「(あの男が……ネクセラリアを倒したと…?)」
 微かな落胆にも似た思いをライズに抱かせたほど、その男はごく普通の人間に見えた……少なくとも、名のある軍人や傭兵に特有の緊張感を周囲に漂わせていないのだ。
 もちろん、外見に関してはごく普通とは言えなかったが。
 この国では珍しい東洋人という事もあるが、ときたま誰もいない方向に向かって耳を傾けたり話しかけたりしている姿は怪しい事この上ない。
「(……観察対象としては楽なのだけど)」
  チラチラと、もしくはぶしつけにその男に視線を向けるのが周囲の人間としてはごく当たり前の反応なので、はっきり言ってさりげなさを装う必要がないのだ。
 ライズは微かなとまどいを胸に抱きつつ、男と接触することに決めた。
「おっと…」
 自分にぶつかって無様にしりもちをついた少女を助け起こそうと、男はそっと手を差し出した……が、ライズはその助けを拒否するかのようにきびきびと立ち上がる。
 初めて目の前の男の存在に気が付いたという風に、ライズは遠慮がちな視線を向ける。
「大丈夫よ…………あら、あなた…傭兵?」
「あ、ああ…そうだ」
 普段はあまり感情を顔に出さない性質なのだろうが、今は少し驚いたような様子でライズを見つめている。
「……私の顔に何か?」
「いや…」
 ライズは微かに頷き、ある程度の計算を込めて不躾な視線を走らせた。
「……よかったら、名前を教えて貰えるかしら?」
「海燕……海燕丈だが」
「(……やはり人違いではない……のね)」
 元々このドルファンにおいて東洋人の傭兵など人違いするはずもないのだが、ライズはやや複雑な思いで男の言葉を受け止めた。
「……私は、ライズ。ライズ・ハイマー……学生よ」
 本当はもう少し学生らしい会話をしようと思っていたのに、なぜかこの男に対してはこの挨拶で良いように思えた。
「……じゃあ、縁があったら、また…」
 目礼をかわし、ライズはその場から静かに歩き去る。
「(……差し出したのは左手だったわね)」
 ライズはあの傭兵を少し見直す気になっていた。
 ひょっとすると、自分の同胞を倒した男は凡庸な人物であって欲しくないという心の働きが作用しているのかもしれなかったが。
 
『本日、ネクセラリアを一騎打ちで討ち取った傭兵・海燕丈と接触。今の段階ではなんともいえない。ただ、彼は単なる一傭兵であり我が軍団の脅威になるとは考えにくい。情報源としての活用をはかり今後も接触を続ける。……S……』
 
「あの、ライズさん。よかったらお昼一緒に食べない?」
 昼休みを告げる鐘の音と同時に立ち上がりかけたライズの前に、1人の少女がおずおずと話しかけてきた。
 明るい栗毛の髪を清潔な感じに切りそろえた少女の顔を見つめながら、ライズは記憶を手繰る。
 時間にして一瞬の半分ぐらいだっただろうか。
「えっと、ソフィアさん……だったかしら?」
「え、あ…うん」
「気にしないで……私、一人が好きなの。気をつかってくれるのは嬉しいけれど」
「そう……じゃあ、気が向いたら声をかけてね」
 にべもない返事に嫌な顔1つ見せずに微笑むソフィアの姿に、少しライズは考えを巡らせた。
 おそらくは、いつも独りでいる自分を心配してくれてのことだろう。
 あまり邪険にするのもどうかと思い、とぼとぼと肩を落として歩くソフィアの背中に声をかけた。
「ソフィア。同級生なんだから呼び捨てでいいわよ」
「うん、わかったわ…」
 了解したと微笑むソフィアに向かって、ライズもまた微かに笑みを浮かべる……努力をしたのだが、うまくいったかどうか自信はない。
 学生というのもかなり疲れるものね……などと思いながら、ライズはふと1人の男を脳裏に浮かばせた。
「……そういえば、海燕もいつも独りね」
 血なまぐさい戦闘に直接関わりのない学生の中にいる自分とは違い、傭兵である海燕のまわりなら気の合う仲間ができるような気がするのだが。
 もちろん、一般的な生活を送る上で東洋人という人種の壁はネックと鳴り得るかも知れないが、戦場に赴く人間にとってそんなことは問題ではない筈だった。
「東洋から独りで……か」
 あの若さで、傭兵として東洋から流れてきた男……まともな過去を持っているはずもない。
 おそらく後一月もすれば、また戦いが始まるはずだ。
 戦場は、不条理な死に満ちている……次の戦いで、海燕が無事に帰ってこれる保証はどこにもない。
 そんな考えを巡らせている内に、ライズはなんとなく海燕に会いたくなった。
「……また、軍の情報なんかが聞けるかもしれないし…」
 ライズは自分の考えに少し言い訳じみたものを感じ、首を傾げた。
 やがて、結局は海燕の方から誘ってくれるのを待つしかないことに気が付いたライズは、この事についてこれ以上考えるのをやめたのだが。
 
 ライズと海燕の目の前に並んだズィーガー砲群。
 通常時は祝砲として使用されていたりするが、もちろん非常時には沖から迫る艦隊に向かって黒光りする銃身から砲弾が唸りを上げるシロモノだ。
 ただ、一般に開放されている事実が……海の守りを、海峡の向こうに存在するドルファンの友好国、アルビアに任せッきりになっている事を物語ってはいるが。
 ズィーガー砲の性能について調べる事などライズにとっては無意味だが、貴金属店などでショッピングなどというデートコースよりはこういう場所の方がよほど精神的に落ち着ける。
 いや、落ち着くことはできるのだが……
「(……この人、普通の女の子がこういうのを見て喜ぶと思ってるのかしら?)」
 チラリと横目で海燕を盗み見る。
 あまり回数を重ねているわけではないが、これまで二人で出かけた場所と言えば……
 共同墓地。
 レッドゲート。
 運動公園……は、まだ気が利いている方。
 とにかく、ムードも何もない場所ばかり。
「(……別に、ムードが欲しいワケじゃないけど)」
 心の中で呟きつつ、ライズは妙な袋小路に迷い込みつつある考えを振り払うように口を開いた。
「……銃火器を否定するわりには、こういうものが存在するのね……」
「個人としてはともかく、人を束ねる地位にあるなら最も弱いものを基準とした軍略を採らなければいけないのは事実だからな。いくら陸戦の雄と言われたドルファンでも時代の流れには逆らえまい。近いうちに……剣の時代は終わる」
 客観的に見るとことさらムードのない会話を選んできたライズにもかなり問題があると思うのだが、それに対して丁寧に対応する海燕にも問題があるのは確かだろう。
「……」
 それにしても……と、ライズは思う。
 海燕の口から1人の傭兵としての立場を越えた発言が為されることは少なくない。
 思考が自分自身の立場に基づいたものになりがちな事を考えると、海燕の発言および洞察力はかなり不自然なモノと言わざる得ない。
 そんな時ライズは、海燕の顔をのぞき込んでみたくなる衝動に駆られる。
 任務だからではなく、ライズは海燕の過去への興味を持っている自分にはっきりと気付いていた。
 ただそれを尋ねる程親しいわけでもないし、おそらく答えてくれないのがわかっているから、ライズはそれについて言及した事はない。
「また戦場に行くんでしょ」
「ああ、傭兵団の招集が近いようだからな」
 強い風に飛ばされそうになった帽子を押さえながら、ライズは皮肉な口調を隠そうともせずに言った。
「……勝手なものよね」
「何が…?」
「大した戦じゃないと判断すれば正騎士団だけで出動して、困難な状況の時だけ傭兵達を出陣させる。それでいて、恩賞は騎士の2割以下。今に傭兵達が街で暴れ出すのがわからないのかしら?」
 海燕は唇の片側を少し持ち上げた。
「そこまでわかってるなら……議会の狙いがライズには明らかだろう?」
 海燕とこういう会話をかわすことは珍しくない。
 お互いの胸の内を探り合うような会話は正直なところ気に入っているし、打てば響くような海燕の存在が、最近では自分の考えをまとめる役目を果たすことが多くなっていた。
「そうね…」
 ライズはちょっとだけ目を伏せ、そして言葉を続けた。
「傭兵が問題を起こせば住民が反感を持つ……それをネタに再び鎖国政策を採ろうとしている……というところかしら?」
 ライズがそう答えながら海燕の顔をちらりとうかがうと、海燕は、自分の望む答えを導き出した教え子に対する教師の笑みを浮かべていた。
 不思議と、それに対する反発は覚えない。
「戦争が国王と議会の危ういバランスを保っているようだな……偶然か、それとも誰かが意図したものかはわからないけどね…」
「この戦争そのものが誰かの謀略だと……あなたは言いたいの?」
 ライズは、ヴァルファがドルファンを狙うのは軍団長の個人的な復讐からということを傍らに立つ彼に伝えてみたい衝動を抑え、敢えて聞き返す。
「全てがこの国の弱体化を指し示しているからな……結果は偶然かもしれないけど、可能性が作為的に積み上げられた様な気がしてならない。問題は、ヴァルファの存在が偶然か必然かということだが……」
 海燕の視線は遠く水平線の彼方へと向けられ、囁くように言葉を続けた。
 海からの強い風にもかかわらず、その独り言にもにも似た言葉はライズの胸にしっかりと刻まれていく。
「貴方が……ただの傭兵の海燕がそこまで考える必要があるの?」
「傭兵だからこそ事態を把握する必要があるんだよ……訳も分からず死ぬのはごめんだからな」
「そうかしら……傭兵がみな、海燕と同じように考えているとは思えないけど」
 揶揄するようなライズの言葉には応えず、海燕は再び独り言にも似た囁きを始めた。
「ダナンのベルシス家はずっと親ドルファンだったのに何故ヴァルファに肩入れするのか……これはある可能性があるんだが、そうとしたら何故今になってドルファンを狙うのか?……ここまで考えると誰かの意図が反映されているとしか思えないね」
 ライズは自分の呼吸の乱れを自覚しながらも聞き返さずにはいられなかった。
「可能性って?」
「ヴァルファにドルファン王家の血筋の者が……しかも、ベルシス家にとってその人間が正統の血筋と思わせる人間がいる」
 心臓が激しい鼓動をうとうとするのを押さえ込むために数瞬の間がライズには必要だった。
「……大した想像力ね。傭兵よりむいている仕事があるんじゃないかしら?」
 憎まれ口を叩きながらも、ライズの頭脳は回転を続けている。
 軍団が何かに利用されている可能性、軍団長がそれを承知で戦へと赴いたのではないかという疑問、長い年月の間に膨れあがった復讐の念……。
 ふと気がつけば、海燕の視線は海から自分へと。
「な、何?」
「あまり深く考えない方がいいな……人間というのは自分のできる事しかできないものなんだから……さしずめ、俺の場合は生きて帰ることだが」
 先程とはうってかわった明るい口調にも関わらず、海燕の言葉にはどこかしら重い響きがある。
「貴方……今何歳?」
「22だが?」
「そう…」
 ライズ自身はこの冬で16歳になるのだが……後6年、いろんな経験を重ねても今の海燕にいろんな意味で遠く及ばないだろうと、ライズはため息混じりに思うのだった。
「あなたは…」
「……?」
「ごめんなさい、何でもないわ…」
 一体、海燕はこれまでどんな人生を歩んできたのだろうか…。
 
