かった。」
バチバチと激しい雨が降り出したが、東の空は奇妙に明るい。
それを確認すると、公人は微笑みながら彩子の背中を押した。
「多分通り雨だよ。プログラムが終わる頃には止んでるんじゃないかな……。」
「雨が降ってもプラネタリウムはノープロブレムよ。」
まばらな座席を見渡し、適当なところで2人は並んで腰をおろした。
「片桐さん、今日は寝ちゃだめだよ。」
「あ、あの時はちょっと寝不足だったのよ…」
彩子は頬を染めながら言い訳した。
しかし、何故寝不足だったのかについては恥ずかしくて説明する気になれない。
公人とのデートの前夜に、まともな睡眠がとれるようになったのはつい最近のことなのたから……。
不意に、ホールを照らしていたほのかな明かりがおとされた。
「と、始めるみたい。」
いいタイミングで話が逸れたコトに感謝しながら、彩子はゆったりと背中を伸ばして天球を眺めた。
天球に投射された星の光がゆっくりと回転を開始する。
白い光の流れは、ゆっくりと舞い落ちる雪のようで、観客を魅了していく。そうして雰囲気が盛り上がったところで、スピーカーから穏やかな解説が流れ出す。
解説の声に混じって微かに聞こえて来るのは雨の音だろうか。
目の前の光景は降るような星空なのに、それがなんとも不思議な感覚を与えてくる。
「……っ」
背筋に鈍い痛みが走り、彩子の心が現実に引き戻される。
プラネタリウムでの欠点とも言えるだろうか、同じ姿勢で上を見上げているとたまにこういうことがある。
音をたてないようにして、彩子は慎重に身体の位置を変えようと身をよじる。
が、その途中で自分の右手が公人の手に触れてしまい思わず動きを止めてしまった。公人も気が付いただろうが、手は動こうとしない。
ゆっくりと公人の方を振り向いた彩子の視線と、公人の視線が交錯する。
彩子にとっては永遠とも思える時間が過ぎ、二人はどちらともなくお互いの手を軽く握りあい、互いの鼓動を感じあいながら星空を見続けた。
解説が終了した静寂の中で白い光だけが回転を始めるのを合図にして、二人はお互いの手を放した。
そろそろこのプログラムも終わる。
照明が点され、2人は闇に慣れた目を眩しそうに細めた。あちらこちらで、観客の呟きが漏れてくる。
出口へと向かう人の流れを感じながら、二人はしばらくそのままドーム型の天井を眺めていた。
やがて、公人はぽつりと呟く。
「フランスなら、日本と同じ星が見えるよ……」
「ほとんどね…」
「出ようか…?」
「そうね。」
30分ほどのプログラムだったが、二人がホールへと出てみると雨は既に小降りで空は明るかった。
「まさに、通り雨ね。」
「止むまでもうちょっとかな。」
そうして20分ほど過ぎると、雨は綺麗に上がった。
濡れたアスファルトが真夏の陽射しにやかれ始めている。
プラネタリウムから外に出るとき、彩子は少しためらいながらも公人の腕に自分の腕を絡めた。ぎくりとしたように公人の動きが止まる。
「か、片桐さん…?」
「ノープロブレム。さっ、行きましょ。」
彩子は公人を引っ張るようにして濡れたアスファルトの上を歩き出す。
先程の通り雨を受けて街路樹の緑が鮮やかさに輝いていた。
「私ね、公人の絵が描きたいな…」
「…まだ動かないでね。」
彩子と2人っきり……ただし、モデルと絵描きさんという関係だが。
公人の額を流れる汗は、夏というコトを差し引いても尋常ではない。それもその筈、彩子のリクエストで、冬の学生服を着ているのだから。
「オッケー…」
彩子がそう言った瞬間、公人は学生服をひきむしるように脱ぎ捨てる。
「片桐さん、もう冬服は勘弁してよ。サウナスーツを着てるようなもんなんだからさ。」
「これで下書きはすんだから、もう必要ないわ。そうね、後は夏休みが終わるまでに仕上げればいいだけ…。」
彩子の言葉に公人が何気なく反応する。
「夏休み…急な話だね。なんかに応募するの?」
「な・い・しょ。」
「わかった……聞かないよ。」
公人は軽く両手をあげた。
「ところで公人…夏休みの間って美術室は使えるの?」
