「ねえねえ、ちょっとそこの東洋人のお兄さん……」
 海燕を呼んだ人物は、少女と呼ぶのに少しためらいを感じる年齢に見受けられた。おそらく年のころは17・8と言うところか。
「すまないが、騎士団に城からの招集がかかっていて時間がない。手短に頼む」
「騎士団の招集…?」
 少女の頬に汗が一筋流れて落ちた。
 しかし、すぐに大きな声で笑い飛ばす。
「だって……あなた傭兵でしょ?騎士団の招集に応じる必要がどこにあるの?傭兵部隊は騎士団とは別の枠組みの中に組み込まれてるんだから……」
「……詳しいな、お嬢さん」
 顎に手を当て、海燕は少女の顔をまじまじと見つめた。すると、何故か少女は困ったように視線を逸らす。
「あ……お、女の子のたしなみよ、た・し・な・み」
「…そうか?」
「そうよ!私が言ってるんだから間違いないわよ!」
 ほとんど逆ギレである。
 しかし少女の言うとおり、ろくな扱いをされていない傭兵の身で、騎士と同じ忠勤を励む必要性を海燕が感じていなかったのも事実である。
 それに、この招集には少なくとも戦闘の匂いは感じられなかった。
「で……何の用事だ?」
「あそこのアイス食べたいの。買ってきてくれない?」
「……」
「……」
 言葉もなく見つめ合う二人。
 海燕のそれは単に呆れかえってるだけだが、少女の沈黙はどこか人を試すような雰囲気が漂っている。
「……面白いお嬢ちゃんだ」
「ちょっと、子供じゃないんだから『ちゃん』はやめてよね!私にはプリシ……プリムっていう名前があるんだから」
「ほう……プリムか。いい名前だな……」
 そう呟くと、海燕は無造作に右手を伸ばして少女の前髪をかき上げた。
 少女は一瞬きょとんとしたが、すぐに海燕の腕をはねのけた。
「無礼者!何するのよっ!」
「いや、蜂がいたんだが……そら、な」
 海燕の手のひらから羽音を残して飛び去っていく蜂を見て、少女は少し顔を赤らめる。
「ご、ごめんなさい……」
「まあ、無礼には変わりないからな……これで名分がたつ」
「……な、何の名分?」
「プリムにアイスを買ってやるという名分だ……」
「か、堅苦しい人ね…」
 海燕は軽やかな身のこなしで道路の向こう側にわたり、そして少女の方を振り返って叫んだ。
「おーい、種類は何がいい?」
「おいしいのっ!」
 辺りをはばからない大声で注目を浴び、少女は身を縮こまらせるようにして物陰に隠れたが逃げようとはしていない。
 そのことだけを確認すると、海燕はアイス屋の親父に言った。
「お勧めのアイスを大盛りで1つ貰おうか……」
「……大変だね、お客さん」
「ああ、大変だ」
 そして海燕はアイスを片手に少女のいる場所に戻った。
「ほら、(多分)おいしいのだ……」
「ど、どうも……」
 意外にも、少女はぺこりと頭を下げてそれを受け取った。そしてアイスを口にするやいなや……
「これっ、これよ!このチープでおおざっぱな甘さがたまらないのよっ!」
「……」
 盛り上がっている少女の傍らで、海燕は多少盛り下がっていた。
 何やらいかにもなお嬢さんのお忍びかと思って多少興味が湧いたのだが、お忍びはお忍びでも、『世間知らずのお嬢さん』から『変なお嬢さん』の印象が優勢になりつつあったからだ。
「ふう、おいしかったわ……お兄さん、ありがとね」
 けろっとした表情で爽やかな台詞。
 それじゃ、と背中を向けかけた海燕の手を少女が握った……いいカモを見つけたという詐欺師の表情で。
「私、馬に乗りたいの!」
「……乗合馬車なら駅に行けばいくらでも」
「ちがーう!馬よ馬、裸馬!」
 瞳をキラキラさせて両手をぶんぶんと振り回す仕草は、子供っぽいと言うよりどこか悲壮な雰囲気さえ感じられ、海燕はほんの少し少女への印象をあらためた。
「馬…ね」
「なーによぉ、お兄さん傭兵やってるぐらいだから馬ぐらい乗れるでしょ?」
「……やはり俺が乗せるのか」
 ため息混じりに天を仰いだが、もちろん空は何も答えない。
「……行くぞ、ついてこい」
 そう言って手を引っ張った瞬間、思いもかけない強い力でそれを振り払われた。
