「オーホホホホ、当然の結果だわ…」
 少年女子B(笑)短距離走の優勝盾を腕に抱き、得意げに勝ち誇るリンダ。
 スポーツの祭典だけに会場のあちこちでいろんな競技が行われており、元々競技優勝者に向けて会場中の拍手喝采を浴びることはない……そんなことはわかっているのだが、祭典における花形競技である短距離走の勝者に対して周囲がノーリアクションというのは非常に珍しい。
「くっそー…来年こそはっ」
「おほほほ…、『今度こそ』とか『来年は…』などは負け犬が好む言葉ですわね…」
 例えば、今自分の前で悔しがるハンナが勝者だったとしたら……おそらくそれなりの称賛を、少なくとも今の自分のように無視されたりはしないのだろうと、リンダは勝ち誇る自分の姿を心の中で少し笑った。
 もちろん自分の中のそんな思いをちらともみせはしないが。
 リンダはひとしきり勝ち誇ると、傲然と胸を張って会場内を見渡した。
 自分の出場した短距離走のようなメジャーな競技から、薪割りなどという一体何を競うのかよくわからない競技まで行われている会場内は活気に満ちており……自分のいる場所だけがやや浮いている。
『勝負あり!』
 どこからか審判の声が聞こえてきた……そして後に続くべき歓声と拍手がない。
 リンダが振り向いた先に、どうやら周囲に圧倒的な差を付けて競技に優勝したらしい男が1人立っていた。そして、男をとりまく冷たい視線。
 まるで自分自身を見ているような、賞賛もブーイングさえもなくただ無視されるだけの中で男は無表情のまま表彰を受け……自分を見つめているリンダの存在に気付くこともなく会場から姿を消した。
 その男……東洋人で、しかも傭兵をやっているらしいと知れたのは2度目の出会い、収穫祭での剣術大会の会場だった。
 木剣を無感動に打ち振り、おそらくは国内でも名の知れた騎士や武術者を相手に、危なげなく勝利を収めていく東洋人への声援はほとんどない。
 勝ち名乗りを受けると軽く右手を上げ、あるべき賞賛を期待してもいないのかそのまま静かに帰っていく。
 その後ろ姿がリンダの心の中のある部分を刺激し……1度目と2度目は全くの偶然だったが、ドルファン城におけるクリスマスパーティでの3度目の偶然を、リンダ自らが望んだ。
 貴族や上級騎士、政財界関係者だけのパーティ会場を抜け出し、庶民の集まりである会場へと降りてきたリンダだったが……何千人という人混みの中で、すぐに男を見つけだすことができたのは、お互いに周囲から浮いていたせいかもしれない。
 場違いなほど優雅なドレスを揺らしつつ、リンダは静かに男に近づいて言った。
「私はリンダ・ザクロイド……貴方の噂は、ある程度耳にしているわ」
「……だったら、名乗る必要はないか?」
「あなたが私の噂をご存じなら」
「……海燕だ。傭兵をしている」
 そう呟くと、男は穏やかに微笑んだ。
 
「……貴方、海が好きなの?」
 秋の海を前に、リンダはぽつりと呟いた。
 これが何度目のデートだったか覚えてはいないが、海燕があまり人がいない場所が好きな事だけはなんとなくわかった。
「どうだろうな……」
 そう呟き、砂浜の上に腰を下ろす海燕。
 海燕の遠い目つきがリンダにあることを連想させ、そのまま口に出してみた。
「……貴方の故郷は海の近く?」
 海燕は何も答えない。
 リンダもまたそれを咎めだてする気にはなれず、ただ潮風に髪とスカートをなびかせて佇むだけだ。
「……俺に、故郷はない」
 不意に呟かれた言葉を予期していたかのように、リンダは淀みなく応えた。
「祖父は中東圏に生まれたそうだけど、この国が故郷だって言ってたわね」
 リンダは光沢のある長髪をうねらせ、スカートの裾を両手でちょっとつまむ。
「人は生まれを選べないから……故郷ぐらいは自分で選びたいものね」
 そう言って、リンダは波打ち際を歩きはじめた。
 ひんやりとした波が足首を洗う度、リンダは少女のように身をよじらせる。
「ほら、貴方もいらっしゃい。気持ちいいわよ…」
 海燕は口元に微かな笑みを浮かべた。
「遠慮しておこう」
「……どうして?」
「今は、海を見てる方が楽しそうだからな」
「…変な人ね?」
 少し首を傾げたものの、リンダはそれ以上海燕に対して無理強いすることはせずに再び波と戯れ始めた。
「人は生まれを選べない……か」
 自分の生まれに対して強烈な誇りを持っているはずのリンダの口からこぼれるにしては……。
 海燕はリンダに視線を向けた。
 時々はっとするほど大人びた表情を見せるが、今こうして波打ち際で戯れている姿は同年代の少女と変わりない。
 
