「では、私はちょっと所用がありますので……」
「はい、ヴェストー神父…」
 鼻眼鏡を指先でちょっと持ち上げ、穏やかな笑みを浮かべた神父の後ろ姿を見送る。
 前任のアイン・カラベラル神父がセリナ運河中流域で水死体となって発見されてからもう2年が経つ。
 アイン神父の後任としてやってきたヴェストー神父……が、世を忍ぶ仮の姿であることをルーナは知っていた。
 ミハエル・ゼールビス……爆弾テロリストとして指名手配され、今もかなりの国で本名を名乗ることのできない人物。
 かつてルーナが身を投じていたレジスタンスが一度だけ彼を雇ったことがある関係でそれを知っていたのであるが、向こうはルーナのことを覚えているわけもない。シスターの服装はもちろん、ルーナもまたあの頃とは名前も違うのだから。
 あの時、彼がおこなった仕事の結果を思い出すと今でも背中に嫌な汗が滲む気がする。
 ターゲット殺害のためにまわりの人間数百人を犠牲にした爆弾テロ……その事件の後、ルーナはレジスタンスを抜けた。
 ドーン、ドドーン!
 身に付いた習性を強靱な意志で抑え込み、ルーナは小さく息を吐いた。
 ズィーガー砲による祝砲……それはルーナにとって、過去の記憶を思い出させる忌むべきものだ。
 市民革命、軍閥による独裁から王政復古……ルーナの生まれ故郷は豊かな大地と青い空に恵まれ、いろんなモノを与えてくれたが、ただ一つ政治だけは与えてくれなかった。
 少女時代からレジタンスに身を投じ、硝煙と血の匂いを香水に成長してきたルーナ。
「……この国も、火器にのみ込まれていくのね」
 じっと手を見る。
 かつて、スナイパーとしてたくさんの命を奪った。ルーナにとっての最後の引き金は、捕らえられた仲間を楽にしてやるための、組織の論理による狙撃。
 それは温情であり、また非情でもある。
 そして、その次の暗殺をルーナは拒絶し……ゼールビスが呼ばれた。
 ゼールビスによって死んだ数百人の命の重みを……多分ルーナは一生忘れない。
 銃のない国へ……そう願って、逃げてきたドルファン。
 当時ドルファンは鎖国政策を採っていたが、いつの世もそうであることが多いように、宗教関係者は例外だった。
「逃げ場所なんて……どこにもない」
 傷ついた魂にとって、宗教は何の意味も持たなかった。
 あれから数年、ルーナの心は今も赤い血を流し続けている……
 
 照りつける夏の陽射しをモノともせず、子供達は汗を流しながら走り回っている。
 教会のすぐ側にある孤児院には、戦争で親を失った子供達が数人……多分、これからも増えていくのだろう。
「危ないからな、離れてるんだぞ…」
 ヒュンヒュンヒュン…と、風を切る懐かしい音にルーナはそちらを振り向いた。
 1人の少年が、皮の紐に石をはさんで頭の上で振り回している。
「えいっ!」
 と、かけ声と共に勢いよく飛んでいく小石。
 だが、おそらく標的であろう木の杭から大きく外れている。
「駄目じゃん…」
「下手くそ…」
「難しいんだぞ、これ…」
 ちょっと困ったように口を尖らせる少年に歩み寄り、ルーナはその革ひもをそっととりあげた。
 そのまま無言で足下の石を拾い上げ、頭の上で回転させる。
 と、無造作と思えるほど簡単に石を投じた。
「……っ!」
「わあっ!」
 石の直撃を食らった木の杭が折れて弾け飛んだのをみて、子供達は歓声とも恐怖とも付かない声をあげる。
「……あれが、あなたのお友達だったらどうする?」
「え?」
 脅えたようにルーナの顔を見る少年。
「遊びで……こういうことをしては駄目。100回やって99回成功しても、1回の失敗があなたの大事な人を傷つけるわ……」
 ルーナは折れた木の杭を拾い上げ、少年に見せた。
「こんな風にね……」
「……ごめんなさい」
 ルーナは優しい笑みを浮かべ、少年の頭を撫でながら革ひもを返してやる。
「さ、別の遊びをしてきなさい…」
「はーい」
 駆けていく子供達を見送ると、ルーナは振り向きもせずに呟いた。
「……私の故郷では、子供はみんなアレを練習するんです」
「生きるために…か?」
「戦うことが生きることと同義であるとするならば……ですけど」
 ルーナは両手をあげて大きくのびをし、少女のような微笑みを見せた。
 シスターとして隠していた素顔が想い出と共にこぼれ出た……そんな印象を受け、海燕はゆっくりとルーナから視線を逸らした。
「海燕さん……あなたは何のために戦うのですか?」
 宗教、政治的思想、金……人が戦う事のできる理由はそれこそ星の数ほどある。
「……余計なことは考えないようにしている」
「1つの国が主義主張の違いで小さく分裂していく。このドルファンも、元は大トルキア帝国の一部……分断に分断を重ねる事が時代の流れだというならば、人は最終的に1人であるべきなのでしょうか?」
 だとすれば、国家の存在意義は生産的効率以外に何があるのか?
「……それを、何故俺に聞く?」
「それは……」
 ルーナはゆっくりと海燕を振り返る。
「……あなたが、独りだからですよ」
 