「……どうした?」
「命令……しないで」
 少女が一瞬だけ見せた険しい……と言うよりも怯えた様な表情が印象的だった。どうやら身体に触れられる事への嫌悪感とは違うらしい。
「(…それにしても、命令しないで、とはな…)」
 よほど厳しい家庭環境なのか……海燕が微かな同情を抱いた瞬間、少女は指を一本立てて付け加えた。
「あ、でもその前に国立公園に寄ってからね…」
 
「キャー、馬が生きてる!草を食べてる!」
 牧場の柵につかまってはしゃぐ少女。本来、馬は繊細な生き物なのでこのような事をしてはいけないのだが、海燕か少女を連れてきたこの一角は観光客用の気性がおとなしく人に馴れた馬ばかりが集められており、あまり問題はなさそうだった。
 しかし、海燕は少女の様子からどこか無理をしてはしゃいでいるような印象を受けていた。
「……今まで見たことなかったのか?」
「覚えてないのよ……多分だけどね」
「……」
 自嘲的に笑う少女の顔には拭いがたい翳りがあった。こういうときは礼儀正しく耳をなくした振りをするにかぎると判断し、曖昧に頷くだけにしておく。
「ねえ、あなた傭兵なんだからいろんな国の馬を見てきたんでしょう?」
「……まあな」
「この国の馬ってやっぱり強いんでしょうね……ドルファンは陸戦の雄と呼ばれる騎士団を抱えているんだもの」
 軍馬は選りすぐられた馬を訓練したものであってそれとこれとは…と言いかけて海燕は口を閉じた。そんなことをこの少女に説明しても仕方がない。
「……東洋の馬より躰は大きいな」
「へえ…」
「でも、この国の馬の血筋はよそから来たはずだ…」
「……この国の馬じゃないの?」
 牧場の柵につかまったまま、少女は海燕に背を向けたまま聞いてきた。風が身体に障るのか、肩が微かに震えている。
「馬に国境なんてものがあるのか?」
「……」
「まあ地理的環境によって越えられない壁はある……と訂正しておこう」
「あ、あはは……そっか、馬は自分の意志で砂漠を越えたりしないもんね」
 少女は乾いた笑いを風にまぎれさせながらぽつりと呟いた。
「……お兄さんは、何でこの国に来たの」
「船だが?」
「ちがーう!理由よ、理由!」
「なんとなく……まあ強いて言うなら、いろんな土地を見てみたかったからかな」
「それって、悲しくない?」
 海燕は少女に気付かれないように苦笑した。
「どうして?」
「世界中を巡るということは……憧れの場所がなくなるって事じゃないの?」
「……」
「見知らぬ大地、見知らぬ空……そういう憧れがあるから人は生きていけるんじゃないのかしら?」
 少女が自分に振り向けた無機質な表情に、海燕はぞくりとするものを感じた
「そんな憧れを自分自身で消してしまうのと、他人に消されてしまうのってどっちが不幸なのかしらね?」
「……」
 どんな言葉を返したものやらと思い悩む海燕を見て、少女は突然笑い出した。
「お兄さん、真面目なんだ……こんな質問ただの冗談に決まってるでしょ」
 冗談か……と言いかけて、海燕は口をつぐんだ。
 少女が思い出したくないと言うなら、無理に蒸し返す必要もない。
「さて……馬に乗ってみるか?」
「キャー、待ってました!」
 
「ねえねえ海燕、初めて私を見たときどう思った?」
 髪をリボンでまとめているせいもあるのだろうが、お忍びで城を抜け出しているときのプリシラはきょろきょろと落ち着きのないために普段より随分と幼く見える。
 今も悪戯っぽい表情を浮かべて海燕の顔を覗き込んでいるのだが、プリシラの実年齢を考えるとひょっとすると年相応の行動なのか。
「……変なお嬢さん」
「へ、変って事はないでしょ?こうみえても庶民派で親しまれているんだから…」
「庶民派であることと、庶民派を演じることとはかなり違うぞ」
「……やな事言うわね」
 プリシラの表情が一転し、むすっとした感じで海燕の脇腹をこづいた。
「私、気晴らしに来てるんだけど?」
「プリシラが城を抜け出すたびに、プリムがメイド長に2時間の説教を食らうって知ってるか?」