「……貴方とは、本当に趣味が合いませんわね」
「住む世界が違うからな、当然だ」
「そう言われると返す言葉もないわね…」
 ずっと傭兵として時を過ごしてきた男と、成り上がりの財閥令嬢として時を過ごしてきた少女の趣味が合うなら確かにそれは奇跡に違いなかった。
 リンダは大仰に肩をすくめると、ズィーガー砲などという無粋なモノから視線を外し、それでも口元に愉快そうな笑みを浮かべて海の彼方に視線を向けた。
「こんな砲台を眺めるぐらいなら、海を見ている方がマシですわね」
「……砲台が設置されているという事は、見晴らしがいいという事なんだがな」
 別に砲台を見に来たワケじゃない……という意味を含ませた口調。
「骨の髄まで実用的な人間なのね」
 リンダは再び肩をすくめた。
「少しは自分を飾ることを覚えなさいな…」
 呆れたように呟いたリンダにちょっとだけ視線を向けたが、海燕はすぐに海へと視線を戻した。
「必要ない」
 何の感情も見いだせない無機質な口調に、リンダはただ無言で海を見つめ続けるしかできない。
 やがて、リンダは別の質問を口にした。
「……何故、傭兵に?」
「……」
 さっきと同じように黙りを決め込むのかと視線を転じてみると、意外にも海燕はちょっと驚いたような表情でリンダを見つめていた。
「何ですの?」
「いや……リンダが他人の事に興味を示すとは思わなかったからな」
「感謝なさい。私に興味を持たれるなんて光栄な事だから…」
 リンダが口元に手を当てて笑うと、海燕も少し笑った。
「……で、答えてはくれないのかしら?」
「ふむ、話が逸れなかったか……」
 海燕は小さなため息をつき、そして空を見上げた。
「……」
「……」
 ため息混じりに海燕が呟いた。
「普通、『話したくないなら別に…』とか言うタイミングじゃないか?」
「私の名はリンダ・ザクロイド……何度言ったら覚えるのかしら」
「……その言い方だと、悪名だろう」
 苦笑を浮かべた海燕に向かって、リンダは切れ長の瞳に微かな自嘲を滲ませつつ言った。
「ザクロイドは、所詮成金の嫌われ者だからこれでいいのよ」
 微かな余韻だけを残し、海風がリンダの言葉を運び去る。
「……そうか」
 リンダはそっと目を閉じ、小さく頷く。
「ええ、そうよ…」
 庶民社会にも貴族社会にも身の置き所がない疎外感を感じながら、それでも誇り高く育ってきたリンダが口にした生まれて初めての泣き言。
 それは、リンダ以外の者が口にしたところで到底泣き言とは思ってはもらえない筈だった。
「似合わんな」
「……そうね」
 口元に笑みを浮かべ、リンダは目を開けて空を見上げた。
「……今度はもっとましな場所に連れて行きなさい」
 安っぽい慰めを口にするような相手なら、平手打ちの1つも飛ばしてそのまま立ち去っただろう。もちろん、そんな相手ならリンダが泣き言など口にするはずもないが。
 心のどこかで何かを共有できる相手だと信じているこそだ。
「……とはいえ、今日はなかなか楽しめたわ」
 贅沢な輝きを放つ最上質の長髪を揺らすと、リンダは視線で海燕を促した。
「……そうだな、帰るか」
 気分を害した風もなく、野生動物を思わせるしなやかな動きで立ち上がった海燕にリンダは声をかけた。
「海燕」
「何だ?」
 リンダは少し口ごもり、そして首を振った。
「何でもないわ…」
「……1つ聞いていいか?」
「何かしら?」
「ザクロイド財閥は……機関銀行の設立申し立てをしないのか?」
「ザクロイドのアキレス腱ですもの、申し立てをしたところで通るはずもありませんわ」
 燐光石事業だけでなくいろんな方面の事業に手を出し始めた今のザクロイド財閥にとって、資金は常にネックとなっている。
 いわゆる成り上がりのザクロイドにすり寄ってくる貴族達は没落貴族であり、事業に融資を行えるようなごく一部の貴族からは法外な利子で、もしくはひも付き融資を受けるしかない。
 ドルファンにおける銀行は全て王族を始めとした有力貴族の息がかかっているため、事業がどれほど順調であっても、そのごく一部の貴族達の意に添わぬ事をすればいつでも融資がストップされる……。
「ザクロイドを……いえ、このリンダ・ザクロイドを飼い殺しの状態のままにしておけると思った連中には、いずれ相応の代価を払ってもらいます」
 遙か彼方を見つめるリンダの瞳がキラキラと輝く。
「……祖父の血か」
 海燕の呟きに対し、振り向きもせずにリンダは言った。
「祖父は関係ありませんわ……私は私、ただのリンダ・ザクロイド」
 ただの…という形容詞が、外見的にも内面的にもこれほど似合わない少女はあまり存在しないであろう。
「……まずは、リンダの父親がそれまで耐えられるか…だな」
「……」
 微かには逡巡したものの、リンダはあっさりと父を弁護する事を放棄した。
 
