「……ベルシス家が、王室会議から除籍、か」
 王家に対して叛意を抱き……と、もっともらしい理由を付けてはいるが、結局はピクシス家がそれをごり押ししたという形なのだろう。
 本来、ドルファン王家が最上位で、ピクシス家が筆頭、ベルシス家が次位、エリータス家、カイニス家が参位……という力関係なのだが、この国で半年も過ごせば本当の実力者が誰なのかわかってくる。
 3月下旬に行われた外国人傭兵徴募……在位20年以上のデュラン国王が、ピクシス家の意見に逆らった初めてのケースだと言うから恐れ入る。
「飾り物の国王が、初めてピクシスに逆らった……さて、その理由は何かな」
 一番簡単な構図は、国王が自分を圧迫するピクシス家を抹殺しようと、ベルシス家と手を結んで……だが、どうもそれはピントがずれているような気がして。
 いつもと違う行動をとる……もちろんそこには理由があるはずだが、ピクシス家と国王のどちらの手腕が上かと言えば当然前者。
 国王が自分に逆らう……それは何故か、という事は当然考えるだろうし、下手をすれば逆らう前に察知する事も可能だと考える方が、力関係的に自然なはずで。
「逆か……敢えて国王に逆らわせた」
 何の根拠もないが、とりあえず口に出してみる……そうして、実際に言葉にしてみると、もつれた糸がするりと解けることがあるからだ。
 自分の長女が王妃で、たった一人の王女は自分の孫……実際に20年以上も国政を左右してきたピクシス家当主の立場からすれば、何故愚鈍な国王の代わりに自分が国王になってはいけないのか……そう考えても無理はあるまい。
 実際に、除籍したベルシス家に代わってピクシス分家が会議に組み込まれ……勢力としては、ドルファン王家をしのいでいるのが実状だ。
「……元々、ピクシス家と仲が悪いのはベルシス家……」
 ふっと、海燕の頭の中で何かがつながりそうになった。
 ドルファンからの使者に対し、ヴァルファ参謀が『復讐』と口にしたこと……ピクシス家とベルシス家の確執の元……ベルシス家と傭兵軍団ヴァルファのつながり。
「破滅のヴォルフガリオ……デュラン・ヴォルフガリオ」
 海燕は、ヴァルファ傭兵軍団を率いる軍団長の名を口にする。
 シンラギククルフォンと違って、全欧最強と噂されながらヴァルファバラハリアンは結成されてからまだ20年も経っていない。
「……ねえ」
 そして、現国王の双子の兄……火傷が元で王位継承権を失い、その後の政争にも敗れて国を追われ、異国の地で病死したと噂される……デュラン・ドルファン。
「おいおい…」
 それはちょっと出来すぎだろう……と、自分自身を抑え込むように、海燕が呟いた。
 ただ、それなら説明が付くことも少なくない。
 元々、ベルシス家はデュラン・ドルファンとつながりが深かった……そもそもまぎれもない王家の血筋だけに、やることさえきちんとやれば戦後処理はそう難しくもあるまい。
 そう、勝ちさえすれば……ベルシス家を従えて、故郷に凱旋以外の何物でもなく。
「と、すると…黒幕はどこだ」
 ベルシス家は国境都市ダナンを領するが、それだけだ……戦闘集団ヴァルファに対する補給を長期に渡って行うことは難しいはずで。
 プロキア、ハンガリア、ゲルタニア、そしてドルファン……黒幕が誰かは別にして、その4方向のどれかから、物資が運び込まれているのは間違いない。
 結局、複雑に絡んだ糸の1本がほぐれただけのことか……ならば、この1本に固執するのは危険…。
「ねえってばっ!」
「……っと、ピコか」
「ピコか…じゃないよ。さっきから何回よんだと思ってるのさ」
「いや、ちょっと考え事をな…」
 思考を中断された事を残念に思うより、先走りしそうだったそれを止めてもらったことに感謝しつつ、先の考えをピコに話してみた。
「……」
「どう思う?」
「まだ、わからない部分が多いけど……ビンゴじゃない、それ?」
 と、感心したようにピコ。
「でも、確かに問題は多いんだ……軍団長はそれでいいかも知れないが、軍団に属する傭兵連中は、それで納得してるのかどうか、とかな」
「それは……」
「騎士になりたくないから、傭兵をしてる奴もいる……勝ち目がないと思えば、逃げ出すのが傭兵だ……だったら、ヴァルファの連中は、この戦いに充分な勝算を見いだしてるって事だろ」
「キミ、この国が負けるって言ったよね…?」
「国をあげての、総力戦なら話は別だ」
 国境駐屯部隊をのぞいても、ドルファン国の騎士大隊は10を数える。
 それに対して、ヴァルファは5大隊……元々の規模そのものも小さく、補給の面でも不安がつきまとう。
 超短期決戦を除けば、ヴァルファ側の勝利のためには、国内での反乱というか、ヴァルファ側に呼応する勢力が必要不可欠となるのは明白だ。
「……まあ、その後、よだれを垂らした周辺国が襲いかかって……そうか、黒幕にすれば、ヴァルファが勝つ必要は無いのか」
「え?」
「ヴァルファは、支援を信じて時間を稼ぎ、ドルファンは戦いを仕掛けるしかない……細かな動きは除いて、この国は確実に弱体化に向かう」
 もちろん、戦いの中で騎士団が精強さを取り戻す可能性もあるが……軍を支えるはずの国の財政がガタガタになることは目に見えている。
 内戦状態のヴァン・トルキアがいい例だ。
「ねえ、今気付いたけど……プロキアでしょ、ヴァン・トルキアでしょ、ゲルタニアもトルキア内戦に参加して、ハンガリアはテロが続出してる」
「……」
「そして、ドルファン……ほぼ同時期に、この全トルキア地方が混乱状態に陥ってるわけだよね?」
 ピコの呟きに、海燕は首筋に氷の針を埋め込まれたような衝撃を覚えた。
 横やりを入れさせないため、ある地域で何かをやらかそうとするときは謀略によって周囲を攪乱させるのは常道だが……ドルファン一国に対して、すこしばかり規模が大きすぎると言える。
「……ドルファンだけじゃ、ないのか?」
「も、もちろん、そういう騒ぎが地域内で連動することが多いのはわかってるけど……わかってるけどさ、ちょっと気になるね」
「気になるな…」
 しかし、どこから手をつければいいのか……以前に、傭兵の身としては、手をつける場所を探す方が大変で。
 