「何よ、私よりプリムの肩を持つの?」
「……自分の身の回りを世話してくれる人間は味方に付けておいた方がいい」
 プリシラは視線を地面に落とし、吐き捨てるように呟いた。
「……私は王女よ」
 性格はともかくとして、別にプリシラは昔からワガママだったわけではない。
 公務をすっぽかすことなど一度もなかったし、こうやってお城を抜け出すようになったのも海燕に出会ったときが初めての経験だった。そしてプリムにとって不幸だったのは、プリシラ付きのメイドになったのがつい最近だということ。
 もちろん、プリムだけではなくお城で働く人間がかなり入れ替えられたのもその当時のことである。
 その理由は、病気療養中と発表しているエリス王妃……つまり、プリシラの母にあたるわけだが、正式に発表をしていないが死亡したからだ。
 そして、エリス王妃が死んでからプリシラはワガママになった。
 正確には死に瀕したエリス王妃にあることを囁かれた瞬間、プリシラは自分のアイデンテティを保つためにそうせざるを得なかった。メイドにワガママを言って命令を遵守させる……それがいいこととは本人も思っていないが、少なくとも自分が王女であるという事を確認することができる。
「……何よ」
 自分を見つめる穏やかな視線にわけもなく心が揺れる。それを隠すために、プリシラはますますぶっきらぼうな態度をとってしまう。
 いつから、こんな風になってしまったのか……
「いや…別に」
「言いたいことがあるなら…キャッ!」
 突然の強い風に身体がよろけた。
「おっと…」
「あ、ありがと……」
 自分を抱きとめた海燕の腕から慌てて離れ、左右を見回した。
「どうした?」
「……誰かに見られたら、あなた不敬罪で殺されるわよ」
「逃げるのは割と得意だ」
 平然と言い切った海燕の腰の剣に目をやり、プリシラはため息をついた。
「銀月の塔から見下ろすドルファンの景色は好きだけど、こうして海を眺めるのも悪くないわよね…」
「ああ、海と言えばアルビア皇太子とはどうなんだ?」
「な、何でそんな話になるのよ?」
「いや、アルビアはドルファンの友好国でいわば海の守り手だろう……政略結婚には格好の相手だと思うが」
「そ、そうじゃなくて…」
「まあ、皇族ってのは大変だな…」
 そう呟いて海燕はプリシラの頭を軽く叩いた。
「あ、あのね!私にだってちゃんと…」
「ちゃんと……?」
「いたのよ…その、恋人ってやつが」
「……過去形か?」
「断絶した進行形ってとこかしら……昔からの知り合いでね、今はちょっと」
「ああ、セーラの兄さんか…」
 プリシラの顔が真っ赤になった。
「な、何、何で……」
「皇族の知り合いで今は国内にいないとなると、それ以外選択肢がないと思うが……第一、俺がセーラの家庭教師だって事忘れていないか?」
「……まあセーラには嫌われちゃってるからね、仕方ないか」
 心もち寂しそうな表情を浮かべ、プリシラは水平線の彼方に視線を向ける。
「セーラもなあ……あの感じだと一生お兄さんを待っててそうだし」
「セーラの近くにいる異性はあいつだけだったから……」
 と、プリシラは一旦言葉を切って傍らに立つ海燕の顔をまじまじと見つめた。
「妙に事情に詳しくない?」
「実は俺って他国の間者だから」
「……冗談よね?」
「傭兵の間ではあまり冗談でもなさそうだがね……今のような待遇が続けば1人や2人は冗談じゃなくなるかも知れないな」
「それは……」
 プリシラはすまなそうに目を伏せた。
 外国人傭兵と騎士団との待遇の格差は、つまるところドルファンという国に存在する拭いがたい純血主義に端を発している。
「……昔、東洋に商業国家があってな」
「…?」
「国を代表する幾人かの富商の支持を受け成立する王家で、他国のような専制君主とはわけが違った…」
「…無礼者っ!」
 海燕の頬で乾いた音が炸裂する。
「ま、否定はしないがね…」
 渾身の力を込めたプリシラ自身が激しい手の痛みを感じていたのに、海燕は何でもないように指先で頬を軽くひっかいた。