『近々傭兵団に招集がかかる模様。次回の戦闘は大規模なものになると思われる。注意されたし。……S……』
 
「ライナノール。……あの男と果たし合いなんて本気なの?」
 自分に背中を向けたまま立ち去ろうとする八騎将、いや元八騎将氷炎のライナノールことルシア・ライナノールはライズの呼びかけに反応したのか、歩みを止めた。
「やつの居場所を教えてもらったことには感謝する……だが、止めても無駄だ」
 ルシアは振り返り、鋭くさすような視線でライズを見る。
 自分の行動を邪魔するようなら、かつての……ライズにとっては今も仲間だが……仲間であるライズさえ斬りつけかねない雰囲気を漂わせている。
「ライナ」
 ライナノールが、一部の極親しい人間にだけ許した呼び方で。
「無駄だ」
 ルシアの身体からはっきりとした殺気が放たれ、ライズは息を呑んだ。
 しかし、それでもはっきりと口に出して警告する。
「……負けるわよ」
「だろうな……私はバルドーに劣るのだから」
 表情とは逆の、落ち着いた口調にかえってライズは困惑した。
「だったら…」
「勝つとか負けるとかじゃなく……あなたにもわかる時がくるかもしれないわ……できることなら、わかってほしくないけど」
 ライズはルシアの方にのばし掛けた手をゆっくりとおろした。自分にできることは既に何もないとわかってしまったから……。
「死なないでね……」
 ライズは、自分を妹のようにかわいがってくれた女性に対してやっとの思いで口にするのが精一杯だった。
「元気でね……ライズ」
 軽く右手を挙げて彼女は立ち去っていった。
 ……盗み出した彼女の遺品を前にして、ライズはあの夜のやりとりを思い出す。
 ただ、軽く右手を挙げながら自分に背を向けたとき、前髪の陰からちらりとのぞいたルシアの瞳はどうしてあんなに優しかったのか……ライズは、今になってそれを疑問に思った。
 
 ルシアの眠る共同墓地へと赴いたライズは、そこに海燕の姿を認めて足を止めた。
 ある人は偽善と呼ぶかも知れない。
 自分が斬った相手の……命を奪った相手の墓を見舞う行動について。
「……」
 それでもライズは、いつもより一回り小さく見える海燕の背中に、なんとも形容し難い悲しみのようなものを感じた。
 ライズは音もなく海燕の背後へと近寄り……淡々とした口調で話し掛ける。
「気にすることはないわ。勝者には生を、敗者には死を……それがきまりだもの」
 近づいてくるライズの気配を察していたのか、海燕の身体はピクリとも身じろぎしなかった。
「戦えば……の話だろう」
「……?」
「悲しい目をした女性だった……何かを失って、ただ死に場所を求める目。だから……といって言い訳にはなるはずもないが」
「……優しいのね」
 ライズが無意識に呟いた言葉に反応したのか、海燕は肩越しに背後を振り返った。
「……」
「……何?」
 普段と変わらぬ表情の中で、その瞳の奥に酷く傷ついた何かが見え隠れしているようにライズには思えた。
「いや……」
 海燕は再び墓と向かい合った。
「昔、俺が傭兵になりたての子供の時……」
 唐突に海燕の口から言葉が紡ぎ出され、ライズは少し驚く。
 しかし、何も言わずに黙って聞き手に回ることにした。
「傭兵仲間に死ぬのが怖くて逃げ足だけが速いやつがいて……つまらなかったら聞き飛ばしてくれてかまわない」
「私のことは気にしないで……私は散歩しに来ただけだから」
 ライズの声に促されるように海燕は再び語りだした。
「いつも逃げ回っていたそいつが好きな女の人ができた……多分、女の方はそいつを何とも思ってなかったけれども彼は本気だったみたいだ」
 微かに苦笑でもしたのか、海燕の背中が微かに揺れた。
「ある日……互いの指揮官が倒れ、混乱の中、兵士の数だけ殺し合いが行われているような状態の部隊が村になだれ込み……まあ、普通やってはいけないことを全部やろうとしてた」
「……よくある話ね」
 ……そこにその女のひとが居合わせたってとこでしょ、という言葉を口にはしなかったが、おそらくはライズの表情から読みとったのだろう、海燕は軽く頷いた。
「ちょうど五人ぐらいの仲間と次の戦場に向かう途中でその村に立ち寄っていた俺達は……当然逃げ出した。けど、途中で……そいつは、村の方を振り返って引き返しはじめた」
 ここまで話したところで海燕は大きくため息をついた。
「そいつの好きな女の人はすでに殺されてた……それを確認してから逃げ出したんだから間違いない」
 ライズは微かに首を傾げた。
 村に戻る理由が見いだせなかったからだ。
「もちろん俺は止めようとした……止めようとしたんだよ」
 海燕の行動は、ライズにとって良く理解できる。
「でも……5人の中で一番年長だった仲間の1人が、俺の腕を掴んでゆっくりと首を振ったんだ…」
 気がつけば、ライズは海燕の話にひきこまれている。
 誰かを守るために戦いに赴くのならまだしも、そうでない者が何故戻ろうとしたのか……そして、それを止める者と止めない者。
「そいつはさ、なんていうか地面にひっついて離れない両足を無理矢理ひっぺがす様にしてぎくしゃくと村の方に戻っていくんだ……それを見ているうちに俺もこのまま行かせてやる方が親切なんじゃないか、止めるのはそいつのためにならないんじゃないかと思って……結局はそのままそいつの後ろ姿を見送った」
 近くの教会の鐘の音が風に乗って墓地に響いてくる。
「死にたくなかったはずなのに……なのに、そいつは死にたかったんだろうか?俺にはわからなかった……俺を止めた仲間も、わかってはいなかったと思う。多分……ぎくしゃくと歩きながら村に戻ったあいつだけにしかわからない理由があったと思うしかなかった」
 教会の鐘の音を聞きながら、この音はどこまで響いていくのだろうかとライズはぼんやりと考えた。
 海燕の話に興味はそそられたものの、結局何が言いたいのかはわからない。
 それとも、ただ話したかっただけなのか。
「……俺は、それ以来本当に心の底から死にたがってると感じた人間を止めることは考えなくなった……ただ」
「ただ……何?」
 しばらく無言の時が続き、やがて海燕は海の向こうへと視線を上げた。
「死以外に無かったのかな……悲しい目をした彼女を救う手段は」
 この時、ライズの心にある認識が浮かび上がった。
 海燕の言葉と態度を深読みしたということではなく、一種の感応であったかもしれない。
「……」
 ライズは声もなく自分の目の前に立つ男の背中を見つめた。
 おそらく、初めてではないのだ……避けようと思えば避けられたはずの戦いで、ライナノールのような女性を殺したことが。
「……つまらない話だっただろ?」
「つまらなかったわ」
 端的なライズの言葉に、海燕の背中が微かに揺れた。
 苦笑すると背中が揺れる癖があるのだなと、ライズはぼんやりと考え……ふと、自分が手に持っている花のことを思い出した。
 海燕の脇をすり抜け、ライナノールの墓に一輪の名も無き赤い花を捧げると、ライズは口を開いた。
「……この人、どんな顔で死んでいったの?」
「……微笑んでた」
「そう……なら、貴方は彼女を救ったのね」
 ライズは音もなく立ち上がり、海燕に声をかけることもなくその場を歩き去った。
 
『同胞ライナノールの遺品を送ります……例の東洋人傭兵に果たし合いを挑み、破れた模様。私では止められませんでした……。……S……』
 
「1つ聞いてもいいかしら?」
 ライズには珍しく、あきれたような表情を浮かべている。
「後三十分もすれば今日は上がりだからその後にしてくれないか?」
 にこやかに客の対応をこなしつつ、これまた営業スマイルを浮かべたままライズに向かって応える海燕。
 ライズは黙って引き下がり、注文した天然水をちびちびとすすりだした。
 表情には出さないものの、抑えがたいいらいらがライズの頭の中を駆けめぐっている。
 おそらくはそのせいなのだろうが、ライズを中心に妙な磁場が発生しているらしくほとんどの客は彼女を避けるようにして通り過ぎていく。
 ちびちび、ちびちび……
 コップ一杯の天然水は、ちびちび飲んでも5分しか保たなかった。
「……」
 もう一杯頼む愚行を犯すような事はせず、ライズは勘定を済ませて店を出た。もちろん、店を出る前に海燕に向かって外で待っているという視線を送ったが。
「……」
 ライズが店を出てから約25分後に海燕は現れた。
「お待たせ……で、何が聞きたいんだ?」
「立ち話も何だし……店に戻りましょ」
「……それはすごく間が抜けているような」
「そうね……」
 お互いにため息をつきながら店に戻り、向かい合わせの席に座った。
「……何してるの?」
 顔の皮膚をあちこち引っ張る海燕の方を不思議そうに見ながら言った。
「笑いっぱなしで顔の筋肉が疲れたんだ……」
 精神的にどっと疲れを感じて海燕から一瞬視線を外したものの、再び気を取り直し目の前の男に視線を戻す。
「……ヴァルファバラハリアンの八騎将の三人まで討ち取った歴戦の傭兵さんが喫茶店で何をしているのか聞きたかったんだけど?」
「いや……まあ、恥ずかしい話だが、バイトしないと生活できないんだ」
「は?」
 珍しくライズの表情が崩れた。
 海燕はそれを見てなぜだか楽しそうに笑う。
「……恩賞はどうしたの?給金は?」
 傭兵としての基本給金は確かに安いだろうが、戦場における海燕の戦功は抜群で、しかもヴァルファの指揮官の首をいくつもとっているのだ。
「まあ、趣味の悪いアクセサリーならたくさん貰ったがな……」
「勲章だけ……なの?」
「ああ」
「貴方の働きに対して?勲章だけ?」
 今自分が感じている憤りは海燕に対する評価が低いことに対してなのか、それともヴァルファ指揮官おくびを安く見られたことについてなのかライズには判断が付かない。
 そして、ライズはため息混じりに呟いた。
「……馬鹿げてるわね」
「物価上昇にも関わらず給金は据え置きのまま……契約書があるだけにどうしようもないと言うか。まあ、同じ戦場に一年以上もいるのは初めてだからな……いい勉強になった」
 さばさばとした表情で答える海燕に対して、二の句が継げずにライズは黙り込むしかできない。
 そんな彼女の反応に満足したのか海燕はゆっくりと立ち上がる。
「そこらまでちょっと散歩しないか?」
「え?……ええ、別にかまわないわ」
 