 そして10月中旬。
「セーラ様、こちらが、新しい家庭教師の海燕殿でございます」
「海燕です、よろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 生まれつき心臓が弱く、ほとんど寝たきりの生活を送っているらしい少女は穏やかに微笑んだ。
 肌の色が透き通るほどに白く……ほとんど、日にあたることも無いのだろう。
「……失礼ですが、先生は、東洋からいらっしゃったのですか?」
「東洋というか……東洋の東の果てというか、大東洋に浮かぶ、小さな島国が故郷だな」
「もしかして…日本ですか?」
 少女の視線が海燕の頭へと。
「髷は結ってないよ」
「あ、ご、ごめんなさい…」
 顔を赤くして俯く少女……肌の色が白いため、それがよく目立つ。
「というか、詳しいんだね…」
「はい、心臓が弱くて、歩き回れないものですから……旅行記などを読むのが好きなんです。日本のことは、ジャンベルグの著書で…」
 少女が口元を手で押さえ。
「……この国では、禁書になってますから…大きな声では言えないんですけど」
 アルベルト・ジャンベルグ……かつて、商売人だった父のお供として長きに渡って東洋圏を旅した経験を書物として残したが、全欧においては相容れない価値観などが散見されるため、禁書扱いとなっている国が少なくない。
 その見聞録以外にも数々の学術的な著書を残しているが……ジャンベルグの著書ということで正当な評価を受けておらず、最近になって再評価の動きが出始めているとか。
「気にしないでいい……そうだね、じゃあ最初のうちは、その本を教科書にして色々教えていくことにしよう」
「は、はい、よろしくお願いします」
 輝くような笑顔を浮かべ、少女がぺこりと頭を下げた。
 名家だから……という奢り以前の問題で、ほとんど人と接することがないための純粋さだろう。
「海燕殿……今日はとりあえず、そのぐらいで。セーラ様があまり興奮するといけませんし」
 執事のグスタフ・ベナンダンディー……現役ではなさそうだが、若い頃は軍隊にいたのだろうという身のこなし。
 それを故意に見せているのか、隠そうとしていないのか……で、この男の危険度は劇的に変化するが…。
「じゃあセーラ、また来月に…」
「はい、お待ちしてます」
 ピクシス本家というわけにはいかなかったが、ピクシス分家(王室会議に参加するのとは別の)において家庭教師を募集していると情報をピコから得て、ダメ元で応募してみたのだが……皮肉なことに、東洋人という事が良い方向に働いたようだ。
 分家と言っても、現当主であるアナベル・ピクシスの長男(死去)の家系である。
 本来なら、本家を継いでいるはずなのに、実際にピクシス本家の後継者になっているのは3男のアルダナル・ピクシスで……この春に妻との間に女児をもうけたとの事から、まだ若いのであろう。
 そして次男もまた分家扱いで……しかしこちらは今度の王室会議改変で、参位として組み込まれている。
 同じ分家でも、当主であるピクシス卿の……息子達に対する扱いが大きく違うあたりに、微妙なきな臭さを感じずにはいられない。
 セーラの兄であり、この家の長男であるカルノー・ピクシスは、3年ほど前に海外に留学……実際は亡命であると囁かれていることから、ピクシス家においても色々と争いがあるのだろう。
 まあ、さすがにあの少女には関係のない話であろうが。
「海燕殿。これから月の第3日曜日に来ていただくことになりますので…」
「家庭教師は何人もいるらしいが、俺はどの教科を…」
「セーラ様の、お心のままにお願いいたします……それだけの知識はある方だとお見受けいたしました」
「努力はしよう…」
 そんな海燕に向かって、グスタフが微笑を浮かべる。
「ピクシス家当主である大旦那様は、外国人嫌いで有名ですが……この屋敷には滅多に来られません。ご心配なく…」
 ほんの一瞬だけ、グスタフが鋭い視線を見せる。
「あの子に、セーラに危害を与えるようなことはしない」
「…安心いたしました。この老骨が海燕殿をどうこうできるとは思えませんでしたので」
 そう言って、グスタフはにこりと笑った。
 
「あ、おかえり。どうだったの?」
 宿舎に帰った海燕をピコが迎え入れ。
「なんとか採用された」
「……こういったらなんだけど、良く採用されたね」
「ほとんど、ピクシス本家とはつながりがないって事だろう……状況からいっても、執事のじいさんの反応からしても、敵対に近い間柄じゃないかな」
「へえ…」
「まあ……あまり世俗のもめ事を持ち込みたくないな、あそこには」
「キミが思うようにすれば……あ、そうそう。キミが留守にしてる時に、招待状が送られてきたよ」
「招待状?」
 ふ、ふーん、とピコは得意気な表情を浮かべた。
「誰からだと思う?」
「さあ?」
「プリシラ・ドルファン……この国の王女様。来週の誕生パーティの招待状だよ」
「あまり、気乗りがしないな…」
「スパイ容疑で拘束なら、こんな回りくどい方法は採らないと思うけど」
 口調と表情から察するに、どうやらピコは出席することを望んでいるらしい。
 もちろん、ピコのそれとは別に……海燕としても、セーラの家庭教師となったことで既に一歩踏み込んだという意識がある。
 確かに、深い情報を求めるならここでさらにもう一歩踏み込むべきだろう……が、それに伴いリスクは増大するは世の常だ。
「……そうだな」
「10月の26日だからね、忘れちゃダメだよ…」
 
 プリシラ・ドルファン……今日17歳を迎えるドルファン王国の第一王女。
 本来なら、政略結婚の駒として嫁ぐ先が決まっている、もしくは既に嫁いでいてもおかしくない年齢なのだが……現国王のただ一人の子供ということが彼女の立場を重く、かつ微妙なモノにしているのは間違いない。
 ちなみに、エリス王妃はピクシス家当主の長女であるから……プリシラと、セーラは従妹の間柄になる。
「……子供が王女様一人ってのも不思議だね」
「自分の娘じゃない女に、子供を産まれたら困るだろうしな…」
「そこまで皮肉な見方をしなくてもいいじゃない…」
 ピコがちょっと口を尖らせた。
「ほら、他の女を相手にする気になれないぐらい王妃様を愛してるとか…」
「……そう思うか?」
「そりゃ、思わないけど……王女様が王子様ならともかく、国王としても、ピクシス卿にしても、子供が王女様一人ってのは、今ひとつ納得できなくない?」
「確かにな…」
 城へと向かいながら、海燕が頷く。
 あまり子供が多いのも考え物だが、ピクシス卿としては、自分の娘であるエリス王妃が産むなら何の問題もないわけだし……国王としては、やはり男児が望みだろう。
「まあ、元々身体が丈夫じゃない人らしいけど……」
「王女一人が精一杯だった……か」
 それならば、ピクシス卿としても王女一人に固執せざるを得ないだろう。
「まあ、国王がだらしないって事だけは確かだよね」
「……だな」
 5家による連立評議会というシステムがどうこうではなく、ここまでピクシス家にいいようにやられるのは、結局は国王としての力量の問題としか思えない。
「さて、鳶の子は鳶か、それとも鷹か…」
「……一度会ってるじゃない」
「あれがそうなら……」
 海燕は一旦言葉を切り、空を見上げた。
「……鳶だな」
「……言うね、傭兵風情が」
「傭兵だから、言うだけは出来る」
 からかうようなピコの言葉に、海燕が間髪入れずに返し。
「……傭兵じゃなくなったら、思うだけしかできなくなるさ」
「……そうだね」
 
