「テディ。」
「あ、海燕さん。」
 テディの方から歩み寄るまでもなく、海燕はつかつかとテディの元へやってきた。そして、ぽんと紙包みをテディに投げてよこす。
「誕生日おめでとう。」
「え?」
 あきれるほど無造作に投げ渡された包みを見て、テディは驚いたような表情で海燕を見た。
「ちょ、ちょっと海燕さん。」
「悪い、急いでるんだ。」
 返品は認めないとばかりに、海燕はさっと身体を翻して歩き去っていく。
 ドルファンD暦28年の5月17日。
 テディ・アデレードの23回目の誕生日は良く晴れていた。
「もう、久しぶりに会ったっていうのに。」
 腰に手をあてて頬を膨らませる仕草は、まるで少女のように愛らしい。ドルファン国立病院の患者にとっての白衣の天使も、この瞬間だけは1人の女性の姿に戻る。
 海燕の背中が見えなくなってしまうと、テディは貰った包みをそっと開いてみた。
「あら……」
 ずっしりと重いそれは、人を叩き殺すには充分な……もとい、人の命を助ける医者になるための医学参考書。
 テディは指先でこめかみのあたりを軽くひっかき「あの人の前では迂闊なことは言えないわね。」と呟いた。
 数ページめくってぱたんと閉じる。
「……本当に高いのに。」
 テディはふと何かに気がついたように顔を上げた。その視線は海燕が消えた方向を向いている。
「私、お礼も言ってない……」
 だが、その次の日にテディは思いもかけない場所で海燕と出会うことになる。
「漁師からバーテンまで……海燕さんは何でも出来るんですね。」
 半ば呆れたように呟くテディに、海燕はインシュリンの瓶を手渡した。
「まあ、傭兵暮らしが長いからな。」
「多分それは違うと思います。」
 と微笑ましい(?)会話がかわされているここは、テディの勤めるドルファン国立病院の付属薬局。先生に頼まれた薬を取りに来て、こうして顔をあわしたのである。
「1人で生きていくなら何でも出来ないとな。」
 メモに書かれた薬を手早く調合しながら、次々と完成品をテディに渡していく。そんな海燕を見てテディはため息をついた。
「ほんとに、何でも出来るんですね。」
「山の中や戦場に、薬師はいないからな。」
「………くすし、ですか?」
 聞き慣れない言葉を耳にして、テディは聞き返した。
「ああ、薬師ってのは俺の故郷での医者みたいなものだ。」
「そうですか……。」
 わかったようなわからないようなテディの顔つきである。
 時々こうして聞き慣れない言葉を耳にする度、海燕が外国人・・・と言うよりも異文化育ちの人間であることをテディは実感する。
「さぞかし、いろんな経験をしてきたんでしょうね。」
「ほい、テディ。これが最後の薬だ。」
 下手なはぐらかしをされたような気がしないでもないが、テディは素直にそれを受け取った。生真面目なテディの性格だけに、仕事中に無駄話をすること自体に罪悪感がある。
 そのまま薬局を出ていきかけたテディは、急に後ろを振り返った。
「海燕さん。」
「ん?」
 テディは少し気になったという風に、海燕に問いかけた。。
「ところで、海燕さんはどうして傭兵になったんですか?」
 いきなり何の脈絡もない話題を持ち出され、海燕は怪訝そうな表情でテディを見つめた。テディもまた海燕を見つめ返す。
「何でも出来るなら………別に傭兵でなくても良かったんじゃあ…?」
「テディ、仕事中だ。」
 口調こそ柔らかいが、確固たる拒絶のサインを示されてテディは狼狽えた。
「あ、その…ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
 テディは慌てて頭を下げ、いたたまれない気持ちのまま薬局を出ていった。
 
「何ぼーっとしてんのさ?」
「あ、メネシス先生…」
「薬、貰ってきてくれたんだろ?さっさと渡しなさいって。」
 ほれほれ、とメネシスはテディの目の前に手のひらを突き出した。
「あ、これです。」
 メネシスは手渡された薬を1つ、2つと確認しながら大きく頷く。
「ほう、いい薬剤師が入ったようだね。」
「(それを調合したの、アルバイトなんです……)」
 テディは頬のあたりをひくつかせながら、愛想笑いを返した。
「おや?」