 ぶらぶらとあてもなく歩き続けた二人は、国立公園を通りすぎ灯台へとたどり着いた。
 海燕が人気のない所や海が見える場所を好んでいることをライズはもちろんわかってはいたが、これだけの長い距離を歩かされるとはさすがに思っていなかった。
 肉体的にではなく精神的な疲労がライズを無口にさせる。
「すまない、散歩という距離ではなかったな……」
「そうね」
 風が強いせいか、海の近くに来ると温暖なドルファンとはいえさすがにライズにとっても肌寒かった。
 自分の腕を抱くライズに気付いたのか、海燕は自分のコートをライズに羽織らせた。
「私は寒さには慣れてるつもりだったけど、貴方はもっと寒さに強そうね……故郷は寒いところだったの?」
「いや、四季があってここと似たような気候だったと思うが……何せ人生の半分を傭兵として生きてきたからなあ。そんな昔のことはもう忘れたよ……」
 幾分感慨めいたモノを感じさせる口調に、ライズはほんの少しだけ口元を緩めた。
「人生の半分……ね」
 その言葉が正しいならば、海燕は11、2歳の頃から戦場を駆け巡ってきた来たことになる。
「何故…」
「ん?」
「何故、傭兵なんかやってるの?」
「10やそこらの子供が1人で生きていこうと思ったらこれぐらいしか手段がなかっただけだが……運良く剣に向いていたようだ」
 海燕の口調はいつもと変わらない。
 しかし、それ以上の追求を許さぬ何かが感じられた。
「……今なら他の手段があるんじゃないのかしら?」
 ライズがそう疑問を投げかけたとき、海燕の口元に微かな笑みがこぼれた……いや、ライズの目にはそう見えたのだが、実際は笑ってはいなかった。
 まるで身体の前で何かを支えるかのように、海燕はほんの少しだけ両手を持ち上げた。
「これまで、数え切れないほどの人を殺してきた……五体満足のまま戦場に背を向けるには業が深すぎるな……」
「ゴウ?」
 聞き慣れない言葉の意味が理解できずにライズはおうむ返しに呟いたのだが、海燕は困ったような表情を浮かべると右手を持ち上げて頭をかいた。
「東洋の思想で、ちょっと上手く説明できないんだが……人間としての原罪を個人のレベルにまで掘り下げたというのが近いような気がする。……わかるか?」
「さっぱり…」
 海燕はお手上げだと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「……要するに、戦場で生きてきたから戦場で死ぬ……そういうことかしら?」
 何の感情も含まない無機質なライズの声に何を感じたのか、海燕はちょっと眉をひそめ……それを隠すかのように海の方へと視線を泳がせる。
「そう決意してるわけじゃなくて……ただ俺は、戦場で何かを失わない限りそこから離れることができないと思う」
「……何かって?」
「それは命かもしれないし、腕や足かもしれない……心という可能性だってある」
「心?」
「……まあ、ものの例えだ。気にしないでくれ」
「そう…」
 ライズは、以前海燕が言った言葉を思い出していた。
 海燕はライナノールが死に場所を求めていたと評したが、海燕自身もまた自分にふさわしい死に場所を求めているのではないか。
 目の動きだけで海燕を見た。
 死にたがっている人間には見えなかった……海燕がそうだというなら、むしろライズの父親の方がまだそんな雰囲気がある。
 でも仮に海燕がそうだとしたら……彼もまたライナノールのように絶望的な戦いに身を投じるのだろうか?
 ライズは静かに目を閉じて自分のばかげた考えをうち消した。
 所詮自分には関係のないことだと気が付いたからだ。
 しかし、この馬鹿げたはずの考えがライズの心に住み着き、これ以後少なからず彼女を悩ませることになることをまだ知るはずもなかった。
 
『ドルファンにおける傭兵部隊に対する待遇は予想以上にひどいものであり、戦場における作戦に幅が出てくると思われる。……S……』
 
「今日は無理しないで休んでいた方がいいんじゃないかしら?」
「……いや、大したことは」
 ライズの提案に大丈夫だからと首を振る海燕の額には冬だというのに汗が浮かんでいる。ライズはその汗に目を留めるとそれ以上は何も言わずに歩き始めた。
「それにしても、あなたが傷を負うなんて今度の八騎将は手強かったみたいね」
「……ああ」
 海燕の返答に微妙な何かを感じ、ライズはそれ以上会話を発展させることなく口をつぐんだ。
 やがてセリナリバー駅の近くまでやってきたところで、スキンヘッドにサングラスの男が口元ににやついた笑みを浮かべたまま2人の方に近づいてくる。
「よう、東洋人。女なんか引き連れてなかなか羽振りよさそうだな……」
 明らかにからかいを目的とした感じの口調に、ライズは眉をひそめて呟いた。
「性質の悪いちんぴらね……相手にしない方がいいわ」
「ライズ。ちんぴらってのは性質が悪いからちんぴらなんだ。その表現は少しおかしいと思うぞ」
「……一理あるわね」
 端で見る限りではどちらがけんかを売っているのかわかったもんではないのだが、ライズと海燕本人にとっては大真面目な会話なのだ。
 もちろん、それだからこそ余計にちんぴらは頭にきたのだろう。すぐさま、腰のものに手をかけた。
「いい度胸してんじゃないか……今さら謝ったって遅いぜ」
「(どっちがいい度胸してるんだか……)」
 ライズはため息をついた。
 一瞥しただけで格が違うことは明らか……といっても、海燕がその力量を周囲に感じさせないのも原因か。
 自分も最初はおもいきり海燕の力量を見損なっていたことを思い出し、ライズは自戒した。
「……あいにく今日は体調が悪くてな。上手に手加減ができないかもしれないが、それでもいいか?」
 のほほんとした海燕の口調に、ライズは彼が怪我をしていることを思い出す。
「……」
 ちんぴらとの距離をはかり、ライズは微かに腰を落とした。もちろん、いざという時は自分の身を守るために。
「ちっ、ふざけやがって」
 しかしライズのその行為がちんぴらにとってはさらにからかわれたと思ったのだろう、街中だというのにいきなり斬りつけてきた。
 海燕はライズを背中にかばうように回り込んでちんぴらの攻撃を外し、よどみのない動きで剣を抜いた……
「…っ!?」
 その瞬間、ライズは思わず海燕から離れて本格的に身構えてしまった。
 もちろん、すぐに構えを解きはしたが。
 海燕に関するいろんな情報に接する事はあったものの、戦いを間近で目にするのは初めてである。
 人間は相手との実力差を感じることの出来ない唯一の動物であると言われるが、剣を学んだ者ならば多少は感じることができるようになる。
 ライズがとった海燕との距離は約7メートル。
 少なくともライズの本能は海燕とそれだけの距離をおかなければ危険だと感じているのだが、ちんぴらは剣をかまえたまま手の届くような距離で海燕と対峙していた。
「(幸せな人ね……)」
 ライズにとっては生半可な覚悟では彼に近づくこともできない圧力だというのに、ちんぴらはおそらくそのことすらもわからないのだろう。
「!」
 ちんぴらの撃ち込みのタイミングに合わせて海燕は剣をうち落としに動いた。
 ちんぴらの剣が地面にたたき落とされると同時に、海燕の剣がちんぴらの左鎖骨の辺りにたたき込まれて勝負は終わった。
 海燕の前に音もなく崩れ落ちたちんぴらは時々呻くような声をあげている。
「……生きてる?」
 ライズの呟くような疑問の声に、海燕はライズに自分の剣を見せた。
「これは……片刃の?」
「まあ、骨折は免れないけどね」
 見たところ普通の剣だが、刃の片側が剣の厚みよりちょっと薄い程度になっていて打撃専用の武器の様になっている。
 刃の薄い片側で敵をたたききり、反対側は甲冑に身を包んだ相手に衝撃を与える用途になっているのだろうか。
 興味深そうに海燕の剣を手にとって眺めているライズに、海燕が申し訳なさそうに声をかけた。
「ライズ、すまないが馬車を呼んでくれないか」
「……馬車?」
「どうも、背中の傷が開いたようだ…」
 