 ドルファン本城……ドルファンの首都そのものが巨大な城塞の形を取っているため、城塞内のドルファン城は本城と呼ばれる。
「さて、どこに行けばいいのか…」
「おい、東洋人」
「……と、メッセニ中佐でしたか」
 初めて養成所に訪れた日に、顔を見た記憶があった。
 ヤングの上官にあたるが、本職は近衛兵のとりまとめ役であり、騎士養成所の責任者という立場は兼職らしいと聞いていたので、海燕は一応礼を取った。
「第一次傭兵徴募でやってきた、海燕と申します」
「わかってる、王女から招待状を受け取ったのだろう……こっちだ、東洋人」
「名前で呼べってのよ…」
「誇り高い男なんだろうな…」
 ピコをなだめるために、敢えて言葉にする。
「傭兵を雇わざるを得ない現状に、己のふがいなさに腹を立てているんだろう……ああいう男は信用できるし、俺は嫌いじゃない」
「何をしている、東洋人、こっちだと言っただろう」
「むー」
「気にするなピコ…」
 一声かけてから、海燕はメッセニの後をついて歩き始めた。
「……城は初めてか、東洋人」
「はい」
「……」
「……」
 微妙な沈黙を経て、メッセニが軽く咳払いをしてから切り出した。
「いつ、王女と知り合った?」
「今日初めて、お目にかかります……というか、顔も知りません」
「なるほどな…」
 そう呟いてから5歩、メッセニは足を止めて振り向いた。
「イリハ会戦の報告でお前の名前が出てな……それで一度会ってみたい、と王女は仰ったが、既に一度あったことがある口振りだった」
「……はあ」
「正直に言え、東洋人」
「……と、すると」
 まあ、このぐらいならいいか、と判断して。
「プリシラ王女は、自由に城を抜け出すことが出来るわけですか?」
「……活動的なお方でな」
 苦虫をかみつぶしたような表情でメッセニ。
「近衛兵をはり付けておくことができんのをいいことに、メイドの目を盗んで王族しか知らない抜け道を使って、自由自在というところだ……」
「……一人娘でしょう」
「そんなことは、貴様に言われなくてもわかっているっ!」
 メッセニが、大きく、深いため息をつく。
「もちろん、城を抜け出すときは変装なさっているようだが……そもそも、顔を知らんと言ったな」
「まあ、今日会えばわかるかも……としか言えません」
「……1つだけ言っておく」
 人を殺しかねない視線を向け、メッセニが低い声で呟くように言った。
「王女は命を狙われている、もしもの時は命をはって守れ」
「傭兵に、あまり期待をされても…」
「形の上で、貴様は私の部下だ」
「……了解いたしました、上官殿」
 
 メッセニに連れて行かれた小さな部屋……と言っても、かなりの広さがあるのだが、そこで海燕は、あの夏の日の少女と再開して、心の中で小さくため息をついた。
「メッセニ、近衛兵を連れて下がっていなさい」
「は、いや…しかし…」
 それだと、この部屋の中で2人きりということに……そんなメッセニの戸惑いをわかっていながら、王女が念を押すように命令した。
「私は、2人きりで話がしたいと言ってます」
「ですが…」
「もう一度、言わねば理解できませんか?」
 大きなため息に……プリシラ王女と、メッセニが同時に海燕を振り向く。
「……どこの馬の骨とも知れぬ傭兵と2人きりで話がしたいというのは、王族の行動としては賢明とは思えませんが」
「あら、言うわね」
 機嫌を損ねるでもなく、むしろ面白げに王女が呟き……メッセニは、海燕の発言を咎めるべきか、それとも王女を説得するべきか迷っているような複雑な表情を浮かべている。
「と、いうか……傭兵のあなたが、私に王族としての心構えを教育してくれるってわけかしら?」
「お望みとあらば……ただし、東洋式になりますが」
 ちょっと、ちょっと…という感じに、ピコが背中を叩いているのはわかったが、茶番に付き合うつもりが海燕にはなかった。
「へえ、東洋式…ね」
「というか、アンタでは、王女の身代わりはできん」
 ふっと、王女が目を見開いた瞬間。
「あはっ、あははははっ」
 部屋の奥の、大きな椅子の影から少女が笑い声をあげながら姿を現した。
「東洋の昔話を聞いた時から、一度やってみたかったんだけど……やっぱり、本家の人間は騙されないか」
 メイド服に身を包んだ少女……だが、周囲に振りまく気配は、現国王よりよっぽど王族らしい威厳が備わっている。
「……プリシラ王女、お戯れは程々に」
 苦い表情でメッセニ。
「まあまあ、せっかくの誕生パーティだってのに、祝ってもらうはずの本人にとっては面白くも何ともないんだもの…これぐらい余興として」
 と、王女に扮していた少女の頭を軽く叩き。
「まだまだ甘いってよ、ティーナ…」
「わ、割と自信はあったんですけど…」
 気配はともかく、2人の外見は確かに似ていた……が、そんなものは化粧である程度はどうにかなるモノで。
「あ、ごめんね海燕……この娘はティーナ。数年前から、私の身代わりをつとめてくれてるのよ」
「プリシラ王女…」
「うっさいわね、メッセニ…私だって、ちゃんと人は見てるわよ。第一、メッセニだって大丈夫だと思ったから連れてきたんでしょ?」
「それは、そうですが…」
「世の中、絶対なんて事はないの……少々のリスクには目をつぶりなさい」
「……は」
 メッセニが頭を下げる……のを見て、海燕が口を開いた。
「それで、やっと本題ですか?」
「まあ、本題って言うか……」
 王女の言葉を引き継ぐように、メッセニが口を開いた。
「東洋人……イリハ会戦が、この国でどう認識されているか知っているか?」
「まあ、まともな情報が上に伝わってないな…ぐらいは」
「……ヤング・マジョラム大尉が、この国を出る前に、絶対に信用できると貴様の名を挙げた」
「……教官が?」
「本音を言うと……私は傭兵なんて輩を信用しない。が、大尉は信用する」
「今ひとつ、話が見えませんが」
 イリハ会戦の様子なら、ヤング教官がきちんと話しただろう……信用するしない以前に、自分が何故この場に呼ばれたのか理由は未だ不明としか思えない。
「……イリハ会戦で、傭兵連中は騎士大隊の一部という形を取った。しかし、それに対して騎士の反発が高まって……おそらく、次の戦いからは傭兵部隊として、遊軍的な扱いを受けることになるだろう」
「……なるほど」
「壊滅した第2大隊に、大きな損害を受けた第4大隊……来月の頭に、軍から再編成の発表があるはずだ」
「……年内に派兵があるとは、とても」
「軍部は、今すぐにでも攻め込みたいようだが、国の事情がそれをゆるさんのさ……旧家の老人は老人で、何やらプロキアを相手にやり合っているようだし」
 軍人でありながら、メッセニの口から語られる『軍部』はまるで他人事のようで。
「まあ、傭兵の複雑な事情はわかってるけど……私としては、貴方にある程度部隊をまとめてもらいたいってとこね」
「もちろん、監察役として騎士が数人部隊に同行するとは思うが…」
「……気楽なものだな」
 自分と、ピコにだけ聞こえるぐらいの小さな呟き。
 王女も、メッセニも、まるで傭兵という連中のことがわかっていない……海燕としてはそうとしか思えなかった。
 所詮は茶番か…。
 ヤングをその実力に応じたしかるべき地位につけてさえいれば、少なくとも先の敗戦は……あれほどの大惨敗をすることはなかったはずだった。
 結局……この場で王女が、メッセニが何を言おうとも、ヤングにちゃんとした戦いの場所を与えられない連中が言うことだと、海燕は既に見切ってしまっている。
 王女とメッセニは己の都合だけで、もちろんそれ相応の餌を提示はして見せたが……海燕は冷めた目でそれを聞くだけ。
 そして、ティーナという少女だけが、興味深そうに海燕をじっと見つめていた……。
 