 その飄々とした態度は好ましくもあり、また恐ろしくもある。
 プリシラは自分を取り戻すために肩を大きく震わせると、自分の抱える秘密を隠すために敢えて大げさにため息を混ぜながら呟いた。
「……この国が今のようなドルファン王家を含む主要五家による評議会になったのはお父様の代からよ」
 海燕は軽く顎を撫で、海に視線を投げて呟いた。
「……ははあ、なるほどね」
「な、何が、なるほどなのよ…?」
 澄んだ海燕の瞳に、何かも吸い込まれていきそうな気がして声が少し震えた。
「……国王の兄君、幼い頃から将来を嘱望されていたデュノス・ドルファンはあの老人の策謀でこの国を追われたんだなと」
「え…?」
 プリシラの髪が潮風に揺れた……
「叔父様は幼い頃の火災で……」
 死んだ……そう言いかけてプリシラは口をつぐんだ。王家の発表にどれだけの真実があるのかを今更ながら思い出したのだ。
 開かれた王家を謳う今でさえ、エリス王妃の死はひた隠しに隠されている。
「どうして……?」
「どうして…とは?」
「あの老人が、どうしてそんな事をしなければいけなかったの?」
「……英明な王よりも凡庸な王を、それに連なって五家評議制の導入で王の権限を制限、自分の娘と国王を結婚させる、そして庶民派政策を採らせることで王家の血筋の神聖性を国民の中から薄れさせる事……導かれる答えは1つしかないと思うが?」
「……簒奪」
 舌が貼りついたような感覚を覚えながらプリシラは呟く。
 当たり前すぎる結論だけに、自分の愚かさが身に染みた。と同時に、自分がどうしてここにいるのかという理由も思い浮かぶ。
「海燕……」
「自分がかなり失礼なことを言ってることは自覚している」
「ううん、そうじゃなくって、お母……エリス王妃が既に死んでいるって言ったらどうする?」
「……それをきっかけに国内の不満が多少高まるかな。ただ、それがあの老人の策謀だとしたら、決め手には欠けるね」
「多分、お父様に新しい后を迎え入れさせたくないのよきっと……」
 そうすれば王家の血筋は絶え、ずっと国民を欺き続けてきた自分の存在が王家打倒の決定的な切り札になる。
 海燕が優しい目で自分を見つめていることに気付き、プリシラは慌ててその視線から顔を背けた。
「……自分の境遇を恨むか?」
「まさか……私は多分、自分に不相応なぐらい幸せな人生をおくってる筈よ」
 ……王女の生活が、幸せであるならばの話だが。
 
「ではプリシラ、頼んだぞ…」
 公務の前にかけられる言葉と優しい抱擁……おそらく他人の目にはワガママになった王女に対して国王が優しくなったと見えているのかも知れない。
 自分は何を信じればいいのだろう……気がつくと、公務の合間を見つけて城を抜け出している自分がいる。
「やっほー!」
「……どうして、城を抜け出すかな?」
「お城にはあなたがいないもの」
「……」
「……なんてね。へへ、本気にした?」
 プリシラはにっこりと微笑んだ。
 海燕の表情に目に見えた変化がないのが少し悔しかったのだ。これでも、自分が充分に魅力的な女性であることを自負しているのだから。
「それにしても、海燕が教会で働くのってすごく似合わないわね」
「いや、働いているんじゃなくて奉仕作業と言うんだが……」
「ますます似合わない。だって、傭兵ってお金が大事なんでしょ?」
「……実は、この場所で他国の連絡員と待ち合わせを」
「そうそう、その方がよっぽどらしいわよ」
 と、楽しそうに笑うプリシラの背後のドアが開いてシスターが姿を現した。
「海燕さん……あ、あら。お知り合いの方ですか?それならしばらくご休憩なさっては?」
「ああ、そうさせてもらおうか……」
 ルーナに向かって軽く頷きながら、海燕はプリシラを連れて教会の外に出た。
「んー、いい風。潮の匂いがたまらないのよね…」
 教会の墓地は海に面しており、お墓さえ気にしなければなかなかの景観が楽しめる。
「何かあったのか?」
「え?」
 プリシラはちょっと困ったように眉をひそめ、そして観念したように小さくため息をついた。