 病院のベッドの上で看護婦に説教されている海燕を、ライズは窓際の椅子に座ったまま黙って眺めていた。
「海燕さん!あれほど安静にしていてくださいって言ったのに!」
「できるだけそうしようとしたのだが申し訳ない…」
 ぺこぺこと頭を下げる海燕を腰に手を当てたまま憤怒の表情で見下ろしていた看護婦が、突然ライズの方を振り返ってびしっと指をさす。
「それにあなた!恋人の体が大事ならベッドに縛り付けてでも安静にさせときなさい!わかったわね!」
 ライズは一瞬訳が分からずきょとんとしていたのだが、看護婦の言葉の意味を理解すると自分の意志とは裏腹に頭の方に血が上ってくるのを感じた。
「テディー、その子とは親しくはしているが恋人というわけじゃ……」
 顔を赤くしたライズの代わりに海燕が説明すると、テディーと呼ばれた看護婦は軽く咳なんかをして顔を赤らめた。
「え、そうなんですか?私てっきり………と、とにかく安静にしていてくださいね」
 どことなく楽しそうな足取りで病室を出ていくテディーの後ろ姿を見送りながらライズが呟いた。
「人気者ね」
「ああ、入院患者の中でも評判の女性らしいぞ」
 かみ合いそうにない会話にライズは話題を変えることにした。
「しかし、敵に背を向けそうにないあなたが背中に傷を受けているなんて……皮肉なものね」
「ああ、戦場に味方がいるなんて考えた俺が馬鹿だったんだがな……」
 ライズは床に向けていた視線を海燕の顔に向けた。
「他言は無用だが、今度の戦いで死んだ騎士の内五人は俺が斬った」
「貴方が斬ったって…」
「まあ……腐ってるってことさ、この国の騎士団の主流は……おかしなもんだよ、味方よりも敵に対して共感を覚えるんだから」
 寝そべりながら海燕がもらした言葉に、ライズは顔色を変えた。
「なんで騎士団があなたを襲うの?じゃあ、その傷は……」
「俺の存在が目障りなんだろう……。別に、戦場で味方と思ってたやつに斬りつけられるのは珍しい事じゃないが、騎士が数人がかりで襲ってくるのはさすがに面食らった……おかげでこのざまだ」
 重苦しい沈黙をライズが破る。
「そこまでしてこの国に義理立てする必要はないんじゃないかしら?」
「そう思うにはこの国に長く居すぎたな。どんなに統率のとれた軍隊でも、末端では必ず羽目を外す輩がいて……自分とつき合いのあった人間がそういうやつらの手にかかるのは見たくないな」
「……」
 戦場に真実があるかどうかはともかく、おそらくは戦場の事実を見て生きてきたであろう海燕に差し挟むべき言葉をライズは持たない。
「昔、傭兵は同じ場所に留まってはいけないと言われたことが今になって理解できるよ……情がうつるとろくな事がおこらない……」
 黙ってしまったライズに対して、再び海燕はのほほんとした口調に戻って頭の後ろで両手をくみながら言葉をつづけた。
「別に俺1人で戦況がどうこうなるわけでもないがな。どのみちこの戦争が終わったらこの国からは強制的に退去させられるだろうし……」 
「確かに聞き様によっては傲慢な言葉ね。……それより1つ聞いてもいいかしら?そんな怪我をしてるのにどうして私との約束を守ろうとしたの?」
 ライズの言葉に今度は海燕がきょとんとする番だった。 
「ライズは言ったじゃないか、『一応楽しみにしてるから。』って。それに約束は命の次に大事な事だ……」
 知覚できないぐらいの僅かな間の後にライズがそれに応えて口を開いた。
「命の次に、でしょ。……私、そろそろ帰るわ。寮の洗濯物も気になるし」
 ライズは椅子から立ち上がり、そのまま病室から出ていこうとしてドアのところで立ち止まった。
「……ライズ?」
 ライズはそちらを振り返るでもなく、海燕に聞こえるか聞こえないかわからないぐらいの小さな声でぽつりと何かを呟き、病室を後にした。
 
 ダナン地方の戦線は膠着状態のまま冬が過ぎ、春も何事もなく過ぎ去り海燕がこの国に来てから3度目の夏がやってきていた。
 夏至祭の日、街中でつまんなそうにぶつぶつと独り言を繰り返している怪しい海燕の姿を見かけてライズは声をかけた。
「あなた、人混みは嫌いなんじゃなかったの?」
 海燕は何故か慌てたように振り返る。
「傭兵の宿舎の補修とかで叩き出された……別に行くところもないんでぶらぶらしてるんだが」
「相変わらず独り言が好きなのね……一見すると変な人にしか見えないわよ」
「……そうか?」
 海燕が浮かべるどこか憮然とした表情に、ライズはつい口元を緩ませた。
「気付いてる?不思議そうにあなたを見つめている周りの人に…」
「……もしかしなくても孤独な人に見えたのか」
「孤独というか怪しい人ね……」
 ライズは目を伏せながらそう答えたのだが、なにやら小さな女の子の笑い声が聞こえたような気がして慌てて顔を上げ周りをきょろきょろと見渡した。
「どうかしたのか?」
「……いえ、気のせいだったみたい、気にしないで」
 そしてライズは海燕の隣に位置どり、壁に背中をもたれかけさせた。
 道行く人がちらちらとこちらに視線を向けるが、それも無理はない。東洋人傭兵と、学生服に身を包んだ少女という不思議な組み合わせなのだから。
 そのままぼんやりと佇んでいるのが馬鹿らしくなったのか、海燕はライズの方を振り向いて言った。
「せっかくだから夏至祭でものぞきに行くか?」
「……そうね」
 ライズと海燕は連れたって祭りの中心部へと歩き始めた。
 
 その夜、ライズはベッドの枕に顔を埋めて必死に冷静さを取り戻そうとしていた。
 冷やかしで入ったつもりの水晶占いの後、逃げるように帰ってきてしまったせいかまだほんのりと顔が熱を持っているように感じる。
「あんな占いインチキに決まってるわ。どうせお互い相手の顔が映るのに決まってるんだから……なにが運命の人よ」
 ライズはそう呟きながらも、この前クラスメイトが教室で話していたことを……去年、恋人と一緒に占って貰ったらお互い違う顔が映ったことで気まずくなって別れてしまった……とかいう他愛もない話を思い出してしまう。
「……」
 枕を抱えたまま寝返りをうち、ライズは天井をじっと見つめた。
 確かに……これまでになく深い興味を抱いた相手ではある。
 仲間を倒した敵……とはいえその一騎打ち自体は仲間自らが望み、それに海燕が応えたというだけの話。
 海燕の前に倒れた仲間を思うと、感情は穏やかならざる起伏をえがきはするが、冷静であろうとする理性は海燕を恨むのは筋違いだと囁くのだ。
 それでも、わからないことがある。
 海燕と接してきて、武勇による賞賛を求める人間でないことはおおよそ理解できた。
 何故彼は戦場に赴き、仲間が求めたとはいえ一騎うちに応じるのか。
 ちんぴら相手のケンカ沙汰……命を奪いはしなかったが、応じる必要がどこにあったのか。
 結果だけを見れば好戦的な人間なのだが、ライズ自身の観察眼はそれを否定する。
 ライズは小さくため息をつき、これ以上考えることをやめた。
「人のことは言えない……し」
 海燕ならずとも、自分も矛盾を抱え込んで生きている。
 ライズはベッドから降りて窓を開けた。
 ひんやりとした夜風が意識を覚醒させていくようだ。
 いつもこの時間は本を読んで過ごすのだが、今日はそんな気にもなれずただぼんやりと闇の中に沈む建物を眺めていた。
 
 ……ミーヒルビス参謀まで。
 全欧にその名を轟かせた傭兵団ヴァルファバラハリアンの八騎将はこれで残り3人……いや、実質2人になってしまった。
 その事実にライズは悄然とした思いで立ちつくす。
 傭兵団結成時からの最古参の1人で、軍団長と共に戦場を駆け抜けた名実共に軍団長の右腕であったミーヒルビス。
 ここまでくると軍同士の戦いとしては負け戦であることは明らかであったのに、あくまで軍団長の意志に殉じて戦いを始め一騎打ちに臨んだという。
 だからこそもう後には引けないだろう……。
 八騎将の3人が存命とはいえ、実質大隊を指揮する立場にあるのは軍団長のみ。最近ではゼールビスも不穏な動きを見せているため、軍団の命運は軍団長の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
 いや、元々ヴァルファ軍団の運命は軍団長の双肩にかかっていた……それを支える人物がいなくなっただけの話なのか。
 それがわかっていたからこそ参謀はあのような作戦を立てられたのだろう。
 この時点で、ライズはそれを知らされていないにも関わらずミーヒルビスが献策しただろう作戦をほぼ正確に把握していた。
 一か八かの奇襲……その時はいつやってくるのだろうか?
 そんなことを考えながらライズはドアの前で足を止めた。
 このドアの前に立つのも、もう何度目になるのか……。
「……」
 ノックしようとして、ライズはそれを躊躇った。
「開いてるぞ」
 ライズはほんの少し目を伏せ、ドアを開けた。
「やけにぴりぴりしてるのね……」
 ベッドの上に片膝をたて座っている海燕に向かって、ライズは後ろ手にドアを閉めながら話しかけた。
「最近は外国人、特に傭兵に対して風当たりが強いからな……。街を歩くだけで神経が研ぎ澄まされていく……」
 戦場から帰ってきたばかりのせいか少し頬の肉がそげ、海燕の顔はいつもより精悍な印象をライズに与えた。
 ひょっとすると今度の戦いでまた何人か味方を斬る羽目になったのかもしれない……
「外国人傭兵の不祥事が続いているせいでしょ。人間はいつの時代もスケープゴートを求める生き物だもの……」
 皮肉を込めたライズの言葉に、海燕は口元をちょっとゆがめて笑った。
「なるほど、真理だ。……で、今日はいったい何の用だい?」
「貴方の都合が良ければ、収穫祭に誘おうと思ったんだけど……」
「ああ、そういえば剣術大会の招待状が来てたな……今年勝てば三年連続優勝か。まあ、ヤング教官と肩を並べるのも悪くないな」
 海燕はのそりと立ち上がると、ライズの後をついて部屋を後にした。
 
 決勝戦の相手が海燕の前に膝をついた瞬間、会場は突如ブーイングの嵐に包まれた。
 海燕はそれを予期していたとばかりに肩をすくめ、悪びれた風もなく会場内をぐるりと眺め回す。
 ブーイングに参加しているのは観客の半分というところか。
 その中でただ1人立ち上がって自分に拍手をするライズの姿を目にすると、海燕は右手を軽く挙げ表彰式にも出ずに会場を後にしてライズを待った。
「ライズ、気持ちは嬉しいがああいう態度は危険だぞ……どのみち傭兵にとってはなんの勲章にもならんからな。拍手して貰うほどのことじゃない」
 ライズには珍しいことだが、ややキツイ目つきで海燕を見つめ返した。
「私は称賛に値する技に対して拍手を惜しむつもりはないわ」
「……」
「悪魔が語ろうと真理は真理であるように……賞賛すべき技は、誰の手による技であろうと賞賛すべき技よ」
 キツイ目つきにふさわしく、語る口調に微かではあるが激情が滲んでいる。
「ましてや、あなたのどこに賞賛を受けられない理由があるの?」
 その激情がどこから来ているのかライズ自身も正確には把握していない……が、海燕に対する複雑な感情が、それを言わせた事ははっきりと自覚していた。
「……」
 微かに海燕は苦い表情を滲ませたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「それほどのもんじゃ無いと思うが……まあ、ほめて貰ったついでに1つ披露しようか?」
 海燕は腰の小刀を抜くと、側に立つ木の幹に向かって拳をふるう。
 ライズの目にはほとんど力が込められていなかったように見えたが、梢はざわざわと揺れてその秘められた威力を明らかにした。
「さて…」
 ゆっくりと落ちてきた木の葉が一瞬空中で静止したその瞬間、海燕の左手が木の葉を掴んだ。
「さてライズ、何回斬った?」
 ライズはあごの先を指先でしばらくもてあそんだ後、自信なさそうに答えた。
「3…いえ、4回かしら?3回までは確実に見えたんだけど……」
 海燕は軽く口笛を吹き、木の葉をライズに渡した。
 ライズの手の中で木の葉が6個の破片に別れた。横に細長く、ほぼ等間隔のかけらから判断するとおそらく5回斬ったのだろう。
「さすがにいい目をしてるな。恥ずかしい話だが、昔路銀がないときは早業を見せ物にして金を稼いでたんだよ……こんな風に」
 海燕が微かに身じろぎすると、その左手に音もなく2枚の銀貨が現れた。
 間髪入れずに2枚の銀貨が宙を舞ったと思いきや、その数が3枚4枚と増えていく。
「へえ…」
 ライズは感嘆の声を漏らした。
 海燕の手元を注視しているのだが、いつどうやって銀貨を増やしているのか全くわからない。
 そして6枚まで増えたところで銀貨の回転は止まり、全てが海燕の右手に受け止められた……が、その手が再び開かれた時、銀貨は既にそこにない。
「……と、まあこんな感じで」
「……」
「…ライズ?」
「ふふっ…くすくす」
 ライズは肩を震わせ、堪えきれないといった風に笑い始める。
「ごめんなさい……ちょっと、貴方の姿を想像したら…なんだか…」
 海燕はライズに反論しようと思ったのだが、屈託なく笑うライズの様子につられたのかやがて海燕もまた声をあげて笑い始めた。
 東洋人傭兵と女学生という奇妙な組み合わせだが、二人のあげる本当に楽しそうな笑い声は周りの人の心をそこはかとなく暖かくさせた。
 