「……お父様、このばかげた計画は撤回してください」
 父親の座る机の上に、『ノーラッド計画…』と銘打たれた書類を投げ捨てた。
「……」
 熱帯圏に眠るダイヤ鉱床の調査と発掘……燐光石事業の成功から成り上がったザクロイド財閥としてはある意味本業と呼んでも良いだろう。
「……今はその時期ではありません」
「誰もやらないから、今やる価値がある」
「今のザクロイドにそんな体力はありません」
「融資の目処がついた」
「融資……ですって」
 瞬間、リンダの脳裏にひらめいたのは『罠』という言葉だった。
「いけません、お父様!」  
 リンダの父がザクロイド当主となってからあらゆる事業に手を広げ、ザクロイド財閥の規模は確かに飛躍的に大きくなった。
 だが、その実財務体質は拡張に継ぐ拡張で赤字に転じてしまっている。
 某陸上少女評して曰く、『才色兼備、運動神経抜群、性格以外は非のうち所のない陰険お嬢様…』のリンダだが、今ひとつ付け加えるなら他人の心の内を読み切るには少々若すぎた……が、それを欠点と呼ぶには本人にとってあまりに酷であろう。
 相手は身内である父親で……その父親が、祖父の成し遂げた偉業と娘の才覚の間で嫉妬にも似た感情に揺れ動いているなどと、10代の少女が看破できるであろうか。
「黙れリンダ!」
「いいえ、黙りません。お父様には……わからないのですか?」
 父親を思う気持ちが言わせたリンダの柔らかい表現が、皮肉にも父の心のある部分を強く刺激した。
「もう、話すことはない……下がれ」
 リンダは唇を噛んだが、それでもこれだけはと思い口を開いた。
「……融資がうち切られたとき、どうなるかご承知ですね?」
「この計画は成功する。だから融資がうち切られる事はない」
「……わかりました」
 リンダは一礼し、引き下がった。
 計画の成功失敗とはまったく別の部分に起因する融資……事は事業ではなく、政治絡みの陰謀ということに気付いていないのか。
「……文字通り、オーリマン卿がザクロイドの生命線になったわね」
 輸出入を統括するオーリマン卿にいちはやく目を付け、ザクロイドの利権体勢に抱き込んだのはもちろんリンダの祖父だ。
 権勢を持つ貴族の中で唯一とも言える共同生命体と呼べる存在だが……もちろん、それだけのモノは餌として与えてある。
 そのオーリマン卿の身辺も……最近は危険な火薬の臭いが充満している。
 
 リンダの危惧をよそに、夏は静かに……そして、秋は静かすぎる程に過ぎていった。
 予想していたことだが、ダイヤの鉱床は発見されたものの、様々な妨害にあって採掘は遅々として進まない。
 ザクロイドの財務状況は日々悪化し、それを補うように燐光石の値上げを敢行……市民感情も含め、ザクロイド潰しには最高の舞台が整いつつある。
 そして、ある冬の日。
 