「お城にいると気が滅入るのよ……魑魅魍魎が跋扈する世界だから」
「……魑魅魍魎ってのは、どこにでも跋扈するから魑魅魍魎なんだが」
 腕組みしたまま水平線を見つめる海燕に、プリシラは世間話でもするように尋ねた。
「ねえ、海燕は国王になりたいなんて思ったことある?」
「プロポーズか?」
「は?」
 プリシラは自分の言葉がそういう意味に解釈できることに気がつき、顔を真っ赤にして首を振った。
「ち、違うわよ!そうじゃなくって、男の人ってのはみんな国を治めるとか、権力に憧れたりするの?」
「……人それぞれだろう」
「……一番聞きたくなかった答えだわ、それって」
「アーサー王の時代と違って、剣の時代はもう終わりだよ……」
 海燕は小さく微笑み、足下の草を一本引き抜いた。
 そんな海燕の答えに、プリシラは普段決して他人に見せたりしない白い歯を見せて笑った。
「要するに、自分の剣の腕に自信があるって事だよね。まあ、ヴァルファの将軍を何人も一騎うちで倒してるから自惚れって事もないんでしょうけど」
 全欧最強と名高い傭兵騎士団の将軍がこの戦いで5人、海燕の剣の前に散っている。
 そのせいなのか、騎士団の間で海燕の評判があまりよろしくないこともプリシラはメイド達から聞いていた。もちろん、今の騎士団に置いて主流から外れている騎士達の間では高い評価を受けていることも。
「……今から6年前、ヴァルファには13人の将軍がいた。シベリア軍を相手にした戦いで将軍が5人死んで8人になったわけだが……ヴァルファもまた一軍を指揮する将軍が弱体化してるんでな」
「へえ、傭兵だけあってさすがに詳しいわね」
 シベリアと聞いて、心が乱れなかったことにプリシラは少し驚いた。
 カルノー・ピクシス……権力者の子弟という立場を無視したいかにも少年らしい理想と未熟さが彼をシベリアへと亡命せざるを得ない状況へと追いつめてからもう何年になるだろう。
「まあ、その戦いに参加していたからな」
「……海燕、いくつの頃から傭兵やってるの?」
「10才ぐらいかな」
 何でもないことのように呟く海燕を見て、プリシラはこの国が平和だったことに感謝し、同時に海燕に対して気後れを感じた。
「……私って、あなたから見たら苦労知らずの甘ったれたお姫様に見えるわよね?」
「大分精神的に弱ってるみたいだな…」
「な、何よそれ!」
 思わず右手を振るう……が、空をきった。
「あ、あなた私のこと王女だなんてこれっぽっちも思ってないでしょう!」
 そう口に出してしまってからすぐに、さっきの言葉が海燕なりの励ましである事に気がついて顔を赤らめる。
「ごめん…」
「人が背負える荷物の重さはまちまちだから、他人の荷物と比べることに意味はない……俺はそう思うよ」
 そこにはいない誰かに対して語りかけるような遠い口調に、プリシラは思わず顔を上げて海燕を見た。
 いつもと同じ表情で海を見つめる優しい瞳がそこにある。
「……ねえ海燕、1つ聞いていい?」
「何だ?」
「あなた自分の荷物を誰かと、ううん、誰かと同じ荷物を背負ったことがある?」
「あるよ……随分昔のことだが」
「……そうよね」
 この年になって浮いた話の一つや二つない方がおかしい。ただ、何故そんなことを聞いてしまったのかは良くわからないのだが。
「……ライズと同じようなことを聞くんだな」
 ライズという名前を耳にしてプリシラの精神の針が不機嫌に向かって揺れた。
「ライズって私の誕生日にのこのこ連れてきたあの女の子の事よねえ?」
 微妙に殺気を漂わせた目つきで自分を見、しかもプリシラの目の前で海燕と2人仲良く(プリシラ視点)肩を並べて帰っていった少女。
「そうとも言うな…」
「あ、あなた全く反省してないでしょ?」
「反省って…?」
「女性の方から招待したパーティにのこのことカップルでやってきた事よ!」
「いや、あれには俺なりの情報収集というか……」
 言葉を途中で切り、海燕はプリシラに背を向けて走り出した。
 もちろん、プリシラは拳をぎゅっと握りしめたままその後を追う。