『外国人排斥の空気が強くなってきた。傭兵部隊も新たな募集はなく第一次募集の傭兵を除いて、順次契約を破棄する動き。国内は混乱へと向かっているが作為的なものを感じる。……S……』
 
 ライズは海燕の姿を目にして足を止めた。
 今日は王女誕生パーティーのため人で一杯のはずなのに、人混み嫌いの彼は城の方に向かっているようだ。
 しかも、服装まで正装となれば……。
 やがて海燕の方でもライズの姿に気が付いたのだろう、向きを変えてこっちにやってきた。
「……どうしたの、珍しい格好をして?」
 海燕は頭をぽりぽりとかきながら視線を泳がせる。
「プリシラ王女からパーティーに招待されてね……出席しないわけにも行かないし」
「へえ、プリシラ王女と知り合いだったの……」
 しかも王女自らの招待ね……という言葉をのみ込み、ライズはごくごく冷静に言葉を続けた。
「ドルファン国のアイドルと英雄の組み合わせなら、ある意味お似合いかもしれないわね……」
 海燕はそんなライズの言葉にため息をつく。
「茶化さないでくれ、俺が人混み嫌いなのは知ってるだろ……それを知ってて招待するんだから……まったく」
 ライズは海燕の顔を正面から見すえながら言った。
「正直、私には縁のない世界だからちょっと興味があるわ。……良かったらだけど、私も連れて行ってくれないかしら?」
「ああ、それはかまわないけど……」
 
「噂に名高いプリシラ王女にお会いすることができて光栄ですわ」
 表面上はにこやかに挨拶を交わした。
 海燕の連れという事が影響したのか、多数のあざけるような視線と少数の敬意を身に感じながらも、ライズは生まれて初めて自分の従姉妹と出会いを果たしたのだ。
 ライズの目の前に立つ少女はきらびやかな衣装を身にまとい、いつも通りの……いや、いつもより2割増しの愛想のいい笑顔でライズを見つめている。
 もちろんライズはプリシラが自分に向ける眼差しに微かな敵意が浮かんでいるのを難なく看破したし、その理由もおおよそ推測できた。
 王族というのは自分の感情を人に悟られないことが必須条件のはずだが、彼女はライズよりもその能力にやや劣るところがあるようだ。
 無論海燕には一生かかっても気付かない感情に限ってのことだが……。
 ライズはひとまず中座し、飲み物を取りに行く途中で2人の方を振り返った。プリシラはなにやら海燕に対して詰め寄って文句を言っているようだ。
「……」
 ライズは、自分の運ぶ飲み物の1つの上に何気なく手をかざす。
 即効性の眠り薬で、身体に害はない……が、パーティの席上で倒れたという噂はその日のうちに国中を飛び交うであろう。
 ミーヒルビス参謀の作戦が自分の想像通りだとすれば、ドルファン国内の混乱は必要不可欠な要素となるはずで、後々の布石としては悪くない。
「……あまり誉められた手段ではないけれど」
 ライズは飲み物を手にして2人の所に戻り、ごく自然な動作で最も位の高いプリシラに選ばせようとした。
「どうぞ、プリシラ王女」
「ええ、ありがとう」
 プリシラの細い指先が赤ピュエリに伸びたと同時に、横合いからのばされた海燕の指もまた赤ピュエリにのばされ、器は軽い音をたて床の上で粉々になった。
「おっと、すいません。俺は赤ピュエリには目がないものでつい粗相を……」
「あなたが赤ピュエリに目がないなんて初めて聞くわ……初耳ですわ」
 側にライズが居るのを思い出し、プリシラは慌てて言い直す。
 周りから心ない聞こえよがしな囁きが耳に入ってくる。
「おやおや、のこのこと傭兵風情が場違いなとこにくるから……」
 眉をひそめるライズと口を開きかけたプリシラを海燕は同時に制して、恭しく頭を下げてまわった。
「失礼しました。何分礼儀知らずなものですから、みなさんどうか気になさらずに楽しんでいただきたい」
 海燕はプリシラの方に向き直った。
「プリシラ王女、パーティーの主役が同じとこに留まっていてはまずいでしょう。俺も早々に退散しますよ……」
「あら、お連れの方と一緒に帰られるのかしら?……いい度胸してんじゃないの」
 いつもの5割増しの笑顔で……後半部分はライズに聞こえないボリュームでにこやかに海燕たちに微笑みかけるプリシラ。
「無理にお引き留めはしませんわ……今度お会いする時を楽しみにしてます」
 型どおりの挨拶を口にしながら、プリシラの視線はずっとライズの方を向いていた。
 
「すまないなライズ。こんな事になってしまって」
「……別に気にしないで」
 人混みを海燕がかき分け、ライズはその後をついていく。
「しかし、これだけの人数だと逃げ帰るのも一苦労だな……」
 何気ない海燕の一言にライズははっとして顔を上げた。
 今海燕は『逃げ帰る』と口にした。
 今の状況はまさしくそうなのだが、ライズは前を行く海燕の背中から視線がはずせない。
 もしあの状況で王女が倒れたとして、おそらく自分は人混みに紛れて逃げ切れる……ただその場を逃げ切れはするだろうが、本当の意味では逃げ切ることなどできない。
 自分の周囲に捜査が及べば……
 少し考えればわかることだった……それなのに、何故自分はあんな杜撰な手段を取ろうとしてしまったのか。
 その答えは……
 ライズは目の前の大きな背中をじっと見つめたまま、城を出るまで一言も口をきかなかった。
 
「しかし気楽なものね……自分たちが馬鹿にする傭兵風情に護られていることを知らないのかしら」
 海燕は自分の正体に気付いているのだろうか……そんな疑惑を胸に抱いたまま、ライズは城中での海燕に対する周囲の反応を思い出したかのように話しかけた。
「まあ、傭兵の扱いはどこでも似たようなもんさ。お偉方にも2・3人例外がいて、プリシラ王女も数少ない理解者の1人というわけだ」
「…………王女は理解者じゃないと思うけど」
 ライズは海燕には聞こえないように呟く。どのみち言っても無駄だとわかっているだけに説明する気にもならなかった。
「でも、礼儀知らずとか言う割にああいう雰囲気に慣れた感じがあったけど……気のせいかしら?」
「昔、東洋の小さな国の王女を助けたことがあって、その時いろいろと似たようなことを教えて貰ったからな。大体応用が利く」
 ライズの足が一瞬止まりかけるが、再び海燕の横に並んだ。
「ちょっと、興味があるわね。よかったら聞かせて貰えるかしら?」
 海燕は自分の顎を撫でながらライズの顔を見た。
「大したことじゃないぞ、例によって路銀がなくてどうしようかと思ってたところ見るからにお金持ってそうな一行が野盗に襲われてて、これで飯が食えるとばかりに助けてみたら王女様だったというありふれた話なんだが……」
「あまりありふれてはないと思うけど……その後は?」
 なにやら珍しくライズが追求の手をゆるめない。
「その後?……飯を食べさせて貰った。あ、傷の手当てもして貰ったぞ」
「その後は?」
 さすがの海燕も敢えて要点を避けて話しているのだろうと思い、ライズの声が極端に低くなる。
「ん、結構傷がひどかったんでしばらくその国でやっかいになって、その時王女さんに教えて貰ったんだが……」
「ひょっとして王女様が直々に看病してくれたんじゃないかしら?」
 たたみかけるようにライズが言葉をかぶせると、海燕は小さく頷いた。
「ああ。まあ、子供だから大したことはできなかったけど。その国から去るときも服の裾を引っ張って泣かれちゃって困ったのを覚えてる」
「服の裾…」
 ライズが不思議そうに首をひねった。
「その王女様って年はいくつだったの?」
「確か十歳だった。それなのに人前なんかだと威厳があってすごいなって感心した記憶があるなあ。えーと今は15歳位か、もう俺のことなんか忘れてるだろ」
「そう……機会があればまたいろんな話を聞かせて欲しいわね」
「いろんな話……か」
「そう、いろんな話よ……大体、貴方はいろいろと…」
 ライズが唐突に言葉を切ったことを不審に思ったのだろう、海燕が振り返る。
「……」
 ライズは自分で自分がわからないような複雑な表情を浮かべ、虚ろな視線をあちこちに彷徨わせていた。
「……ライズ?」
「……え」
 ライズの瞳が焦点を結び、そして海燕の視線から慌てて顔を背ける。
「……私、先に帰るわ」
 
『……例の東洋人傭兵に関しての報告は今回で最後にしたいと思います。理由は……彼を冷静に観察することが難しくなったからです。何故かはわかりませんが彼といると心が乱されてしまい、正確な報告をできる自信がありません。……S……』
 
 ライズがドルファンに初めてやってきた年の冬は、これが冬かと思うほどに暖かかったのだが……今年の冬は寒いらしいが、この国で3度目の冬を迎えるライズの身体が寒さに対する抵抗力を失ってしまったのかも知れない。
「……」
 ライズは凍えそうな風の中、足下の墓に視線を向けて呟く。
「ゼールビス、戦争で死んでいいのは兵士だけ……軍団を抜けたとはいえ、あなたの行動はヴァルファバラハリアンの名に泥をかぶせることになる……それが理由よ」
 仲間を……いや、かつて仲間だった男を売った事に対しての謝罪なのか。
 何を弁解がましいことを口にしているの……ライズは心の中でそう自分を嘲った。
 強く冷たい風に髪をなびかせながらライズはそっと目を閉じた。
 ガラーン、ガラン……
 教会の鐘が海燕との約束の時間が迫っていることを思い出させ、ライズは黙祷の姿勢を崩す。
「さよなら……」
 ゼールビスが時折浮かべていた悲しい目を思い出す。
 ミーヒルビス参謀の甥で、戦いとは無縁の、化学に生涯を捧げようとしていた青年だったと聞いてはいた。
 家族をテロで失い、残りの生涯を自分でもよくわからないモノを相手にして、復讐に全てを捧げた……のか。
「……さよなら、ゼールビス」
 ライズは振り返りもせずに墓地を後にした。
 