「どうかしましたか?」
 薬の1つを取りだして表情を変えたメネシスに、テディは慌てて声をかけた。
「この調合……ああ、海燕の奴か。あの男も芸が細かいねえ。」
「そんなことがわかるんですか?」
 驚いた表情を見せるテディに向かって、メネシスは苦笑いしながら呟いた。
「わざわざこんなややこしい調合する物好きなんかそうはいないよ。」
「間違ってたんですか?」
 メネシスは首を振ってそれを否定した。
「この調合だと、患者への副作用の危険性が少ないの。海燕め、これはあたしに対する挑戦状だね。」
「先生は、海燕さんとお知り合いだったんですか?」
「ここらじゃあ、東洋の知識は貴重だからね。しかし、あの男も何を好んで傭兵なんかやってるのか……ほんとに男ってのは…」
 メネシスの唇が無意識に呟いた名前を、テディは聞き逃した。
 無論、聞いたとしてもテディには何の意味ももたない名前に過ぎなかったが。
 
 乾燥したドルファンの夏は、日なたと日陰では随分感じる温度が違う。海燕とテディが座る、ここ国立公園の日陰のベンチは風通しも良く、なかなか過ごしやすい良い場所であるといえた。
「この前、メネシス先生が怒ってました。」
 多少、複雑な表情でテディが呟いた。
「何故?」
「たまには遊びに来いって。」
 そう言って横目で海燕の表情を確認するテディ。だが、海燕から返ってくる答えはテディの想像を超えていた。
「お茶の中に怪しげな薬品を入れないようになったら考えておく、って伝えてくれ。」
「ええっ、そ、それって…?」
 テディは自分の聞き間違いかと思って立ち上がった。そのただならぬ様子からして、メネシスの人体実験趣味を知らないと言うことは海燕にはすぐわかった。
 …正確には、人体実験が趣味と言うよりも化学と実験をこよなく愛し、犠牲を厭わない性格なのだが。
「テディも気をつけろよ。」
 からかうような海燕の言葉に、テディはぷうっと頬を膨らませて眉をつり上げた。
「メネシス先生は立派な方です。たとえ冗談でも、言っていいことと悪いことがありますよ。」
「なるほど。」
 海燕は1つ頷いて口をつぐんだ。
 実験で発生した薬液の事後処理を全て土に任せたりしているメネシスなのだが、テディの目には尊敬すべき立派な人格者として映っているのだろう。
 それならそれで良し、と考える海燕であった。
 トレンツの泉や審判の口といった世界的に有名な観光スポットのあるこの公園は、1年を通じて観光客でにぎわっているのだが、さすがに真夏の炎天下ともなれば人通りは少ない。
 ベンチに腰を下ろしたままぼんやりと風景を眺める。それはそれでテディにとって悪くない時間の過ごし方なのだが、海燕はどうだろうと思うと口を開かずに入られない。
「あの、退屈してませんか?」
「いや、そうでもないな。」
「そうですか……」
「テディは退屈なのか?」
「いえっ、そんなこと…ないですよ。」
 テディは慌てて首を振った。そして浮かしかけた腰をベンチへ下ろす。心持ち海燕との距離が縮まったのはご愛敬というところだろう。
 それでも、微妙な距離感を残しているところがテディらしい。
「そう言えば、スィーズランドへの留学はどうなってるんだ?」
「まだまだですね。奨学金がとれるほど自分が優秀じゃないことはわかってますし。」
「医者になるにも金が必要とは……皮肉な話だ。」
 海燕は頭の後ろに手を回して空を見上げた。
 その何か言いたげな海燕の態度に気がつき、テディは俯きながら呟く。
「わかってます……私の言うような立派な医者ばっかりじゃないって事は。看護婦の仕事を始めていろんな事を知りましたから。」
「……早く医者になれるといいな。」
「ありがとう…ございます。」
 そう返事しながらも、心のどこかにちくりとした痛みを感じて、テディはさりげなく海燕のいない方に顔を向けた。
 そんな2人を、ざわざわと揺れる木漏れ陽が包み込んでいた。
 
 開け放した窓から入ってくるのは、涼しい秋の夜風と虫の音。
 テディは読んでいた本をぱたりと閉じため息をついた。そのまま窓の側に行き、夜空を見上げる。
 看護婦の仕事は本当に忙しくて非人間的スケジュールであることが多い。そんなテディにとって久しぶりの休日である明日は海燕と会う約束になっていた。