「美術部の活動は7月一杯だからなあ……そういう意味では使えるけど、先生から鍵を借りられるかな?」
「私は美術部員じゃないからね…」
彩子の顔にふと寂しそうな表情が浮かぶ。
「……ひょっとして、辞めたくて辞めたわけじゃ…」
公人はおそるおそると言った感じで疑問を口に出すと、彩子は顔を動かさずに目だけを動かして公人の方を見た。
「女の子って、男の子が思ってるほどピュアな存在じゃないから…」
そして彩子は舌を出して笑った。
「ま、責任の半分は公人にもあるんだからね。」
「え、どういうこと?」
「バレンタインに、美術部員からいくつチョコレートを貰ったか思い出してみれば?」
当時の居心地の悪さを思い出すと、今も気分が悪くなる。
自分が最上級生ならともかく、後一年我慢するのはまっぴらだった。それもこれも、公人がどんどんと格好良くなっていったせいなのだ。
「ゴメン、そういうの全然気が付かなかった。」
「公人の前じゃあ、みんな猫かぶってたから無理もないんだけど……って、ソーリー。別に公人を責めてるわけじゃないからね。」
気にしないで、というようにぽんぽんと公人の肩を叩く。
「美術部員でなくても絵は描けるし…。」
去年は、公人と一緒にコンクールで賞まで取ることが出来て……留学の話がでたのはそれからだ。
外国で絵の勉強をするのは、子供の頃からの夢だった。
それが実現したのだから、それ以上を望むとバチがあたる。
「……わかった。美術室の鍵は、俺から先生に伝えておくから。」
「リアリィ?サンキュー公人。さすがは美術部部長ね。」
「俺も顔を出すけど、戸締まりはきちんとしてよ。」
「オッケー、わかったわ。」
厳しい残暑の中で、蝉が鳴いていた。
夏の終わりを感じているのか、どこか悲しげに聞こえる。それとも、単に自分が感傷的になっているからなのかは彩子には分からない。
前日描き終えた絵を、彩子はじっとそれを見つめていた。
いや、正確にいうと描き終えてはいない。
いくら彩子がその絵を見つめても、完成図は浮かんでこなかった。
ガタタッ…
美術室の扉が開かれ、公人がひょっこりと顔を出す。
「片桐さん、差し入れ。」
冷えたジュースを、彩子は椅子から立ち上がって上手く受け止めた。
「サンキュー、公人。」
「あれ…?完成したの?」
椅子から立ち上がった彩子の姿を見て、今日はエプロン(絵の具避け)を付けていないことに気が付いたのだろう。
彩子は曖昧な笑みを浮かべ、否定も肯定もしなかった。
以前、どんな絵を描いているのか彩子に尋ねた公人だが、一度断られると二度と口にはしなかった。が、それでも気にはなっていたのか。
別に意地悪をするわけではないが、彩子はキャンバスにおおいをかけて公人と向かい合わせの椅子に腰をおろした。
公人は、いつもと何か違う彩子の雰囲気に気が付いたのか、それ以上何も喋ろうとはしない。そのせいで、二人の間に奇妙な沈黙が忍び込んだ。
そのまま静かに時だけが過ぎていく中で、彩子だけが時折何か言いたげに口を開きかけては閉じることを繰り返した。公人はそれを我慢強く見つめている。
「……ソーリー。」
「え?」
彩子は静かに立ち上がった。
そして自分の背後にあるキャンバスからカバーを取り外し、再び椅子に腰掛けた。
そして大きなため息をはく。
「公人は……この学校の伝説って聞いたことある?」
「伝説……?トイレの花子さんみたいな?」
彩子は、視線を窓の方に向けた。
「みんなの間では、『伝説の樹』って言われてるけど。」
「……詩織が話してるのを聞いた様な気がする。」
どこの高校に出もあるような伝説。
噴水の前でとか、夜の校舎でとか高校の数だけあるようなお話だ。
「ばかばかしいと思うかもしれないけど、案外女の子にとっては救いになるのよ。勇気もくれるしね。」
「確かあれだろ…卒業式の日にその樹の下で女の子から告白するとってやつ……」
「卒業式、そこが問題なのよね。」
いくら鈍い公人でも、なんとなく話の方向性ぐらいは理解しているようだった。ただ、何故この時期に…という疑問はあるだろうが。
「さて、クエスチョン!」
「……は?」