 ベイラム・オーリマン卿。
 ザクロイド財閥との癒着が噂される……というか、半ば公然の事実だが、輸出入を統括する立場のトップ。
 商業会からの、シベリア産の安価な燐光石、鉄鋼、石炭などの輸入に対する要望を突っぱね続けている姿から、ザクロイドの番人などと陰口をたたかれているが……それなりの信念を持った人物でもある。
 どんっ。
「結局、貴方がそうして我々の要求を突っぱね続けているのは、ザクロイドのためでしょう?違いますか?」
 テーブルに叩き付けた拳が震えているのは、もちろん怒りからだ。
 先日ドルファンを訪れたシベリア大使との会見にて、オーリマン卿がシベリア産資源の輸入を突っぱねたことに対して、抗議にやってきた商業会の代表数名は、最初から喧嘩腰と言っても良く。
「否定はせんよ……が、それだけだと思われるのは心外だ」
 などと、オーリマン卿がさらりと答える。
 ザクロイドとの関係をのぞけば……オーリマン卿はいわゆる趣味人だ。
 学識は高く、詩をたしなむ文化人であり、殊に舞台に関しては専門家と言っても良いほどで、供も連れずにお忍びで夜な夜な劇場を巡る姿を目撃されているとかいないとか。
「ぬ、ぬけぬけと…」
 オーリマン卿の優美な風貌が、陳述にきた商業会の代表などには余計に腹ただしく思えるのだろう。
「諸君らは、商売のことだけしか考えていない……石炭はイングランド等から、鉄はオースティニア等から輸入している事実を、もう少し考えて欲しいものだね」
「我々は、シベリアから輸入しろと言っている……世界中のどこを探しても、同じ品質であそこより安いモノはない」
 オーリマン卿が首を振った。
「諸君らは……シベリア産の、石炭、鉄、燐光石が、何故それだけ安いのかを考えたことがないのかね?」
「何をわけの分からないことを」
「安い物は安い、コストがかからないから安い……商売というモノは、そんなに単純なモノかね?」
「あなたに何がわかる?」
 そこにどんな理由があろうとも、安い物を手に入れる。商売とはそういうものだ……などと、暴風雨のように吹き荒れる言葉を涼しい顔を受け流し。
「100の値段で売られているモノを……シベリア産は60程度の値段をつける」
「だから、我々は貴方の講釈を聞きに来たわけでは…」
「最後まで聞きたまえっ!」
 オーリマン卿の一喝に、室内が静まりかえった。
「何故そこまで安くする必要がある……60の値段が80でも、みんなが買うだろう。なら、何故80で売らない?いくら豊富な資源でもいつかは枯れる……それまでに、出来るだけ多く稼ぎたい……それが商売人ではないのかね?」
「そんなことはどうでもいいっ!」
 再び吹き荒れる暴風雨に、オーリマン卿は顔をしかめて『馬鹿が相手では話にならん…』と言い捨てて席を立った。
「よろしいのですか…?」
 退室してすぐに、オーリマン卿の右腕というより、半身と噂されるハインツがすっと身を寄せて囁いた。
「そんなに安い資源で商売をしたいのなら、さっさとこの国を出てシベリアに行けばいいものを……馬鹿どもが」
「……彼らは、政治というより、この国の行く末には興味がありませんからね」
「戦争が始まれば商売もへったくれもあるまいに……愚かな俗物どもほど、扱いづらいモノはない」
 芝居が好きな人間らしく、オーリマン卿が大げさに嘆いてみせ……ハインツは、苦笑を浮かべた。
「ですが……卿を貶める噂が、ここ数年で急に広まったことが気になります。この国の人間なり、シベリアの人間が、卿の追い落とし狙った下準備としか思えません」
「暗殺という手段に至るまで時間を稼げる分、金に目がくらんで要求を突っぱねている男、ぐらいに思われている方が都合がいい……とはいえ、ディムスの息子にもう少し商才があればいいのだがね」
 今は亡き、ディムス・ザクロイドを偲ぶかのように……オーリマン卿は目を閉じた。
 事業の規模の拡大……によるひずみを、国内で独占している燐光石事業によってカバーする。
 それはすなわち、価格の上昇であり……一代で財閥を築き上げたディムス・ザクロイドならいざ知らず、良くも悪くも成り上がりの二代目ぼんぼんには、人の恨み、ねたみなどのパワーの恐ろしさに気付いていないというより、気付かないからこその無能さ。
「……娘は、祖父譲りの才を受け継いでいるようですが」
「よせハインツ……私は、ディムスには恩がある。たとえこの身が滅びようとも、あの恩を忘れては、私は人ではなくなる。なに、リンダ嬢が成長するまでの辛抱だ」
「……は」
 オーリマン卿は閉じていた目を開き……ぽつりと呟いた。
「……国王家の望みとはいえ、サーカス団の来演に許可を与えたことは気がかりだがね」
 