「ごめんなさい、ちょっと遅れたようね」
「いや、今来たところだ」
 海燕は自分の身体がライズにとって風よけになる位置のまま歩き出す。そんな些細なことにライズは自分の心が温かくなるのを感じた。
「サーカスを見るなんて子供の時以来だわ」
 席に座りながら話しかけたライズには答えず、海燕は幾分厳しい表情でステージを眺めている。
 そんな海燕の様子を見てライズはステージへと目を向けた。
 猛獣遣いと猛獣によるショー。
 ピエロの、ナイフを使ったジャグリング。
 2人一組のナイフ投げ。
 どうという事はない、サーカスの演目だが……どの出演者からもライズの肌に触れてくるモノがある。
「……ずいぶんと物騒なサーカス団のようね」
「今度、王宮に招くらしい……一応意見はしたんだがな」
「シベリアのサーカス団……だったかしら?」
「ああ…」
 海燕は小さく頷き、独り言かとおもうほど小さく呟いた。
「ただ……この前の爆破テロと違って理由がわからない」
 海燕の呟きに内心ライズも同意した。
 ライズは間違いなく海燕よりも多くの情報をつかんでいる。しかし、つまるところ目的がわからないのだ。
 軍団に悪影響を及ぼさないことをライズは願うだけだが、海燕としてはそういうわけにもいかないのか。
 一介の傭兵が……しかも、厚遇とはほど遠い扱いを受けている身でありながら、何故そこまでするのか。
「……出ようか、ライズ」
「そうね……こんなサーカス、見ていたくないわ」
 
 真冬にこんな所を訪れるのはよほどの物好きしかいないと思われる場所に2人はやってきた。
「ライズ、ここはちょっと寒くないか?」
「そうね……でも、寒い国の船にはお似合いじゃないかしら」
「……いや、来るなら夜だな」
 灯台を風よけにし、2人はしばらくの間黙って海を見つめていた。
「先月の爆弾テロ未遂は……シベリアの?」
「シベリアの特殊部隊にやらせると、燐光石の輸入のためという理由が見え透いてしまうからな……爆弾による無差別テロの結果という筋書きだったはずだ」
「……どうしてかしら?」
「…?」
「何故みんな……この国にこだわるの?」
 燐光石の輸入をきっかけに海洋を制する各国に航行権を認めさせ、トルキア半島進出を目論むシベリア。
 策謀によって故郷を追われ……30年経って、再び故郷を目指す軍団長。
 そして……
 ライズは、海燕の横顔をじっと見つめた。
「私には……わからない」
「……シベリアにとって、この国は戦略上の拠点になりうる」
「……」
 そんな答えを聞きたいわけじゃなかった。
「……人は、生きている限り何らかの呪縛を受ける」
「呪縛…」
「それはこの国に対する思いだったり、この国に住む人への恨みだったり……いろんな人間がこの国の何かに呪縛されているだろうな」
 微かな沈黙。
「……貴方は」
「俺は、故郷を捨てたよ。戻るつもりはない……そう考えることも、一種の呪縛だ」
 ライズの言葉をおそらくは意図的に遮って、海燕は笑った。
 その言葉に嘘はないとライズは感じ、微かな躊躇いと共にその質問を吐き出した。
「変なことを聞くようだけど……貴方、恋人はいるの?」
「難しい質問だな……」
 海燕は無表情のまま海を見つめ、呟くように答えた。
 波の音が2度、3度……4度目を数えたとき、ライズは海燕を包む硬質の膜が微かなほころびを見せたように感じた。
「いたよ……ただ、俺はそう思ってたけど相手はどうだったのかな」
「いた……過去形なの?」
「ああ、俺が殺したからな……」
 自分の目の前に立つ男は相変わらず無表情だが、ライズは今自分はどんな表情をしているのかわからなかった。
「それは……あなたのせいで死んだということ?」
「いや…直接俺がこの手で斬った」
 少し間をおき、海燕は多少自虐的な表情を浮かべてライズの方を振り返った。
「……あまり驚かないんだな」
 そう呟くと、海燕は再び海の方に視線を向ける。
「あなたがそうしたなら、きっとそれだけの理由があったんでしょ。無理して話す必要はないわ。馬鹿な質問してごめんなさい……」
 自分から斬り込んだ話題でありながら、その重さに耐えかねて距離をとろうとするとは……剣と同じく軟弱な覚悟で近づける相手ではないとわかっていたはずなのに。
 ライズは心の中で自分の弱さに毒づいた……が、海燕はライズを逃がしてはくれなかった。
「いや、本当は誰かに話して判断して貰いたかったのかもしれないな。俺のとった行動は正しかったのかどうかを……多分あれからずっと」
「……私で、いいの?」
 海燕はそれには応えず静かに目を閉じた。
 
「……問題は宗教的な戒律だった。彼女が信じていた宗教において、俺と彼女は……許されない罪を犯した。宗教を捨てるには彼女はあまりに深くそれに心酔していて、彼女が許される唯一の手段は俺を殺すことだったらしい」
 海燕は一旦言葉を切り、そして囁くような声で言葉を続けた。
「真夜中……気配を察して俺が目を覚ましたとき、彼女はちょうど俺に剣を振り下ろそうとしていたところだったよ…」
 ライズは瞬きもせず、ただ黙って海燕の言葉を受け止め続けるしかない。
「ここから先は俺の主観に過ぎんが、涙を流しながら俺に剣を振るい続ける彼女がとぎれとぎれに口にした断片から、俺を殺さない限り里には戻れないことと俺を殺すことで罪が許されることを俺は理解した」
 海燕は何かを思い出すように目を閉じた。
「……本来の彼女は強かったよ。あれから何年もたった今でさえ、俺の戦歴で5本の指にはいる」
 ふとライズは思った。
 自分は、海燕に対して剣を振るうことができるだろうか……と。
「いつもよりぎこちなく、決して俺の急所を狙おうとしない彼女の動きに……俺の心は充分に満たされたよ。でも、何かを哀願するような彼女の表情が彼女の剣に倒れることを許してくれなかった……俺は彼女を苦しみから解放してやりたかった……だから、斬ったよ。俺が15歳、彼女は16歳だった」
 どこか穏やかと思える表情でありながら、海燕の拳は固く握りしめられており、滲んだ血が地面へと吸い込まれていく。
「俺は彼女を斬って、自分も死ぬつもりだったよ……多分、彼女もそうしただろうから。でも、彼女は俺にもたれかかりながら微笑んでこう言い残したよ。『ありがとう、でもあなたは生きてね……』……だから俺は生きている。ひょっとすると彼女なりの復讐だったのかもしれないな、涙1つ流さずに自分を斬った男に対しての……」
 要点を簡潔にまとめた短い話だったが、ライズにとっては長い話だった。
 2人を包む重い沈黙……それはライズが破らなければいけない沈黙で、海燕はそれを望んで自分にうちあけたのだから。
「……この場合、どれも正しくないと思うけど。だって状況が間違ってるんだもの。解答が間違った選択しかないなんて不公平だわ」
 ライズの方に向かって海燕の手が伸ばされる。反射的に首をすくめたライズは頭を撫でられてきょとんとする。
 ごつごつとした武骨な手。
 ずっと剣を振り続けてきた固い手。
 それはライズが常に手袋によって隠している手とは較べものにならないぐらい年季の入った荒れた手をしていた。
「そうか、やっぱり間違ってたんだな……」
 そう呟き、海燕はライズをおいて灯台を後にした。
 ひとりとり残されたライズは、そっと手袋を外し、自分の手をじっと眺めていた。
 
 ドルファン歴29年3月1日、ドルファンに季節はずれの大型ハリケーンが上陸した。強い風によって叩きつけられる雨音が嵐の激しさを物語る。
 そんな音に混じって、注意していなければ聞き取れない程の遠慮がちなノックの音が鼓膜を叩いた。
 海燕は首を傾げながらドアを開け、いささか慌てた様子でびしょぬれの少女を部屋の中に招き入れて火にあたらせる。
「……着替えがすんだら呼んでくれ」
「……」
 ライズは小さく頷き、冷え切った身体をタオルで拭い、海燕が貸してくれた着替えを身につけ、そしてタオルで髪の毛を拭きながら海燕に声をかけた。
「もう、入ってきてもいいわ…」
 海燕は髪をほどいたライズの姿に少しだけ目を留め、かるく首を振ってからベッドに腰をおろした。
 しばらくの間、2人は何を話すこともなく吹き付ける風の音だけが部屋の中に響く。
「何も聞こうとはしないのね……」
 ぽつりと呟いたライズに対して、海燕は素っ気なく答えた。
「身体を乾かすのが先だろう……」
 再び2人の間に沈黙がおとずれた。
 家の外を吹き荒れる風はますます激しさを増しているようだった……。
「聞きたいことがあったのよ……いいかしら?」
 そう語るライズの横顔は暖炉の火に照らされて赤く染まっている。ライズは視線だけを動かし、海燕が黙ってうなずくのを見て再び口を開く。
「私……ひょっとして、恋人に似てたの?」
「いや……ライズの瞳が、アレを思い出させたのは確かだが」
「……まだ彼女のことを愛してるの?」
 海燕の表情は動かない……少なくともライズの目にはそう見えた。
「そんなロマンチストは、戦場では長生きできないだろうな……」
「…………そう、安心したわ。死んだ人間にはどうやっても勝てないものね……」
 ライズは静かに立ち上がると、ベッドに腰掛ける海燕の方に近づいていき海燕の前で歩みを止めた。
「聞いて欲しいことがあるの……私、貴方のことが……っ?」
 ライズの言葉は急に立ち上がった海燕によって遮られた。
 海燕が厳しい表情で自分自身の肩口のあたりをみつめている事で、ライズの瞳の中に驚きと微かなおびえの色が浮かんだ。
「一介の傭兵に過ぎない俺が買い被られたもんだ。……ライズ、俺をこの場に足止めしたかったのか?」
 ライズの表情が大きくゆがんだ。
 海燕はただ立ちすくむだけのライズのそばを離れて身支度を始めた……戦いに行く支度を。
「違う、私は本当に……」
 首を振り続けるライズに向かって、今や完全武装を整えた海燕が振り返った。
「俺は傭兵だ……」
 微かに、自分自身を笑うような表情を浮かべて。
「自分を高く評価してくれる人間の期待に応えるさ……」
「待って、お願い……」
 目の前でドアが閉じられ、ライズはその場にくずおれた。
 主のいなくなった部屋の中に1人取り残され、ライズはしばらくの間呆然と海燕の出ていった扉を眺めていた。
 やがて床の上に視線を落とし、ライズはぽつりと呟いた。
「嘘じゃないわ……嘘じゃないのに」
 ドン!
 床を叩く。
 二度、三度。
 そして、ライズは決意に満ちた顔を上げた。
 