 そんな2人を、シスターは微笑みながら見つめていた。
 
「真夜中の秘密のお茶会……ロマンチックよね」
「……そうか?」
 多分断られるだろうと思っていたのだが、海燕がすんなりと招待を受けてくれたことがただ嬉しかった。
「……それにしても、レディの部屋に剣を携えたままやってくる神経が」
「いや、武器がないと落ち着かないもんで…」
「……いざというときは私を守るという意思の表れだと思ってあげるわ」
「……」
「不服なのっ?」
「いや、そんなことは……」
 プリシラは大きくため息をついて立ち上がった。既にメイド達が休んでいるから自分でお茶を入れるためなのだが……
「待て、プリシラ!」
「え?」
 海燕の方を振り返ろうとした瞬間、部屋の明かりが消えた。
 そして、薬品の匂いがプリシラの精神を白く塗りつぶした……
 
「(……ん?)」
 ぼやけた視界が急速にはれていくと同時に、身体の感覚が戻ってくる。
「……腰の重い近衛にしては動きが速いと思ったが、東洋のお客人とはな」
 少しくぐもってはいるが、聞き覚えのある声にプリシラが慌てて視線を向けた先には海燕と対峙した1人の道化師の姿があった。
「……シベリアも無茶な事をする」
「頭の良すぎる人間は長生きできないものだよ」
 仮面と道化師の服を身に付けてはいるが、帽子からこぼれた柔らかな髪に見覚えがあった。
「カルノー!」
「おや、お姫様のお目覚めだ……プリシラ、もう少し待っていてくれ。邪魔者を始末するから」
「やめて、カルノー…」
「優しいな、プリシラは…」
 カルノーが何も言わずに自分の前から姿を消したのはプリシラが13才の時。
 それから6年……プリシラにとっては長すぎたのか、それともいろんな事がありすぎたのか。
 プリシラはただ静かに足を進め、両腕を広げて海燕をかばうように立ちはだかった。
「プリ…シラ?」
「カルノー…あなたドルファンをシベリアに売るつもりなの?あなたの故郷でしょ?」
「この国を再生するためには必要なことだよ、プリシラ」
 カルノーの言葉を聞いた瞬間、プリシラの心の中で何かが切れたと思った。
「……私を攫っても無駄よ」
「近いうちにシベリアの脅威はトルキア半島をのみ込む……」
 カルノーの台詞を遮るようにプリシラは叫んだ。
「私は、王家の娘なんかじゃないもの!あなたのお祖父様がよく知ってる事よ」
 プリシラには後ろを振り返る事ができなかった。
 そう、ただ話し続けることしか……
「お母…エリス王妃は、子供の頃に患った大病で子供の産めない身体だったの……あの老人はそれを承知で自分の娘を国王と結婚させたのよ」
 プリシラはそっと目を閉じた。
 これで自分は何もかも失うかも知れないという恐怖と、この3年間ずっと抱えてきた重圧から一時的に解放された安堵の気持ち。
「……何故東洋人をかばう?」
「私の大切な人だから……」
「ククッ、ありがとうプリシラ。これで戦う理由ができたよ…」
 剣をあげたカルノーからかばうように、海燕の手がそっとプリシラの身体を自分の背後へと動かした。
「果報者だな東洋人……」
「いいのかのんびりしてて、急いでるんだろう?」
「…クッ」
 海燕の口元に笑みが浮かぶと同時にカルノーは踏み出してきた。心に余裕がないからこのぐらいの誘いにひっかかる。
 数合の後、カルノーの手から剣が飛んだ。
「去れ」
「…何だと?」
「セーラのためにも、捕まるわけにはいくまい」
 カルノーの肩が小さく落ちた。
「そう…だな」
 そう呟くと、カルノーは闇の中へと姿を消した。
「海燕……」
「もうじき近衛がくる……安心しろ」
 プリシラはただ海燕の身体をぎゅっと抱きしめた。
「知ってたのね……今日の襲撃のこと」
「確信はなかったがな」
 プリシラは海燕の身体を一旦放し、硬い表情を浮かべてそっと手の甲を海燕に向かって差し出した。
「私、何もかも無くしちゃったわけじゃないよね……」
 これまでいろんな人間から幾度となく手の甲に忠誠のキスを受けてきた。