「うわ…」
「どうした、ピコ?」
「来月の頭に……シベリアから、サーカス団がやってくるんだって」
「……これ以上話をややこしくしないで欲しいんだが」
 海燕が首を振った。
 商売人だろうとサーカス団だろうと、シベリアから他の国に向かって旅立つ人間は皇帝によって密命を受けた連中と考えてほぼ間違いない。
 他に類のない政治形態というか国の成り立ちだけに、説明されても理解できない人間の方が多いのだろう。
 もっとも、シベリアという国の危険性をいち早く見抜いたのか、イングランドはシベリア国籍の船にたいして海峡封鎖を行っている。
 トルキア内戦に対して援軍として送ったスペツナズを乗せた船がイングランドの軍船に海峡通過を阻まれ、大きく遠回りをさせられて到着が遅れているのは記憶に新しい。
「……っていうか、このタイミングで来演?怪しいって…」
「シベリアで、あれだけのことをされたヴァルファが直接手を組むとは考えづらいな……黒幕だとしても、一つか二つクッションを挟むだろうし…」
「……他に?」
「何かやるとしても、サーカス団がいなくなってからだろう……有効なコマは、大事に使う国だからな」
 この海燕の予想は、半分正解し、半分外れていた……強大な権力と、本人の才を遺憾なく発揮し、長きに渡って君臨していた皇帝も、少しずつ老害の兆しが見え始めていたのである。
 それはまだ、シベリアに見えないぐらいの小さな亀裂を生じさせたに過ぎないが……体の大きな動物が自重で自滅することがあるように、シベリアという巨大な国家にとって、見えないほどの小さな亀裂は、自らの重みによって広がっていく…。
 
 12月2日、日曜日……その日は朝から良く晴れ、小春日和と言える陽気に誘われて多くの人々が外出を選択。
 もちろん、先月終わりに来訪し、昨日から公演を開始したシベリアのサーカス団にも、朝から大勢の客が訪れて、公演の開始を今か今かと待ちわびていた。
 
「……どうする?一応、サーカス見に行く?」
「見知った顔がいたら、反対に面倒になる気もするが…」
「そういや、結局教会の神父とも、一度も顔合わせしてないしね…」
「ああ、『ミハエル・ゼールビス神父』か…」
「……アイン神父だったっけ?その人が行方不明になってから、1週間で新しくやってきたってさあ…」
 海燕の左肩に腰掛け、ピコが呆れたような表情で呟く。
「……この国の出入国管理局のチェックはザルだな」
「今思うと、早かったもんね……外国人傭兵の入国にしたって」
「そうだな……」
「……って、いうかっ」
 ピコがいきなり立ち上がり。
「何で私やキミが、この国のことをこんなになって考えなきゃ……じゃなくて、この国の人間は何してるのよっ!?『ミハエル・ゼールビス神父』って、馬鹿にしてんじゃないのっ!?」
「本人だとしても、偽名だとしても……なあ」
 ミハエル・ゼールビス……血煙のゼールビスという呼び名を持つヴァルファ8騎将の1人であり、軍団のミーヒルビス参謀の甥にあたると言われている。
 ただ、軍団に加わったのは数年前からのことで……それまで何をしていたのか、どこにいたのかは謎に包まれており、前身はテロリストだったとか、化学者だったとか、いやそもそもそんな人物は存在していないのではないか……などと、一部の傭兵をのぞけば、その素顔を見た人間すらいないのが実状ではあるようだが。
「……というか、神父を訪ねて本人でした…となったら」
 口を閉じ、ピコがチラリと海燕を見た。
 もちろん海燕はゼールビスの顔を知っているし、向こうも海燕のことを覚えているだろう。
「その場で即殺しあいだろうな……で、俺が勝ったとしたら、神父を惨殺した男のできあがりってわけだ」
「……言い訳、しても無駄だよねえ?」
「無駄だろうなあ……何らかの現行犯で、かつ証人がいて、決定的な動かぬ証拠があって……それで何とか、だろう」
 ピコはため息をつき、海燕は苦笑を浮かべる。
 考えてみれば、この国にゼールビスの顔を知る者はいないだろうし……『ミハエル・ゼールビス神父』が実在していると言われたら、それ以上はどうしようもない。
 大胆不敵と言うよりも、ある意味計算通りなのか。
 などと2人が、シーエアー地区の中心部……シーエアー駅へとさしかかった頃、異変は起こった。
 いや、正確には海燕とピコの2人が異変に気付いた。
 
 サーカス団の猛獣6頭が檻から脱走……テントのあるフェンネル地区から、それぞれ種族も違う6頭の猛獣全てが南東方向へと向かった。
 運動公園からドルファン学園を過ぎ、ドルファン地区の中心部であるサウスドルファン駅を過ぎ、そのままシーエアー地区へと向かった猛獣たちは、人通りの多いシーエアー駅で、逃げまどう人間達に危害を加え始める……事件の始まりから順序立てて並べると、そこには不自然などという生やさしいレベルではなく、明確な悪意が見て取れる。
 ほとんど事情を知らなかった海燕だったが、目の前の光景に漂う悪意を直感したのは……シベリアに対する嫌悪とは無関係ではあるまい。
 陽動だ…。
 この騒ぎの隙をついて何かがおこる………海燕も、ピコでさえ、それはわかっていた。
 どこで何が起こるのか……それを知らない人間に出来ることは、目の前の騒ぎを一刻も早く収束させることだけである。
 腰の剣を抜きながら、逃げ惑いはしないモノの暴れる猛獣たちを遠目で眺めているだけの警備隊員に向かって海燕は一喝した。
「警備隊員っ、貴様らの使命は何だっ!人を守れっ、守って死ねっ!」
 戦場の喧噪を凌ぐ、戦う男の怒声である……聞こえないはずはない。
 舌打ちし、海燕は一番近くにいた白熊の鼻先を斬り上げた……致命傷ではなく、意識をこちらに向けさせるためだけの攻撃だ。
 体毛、皮膚、皮下脂肪……なまなかな打撃や斬撃をはね返す防御力と、その膂力を活かした攻撃力。油断できない相手とはいえ、海燕は熊という獣のことを良く知っていた。
 逃げ遅れた市民をかばいつつ、片目を奪い、片耳を削ぎ、怒りの咆吼をあげた口の中に剣先をねじ込んで、断末魔すらあげさせない。
「ねえ、あそこっ」
 ピコの叫びと同時に、海燕は駆けた。
 みな我が身が可愛いのか、倒れた女の子などに見向きもしない。
 まだ5歳ぐらいと思える女の子は、おそらく状況もよくわかっていないのだろう……が、本能で恐怖を感じているのか、脚が震えて立ち上がることも出来ずにいる。
 海燕の投じたナイフをかわし、獣がこちらを振り向いた。
「ねえ、こいつら…変だよ」
「……訓練されてるな、人を殺すために」
「え…」
 そしてピコは気付いた。
 自分たちが3頭の猛獣に囲まれていることに。
「ちょっ、これは、キミでも無理…」
 正面に巨大なホワイトタイガー……おそらくはシベリア虎の白子だろう。
 右手には獅子、左手には……海燕が初めて見る獣の姿。そのしなやかな身体が、俊敏な動きを秘めているのは容易に知れる。
「誰でもいいっ、そこの女の子を連れて逃げろっ」
「ボ、ボクがっ!」
 いつぞやの、塀を飛び越えた現れた少女が、女の子の元に駆け寄った……そのフォローのために、微かに意識を移した瞬間、左から海燕の喉元めがけて獣が飛びかかってくる。
「…っ」
「今、斬れたんじゃ…?」
「正面の虎がそれを狙ってた…すまん、集中させてくれ」
「ご、ごめん…」
 ピコが海燕から離れていく。
 3対1ではなく、1対1……そう思い定めた。
 訓練された動物はもちろん危険だが、野生の動物が持つ何かを失っているという事でもある。
「……腕一本だな」
 女の子を避難させた少女が、警備隊員に向かって何かを叫んでいるのが見えた……。
 