「私だけ…こんな思いをするのは悔しいな。」
 窓枠に頬を押しあて、そのままぼんやりと窓の外を見つめるテディ。
 優しい海燕に魅かれている自分を自覚してから、もうどれぐらいになるだろうか。傭兵という血なまぐさい職業に似合わない、優しい笑みと心遣い。
 それはテディの知る限り、分け隔てなく与えられる種類のものだった。
 そして、海燕はほとんど何でも自分一人で出来た。それは凄いことでもあり、悲しいことでもあるとテディは思う。
 医者になって、1人でも多くの人に必要とされたいと願っていたテディだが、最近はその決心とは違う願いが心の中で少しずつ大きくなってきていた。
 そうしてテディが眠れぬ夜を過ごした次の日。
 いつものように待ち合わせ場所に向かい、いつものように挨拶を交わした2人の耳に甘ったるい声が響いてきた。
「はーい、お元気ぃ?」
 男に媚びるような、神経を2・3本まとめてぶちぶちと引きちぎる声にテディは怪訝そうにそちらを振り向いた。
 軽くウエーブのかかった長髪を風になびかせ、自分のプロポーションを誇るように腰に手を当ててこちらを見つめている女性の姿があった。
 少し肌寒く感じる10月というのに、あろうことかノースリーブの薄着を着ている。
「(寒くないのかしら……)」
 などと考えていたテディの方を海燕が振り向いた。
「テディ、知り合いか?」
「海燕さんの知り合いじゃないんですか?」
「あーら、海燕ったらとぼけちゃって。2人で楽しんだ夜をもう忘れたの?」
 テディの眉がぴくっとつり上がり、少し険しい表情で海燕を見つめる。
「……って言ってますけど?」
「生憎、覚えがないな。」
 テディは女性の方を振り向いた。
「……って言ってますけど、あなた本当に海燕さんの知り合いですか?」
「知り合いも知り合い…背中のほくろを数え合う仲なのよん。」
 垂れかかる髪をサイドにかき上げ、挑発するように自分を見る目つきから、テディはこの女性を自分の敵と判断した。
 だが、それよりも今は海燕である。
「海燕さん!?」
「生憎だが、背中に傷はあってもほくろはない。」
「嘘、ちゃあんと肩胛骨の下に小さなほくろがあるじゃ……と、失礼。あるわよーん。」
 海燕とテディの訝しげな視線が女性に集中する。
 女性はどこか慌てたように口を開いた。
「ま、まあ、それはさておき…こんな小娘を相手にするぐらいなら私といいことしましょうよ。」
「行こうか、テディ。」
 海燕は肩をすくめてテディと共にその場を立ち去ろうとしたが、テディは険しい表情で首を振った。
「まだ、お話が終わってないようですけど?」
「あらあら、そんなに怒ると眉間のしわが固着されちゃうわよん。」
「私、まだそんな年じゃありません!」
 テディはぎっとにらみ付けるように女性を見る。
「本当のお肌の曲がり角は23歳からなのよん。」
 ちなみにこの時点でのテディの年齢は23歳。
 海燕は馬鹿馬鹿しくなったのか、ひたすら空を見つめている。それをよそに、2人の女性の舌鋒は激しさを増していく。
「この季節にそんな薄着なんて…神経性疾患の疑いがあります。一度病院で診察して貰った方がいいと思いますけど。」
「可愛い顔してなかなか言うじゃないの。」
「あら、少なくとも視力は悪くなさそうですね。」
 海燕は何とも手持ちぶたさなのか、ただひたすらに空を見上げ、流れていく雲の数を数えたりしていた。
 結局の所、自分に矛先が転じるのを待つことしかできない立場はつらいものだ。
 そして、ついに矛先が海燕に向けられる。
「女性にだらしない方って不潔だと思います!」
 怒りのあまり、テディの顔色は赤を通り越して青白くなっていた。それに対して海燕はいつもと変わらぬ表情で、『どうしたものか?』とばかりに頭をかいている。
 だが冷静さを失っているテディにとっては、そんな海燕の仕草の全てが気に障った。
「怒っちゃだめよん…第一、あなた、何の権利があって怒ってるのかしら?」
「ぐっ。」
 テディの顔が再び赤く染まる。
「わ、私、失礼します!」
 肩を怒らせてテディはその場を離れていった。
 
 ボスッ!