 雨はやんだが、依然風はその凶暴さをむき出しにして吹き荒れている。
 城への架け橋の上で対峙する2人を遠巻きに眺めるだけの守備兵と傭兵騎士団の群。
「……若き東洋人よ。そこを退くのだ」
「断る」
 東洋人の言葉に、破滅のヴォルフガリオこと、ヴァルファ軍団長が眉をピクリと動かした。
「……この顔を見ればわかろう。一介の傭兵が義理立てする戦いでは…」
 ガツッ!
 海燕の剣が音高く架け橋に突き立てられた。
「破滅のヴォルフガリオの名声は剣と用兵にあると聞いている。策謀や弁舌にあるとは聞いた覚えなどない…」
 静かだが、怒気に溢れた海燕の言葉に、ヴォルフガリオは再び眉を動かした。
「……そうだな、少々昔と勘違いしておったようだ」
 微かに頷き、ヴォルフガリオは自分の身体の前で剣を立てた。
「では、あらためて……破滅のヴォルフガリオ、我が最高の剣技を持ってお相手しよう。……参る!」
 挨拶を交わすかのように軽く剣と剣が触れあい、2人は距離をとって対峙した。
 ライズがその場にたどり着いたのはその直後である。
 既に勝負は始まっており、もう2人の気に圧倒されて割ってはいることはできない事を絶望的に悟った。
 おとなしく見守ることしかできないのか……父と、愛する男の戦いを。
 ライズは、海燕に貰った純銀のナイフをぎゅっと握りしめる。
 共に類い希なる剣士であったが、強いて言えば剛のヴォルフガリオに柔の海燕に区別できるであろうか。
 そして撃ち合うこと数十合。
 もはや誰の目にも勝敗は明らかになりつつあった。
 ヴォルフガリオの剣は全て空をきり、海燕の剣はヴォルフガリオの剣や鎧に触れ青白い火花を上げる。
 ライズにはこうなることがわかっていた。だからこそ2人を戦わせまいとして嵐の中彼の家に赴いたのだ。
 さらに十数合。
 父親の装甲に亀裂が入り、ヴァルファ全欧最強の傭兵騎士団の象徴でもある赤い鎧の破片が亀裂の部分から次々と弾け飛んでゆく。
 父の剣はその動きを鈍くしているというのに、海燕の剣はむしろ動きを早めてもはやライズの目にはその軌道が追いきれなくなっていた。
 ゴォウッ!
 突如その場を襲った突風が2人のバランスを崩した。
 丁度剣を振り下ろそうとしていた海燕とそれを防ごうとしていた父親の間でくっきりと明暗が分かれる。
 剣の軌道が変えられ体勢を大きく流れた海燕に対し、ヴォルフガリオは右足を一歩踏み出すだけで攻撃態勢へと移行する。
 自分の父親が海燕に対して渾身の一撃をたたき込もうとした瞬間、ライズは思わず顔を背けた。
 周りに立つ男達の息をのむ声に、ライズは崩れ落ちそうになる膝を気力で支えて視線を2人の方に戻した。
 決着はついていた。
 地に膝をついていたのは自分の父親だった……。
「見事だ……だがひとつ聞きたい。何故儂の急所を外した?」 
「あなたが死ぬと、俺の知り合いの女の子が1人涙を流すことになる……」
 ヴォルフガリオは海燕の顔をじっとみつめていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。
「全てお見通しか。くくく、さすがは我が娘……見る目があるというべきか。しかし、どのみち我が命は助命はされんだろう……ならば、お主の剣で死にたいものだ」
「逃げればいい……あなたは親としての責任を全うする義務があるはずだ」
 海燕の言葉にヴォルフガリオは声を立てて笑った。
 長年の憎悪に刻み込まれた顔のしわのひとつひとつをほぐすかのように長い時間をかけて……。
「海燕……だったな」
「……」
「儂には……これ以外の生き方はできぬ。儂は死なない限り……いや、これ以上我が民……この国の住人に不安を与えるのは本意ではない。遠慮はいらん、やれい」
 海燕の剣先が迷いを見せながらも静かに持ち上がりかけたその時、黒い影がはしり海燕の前に立ちはだかった。 
「待って!軍団長には手出しさせないわ!」
「ライズ、儂らの負けだ。早く逃げよ。……命令だ」
 父親の顔に戻った軍団長に向かってライズは頭を振り続ける。
「いいえ、まだです。まだ……」
 混乱の中にあった騎士団が騒ぎを聞きつけ続々と周囲に集まりつつあった。
 もはやこの場からの逃走も不可能であることを悟ったヴォルフガリオは、剣を片手にゆっくりと立ち上がる。
「ライズよ……自分の人生は自分のためにつかうものだ。儂は、大勢の人間を儂の人生に巻き込んでしまったが……今さらそれを悔いはせぬ。お前が儂と同じ道を歩むことはない……幸せに生きよ……父親の最後の願いだ」
 破滅のヴォルフガリオことデュノス・ドルファンは最後に海燕に一瞥をくれ笑った。
「者共聞けい!我が娘はドルファン王家の血を引く者ぞ!決して手出しすることはまかりならん!」
 威厳あふれる叫びに周囲の誰もが動きを止めた瞬間、彼は自分の剣により波乱に満ちた自分の人生に幕を下ろした。
 止んでいた雨が再び降り出していた。
 耳をつんざくような雷の轟音よりも父親の遺体を抱きしめる少女の悲鳴が耳に響いたとその場に居合わせた者は親しい者に語ったという。
 
 燃えるような赤い色。
 軍団の象徴。
 ライズは真っ赤な鎧を身をつけながら鏡に映った自分の顔を見た。鏡の中の自分の瞳に、ライズはかつての仲間ルシア・ライナノールの言葉を思い出す。
『できることなら、わかって欲しくないけど…』
「そうね……ライナ」
 約束の時間には早すぎる薄暗い早朝にライズは共同墓地へと足を運んだ。
 父親をはじめ、かつての仲間達が眠る共同墓地に立ち、潮風に吹かれながらライズは目を閉じて黙祷を捧げる。
 どれくらいの時間そうしていたであろうか?
 背後から枯れ草を踏む足音が近づいてくる。足音の主は何も言わずにライズの隣に肩を並べ、目の前に並んだ墓を眺めた。
「聞かせて」
「……何をだ?」
「いつ……私の正体に気が付いたの?」
「初めて出会ったときからおかしいなとは感じていた……。運動神経のいい人間はああいう風に尻餅はつかないものだ。普段の身のこなしや視線の動きから俺の同類だと言うことはすぐにわかったさ…」
「……そう、わかっててそんな危険な人物を連れ歩いていたの。……大した自信ね。ひょっとすると危険とは思わなかったのかしら?」
「……」
「それとも……私といると、彼女のことを思いだせたから?」
「いや」
 海燕が首を振ったのが気配で知れた。
 それはライズの心のある部分を救い、そして同時に傷つけた。
 それを境に、お互いの顔も見ないまま淡々とした口調で続けられる会話がとぎれた。
 風の音だけがだけがあたりを支配する。
 かちかちと、鎧の金属部分が触れあう小さな音が少しずつ大きくなっていき、やがてその音に耐えかねたようにライズは震える声で叫んだ。
「どうして?どうして貴方は傭兵なんかやってたの?どうしてこの国にやってきたの?……どうしてあの日私をおいて出ていったの?」
 ライズの身体がゆっくりと海燕から離れていく。
「……夏至祭の占いで水晶に貴方の顔が浮かんだときは何を馬鹿なことを……そう考えたけど、確かにあの占いはよく当たるようね」
 ライズは腰の剣を握り……そして微かに震えながら剣を抜く。
「まさか……こんな運命の相手とは思わなかったけれど。血は血によって償われなければならないものね」
 ライズは細い剣先を海燕にむけた。
 もはや手は震えない。
 海燕はライズの手に握られたエストックに似た細い剣を見て、おそらく突きを主体とした攻撃に優れているだろうと一瞬で見てとった。
「ひとつ聞きたいことがある……俺を殺した後どうするつもりだ?」
「スィーズランドに戻るわ。そして傭兵団を結成しこの国に戦いを挑み続けるわ!……無論、貴方を倒せたらの話だけど」
「無理だな」
 端的な海燕の言葉に、ライズの表情が硬く強ばった。
「たとえ無理でも……私は貴方を殺すわ!さあ、剣を抜きなさい!」
 海燕は寂しそうに笑うと、剣を抜いて構えた。
 