「メネシス先生…」
「……ゴメン、もう一回説明してくれる?」
 暗い緑色のフードをちょっと持ち上げ、メネシスは看護婦であるテディに聞いた。
「その患者、何と戦ったって?」
「は、はい……最初に北極熊、そしてシベリア虎、ライオン、ヒョウの3頭を相手に」
「アタシじゃなく、神父さんを呼んだ方がいいんじゃないかい?」
「生きてますっ」
「アンタの心の中に?」
「今、この病院の、病室の、ベッドの上で、ですっ」
 テディが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「で、畑違いのアタシにどうしろってのさ?」
「それが…その患者さんが東洋人だからって…」
 自分自身を恥じるように、テディが俯きながら呟いた。
 今は患者さんがいっぱいで……などと、それらしい言い訳はしたが、結局の所は診療拒否。暴れる猛獣からみんなを守っての怪我だといくらテディが説明しても、医師達の態度は変わらなかった。
「東洋人っ」
 メネシスの眼鏡がキラーンと光る。
「なんでそれを早く言わないのさ。任せな、アタシにぜんぶ任せな」
「せ、先生。生きてますからね?治療ですよ、治療してくださいね?」
「……全力を尽くしても、どうにもならないって事はあるさ」
「せ、先生も、街の騒ぎは聞きましたよね?その患者さんは、何人もの人を救ったんですよ」
「別に……騒ぎってのはそれだけじゃないさ」
「え?」
「銀行に、十数人の集団が押し入って、金塊をごっそり盗んでいったそうだよ……檻から抜け出した猛獣が全部そろって同じ方向に向かって、人通りの多いところで暴れ出し、他の区を担当する警備隊員までもがそこに集中した隙をついての強盗だって…はっ、笑わせるってもんだよ」
 フードと眼鏡で、メネシスの表情を伺うことは出来ないが……その口調は恐ろしいほどに冷めたモノだった。
「ま、馬鹿の顔でも見てみるかね…」
 
「おう、馬鹿ってのは……」
 メネシスは背後のテディを振り返った。
「生きてんじゃん」
「さっきから、そう言ってるじゃないですかっ!?」
「じゃなくて…」
「傷は浅くても、獣の爪や牙には毒があるって教えてくれたのは先生じゃないですか」
「あ、うん…毒って言えば毒なんだけど、毒じゃない毒というか…」
 と、入り口付近で話し込むメネシスとテディに線を向け、ピコがため息をついた。
「いつまで待たされるのかと思ったら、なんか変なのが来たね」
「……」
「ねえ、何考えてるの?」
「いや……あの時、助けてくれた少女のことをな」
 2頭を倒す事によって生ずる隙を待っていたシベリア虎の攻撃を海燕はかわしようがなかった。
 最初の予想通り、腕一本犠牲にするしかない……その瞬間、荒削りではあったが強烈な殺気がシベリア虎の背後を襲い、シベリア虎は攻撃を中断して海燕の頭上を飛び越えた。
 最大にして最後のチャンスを失ったシベリア虎を海燕が倒したとき、殺気を放った少女はもう影も姿もなかった……のだが。
「あの娘……あの時の娘だよね」
 ドルファン学園の側で、殺気を振りまきながら海燕の後を尾行けてきた時の黒髪の少女の顔を思い出しつつ、海燕は小さく頷いた。
「そうだな…」
「なんで……キミを助けたりしたんだろ」
「さあな…」
「アンタ、幻覚でもみてるのかい?」
「いや、ただの独り言だ……癖でね」
 ベッド脇に立つメネシスにチラリと視線を向けた。
「一応、酒で傷口は洗ったが……気休めだな」
「へえ、アンタ獣の傷の経験があるのかい」
「早ければ夕方に、遅くても明日の昼までに高熱が出るだろうな……そこから先は、運頼みだな。死んだやつもいるし、平気だったやつもいる」
「アンタ名前は?」
「海燕…見ての通り、傭兵だ」
「アタシはメネシス。医者ってわけじゃないけどね、薬に関しては少々詳しい」
「ほう」
 メネシスがほんの少し微笑んだ。
「運頼みって事は五分五分だろう……アタシが、それを7分3分にはしてやるさ」
 