 ただ、それは王女という肩書きに対しての忠誠に過ぎない。
「プリシラ、こういうときはこちら側を差し出すんだ…」
 海燕は小さくため息をつきながらプリシラの手を取ってくるりとひっくり返した。
「え?」
 手の甲へのキスは忠誠の証。
 そして手のひらへのキスは……
 プリシラはうぶな少女のように顔を赤くして、愛の証である手のひらへのキスをただ見守っていた。
 
「……昨日はありがとう。あの後すぐに近衛兵が来たからろくにお礼も言えなくて」
 海燕の部屋の入り口に立ち止まったまま、プリシラは小さく頭を下げた。
 そして落ち着かないのか、それともただ単に物珍しいだけなのかはわからないが殺風景な部屋の中に視線を彷徨わせる。
「……何もないのね。それともこれが普通なの?」
 おそらくは備え付けだと思われる、ただ頑丈さだけが取り柄のような家具を除けば本当に数冊の書物と服ぐらいしか見あたらない。
「多分、あまり普通の部屋じゃないと思う…」
「そ、そうなんだ…」
 コンコン…
 ノックの音に、プリシラは思わずドアから飛び退いた。そしてなんとも微妙な表情で海燕を見る。
「何か予定あったの?」
「いや…?」
 首を傾げながらドアを開けた瞬間、プリシラは海燕が狼狽したのを初めて見た。そして、後にも先にもこれが最初で最後の経験となる。
「へ、陛下!」「お父様?」
「今日は人の親としてやってきた故、気遣いは無用だ…」
 そう前置きしてから、ドルファン国王であるデュラン・ドルファンは海燕に向かって頭を下げた。
「娘を救ってくれて礼を言う…」
 『娘』という言葉にプリシラは微かに表情を曇らせた。そして、遮ろうとした海燕を押しのけるようにして足を踏み出す。
「娘なのですか?」
「何を…」
 少し驚いたようにデュノスは顔を上げた。
「お母様は幼い頃大病を患って子供の産めない身体だったんでしょう?それなのに、どうして娘なの?」
「そうか…知っていたのか」
 デュノスの目が何かを思い出すように閉じられた。
「陛下、私は席を外しましょうか?」
 そう言った海燕の服の裾をプリシラがしっかりと握った。ただ、その手は小刻みに振るえ続けている。
「いや、そなたにもこの場にいてもらおう……」
 デュノスの言葉に、プリシラは小さくため息をついた。そして、海燕の服の裾をつかんだまま震える声で問う。
「私は誰なの?」
「……儂の娘だ」
「だから」
「儂の娘ではあるがエリスの娘ではない……お前にはまだ理解できないかもしれんが、王家の血をひく者は血の存続が義務となる」
 プリシラの身体が小さく揺れた。
 今自分が嬉しいのか悲しいのか良くわからない。
「信じては貰えないだろうが、儂はエリスを愛していた……多分、エリスが言い出さなければ儂は生涯子供を持つことはなかったと思う」
 デュノスは自嘲的な笑みを浮かべる。
「旧家の老人なら、儂が王として無能だと断言するであろうな……事実無能でもある」
 そして、ここにいない誰かに語りかけるように遠い眼差しを天井に向けた。
「……儂は、王になどなりたくはなかった。文武に優れた兄なら、この国はもっと繁栄を極めていたであろう……ただ、英明ではあったがあの老人の真意を見抜くにはただ若すぎた」
「……そこまでわかっていて、どうしてあの老人を」
 怒気を露わにするプリシラを見、そしてデュノスは目を閉じた。
「あの老人の助けがなければ、儂は国政をまともに扱うこともできなかった……つまるところ、儂が無能故にあの老人の欲を刺激し、また兄を死地に追いやったとも言える」
 デュノスは拳を握りしめると、申し訳なさそうに海燕とプリシラの2人に視線を向けた。
「プリシラ、これだけは覚えておくがいい。無能であることは大きな罪だ、許されないほど大きな罪なのだ……」
 懺悔のように繰り返される言葉に、プリシラはただ黙ってそれを聞いていることしかできなかった。
 
「……お父様は、この事を謝っていたのね」
 夕暮れの空中庭園でプリシラは呟いた。