いきなりの彩子の言葉が理解できずに、公人は口をぽかんと開けた。しかし、彩子はそんなこともお構いなしに言葉を続けた。
「卒業式に出られないガールは、どうしたらいいんでしょう?」
彩子は一息ついてから、立ち上がってキャンバスを公人の方に向けた。
そこには、伝説の樹の下で微笑む公人の姿が描かれており、…その隣には奇妙な空白が広がっていた。
「え、これって……?」
立ち上がりかけた公人を手で制して、彩子は淡々と語りだした。……その語尾が微かに震えているのを自覚しながらだが。
「今まで黙ってたけれど、私の留学って9月からなの。……明後日、フランス行きの飛行機に乗ってパリに行くことになってるの。」
公人の腰掛けている椅子が、ギシッと音をたてる。
「そうか……4月から9月までの半年間を聴講生扱いにするんだと思ってたけど、違うんだな…。」
日本と違い、海外では9月から学年が始まることが多い。
公人は腕組みをしてそれきり黙り込んだ。
彩子はと言えば、じっと公人の顔を見つめている。
重苦しい沈黙を振り払うように、彩子は恥ずかしげに頬を赤らめてぽつりぽつりと話し始めた。
「…馬鹿みたいなんだけど、保証が欲しかったのよ。……でも、いざ描こうと思っても公人の隣で笑ってる自分が思い浮かばなくって…。」
事実上の告白に等しい。
だが、その言葉を口にするのとしないのとでは雲泥の差がある…と、彩子は思っている。
「……片桐さん、俺は…」
「ストップ!この状況に流された答えを聞くのはフェアじゃないと思うのよ。……それにね、どうせ聞くなら……」
彩子は公人から視線を逸らし、窓の外に顔を向けた。
その方向には、もちろんあの樹が立っている。
「もし…もしもその気があるなら、この絵は公人に完成させて欲しいの。」
彩子はキャンバスを公人に手渡して下を向いた。
「公人と私の卒業制作みたいなものね。……それに、公人の描く私の姿ってちょっと興味もあるし……」
彩子は、公人の脇をすりぬけてそのまま美術室のドアへと向かう。
ドアに手をかけようとして、彩子は笑って後ろを振り返った。
「一時は留学するのやめようかとも思ったんだからね。…だから、見送りには来ないで。」
「彩子、何か寂しそうに見えた。」
「そうか…。」
空港に見送りに行った望から話を聞くと、公人はただ頷いた。
待つことに何か意味があるとは思えなかった。公人がいらただしげに舌打ちをして壁を蹴飛ばしたのを見て望は言った。
「彩子はさ、多分公人の負担になりたくないんだよ。」
「負担?負担って何だよ?」
望は横目でちらりと公人の顔を見て、再び窓の外へと視線を移した。
「……彩子の留学の話って、最初は公人にきたんだってね?」
公人は一瞬ぎくりとしたように慌てて視線を床に落とした。
「海外で絵の勉強をするのが彩子の子供の頃からの夢だってコトも知ってたよね?」
「……それって、片桐さんが?」
「私がそんなこと知るわけないじゃない。」
望は、少し怒っているようだった。
「……別に留学すればいいってものじゃないんだ。芸術の都パリっていってもここ30年はパリから芸術家はうまれていないことからも証明されてるよ。」
「だから、彩子に譲ったんだ……でも彩子はどう思ったのかな?自分には留学の意志がないことをちゃんと彩子に説明してあげた?」
「そ、それは……」
望はため息をつくといきなり公人の背中をはり飛ばした。
床に倒れた公人を、望は威嚇するように腰に手をあてて見下ろす。
「つまりどこで勉強しても一緒って言いたいんだろ、公人は。」
「留学の話は1人だけだからな。」
「彩子から聞いたよ……毎年1人なんだって?」
望と公人の視線が交錯する。
公人はズボンに付いた埃をはらいながら立ち上がった。
「……気軽に言うね、清川さんは。」
「私は、絵のこと知らないから。」
望は白い歯を見せてにっと笑う。
公人のことを信じているというよりは、親友の選んだ少年を信じている表情だった…
夕陽を浴びた伝説の樹にもたれながら公人はぼやいた。
「これじゃあ、立場が逆だよな……。」
この半年間で、彩子から公人への手紙は二通だけ。