「…ッ!」
 海燕の鋭い踏み込みに反射的に剣を立てたのだが、次の瞬間手首に襲いかかった余りの衝撃にライズは自分の剣を取り落とした。
 剣が草の上に落ちたと知覚近くしたとき、既に海燕の剣先はライズの喉元に突きつけられている。
「……ふっ」
 ライズはあまりのあっけなさに笑い、目を閉じた……が、しばらくしても何も起こらないので目を開けた。
 いつの間にか海燕は自分から離れて剣を構えている。
「……何のまね?私を馬鹿にするつもりなの?」
「血は血によって償われるんだろう?だったらライズには八騎将の人数の分だけ権利があるんじゃないかと思ってな。さっさと剣を拾ったらどうだ?」
 屈辱に頬を赤く染めながらもライズは足下に転がった剣を拾った。
「防御に剣は使うな。体力差はもちろんのこと剣にも耐久力がある、特にライズの剣は防御には向かない。戦場で武器を失うのは死ぬことと同じ事だ……」
「……稽古でもつけているつもり?」
 ライズは未だにしびれのとれない自分の腕に気を取られながらも聞き返す。
 どのみちまともに戦っても勝てないことはわかっていた……いや、最初からわかっているつもりだったが、さっきの事で思い知らされたのだ。
 海燕が油断した一瞬……ただそれを待つ。
 ライズの腕のしびれがとれたと同時に、まるでそれを知っているかのように再び海燕が斬り込んでくる。
 また反射的に剣で受け流そうとしたライズはさっきのことを思い出して慌てて身体ごと剣をかわす……が、次の瞬間には海燕の足に自分の両足をすくわれ地面に倒れた。
「体勢が崩れた相手には足技も有効だ……覚えておくといい」
 再び顔を赤くしてライズは起きあがり、今度は自分から攻撃を仕掛けた。
 斬るという行動を起こすためには、振りかぶって振り下ろす必要がある。いわば2呼吸の動きであることを意味するが、突くというのは連続攻撃でない限り1呼吸ですむ。
 また、直線による最短軌道で向かってくるため一般にはかわしにくいとされる……が、ライズの目の前のこの男は易々とかわし続けている。
 上半身への突きはフットワークで、胴や下半身への攻撃は剣で受け流す。突いた後になぎ払おうとしても必ず剣のフォローがあるためそれもままならない。
 ライズは息を止めたまま連続攻撃を繰り返していたが、酸素を求めて口を開いた瞬間動きが鈍くなった。
 しまったと思ったときには、海燕の剣が首筋の薄皮一枚のところで止まっている。
「突く、というのはかわしにくい反面剣をねかさなければならない欠点がある。それと一旦かわされると懐に飛び込まれる危険が高い。突くだけの連続技は感心しないな……」
「……」
 剣はライズの首筋を離れ、また海燕はライズから距離をとった。
 まともに戦っても勝てない所の話ではない。
 正直、ライズは自分と海燕との間にこれだけの実力差があるとは思っていなかった。
 しかし、全欧最強と言われた傭兵騎士団を実力によってまとめ上げていた父に正々堂々の一騎打ちで勝った男という意味を今になってやっと実感する。
 そして、父の強さを……。
「(確かに……私では傭兵団を結成することすらできないかもしれない……)
 幾度目かに、ライズは地面から立ち上がりながらそう考えた。真っ赤な鎧は泥にまみれて見る影もない……
「……ライズ、これが何度目か覚えているか?」
「ええ……最後のチャンスね」
「そうだ……次は剣をとめない」
 彼が斬ると言ったなら本当に斬るだろう……。
 恋人ですら自分の手に掛けた海燕をどうこういう資格は自分にない……彼に剣を向けている自分にそれを責める資格があるはずもない。
 ライズは目を閉じた。
 頬を撫でてゆく柔らかな風に春の訪れを感じる。
 自分が生まれたのは寒い冬の日の朝だったと話してくれたのは母だったか……。
 ふと純銀のナイフのことを思い出した。
 誕生日に彼が贈ってくれたプレゼント……いつも身につけていたが、こんな時まで身につけている自分に思わず苦笑する。
 ライズは閉じていた目を開け、海燕に対して右肩を前に半身に構えた。ただ、いつもと違って剣は腰だめにして重心を低く落とす。
「……いくぞ」
「……いつでも」
 自分の間合いに飛び込もうとした海燕に向かって間合いを詰めながら、ライズは手にした剣を投げた。
「…ッ!?」
 あらゆる想定をしていたのだろうが、さすがにライズが剣を投げることは考えていなかったに違いない。ほんの微かに反応の遅れた海燕が投げつけられた剣をたたき落とした瞬間、ライズは既に海燕まで後1歩半の場所にいた。
 彼から貰った純銀のナイフを手にして。
 
「……馬鹿だなライズ。純銀のナイフが鉄の鎧を貫けるはずがないだろう…」
 海燕に対してぶつかったそのままの態勢でライズは抱きとめられているのに気が付いて、ライズは先のつぶれたナイフをぽとりと地面に落とした。
「馬鹿なのはどっちよ……何で避けなかったの?」
 鎧を着用した者同士の抱擁は鈍い痛みを与えたけれども、それ以上に離れがたい何かをライズに与えていた。
 あの時海燕の体勢は崩れてはおらず、回避するための時間は充分にあった……いや、回避しつつライズに一撃をくわえることさえ可能だったはず。
 それなのに彼がとった行動は自分を抱きとめること……。
「私に殺されようとしたの?」
「……あんな思いは二度とごめんだ。」
「私は貴方の……恋人でもなんでもないでしょ?」
 ライズは海燕の手を振りほどき、海燕から距離をとった。
「私を殺してはくれないの?私は何もかも失ったというのに……」
 海燕はゆっくりと首を振る。
「死にたがっている人間を殺すのはやめたんだ…」
「自分の命は自分で始末しろと……父と同じように?」
 ライズはゆっくりと振り返って父親の墓に視線を向けた。
 潮騒の歌が風に乗って響いてくる。
「父親の遺言に従ったらどうだ?……少なくともライズには戻る故郷があるんだろう。それすらもない俺は……無様な姿をさらしながら生きている」
「遺言?……幸せに?……無理よ。あの日あなたは私を拒絶したじゃない……私は……私は…」
 ライズの瞳に涙がにじんだ。
「……命令、じゃなかったのか?」
「……え」
 ライズは海燕がそういうことに極端に鈍いことを苦い認識を持って思い出した。
 目の前に立つ男の姿をあらためて視野にいれた。
 殺意はとうに消えているが、父の仇であり、仲間の仇でもある男。
 そして……
 ライズは草の上に転がる自分の剣をじっと見つめた。
『状況が間違ってるんだもの。解答が間違った選択しかないなんて不公平だわ…』
 かつて、自分はそう口にしたのではなかったか。
 海燕の顔を見た。
 父の仇、仲間の仇……そして、愛する男。
 ライズは首を振った。
 この憎悪の念を自分の中で消化しないことには彼の前に立つことはできない。そうでない限り、彼を愛する気持ちが何よりも自分自身を許さないから。
「……しばらく考える時間をちょうだい。大丈夫よ、逃げたりしないから……」
 教会の鐘が響きわたる墓地の奥に向かってライズは姿を消した。
 
 薄暗い部屋の中でずっとこの一週間考え続けていたことがある。
 それでも答えは出ない、一体自分はどうすればいいのだろう……。
 コトリ。
 郵便受けが小さな音をたてた。
 彼らしい簡潔な用件だけを伝える手紙。
 いくら考えても答えのでない問題なら簡単に決めるしかない。
 例えばほんの小さなきっかけ、今すぐ駆け出しそうになる衝動、そんなことで決めてしまえばいい。
 
 波止場で1人佇む人影。
 この国をすくった英雄は一人きりで見送りもなく旅立とうとしていた……。
「歴戦の英雄も……この国では持て余したみたいね」
「そんなたいしたもんじゃないさ……剣一本でできることなど、たかが知れている」
 黄金色に輝く水面を見つめたまま、海燕は淡々と呟いた。
「そうね……」
 ライズは小さく頷き、海燕と同じく水面に視線を向ける。
「でも、剣が二本ならもっといろんな事ができるかも知れないわ」
「ライズ……俺はそういう野心はない」
 何やら困惑したように口を開いた海燕には視線を向けず、ライズはため息混じりに呟いた。
「そうね、貴方は極端に鈍い人だったわね……」
 ライズはちょっとだけ笑い、そして海燕の方に振り向いた。
「貴方が……これからも戦場を渡り歩こうが、戦場から離れてしまおうが関係ない。私を……連れて行って」
「ライズ……」
「誰に命令されているわけでもないわ……これが、私の本心」
 右手に握りしめた、先の潰れた純銀のナイフの存在を強く意識しながら、ライズはじっと海燕を見つめた。
 彼によって救われたこの命……彼に拒否されたなら、生きていく価値などない。
「……ああ、頼む」
「……ありがとう」
 ライズは微笑み、そして右手に握りしめていたナイフを海に向かって投げ捨てた。
「あなたはまた……私の命を救ってくれたわ」
「……ライズ」
 海燕の目に、投げ捨てられたナイフが視認できただろうか。
「今この時から……私の命は貴方のためだけにあるわ」
「……あまり深く思い詰めないで欲しいが」
「それが貴方の愛し方なら……私には私の愛し方があるわ」
 今自分は笑っているだろうとライズは思う。
 海燕が再び自分の名を呼ぼうとした瞬間、ライズは海燕の胸に飛び込んだ。
 お互いに鎧を脱ぎ捨てた抱擁を邪魔するかのように船の出港時間を知らせる鐘が鳴り響いた。
「……時間か」
「ええ、でも……もう少しこのままで」
 
 
                    完
 
 
 ……ライズとソフィアって同い年とちゃうやん!(失礼、同い年です)
 一応ゲームの中の情報(ウイークリートピックス等)から主なイベントを押さえつつ書き上げた仮想の物語です。
 主人公が悲惨な人生歩んでますが、何故故郷を飛び出したかとかも考えたけどあまりにあまりなのでやめました。(笑)
 ネックはピコの存在です。この話だと国を飛び出してからピコが現れたことになりますね……あんまりオリジナルにはしるとパロディの意味がなくなるからこんなもんでしょう。
 やっぱりライズいいですよね。一騎打ちで敗れたときの台詞『くっ……これが敗北』なんて言われると反射的に『戦いに敗れると言うことは……こぉ云う事だっ!』なんていうランバ・ラル様の台詞を返したりしちゃいますが。(笑)
 お気に入りのレズリーも出したかったけど無理でした。接点なさすぎ。無理矢理接点作ると主人公おかしくなるし。(笑)
 まあ、自分なりにかっこいい主人公書けたからいいや、てへ。
 しかし、この2人やっぱり剣を片手に戦場を駆け回って欲しいですね。最強のカップルとして。(笑) 
 本当はもっと戦いのシーンを書きたかったけど別にチャンバラは別のところで書くからいいやと思ってやめました。
 ところで……日本刀もあまり現代の一般人が振り回せる重量ではありません。
 多分反動を付けて最初の一撃が限度でしょう……もちろん西洋の剣はさらに輪をかけて重いです(騎士の使うやつ)……あくまで中世を考えてのことですが。
 だから、斬られて死ぬと言うよりは打撲傷で死ぬのが多かったということはわかっているのでつっこむのはやめていただきたい。正確に言うと地面でのつかみ合いで鎧の隙間に短刀を差し込んで切るという決着が多かったらしいですが。
 
 なんか衝動的にこの2人の外伝が書きたくなったんですけどね、パロディの意味なさそうだから……とりあえず書き直し。(笑)
 シナリオの大筋はともかく、いろいろ細かく手を加えてみたらライズがちょっぴりウエットに。また、好みが別れそうです。
 こう……乾いた文体って微妙というか、書き直してみると本当に書き直して良かったのかなどと思ったり。
 とりあえず、エンディングだけは問答無用で直しました……高任の趣味で。

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