 ピクシス家とエリータス家……旧家の両翼と呼ばれる両家が外国人排斥法を支持したことにより、ドルファンは再び鎖国政策を採ること決定した。
 プリシラは海燕の胸に光る勲章を見て、微苦笑を浮かべた。
「おめでとう……ドルファンの歴史上2人目の聖騎士になったのね」
 騎士団の主流の反発をも黙らせるほどの巨大な勲功を3年でうち立てた英雄を、この国は無下に追い出そうとしていた。
 プリシラは海燕から視線を背け、夕暮れの風にまぎれてしまうことを期待しながら小さく呟く。
「……本当は、私だけのナイトでいて欲しかったんだけど」
 そしてプリシラは右手をそっと海燕に差し出した。
「じゃあ、忠誠を誓って貰おうかしらね」
 無理に明るく笑い、海燕の目の前で手を振ってみせる。
「王女の仰せの通り…」
「あ…」
 海燕は恭しくプリシラの手を取り、ためらうことなく手の甲にキスをした。
 胸が痛くなり、慌てて手を引き戻そうとしたが海燕は手を放そうとしない。
「ちょ、ちょっと放してよ…」
「物覚えが悪いな、プリシラは……」
「え?」
 海燕はプリシラの手をくるりとひっくり返し、手のひらに対してさっきよりも随分と長いキスをした。
 顔が熱くなる。
 と同時に、胸の中でくすぶっていた思いは爆発的に高まり涙となってこぼれ出た。
「馬鹿!何でそんなコトするの……これじゃあ、我慢できなくなっちゃうじゃない」
 海燕の身体をぎゅっと抱きしめる。
「私、王女だもの……無能かも知れないけど、国民を裏切る事なんてできない……そう、思ってるのに…」
 涙にかすむ目で海燕の顔を見上げ……もっとしっかりと覚えていたくて両手で海燕の顔をなぞり続けた。
「わ、私、馬鹿なんだからね……どうやったらずっとあなたの側にいられるかって事ばかり考えてた。部屋に戻れば旅行の用意だってすませてあるんだから…」
「プリシラ…」
「あなたが忠告してくれたようにメイド達はみんな味方にしてあるんだから……衛兵以外はみんな見て見ぬ振りをしてくれるわよ」
 海燕は大きくため息をつき、プリシラの身体を抱え上げた。
「な、何?」
「決めた、プリシラを攫う事にする」
「ちょ、ちょっと、何を馬鹿なこと…」
「嬉しそうだな…?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
 口ではそう言いながらも、プリシラの両腕は海燕の首に抱きついていく。そして、2人は初めて誓いのキスを交わした……
 
 
                       完
 
 
 最後は書いてる本人が少し恥ずかしかったりしたのでちょっとヤケ。
 実際にゲームをプレイした時は、はたしてエンディングでどうオチをつけるつもりなんだろう?等と思っていたのですが、ちょっと暴れました。(笑)
 で、最初はプリシラの出生から書いてたんですがお話がかなりイヤな方向に進みそうだったので削除。
 次は、プリシラの出生を無視して主人公が最終的に聖騎士になることで国に留まることができるってな話を書いてたんですが、パロディの意味がなさそうなんでやっぱり削除。
 その次に書き始めたのが、王家の血をひいているライズを登場させることでどうにかしてしまうという話だったんですが、動機付けが不可能っぽかったのでやっぱり削除……とかやってるうちにレズリーの話を書いてから4ヶ月が過ぎてしまいました。(笑)
 仕方なくゲームの設定をちょこちょこといじり、カルノーの手から救い出すシーンで追われたら楽なんだが……と弱い心にむち打ちなんとなくそれっぽく仕上げたつもりです。
 手の甲、手のひらへのキス云々のシチュエーションだけは最初から絶対に盛り込もうと思ってたんですが、このゲームのSSとしては一番難産だったような気がします。
 しかし、1ヶ月1キャラのつもりで書いてたんですが……一周するまで本当に2年ほどかかってしまいました。(笑)
 お話的にはまだまだ書き足りないと思っているのでまだ書くと思います。

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