 罪もないクッションが壁に投げつけられて床に転がった。そうしたのが何度目かは既にわからない。
 テディは床に転がったクッションを拾い上げ、もう一度壁に投げつけようとして……そのままぎゅっと抱きしめる。
 本当のところは暴れたいのだが、自分の身体のことはテディ自身が一番良く知っていた。健康そうな外見とは裏腹に、それを許さない身体であることを。
 そのことがまたテディのコンプレックスを生み、潔癖性の人格を積み上げていく。テディの中では、今日出会った女性のような存在は嫌悪すべき対象として確立されているのである。
 クッションを抱きしめたままじっとしていたテディだったが、また思い出したようにクッションを壁に投げつけた。
 クッションにとってはいい迷惑である。
 やがて、テディはごろんと床の上に寝ころんだ。
 長い髪が羽のように広がって、テディの首筋を刺激する。いつもは心地よいその刺激も、今のテディにとっては煩わしい。
 テディはとにかくいろんな事に腹をたてていた。
 突然現れた女性のことはもちろん、海燕に対してもである。そして何よりも、自分が海燕に対して本来何も言えない立場であることに腹をたてていた。
 これまで2人で会ったりしてたが、考えてみればお友達としてのつきあいを超えるものではない。
 メネシスのように、人生の全てを化学にうちこむ生き方に憧れていたし、また多くの人に必要とされる医者たる存在になるためにはそれが当然だと思っていた。
 テディの目の前には、いつだって困難ではあってもはっきりとした道が見えていた。
 だが、今夜ばかりはその道が見えない……
 
「テディ、あんた海燕の住んでるところ知ってる?」
「え?……はい、知ってますけど。」
 テディが海燕と会わなくなってから3ヶ月が過ぎていた。
 チリチリするような胸の痛みは看護婦としての激務の中で薄れていき、テディには以前と同じような日常が戻ってきていた。
「海燕さんに何か?」
「……お礼を言いにね、ちょっと。」
 怪訝な表情を浮かべていたのだろう、メネシスはテディの顔を見てぽつりと呟いた。
「昨日の爆弾騒ぎ……あの犯人ってあたしの古い…友人だったんだ。」
 友人という言葉の響きの中に何かを感じて、テディは無意識に目を伏せた。
「……案内します。」
「悪いね、忙しいのに。」
 夜がきて看護婦の仕事が終わると、テディはメネシスを伴い、シーエアー地区に立ち並ぶ傭兵の宿舎の一角へと足を運んだ。
「この突き当たりなんですけど……」
「ああ、ここまででいいよ、ありがと…」
 闇の中に消えていくメネシスの後ろ姿を見送り、テディは背を向けてその場を立ち去ろうとした。
 しかし、一歩二歩と歩んだところで、足が止まる。
「……挨拶ぐらいなら、かまわないはずよね。」
 自分自身に言い聞かせるように呟いて振り返るテディ。その表情は白衣の天使として周りに振りまく笑顔ではなく、恋する女性が時折見せるそれだった。
 扉の側で待つテディの耳に、海燕とメネシスの会話が聞こえてくる。
「ところでアンタ、肩の傷は?」
「自分でぬった。2週間もすれば塞がるはずだ。」
 微かな吐息の音がして、メネシスの独白めいた言葉がそれに続く。
「……アンタも、そしてあたしもミハエルと同じか。自分だけを…いや、自分しか信じられないんだ、多分。1人で生きて、そして死ぬときも1人……それでいいんだよね、きっと。」
 部屋の中から重苦しい空気が流れ出てくるようだった。
 テディは、ただ胸の前でぎゅっと手を握りしめる事しかできない。
「ま、あたしは化学に生きるんだけどさ……あんたは一体何を……」
 テディは息をのむ。
「と、これは余計なお節介か……ふう、あたしはもう帰るよ。」
 こつこつと響く足音がドアの前で止まり、一瞬遅れてドアが開かれる。