最初の手紙は9月に、そして二度目の手紙は昨日届いた。エアメールの時間差を計算していたのか、それとも単なる偶然なのか…
しかし、どうやら公人の贈り物は無事に届いたようだった。
「相変わらず日本語の使い方が変なんだから……これじゃあ待ってますじゃなくて待っててくださいだろ。」
ぼんやりと校門の方を眺め続けてどれくらいの時間が過ぎただろう。
公人は、もう何度目か分からないため息をついて……そして自分の足下へと近づく影に気が付いた。
「しばらく見ない間に腕が落ちたんじゃない。それとも、私ってあんなに美人に見えてるの?」
懐かしい声。
公人はゆっくりと視線をあげた。
そこには、夕日を背中に受けてはいるものの、まごうことなき彩子の姿があった。
「……いや、目の前の片桐さんの方が綺麗だ。」
「ソーグラッド!お世辞でも…ね。」
日本語の裏切り者は相変わらずだった。
しかし、何故かほっとする。
「……とりあえずは、二年連続のコンクール入賞おめでとう。」
「あーあ、片桐さんの後輩になるなんて…。」
公人の台詞と表情が完全に食い違っているのを見て、彩子は微笑んだ。
「絵の世界に、先輩も後輩もないでしょ…」
そして彩子は嬉しそうに夕暮れの校舎を見上げる。
「帰ってこれて良かった…」
「……別に帰るのは簡単なんじゃ…?そりゃ、飛行機代は高いけど…」
彩子の肘が、軽く公人のお腹にめり込む。
「バカね、公人の隣に、って意味よ。」
彩子の顔が赤い。
多分その赤さは、夕日の光だけではないだろう。
ザワザワッ……
伝説の樹の梢が揺れる音を聞き、彩子はいつの間にか風が出てきたのを知った。2人の止まっていた時間が再び動き出したのを祝福するような、春のやわらかな風。
彩子は2・3度深呼吸し、覚悟を決めたように公人の顔を真っ直ぐにみつめた。
「好きよ、公人。前よりもずっと。」
「俺も片桐さんが好きだよ。ずっと前からね。」
何やら含む所のある公人の物言いに、彩子は唇をとがらせた。
「女の子は何でもいいから特別なきっかけが欲しいの!」
「そのために半年以上待たされたのか…そのうえ今日は4時間も。」
わざとらしく肩を落とす公人に対して、彩子が悪戯っぽくウインクする。
「あら、だって夕方だったじゃない?あの絵の中では。」
まさか、ずっとこの時間になるまでどこかで待ってたんじゃないだろうかという考えをぐっと押さえ込んで公人が彩子に話しかけた。
「ところであの絵はどうしたの?」
「今日の記念に美術室に飾ってきたわ。私達が新たな伝説の始まりになるかもね。」
声にならない叫び声をあげながら悶える公人と彩子の姿を、半年前の2人が美術室の窓から暖かく見守っていた。
完
片桐さんってどんな喋り方やったっけ?(笑)
開き直って普通の話し方にしましたが勘弁を。
本当なら星空ネタで書き上げるつもりだったのに、いつの間にか違う話になってしまいました。
美術部じゃなくて、吹奏楽部のトランペット・ソロのお話とか書いてみたかったのになあ。それとも、掟破りの失恋モノにして主人公の肖像画が何かの賞をとるとか、卒業後のエピソードで個展の中に主人公の絵を見つけるとか、片桐さんのお見舞いにいったら部屋の中から主人公の似顔絵が一杯出てくるとか書きたいネタは多いんですけどね。
しかし、同人漫画ではこのキャラに悩まされました。髪型が面倒だし。……そう言えば合宿とか修学旅行で髪を下ろしていてわかんなかったよとかいうイベントが個人的には欲しかったなあ。(笑)
まあ、藤崎・虹野・片桐・館林が確か四天王と呼ばれていたと思うんですが、四天王だけに大概のネタは出し尽くされてるんでしょうね。
どうもこれを書いていた時期、高任は頭が悪かったみたいです。(笑)何というか、わかりにくいを通り越して、完全に筋道が無茶苦茶なお話になってますね。と、いうより5人も6人も同時進行で書いていたのがまずかったのかも知れません。
と言うわけで、筋道を変えずに修正してみましたが……みましたが……あう。(涙)
書き直すのに凄いストレスが溜まりました。
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