「……こんばんは」
 海燕は宿舎のドアの前に佇むリンダの姿を認め、ドアを開けると視線で中に入るように促した。
「どうした、こんな夜更けに?」
 ドアを閉め、海燕はマントを壁に掛けながら聞いた。
「……相変わらず、むさ苦しい部屋だこと」
「軽口にいつもの余裕がないな」
 リンダの切れ長の瞳がじっと海燕を見据え、そして不意に逸らされた。
「傭兵としてのあなたに……依頼したい仕事があります」
 ぽんと、文字通り紙くずを投げ出すようにリンダは札束を海燕の目の前に投げた。
「……シベリアが雇ったテロリストからオーリマン卿を守って」
「リンダらしくもない……その場しのぎの策だな」
「父が倒れ……経営権が私に移りました」
「……初耳だ」
「最新の極秘情報ですもの…」
 リンダの表情は硬く、その瞳にだけ複雑な感情の揺らめきを映し出している。
「……2ヶ月。私は、2ヶ月の時間を買いに来たの」
「残念だが、傭兵には傭兵のルールがある……同時に二人の雇い主を持つことはできん」
 利害の相反する雇い主……とまでは言わなかったが、リンダの瞳が海燕を睨み付けた。
 美貌だけに、並みの男ならたじろがざるを得ないだけの迫力を有していたが、海燕はそれを真正面から受け止め得た。
「……足りないの?」
「金で動くとは思われたくなかったな……特にリンダには」
「わかってるわそんなことっ!」
 硬質の仮面がはがれ、リンダの表情が揺れ動く。
「でもっ、私にはそれしかないもの……お金しか…いつもそうだった…みんな、お金目当てで…」
 父が倒れてから即座に拡張した事業からの撤退、縮小を決め……下げたくもない頭を下げながら、オーリマン卿に遇してきたのと同額以上の利益供出を匂わせると手のひらを返した有力貴族。
 幼少から今に至るまで、自分のまわりに近づいてきた人間は彼らとみな同じだった。
 リンダの瞼が上下するたびに、透明の滴が切り取られ頬を伝っていく。
「……」
 海燕は床の上の札束を拾い上げると、興味なさそうに机の上に置いた。
「……引き受けてはもらえないのね」
 金で動かない事に心のどこかで安堵を覚えつつ、それでもなお失望の方が大きい。
「……金で頼む以外の方法を知らないのか?」
「え……?」
 数瞬の間をおき、リンダは無意識に自分の胸のあたりに手をやって頬を真っ赤に染めた……そして、間髪入れずに平手を飛ばす。
「こ、このリンダ・ザクロイドに向かってなんて恥知らずな……」
「……なんか激しく勘違いしてるみたいだが」
 リンダの手首を掴んだまま、海燕は呆れたように呟く。
「……?」
「金やモノじゃない……ただ一言、頼むと言えばいい」
 それを聞いて、リンダは心底意外そうな表情を浮かべた。
「……何も、いらないって言うの?」
「いらんね」
「……どうして?」
 海燕は少し微笑み、壁に掛けたマントを再び手に取った。
「さあな……そういう男がいると思ってくれればいい」
 ドアの前で立ち止まると、海燕は穏やかな笑みを浮かべながらリンダに振り返った。
「……頼んで、いいの?」
「ああ、頼まれた」
 
「……恐ろしい人ですね、貴方は」
「なに、1人を殺すために100人を巻き添えにしても心の痛まないお前さん程じゃない…」
 ゼールビスは知っていた。
 目の前の男がこの上なく危険な存在だということを。
 シベリアの援助を受けてドルファン国内で不穏な活動をしていたヴァネッサ支部が、この男1人で4つ壊滅に追い込まれている。
 しかも、剣を片手に正面から堂々と乗り込んだ上での結果である……暗い部分を微塵も感じさせない胸のすくような行動とそれを支える技量。
 そして今、警備隊に連絡するでもなく教会に1人で乗り込んできた男。
 かつてヴァルファの八騎将まで昇り詰めたゼールビスは、自分の中に爽快な風が吹き込んで来るのを感じた。
「ほう……いい目をする」
 ため息にも似た海燕の呟きで、ゼールビスは自分が口元に笑みを浮かべていることに気付く。
「私は……いい目をしてますか?」
「ああ…」
「……感謝します」
 ゼールビスは武器を掲げ、軽く目礼した。
 海燕もそれにならい、目礼を返す……騎士としての、一騎打ちの作法。
「ヴァルファ八騎将が1人、血煙のゼールビス……まいる」
 挨拶代わりとばかり、両者の刃鳴りが教会内に響き渡った。
 鋭く刀身を突き出し、踏み込み、薙ぎ払い、刃を返して斬り上げる……息もつかせずに刃風を連続させるが、海燕はその強烈な斬撃を剣で受け止めるでなく全てかわしていく。
「……東洋の流儀ですか」
 距離をとり、荒い呼吸を隠さず問うと、海燕は軽く首を振って答えた。
「武器の差だ…他意はない」
 互いが手にする武器は、なるほどゼールビスが手にする剣が3割ほど厚く、互いにぶつけ合っていてはいかなる事態が起きようか想像できそうなモノである。
 互いの武器の差に気づきもしないほど、まっとうな一騎打ちに心をはしゃがせている自分を縛める気にもなれなかったゼールビスはぽつりと呟いた。
「……さて」
 ゆっくりと踏み込み、下方から強烈に斬り上げた……もちろん空をきるが、構わずにゼールビスは剣を持ち替えながら深く踏み込んだ。
 がら空きの腹を割かれようとそのまま渾身の一撃を叩きこむつもりで剣を振り下ろそうとした瞬間、ゼールビスの右肘から先が剣を持ったまま飛んだ。
「……っ!」
 流血が驟雨となって教会の床を叩き、その上にゼールビスが膝をつく。
 激痛と失血に耐え、ゼールビスは笑みを浮かべて海燕の顔を見やった。
「見事です……ふっ、叔父の口癖でしたね、これは…」
「……」
「……シーエアー地区、三番埠頭の倉庫街……奥から二つ目に…最後の生き残りが」
 何故……と、問いかける海燕の視線に、ゼールビスは穏やかに微笑んだ。
「……銃を持ってます……が、貴方なら……」
 復讐と狂気ではなく、ただ強さを求めていた頃の心境で死ねる事ができた礼……
 