 深夜のドルファン病院。
 予想通り、海燕の身体は日が沈む頃から高熱に襲われていた。
 ただ、それを見守るピコの表情と、自身の経験から、どうやら大事に至らずにすむらしいことを海燕は悟っていた。
「……大丈夫ですか」
 付きっきりと言って良い状態のテディが、もう何回目になるかわからない言葉をかける。
「患者は俺だけじゃあるまい…気にせずに、他の患者の世話をしろ」
 テディはタオルを絞って海燕の額にのせ……口を開いた。
「この病院の医師は、貴方を無視しました……偽善者と言われても、私はその埋め合わせをしようと思います」
「……少し寝ろ」
 ふっと、テディが微苦笑を浮かべた。
「それは、私の台詞です……眠った方がいいですよ」
「……そういう生き方はしてこなかった」
「……?」
「……こういうことだ」
 何が起こったのか、テディが理解するまでしばらく時間を要した。
「怪我をしたり病気になると、命を狙われる……俺はそういう稼業の男だ。人を救う綺麗な手をしたアンタが、血に汚れた俺の世話をする必要はない」
「……」
 喉元にあてられた剣をしばらく見つめてから、テディは強い眼差しを海燕に向けた。
「今日……じゃなくて、もう昨日ですね。考えたくありませんが、貴方がいなければ数え切れないぐらいの被害者が出たでしょう」
「大げさな話だ……俺が救ったのは精々1人だ」
「……さっき、人を救う綺麗な手と言いましたね」
 そう呟いたテディの顔から拭ったように表情が消えていた。
「病院は……人を死なせる場所でもあるんです」
「……」
「私がこの仕事を始めてから3年足らずですが……数え切れないぐらい、人が死ぬのを見てきました」
 喉元の剣を恐れる風もなく、テディは淡々と言葉を続ける。
「医者は人を救うことがあります……でも、私は…」
 そこで初めてテディはちょっと目を伏せ……わずかな沈黙を挟んでから言った。
「それが1人だとしても、私は尊敬しますよ」
「……なるほど、下手な騎士より肝がすわってる」
 ため息混じりに呟き、海燕は剣をひいた。
 言葉でテディは動かせない事がよくわかったし、実力行使で無理矢理に追い出そうとまでは思わなかったからだ。
「……好きにしろ」
「そのつもりです…」
 そう呟くテディの顔に微笑みが浮かぶ。
「そういえば、まだ名乗ってもいませんでしたね……私、テディ・アデレードです」
「海燕だ…」
 と一旦口を閉じたが……テディがきちんと名乗った以上、自分もそうすべきだと思ったのか、海燕はあらためて口を開いた。
「俺は、海燕丈だ」
 
 海燕の熱は、二日後には下がり……午後になり、様子を見に来たメネシスが舌打ちするほどの回復を見せていた。
「……あの騒ぎの間に、覆面の集団が銀行に押し入って金塊を盗んでいったらしいよ」
「なるほど…そっちがメインか」
「キミが言うとおり、訓練された獣だったんだろうね…」
「と、言うと?」
 海燕がちらりとピコを見た。
「キミも含めて、怪我人は12人……獣の爪や牙によって怪我したのはキミだけだから」
「……」
「他の怪我人は全員、体当たりされて転んだとかで、打ち身とか打撲の怪我ばかりなの……」
「そうか……」
 海燕は上半身を起こして、窓の外に視線を向けた。
「そ、それはっ、結果としてそうだったというだけで……キミがいなければ、ほら、テディも言ってたけど、もっと怪我人は増えてただろうし、大体、本当は警備隊員がするべきことなんだから…」
「そうだな…ありがとう、ピコ」
「……」
「…ん?」
 視線を戻すと、ピコが泣きそうな表情で海燕を見つめていた。
「……どうした?」
 コンコン。
「海燕さん、面会希望の方ですよ」
 ノックに続く、テディの声。
「……誰か来たみたいだよ」
 
「わたし、アリス・バッカードですっ。うみつばめさん、たすけてくれてありがとうございました」
 おおきくおじきした後、私、うまく言えたよね……と、おそらくは母親であろう女性を振り返るアリス。
 アリスに向かって頷き返す女の表情は……早くここから立ち去りたいと思っているのが明らかで。
 娘を助けてくれた……もしかすると、そういう認識も無いのかも知れないが、東洋人などと、しかも傭兵なんかと関わりたくないのだろう。
 まあ、それも無理はない……と海燕としては苦笑するだけだが、ピコがあからさまに不機嫌な表情を見せているだけに、対処が難しい。
「どうしたの、おかあさん?」
 不思議そうに、アリスが母親に問いかける。
「だれかにしんせつにしてもらったら、ちゃんとおれいを言いなさいって、お母さんがいつも言ってることだよ?」
「そ、そうね…」
 母親がチラリと海燕を見る。
 親としての義務感と、個人の感情がせめぎ合っているのがよくわかる表情だったから、海燕は微かに微笑んで頭を下げた。
「……」
 それにつられたように、母親が申し訳程度に頭を下げる……が、やはり感謝の言葉は出てこなかった。
「転んだときに、怪我はしなかったか、アリス?」
「はい」
 アリスがにっこと微笑んでみせる。
「そうか、良かったな……」
「うみつばめさんは、けがをしたの?」
「かすり傷だ、大したことはない」
「よかった」
 海燕は小さく頷いてやり、ちょっと窓の方に視線を向けた。
「ほら、もう夕方だアリス……お母さんと一緒に帰った方がいい」
 海燕の言葉に、母親がホッとしたような表情を浮かべたが、アリスはむしろ残念そうに俯いた。
 
「あ、あのっ…」
 母親に手を引かれたアリスが病室を去って……耐えかねたように声をあげたテディに向かって、海燕が首を振って見せた。
「気にするな」
「気にするなって、言われても…」
「どこの国でも、傭兵の扱いはこんなもんだ……あの母親だけが特別ってわけじゃない」
「……」
「そうやって気にかけてくれる相手が不利益を被ること……そっちの方が俺には堪える」
 テディは、自分と同じ年齢である海燕をじっとみつめた。
「海燕さんと私って、同い年なんですよ」
 意表をつかれた……そんな感じで、テディを見つめる。
「そうなのか?」
「……入国の際、あなたが年齢を偽ってなければですけど」
「多分、間違ってはないはずだ……誕生日は定かじゃないが」
 それは初耳……という感じの、ピコの視線を感じつつ。
「で、何の話だ?」
「いえ…」
 テディは少し目を伏せて……ぽつりと呟いた。
「あなたの優しさが、少し悲しいと思っただけです」
 