 メネシスは眉1つ動かさずにドアの隣に立っていたテディを見つめ、そしてドアを閉じた。
「テディ、アンタも苦労性だね。」
 囁くような小声でそう言い残し、メネシスはそのまま帰っていった。
 そしてテディは、どうしてもドアを開けることが出来ずに、結局海燕とは顔を合わさないままその場を立ち去ることにした。
 
 ドルファンに春が訪れる頃、テディはメネシスのラボを訪ねた。
 実験中だというのに、メネシスはわざわざ手を休めてテディのためにお茶を入れた。彼女にとっては最高レベルのもてなしと言っても良い。
「で、今日はなんだい?」
 湯気の立つカップを傾けながら、メネシスがテディに問いかける。
「ええ、実は………」
 だが、テディはそう呟いたきり、黙りこんで俯いた。
 奇妙な沈黙が2人の間を支配する。
 そしてテディに出されたお茶が冷めてしまう頃、メネシスは口を開いた。
「何を悩んでるか知らないけど、自分で決めな。あんたが医者になりたいと思ったのは誰かにそう言われたからじゃないだろ?」
「私は、医者に…なりたいです。」
 だったらそれで…と言いかけたメネシスの言葉を遮り、テディは立ち上がる。流れる涙と共にきつく噛みしめた唇がほどけ、振り絞るような言葉がのどの奥から迸った。
「それでもっ、それでも私は……あの人に必要とされたい…」
 感情をそのまま言葉としてぶつけられ、メネシスはローブの下で居心地悪そうに身体を揺すった。
 ふと、テディの視線が初めて存在に気がついたようにメネシスに向けられる。
「軽蔑…しますよね……いえ、きっと軽蔑されますよね。」
「……なんで、あたしの所に来たの?」
 メネシスの当然の質問に、テディは形だけの、感情の伴わない笑みを漏らして呟いた。
「先生と…あの人が似てる気がして……だから…」
 テディの瞳は、メネシスを通り抜けどこか遠くを見つめていた。そんなテディに対して、メネシスは不思議と怒りの感情を覚えない。
 やがて、1つため息をつくと、メネシスはテディに語りかけた。教師が生徒に語りかけるような優しい声で…
「あんたはいい子だ…だからきっと自分の大事なものを選べる。」
 メネシスは一旦言葉を切って、テディの顔を見つめた。
「テディ、あんたはどうしたい?」
「………私は、」
 手のひらが白くなるまでぎゅっと握りしめて、テディはゆっくりと入り口のドアの方を振り返った。
「私は………」
 震える足が最初の一歩を踏み出すまでしばらくかかった。
 二歩、三歩と歩いたところでテディはメネシスを振り返り、ぎこちない笑みを浮かべて頭を下げた。
「メネシス先生、私、用が出来たので失礼しますね。」
「ああ……と、その前にあたしが入れたお茶ぐらいは飲んでいきなよ。」
 メネシスは照れくさそうに自分の頭をかきながら視線を逸らし、言い訳がましく呟く。
「まあ、冷えちゃったから美味しくはないだろうけど…」
 テディは冷めたお茶をすすりながらにっこりと微笑む。
「いえ、美味しいです……凄く、あたたかくて…」
 
「待ってください!」
 背後から呼び止められ、海燕は立ち止まると同時に後ろを振り向いた。夕日を浴びた黒いシルエットが海燕の目の前で立ち止まる。
「……テディ、走ったりしたら身体に……」
 テディは、息を整えながら首を振った。
「いいんです、今走らないと一生後悔しますから。」
「無茶なことをする……」
 しばらくして、ようやく呼吸を整えたテディは顔を上げた。
 赤色でコーディネイトされた服装は、テディの身体を夕日の中に浮かんでいるように見せた。
 テディの手に持たれている荷物と、瞳の中の決意の色を読みとったのか、海燕は小さく首を振り、囁くようにテディに語りかけた。
「医者になるという夢はどうする?」
 一瞬、ほんの一瞬だけテディの心に痛みが走る。
 自分の身体が普通ではないことを自覚した幼い頃から抱き続けてきた夢。それを手放すことは容易ではない。