「……私は、何をすればいいの?」
「別に何も」
 約一ヶ月ぶりに傭兵宿舎に戻った海燕が目にしたのは、あの時と同じようにドアの前で佇むリンダの姿だった。
 ドアを開け、リンダの存在を気にした風でもなくマントを外す。
「俺はリンダの頼み事をきいた……それだけだ」
「それだけって事はないでしょうっ!?」
 ゼールビスに関してはともかく、シベリアの意を受けたヴァネッサの連中があれだけいるとはリンダは想像もしていなかった。
「馬鹿じゃないの!1人で数十人相手に真っ正面から乗り込んで…」
 なおも言い募ろうとするリンダを制止するように、海燕は右手を突き出した。
「俺は、そういう戦い方しかできん……リンダが、リンダ以外の生き方ができないのと同じように」
「……」
 リンダはしばらく海燕を見つめ、やがて小さくため息をついた。
「1つだけ聞かせて…」
「何だ?」
「あなた……この国にいたい?」
 
 夕暮れの波止場、海は黄金色に輝いている。
「……馬鹿な真似をしたもんだ」
「何度も繰り返すけど、私はリンダ……いえ、ただのリンダよ」
 リンダには珍しい穏やかな微笑み……だが、その瞳は以前と変わらない。
「……どうせ、あなたがいなければ潰れていたちっぽけな財閥だわ」
 一旦言葉を切り、リンダは海に目を向けた。
「外国人排斥法成立を覆す力もない……ちっぽけな成金財閥」
 ピクシス家とエリータス家、いわゆる旧家の両翼が押し進める外国人排斥法に対し、ザクロイド財閥は文字通り私財をなげうって開国路線の継続を訴えるドルファン王家の後押しをしたのである。
 その結果は……今さら述べるまでもない。
「父が、祖父の呪縛を受けていたのが今になって良くわかるわ」
 急激な事業拡張に、無謀と置き換えても良い壮大な計画……全ては、傑物と言われた祖父の呪縛から逃れるため。
 リンダは自分の存在が父を苦しめたことに気付いていなかったし、今さら気付く必要もなかった。
「人は……生きている限り何らかの呪縛を受けざるを得ないさ」
「そうね……」
 リンダ自身もまたザクロイドの名に呪縛されていて、財閥が潰れた今、その呪縛から解放された事を強く実感していた。
「とは言っても…」
 リンダはため息混じりに呟き、ちらりと海燕を見た。
「今度のは……悪くない気がするわ」
「何が?」
「ほほ、あの時あなたが私の頼みをきいてくれた理由が今ならわかってよ、海燕」
 口元に手を当て、リンダが笑う。
「俺は……この国にいたいと言った覚えはないが」
「口ではね」
 リンダは小気味よく言い放ち、再び海燕と正面から向かい合った。
「まあ、無理もないわね……ほら、私についてきて欲しいならついてきて欲しいとおっしゃい」
「ああ、頼む…」
「ええ、よろしくてよ。頼まれましたわ…」
 リンダは輝くような笑みを浮かべると、そっと海燕に身体を寄せた。
 
 
                    完
 
 
 またリンダファンには微妙な内容のような。(笑)
 まあ、リンダに関してはあのSSじゃあんまりかなと……思ったんですが、これはこれで別の意味であんまりかなと思わなくも。
 つーか、前半部分で強調した二人の共通点というか……後半でほとんどスルーされてるから、部分部分の描写には力を入れましたが物語としては根本的に壊滅状態です。(笑)
 ザクロイド財閥が破産したのではなく、海燕をドルファンにとどめるために潰した……というシチュエーションを書きたかっただけなんですけどね、国内外の陰謀の糸がばらばらで収束させられませんでした。

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