「どうしたの、泣いてたらわからないでしょう?」
「アニスが、アニスが……」
 泣きじゃくる子供の口から語られる断片をつなぎ合わせることで何が起こったか理解した瞬間、ルーナはドルファンの大通りに向かって駆けだしていた。
 ドルファン銀行を取り囲むのは地区警備兵。
 同じ戦場を駆け抜けながら与えられる恩賞は騎士の1割以下……もちろんそれだけではないが、不満にくすぶっていた外国人傭兵達の一部が起こした銀行襲撃。
 捕まれば軍法によって死刑であることは確実だからして、余計に危険な存在とも言えるだろう。
「……アニス」
 犯人が抱えた人質の姿を見た瞬間、ルーナの意識が数年前へと飛んだ。
 右手が無意識に銃を探す。
「貴様、ここは立入禁止だ!」
「傭兵の不始末は傭兵が片を付けると昔から決まっているのでね……」
「何をふざけたことを…」
 そんなやりとりがルーナを現実へと引き戻し、慌ててそちらを振り向く。
「……海燕さん」
 なおも海燕を制止しようとしたらしい地区警備兵が、脅えたように後退ったのが見えた。
「延々と躊躇した挙げ句、強行突入しか策がないくせにえらそうな口をきくなよ……」
 放出される殺気に気圧され、海燕は無人の野をゆくように銀行へと歩いていく……そしてルーナは、呆然とする警備兵の腰から銃を抜き取っていた。
 感覚を研ぎすまし、銃身を指先でなぞる。
 重心バランス、目に見えない歪みから、銃の癖を想定……本来試し打ちをして知るべきなのだが、今はそれができそうにない。
 ルーナはフードを取り払い、腰までの長い髪を外気に晒して風向きを計算しながら小さく深呼吸した。
 そしてアニスを抱えた男の額に照準を合わせ……ようとしたが手が震えた。
「……マージ」
 あの時のと同じく、許しを請うように妹マーガレットの愛称を口にしたが、手の震えは酷くなる一方で、ついにルーナは銃を下ろした。
 そのまま呆然とその場に座り込む……海燕がアニスを肩にその場に現れるまで。
 