 みんなと同じように走り回りたかったあの頃。
 テディは特別なことを望んだわけではなく、ただ普通であることだけを求めていた。
 世の中にはセーラのように家から外に出たことのない少女だっている。それと自分を比べることはナンセンスだが、医者になって彼女のような存在を救いたかったのは事実。
 しかし、それを捨てようとしているのがテディの現実であり、決心だった。
「捨てます。」
 深い山奥の湖を思わせるような穏やかな口調。そう応えたテディの表情には迷いはなかった。
 ただ、そこにあるのは海燕に突き放されるのではないかという不安だけ………
「あなたについていきながら……なんて甘い道じゃないことはわかってますから。」
「たとえば………俺がそれを拒んだら、また医者を目指すのか?」
「そんな言い方は卑怯です!」
「………そうだな、すまない。」
 夕凪の時刻だというのに、風が吹き始めた。
 ただそれだけのことで、重い雰囲気が多少和らいだ様にテディには思える。
「私、身勝手ですよね?」
 夕日の照り返しも眩い水面に視線を向け、テディは目を細めた。
「でも、今の私って初めてみんなと同じように生きてる気がするんです。みんなのためとかじゃなくて、自分のために…自分のためだけにわがままを言って………」
 瞳から一筋の涙がこぼれ、夕日の照り返しを受けキラキラ輝いて落ちていった。
「私…間違ってますかね?」
「俺にそれをとやかく言う権利はないな……」
「そうですね、海燕さんの方がよっぽど自分勝手ですよね。」
 テディは涙を拭って笑った。
「何しろ、この国を出るというのに手紙1つよこさないんですから。それとも、他の誰かには出したんですか?」
「いや、誰にも出してない。」
 テディは海燕に聞こえないようにため息をついた。こういう人を好きになった自分をほんの少しだけ哀れむ気持ち。
「もう一度聞いてもいいですか?」
「………何を?」
「何故、傭兵を選んだか…です。」
 黙り込んでしまった海燕を見て、テディは目を伏せた。
「駄目…ですか。」
「いや、長い話になるから船の中で話そう。」
「船…?」
 どこか自信のなさそうな呟きがテディの口から漏れる。
「……いいんですか?」
 海燕が何を今更という表情を見せる。
「私…本当にあなたについていっていいんですか?」
 口元を押さえながら、ぼろぼろと涙をこぼすテディ。その姿を見て、海燕は軽く手を広げた。
 ガン、ガラン、ガラン………
 1つになった影が伸びる波止場に、船がまもなく出航することを告げる合図が鳴り響いていた。
 
 
                    完
 
 
 このゲームで一番最後にクリアしたキャラです。なんせ、それまでに非常に難しい脇役キャラ、ルーナの見送りエンドまで確認してましたから。(笑)
 誤解の無い様に言っておきますが、このキャラが嫌いだったわけではなくただ単に攻略できなかったからです。
 このキャラを攻略するための必須イベントが、『感情値をあげすぎると発生しない』というトラップに見事にひっかかっていたわけです。(笑)
 ゲームのエンディングに関して、個人的にはテディのエンディングがぶっちぎりの一位です。もう、そのまんま台詞とか使いたかったんですが、それをやるとパロディですら無くなるのでさすがに出来ませんよね。
  キャラそのものとしては、最後の直線だけで大外から先頭に襲いかかった様な印象でしたが、少し足が届きませんでした。(笑)キャラ順位としては5・6番手です。
 でもこの文章をざっと読み返してみると……妙に力が入ってる気がしないでもないです。(笑)
 まあ、読みながらにやりと笑ってくれたりすると私も嬉しいです。

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