「ねえ…」
 日が沈み……暗い病室の中で、ピコと2人きり。
 テディがいないので、明かりが必要というわけでもなく……どのみち、明日には退院するつもりだけに、眠くなれば寝るだけのことで。
「どうした?」
「テディは、身体が悪いみたいだけど…気付いた?」
 海燕は少し考え、首を振った。
「いや、そういう感じは受けなかったな…」
「だろうね…微かな乱れだったから」
「……心の蔵か?」
「多分ね…命に別状があるってわけじゃなさそうだけど」
「そうか…」
「キミが気付いているか知らないけど、あの人、時々はっとするほど悲しい目をするよ」
 微かな気配と共に、ピコが海燕の肩におりた。
「こんな時代……と言ってしまえばそれまでだけど、彼女の悲しさはちょっと違う気がする」
「何か、他に話したかったことがあったんじゃないのか?」
 微かな沈黙…。
「キミを、この国に連れてこない方が良かったのかな」
「そうでもないだろう」
「いいよ、気休めは…」
「スィーズランドの短い滞在をのぞけば、初めての全欧だ……明らかに異邦人の存在に対して、この程度の反応ですむなら…」
「そういう問題じゃないよっ」
 ぺちっと、頬の、耳に近い部分を叩かれる感触。
「すまん」
「なんで謝るのさ」
「いや、どういう言葉をかけていいのかわからない……俺が未熟なせいだろう」
 こつん……と、頬に感じる硬い感触は、ピコの額か。
「……キミの誕生日って…?」
「国を捨てた日だ」
「そっか…」
 ぽつりと。
「そうなんだ…」
 そのまま、どのぐらいそうしていただろうか……ほぼ同時に、2人は窓の方に視線を向けた。
 害意はもちろん感じないが、海燕の右手は剣を掴んでいる。
 こんこんこん…。
 窓を叩く音に続き、声。
「ねえ、寝ちゃった?」
 先に思い出したのはピコだった。
「あれ、この声って…」
「ん?」
「いや、塀を飛び越えてきた女の子じゃない?ほら、野ザルのような…」
「野ザルかどうかはともかくと言いたいが…窓からか」
 微苦笑を浮かべ、もちろん何がおきようとも対処できる状態で海燕は窓を開けた。
「俺は海燕という東洋からきた傭兵だが、人違いじゃないのか?」
「人違いも何も、お見舞いというか、お礼を言いにやってきたんだよ」
「……窓からか」
「面接時間が終わったとか言って通してくれないんだもん、しょうがないでしょ」
「……わかった、今明かりをつける」
 枕元の蝋燭に明かりをつけ、少女の手元をてらしてやった。
「あ、ありがと…よっと」
 軽やかに……まさしく猿のような身のこなしで木の枝から病室へと飛び移ると、少女は海燕に向かってにこっと微笑んだ。
「えっと、こんな形になってゴメンね」
「別に、少し驚きはしたがな」
「あ、あはは…明日には退院するって聞いて、慌ててやってきたんだけど」
 照れくさそうに頭をかく少女……よく見えないが、おそらく照れたような表情を浮かべているのだろうと海燕は思った。
「この前は助かった」
「え?」
「いや、女の子を抱えて避難してくれただろう……あのおかけで集中できた」
「そ、そんな…お礼を言うのはボクの方で。あの子…アリスって言うんだけど、近所の住んでる子なんだ」
「今日、礼を言いに来た」
「……」
 じっと、海燕を見つめているような気配。
「どうした?」
「いや、その……なんでもない。あはは…」
 どこかごまかすように笑う少女の態度から、おそらくはアリスの母親がそれに乗り気でなかったことを知っているのだろうと海燕は思った。
「そ、そうだっ」
 それはどこか唐突で。
「ボク、ハンナって言うんだ。ハンナ・ショースキー」
「海燕だ」
「…ホントは、色々話したいこととかあったんだけど、また今度にするよ。今日はゆっくり眠って、ちゃんと退院してね」
 と、窓の方に向かって歩き出すハンナを海燕は呼び止めた。
「ドアからにしたらどうだ?」
「うーん、見つかったら…」
「こういう場所は、入るのは難しくても出ていくのは割と簡単だ……何食わぬ顔して、堂々と出ていけばいい」
「そ、そう…?」
 ハンナはちょっと首を傾げ……それでも、足下がはっきりと見えない状態で窓から枝へ飛び移るよりはマシと考えたのか、素直にそちらを選んだ。
「じゃ、じゃあまた今度ね…」
 と、ドアノブに伸ばしたハンナの手が空を切る。
「あ…」
「……やっぱり」
 ハンナの顔をランプで照らし、テディが大きくため息をついた。
 
「ごほっ、ごほっ」
「ピコ…無理に付き合う必要はないぞ」
「この仕事、身体に悪いって…」
「と言ってもなあ…」
 煙突を掃除する用具を持ったまま、海燕は四角い空を見上げた。
「そういう仕事だから、東洋人でも採用されたわけだが」
「……って言うか、入院費用が自腹ってのはどうなのよっ!?」
 そもそも、キミの怪我はこの国の人を……と、長くなりそうなピコの愚痴を封じるため、海燕は煙突のすすを払った。
「おほっ、おほっ、おほっ…」
「だから、外に出てろって…」
「おほっ…そ、そうする…」
 涙目で呟き、ピコは空へと脱出。
 12月下旬、夏と同じに養成所は冬期休暇に入り、1年分の煤を……というわけではないのだろうが、煙突掃除の仕事がもっとも忙しくなる時期らしく。
 海燕は、入院費用を払うために煙突掃除のバイトに精を出しているわけだ。
 ドルファン本城の一部を解放して行われたらしいクリスマスパーティへの招待状がプリシラから来たが、海燕は行かなかった。
 例の猛獣騒ぎについては、誰も正確なことをわかっていないのか、それとも情報が統制されているのか……海燕のまわりで特に話題になることもなく。
 騒ぎの隙をつき大量の金塊が奪われたことなどを考えれば、あからさますぎるほどなのだが……結局、誰かが猛獣の檻の鍵を壊して……そういう所に落ち着き、サーカス団は被害者ということになったらしい。
 もちろん、敢えてそういう処置をとったという可能性はある……というより、高いだろう。
「おい、東洋人…」
 頭上から声がかかる。
「そいつで終わりだ……さっさと仕上げちまいな」
「わかった…」
 煤で真っ黒になった顔を向け、海燕が答えた。
 
 プロキアとの会戦、ヴァルファのダナン占領、イリハにおける大惨敗、例外による作物の不作、物価上昇……来年の4月から税率アップも決まっており、ドルファンの人間がD・D26年を振り返ると、ろくでもない一年だったと答えるに違いない。
 年の暮れ……人々は、新しい年に向かってささやかな願いをこめる。
 新しい年が、良いモノであるようにと。
 その願いが叶うのか、それとも踏みにじられるのか……静かに、だが確実にトルキア地方の緊張は高まっていく。
 
 
 
 
 看護婦、というか看護士……大病院だと、配属される先がどこかでかなり違うとか。
 場所によっては、次から次へと人が死ぬのを見る羽目になり……ある日突然それに耐えられなくなって、仕事をやめざるを得なくなったり。
 ま、それはそれとして……『みつナイ』ほど、キャラが簡単に死ぬギャルゲーも珍しいというか。
 攻略キャラ16人のうち、死んだり行方不明になったりするキャラは……などとあらためて数えてみたら。(笑)
 つーか、プレイヤーの行動によってはヒロインのソフィアでさえ死亡(高任未確認)するとか……そのあたりのドライさは、プレイヤーに感情移入させたところで、死ぬか生きるかで引っ張りに引っ張るゲームのシナリオとはやっぱりひと味違います。
 間接的にそういう時代であることを伝えようという計算なのか、ゲームとしてあまり『死』をおおげさにとりあげる事はしたくなかったのかはわかりませんけど。
 

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