「ミハエル・ゼールビス」
「……何故、私の名を知っている?」
 祭壇の後ろからゼールビスはゆっくりと立ち上がった。
「……ん?」
 腰まで伸ばされた燃えるような赤い髪、そしてルーナの纏うオレンジ色を基調とした服装を見てゼールビスは何かを思い出すような仕草をした。
「その服はアンドーノスの……?」
「……私の名は、セレネ」
 そう呟き、ゆっくりと銃を構える。
「セレネ?」
 ゼールビスの口元に小さな微笑みが浮かぶ。
「……なるほど、ギリシャ神話の月の女神の名をローマ神話のそれに……なかなか洒落た偽名だね、姿無き狙撃者ことサイレントキラーセレネ。名前は知っていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだったかな?」
 沈黙を楽しむかのように、ゼールビスは口元を歪めて笑った。
「話がしたい、という雰囲気でもなさそうだが」
「……家族をテロで奪われたと聞いたけど」
「……」
「復讐者はテロリストになり、全欧最強の傭兵騎士団ヴァルファ8騎将の1人になり……そして今は、寒い国に金で雇われた犬」
「素晴らしい…」
 教会の中に、ゼールビスの乾いた拍手の音が鳴り響く。
「組織を離れた人間にしては、大した情報収集力と分析力です……犬、という表現は多少気にくわないですが、それに免じて許してさしあげましょう」
 ルーナ……いや、セレネはゆっくりと銃を構えた。
「おやおや…?」
「あなたの行動規範は何?」
 ゼールビスは肩をすくめ、そしてため息をついた。
「どうも青臭い匂いがしますね……」
「……私は、あなたと違って他人を巻き添えにしたことはない」
「ふむ…私と同列にするな、と言うことかね」
 ゼールビスは小さく笑うと、自分の背後の彫像のポーズと同じように両手を大きく広げた。
「この世界に生きとし生ける者全てに悲しみと絶望を……それが私の目指す平等な世の中だよ」
「……ギルティ」
「ほほう、有罪判決かね?高邁な思想とやらのために数え切れないほどの命を奪ってきた君が、主の目の前で……不遜だね、不遜だよそれは。その傲慢さ、血をもって贖って貰おうか」
 ゆっくりと杖を構えるゼールビス……まるで、セレネの構える銃など眼中にないかのように。
「……貴様がそれを語る資格があるのか、ゼールビス」
 セレネは慌てて声のした背後を振り返ったが、ゼールビスはピクリとも動かなかった。構えた杖を微かに揺らすこともしないあたり、その人物の到来を予期していたのかも知れない。
「……人が人を裁く事など」
「数年前、人であることはやめました」
 剣をぶら下げ、ゆっくりと歩を進めた海燕がセレネの身体をわきに押しのけた。
「なら、言葉は不要だな……」
 呟きつつゆっくりと構えをとる海燕。
「祭壇の後ろの爆弾……後5分もかかりませんよ」
「必要ない、せいぜい数合の勝負だ」
 短く、淡々とした海燕の返答に、ゼールビスの口元が醜く歪む。
 楽しんでいる?
 とも思えるほど、海燕の表情が生き生きとしている風にセレネには感じられた。先ほどまでのゼールビスに対する怒りや脅えは、海燕の顔を見ていて消えた。
 憎しみも、哀しみも、思想も、全てから解き放たれた人間の姿。
 それはひどく綺麗で……同時に、たとえようのない寂しさを感じさせる。
 潮合は驚くほど急に訪れた。
 瞬きする間もなく二人の位置が入れ替わり、そのまま祭壇に向かって歩いていく海燕とは正反対にゼールビスはその衣服を赤く染めつつあった。
「な、何故…」
 流れる血が納得できないのか、ゼールビスは小さく呟いた。
「何故、私が負ける…」
「あの世で神にでも聞くんだな…」
 祭壇の後ろに備え付けられた大きな木箱を持って、海燕がゼールビスの隣を通り過ぎていく。
「き、貴様…」
 最後の力を凝縮させようとしたゼールビスの額に赤い点が穿たれた……いや、ゼールビスの首が飛んだのが速かったのか。
 それを確認するためには、涙を拭う必要があるようだった……
 
 あの日、妹の夢を見た。
 夢の中の妹は、セレネを責めるでもなくただそこに立って……そして、最後に小さく微笑んでから消えた……それ以来、妹は夢に出てこない。
 誰かのために……いや、自分のために人を殺したのは生まれて初めてだった。助けなど必要ないことを知りつつ、それでも体は動いた。
 その意味をずっと考え、誰も必要としない孤独なあの人に必要とされたかった……そう結論づけることに決めた。
 多少無理でも、何かを決めなければどこに進めない。
 強くなる。
 今自分にできることはそれだけ……でも、強くなればあの人についていける。あの人が、ふと後ろを振り返ったとき、そこにいられるようになろう。
 まとめた荷物を持ち上げる。
 さあ、スィーズランド行きの船の時間だ……
 
 
                       完
 
 
 プレイ中ふと思ったこと。
 ゼールビスはテロリストとして国際手配されていて、本名を名乗れるはずもない。
 で、ルーナの台詞『そんな……ゼールビス神父がまさか』……つまり、ゼールビスの本名を知っているルーナはテロリストかアンダーグラウンド組織の一員である。(笑)
 まさか……の、後に続く言葉は『負けるなんて…』などといろんな事を考えてたんですが、実際のゲーム中にはそういうイベントは1つもないようです。

前のページに戻る